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前の人取橋の戦いもそうなんですが大河ドラマは合戦の戦況や裏工作をここまで詳しくやらないので本当にありがたいです。
大変勉強になります。有難うございます。このシリーズ大変面白いです!この摺上原の戦いで伊達の奥州覇権が決定したというのは覚えていましたが、相馬を釣りあげて撤退させたり、惣無事令を逆手に取って佐竹からの加勢を遮断したりと、政戦両略と機動戦の展開がこれほど素晴らしい戦いとは知りませんでした。他勢に無勢となった場合は、戦力を一局に集中して敵を突破する方法がよく言われますが、こんな戦い方もあるんですね。信長にも通ずるものがありますが、勢力が一定以上になると、周囲が皆団結し、自軍を包囲してくる局面に必ずぶつかります。この局面を打開できるかが英雄となり得るかの別れ目の様な気がらしますね。
葦名はこの後、大名に復帰するけど、関ヶ原の戦いの後、改易されて、実家の佐竹から領地をもらい佐竹の家臣となる。そして、後継ぎが無く断絶する。
江戸時代の仙台藩家臣の中に蘆名家が存在しているのですが、その家は分家とか傍系の系譜ですかね?
@@ほほほたか 葦名14代当主には実子がいたけど弟が継いで、実子は分家して針生姓を名乗って子孫が伊達政宗の家臣になった。後に佐竹家臣になっていた葦名本家が断然した時に針生当主が葦名に戻した。
ありがとうございます。この時期の東北の動きに詳しくなかったので、本当に勉強になりました!地図があってわかりやすいです!
YUKIMURAさんの初期の動画なんでしょうけれどもきれいにまとまっていますね。楽しかったです。東北の歴史に初めて触れた気がします。
楽しみに待ったかいがあった!
いつか九戸政実の乱をやってほしい。九戸城、行ったから余計に思います。同じ旅程で蘆名義広の墓所を角館に見に行きました。彼からほどなくして断絶。その墓所はひっそりとありましたが、かつて会津を治めた蘆名氏の墓所としては寂しかったですね。
待ってました!
風向きが替わる事を計算して反撃に転じ、仕上げに忍びに橋を落とさせ退路を断つ、戦国史上稀に見る完璧な作戦ですね。
これが稀に感じるなら日本史を知らな過ぎる
島津はその理論やと全部稀やな
伊達軍から見れば周りは敵だらけですが、その敵が一枚岩じゃないというのが幸運でしたね。
たしかに弱い奴しかいないなぁ
その敵がみんな親戚ですからね。だから相手も遠慮して動かない。そして輝宗時代に輝宗を抑えていた岩城親隆も病気ですでに動けない状態みたいだったし。
ゲームにより、政宗の周りは弱い奴だらけの錯覚があるかもしれんが、そうではないです。あいつらが弱いじゃない、単に伊達政宗が強すぎます。
@@杰楊-t1h 佐竹義重は北条とバチバチに抗争するくらいに強く、南奥州諸大名も豪傑揃い。最上義光も謀略に長けてるしなかなか強い
相馬って弱そう
分かりやすい解説ありがとうございます。
凄いね〜まさに戦う前に勝っている。
愛姫 相当な美貌の持ち主だったのだろうな~
初めて拝見させていただきました。こういう日本史(の授業)では取り上げられないような合戦の解説って学ぶ機会があまりないのでチャンネル登録して勉強させていただきますね!
とても面白いです。ありがとうございます。
去年の夏に東北城廻り行きましたが、摺上原にも行く予定でしたがゲリラ豪雨で行けませんでし😰福島をはじめ東北はみんなで観光して復興支援していきたいですね💪
三成と浅野の会話や秀吉の正宗への印象が今後の伏線を感じさせますね!
待ってました。見入ってしまいました。
愛姫の声優さん typeです♥️ 幸村さん BGM好きです 応援してます
いつも楽しみにしてます。本当に分かりやすく面白いですね。信長様も好きですが伊達シリーズも良いですね。
大河ドラマ独眼竜政宗でも度々愛姫が実家の田村家の救援を政宗に願うシーンが度々あったな普段はおしとやかなのに実家のことになると強情になる愛姫に政宗がタジタジする姿がこの動画そっくりだった
惣無事令ガン無視な姿勢や敵をやり込める悪知恵に加え、決戦を楽しんでまいる伊達政宗がロックですね。そんな政宗を泳がせる秀吉も流石の老獪さなのか。
待ってました✨まさか!信長編 終了してませんよね?本能寺まで必ず責任とってくださいませ🎵
愛姫って田村家出身なのか 初めて知りました!しかし毎回知ることが多くて楽しいです!
