組閣の日 7年8カ月の長期政権“ひな壇”は9回 佐藤総理(1964年11月)【映像記録 news archive】
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- Опубліковано 26 лис 2021
- 1964年11月、佐藤栄作氏は、東京オリンピック閉幕の翌日にがんの治療ため退陣を表明した池田勇人総理の指名で、あとを引き継ぎました。
田中角栄大蔵大臣、オリンピックを担当した河野一郎氏は副総理兼スポーツ担当大臣に、石田博英労働大臣、小山長則建設大臣が総理官邸に入ります。
カメラマンの放列の中、モーニング姿の佐藤総理大臣が、再び官邸に入ります。
佐藤内閣は、官房長官以外の池田内閣の閣僚を全員留任してスタートしました。
初閣議はこのメンバーで開かれましたが、7年8カ月にわたる政権で、この発足時も含めて組閣や内閣改造は合わせて9回と、佐藤総理は閣僚を頻繁に入れ替えました。「人事の佐藤」とも称されました。
お馴染みの“ひな壇”と呼ばれる閣僚の記念撮影です。
総理の向かって右隣には河野大臣、左側は譲り合いつつ赤城宗徳農林大臣が収まりました。
当時の日本の高度経済成長が後押しした、通算2798日に及ぶ長期政権のスタートです。
1965年6月、佐藤総理、最初の内閣改造です。
川島正次郎自民党副総裁から記者が情報を得ようとします。
田中角栄氏は幹事長になりました。
長く幹事長も務めた、前尾繁三郎氏は総務会長。
政調会長は赤城宗徳氏です。
当時は記者と政治家の距離が物理的に近いようです。
囲まれている石井光次郎氏は法務大臣に、椎名悦三郎氏は外務大臣を続投します。
福田赳夫氏は大蔵大臣に、中村梅吉氏は文部大臣です。
鈴木善幸氏は厚生大臣、坂田英一氏は農林大臣に。
三木武夫氏は通産大臣で、党の幹事長からまた閣僚に。
中村寅太氏は運輸大臣、郡祐一氏は郵政大臣に就任。
労働大臣には小平久雄氏。
瀬戸山三男氏は建設大臣。
永山忠則自治大臣に肩を組んで話を聞く記者も。
上原正吉科学技術庁長官、松野頼三氏は防衛庁長官に就任です。
藤山愛一郎氏は今回は経済企画庁長官に。
福田篤泰氏は行政管理庁と北海道開発庁の長官です。
安井謙総理府総務長官は記者に肩をたたかれます。
改造内閣の初閣議です。
画面向かって右の隅で、三木武夫通産大臣と椎名悦三郎外務大臣がずっと熱心に話し続けています。
佐藤政権で実現した大きな仕事のひとつに、韓国との国交正常化があります。
日韓基本条約が締結されたのは、この19日後の6月22日でした。
カメラマンの壁!ひな壇の撮影です。
何度もこの記念撮影に臨んでいる藤山愛一郎氏は、最前列の左側に映っていることが多いようです。
1966年8月、第1次佐藤内閣の第2次改造内閣が発足した時の映像です。
官邸の外の階段に正装の閣僚が出てきました。記念撮影です。
佐藤総理はモーニングについたホコリが気になるようです。
総理の両隣りには石井法務大臣と三木通産大臣が収まりました。
大臣ポストが書かれたボードに名前が...記者が予想をしているのでしょうか。
1966年12月、自民党総裁選に勝利した佐藤総理が第3次改造を行います。
ボードに名前があった剱木亨弘氏は文部大臣で、二階堂進氏は科学技術庁長官などで初入閣です。
いわゆる“黒い霧解散”後の総選挙で、安定多数を維持した佐藤総理。
1967年2月、第2次佐藤内閣の発足です。
総理の隣、カメラ目線は増田甲子七防衛庁長官です。
前回の改造から2カ月と日が浅く、閣僚は全員再任されました。
1967年11月。アメリカでジョンソン大統領と小笠原返還で合意した佐藤総理は帰国後、内閣を改造します。
園田直氏は厚生大臣で初入閣。
中曽根康弘氏は今回は運輸大臣です。
この翌月、佐藤総理は衆議院予算委員会で非核三原則を表明します。
1974年のノーベル平和賞の授賞理由になりました。
総理の両隣は、前回の第2次佐藤内閣 発足時と同じ、三木外務大臣と増田防衛庁長官です。
前の改造から1年後、1968年11月の第2次改造です。
この記念撮影で総理の隣は長谷川四郎農林大臣と野田武夫自治大臣でした。
1970年1月の第3次佐藤内閣の組閣からは、映像がカラーになりました。
記念撮影で総理の向かって右にいるは保利茂官房長官です。
一度落選の憂き目を見ましたが、吉田茂元総理の時代にも閣僚を務めています。
公害が社会問題となり、佐藤総理は1971年7月1日、環境庁を設置しました。
その4日後が、最後の内閣改造でした。
後ろから階段を降りてくる竹下登官房長官は初入閣です。
できたばかりの環境庁長官は大石武一氏。
“角福戦争”を繰り広げる、田中通産大臣と、福田外務大臣が並んでいます。
佐藤総理はこの翌年、沖縄返還を実現後に退陣しました。
[テレ朝news] news.tv-asahi.co.jp
なんかこの時代の政治家の先生たち、威厳があって、いかにも仕事ができる感じで背筋がピンとしてカッコいいな
私の祖父は田中角栄先生と仕事をした事があります。
通産省でもニッチな方でしたが、その分野について1つ質問すると10返ってくるという博識の高さに驚いたようです。また、大臣と官僚達との壁はこの時が一番無かったと言っておりました。
それから、私が田中角栄先生を尊敬するようになると、大いに喜んでいました。
日本トップの秀才集団大蔵省の官僚たちを上回る知識量と頭のキレで関係官庁への発言力を強めていった角栄氏らしいですね笑笑
今なら間違いなく東大行ってるだろうなあ
貴重な映像ありがとうございます😊
7:27 中曽根さん、こんなに昔からいるのに、令和元年まで生きてたの凄すぎる
101歳で死去は、大往生でした。
代議士になったのは1947年の選挙で当選してから
中々のhandsome-boyですな😄🪮🕴️🎌!!
