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自己犠牲の精神は美しいし尊い事だけど、それを他人が上司が為政者が国家権力が言いだして強いるようになりだしたら疑ってみるべきだ。
新自由主義やな
@@三ツ矢最田なるほど!むしろ新自由主義こそ自己犠牲、利他主義を押し付けていて、自己犠牲、利他主義こそが新自由主義を成り立たせるわけだ。
自分の好きな世界観の為に、黙って行われる自己犠牲は美しい‥‥‥‥‥見る人によっては。その犠牲を他者に要求し始める辺りから怪しくなってくる。断れない状況を利用する、もしくは自己犠牲の強制はブラック+完全アウト。‥‥‥‥といった所か。
自己犠牲はその人個人の内面の動機があってはじめて成り立つものかと。それを自己犠牲しなきゃいけないと国や組織が言い出すのは違う。だったらそれぞれの個人が自らすすんで自己犠牲したくなるような国や組織にしろよと思う。
仰る通りです!竹中平蔵ら新自由主義者が利用してきましたね。
やっぱり玲児さんの声だけの方が落ち着いて聴けてシミジミ共感できます。きたがわ翔さんと二人だけの動画ももちろん大好きです。
20世紀の自己犠牲は「自分ひとりの小さな犠牲で世界を救う」という人柱的イメージですが、21世紀の自己犠牲は「愛する人を救うためなら世界をいけにえにする」という、救われるものとその代償のスケールが逆転しているように感じています。
「愛する人を救うためなら世界をいけにえにする」は特に新海誠作品にそういう印象を受けますね。
@@イナゴロー たしかにそうですね、しかも、自分も救済されている。
数十年単位で東北大地震や阪神大震災みたいな社会システムぶっ壊す天災に縄文時代から数千年経験させられてるわけで日本列島の性質上、自己犠牲とか助け合い、個人より社会って方向じゃないと生きていけなったのがでかかったんじゃないかと思う
今回のお話も、深くて面白かったです。そういえば、アンパンマンという強力なコンテンツもあったなぁ…と思い出しました。
複雑さや中庸で締めくくられていることにとても安心感を覚えました。政治的なメッセージやSNS等で人を扇動・論破する時は極端な意見の方が響くので、そこで中庸は消えてしまうんだなと思いました。
深いですね…去年は玲司さんにUA-camで出会い、今毎日のように観てます。ほんと優しくて好きです。自己犠牲を賞賛する世の中を否定したいのですが、でも他者を愛する犠牲にに感動してしまう矛盾した自分もいます。自分的には国家のためには命は張らず家族、友達、仲間の為は自分の為と考え生きています。
初コメです。自己犠牲と聞いて私の世代の漫画ではツバサと×××HOLiCを思い浮かべました。幼少から父やさくらに愛されて育ったが故に最愛の人を救うため痛ましい自己犠牲を払おうとする小狼と、早くに親を亡くし自己を肯定できず、投げやりに自己犠牲をしようとする(次第に周囲の助けによりアイデンティティを見出す)四月一日、2人の主人公の対比に当時深く感銘を受けてました。他にもコードギアスなども自己犠牲の塊のような話でしたね…(語り出すと無限ですね)色々な作品にとって重要なテーマだと知ることができて大変面白い時間でした。今後も期待しております。
ものすごくタイムリーな動画ですね。周りを見ると、生きる意味が見つからず皆苦しみもがいているし、生きる意味(≒使命?)を与えられることでしか生き甲斐を感じられない人々が激増している閉塞感がありますね。この動画で納得しました。
まどマギは、ほむらがまどかのために自己犠牲するというよりも、まどかが世界のために自己犠牲するってのが大きいと思う。特に叛逆の物語だとそれがよく現れてる。
それでほむらの利己的な部分とまどかの利他的な部分が対立してるのも面白い
まどかは00年代以前の自己犠牲型(人類や世界の為に犠牲になる)、ほむらは00年代以降の自己犠牲型(自分の親しい者の為に犠牲になる)どっちも自己犠牲で向いている方向が違うってだけ
日本の自己犠牲の源は 災害の多い島で少ない農地による稲作をしてきたから だと思います過去の男たちは 田畑の開墾や農作業 用水路の整備など キツイ肉体労働を我慢 戦争の時は農地を受け継げなかった男が戦地へ行く 現在は 肉体労働より儲かる仕事って男女関係ない場合が多いから 男女平等労働 を掲げるのかな?って思います配信ありがとうございます🙇
九州のボーンクリスチャンで20年以上母の介護をしています。時々無性に疲れます。利他主義とエゴの間に生きるという言葉に心から賛同しました。
親の為の人生ではないのだから共倒れする前に行政に頼るのも手ですよ。
他人のために闘う精神は戦争に利用されるだろとか、新自由主義的な気持ち良さとは違う自己の精神をどう捉えるかとか、単純化されたキャッチフレーズに対する危機感とか全部、プリキュアの初代監督が2005年の時点で言ってた事そのままで目から鱗。
涼宮ハルヒは根が真面目すぎて変人には成れないおかしな人に留まっているところが共感を集めたように思える
こういう玲司さんの話聞いてると否定する人を否定するでもなく そういうの人もまた「人間なんだ」「それはとても人間らしいものなんだ」と 色々と寛容になれそう。
相変わらず言語化が上手い。私が忠臣蔵や新撰組が嫌いなのは制服と縛るルールのせいかな。改めて振り返ると、日本文化は圧倒的に自己犠牲肯定ですね。ただ自己犠牲は人間社会そのものにも組み込まれてるので、日本ほどではなくても世界に全く通用しないってのはない。70年代前半の少女向けビッグコンテンツであるところのキャンディキャンディはチャート上だとどうなるだろう。
弱肉強食、ピカレスク系のバトル漫画がどの辺りに来るのかも気になるような。HELLSINGとか、BLACK LAGOONとか。
「自己犠牲は世界では評価されません」を枕に、自己犠牲の例として欧州のアンデルセン童話を持ってくるあたり、さすが。
この時期にこのテーマありがたいです🙏
強いマイナス体験というお話はとても的を射ているのではないかと思います。自分の経験からも個人的なショックな経験がその人の考え方の核に魂としてあるのだと思います。別の動画でも氷河期マインドの話だったかで自分の内的な問題と折り合いがついていないことが外部に対する極端な攻撃性と繋がっているというお話をされていましたが、なるほどと思いました。
自己犠牲はDNAに組み込まれているっていう言葉が深くて府に落ちました。何のために生きるのか、生きているる意味を知りたいと踠き苦しむ姿がなぜこんなにも刺さるのか知りたかった。でも誰もが現実にそんな風に生きられる訳じゃないから強い光に憧れ心酔していくのかな。心に一つだけ変わらないものを持つみたいに。迷った時にいつでも見上げると同じ星がいるって、推しは北極星なんだなという結論。
ハルヒって退屈(もしくは既存の日常)を否定するハルヒ(長門も)からキョンが自分が求める(もしくは守りたい)日常を取り戻す戦いの物語だったような気がするんだけどなあ。
うる星やつらを始めとする高橋留美子の漫画は徹底した「利己」であることが魅力ではないでしょうか
今年すぐ非常に興味深い話が聞けてありがたいです!
