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この動画の中で「皇族」という言葉の使い方が曖昧になってしまっているので補足します。私の喋りの中では終始「父系で繋がっている天皇の血族」の意味で使っています。しかし単に「皇族」というと、光明子や定子・彰子のように【天皇の血族ではなく、生まれた時は皇族ではなかったものの、後から皇后や中宮となって皇族の仲間入りを果たした人】も含めるというイメージを持たれる方も多いかと思います。そのため編集の字幕では「皇族」という文字を避けましたが、かえって分かりにくくなってしまったかもしれず、申し訳ございません。また皇族に関する用語は歴史的な用法と現代の用法に乖離があるものも多いです。上記の例にしても、聖武天皇の正妻となった光明子を「もともと藤原氏の出身だから皇族ではない」と言っても違和感を抱かない方はいらっしゃると思いますが、現在の皇后陛下の雅子さまを「もともと小和田氏の出身だから皇族ではない」と言うと、ほとんどの方が違和感を抱くでしょう。(皇室典範の記述に照らし合わせれば、この表現は明らかな「誤用」です)今も全く同じ言葉として残っているからこそ、かえってややこしくなってしまっている部分ですが、日本という国を理解するうえでとても重要なところなので、真摯に学んでいきたいものです。
存命の方に「生前」とは何事か
いつもありがとうございます♪皇后 中宮 よく分かりました次回も楽しみに待っています😄
学校では今ひとつ明確に教えてもらえなかったことが、セピアさんの動画で次々と分かって、毎回気持ち良いです。一点、7:01、ロイヤルではなく、インペリアルですね。
学生時代、歴史の授業とかでは「中宮?天皇の奥さんみたいなものでしょ」とかるーく流してしまっていた気がします。「皇后」との違いなんてあまり深く考えたことなかったです。役職名ひとつでも、掘り下げてみると時代ごとの都合とか、権力構造が見えてきて大変面白いですね。今回「オープニングスタッフ」という例えがツボでしたww
中宮と皇后という役職にこんな紆余曲折があったんですね……!とても分かりやすくまとめて下さりスッと理解できました!
明治天皇には側室がいました。明治31年に一夫一婦制となり、大正天皇以降それにならうようになりました。大正天皇、昭和天皇の意向で側室をとらなかったことが新たなる前例となったといえます。ただし、国民に天皇が含まれるか、一夫一婦制が天皇に当てはめられるべきなのかは、まだ憲法解釈の余地があります。昭和天皇の時代に正式に側室を置かなくなりました。キリスト教圏の近代家族像に天皇が寄り添った結果ですが、皇族減少も当然かもしれません。
一夫一婦制は、欧州における近代の風習と思われます。レプでは、欧州を指してキリスト教圏と呼んでおられると思われるので、それ自体は問題ないと思われます。しかし、読者の方々が誤解されないように、キリスト教と一夫一婦制は、特に関係ないことを念の為に付言いたします。
チャールズ3世には妃が二人
今の時代意味がわからない家族制度にすぎない。
もやもやしていたところだったのでありがたいです遵子が皇后の座にい続けている状態で義懐が「円融院の后遵子様は中宮にあらせられる。ただいま皇后の座にはどなたもおられない。」と言っているのがまだ理解できません。
武田氏の武田は茨城県ひたちなか市の地名からとられています。新羅三郎義光の三男の源義清が常陸国那珂郡(現茨城県ひたちなか市武田)に領地を得たために武田と名乗るようになりますが、その源義清がもめ事を起こして武田郷から追い出され、逃げた先の甲斐に土着したという経緯をたどっています。
『皇后』という語源を知りませんでした。わかりやすい解説ありがとうございます♪
円融天皇が譲位した後も遵子が変わらず皇后位にいて、天皇の代変わりに従って位を去るということがなかったという指摘が、新しかったです。現在のように自動的に、皇后位が移るものと思っていました。その後やっと遵子を皇太后ポストにできたのも、この時皇太后に就いている人がいなかったから可能だったというのも、ちょっと驚きでした。こういう位は、貴族といえども簡単にゴリ押しで就けられるものではなかったのですね。本来、別の役職名から由来する中宮と皇后(天皇妃)が、同様の意味を持つようになり、さらには二人の正式な天皇妃を作る(複数の后を立てれば、権力を握るチャンスも増えるから)ために同義の別称となった経緯がよく分かりました。奈良時代の光明子が聖武天皇に皇后宮職を創設させた件は、夫妻の力関係が表れていて、聖武天皇は傀儡だった説に信憑性を与えていますね。光明子強い!聖武天皇ちょっと情けない!今回の説明板の左側、特に上部が照明の関係なのか光って少し読みにくかったです。次回はよろしくお願いします。
