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当時高校生で、バスと汽車(北海道ではディーゼル列車をこう呼ぶ)を乗り継いで、25キロ離れた隣町の映画館まで1人で観に行ったなぁ…友達にバイクレースファンなんていなかったし、映画代と交通費が掛かるんだから、一緒に行ってくれる奴はいなかった。とにかくWGPが見たかった。動いてるNS500が見たかった、音が聴きたかった。当時はWGPなんて、バイク雑誌のレース記事の写真だけの世界だった。写真でしか見た事が無い人やバイクが動いている…それだけで大興奮だった。今はUA-camで当時のレースがいっぱい見れる。しかもタダで。本当に良い時代になった。
ワクワクしながら映画館に行ってみた映画です。当時、WGPの映像を見るのは恐ろしく難しく、ライスポを買って写真を目をお皿にしてみたり、片山さんのポスターを買って部屋に貼ってました。つまり、、写真がせいぜいで動画など不可能。映画のオープニングでスペンサー、マモラが立ち上がっていく姿を見て、感動というか、泣いたような記憶があります☺️。 片山さん、大好きでした。今との一番の違いは、人生の全てを賭け、持ってる全て放り出せないと辿り着けない場所で片山さんは戦っていた。 現代のトップライダーは技術は勿論だが、アスリートとしての能力についても超一流を求められる厳しさはあるが、片山さんの時代は、簡単にいうと命の危険がはるかに高く、実際毎年数名のライダーが亡くなっていた。実際片山さんも冒頭のように酷い怪我をしている。今が凄くて昔が適当とか、昔が凄かったとかいう単純な話では無いが、この映画の中にあるWGPの世界観、素敵ですよね。 感動。
この頃の片山さんは凄く素敵でしたね。日本人で1人しか世界のバイクレースで走っている人いませんでしたからね。
リアルタイム劇場で観ました今でもヒーローですよ!片山さんは✌️
1988年、TBSのTV放送で知りました。吹き替えは池田秀一氏でした。VHSに録画したのを何度も見たなあ。
350ccクラス世界チャンピオンを取った当時から片山さんに憧れて、片山さんが在籍したチームに入り、250ccクラスで全日本を転戦。直属の後輩にあたる方のチームに移籍。この映画の公開前にクラッシュから身体の自由を奪われ引退したけど、片山さんは永遠の憧れ。新しい映画のアナウンスにも心を踊らせています。現在でも精力的に活動される姿は私の心も刺激を受けています。石川岩男君や後を追って片山さんを目指した者全ての想いを、片山さん自身が受け止めてくれているような気がしています。
久しぶりに観たわー。何回も何回も観てたでほぼ覚えてたw観ると、あー、83年最終戦のケガがなかったらぁ・・・ってタラレバが40年経った今も思ってしまうwwこのアッセンは平選手もスポット参戦で6位でしたね!あー懐かしいw
すごく懐かしいです。たまたまリンクで出てきて30年かぶりに本当に久しぶりに観ました。片山さんがポジションの確認を何度もしてたシーン、片山さんがもっと怒ってたように記憶していて、人の記憶なんて本当に当てにならんなぁと思いました(笑)片山さんと山ちゃんさんの動画Ride?で拝見する現在の片山さんと全然変わらないですね。片山さんは僕にとってももちろんヒーローでした。見れてよかった。ありがとうございます。
この作品を映画館で観ました。この後「さよなら甦るヒーロー片山敬済」がビデオで発売され、未公開シーンも盛り込まれていました。今でいうディレクターズカットのはしりでしょうか。筑波サーキットでのテストシーンや今は亡き阿部孝夫さんとの会話シーンも懐かしいです。この頃は牧歌的な雰囲気でGPサーカスそのものでしたね。
私が中一のとき1985年の正月映画で新宿の映画館にラジコン仲間と見に行きました。今見ると、泉優二氏竹島将氏のGPへの熱い思いが今でも伝わってきます。私財を投じての損得勘定なしの作品だと聞いたことがあります。
懐かしいな~この時代、知人友人の部屋は必ず片山さんのポスターやパネルばかりでした。そういう自分の部屋も、でかいパネルが自慢でした。本当にカッコイイ青春時代のヒーローです。
この時代が、一番でしたね。片山さんの凄さがわかる人達が、ここに居て良かった。
この映画と同じくらいの時に東京青山で片山さんに偶然会ってサイン貰って未だに写真集と一緒にもっています。
懐かしい❗20:00頃のライポジ確認シーン。セッティング数字上では変えていなくとも、僅かに違和感を感じる彼の感性。このシーンはとても印象的でした。
若き日、モトクロスレーサーだった時代に、敬済さんのことを知り、こんなにも全てをレースに注いで命かけて戦っている方がいるのだと、おおいに励まされました。まさに全身全霊。それは、その後の自分の人生にもおおいに役立ち、何回かあった苦難の時期も、自分で出きることはやりきることで乗り越えられました。いわば人生の師匠だと思ってます。
当時レンタルビデオを借りて観ました。「これ誰か触った?」のくだりが印象的でした。
最高ですねネットも無く情報はひと月以上遅れてくる雑誌だったけれども熱中してたな部屋にはフレディではなくて片山さんのポスターをはってた片山さんはヒーローだった
片山さん、フレディ、ハスラムの三人で背中のプロテクターの話をしているときカメラから見切れたハスラムがさりげなくカメラに映るところが好きっす👍️バリーやマモラとの会話もいいですね🎵片山さんの人柄ですね。
いい時代だったなぁ……昔を懐かしむようになったら終わりだって、若い頃思っていたけど、そんな自分も、いい時代だったなぁって思うよあになりました。片山さんの本持ってます。この映画も見ました。僕の青春時代のスーパーヒーローです。