最近ハリウッド映画で自己犠牲オチよくみるようになったなぁ
面白い‼️「悪」や「ライバル」の描かれ方の類型を見てみたいです。
最高に刺さりました
高級な寿司の写真インスタに上げたがりますよね。で大爆笑しました。
日本で自己犠牲というと宮沢賢治カンパネルラを思い出すなぁ
これは宮台真司さんがやっておられる、「社会という荒野を仲間と生きる」に当てはまる話だと思った
「お前の◯を無駄にしないぜ」と残された大勢の誓いとセットなのが日本の文化だと思う。それと反対にある自己犠牲が映画タイタニックのラスト。あれが海外で評価される時点で日本を曲解するのは避けたい。「無駄にしない」という日本の美学が戦後の政治のせいなのか、いつのまにかセットにされなくなってる。のだとおもう
グレンラガンは?「その穴は後から続く者の道になる。倒れていった者と、後から続く者の希望。2つの想いをニ重螺旋に織り込んで。明日へと続く道を掘る! それが天元突破!」「それは貴様の限界だ!」
こち亀見ていると自己犠牲のヒーローよりも自由に自分の人生を楽しんでいる主人公が両津なんだと分かった
ドラゴンボールよりなのかな。なんか自己犠牲というよりは、人も助けるけれど無作為の親切というか、なんというか。表で言うとガンダムの線対称みたいな雰囲気がある。こち亀からガンダムへ利他的というか。
@@user-ke24 悟空も両さんもまさに「遊於娑婆世界」の体現だと言えるでしょうね。日本文化圏の中において実に貴重な世界的・普遍的「人間の高度な有り様」です。一休宗純的菩薩の姿です。ウルトラマンよりさらに一段上の境地です。
@@0.shusei たしかに遊於娑婆世界を体現しているかもしれませんね。はじめて聞きましたが、おもしろい言葉ですね。この考え方は肩の荷が軽くなるようでいい言葉ですね。私は信教はありませんが、仏教キリスト教ともに宗教の考え方は人間の業を織り交ぜたこの世界の捉え方、処世術とも言うべき面白い考え方があってハッとさせられることがあります。長い年月をかけて練り上げられた昔の人のより良く生きる知恵が詰まっているようで、イエスやブッダが1代で練り上げたか本当のところは現代では定かではありませんが、もしそうならやはり凄いなと思ってしまいますね。
なんか、わかります。。なんとなく生きてきた自分だけど、彼女ができた時やたらと頑張っちゃった。その分別れてから、自分の人生が空っぽになった感じがあります
すごい面白かったです~自分も人もほどほどに大事に、それが一番平和ですね。年取ったからかもだけど、宝探してたら見つからないけどそこは畑で耕されてて、ブドウが豊作でみんなでワインで乾杯みたいな感じになるとハッピーでいいなあと思います、最近。個人的には「コードギアス」(0年代後半ですかね)が利己と利他というテーマで見ると面白いかもと思いました。
江戸時代に一揆を起こすと百姓側の代表者がお上に楯突いた罪で殺されるんだが、それで一揆側の要望も通るんだよね。殺された代表者は義農として神社で祀られて神様になる。どの県にもこういう義農を祀った神社が必ず一つはある。日本はこういう誰かのために命を落とした人間を神様にしちゃうから自己犠牲は尊いと刷り込まれるんじゃないかな。
江戸時代のような命かけないと要求が通らない時代では祭り上げないと声をあげたり要求を突きつける人間が出てこないと思う。自分が犠牲になればみんな(世界)が救われるし、誰かがそれを褒め称えて記録に残してくれるって思うから自己犠牲的な行動ができるんじゃないかな。
正史では無いがカムイ伝の一揆の首謀者で処刑される筈だった正助は生き残ったが故に農民のリンチに
ご恩と奉公の精神ですよねぇ恩もないのに奉公は必要ないのに奉公だけがピックアップされるまずは恩を与えてからだと思う
アルマゲドンや、アベンジャーズエンドゲーム等、ハリウッド作品でも自己犠牲の美しさを強調する作品は多く見られると思います。むしろ海外の方が強いのでは?海外では全く賞賛されないというのは間違っているような気がしてしまいました。
海外は英雄として讃えられる積極的な自己犠牲が好きかも日本は涙を誘う不可避に追い込まれた選択的な自己犠牲が好きかも
違いの意味合いが非常に分かりやすく、またその通りだと思います。ありがとうございます。
人々の持つ全ての罪を一身に背負って処刑されたとされるキリストの影響も大きいのではないでしょうか?
自己犠牲主導派でしたが、この動画で目が覚めました自己犠牲には、アドレナリンがドバドバ出ちゃう〜w実際、サバゲやっててもよく囮役かって出ます😂撃たれてヒットコール叫び、退場する横で自チームが勝つと堪りません❤でも、確かにホリエモン大嫌いな自分でしたが、確かに彼の考えも「一理」あると思えてしまう全部が全部だとは思わないけど、そうゆう考え方もあるよなって、拒絶じゃなく一定の理解する余裕が自分の心に生まれた右だの左だのと決めつけず、中道を求めることを肝に銘じます😅
お笑い芸能人のように自分が馬鹿にされたり笑われる事でお金や地位が手に入るというリターンがあるならバランスが取れるけど何のリターンも無いのにただ犠牲になるのは自分の価値を下げるだけで周囲からも便利屋扱い見下されるだけ。恋愛関係でも嫌われたくないからと召使いのように従順でいる人ほど利用だけされ捨てられる。始めは周囲も褒めて来るけど、徐々にそれが当たり前になり、少しでも手を抜くと周囲から責められるようになる。貧乏くじは引くべからず。
「単純」が来たときはブレーキを。← ほんとにそうですね! 強い言葉がきたら一歩立ち止まらなければ。
ほむらは劇場版後編を見ると自己犠牲の奴じゃなかったと分かるんだけどな笑
親は子のために自分を犠牲にする。これは多くの動物で見られる行動で恐らく遺伝子に組み込まれている。なので特に群れで生きる動物にとって自己犠牲は本能なのだ。
誰の為に犠牲になるかは選びたい
あけましておめでとうございますいつか「堕天作戦」を取り上げてほしいです!自分にとってはこれまで読んだ中でNo.1に心を揺さぶられる漫画です。そして誰か作者さんをamazonのアカBANから救ってあげてほしい。。
