亀姫の生涯 男勝りの性格で宇都宮城釣天井事件にも関わった奥平氏の正室【どうする家康】
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- Опубліковано 7 лют 2025
- 参考文献
『加納町史 上巻 』
dl.ndl.go.jp/p...
黒田基樹『家康の正妻 築山殿』
amzn.to/3VTVT8A
宇都宮藩・高徳藩 (シリーズ藩物語)
amzn.to/3OUzW9v
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當真あみさんが演じる亀姫は、母の築山殿に似たのか、男勝りの気丈な性格で、正室の子であったことから弟の秀忠よりも格が高かったこともあり、徳川家のトップとして数々の伝説を残しています。
奥平家でも、夫のが側室を置くことは許さず、一人で5人の子を産み、夫、子供の死後は、幼い孫の貢献として藩政にも関わりました。
その権力の大きさは、宇都宮城釣天井事件で幕府の実力者、本多正純を改易に追い込むほどで、将軍、御三家にも一目置かれる存在として徳川一門から崇められ続けました。
今回は、長篠の戦いの勝利にも貢献し、幕府政治にも深く関わった亀姫の生涯について紹介していきます。
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【画像引用】
大河ドラマどうする家康公式サイト
www.nhk.or.jp/...
#どうする家康 #日本史 #歴史
母の性格を色濃く受け継いでいるであろう亀姫の事績から、築山殿の実態も見えてきそうですね。
亀姫も亀姫で創作話も多いので難しいですが…
ドラマの信長への直談判はあり得ないと思ってましたが、この動画で後年の振る舞いを知ると、さすが家康の長女らしく、しっかり者だったことが分かりました。
😅😅
亀姫は昔時代劇スペシャル徳川の女で主役となって関ヶ原でも家康の本陣のそばにいて小早川の寝返りにも働きかける等大活躍でした‼️亀姫主役の大河ドラマも期待したいです
愛知住みの元徳川家臣です。めちゃくちゃ勉強になりました。
かなり前に、九州の豊前中津城に行った時に、奥平氏が、説明板に歴代の城主と書かれてました😅😮
築山殿にしろ、亀姫にしろ、気丈な性格…というのは、先天的なものもあるのかもしれないが…徳川家康の家の者…というのが、凄いプライドを持たせるほどの格式を与えていたのかもしれないですね。(詳しくは知らんけど。)
あのかわいい富真あみちゃんが怒り狂うのか。想像できない😢
まだ17歳だけど40代の亀姫もそのままやるのか気になる。
お疲れ様です。
作手にあるお城は亀山城、川尻城、古宮城、文殊山城とかなら知っておりますが作手城と言うのははじめて聞きました。
亀山城=作手城ですね。
亀山城の名が一般的ですが、参考文献が作手城表記だったのでそれに準じています。
亀姫を大河ドラマにしても
良い位ですね。
女大名亀姫のタイトルで、
行けそうですね。
「どうする亀姫」もいいと思う!!パパとママとお兄ちゃん役は松潤、有村架純、細田 佳央太で!!主役はもちょっと成長した當真あみで!!このメンバーじゃないとしっくりこない!!
本多正純を蹴落とした
ドラマを亀姫の視点で
描いたドラマを昔、
観たことがある。
ドラマの最後のであたり
だったか・・・❔🤔
名家に生まれると大変ですね、責任と使命を果たす人生に感服いたす、ありのままの~って責任逃避するの名家の子供達には、なんともなぁー、
亀姫ってすごい人だったんだね
彼女は3代将軍、家光、水戸黄門で有名な光圀の伯母に当たる。
弟の松平忠輝より先に逝ってしまったが、妹には全員先立れてるので、当時としては長生きしてる。
亀姫と督姫はたぶん信康以下の息子たちより家康の性格に近い気がする
本多正信から「正純、お前は領地を増やしちゃダメだ」
と言われていたのに宇都宮をもらってしまったから…
秀忠と関係があまり良くない正純としては、加増を断るというのも難しかったようですよ。
秀忠は大禄を与えて政治の中枢から追い出したいので、それを断るのは秀忠への反逆。いずれにせよ詰んでいました。
なんで 最後のシーンが上野の西郷さん?
京都の臨済宗妙心寺にある如是院は奥平氏の軍配が紋となっています。関係性はあるのでしょうか?
歴史はおもしろく‼️まか不思議です。
まさに、めぐる因果は糸車‼️ですね‼️‼️
秀忠にとって兄秀康なみにいやそれ以上に気を使っていたんですね、
もちろん兄秀康も右に同じだったんだと思います。
レキショック様
気位が高いといえば池田輝政に嫁いだ(再婚)督姫もですね。池田家がここまで大きくなったのは自分のお陰と言い切って輝政も苦笑いしたとか。
三女の振姫も蒲生家で家老とバチバチにやっていますし、徳川家の姫共通だったのかもですね。
振姫は後に浅野長晟と再婚してますね。
@@rekishock 様
亀姫が家康の娘として丁重に扱われていたとは驚きでした。
同じ家康の娘でも督姫の嫁ぎ先である池田家は一族で100万石となり、官位も従三位参議と上級貴族並みです。西国将軍、播磨宰相とも言われ、輝政が訪れる際には家康、秀忠が城外で出迎えたという逸話があるくらいです。亀姫からすればそれに比べ我が奥平家は…といった嫉妬、やっかみがあったと思います。それが正純に向けられた気がします。
長篠城の戦いの功績により、織田信長から信の字を与えられて、奥平貞昌から信昌と成った。
奥平氏はそのように主張しているのですが、実際は長篠の戦い前の1573年に信昌の名で書状を出しているので、武田氏から通字の「信」をもらって名乗った可能性が高いようです。
でも信長から貰ったて方が、世間的には面白いと思う。まぁ箔を付けたいって気持ちも分るけどね
同じ信だけど織田からの信ってことにしとけと信長が言った可能性も0ではないですしね。
じゃあ何で同様に降った菅沼には
信を与えなかったんだろう?