伊達編もええですな信長編の続きも待ってます
鉄砲隊を多く抱える伊達兵を伊達の音戦と揶揄されたが見事に勝った。背後に最上が控える伊達包囲網を突破して伊達と双璧を成す芦名を滅ぼしたのは偉業。
芦名義広はこの時数え15歳伊達政宗の相手をするにはさすがに若すぎた....
今作もみごたえある動画でござった!摺上原の戦いを以前聞いた時は、政宗が先に蘆名を攻めて次に相馬の駒ヶ嶺を攻めたと聞いたが、ゆきむらさんは部隊を二手に分けて同時侵攻という策で解釈されたのですね。
待ってた!
政宗と愛姫はこの頃は関係が微妙で子供も出来ずに終わるのかと思いきや、この後政宗が秀吉に臣従後、京都に人質として上ることになり、お互い運命共同体のように感じたのか急速に関係が改善して、結果4人の子を儲けることになる。夫婦の絆って不思議。
強い大名は手下が有能
面白かったです。
今回も楽しく見せていただきました。過去の戦の耳川とか天目山とかあとこれからは朝鮮出兵とかの細かい戦いの動画期待しています。
戦略も戦術も見事な戦いだぁ
決戦までの動きが完璧すぎて
待ってた
政宗ファンです。
最後の真田との決戦が楽しみだ
織田や羽柴、伊勢の方だけでなく東北の伊達軍も見て良かったです! 惣無事令違反で潰されるリスクを顧みず攻め込むとは、よほどの度胸無いと不可能でしょう。「太閤恐くて戦ができるか!」と恐れ知らずな戦いぶりでしたな! ありがとうございました!
政宗様の戦略、謀略とかは全て完璧だと思う
もし小次郎が蘆名の養子に入っていれば摺上原の戦いはなかったように思えるけど歴史にもしはナンセンスだからなぁ…何とも言えない
常陸から会津若松へ行くのはかなり遠い(200kmある)。常陸太田から援軍を送るのは難しかろう。
結局この後秀吉に怒られて今回切り取った領地の大半を失うんだけどね....
奥州仕置に一揆鎮圧煽動疑惑で半分以下になっちゃいますからね〜 ま、そのおかげで仙台城が生まれるんですがね
そしてその仙台は東北一の都市になる
摺上腹の戦いも政宗の老獪な動きで義広を席巻したよね~✨🤗🤗そして安定の合戦動画アリガトね~✨🤗🤗また楽しみしてるよ~✨🤗🤗
この場合は「席巻」は使い方として正しくないかとおそらく「圧倒」だと思います。政宗の老獪な動きという点は同意いたします!!
@@ひせ-b8w 訂正しくれてサンキュ(笑)
風向き、大切なんですね
鉄砲の煙でゲホゲホするからね
待ってました👋
わかりやすいです
佐竹がもっと攻めて欲しいよな統率力がないんやろうけど
北条とか里見が居るからガツガツ行けなかったんですかね。。😔
そもそもこの頃は惣無事令がでてたから、秀吉に恭順してた佐竹は自由に平氏を動かせなかったんだよ
sabrou tamago 源氏なら動かせたんでしょうかね?🤭
@@ボブさん-v3w 超どうでもいいこと言うと、佐竹は源氏っす
佐竹に統率が無いは流石にギャグですよね?w
蘆名家は盛氏の代までがピークで後の世継ぎが短命だったり、家臣に斬殺されたりと世継ぎに苦しんだ結果だと思います。
面白すぎる!!!!!!!風向きを計算に入れた戦略ってあまり聞かないけど、他にあるかな?
1:15〜の図解 伊達小次郎のイラスト、堀秀政のイラストになってませんか?。
ほんとだ笑
昔懐かしのナムコ「独眼竜政宗」を思い出す
政宗と小次郎がちゃんと一族として協力し合ってるのが嬉しくて嬉しくて(T△T)私がこれまでに読んできたいくつかの伝記ではどれも小次郎は政宗と義姫の不仲の象徴みたいに扱われてたから、こんな協力プレイは見たことがありませんでした。主さん、ありがとうございました
もう政宗編は終わりですかな?もし余力がございましたら須賀川城の戦いをお願いしたく存じ上げます。
面白くて3回見ました😂
蘆名氏は蘆名義広の前までは伊達氏と結びつきが強く、富田氏実と猪苗代盛国は蘆名の養子として蘆名義広ではなく政宗の弟の小次郎を推す親伊達派だったからそういうのもあって富田氏実は伊達と内通したと思われる摺上原の戦い以降の富田氏実のその後は不明だが、四男の氏繁の養子に仙台藩4代藩主・伊達綱村の守役になった富田氏紹がいるから、恐らく伊達政宗に降って家臣になったと思われる
是非、関ヶ原の戦いを!