面白かったです。有難うございました。梶原一騎先生に興味があります。梶原先生の作品と自己犠牲の精神が結びつく、という事を考えたことがなかったので、なるほどと思いました。梶原先生の作品を考えると、例えば、星飛雄馬の大リーグ養成ギブスにように、精神的にも肉体的にも虐待する作品が多いと思っていまして、これは、WWIIで傷ついた日本(自分)を回復する効果があったのではないかと思うんですが。というのも、精神分析のカウンセリングで、過去のトラウマをカウンセラーに話すことによってトラウマから解放するという方法があるので、それかな?と思うのです。いかがでしょうか?確か、ドストエフキキーが、「地下室の手記」の中で自殺に対する恐怖がなければ、みんな自殺しちゃう、みたいなこと言ってませんでしたっけ。(ごめんなさい!記憶が曖昧です。)フロイトがタナトスなんていうコンセプトを作り上げていましたっけ。
自己犠牲は結果論でないと自己犠牲を口にした瞬間に自己満足になると思う
ウルトラセブンは「アマギ隊員がピンチなんだよ!」と言っているので「好きな人を助ける」(もしくは以前アマギ隊員に命を救われているので「恩返し」)寄りだと思います👀
駅伝の日にアップするの面白いw
映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』のラストについては、西崎Pと松本先生は、対立して(古代に自殺を勧める沖田のシーン)、結局、映画は、西崎P、テレビシリーズの『ヤマト2』(監督は、松本先生)は、テレサ一人が特攻に、わかれた。結果、生き残りを上手いこと使われて、『新たなる旅立ち』を西崎Pに造られたのは、皮肉な展開。
自己犠牲ではないですが、2000年と言えば就職氷河期ですよ。当時の新卒が社会の維持の為には、若者が犠牲となるのはやむ無しとされた時ですよ。自らそうなったわけではないですが、その犠牲がせめて尊いものでなければ、犠牲となった者が救われないじゃないですか。だから、当時の事を他の世代から自己責任と言われるのは、凄くやるせない気持ちになるし、自己犠牲のある漫画やアニメに自己を投影をしてしまうところはありますね。
ハルヒはそのまんま助かりたい人々への物語で、しかし彼らは何から助かりたいのかすらわからない、かの文豪の漠然とした不安に襲われているからあんなに登場人物は斜めからの角度がついてると思います
妖怪人間って、人間になりたい欲望だけで、戦ってました。配信ありがとうございます。
ルフィは仲間のため友達のために戦うけどけどルフィも敵も味方もすべてのキャラクター達の原動力は自分の夢とか野望なんだよね。
自己犠牲は誰かに強制されるものではないという前提なら、素晴らしい精神性だと思う。しかし、今の人は生まれた時からみんな生きてるのに、生きる事ばかりを考えすぎている。それよりも大事なのは、なんの為なら死ねるか、理想の死は何かということではないか。自分はいつまでも生きていけると思ってるのだろうか、と思うほどこれもやってあれもやって、生きたいと考えてる奴が多過ぎる。悔いなく生きるよりも大事なのは、満足して死ぬことなのに。
「耽溺」ひとつ新しい言葉を覚えました。ありがとうございます。バランスよく生きたいと思います😇なるべく…なるべく…
子供の頃からヤマトだの宮沢賢治などに違和感を持っていて、じぶんは自己犠牲モノが嫌いなんだと思いこんでいましたが、この動画を見て単にこれらの描き方自己犠牲マナーが嫌だっただけということに気付かされました。
自己犠牲が唯一美しいのは、自分の行動をまだ左右できない生物に対して行うときのみである
進撃の巨人で、獣の巨人に特攻する時にエルヴィン団長が、「我々はここで死に次の生者に意味を託す」って演説があるけど、自己犠牲精神も同じように、作者(治虫たち)から読者(次の作者)に託され、受け継がれた思いに、「僕はこうしたけど、アンタは自分の行い(作品)、犠牲になった彼らに胸張って見せられるのかい?」って問いかけられてる気がします。
山田さんの独り語りは純度が高く心に刺さって大好きです。「山田玲司とゆかいな仲間たち」的な番組も好きですがw
山田さんと同世代として、成る程👀しかり、ですね😃ただひとつ、ウーマンリブの女性達は女や家の為ではなく、仕事で他者のために貢献する道の方を選びたい、という人も多かったですね。それと、当時の見かけあられちゃんとして、メガネのある無しだけで、男性の態度はこうも変わるのか⁉️と、見据えてたところはありました。自分も、仕事で躓かなきゃ、独身通したと思います🤔
令和になって5年だけど。山田先生的にはいまどういうフェーズに入ってるといると思うか聞きたいなぁ。
面白かったです。物事を単純化せずにも少し複雑によく考えて、バランスよく行こうよ、って思いました。
49:05 戦争そのものが国家運営上、発展上、単純ではないでしょう。軍事を知ると、戦争は抽象的な非現実的イベント発生ではなく、現実の今日の延長の“明日“にある発生事象、コロナや災害と変わらない。別に“センソー“は特別ドラマティックなモノではなく、グレーゾーン事態として発生から淡々とラダー上がっていく・進んでいくいわばそれはそれでそれも一つの新常態なんだろう、という肌感となる。どこのどんな誰だろうと人間は軍事や安全保障に齧り付いて離れない方がいいのかもしれない。右も左も結局は軍事・国家安全保障を知らぬままにアクションしているから思考も行動もオカシくなる。などとちょっと思いました、個人的に。
いま流行の「推し」ってまんま自己犠牲ですよねそれもシステム化されマネタイズされた自己犠牲
私は代理戦争に似たものも感じました
世の中粋なかっこ良さを表現するのは減った気がする。憧れより共感出来るキャラが求められてるからかな?自分的には、ある意味ワンパンマンが理想の形に思う強いけど傲慢でなく、自分がやりたいから人を救う主人公 でもそんなにかっこ良く描かれない周りのヒーローの方が称賛されてボロボロになりながら戦い格好よく描かれる自己犠牲とエゴの両方が描かれてる
制服はアドラーの共同体感覚の話 自己犠牲か、支える側か は課題の分離の問題から解きほぐせそうですね
ドラえもん「足ぐらい、ただでやればいいのに。」
感動ポルノは安ければ安いほどいいのだ。感動ポルノはジャンクでなくては大衆の貧しい感性に訴えることが出来ないから。
『世の中には安い感動しか理解出来ない人たちが居るんですよ!!』岡田斗司夫も同じ事を言ってた😂w
とても面白かった!