与えたというが
「与えられっぱなし」のまま
徳川へ再属するか?
押し付けなら嫌がって捨てるやろ
浅井備前守長政とて
「賢政」だったのを辞めたし
当時の女子は名前さえ定かでない者が多いのに、家康の子の中でもはっきりとその生涯が語り伝えられているのは、凄いですね。それに加え、宇都宮天井事件にまで関わっているとは、ちょっと爽快ですらあります。もちろん無実の罪で改易になった本多家には気の毒ですが、こういう思い切ったことをする女性がかつていたというのは、同じ女性として溜飲を下げるような気もします。本多家の末裔の方、ごめんなさい!!😁😆🥲
「貢献」ではなく「後見」ね😊
やはり、正室の産んだ子は、二ノ丸の女中部屋に通って産ませた子とは身分が違うんだな。
烈女だったのであります。
あ、大河の信昌のもみあげ?肖像画に寄せてってたのね
確かに、造形細かいですね。
7:18貴重な鳥居強右衛門が…。
亀姫の権勢の凄さが本当だとすると、築山殿や信康の謀反は本当は無かったのではないか?
土井利勝……忠長の乳母夫だったような
妹が乳母だったようで利勝は表向きは関係ないようですね。
忠長とは繋がっていたでしょうが。
どうする家康とは真逆の悪女、無実の罪で配流された正純が気の毒。
宇都宮吊り天井事件は後の創作話。
亀姫って名前が謎
きつい性格だったんだろうな
あの女優さんだから、おとなしそうに見えましたが、いつも母親にくっついて、お嫁に行きたくないとか、わがままな娘と思ってました。五徳は子供の頃から徳川の中で苦労してるのによく言えるな~と思いました。五徳も強い女ですけどね。
私は強右衛門の美談が信じられないです。いたのは事実のようですが、城を目の前に捕まり、勝頼を騙して云々という感動話をどこまで信じていいのやら。これも亀姫創作話と同じ「実は戦場ではあまり活躍しなかった奥平家を何とか盛りあげたい」派の仕業なのでしょうか?
私が聞いた話では、強右衛門は援軍が来ることを知らせる狼煙を上げて、その後に武田に捕まったという内容でした。真偽は知りません。しかし、強右衛門の墓を作ったのは徳川家康ではなく、織田信長であるため、相応な特別の功労があったものと受け止めています。
強右衛門の実態については史料によっていかようにも変化し、最初期に取り上げた三河物語と甫庵信長記ですら内容が違っていますからね。
次回強右衛門単独の動画を出す予定です。
@@atabo3641
→「強右衛門の墓を作ったのは」「織田信長である」
貴重な情報ありがとうございました。初めて知りました。ところで、本年度大河・83年度大河ともに強右衛門を歌手が演じるとは、NHKには何か拘りがあるのでしょうかね? 私にとっては大名領国制は帝国主義、惣国一揆制は民主主義なのですが、山岡荘八にとっては戦国大名が現代民主主義の政治家、堺の会合衆が財界の大物、それ以外の敵は労働組合に見えたようで、時代が感じられて笑えます。なので本年度「どうする家康」が面白くて仕方がないです。最新の歴史研究の成果を取り入れつつ、大胆に嘘をついてドラマ性を高める、TVドラマ・映画でのリメイクの重要性を感じます。でも歴史学での陰謀論は嫌いです。と言いつつ北野武『首』は、機会があれば見るつもりですw
@@rekishock
おお、楽しみにしています。参考文献にも注意してお待ちします。私としては、強右衛門自体より「奥平派の宣伝戦の過程」(こんな言葉で通じますかね?)が気になるので、それに関し、少しでも知れればうれしいです。今回は亀姫の存在の大きさを知ることができ、得るものが大きかったです。重ねてお礼申しあげます。とにかく、NHK大河が旧陸軍はじめ数々の陰謀論に触れず、逆に今川家関係の人物の復権を果たしてくれたことがうれしい昨今です。ネット時代にも感謝です、この時代にかろうじて間に合った私としてはw
すねえもんのこともしかして知らない?
側室を許さないなら毎日夜伽を努めよ。
正純は、嫌われてたからな~
逆に、正純の親父の正信は、正に、「憎まれっ子、世に憚る」の諺の如く、主君である家康の代わりに憎まれ役に徹した事で、家康からも一目置かれる程に信頼されていたからなぁ。其ればかりか彼は、一度は三河一向一揆衆を率いては家康に逆らい、家康から三河からの追放処分を喰らうなどの屈辱を味わった、文字通りの苦労人でもあった訳だし。
本田正純失脚
黒幕は色々な説あるが、結局は徳川秀忠に疎まれたという事じゃないかな❓️🙄