motoGPも良いが、やっぱりこの時代のマシンの方が自分は好きですね。洗練され過ぎてなくて、まさに『マシン』と言った雰囲気で・・・。31:50辺り、片山氏と同時期に平選手が参戦していたのは気付かなかった。個性的なスター選手が多かった旧き良き時代ですね。
懐かしですね!片山さんのビデオ兄が持っていました🤗
バリーシーンのザ・ライダーと2本立ての映画を高校の時に観に行ったことを思い出します。あの頃はすごくよかった。
貫禄とポジティブword、ファンやライダー達とのコミュニケーション、チラッと見ただけでも別格やなぁ~~
久しぶりに映像を拝見したのですが、片山さんはやはりバイク愛好家にとって
永遠のスターヒーロー🙌
当時中学生でしたが、映画見に行きました。懐かしい。
カリスマですね…❗️当時のトップライダーのフレディやバリー、ランディとのやりとりが最高に微笑ましいし、何よりも独特でアグレッシブなライディングフォームで疾走する姿に感動しました…🥲
片山さんの動画があるとは知らずにたまたま発見しました。プライベートチームで世界チャンピオンになった時は未だ中学生だったと記憶してます。当時はツキイチのバイク雑誌でしか情報がなくて、田舎のティーンには別世界のようなことでしたが大人になってからバイクでツーリングを楽しむようになって、後に王貞治さんが国民栄誉賞だったら、片山敬済だってもらう価値あるはずだという意見がありそうだ、そうだ、と思ったものです。😊NR500で世界に挑んだのも本田宗一郎さんの夢(レースは走る実験室)を体現したいと思ったのと、彼一流の夢を追いかけたのではないでしょうか。だからNR500に対する否定的な意見は自分は持っていないし楕円ピストンっていう技術には驚きを持って、さすがは本田宗一郎さんだなと思い見ていました。夢をありがとうとお礼を言いたいです。
中学3年の時、映画館で観てます、とても懐かしくなる。そして
34:05からのBGMしびれます❤
キレキレのおじいちゃんかと思って観に来たら、昔っからかっこいいやんけ!
めっちゃ面白い❗
RZ250の出現汚れた英雄の映画そして貴方の350の活躍が私の青春でした
Brilliant film
懐かしい!そして今も変わらぬ片山節w19:00〜は名シーン!同じ寸法でセッティングしても、個体差があるって事でしょうか?エンジニアと乗り手の感覚、相違ですよね。
マモラがM監督に変身w「ナイスですねぇ〜」
すごく懐かしいです。青春の1ページです。バイクがすべてでした。
片山さんのライディング講座動画から来ましたバイク乗りだした頃はホント憧れでした
バイク、かつちよえ〜
あの頃bikeが何でも楽しかった
片山敬済先生は偉大なるレジェンド。以前、日本の鈴鹿サーキットでのイベント「サウンドオブエンジン」で日本のトップレーサーだった水谷勝氏に直接、片山敬済氏の事を聞きましたが、水谷勝氏曰く「彼はカリスマ性も持ち合わせた凄い選手だったね。」とおっしゃってました。素晴らしい世界的有名選手だった片山敬済先生。
リアル・タイムの人間です。彼の活躍、激走より苦悩と恋慕の想い、悲愁が感じ取れます。レーサーとしてより生き様に感慨を受けました。
懐かしい、とにかく懐かしいの一言に尽きます。懐古主義と言われるかもしれませんが、この頃はWGPをはじめ二輪も四輪もある種牧歌的な雰囲気が見て取れました。これぞコンチネンタルサーカスその物です。ちなみに当時私はド田舎の中学生で本作を観に行く財力も行動力もありませんでした。後年、名古屋の毎日地下劇場でパンフレットのみ手に入れ、穴が開くほど熟読しました。同時上映の『ザ・ライダー』と共に一冊にまとめられた、さしてページ数も多くない冊子でしたが当時の私には宝物でした。あと、本作が今は亡き名古屋の日本ヘラルド映画の配給だったのは驚きです。
私もリアルタイムで観てました。やっぱり、WGPは素晴らしい!特に500ccクラスは、一般人には絶対扱えない凶暴なモンスターを神に選ばれた極一握りの超人達が常人離れした感覚とテクニックを駆使して暴れる化け物マシンをねじ伏せていく・・・ギリギリのブレーキングでコーナーへの突っ込みブラックマークを見せつけながらの立ち上がり美しいハングオン(今風に言えばハングオフ)どれもこれも鳥肌です。電子デバイスのない、人間対人間の闘い。これこそモータースポーツでした。テクノロジーの進化を否定はしないが、最高速が何km/h出ようが、最大出力が何馬力あろうが、電子制御の塊と化したマシンにライダーが乗せられてる感しかしない、MotoGPには何の魅力も感じられない。今の2輪レースを見ても、心がときめかなくなったのは、自分が初老になったせいだけではない。
何もかも懐かしい・・演出・カット割り等 当時何度も見てました。
25:50素晴らしいコメントですね。ワールドチャンピオンになったことがうなづけます。
今振り返って考えてもNR500での数年間は、片山敬済のレーサーとして暗黒だと思う。ホンダが好きでオファー断らなかったと聞いたが、あの時代スズキRGΓに乗っていたら間違いなく日本人最初の500チャンピオンだった。しかし反対に今のホンダの礎的な技術開発は片山さん無しでは不可能だっただろう!初めて生で片山さんを見た時は本当に後光が射していて片山さんだけ浮かび上がるように見えた!これはマジな話。昔のコンチネンタルサーカスはやっぱり良いね。
平さんのアッセンとスパのスポット参戦での連続6位入賞は当時のヤマハのRZ250Rの雑誌広告に使われてましたのでよく覚えてます
Thank you for such a beautiful film. Greetings from Ireland - best wishes, stay safe.