滅びの美学でいうと三島もそうだね彼の作品は死に塗り込められている実際自殺しちゃったし
2chコピペで見た「俺の生きる理由と死ぬ理由を誰かに押し付けたい」っていうのはよく思う
自己犠牲と奴隷根性違うと思う。奴隷根性→責任回避。無責任。ドラッグ化する。自己犠牲→責任の全う。自己コントロールが必要。日本人は自己犠牲を忘れて、奴隷根性を養ってきた。
カイジは力が全て!の世界をカイジが利他で打破するから面白い。
聖徳太子の息子の山背大兄王も「自分の命を守るぐらいなら、民の命を守るために、入鹿にやる。」的なことを一家全滅する直前に言っているから、自己犠牲ってある意味、追い込まれてる人がやるものだと思う。
待ってました、みたいなテーマですね。面白かったです。利他的で助けない、利己的でみんな助けるというコンテンツがほとんど存在しないところに特徴がある気がします。現実はその双方のケースが主流で、虚構はその裏返しで逆パターンが主流になるということかな、と
結婚しない男達は自己犠牲を辞めた男達…なるほど、その考え方は無かったです
東野圭吾の小説の主人公の自己犠牲は主役の周辺の世界とかは無関係な弱者の犠牲に基づいてるから醒める。マイルドヤンキーの幸せがヤンキー以外の犠牲の上に成り立ってるのと同じで吐き気がする。
龍が如くのくだりでレオンを思い出した。外国では自己犠牲精神は称賛されない、でもコンテンツはある。そして売れる
命題として面白いよねこれは
断定的に言う人は狭いとは思います。コンテンツには自己犠牲と自己実現、物語は大きくこの大きな二柱あるとおもいます。自己犠牲はどういう要素があるのかというと、社会に対して利他的心がなければ生きていけないですよ。キリスト教の教えで隣人を愛せよと説いてますが、あれも一つの戒めで、利得や欲望を整理するためにある。高城さんは己が満たされて、誰と共有するのでしょうか、孤独で生きるのは結構ですが、社会を混乱させてただ乱すだけなら辞めていただきたい。人間は何か一つ背負ってこそ七難八苦楽しみながら生きてこそです。それはなんでもいいです。全部は背負わなくてもいい。無縁までいってしまうとそれはなんの為に存在している生物かも分からないことになります。地縁、血縁、社縁、趣味縁、でもいいです。どんなクラスターや共同体でもなにか一つ縁を大切にする。ふーてんも無頼も何か背負ってないと一ミリもかっこよく見えません。近年で鬼滅の刃が大ヒットするのが日本が日本たる象徴なんだというのがよく分かる。日本人がやっぱり自己犠牲と滅びが大好きなんですよ。大河ドラマや、時代劇の演目の忠臣蔵、真田幸村、新選組、坂本龍馬がヒットするのは報われなかった魂を救うという方式がどうしようもない所の美点と欠点でもあるかもしれませんね。
今井正監督の武士道残酷物語ですね。君主や国家のために命を投げ出す日本人の精神構造を、江戸時代から現代までの7つのエピソードで描いた。
複雑さを明解に語っている。すげー
生き物は生きるためんは利己的でないと生き残れないけど、村から出て山だの無人島で一人で生き延びれるかと言ったらほぼ不可能なわけで、個人的には社会のための個人ではなく、一人一人のための社会であるべきだと考えますが、永遠に振れ続けるのでしょう。行動実験で日本人は自分が損して持たんんが得をするのが我慢できない人が他国とくらべて多勝ったという結果は興味深かったです。
だからこそルフィの「死ぬことは恩返しじゃねえぞ」ってセリフは芯をついてて刺さるわ不用意な自己犠牲は単なる無謀な犬死に
無敵の人とか言われてますが、逆の意味で自己犠牲だと感じました。ユニバース25今フェイズいくつ? 江戸時代、明治維新、戦後、バブル、Z世代。人口の推移どうなんでしょうか?リセットされてワンチャン縄文時代に生きてみたい来世。
他人連中から見て自己犠牲でも、当の本人はさらさら犠牲なんて要素が毛頭なく、悦びの本望だったりする。
自己犠牲というドラッグ!ほんと自己犠牲は酔うよね。私の母親がそうで、鬱陶しかった。100トンくらいの重さの罪悪感背負わされた。自己責任、自己犠牲。自己憐憫。自己なんちゃら。もううんざりだわ。いつも動画ありがとうございます。
世界は帰る場所と戦場というふうに設計されていて、帰る場所を守るためには、世界に出て、戦いと対峙しなければならない。そうした状況の中で、色んな人間が役割分担をしながら生きているんだろう。
「自己犠牲」っていうけど、結局は「自己満足」じゃないですかね
利他でも利己でも自己犠牲というのは本人が本当に望んでやるとするのなら、ネガティブな思考でいうなら後の面倒や苦労辛さ苦しさを背負わなくて済むのはある。2次大戦の時はともかく今の時代未来に希望を持てない自殺者が多い現状、もし自殺志願者に神風特攻申し込んだら喜んでやりそうだ。完全に利己。しかし、大地震が起きたら自殺願望どこ言ったって感じで我先に逃げ出すだろうけどね。生きる本能が目覚めるから。
世界で自己犠牲の精神が全く賞賛されないというが、むしろ戦争しない国にこそその傾向があるわ。始終戦争してるアメリカなんか、呑んだくれの駄目親父が宇宙船に自殺攻撃して地球を救う英雄になる映画が大ヒットしてたし。
自己犠牲の底には微妙な性倒錯があると思う。進撃の巨人のエルヴィンや、死者の後を追うハンジに出てくるまんまの戦前には、きちんと考えておくべきと思った。
植え付けられた自己犠牲精神を逆手に取って、自己犠牲モノとかキャラが、読者を感動させるためのスパイスというか、お手軽手段と化してるのは否めない。しネタでお手軽な感動を与えられるって某漫画家も読み切り漫画の後書きに書いてたな。
松本零士は戦場マンガシリーズ見れば自己犠牲ってのが主題だしなぁ
バブルでニューヨークのビル買って騒いでいた頃の日本って、皆さん頭の中が山田さんの言う新自由主義みたいな脳になってたのではと感じます。
新海誠の、ほしのこえも自己犠牲と言えばそうなるのかな、と。
推し活も、推しの支えになってる私、推しのために犠牲になる俺、ってことで破滅・破産していくオタクの尊い犠牲なのかもしれん(適当)。「愛」の形は人それぞれだけど、結局「金」に換算されてるのいいのそれ?とも思う。
何のために苦しみ、何のために生きるのか今の自己犠牲で、未来の社会をつくるのは美しいけど、汝生きるべしを強いられて、死に物狂いで生きたい待っていても鉄腕アトムは現れないから
MDガイスト「せやな」
ワンピは手の届く範囲の人を助けるかんじですかね。まぁその手がビローンと伸びちゃうわけですが。
「左だ右だと単純に分け出すとやばい」と言うけど、全てのことを世代や時代別に単純に分ける山田さんがよく言うなあと反発を覚えました。
分かっちゃいるけどやめられない
この人は「単純に物事を白黒に分けるのは良くない」という誰かが他所で言っていたワードを引っ張ってきて、自分とは逆の主張する人々を攻撃するための武器に置き換えてるだけだから。
それを言うあなたにも、山田玲司は理解を示すのでしょうね😇✨
山田さんが言ってるのは左だ右だで分けるのがやばいって話じゃなくて、どちらが正義でどちらが悪かみたいに分けることがやばいって話だと思う。
自己犠牲の精神は美しいし尊い事だけど、それを他人が上司が為政者が国家権力が言いだして強いるようになりだしたら疑ってみるべきだ。
新自由主義やな
@@三ツ矢最田なるほど!むしろ新自由主義こそ自己犠牲、利他主義を押し付けていて、自己犠牲、利他主義こそが新自由主義を成り立たせるわけだ。
自分の好きな世界観の為に、
黙って行われる自己犠牲は美しい‥‥‥
‥‥見る人によっては。
その犠牲を
他者に要求し始める辺りから怪しくなってくる。
断れない状況を利用する、
もしくは自己犠牲の強制は
ブラック+
完全アウト。
‥‥‥‥といった所か。
自己犠牲はその人個人の内面の動機があってはじめて成り立つものかと。それを自己犠牲しなきゃいけないと国や組織が言い出すのは違う。だったらそれぞれの個人が自らすすんで自己犠牲したくなるような国や組織にしろよと思う。
仰る通りです!