今回の19:39 金上盛備通算12
金上盛備、享年63歳であった。
伊達軍やっぱ強いな
ここに信長の野望やられてる方はいないのかー伊達小次郎のグラフィックが堀秀政だよ…
黒川城かっこいいですよね。
さすがまさむね
伊達最強武将は愛姫だった(笑)
政宗すら恐れるとは笑
小松姫
血縁となあなあのバランス・オブ・パワーでのうのうとやって来た奥州で政宗公のやり方はそりゃ全員敵に回しますよね。しかし、大人の世界が見えていない若輩者かと思えば、その旧くからの繋がりの強弱や人間関係を調べ上げ、いざという時にその分析によって現実の遥かに人生経験に富むはずの大人達たちを手玉にとって駒とした詰将棋を、実際に大軍を縦横に動かして行う…これが20そこそこの若者だったと言うのですから、確かに覇者としての何かを持っていたんでしょうね。仙台城の近所で生まれ育ちましたので、変かも知れませんが政宗公は尊敬しています。日比谷公園の江戸城側に、終焉の地のモニュメントがありますね。
ユキムラさん、お疲れ様です!伊達政宗、やはり、只者では無いですねぇ、頭が良いですねぇ!かなりの戦略家ですねぇ!www
島津家の歴史もよろしくお願いします。
一番最初のシーンが政宗にとって一番ピンチだったろ。
賤ヶ岳をやって欲しい。
次は石山本願寺と信長の戦いをお願いします
相馬「あのさぁ、伊達さんさぁ、」「先に攻めるの辞めて貰います」
愛姫が戦で突っ込んだら強そう
某戦国系のゲームに出てきそう😊「伊達家の紅一点、愛姫!!推して参る!!」
初コメです。信長編はもうやってくれないのでしょうか(・_・?)
伊達家最強は愛姫
「ご暗示なさるな」ってどういう意味だろう…と真剣に考えてしまったけど「ご案じ」かな?
生まれるのが遅すぎた名将 10年早かったらとロマンがありますね!
ぜひTwitterのアカウントも作成してください!
こんな教え方なら歴史好きになれたのに
俺はまだ本気出してないとか言ってるうちに滅んだ蘆名…
蘆名は野戦じゃなくて黒川に篭城して北条征伐まで持ち堪えてたらな、蘆名義広(14歳)じゃ血気に逸っても仕方ないか。
1コメ!いい動画や!
確かに秀吉が言う、信長みたいですね。伊達の隣国が信長包囲網とダブって見える。
そうぶじれいがあったから佐竹が動かなかったのがおおきかったね
マットッタゾー!
めごさんの声優は、豊崎愛生さんでお願いします。
是非伊達稙宗の時代をお願いします!
秀吉の大返しとか見てみたいです
愛姫様かわいい❤
鬼佐竹かっこいい最強😍👍愛姫怖い
惣武事令が無ければ、摺上げ原の戦いは、佐竹義宣と芦名義広軍25,000 VS 伊達軍になるはずだったね。それなら伊達軍もどうなっていたのか分からないが。歴史にもしは、ない。
戦国時代の東北だったらソコソコの戦で有名な大名や武将だったら結構簡単に攻略し平定出来そうな地区だったように見える。結婚などで大名たちが親戚同士ばかりでそれであってか合戦も適当なところで止めて撤退の繰り返しなので合戦の経験不足はもちろんのこと、そんな所に同じ親戚である伊達家を就いた若い当主(ちなみに母は最上家)が親戚とか関係無くいきなり手加減無しの合戦を仕掛け攻めてこられたらねぇ。親戚同士の東北の大名家はたまったもんじゃない。
稙宗の代は長尾・上杉への上から目線の介入をしつこく行ってるんで、伊達は別格で軍事力強いよきちんと南奥州まとめたら普通に関東覇権に介入できそうなぐらいはある
北関東や越後あたりに生まれてたらそれこそ東北の縁戚関係に組み込まれてるだろうし、一気に侵略するなんて難しくなるだろ。佐竹にしろ上杉にしろ結局ダメだったし。
合戦に全く関係ないのですが、蘆名と聞くと先日亡くなった芦名星さんを思い浮かべてしまいます。結構好きな女優さんだったので残念でした。
この時、政宗21歳。数え年で22。
大谷翔平より若い‼️
2:17ご暗示→ご案じ。ある種の説得と言う意味の暗示を掛けてるとは思うが。