冒頭のBGM、サントラレコードに収録されていなくて聴けて良かったです。チキンシャックの「A silent love」のアレンジバージョン。
this is great ! Thanks ! どうもありがとう
チーフメカのスギさんは片山の引退後はアライのサーキットサービスでコンチネンタルサーカスに残り続けましたが数年前に引退されて今はベルギーで奥さんと悠々自適の毎日だそうです。周郷さんはどうされてるのだろう。チーム竹島で高田孝慈さんのメカとかやられてましたけど。
高校生の時に、片山氏とロードレースの存在を知り夢中になり、自分自身もロードレースに首を突っ込んだものです。当時、座右の銘にしていたはずの「夢があるから人生が楽しい」という言葉もいつの間にか忘れていました。今一度、思い出して、大切にしていきたいと思います。
懐かしい 当時16歳f(^_^;1984年オランダGPですね~1983年の最終戦での怪我から片山選手復帰を描いてますね。1984年のオランダGPと次のベルギーGPは平選手とガードナー選手がスポット参戦してましたね。
'86あたりのスペンサー終焉時代からWGP見始めた自分にとって昔懐かしいWGP記録映像作品かと思って見たけど、なんかその範囲に留まらない作品ですね。なんか妙にいいですわ、これ・・。色々と言われる人だけど、このくらいハッキリ物言ってWGPと人生を渡る姿に灼けました。 サー・バリシーンをバリーちゃんと呼ぶのが衝撃。
リアルタイムで熱狂してた時代でした。願わくばNRではなくNSでレースを戦い、終えて欲しかった。私のヒーローです。
79年から81年のNRの3シーズンが本当に悔やまれます。NRの改良を待つ間に自ら購入したSuzukiの市販500レーサーでGP6位入賞して自分の力が落ちていないことを確かめていたらしい。そんな努力がNSを得た82年の最終戦スウェーデンGP優勝に結びつくのですが。
いい時代だったね。しかしファースト フレディーもロバーツも若かった!ランディーはやんちゃでいいよね。GJでした。
昔、ビデオで観ました!懐かしい!貴重な動画アップありがとうございました。
350ccクラスチャンピオンになって絶頂期の3年間、ホンダのエースライダーとしてNR500と格闘してましたからね。 実に惜しいものです。
バイク全盛のいい時代だったなあ~
この頃だと思うけど、片山が筑波山に走りに来てギャラリー歓喜した思い出がある。
懐かしくなっています
あとショウエイのヘルメットバギータマイのグローブ憧れて買って使い気分は片山だった
レース直前の正三角形の話、スタート前にあんな事言える選手は片山さんだけだ!鳥肌立つ。
いや~懐かしいね! 平より片山ファンだったからね! 片山レプリカのヘルメットとグローブ持ってたね!
本当に懐かしいです。今でも片山レプリカのツナギ持ってます。
久しぶりに拝見しました今でも尊敬する憧れのヒーローです。
これ映画館で見たなぁ。同時上映は、サー・バリー・シーン主演の「ザ・ライダー」だったような?