竹中平蔵ら新自由主義者が利用してきましたね。
やっぱり玲児さんの声だけの方が落ち着いて聴けてシミジミ共感できます。きたがわ翔さんと二人だけの動画ももちろん大好きです。
20世紀の自己犠牲は「自分ひとりの小さな犠牲で世界を救う」という人柱的イメージですが、21世紀の自己犠牲は「愛する人を救うためなら世界をいけにえにする」という、救われるものとその代償のスケールが逆転しているように感じています。
「愛する人を救うためなら世界をいけにえにする」は特に新海誠作品にそういう印象を受けますね。
@@イナゴロー たしかにそうですね、しかも、自分も救済されている。
数十年単位で東北大地震や阪神大震災みたいな社会システムぶっ壊す天災に縄文時代から数千年経験させられてるわけで
日本列島の性質上、自己犠牲とか助け合い、個人より社会って方向じゃないと生きていけなったのがでかかったんじゃないかと思う
今回のお話も、深くて面白かったです。
そういえば、アンパンマンという強力なコンテンツもあったなぁ…と思い出しました。
複雑さや中庸で締めくくられていることにとても安心感を覚えました。
政治的なメッセージやSNS等で人を扇動・論破する時は極端な意見の方が響くので、
そこで中庸は消えてしまうんだなと思いました。
深いですね…去年は玲司さんにUA-camで出会い、今毎日のように観てます。
ほんと優しくて好きです。
自己犠牲を賞賛する世の中を否定したいのですが、
でも他者を愛する犠牲にに感動してしまう矛盾した自分もいます。
自分的には国家のためには命は張らず
家族、友達、仲間の為は自分の為と考え生きています。
初コメです。
自己犠牲と聞いて私の世代の漫画ではツバサと×××HOLiCを思い浮かべました。
幼少から父やさくらに愛されて育ったが故に最愛の人を救うため痛ましい自己犠牲を払おうとする小狼と、早くに親を亡くし自己を肯定できず、投げやりに自己犠牲をしようとする(次第に周囲の助けによりアイデンティティを見出す)四月一日、2人の主人公の対比に当時深く感銘を受けてました。
他にもコードギアスなども自己犠牲の塊のような話でしたね…(語り出すと無限ですね)
色々な作品にとって重要なテーマだと知ることができて大変面白い時間でした。
今後も期待しております。
ものすごくタイムリーな動画ですね。
周りを見ると、生きる意味が見つからず皆苦しみもがいているし、生きる意味(≒使命?)を与えられることでしか生き甲斐を感じられない人々が激増している閉塞感がありますね。この動画で納得しました。
まどマギは、ほむらがまどかのために自己犠牲するというよりも、まどかが世界のために自己犠牲するってのが大きいと思う。特に叛逆の物語だとそれがよく現れてる。
それでほむらの利己的な部分とまどかの利他的な部分が対立してるのも面白い
まどかは00年代以前の自己犠牲型(人類や世界の為に犠牲になる)、ほむらは00年代以降の自己犠牲型(自分の親しい者の為に犠牲になる)
どっちも自己犠牲で向いている方向が違うってだけ
日本の自己犠牲の源は 災害の多い島で少ない農地による稲作をしてきたから だと思います
過去の男たちは 田畑の開墾や農作業 用水路の整備など キツイ肉体労働を我慢 戦争の時は農地を受け継げなかった男が戦地へ行く
現在は 肉体労働より儲かる仕事って男女関係ない場合が多いから 男女平等労働 を掲げるのかな?って思います
配信ありがとうございます🙇
九州のボーンクリスチャンで20年以上母の介護をしています。時々無性に疲れます。利他主義とエゴの間に生きるという言葉に心から賛同しました。
親の為の人生ではないのだから共倒れする前に行政に頼るのも手ですよ。
他人のために闘う精神は戦争に利用されるだろとか、新自由主義的な気持ち良さとは違う自己の精神をどう捉えるかとか、単純化されたキャッチフレーズに対する危機感とか
全部、プリキュアの初代監督が2005年の時点で言ってた事そのままで目から鱗。
涼宮ハルヒは根が真面目すぎて変人には成れないおかしな人に留まっているところが共感を集めたように思える
こういう玲司さんの話聞いてると
否定する人を否定するでもなく そういうの人もまた「人間なんだ」「それはとても人間らしいものなんだ」と 色々と寛容になれそう。
相変わらず言語化が上手い。
私が忠臣蔵や新撰組が嫌いなのは制服と縛るルールのせいかな。
改めて振り返ると、日本文化は圧倒的に自己犠牲肯定ですね。
ただ自己犠牲は人間社会そのものにも組み込まれてるので、日本ほどではなくても世界に全く通用しないってのはない。
70年代前半の少女向けビッグコンテンツであるところのキャンディキャンディはチャート上だとどうなるだろう。
弱肉強食、
ピカレスク系のバトル漫画がどの辺りに来るのかも気になるような。
HELLSINGとか、
BLACK LAGOONとか。
「自己犠牲は世界では評価されません」を枕に、自己犠牲の例として欧州のアンデルセン童話を持ってくるあたり、さすが。
この時期にこのテーマありがたいです🙏
強いマイナス体験というお話はとても的を射ているのではないかと思います。自分の経験からも個人的なショックな経験がその人の考え方の核に魂としてあるのだと思います。
別の動画でも氷河期マインドの話だったかで自分の内的な問題と折り合いがついていないことが外部に対する極端な攻撃性と繋がっているというお話をされていましたが、なるほどと思いました。
自己犠牲はDNAに組み込まれているっていう言葉が深くて府に落ちました。何のために生きるのか、生きているる意味を知りたいと踠き苦しむ姿がなぜこんなにも刺さるのか知りたかった。でも誰もが
現実にそんな風に生きられる訳じゃないから
強い光に憧れ心酔していくのかな。心に一つだけ変わらないものを
持つみたいに。迷った時にいつでも見上げると同じ星がいるって、推しは北極星なんだなという結論。
ハルヒって退屈(もしくは既存の日常)を否定するハルヒ(長門も)からキョンが自分が求める(もしくは守りたい)日常を取り戻す戦いの物語だったような気がするんだけどなあ。
うる星やつらを始めとする高橋留美子の漫画は徹底した「利己」であることが魅力ではないでしょうか
今年すぐ非常に興味深い話が聞けてありがたいです!