賤ヶ岳の戦いをリクエストします!・秀吉の軍勢が前日近江にいなかったとはいえ大身の支持者だった中川清秀の軍勢を見殺し。・美濃では秀吉軍の総攻撃が中止されたため岐阜の織田信孝とその軍勢が健在。・奇襲部隊に損害を与えないと美濃―近江間の主力行軍が徒労になってしまう。・逆襲を受けて羽柴軍の方に損害が出た。・奇襲部隊が先に高所を押さえて布陣し待ち構えている。この秀吉軍の苦境を覆して勝利をもたらしたのが「後方部隊の逃走」であり、それは秀吉が追撃を諦めず奇襲部隊に食い下がった結果として生じた状況が可能にした一手だった。賤ヶ岳の戦いは後世言われるような「全てが秀吉の計画通り」の戦いではなく、「智謀の秀吉(時代の先駆者)が武勇の柴田や脳筋の佐久間盛政(時代遅れの武将たち)に優った」「羽柴兄弟の巧妙な罠に愚かな柴田軍が嵌った」というわけではなかった。秀吉は自ら織田信孝の封じ込めに向かい、美濃大返しの後に山岳地の追撃戦から休まず柴田殿軍の殲滅戦、さらに越前侵攻と織田信長譲りの苛烈な采配で自軍と自身の体を酷使した。秀吉は鬼玄蕃や鬼柴田を上回る猛将振りを発揮して勝利を捥ぎ取ったのである。対して佐久間盛政たち奇襲部隊は「慢心した猪武者たちが神速の秀吉軍にしてやられた」どころか困難な撤退戦でも秀吉軍の追撃を跳ね返し決戦の構えまで見せるなどよく団結していた上に事前の準備も入念に行っていたことを窺わせる善戦振りだった。秀吉軍が帰還→しばらく時間が経ってから奇襲部隊が撤退を開始→秀吉軍が追撃を開始→奇襲部隊が善戦→奇襲部隊が柴田勝政勢を救援、奇襲部隊が布陣→羽柴軍との決戦が始まる時に柴田軍の味方が逃走し動揺が広がる→秀吉軍の攻撃を受けて奇襲部隊が敗走戦いの決着は翌日の夜明けから更に数時間経って付いた。秀吉帰還から勝敗が決するまでの長い時間こそ奇襲部隊が大活躍した時間だった。この真実を皆さんに伝えてほしいです!
私も賤ヶ岳の戦いを見たいですよ!
私の予想・・・麒麟が休息時は信長以外麒麟が戻ってきたら信長か明智の合戦麒麟が去ったら惰性で 秀吉編や家康編 ⬅賤ヶ岳の戦いはここかな
賤ヶ岳の戦い良いですね
元々秀吉本体は川わたって三河方面に進軍するはずが増水で渡れず戻ってきて佐久間盛正に対応でしたから天運があったのでしょうね。
細かいようで申し訳ございませんが最上領が越後の一部に入ってますが間違いだと思います
逆ですよね。この時期出羽の一部(庄内地方)が上杉領になっていた。
自分の家は代々、佐竹家家来の家だが、伊達政宗は強い
黒川城は、後の会津若松城(鶴ケ城)なんですね?🤔
そうです後に政宗から取り上げた会津の領主となった蒲生氏郷が城を改修した時に若松と名称を変更しました
猪苗代湖の財宝伝説があるよね。
サスケはどうなったの?
みんゴルキャラ批判が多いから自粛してるのかも、それかクロに取って代わったか?
川中島から活躍してたサスケはこの時はもうすでに隠居生活が始めたのではないかなww
伊達稙宗と伊達晴宗が対立してなかったらどうなってたんだろ
奥州あちこちに縁組みしてたので、遅かれ早かれ対立はあったと思います!ifですが晴宗VS輝宗になったかもしれないし、早い段階で最上義光VS輝宗・政宗もあり得たかも…
@@higurashimion2012 極端な縁戚外交は逆効果かもしれないという証左ですね。それでも輝宗は殺されていなかったかも、、、
@@キノコを愛するアタオカ って言うかあなたは成仏してクレメンス🙏
@@higurashimion2012 皆の心で生きている〜
我が地元の相馬に譲った土地が長年の争いの種だからなぁ
伊達政宗が、若すぎる。戦国の生まれ変わり…信長の様な似ている人か…
前の人取橋の戦いもそうなんですが大河ドラマは合戦の戦況や裏工作をここまで詳しくやらないので本当にありがたいです。
大変勉強になります。有難うございます。このシリーズ大変面白いです!