これ観るために映画館に何回通ったっけなぁ…『ザ・ライダー』はおまけでw
よく昔の映像残っていましたね。
黄色に黒のゼッケンNO懐かしいですね。引退年の白基調のロスマンズカラーとバンクセンサー2個が綺麗で斬新でした。
この素晴らしい映像を遺した二人の故人(竹島将氏/泉優二氏)に最高の賞賛を贈りたいまだバイクが社会悪と見られていた78年に彼らが自腹で追い掛けた敬済の映像を日テレの木曜スペシャルで見ることができたのは至福
映画館で見ました
小椋藍選手moto2チャンピオン獲得記念
記録がなく偽りかもと思いましたがやはり現実 でしたあ有り難うございます
いまだ 片山さんを越えるクラスの 世界チャンピオンが いないのは寂しい限り (´・ω・`)片山さんは偉大だよヽ(´ー`)ノ
努力する天才。もうこんな日本人ライダーは現れない。
当時私のレーシングチームで片山さんに声を掛けて(誘って)もらった女性(ヘルパー)が居ました。私は行けば!!(チャンスを逃すな)と思ったんですが…。女心が判らない人!!的な扱い!!レース命の私(当時)に女なんか!興味無い(好きでも無い)!!片山さんの所に行けば!!将来が違ったのにね…。
サー・バリー・シーン若い!ホント、すごくいい時代でしたね!みなさん!今はトランプ大統領の登場で世界は再び成長の時代に入りました。今はまだ混乱は続きますが、黄金の時代、新たな時代が直ぐそこです。
懐かしい
片山レプヘル欲しかったが、高校生で金欠のためカッティングシートで真似デザイン。
ランディーマモラが村西監督w
自分の中で1980年代に2輪のGPで活躍するヒーローだった。純粋に日本人初の2輪チャンピオンだと思っていたので、後で在日韓国人と知った時はちょっとショックだった。ただ今でも尊敬の念は持ち続けている。それ以前にも高橋国光や金谷秀夫など2輪で優勝したライダーはいたが、本当の意味での2輪WGPの開拓者であったと思う。
昔 バギータマイのグローブ買ったっけ な~
350チャンピオンになっても日本ではニュースにもならなかった、オートバイ=悪みたいな時代だったからね!
当時オートバイに乗っていた若い人たちにとって、片山さんは凄い人でしたよ!
この映画観ました。パンフレットもまだ持ってます。
パン1のマモラ。懐かしい。
片山は出自はどうであれ、私のバイク熱が熱い時に夢を抱かされてくれた数少ないロマンを感じさせてくれるライダーの一人です。どこかストイックで、どこか突き詰めた様にファッショナブルでグッズ一つとってもポリシーが宿る気になって仕方がないライダーでした。‘83年のアッセンのレースは、その年の象徴と言えるレースでしょう。実際、ケニーは速かった。卒のないレース運び、テクニック、ヤマハのOWのツキの悪さだけ彼を苦しめた。この年はケニーとフレディの一騎打ちの様相を呈していたけど、そこに片山だけその間を突くマイペースであり、アグレッシブな野心を持っていてワクワクさせる日本人ライダーは彼だけでした。在日云々の話を別にして、当時の私は頑なに日本人ライダーの代表と彼を認識していました。このアッセンのレースのゴールシーンを見れば分かる通り、あわやというレースでした。プリンス片山、ズーミングカッツなど当時のライダーに愛称で呼ばれる敢えて日本人ライダーと呼ぶ上で、そういうライダーは彼一人でした。マモラが「’83年度の実質のランキング3位は片山だ」と言った通り、彼が最終戦のプラクティスで転倒事故さえ無ければ順調に’84年度の片山のゼッケンはナンバー3を背負うライダーだった。当時のヘルメット人気はアライかショウエイだったけど、ショウエイ人気は彼の功績が大きいのは当時のバイクに熱を持った青春を送った方なら分かってくれると思う。因みに、このアッセンでのレースで前年のチャンピオンのウンチーニは不調で、途中で転倒してコース外に避難しようとした途中で後続のレイニーのマシンに頭部を直撃され彼のレース人生は殆ど終焉した。そのレイニーはホンダのファクトリーライダーになり、よく言われるアッセンのレースはその年のレースを象徴すると言われるジンクスを踏襲する結果となった。ケニーもフレディも片山もランディも、皆んな輝いていた。私の青春の1ページを飾ってくれる、忘れられない年という人、多いのではないかな。そういう人と偶然出会い、酒を酌み交わしたいものだ。
ウンチーニの頭部を直撃したのは、ガードナーね。
そうそう、ウンチーニの頭をヒットしたのはワインガードナーですね。確か、ガードナーのGPデビューレースだったと思います。
懐かしいなぁ❗⤴️今は何してるのかな?
Neat
監督の泉優二氏もプロデューサーの竹島将氏も、既に亡くなっているんですね。
片山はサーキットが一番似合う!負けてほしくない…日本のファンはいつだってそう思ってたんだ・・・懐かしい・・・今でも、僕の中のヒーローです。
2ストの音が聞けなくなって寂しいなぁ~😞
フレディのハングオンより、タカズミさんのフォームの方が、カッコええ~よ( ̄▽ ̄;)
34:40に、当時気づかなかったけど、コース脇にいる係員のおじさんの上半身、透けてないですか?錯覚ですかね…。
故・渡辺裕之さん主演のKADOKAWA映画「ウィンディ」を思い出した。
僕が観たVHSはバリー・シーンがタバコショットがあった。
タイミング、我がチームガリーナのテストライダーになれたノウハウを片山にゃんに伝えてれば…にゃ!