最近ハリウッド映画で自己犠牲オチよくみるようになったなぁ
面白い‼️
「悪」や「ライバル」の描かれ方の類型を見てみたいです。
最高に刺さりました
高級な寿司の写真インスタに上げたがりますよね。で大爆笑しました。
日本で自己犠牲というと宮沢賢治
カンパネルラを思い出すなぁ
これは宮台真司さんがやっておられる、「社会という荒野を仲間と生きる」に当てはまる話だと思った
「お前の◯を無駄にしないぜ」と残された大勢の誓いとセットなのが日本の文化だと思う。それと反対にある自己犠牲が映画タイタニックのラスト。あれが海外で評価される時点で日本を曲解するのは避けたい。「無駄にしない」という日本の美学が戦後の政治のせいなのか、いつのまにかセットにされなくなってる。のだとおもう
グレンラガンは?
「その穴は後から続く者の道になる。倒れていった者と、後から続く者の希望。2つの想いをニ重螺旋に織り込んで。明日へと続く道を掘る! それが天元突破!」
「それは貴様の限界だ!」
こち亀見ていると自己犠牲のヒーローよりも自由に自分の人生を楽しんでいる主人公が両津なんだと分かった
ドラゴンボールよりなのかな。
なんか自己犠牲というよりは、人も助けるけれど無作為の親切というか、なんというか。表で言うとガンダムの線対称みたいな雰囲気がある。
こち亀からガンダムへ利他的というか。
@@user-ke24
悟空も両さんもまさに「遊於娑婆世界」の体現だと言えるでしょうね。
日本文化圏の中において実に貴重な世界的・普遍的「人間の高度な有り様」です。一休宗純的菩薩の姿です。
ウルトラマンよりさらに一段上の境地です。
@@0.shusei たしかに遊於娑婆世界を体現しているかもしれませんね。
はじめて聞きましたが、おもしろい言葉ですね。この考え方は肩の荷が軽くなるようでいい言葉ですね。
私は信教はありませんが、仏教キリスト教ともに宗教の考え方は人間の業を織り交ぜたこの世界の捉え方、処世術とも言うべき面白い考え方があってハッとさせられることがあります。
長い年月をかけて練り上げられた昔の人のより良く生きる知恵が詰まっているようで、
イエスやブッダが1代で練り上げたか本当のところは現代では定かではありませんが、もしそうならやはり凄いなと思ってしまいますね。
なんか、わかります。。
なんとなく生きてきた自分だけど、彼女ができた時やたらと頑張っちゃった。
その分別れてから、自分の人生が空っぽになった感じがあります
すごい面白かったです~
自分も人もほどほどに大事に、それが一番平和ですね。
年取ったからかもだけど、
宝探してたら見つからないけどそこは畑で耕されてて、ブドウが豊作でみんなでワインで乾杯みたいな感じになるとハッピーでいいなあと思います、最近。
個人的には「コードギアス」(0年代後半ですかね)が利己と利他というテーマで見ると面白いかもと思いました。
江戸時代に一揆を起こすと百姓側の代表者がお上に楯突いた罪で殺されるんだが、それで一揆側の要望も通るんだよね。
殺された代表者は義農として神社で祀られて神様になる。どの県にもこういう義農を祀った神社が必ず一つはある。
日本はこういう誰かのために命を落とした人間を神様にしちゃうから自己犠牲は尊いと刷り込まれるんじゃないかな。
江戸時代のような命かけないと要求が通らない時代では祭り上げないと声をあげたり要求を突きつける人間が出てこないと思う。自分が犠牲になればみんな(世界)が救われるし、誰かがそれを褒め称えて記録に残してくれるって思うから自己犠牲的な行動ができるんじゃないかな。
正史では無いがカムイ伝の一揆の首謀者で処刑される筈だった正助は生き残ったが故に農民のリンチに
ご恩と奉公の精神ですよねぇ
恩もないのに奉公は必要ないのに
奉公だけがピックアップされる
まずは恩を与えてからだと思う
アルマゲドンや、アベンジャーズエンドゲーム等、ハリウッド作品でも自己犠牲の美しさを強調する作品は多く見られると思います。むしろ海外の方が強いのでは?海外では全く賞賛されないというのは間違っているような気がしてしまいました。
海外は英雄として讃えられる積極的な自己犠牲が好きかも
日本は涙を誘う不可避に追い込まれた選択的な自己犠牲が好きかも
違いの意味合いが非常に分かりやすく、またその通りだと思います。ありがとうございます。
人々の持つ全ての罪を一身に背負って処刑されたとされるキリストの影響も大きいのではないでしょうか?
自己犠牲主導派でしたが、この動画で目が覚めました
自己犠牲には、アドレナリンがドバドバ出ちゃう〜w
実際、サバゲやっててもよく囮役かって出ます😂
撃たれてヒットコール叫び、退場する横で自チームが勝つと堪りません❤
でも、確かにホリエモン大嫌いな自分でしたが、確かに彼の考えも「一理」あると思えてしまう
全部が全部だとは思わないけど、そうゆう考え方もあるよなって、拒絶じゃなく一定の理解する余裕が自分の心に生まれた
右だの左だのと決めつけず、中道を求めることを肝に銘じます😅
お笑い芸能人のように自分が馬鹿にされたり笑われる事でお金や地位が手に入るというリターンがあるならバランスが取れるけど
何のリターンも無いのにただ犠牲になるのは自分の価値を下げるだけで周囲からも便利屋扱い見下されるだけ。
恋愛関係でも嫌われたくないからと召使いのように従順でいる人ほど利用だけされ捨てられる。
始めは周囲も褒めて来るけど、徐々にそれが当たり前になり、少しでも手を抜くと周囲から責められるようになる。貧乏くじは引くべからず。
「単純」が来たときはブレーキを。← ほんとにそうですね! 強い言葉がきたら一歩立ち止まらなければ。
ほむらは劇場版後編を見ると自己犠牲の奴じゃなかったと分かるんだけどな笑
親は子のために自分を犠牲にする。これは多くの動物で見られる行動で恐らく遺伝子に組み込まれている。なので特に群れで生きる動物にとって自己犠牲は本能なのだ。
誰の為に犠牲になるかは選びたい
あけましておめでとうございます
いつか「堕天作戦」を取り上げてほしいです!自分にとってはこれまで読んだ中でNo.1に心を揺さぶられる漫画です。
そして誰か作者さんをamazonのアカBANから救ってあげてほしい。。
面白かったです。有難うございました。梶原一騎先生に興味があります。梶原先生の作品と自己犠牲の精神が結びつく、という事を考えたことがなかったので、なるほどと思いました。梶原先生の作品を考えると、例えば、星飛雄馬の大リーグ養成ギブスにように、精神的にも肉体的にも虐待する作品が多いと思っていまして、これは、WWIIで傷ついた日本(自分)を回復する効果があったのではないかと思うんですが。というのも、精神分析のカウンセリングで、過去のトラウマをカウンセラーに話すことによってトラウマから解放するという方法があるので、それかな?と思うのです。いかがでしょうか?