70年代に活躍する三角大福中に主要ポストを経験させて、人事の佐藤と呼ばれる所以、派閥の長としての力量を見計らっていたと思われる。
只、三木氏は政敵で有らしたな👀🎌🏦🗾。
当時の首相官邸は現在の首相公邸。
なんか昔のニュース見てるみたいで草
歴史の教科書の顔ですね!
鈴木善幸が髪の毛黒々、若過ぎて笑った、角栄は昔から歳の割りには貫禄あるな。
田中角栄から竹下登までの全総理大臣いるのがすごいね
2人分飛んで宮沢喜一も。
今回も面白かった。
河野さんは副総理「格」の無任所大臣、1:50の所に竹下登官房副長官が上の方にちょこっと顔を出している。
今の政治家と比べて重厚感がある。
内閣支持率はそこまで高くなかったけど、自民党内での人事・懐柔が巧みだったから党内から追い落とされなかったらしいね
あと、佐藤に対等に対抗できる実力者が次々と没したのも一因。河野一郎、大野伴睦、池田勇人。
メンバー豪華やな〜
後の総理大臣めっちゃおる笑
意外と今も将来の総理がいるのかもね
@@furefurefreeman この時代は総裁選の面々が全員のちの総理っていう人材の多さだけど、今現在だとそんな感じはしないわな。
@@subuya428 確かに。将来的に総理大臣になる人は当選回数や時期的に今も国会議員の中にいるにはいるんだろうけど相応しい人なって欲しい人は何人いるんだろうか…
確かに総理大臣候補や実力者は多数居て、何度も閣僚に抜擢していたが、佐藤総理の本心は「後継は福田赳夫のみ」と考えていたらしい。それを覆したのが田中角栄。以降、熾烈な角福戦争が始まる。
今の議員、大臣、官僚、総理にわかって欲しい。好景気にすれば政権なんてなんだかんだ半永遠に続く
5:20 カメラマンの壁
戦後からの日本政治とGHQの癒着が令和でも悪影響とはなあ
1972年の沖縄本土復帰にも貢献しました。
やっぱり安倍さんと似てるね
岸信介より佐藤栄作に似てるよなあ安倍ちゃん
だからこそ長続きしたのかもしれない
モノクロ時代とカラー時代の境が佐藤榮作総理なんだね。
20世紀生まれの初の首相だったりするし時代の節目なのかも(先代の池田勇人氏までは全員19世紀生まれ)
この閣僚の中で現在は亡くなっている方が多いだろな。
河野太郎のおじいさんやね、
河野一郎
河野洋平
河野太郎
悲願の総理大臣になれるかな?
河野一郎さんかぁ。
日本の黄金時代
髪型オシャレやな
1ミリバリカンとかか
この頃の政治家と今の政治家じゃあ人物の重みが全然違う。今のは安直で軽薄なのばっかりだな。
佐藤栄作を超えた安倍総理!万歳!
彼は(沖縄返還を除いて)特に大胆な事をした訳では無いけど、
それが結局高度成長の維持に繋がったのかなぁ
池田政権が打ち出した所得倍増計画が実際に実現したのも佐藤政権の時代。
池田政権期は佐藤は池田と対立してたけど、
実際に政権が佐藤に移ると彼は池田の政治路線を引き継いだように見える。
9月5日快乐
核兵器
ニクソン大統領
やはり政治は男性にやってもらいたい
やはりって、、、今もほぼほぼ政治は男やん
男女同権やで😖
河野一郎さんって河野太郎のおじいちゃんだったっけ?
だね
一郎→洋平→太郎