杉原さん、わけーな。
なついみんながまだタバコ吸う時代
電子オルガンありがとう
当時高校生で、バスと汽車(北海道ではディーゼル列車をこう呼ぶ)を乗り継いで、25キロ離れた隣町の映画館まで1人で観に行ったなぁ…
友達にバイクレースファンなんていなかったし、映画代と交通費が掛かるんだから、一緒に行ってくれる奴はいなかった。
とにかくWGPが見たかった。
動いてるNS500が見たかった、音が聴きたかった。
当時はWGPなんて、バイク雑誌のレース記事の写真だけの世界だった。
写真でしか見た事が無い人やバイクが動いている…それだけで大興奮だった。
今はUA-camで当時のレースがいっぱい見れる。
しかもタダで。
本当に良い時代になった。
ワクワクしながら映画館に行ってみた映画です。当時、WGPの映像を見るのは恐ろしく難しく、ライスポを買って写真を目をお皿にしてみたり、片山さんのポスターを買って部屋に貼ってました。つまり、、写真がせいぜいで動画など不可能。映画のオープニングでスペンサー、マモラが立ち上がっていく姿を見て、感動というか、泣いたような記憶があります☺️。 片山さん、大好きでした。今との一番の違いは、人生の全てを賭け、持ってる全て放り出せないと辿り着けない場所で片山さんは戦っていた。 現代のトップライダーは技術は勿論だが、アスリートとしての能力についても超一流を求められる厳しさはあるが、片山さんの時代は、簡単にいうと命の危険がはるかに高く、実際毎年数名のライダーが亡くなっていた。実際片山さんも冒頭のように酷い怪我をしている。今が凄くて昔が適当とか、昔が凄かったとかいう単純な話では無いが、この映画の中にあるWGPの世界観、素敵ですよね。 感動。
この頃の片山さんは凄く素敵でしたね。日本人で1人しか世界のバイクレースで走っている人いませんでしたからね。
リアルタイム劇場で観ました
今でもヒーローですよ!
片山さんは
✌️
1988年、TBSのTV放送で知りました。吹き替えは池田秀一氏でした。VHSに録画したのを何度も見たなあ。
350ccクラス世界チャンピオンを取った当時から片山さんに憧れて、片山さんが在籍したチームに入り、250ccクラスで全日本を転戦。直属の後輩にあたる方のチームに移籍。この映画の公開前にクラッシュから身体の自由を奪われ引退したけど、片山さんは永遠の憧れ。新しい映画のアナウンスにも心を踊らせています。
現在でも精力的に活動される姿は私の心も刺激を受けています。石川岩男君や後を追って片山さんを目指した者全ての想いを、片山さん自身が受け止めてくれているような気がしています。
久しぶりに観たわー。何回も何回も観てたでほぼ覚えてたw観ると、あー、83年最終戦のケガがなかったらぁ・・・ってタラレバが40年経った今も思ってしまうwwこのアッセンは平選手もスポット参戦で6位でしたね!あー懐かしいw
すごく懐かしいです。たまたまリンクで出てきて30年かぶりに本当に久しぶりに観ました。片山さんがポジションの確認を何度もしてたシーン、片山さんがもっと怒ってたように記憶していて、人の記憶なんて本当に当てにならんなぁと思いました(笑)片山さんと山ちゃんさんの動画Ride?で拝見する現在の片山さんと全然変わらないですね。片山さんは僕にとってももちろんヒーローでした。見れてよかった。ありがとうございます。
この作品を映画館で観ました。この後「さよなら甦るヒーロー片山敬済」がビデオで発売され、未公開シーンも盛り込まれていました。今でいうディレクターズカットのはしりでしょうか。
筑波サーキットでのテストシーンや今は亡き阿部孝夫さんとの会話シーンも懐かしいです。
この頃は牧歌的な雰囲気でGPサーカスそのものでしたね。
私が中一のとき1985年の正月映画で新宿の映画館にラジコン仲間と見に行きました。
今見ると、泉優二氏竹島将氏のGPへの熱い思いが今でも伝わってきます。
私財を投じての損得勘定なしの作品だと聞いたことがあります。
懐かしいな~この時代、知人友人の部屋は必ず片山さんのポスターやパネルばかりでした。
そういう自分の部屋も、でかいパネルが自慢でした。
本当にカッコイイ青春時代のヒーローです。
この時代が、一番でしたね。
片山さんの凄さがわかる人達が、ここに居て良かった。
この映画と同じくらいの時に東京青山で片山さんに偶然会ってサイン貰って未だに写真集と一緒にもっています。
懐かしい❗
20:00頃のライポジ確認シーン。
セッティング数字上では変えていなくとも、僅かに違和感を感じる彼の感性。
このシーンはとても印象的でした。
若き日、モトクロスレーサーだった時代に、敬済さんのことを知り、
こんなにも全てをレースに注いで命かけて戦っている方がいるのだと、おおいに励まされました。まさに全身全霊。
それは、その後の自分の人生にもおおいに役立ち、何回かあった苦難の時期も、自分で出きることはやりきることで乗り越えられました。
いわば人生の師匠だと思ってます。
当時レンタルビデオを借りて観ました。
「これ誰か触った?」のくだりが印象的でした。
最高ですねネットも無く情報はひと月以上遅れてくる雑誌だったけれども熱中してたな部屋にはフレディではなくて片山さんのポスターをはってた片山さんはヒーローだった
片山さん、フレディ、ハスラムの
三人で背中のプロテクターの
話をしているとき
カメラから見切れたハスラムが
さりげなくカメラに映る
ところが好きっす👍️
バリーやマモラとの会話も
いいですね🎵
片山さんの人柄ですね。
いい時代だったなぁ……
昔を懐かしむようになったら終わりだって、若い頃思っていたけど、そんな自分も、いい時代だったなぁって思うよあになりました。
片山さんの本持ってます。
この映画も見ました。
僕の青春時代のスーパーヒーローです。
motoGPも良いが、やっぱりこの時代のマシンの方が自分は好きですね。
洗練され過ぎてなくて、まさに『マシン』と言った雰囲気で・・・。
31:50辺り、片山氏と同時期に平選手が参戦していたのは気付かなかった。
個性的なスター選手が多かった旧き良き時代ですね。
懐かしですね!