この摺上原の戦いで伊達の奥州覇権が決定したというのは覚えていましたが、相馬を釣りあげて撤退させたり、惣無事令を逆手に取って佐竹からの加勢を遮断したりと、政戦両略と機動戦の展開がこれほど素晴らしい戦いとは知りませんでした。他勢に無勢となった場合は、戦力を一局に集中して敵を突破する方法がよく言われますが、こんな戦い方もあるんですね。信長にも通ずるものがありますが、勢力が一定以上になると、周囲が皆団結し、自軍を包囲してくる局面に必ずぶつかります。この局面を打開できるかが英雄となり得るかの別れ目の様な
気がらしますね。
葦名はこの後、大名に復帰するけど、関ヶ原の戦いの後、改易されて、実家の佐竹から領地をもらい佐竹の家臣となる。そして、後継ぎが無く断絶する。
江戸時代の仙台藩家臣の中に蘆名家が存在しているのですが、その家は分家とか傍系の系譜ですかね?
@@ほほほたか 葦名14代当主には実子がいたけど弟が継いで、実子は分家して針生姓を名乗って子孫が伊達政宗の家臣になった。後に佐竹家臣になっていた葦名本家が断然した時に針生当主が葦名に戻した。
ありがとうございます。この時期の東北の動きに詳しくなかったので、本当に勉強になりました!地図があってわかりやすいです!
YUKIMURAさんの初期の動画なんでしょうけれどもきれいにまとまっていますね。楽しかったです。東北の歴史に初めて触れた気がします。
楽しみに待ったかいがあった!
いつか九戸政実の乱をやってほしい。九戸城、行ったから余計に思います。
同じ旅程で蘆名義広の墓所を角館に見に行きました。彼からほどなくして断絶。その墓所はひっそりとありましたが、かつて会津を治めた蘆名氏の墓所としては寂しかったですね。
待ってました!
風向きが替わる事を計算して反撃に転じ、仕上げに忍びに橋を落とさせ退路を断つ、戦国史上稀に見る完璧な作戦ですね。
これが稀に感じるなら日本史を知らな過ぎる
島津はその理論やと
全部稀やな
伊達軍から見れば周りは敵だらけですが、その敵が一枚岩じゃないというのが幸運でしたね。
たしかに弱い奴しかいないなぁ
その敵がみんな親戚ですからね。だから相手も遠慮して動かない。そして輝宗時代に輝宗を抑えていた岩城親隆も病気ですでに動けない状態みたいだったし。
ゲームにより、政宗の周りは弱い奴だらけの錯覚があるかもしれんが、そうではないです。あいつらが弱いじゃない、単に伊達政宗が強すぎます。
@@杰楊-t1h 佐竹義重は北条とバチバチに抗争するくらいに強く、南奥州諸大名も豪傑揃い。
最上義光も謀略に長けてるしなかなか強い
相馬って弱そう
分かりやすい解説ありがとうございます。
凄いね〜まさに戦う前に勝っている。
愛姫 相当な美貌の持ち主だったのだろうな~
初めて拝見させていただきました。
こういう日本史(の授業)では取り上げられないような合戦の解説って
学ぶ機会があまりないのでチャンネル登録して勉強させていただきますね!
とても面白いです。ありがとうございます。
去年の夏に東北城廻り行きましたが、摺上原にも行く予定でしたがゲリラ豪雨で行けませんでし😰
福島をはじめ東北はみんなで観光して復興支援していきたいですね💪
三成と浅野の会話や秀吉の正宗への印象が今後の伏線を感じさせますね!
待ってました。見入ってしまいました。
愛姫の声優さん typeです♥️ 幸村さん BGM好きです 応援してます
いつも楽しみにしてます。本当に分かりやすく面白いですね。信長様も好きですが
伊達シリーズも良いですね。
大河ドラマ独眼竜政宗でも度々愛姫が実家の田村家の救援を
政宗に願うシーンが度々あったな
普段はおしとやかなのに実家のことになると強情になる愛姫に
政宗がタジタジする姿がこの動画そっくりだった
惣無事令ガン無視な姿勢や敵をやり込める悪知恵に加え、決戦を楽しんでまいる伊達政宗がロックですね。
そんな政宗を泳がせる秀吉も流石の老獪さなのか。
待ってました✨
まさか!信長編 終了してませんよね?
本能寺まで必ず責任とってくださいませ🎵
愛姫って田村家出身なのか 初めて知りました!