「正妻」という言葉を避けて「第一夫人」と言い続けているのは素敵です。でも最後に「正妻」って言っちゃった…。
詳しい解説ありがとうございます。
有り難うございました。15:40のとき、皇太夫人はいなかつたのですね。藤原宮子様が皇太夫人になつたあと、そのあとも、皇太夫人になった人はいたのでしようか。天皇の母は、すべからく皇太夫人になっていたのでしようか。そして、中宮職もずっと活動していたということでしようか。他方、皇后職は、皇后がずっと不在たつたので、職員は居ても何もしなくてもよい状況というか、殆ど誰もいなくて、藤原穏子様のお世話できるだけの陣容がなくて、結局、中宮職に藤原穏子様へのお世話を譲ったのですね。
近代の謎の一つ 皇后美子→昭憲皇太后明治天皇の正妻=皇后だが、大正天皇の生母ではない…と公認。ところが諡号は皇太后
武田氏の由来は常陸国だったかと。子孫が各地に散らばり、その中で有名なのが甲斐武田氏。他に若狭、安芸にもいます
一帝ニ后は、四納言達のオリジナリティ溢れるアイデアかと思いましたが、藤原義懐のアイデアを変化させたものだつたのですね。目からウロコでした。それにしても、定子と彰子の『一帝ニ后』以後、再び、『一帝ニ后』となった時代はあるのでしようか。
ややこしい😮
大御所とか北政所とかも場所の名前が固有の人を指す呼称になった例ですね。
わたくしが中高時代にお世話になった母校の近くに「中宮(なかみや)」という地名がありますがこれは現在の大阪府枚方(ひらかた)市中宮を本拠としていた百済王氏が清和天皇の代にて一族の娘を後宮の宮人(中宮職?)として仕えさせたことが由来のようですまた母校のある地名は「禁野(きんや)」といい皇室専用の御猟場だったといわれることからこのあたりは古代中世にかけて皇室と意外に関わり深いエリアということがうかがえます
楽しく拝見しました。ところで、定子が一般に中宮定子と呼ばれるのは、皇后には遵子がいるからですね。ならば、道長は彰子を女御として入内させた、という理解でいいのですか? 遵子が死んだら皇后にするつもりで。
奥さん も場所が人を指すようになった例ですね
いつも動画をみて思うのだけど、一歩踏み込んだわかりやすい説明と誰もが理解に苦しむであろう点を上手く拾い上げようとしているところはもうネ申ダネ。あと字がきれいダネ。これからもヨロシク!
十二女司と中宮職は、なにか関係がありそうかなと、思いました。皇后職も。一体どうなのか、ややこしい感じがします。大宝律令などで、規定されていたのか、それとも、令外の官であつたのかもしれないと思いました。
同じ意味ですが、ドラマでは「前例がない」ではなく、「先例がない」でした。
「皇后、中宮」セピアさんのの歴史解説わかりやすく毎会楽しみにしてます。有り難う🙇♀
面白かったです一夫多妻制には「絶対に子孫を残さなければならない」という天皇家としての義務があり、そして天皇家の権力がほしい藤原家たち貴族の策略も渦巻いていて、ハーレムだからといって羨ましいとはあまり思えませんね…
一帝二后そんな制度になってた時期があるんですね😂
場所が人を指すという例ですが、「ミカド」もですね。「帝」を「ミカド」と読むのは当て字で、元々は「御門」。つまり高貴な建物を指していて、そこに住む天皇自身を「ミカド」と呼ぶようになったとか。言語学上はメトニミー(換喩)といって、程度の差はあれど、あらゆる言語にみられる現象です。英語でもアメリカ大統領のことを「ホワイトハウス」というとか。
ちょうど最近疑問に思っていた非常にタイムリーなネタでしたわ。男にも「公達」とか「上達部」とかの違い・・・調べてみないことにはわからんやつが(面倒なのでそのままにしてる)、、、「女御」とか「更衣」とか、たびたび歴史上では帝のお相手になってるけど、将軍のお手付きとは異なる感じですけどどう違う?・・・
令和皇后はこの系統の終焉を指す。
上皇后の名称は、ミテコ様のわがままですよね❗
サムネの女性のイラストの意味が分からん。現代女性のイラスト、不必要だよね😮💨皇太子を東宮とも言うけど、宮中の東の宮に住まいを構えていたから、との説明を見た事がある。中宮も同じ意味だろうね。この動画の説明に該当する事例として、清朝のラストエンペラー溥儀の紫禁城での状況が当てはまる。
この動画の中で「皇族」という言葉の使い方が曖昧になってしまっているので補足します。