片山さんのビデオ兄が持っていました🤗
バリーシーンのザ・ライダーと2本立ての映画を高校の時に観に行ったことを思い出します。あの頃はすごくよかった。
貫禄とポジティブword、ファンやライダー達とのコミュニケーション、チラッと見ただけでも別格やなぁ~~
久しぶりに映像を拝見したのですが、片山さんはやはりバイク愛好家にとって
永遠のスターヒーロー🙌
当時中学生でしたが、映画見に行きました。懐かしい。
カリスマですね…❗️当時のトップライダーのフレディやバリー、ランディとのやりとりが最高に微笑ましいし、何よりも独特でアグレッシブなライディングフォームで疾走する姿に感動しました…🥲
片山さんの動画があるとは知らずにたまたま発見しました。プライベートチームで世界チャンピオンになった時は未だ中学生だったと記憶してます。当時はツキイチのバイク雑誌でしか情報がなくて、田舎のティーンには別世界のようなことでしたが大人になってからバイクでツーリングを楽しむようになって、後に王貞治さんが国民栄誉賞だったら、片山敬済だってもらう価値あるはずだという意見がありそうだ、そうだ、と思ったものです。😊
NR500で世界に挑んだのも本田宗一郎さんの夢(レースは走る実験室)を体現したいと思ったのと、彼一流の夢を追いかけたのではないでしょうか。だからNR500に対する否定的な意見は自分は持っていないし楕円ピストンっていう技術には驚きを持って、さすがは本田宗一郎さんだなと思い見ていました。
夢をありがとうとお礼を言いたいです。
中学3年の時、映画館で観てます、とても懐かしくなる。そして
34:05からのBGMしびれます❤
キレキレのおじいちゃんかと思って観に来たら、
昔っからかっこいいやんけ!
めっちゃ面白い❗
RZ250の出現
汚れた英雄の映画
そして
貴方の350の
活躍が
私の青春
でした
Brilliant film
懐かしい!
そして今も変わらぬ片山節w
19:00〜は名シーン!
同じ寸法でセッティングしても、個体差があるって事でしょうか?
エンジニアと乗り手の感覚、相違ですよね。
マモラがM監督に変身w「ナイスですねぇ〜」
すごく懐かしいです。青春の1ページです。バイクがすべてでした。
片山さんのライディング講座動画から来ました
バイク乗りだした頃はホント憧れでした
バイク、かつちよえ〜
あの頃bikeが何でも楽しかった
片山敬済先生は偉大なるレジェンド。以前、日本の鈴鹿サーキットでのイベント「サウンドオブエンジン」で日本のトップレーサーだった水谷勝氏に直接、片山敬済氏の事を聞きましたが、水谷勝氏曰く「彼はカリスマ性も持ち合わせた凄い選手だったね。」とおっしゃってました。素晴らしい世界的有名選手だった片山敬済先生。
リアル・タイムの人間です。彼の活躍、激走より苦悩と恋慕の想い、悲愁が感じ取れます。レーサーとしてより生き様に感慨を受けました。
懐かしい、とにかく懐かしいの一言に尽きます。
懐古主義と言われるかもしれませんが、この頃はWGPをはじめ二輪も四輪もある種牧歌的な雰囲気が見て取れました。これぞコンチネンタルサーカスその物です。
ちなみに当時私はド田舎の中学生で本作を観に行く財力も行動力もありませんでした。後年、名古屋の毎日地下劇場でパンフレットのみ手に入れ、穴が開くほど熟読しました。同時上映の『ザ・ライダー』と共に一冊にまとめられた、さしてページ数も多くない冊子でしたが当時の私には宝物でした。
あと、本作が今は亡き名古屋の日本ヘラルド映画の配給だったのは驚きです。
私もリアルタイムで観てました。
やっぱり、WGPは素晴らしい!