確か、ドストエフキキーが、「地下室の手記」の中で自殺に対する恐怖がなければ、みんな自殺しちゃう、みたいなこと言ってませんでしたっけ。(ごめんなさい!記憶が曖昧です。)フロイトがタナトスなんていうコンセプトを作り上げていましたっけ。
自己犠牲は結果論でないと
自己犠牲を口にした瞬間に自己満足になると思う
ウルトラセブンは「アマギ隊員がピンチなんだよ!」と言っているので「好きな人を助ける」(もしくは以前アマギ隊員に命を救われているので「恩返し」)寄りだと思います👀
駅伝の日にアップするの面白いw
映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』のラストについては、西崎Pと松本先生は、対立して(古代に自殺を勧める沖田のシーン)、結局、映画は、西崎P、テレビシリーズの『ヤマト2』(監督は、松本先生)は、テレサ一人が特攻に、わかれた。
結果、生き残りを上手いこと使われて、『新たなる旅立ち』を西崎Pに造られたのは、皮肉な展開。
自己犠牲ではないですが、2000年と言えば就職氷河期ですよ。
当時の新卒が社会の維持の為には、若者が犠牲となるのはやむ無しとされた時ですよ。
自らそうなったわけではないですが、その犠牲がせめて尊いものでなければ、犠牲となった者が救われないじゃないですか。
だから、当時の事を他の世代から自己責任と言われるのは、凄くやるせない気持ちになるし、自己犠牲のある漫画やアニメに自己を投影をしてしまうところはありますね。
ハルヒはそのまんま助かりたい人々への物語で、しかし彼らは何から助かりたいのかすらわからない、かの文豪の漠然とした不安に襲われているからあんなに登場人物は斜めからの角度がついてると思います
妖怪人間って、人間になりたい欲望だけで、戦ってました。
配信ありがとうございます。
ルフィは仲間のため友達のために戦うけどけどルフィも敵も味方もすべてのキャラクター達の原動力は自分の夢とか野望なんだよね。
自己犠牲は誰かに強制されるものではないという前提なら、素晴らしい精神性だと思う。
しかし、今の人は生まれた時からみんな生きてるのに、生きる事ばかりを考えすぎている。
それよりも大事なのは、なんの為なら死ねるか、理想の死は何かということではないか。
自分はいつまでも生きていけると思ってるのだろうか、と思うほどこれもやってあれもやって、生きたいと考えてる奴が多過ぎる。
悔いなく生きるよりも大事なのは、満足して死ぬことなのに。
「耽溺」ひとつ新しい言葉を覚えました。ありがとうございます。
バランスよく生きたいと思います😇なるべく…なるべく…
子供の頃からヤマトだの宮沢賢治などに違和感を持っていて、じぶんは自己犠牲モノが嫌いなんだと思いこんでいましたが、この動画を見て単にこれらの描き方自己犠牲マナーが嫌だっただけということに気付かされました。
自己犠牲が唯一美しいのは、
自分の行動をまだ左右できない生物に対して行うときのみである
進撃の巨人で、獣の巨人に特攻する時にエルヴィン団長が、「我々はここで死に次の生者に意味を託す」って演説があるけど、
自己犠牲精神も同じように、作者(治虫たち)から読者(次の作者)に託され、受け継がれた思いに、
「僕はこうしたけど、アンタは自分の行い(作品)、犠牲になった彼らに胸張って見せられるのかい?」って問いかけられてる気がします。
山田さんの独り語りは純度が高く心に刺さって大好きです。
「山田玲司とゆかいな仲間たち」的な番組も好きですがw
山田さんと同世代として、成る程👀しかり、ですね😃
ただひとつ、ウーマンリブの女性達は女や家の為ではなく、仕事で他者のために貢献する道の方を選びたい、という人も多かったですね。
それと、当時の見かけあられちゃんとして、メガネのある無しだけで、男性の態度はこうも変わるのか⁉️と、見据えてたところはありました。
自分も、仕事で躓かなきゃ、独身通したと思います🤔
令和になって5年だけど。山田先生的にはいまどういうフェーズに入ってるといると思うか聞きたいなぁ。
面白かったです。
物事を単純化せずにも少し複雑によく考えて、バランスよく行こうよ、って思いました。
49:05 戦争そのものが国家運営上、発展上、単純ではないでしょう。軍事を知ると、戦争は抽象的な非現実的イベント発生ではなく、現実の今日の延長の“明日“にある発生事象、コロナや災害と変わらない。別に“センソー“は特別ドラマティックなモノではなく、グレーゾーン事態として発生から淡々とラダー上がっていく・進んでいくいわばそれはそれでそれも一つの新常態なんだろう、という肌感となる。どこのどんな誰だろうと人間は軍事や安全保障に齧り付いて離れない方がいいのかもしれない。右も左も結局は軍事・国家安全保障を知らぬままにアクションしているから思考も行動もオカシくなる。などとちょっと思いました、個人的に。
いま流行の「推し」ってまんま自己犠牲ですよね
それもシステム化されマネタイズされた自己犠牲
私は代理戦争に似たものも感じました
世の中粋なかっこ良さを表現するのは減った気がする。
憧れより共感出来るキャラが求められてるからかな?
自分的には、ある意味ワンパンマンが理想の形に思う
強いけど傲慢でなく、自分がやりたいから人を救う主人公 でもそんなにかっこ良く描かれない
周りのヒーローの方が称賛されてボロボロになりながら戦い格好よく描かれる
自己犠牲とエゴの両方が描かれてる
制服はアドラーの共同体感覚の話 自己犠牲か、支える側か は課題の分離の問題から解きほぐせそうですね
ドラえもん「足ぐらい、ただでやればいいのに。」
感動ポルノは安ければ安いほどいいのだ。
感動ポルノはジャンクでなくては大衆の貧しい感性に訴えることが出来ないから。
『世の中には
安い感動しか理解出来ない人たちが居るんですよ!!』
岡田斗司夫も
同じ事を言ってた😂w
とても面白かった!