私の喋りの中では終始「父系で繋がっている天皇の血族」の意味で使っています。
しかし単に「皇族」というと、光明子や定子・彰子のように
【天皇の血族ではなく、生まれた時は皇族ではなかったものの、後から皇后や中宮となって皇族の仲間入りを果たした人】
も含めるというイメージを持たれる方も多いかと思います。
そのため編集の字幕では「皇族」という文字を避けましたが、かえって分かりにくくなってしまったかもしれず、申し訳ございません。
また皇族に関する用語は歴史的な用法と現代の用法に乖離があるものも多いです。
上記の例にしても、聖武天皇の正妻となった光明子を「もともと藤原氏の出身だから皇族ではない」と言っても違和感を抱かない方はいらっしゃると思いますが、
現在の皇后陛下の雅子さまを「もともと小和田氏の出身だから皇族ではない」と言うと、ほとんどの方が違和感を抱くでしょう。
(皇室典範の記述に照らし合わせれば、この表現は明らかな「誤用」です)
今も全く同じ言葉として残っているからこそ、かえってややこしくなってしまっている部分ですが、
日本という国を理解するうえでとても重要なところなので、真摯に学んでいきたいものです。
存命の方に「生前」とは何事か
いつもありがとうございます♪
皇后 中宮 よく分かりました
次回も楽しみに待っています😄
学校では今ひとつ明確に教えてもらえなかったことが、セピアさんの動画で次々と分かって、毎回気持ち良いです。
一点、7:01、ロイヤルではなく、インペリアルですね。
学生時代、歴史の授業とかでは「中宮?天皇の奥さんみたいなものでしょ」とかるーく流してしまっていた気がします。
「皇后」との違いなんてあまり深く考えたことなかったです。
役職名ひとつでも、掘り下げてみると時代ごとの都合とか、権力構造が見えてきて大変面白いですね。
今回「オープニングスタッフ」という例えがツボでしたww
中宮と皇后という役職にこんな紆余曲折があったんですね……!とても分かりやすくまとめて下さりスッと理解できました!
明治天皇には側室がいました。
明治31年に一夫一婦制となり、大正天皇以降それにならうようになりました。大正天皇、昭和天皇の意向で側室をとらなかったことが新たなる前例となったといえます。
ただし、国民に天皇が含まれるか、一夫一婦制が天皇に当てはめられるべきなのかは、まだ憲法解釈の余地があります。
昭和天皇の時代に正式に側室を置かなくなりました。キリスト教圏の近代家族像に天皇が寄り添った結果ですが、皇族減少も当然かもしれません。
一夫一婦制は、欧州における近代の風習と思われます。レプでは、欧州を指してキリスト教圏と呼んでおられると思われるので、それ自体は問題ないと思われます。しかし、読者の方々が誤解されないように、キリスト教と一夫一婦制は、特に関係ないことを念の為に付言いたします。
チャールズ3世には妃が二人
今の時代意味がわからない家族制度にすぎない。
もやもやしていたところだったのでありがたいです
遵子が皇后の座にい続けている状態で義懐が「円融院の后遵子様は中宮にあらせられる。ただいま皇后の座にはどなたもおられない。」と言っているのがまだ理解できません。
武田氏の武田は茨城県ひたちなか市の地名からとられています。
新羅三郎義光の三男の源義清が常陸国那珂郡(現茨城県ひたちなか市武田)に領地を得たために武田と名乗るようになりますが、
その源義清がもめ事を起こして武田郷から追い出され、逃げた先の甲斐に土着したという経緯をたどっています。
『皇后』という語源を知りませんでした。わかりやすい解説ありがとうございます♪
円融天皇が譲位した後も遵子が変わらず皇后位にいて、天皇の代変わりに従って位を去るということがなかったという指摘が、新しかったです。現在のように自動的に、皇后位が移るものと思っていました。その後やっと遵子を皇太后ポストにできたのも、この時皇太后に就いている人がいなかったから可能だったというのも、ちょっと驚きでした。こういう位は、貴族といえども簡単にゴリ押しで就けられるものではなかったのですね。本来、別の役職名から由来する中宮と皇后(天皇妃)が、同様の意味を持つようになり、さらには二人の正式な天皇妃を作る(複数の后を立てれば、権力を握るチャンスも増えるから)ために同義の別称となった経緯がよく分かりました。
奈良時代の光明子が聖武天皇に皇后宮職を創設させた件は、夫妻の力関係が表れていて、聖武天皇は傀儡だった説に信憑性を与えていますね。光明子強い!聖武天皇ちょっと情けない!