特に500ccクラスは、一般人には絶対扱えない凶暴なモンスターを
神に選ばれた極一握りの超人達が常人離れした感覚とテクニックを駆使して
暴れる化け物マシンをねじ伏せていく・・・
ギリギリのブレーキングでコーナーへの突っ込み
ブラックマークを見せつけながらの立ち上がり
美しいハングオン(今風に言えばハングオフ)
どれもこれも鳥肌です。
電子デバイスのない、人間対人間の闘い。これこそモータースポーツでした。
テクノロジーの進化を否定はしないが、最高速が何km/h出ようが、最大出力が何馬力あろうが、
電子制御の塊と化したマシンにライダーが乗せられてる感しかしない、MotoGPには何の魅力も感じられない。
今の2輪レースを見ても、心がときめかなくなったのは、自分が初老になったせいだけではない。
何もかも懐かしい・・
演出・カット割り等 当時何度も見てました。
25:50素晴らしいコメントですね。ワールドチャンピオンになったことがうなづけます。
今振り返って考えてもNR500での数年間は、片山敬済のレーサーとして暗黒だと思う。ホンダが好きでオファー断らなかったと聞いたが、あの時代スズキRGΓに乗っていたら間違いなく日本人最初の500チャンピオンだった。しかし反対に今のホンダの礎的な技術開発は片山さん無しでは不可能だっただろう!初めて生で片山さんを見た時は本当に後光が射していて片山さんだけ浮かび上がるように見えた!これはマジな話。昔のコンチネンタルサーカスはやっぱり良いね。
平さんのアッセンとスパのスポット参戦での連続6位入賞は当時のヤマハのRZ250Rの雑誌広告に使われてましたのでよく覚えてます
Thank you for such a beautiful film. Greetings from Ireland - best wishes, stay safe.
冒頭のBGM、サントラレコードに収録されていなくて
聴けて良かったです。
チキンシャックの「A silent love」のアレンジバージョン。
this is great ! Thanks ! どうもありがとう
チーフメカのスギさんは片山の引退後はアライのサーキットサービスでコンチネンタルサーカスに残り続けましたが数年前に引退されて今はベルギーで奥さんと悠々自適の毎日だそうです。周郷さんはどうされてるのだろう。チーム竹島で高田孝慈さんのメカとかやられてましたけど。
高校生の時に、片山氏とロードレースの存在を知り夢中になり、自分自身もロードレースに首を突っ込んだものです。
当時、座右の銘にしていたはずの「夢があるから人生が楽しい」という言葉もいつの間にか忘れていました。
今一度、思い出して、大切にしていきたいと思います。
懐かしい 当時16歳f(^_^;
1984年オランダGPですね~
1983年の最終戦での怪我から
片山選手復帰を描いてますね。
1984年のオランダGPと次のベルギーGPは
平選手とガードナー選手がスポット参戦してましたね。
'86あたりのスペンサー終焉時代からWGP見始めた自分にとって
昔懐かしいWGP記録映像作品かと思って見たけど、
なんかその範囲に留まらない作品ですね。
なんか妙にいいですわ、これ・・。
色々と言われる人だけど、このくらいハッキリ物言ってWGPと人生を渡る姿に灼けました。
サー・バリシーンをバリーちゃんと呼ぶのが衝撃。
リアルタイムで熱狂してた時代でした。願わくばNRではなくNSでレースを戦い、終えて欲しかった。私のヒーローです。
79年から81年のNRの3シーズンが本当に悔やまれます。NRの改良を待つ間に自ら購入したSuzukiの市販500レーサーでGP6位入賞して自分の力が落ちていないことを確かめていたらしい。そんな努力がNSを得た82年の最終戦スウェーデンGP優勝に結びつくのですが。
いい時代だったね。
しかしファースト フレディーもロバーツも若かった!
ランディーはやんちゃでいいよね。
GJでした。
昔、ビデオで観ました!懐かしい!
貴重な動画アップありがとうございました。
350ccクラスチャンピオンになって絶頂期の3年間、ホンダのエースライダーとしてNR500と格闘してましたからね。
実に惜しいものです。
バイク全盛のいい時代だったなあ~
この頃だと思うけど、片山が筑波山に走りに来てギャラリー歓喜した思い出がある。
懐かしくなっています
あと
ショウエイのヘルメット
バギータマイのグローブ
憧れて
買って使い
気分は片山
だった
レース直前の正三角形の話、スタート前にあんな事言える選手は片山さんだけだ!鳥肌立つ。
いや~懐かしいね! 平より片山ファンだったからね! 片山レプリカのヘルメットとグローブ持ってたね!
本当に懐かしいです。今でも片山レプリカのツナギ持ってます。
久しぶりに拝見しました今でも尊敬する憧れのヒーローです。
これ映画館で見たなぁ。
同時上映は、サー・バリー・シーン主演の「ザ・ライダー」だったような?
これ観るために映画館に何回通ったっけなぁ…『ザ・ライダー』はおまけでw
よく昔の映像残っていましたね。
黄色に黒のゼッケンNO懐かしいですね。引退年の白基調のロスマンズカラーとバンクセンサー2個が綺麗で斬新でした。
この素晴らしい映像を遺した二人の故人(竹島将氏/泉優二氏)に最高の賞賛を贈りたい
まだバイクが社会悪と見られていた78年に彼らが自腹で追い掛けた敬済の映像を日テレの木曜スペシャルで見ることができたのは至福
映画館で見ました
小椋藍選手moto2チャンピオン獲得記念
記録がなく偽りかもと思いましたがやはり現実 でしたあ有り難うございます
いまだ 片山さんを越えるクラスの 世界チャンピオンが いないのは寂しい限り (´・ω・`)片山さんは偉大だよヽ(´ー`)ノ
努力する天才。もうこんな日本人ライダーは現れない。
当時私のレーシングチームで片山さんに声を掛けて(誘って)もらった女性(ヘルパー)が居ました。私は行けば!!(チャンスを逃すな)と思ったんですが…。女心が判らない人!!的な扱い!!レース命の私(当時)に女なんか!興味無い(好きでも無い)!!片山さんの所に行けば!!将来が違ったのにね…。
サー・バリー・シーン若い!