しかし毎回知ることが多くて楽しいです!
伊達編もええですな
信長編の続きも待ってます
鉄砲隊を多く抱える伊達兵を伊達の音戦と揶揄されたが見事に勝った。背後に最上が控える伊達包囲網を突破して伊達と双璧を成す芦名を滅ぼしたのは偉業。
芦名義広はこの時数え15歳
伊達政宗の相手をするにはさすがに若すぎた....
今作もみごたえある動画でござった!
摺上原の戦いを以前聞いた時は、政宗が先に蘆名を攻めて次に相馬の駒ヶ嶺を攻めたと聞いたが、ゆきむらさんは部隊を二手に分けて同時侵攻という策で解釈されたのですね。
待ってた!
政宗と愛姫はこの頃は関係が微妙で子供も出来ずに終わるのかと思いきや、
この後政宗が秀吉に臣従後、京都に人質として上ることになり、お互い運命共同体のように感じたのか
急速に関係が改善して、結果4人の子を儲けることになる。夫婦の絆って不思議。
強い大名は手下が有能
面白かったです。
今回も楽しく見せていただきました。
過去の戦の耳川とか天目山とかあとこれからは朝鮮出兵とかの細かい戦いの動画期待しています。
戦略も戦術も見事な戦いだぁ
決戦までの動きが完璧すぎて
待ってた
政宗ファンです。
最後の真田との決戦が楽しみだ
織田や羽柴、伊勢の方だけでなく東北の伊達軍も見て良かったです! 惣無事令違反で潰されるリスクを顧みず攻め込むとは、よほどの度胸無いと不可能でしょう。「太閤恐くて戦ができるか!」と恐れ知らずな戦いぶりでしたな! ありがとうございました!
政宗様の戦略、謀略とかは全て完璧だと思う
もし小次郎が蘆名の養子に入っていれば摺上原の戦いはなかったように思えるけど歴史にもしはナンセンスだからなぁ…何とも言えない
常陸から会津若松へ行くのはかなり遠い(200kmある)。常陸太田から援軍を送るのは難しかろう。
結局この後秀吉に怒られて今回切り取った領地の大半を失うんだけどね....
奥州仕置に一揆鎮圧煽動疑惑で半分以下になっちゃいますからね〜 ま、そのおかげで仙台城が生まれるんですがね
そしてその仙台は東北一の都市になる
摺上腹の戦いも政宗の老獪な動きで
義広を席巻したよね~✨🤗🤗
そして安定の合戦動画アリガトね~✨🤗🤗
また楽しみしてるよ~✨🤗🤗
この場合は「席巻」は使い方として正しくないかと
おそらく「圧倒」だと思います。
政宗の老獪な動きという点は同意いたします!!
@@ひせ-b8w 訂正しくれてサンキュ(笑)
風向き、大切なんですね
鉄砲の煙でゲホゲホするからね
待ってました👋
わかりやすいです
佐竹がもっと攻めて欲しいよな
統率力がないんやろうけど
北条とか里見が居るからガツガツ行けなかったんですかね。。😔
そもそもこの頃は惣無事令がでてたから、秀吉に恭順してた佐竹は自由に平氏を動かせなかったんだよ
sabrou tamago
源氏なら動かせたんでしょうかね?🤭
@@ボブさん-v3w
超どうでもいいこと言うと、佐竹は源氏っす
佐竹に統率が無いは流石にギャグですよね?w
蘆名家は盛氏の代までがピークで後の世継ぎが短命だったり、家臣に斬殺されたりと世継ぎに苦しんだ結果だと思います。
面白すぎる!!!!!!!
風向きを計算に入れた戦略ってあまり聞かないけど、他にあるかな?
1:15〜の図解 伊達小次郎のイラスト、堀秀政のイラストになってませんか?。
ほんとだ笑
昔懐かしのナムコ「独眼竜政宗」を思い出す
政宗と小次郎がちゃんと一族として協力し合ってるのが嬉しくて嬉しくて(T△T)
私がこれまでに読んできたいくつかの伝記ではどれも小次郎は政宗と義姫の不仲の象徴みたいに扱われてたから、こんな協力プレイは見たことがありませんでした。
主さん、ありがとうございました
もう政宗編は終わりですかな?
もし余力がございましたら須賀川城の戦いをお願いしたく存じ上げます。
面白くて3回見ました😂
蘆名氏は蘆名義広の前までは伊達氏と結びつきが強く、富田氏実と猪苗代盛国は蘆名の養子として蘆名義広ではなく政宗の弟の小次郎を推す親伊達派だったからそういうのもあって富田氏実は伊達と内通したと思われる
摺上原の戦い以降の富田氏実のその後は不明だが、四男の氏繁の養子に仙台藩4代藩主・伊達綱村の守役になった富田氏紹がいるから、恐らく伊達政宗に降って家臣になったと思われる
是非、関ヶ原の戦いを!