滅びの美学でいうと三島もそうだね彼の作品は死に塗り込められている実際自殺しちゃったし
2chコピペで見た「俺の生きる理由と死ぬ理由を誰かに押し付けたい」っていうのはよく思う
自己犠牲と奴隷根性違うと思う。
奴隷根性→責任回避。無責任。ドラッグ化する。
自己犠牲→責任の全う。自己コントロールが必要。
日本人は自己犠牲を忘れて、奴隷根性を養ってきた。
カイジは力が全て!の世界をカイジが利他で打破するから面白い。
聖徳太子の息子の山背大兄王も「自分の命を守るぐらいなら、民の命を守るために、入鹿にやる。」的なことを一家全滅する直前に言っているから、自己犠牲ってある意味、追い込まれてる人がやるものだと思う。
待ってました、みたいなテーマですね。面白かったです。
利他的で助けない、利己的でみんな助けるというコンテンツがほとんど存在しないところに特徴がある気がします。現実はその双方のケースが主流で、虚構はその裏返しで逆パターンが主流になるということかな、と
結婚しない男達は自己犠牲を辞めた男達…
なるほど、その考え方は無かったです
東野圭吾の小説の主人公の自己犠牲は主役の周辺の世界とかは無関係な弱者の犠牲に基づいてるから醒める。マイルドヤンキーの幸せがヤンキー以外の犠牲の上に成り立ってるのと同じで吐き気がする。
龍が如くのくだりでレオンを思い出した。
外国では自己犠牲精神は称賛されない、でもコンテンツはある。そして売れる
命題として面白いよねこれは
断定的に言う人は狭いとは思います。コンテンツには自己犠牲と自己実現、物語は大きくこの大きな二柱あるとおもいます。
自己犠牲はどういう要素があるのかというと、社会に対して利他的心がなければ生きていけないですよ。
キリスト教の教えで隣人を愛せよと説いてますが、あれも一つの戒めで、利得や欲望を整理するためにある。
高城さんは己が満たされて、誰と共有するのでしょうか、孤独で生きるのは結構ですが、社会を混乱させてただ乱すだけなら辞めていただきたい。
人間は何か一つ背負ってこそ七難八苦楽しみながら生きてこそです。それはなんでもいいです。
全部は背負わなくてもいい。無縁までいってしまうとそれはなんの為に存在している生物かも分からないことになります。
地縁、血縁、社縁、趣味縁、でもいいです。どんなクラスターや共同体でもなにか一つ縁を大切にする。
ふーてんも無頼も何か背負ってないと一ミリもかっこよく見えません。
近年で鬼滅の刃が大ヒットするのが日本が日本たる象徴なんだというのがよく分かる。日本人がやっぱり自己犠牲と滅びが大好きなんですよ。大河ドラマや、時代劇の演目の忠臣蔵、真田幸村、新選組、坂本龍馬がヒットするのは報われなかった魂を救うという方式がどうしようもない所の美点と欠点でもあるかもしれませんね。
今井正監督の武士道残酷物語ですね。君主や国家のために命を投げ出す日本人の精神構造を、江戸時代から現代までの7つのエピソードで描いた。
複雑さを明解に語っている。すげー
生き物は生きるためんは利己的でないと生き残れないけど、村から出て山だの無人島で一人で生き延びれるかと言ったらほぼ不可能なわけで、個人的には社会のための個人ではなく、一人一人のための社会であるべきだと考えますが、永遠に振れ続けるのでしょう。行動実験で日本人は自分が損して持たんんが得をするのが我慢できない人が他国とくらべて多勝ったという結果は興味深かったです。
だからこそルフィの「死ぬことは恩返しじゃねえぞ」ってセリフは芯をついてて刺さるわ
不用意な自己犠牲は単なる無謀な犬死に
無敵の人とか言われてますが、逆の意味で自己犠牲だと感じました。
ユニバース25
今フェイズいくつ?
江戸時代、明治維新、戦後、バブル、Z世代。
人口の推移どうなんでしょうか?
リセットされてワンチャン縄文時代に生きてみたい来世。
他人連中から見て自己犠牲でも、当の本人はさらさら犠牲なんて要素が毛頭なく、悦びの本望だったりする。
自己犠牲というドラッグ!ほんと自己犠牲は酔うよね。私の母親がそうで、鬱陶しかった。100トンくらいの重さの罪悪感背負わされた。自己責任、自己犠牲。自己憐憫。自己なんちゃら。もううんざりだわ。いつも動画ありがとうございます。
世界は帰る場所と戦場というふうに設計されていて、帰る場所を守るためには、世界に出て、戦いと対峙しなければならない。そうした状況の中で、色んな人間が役割分担をしながら生きているんだろう。
「自己犠牲」っていうけど、結局は「自己満足」じゃないですかね
利他でも利己でも自己犠牲というのは本人が本当に望んでやるとするのなら、ネガティブな思考でいうなら
後の面倒や苦労辛さ苦しさを背負わなくて済むのはある。
2次大戦の時はともかく今の時代未来に希望を持てない自殺者が多い現状、もし自殺志願者に神風特攻申し込んだら喜んでやりそうだ。完全に利己。
しかし、大地震が起きたら自殺願望どこ言ったって感じで我先に逃げ出すだろうけどね。生きる本能が目覚めるから。
世界で自己犠牲の精神が全く賞賛されないというが、むしろ戦争しない国にこそその傾向があるわ。始終戦争してるアメリカなんか、呑んだくれの駄目親父が宇宙船に自殺攻撃して地球を救う英雄になる映画が大ヒットしてたし。
自己犠牲の底には微妙な性倒錯があると思う。
進撃の巨人のエルヴィンや、死者の後を追うハンジに出てくるまんまの戦前には、きちんと考えておくべきと思った。
植え付けられた自己犠牲精神を逆手に取って、自己犠牲モノとかキャラが、読者を感動させるためのスパイスというか、お手軽手段と化してるのは否めない。
しネタでお手軽な感動を与えられるって某漫画家も読み切り漫画の後書きに書いてたな。
松本零士は戦場マンガシリーズ見れば自己犠牲ってのが主題だしなぁ
バブルでニューヨークのビル買って騒いでいた頃の日本って、皆さん頭の中が山田さんの言う新自由主義みたいな脳になってたのではと感じます。
新海誠の、ほしのこえも自己犠牲と言えばそうなるのかな、と。
推し活も、推しの支えになってる私、推しのために犠牲になる俺、
ってことで破滅・破産していくオタクの尊い犠牲なのかもしれん(適当)。
「愛」の形は人それぞれだけど、結局「金」に換算されてるのいいのそれ?とも思う。
何のために苦しみ、何のために生きるのか
今の自己犠牲で、未来の社会をつくるのは美しいけど、
汝生きるべしを強いられて、死に物狂いで生きたい
待っていても鉄腕アトムは現れないから
MDガイスト「せやな」
ワンピは手の届く範囲の人を助けるかんじですかね。
まぁその手がビローンと伸びちゃうわけですが。
「左だ右だと単純に分け出すとやばい」と言うけど、全てのことを世代や時代別に単純に分ける山田さんがよく言うなあと反発を覚えました。
分かっちゃいるけどやめられない
この人は「単純に物事を白黒に分けるのは良くない」という誰かが他所で言っていたワードを引っ張ってきて、自分とは逆の主張する人々を攻撃するための武器に置き換えてるだけだから。
それを言うあなたにも、
山田玲司は理解を示すのでしょうね😇✨
山田さんが言ってるのは左だ右だで分けるのがやばいって話じゃなくて、どちらが正義でどちらが悪かみたいに分けることがやばいって話だと思う。