ホント、すごくいい時代でしたね!みなさん!
今はトランプ大統領の登場で世界は再び成長の時代に入りました。
今はまだ混乱は続きますが、黄金の時代、新たな時代が直ぐそこです。
懐かしい
片山レプヘル欲しかったが、高校生で金欠のためカッティングシートで真似デザイン。
ランディーマモラが村西監督w
自分の中で1980年代に2輪のGPで活躍するヒーローだった。純粋に日本人初の2輪チャンピオンだと思っていたので、後で在日韓国人と知った時はちょっとショックだった。ただ今でも尊敬の念は持ち続けている。それ以前にも高橋国光や金谷秀夫など2輪で優勝したライダーはいたが、本当の意味での2輪WGPの開拓者であったと思う。
昔 バギータマイのグローブ買ったっけ な~
350チャンピオンになっても日本ではニュースにもならなかった、
オートバイ=悪みたいな時代だったからね!
当時オートバイに乗っていた若い人たちにとって、片山さんは凄い人でしたよ!
この映画観ました。パンフレットもまだ持ってます。
パン1のマモラ。懐かしい。
片山は出自はどうであれ、私のバイク熱が熱い時に夢を抱かされてくれた数少ないロマンを感じさせてくれるライダーの一人です。
どこかストイックで、どこか突き詰めた様にファッショナブルでグッズ一つとってもポリシーが宿る気になって仕方がないライダーでした。
‘83年のアッセンのレースは、その年の象徴と言えるレースでしょう。
実際、ケニーは速かった。
卒のないレース運び、テクニック、ヤマハのOWのツキの悪さだけ彼を苦しめた。
この年はケニーとフレディの一騎打ちの様相を呈していたけど、そこに片山だけその間を突くマイペースであり、アグレッシブな野心を持っていてワクワクさせる日本人ライダーは彼だけでした。
在日云々の話を別にして、当時の私は頑なに日本人ライダーの代表と彼を認識していました。
このアッセンのレースのゴールシーンを見れば分かる通り、あわやというレースでした。
プリンス片山、ズーミングカッツなど当時のライダーに愛称で呼ばれる敢えて日本人ライダーと呼ぶ上で、そういうライダーは彼一人でした。
マモラが「’83年度の実質のランキング3位
は片山だ」と言った通り、彼が最終戦のプラクティスで転倒事故さえ無ければ順調に’84年度の片山のゼッケンはナンバー3を背負うライダーだった。
当時のヘルメット人気はアライかショウエイだったけど、ショウエイ人気は彼の功績が大きいのは当時のバイクに熱を持った青春を送った方なら分かってくれると思う。
因みに、このアッセンでのレースで前年のチャンピオンのウンチーニは不調で、途中で転倒してコース外に避難しようとした途中で後続のレイニーのマシンに頭部を直撃され彼のレース人生は殆ど終焉した。
そのレイニーはホンダのファクトリーライダーになり、よく言われるアッセンのレースはその年のレースを象徴すると言われるジンクスを踏襲する結果となった。
ケニーもフレディも片山もランディも、皆んな輝いていた。
私の青春の1ページを飾ってくれる、忘れられない年という人、多いのではないかな。
そういう人と偶然出会い、酒を酌み交わしたいものだ。
ウンチーニの頭部を直撃したのは、ガードナーね。
そうそう、ウンチーニの頭をヒットしたのはワインガードナーですね。
確か、ガードナーのGPデビューレース
だったと思います。
懐かしいなぁ❗⤴️
今は何してるのかな?
Neat
監督の泉優二氏もプロデューサーの竹島将氏も、既に亡くなっているんですね。
片山はサーキットが一番似合う!負けてほしくない…日本のファンはいつだってそう思ってたんだ・・・
懐かしい・・・今でも、僕の中のヒーローです。
2ストの音が聞けなくなって寂しいなぁ~😞
フレディのハングオンより、
タカズミさんのフォームの方が、
カッコええ~よ( ̄▽ ̄;)
34:40に、当時気づかなかったけど、コース脇にいる係員のおじさんの上半身、透けてないですか?
錯覚ですかね…。
故・渡辺裕之さん主演のKADOKAWA映画「ウィンディ」を思い出した。
僕が観たVHSはバリー・シーンがタバコショットがあった。
タイミング、我がチームガリーナのテストライダーになれたノウハウを片山にゃんに伝えてれば…にゃ!
杉原さん、わけーな。
なついみんながまだタバコ吸う時代
電子オルガンありがとう