今回の
19:39 金上盛備
通算12
金上盛備、享年63歳であった。
伊達軍やっぱ強いな
ここに信長の野望やられてる方はいないのかー
伊達小次郎のグラフィックが堀秀政だよ…
黒川城かっこいいですよね。
さすがまさむね
伊達最強武将は愛姫だった(笑)
政宗すら恐れるとは笑
小松姫
血縁となあなあのバランス・オブ・パワーでのうのうとやって来た奥州で政宗公のやり方はそりゃ全員敵に回しますよね。
しかし、大人の世界が見えていない若輩者かと思えば、その旧くからの繋がりの強弱や人間関係を調べ上げ、いざという時にその分析によって現実の遥かに人生経験に富むはずの大人達たちを手玉にとって駒とした詰将棋を、実際に大軍を縦横に動かして行う…
これが20そこそこの若者だったと言うのですから、確かに覇者としての何かを持っていたんでしょうね。
仙台城の近所で生まれ育ちましたので、変かも知れませんが政宗公は尊敬しています。
日比谷公園の江戸城側に、終焉の地のモニュメントがありますね。
ユキムラさん、お疲れ様です!伊達政宗、やはり、只者では無いですねぇ、頭が良いですねぇ!かなりの戦略家ですねぇ!www
島津家の歴史もよろしくお願いします。
一番最初のシーンが政宗にとって一番ピンチだったろ。
賤ヶ岳をやって欲しい。
次は石山本願寺と信長の戦いをお願いします
相馬「あのさぁ、伊達さんさぁ、」
「先に攻めるの辞めて貰います」
愛姫が戦で突っ込んだら強そう
某戦国系のゲームに出てきそう😊
「伊達家の紅一点、愛姫!!推して参る!!」
初コメです。信長編はもうやってくれないのでしょうか(・_・?)
伊達家最強は
愛姫
「ご暗示なさるな」ってどういう意味だろう…と真剣に考えてしまったけど「ご案じ」かな?
生まれるのが遅すぎた名将 10年早かったらとロマンがありますね!
ぜひTwitterのアカウントも作成してください!
こんな教え方なら歴史好きになれたのに
俺はまだ本気出してないとか言ってるうちに滅んだ蘆名…
蘆名は野戦じゃなくて黒川に篭城して北条征伐まで持ち堪えてたらな、蘆名義広(14歳)じゃ血気に逸っても仕方ないか。
1コメ!いい動画や!
確かに秀吉が言う、信長みたいですね。伊達の隣国が信長包囲網とダブって見える。
そうぶじれいがあったから佐竹が動かなかったのがおおきかったね
マットッタゾー!
めごさんの声優は、豊崎愛生さんでお願いします。
是非伊達稙宗の時代をお願いします!
秀吉の大返しとか見てみたいです
愛姫様かわいい❤
鬼佐竹かっこいい最強😍👍愛姫怖い
惣武事令が無ければ、摺上げ原の戦いは、佐竹義宣と芦名義広軍25,000 VS 伊達軍になるはずだったね。それなら伊達軍もどうなっていたのか分からないが。歴史にもしは、ない。
戦国時代の東北だったらソコソコの戦で有名な大名や武将だったら結構簡単に攻略し平定出来そうな地区だったように見える。
結婚などで大名たちが親戚同士ばかりでそれであってか合戦も適当なところで止めて撤退の繰り返しなので合戦の経験不足はもちろんのこと、そんな所に同じ親戚である伊達家を就いた若い当主(ちなみに母は最上家)が親戚とか関係無くいきなり手加減無しの合戦を仕掛け攻めてこられたらねぇ。親戚同士の東北の大名家はたまったもんじゃない。
稙宗の代は長尾・上杉への上から目線の介入をしつこく行ってるんで、伊達は別格で軍事力強いよ
きちんと南奥州まとめたら普通に関東覇権に介入できそうなぐらいはある
北関東や越後あたりに生まれてたらそれこそ東北の縁戚関係に組み込まれてるだろうし、一気に侵略するなんて難しくなるだろ。
佐竹にしろ上杉にしろ結局ダメだったし。
合戦に全く関係ないのですが、蘆名と聞くと先日亡くなった芦名星さんを思い浮かべてしまいます。結構好きな女優さんだったので残念でした。
この時、政宗21歳。数え年で22。
大谷翔平より若い‼️
2:17ご暗示→ご案じ
。
ある種の説得と言う意味の暗示を掛けてるとは思うが。
賤ヶ岳の戦いをリクエストします!