今回の説明板の左側、特に上部が照明の関係なのか光って少し読みにくかったです。次回はよろしくお願いします。
「正妻」という言葉を避けて「第一夫人」と言い続けているのは素敵です。でも最後に「正妻」って言っちゃった…。
詳しい解説ありがとうございます。
有り難うございました。
15:40のとき、皇太夫人はいなかつたのですね。藤原宮子様が皇太夫人になつたあと、そのあとも、皇太夫人になった人はいたのでしようか。天皇の母は、すべからく皇太夫人になっていたのでしようか。そして、中宮職もずっと活動していたということでしようか。
他方、皇后職は、皇后がずっと不在たつたので、職員は居ても何もしなくてもよい状況というか、殆ど誰もいなくて、藤原穏子様のお世話できるだけの陣容がなくて、結局、中宮職に藤原穏子様へのお世話を譲ったのですね。
近代の謎の一つ 皇后美子→昭憲皇太后
明治天皇の正妻=皇后だが、大正天皇の生母ではない…と公認。ところが諡号は皇太后
武田氏の由来は常陸国だったかと。子孫が各地に散らばり、その中で有名なのが甲斐武田氏。他に若狭、安芸にもいます
一帝ニ后は、四納言達のオリジナリティ溢れるアイデアかと思いましたが、藤原義懐のアイデアを変化させたものだつたのですね。目からウロコでした。
それにしても、定子と彰子の『一帝ニ后』以後、再び、『一帝ニ后』となった時代はあるのでしようか。
ややこしい😮
大御所とか北政所とかも場所の名前が固有の人を指す呼称になった例ですね。
わたくしが中高時代にお世話になった母校の近くに「中宮(なかみや)」という地名がありますが
これは現在の大阪府枚方(ひらかた)市中宮を本拠としていた百済王氏が
清和天皇の代にて一族の娘を後宮の宮人(中宮職?)として仕えさせたことが由来のようです
また母校のある地名は「禁野(きんや)」といい皇室専用の御猟場だったといわれることから
このあたりは古代中世にかけて皇室と意外に関わり深いエリアということがうかがえます
楽しく拝見しました。ところで、
定子が一般に中宮定子と呼ばれるのは、皇后には遵子がいるからですね。ならば、道長は彰子を女御として入内させた、という理解でいいのですか? 遵子が死んだら皇后にするつもりで。
奥さん も場所が人を指すようになった例ですね
いつも動画をみて思うのだけど、一歩踏み込んだわかりやすい説明と誰もが理解に苦しむであろう点を上手く拾い上げようとしているところはもうネ申ダネ。
あと字がきれいダネ。これからもヨロシク!
十二女司と中宮職は、なにか関係がありそうかなと、思いました。皇后職も。一体どうなのか、ややこしい感じがします。
大宝律令などで、規定されていたのか、それとも、令外の官であつたのかもしれないと思いました。
同じ意味ですが、ドラマでは「前例がない」ではなく、「先例がない」でした。
「皇后、中宮」セピアさんのの歴史解説わかりやすく毎会楽しみにしてます。有り難う🙇♀
面白かったです
一夫多妻制には「絶対に子孫を残さなければならない」という天皇家としての義務があり、そして天皇家の権力がほしい藤原家たち貴族の策略も渦巻いていて、ハーレムだからといって羨ましいとはあまり思えませんね…
一帝二后そんな制度になってた時期があるんですね😂
場所が人を指すという例ですが、「ミカド」もですね。「帝」を「ミカド」と読むのは当て字で、元々は「御門」。つまり高貴な建物を指していて、そこに住む天皇自身を「ミカド」と呼ぶようになったとか。
言語学上はメトニミー(換喩)といって、程度の差はあれど、あらゆる言語にみられる現象です。英語でもアメリカ大統領のことを「ホワイトハウス」というとか。
ちょうど最近疑問に思っていた非常にタイムリーなネタでしたわ。男にも「公達」とか「上達部」とかの違い・・・調べてみないことにはわからんやつが(面倒なのでそのままにしてる)、、、「女御」とか「更衣」とか、たびたび歴史上では帝のお相手になってるけど、将軍のお手付きとは異なる感じですけどどう違う?・・・
令和皇后はこの系統の終焉を指す。
上皇后の名称は、ミテコ様のわがままですよね❗
サムネの女性のイラストの意味が分からん。現代女性のイラスト、不必要だよね😮💨
皇太子を東宮とも言うけど、宮中の東の宮に住まいを構えていたから、との説明を見た事がある。中宮も同じ意味だろうね。
この動画の説明に該当する事例として、清朝のラストエンペラー溥儀の紫禁城での状況が当てはまる。