・秀吉の軍勢が前日近江にいなかったとはいえ大身の支持者だった中川清秀の軍勢を見殺し。
・美濃では秀吉軍の総攻撃が中止されたため岐阜の織田信孝とその軍勢が健在。
・奇襲部隊に損害を与えないと美濃―近江間の主力行軍が徒労になってしまう。
・逆襲を受けて羽柴軍の方に損害が出た。
・奇襲部隊が先に高所を押さえて布陣し待ち構えている。
この秀吉軍の苦境を覆して勝利をもたらしたのが「後方部隊の逃走」であり、それは秀吉が追撃を諦めず奇襲部隊に食い下がった結果として生じた状況が可能にした一手だった。
賤ヶ岳の戦いは後世言われるような「全てが秀吉の計画通り」の戦いではなく、「智謀の秀吉(時代の先駆者)が武勇の柴田や脳筋の佐久間盛政(時代遅れの武将たち)に優った」「羽柴兄弟の巧妙な罠に愚かな柴田軍が嵌った」というわけではなかった。
秀吉は自ら織田信孝の封じ込めに向かい、美濃大返しの後に山岳地の追撃戦から休まず柴田殿軍の殲滅戦、さらに越前侵攻と織田信長譲りの苛烈な采配で自軍と自身の体を酷使した。
秀吉は鬼玄蕃や鬼柴田を上回る猛将振りを発揮して勝利を捥ぎ取ったのである。
対して佐久間盛政たち奇襲部隊は「慢心した猪武者たちが神速の秀吉軍にしてやられた」どころか困難な撤退戦でも秀吉軍の追撃を跳ね返し決戦の構えまで見せるなどよく団結していた上に事前の準備も入念に行っていたことを窺わせる善戦振りだった。
秀吉軍が帰還
→しばらく時間が経ってから奇襲部隊が撤退を開始→秀吉軍が追撃を開始
→奇襲部隊が善戦→奇襲部隊が柴田勝政勢を救援、奇襲部隊が布陣
→羽柴軍との決戦が始まる時に柴田軍の味方が逃走し動揺が広がる
→秀吉軍の攻撃を受けて奇襲部隊が敗走
戦いの決着は翌日の夜明けから更に数時間経って付いた。秀吉帰還から勝敗が決するまでの長い時間こそ奇襲部隊が大活躍した時間だった。
この真実を皆さんに伝えてほしいです!
私も賤ヶ岳の戦いを見たいですよ!
私の予想・・・
麒麟が休息時は信長以外
麒麟が戻ってきたら信長か明智の合戦
麒麟が去ったら惰性で 秀吉編や家康編 ⬅賤ヶ岳の戦いはここかな
賤ヶ岳の戦い良いですね
元々秀吉本体は川わたって三河方面に進軍するはずが増水で渡れず戻ってきて佐久間盛正に対応でしたから天運があったのでしょうね。
細かいようで申し訳ございませんが最上領が越後の一部に入ってますが間違いだと思います
逆ですよね。この時期出羽の一部(庄内地方)が上杉領になっていた。
自分の家は代々、佐竹家家来の家だが、伊達政宗は強い
黒川城は、後の会津若松城(鶴ケ城)なんですね?🤔
そうです
後に政宗から取り上げた会津の領主となった蒲生氏郷が城を改修した時に若松と名称を変更しました
猪苗代湖の財宝伝説があるよね。
サスケはどうなったの?
みんゴルキャラ批判が多いから自粛してるのかも、それかクロに取って代わったか?
川中島から活躍してたサスケはこの時はもうすでに隠居生活が始めたのではないかなww
伊達稙宗と伊達晴宗が対立してなかったらどうなってたんだろ
奥州あちこちに縁組みしてたので、遅かれ早かれ対立はあったと思います!
ifですが晴宗VS輝宗になったかもしれないし、早い段階で最上義光VS輝宗・政宗もあり得たかも…
@@higurashimion2012 極端な縁戚外交は逆効果かもしれないという証左ですね。
それでも輝宗は殺されていなかったかも、、、
@@キノコを愛するアタオカ
って言うかあなたは成仏してクレメンス🙏
@@higurashimion2012 皆の心で生きている〜
我が地元の相馬に譲った土地が
長年の争いの種だからなぁ
伊達政宗が、若すぎる。
戦国の生まれ変わり…
信長の様な似ている人か…