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国鉄型特急列車やっぱかっこいいな
8:00 横軽区間で、ビリビリと振動音が入っていて、空気バネのエアを抜いたことがよく分かりますね!
尾久に並ぶ、グリーン車の無い211系、夢空間や多くのブルートレイン等の客車列車、113系…平成2桁生まれの若輩者としては、体験したくともできない光景を追体験させていただいて、不思議な気持ちと感謝でいっぱいです…
489の白山型車両のあさまには良く乗りました!懐かしいです😊。
特急あさまは、年末故郷に向かう帰省客とスキー客で車内は通路とデッキは身動きできないほどでしたね…。横川の釜めしは風情ある。
信濃の国を聞くと、信州にきたーという気がします。同じメロディーでも、あさまとあずさでは何か感じが違って聞こえました。あずさは高原の明るさあさまは上野駅の 旅情がありました。あと、あずさの信濃の国は明るく、あさまの草笛バージョン…藤村の小諸なる古城のほとり、歌哀し佐久の草笛…では趣が違って、どちらも懐かしいです
この車両、確か朝に金沢を出た白山が昼過ぎに上野に着き、折り返し長野へのあさまとして往復、それからホームライナーで古河まで往復し、翌朝の白山で金沢へと戻るパターンかと記憶してます。
当時同じく金沢運転所の「白山」用489系でも非貫通(300番台)編成も「あさま」運用に就いていたのでしょうか?
子どもの頃の記憶より遥かに多い尾久の客車と実物を見れなかったレインボーの客車、幼少期を思い出す205系の山手線、モノクラスの211系と夢空間 特急あさまも2000年生まれの自分にとっては見ることが叶わなかった憧れの光景です。峠の釜飯を食べながら見ていたらいつの間にか泣いてました。
夏休みはいつも大宮~長野まで特急あさまに乗っていました。昭和からの特急の振動だったり音が懐かしい😊最後に乗ったのは新幹線が開通する前の年だったかな。横川手前でいつも親から渡されたお金を握りしめて急いで釜飯を買いに行ったのもいい思い出😄
白山色車使用の「あさま」長野まで行って上野に戻って来ると、ホームライナー古河で古河まで往復、その後夜行急行「能登」金沢行でしたね。
尾久で待機している車両群。今や上野口では見られなくなった211系近郊型電車、今は亡き「スーパーエクスプレスレインボー」… 懐かしいです。
横川〜軽井沢で空気バネの空気抜いてるから、乗り心地が悪くなってゴロゴロ音がするのと揺れがあるのが懐かしかったです。
信越本線の特急電車に乗って、あの独特の乗り心地を体験できたのが、碓氷峠の区間でしたね。独特の走行音と下から突き上げる様な衝撃を思い出しました。
もう、上野駅は昔の賑わいはありません。寂しい限りです。北の玄関と言われていた時は人が溢れていて、必ずと言っていいほどどこかのホームには特急電車が止まっていました。
93年か…田端機関区や尾久客車区の賑わい、「禁煙車」という言葉、そして長野の仏閣駅舎と、それぞれが感慨深いのだけど、何より今聞いて涙が出てきたのは、冒頭に流れた「スーパーひたち 仙台行き」というアナウンスでした。あさまには関係ないけれど。
特急あさま号また、乗りたい
尾久の赤羽寄り電留線に14系ハザが停まっていたのが懐かしすぎる!14系レインボーも幾度となく115系車内から見た記憶が…
主な駅の到着時刻大宮 15時51分高崎 16時38分軽井沢17時21分上田 17時50分長野 18時14分
いつもご苦労様です
スタイル的にクハ489-3ですね。ボンネット特急の活躍している時代にタイムスリップしてみたい。私は基本的にJRになってからの塗装(国鉄メークでないもの)は好きでないものが多いですが、この白山色は例外的に良いデザインですね。
どこかで空気バネの空気を抜いて横軽を超えてたという話を聞きましたが乗り心地って載線してる時の軌陸車の荷台…というかパンクしてリムで走る時の自転車みたいな感じだったのでしょうか…?
もろにガタンゴトンという振動がお尻に伝わってきました。
@@railway-sound ありがとうございます!横軽廃止の半年後に生まれたのでぜひ乗ってみたかったです…orz
この「あさま25号」は、上野15:30発長野経由金沢行きだった「白山3号」の長野〜金沢間が廃止されて残った、上野〜長野間の運用ですね。使用車両は、「白山」時代と同じく、JR西日本金沢運転所の489系電車のままでした。
この時上野駅出てひたちと競争した。
車内販売が長野まで乗っていても、弁当・茶販売は高崎~小諸間。横軽区間は営業してなかったので、ほんと僅かな区間。
停車駅の最も少ない最速あさまですね
停車駅の最も少ないあさまは戸倉通過のはずです。一往復だけですけどあって上りの最速あさまに乗ったことあります。
戸倉通過なんてあったんですね@@geminikanonn
白山かと思ったらあさまだった。白山は新幹線にも採用されず、永久に過去のものとなってしまった。もっとも、はくたかが 長野に帰ってきたとも言えるのですが。
大宮〜高崎47分ってすごくね?
懐かしい車両!!乗りました😋😁☺️😺✌️!!
この頃の車掌さんはよく「大宮を出ますと高崎まで止まりません」と案内しますが、熊谷に止まると思って乗ってしまう乗客が結構いたのでしょうかね。
「あさま」「草津」など熊谷、深谷などに停車する特急列車も結構ありましたから、誤乗が多かったのではないでしょうか?
城崎かすみ しかも熊谷は新幹線停車駅ですし、新幹線が停車するなら特急も停車するだとうと思う乗客はいたでしょうね。
この時代は東京から長野まで3時間くらいかかってたんだろうな車窓の景色が視点が低くて速度もゆっくりだから、今の新幹線のあさまとは雰囲気違うな
489系の信濃の国は原曲に近いですねすごく好きな車内メロディーですのでもう聞けないのは残念です。長電の発車時間まで案内があるのは驚きました‼︎
携帯電話が、普及し始めた頃の車内アナウンスですね。クズ入れって言っているのが、時代を感じます。横川駅を出発した後に映っていた場所は、今は横川鉄道ミュージアムになってる場所でしょうか?横川駅ホームの釜飯の売り子さん、出発するとお辞儀して手を振ってくれるのが、すごく嬉しかったなぁ。
2:14 東京音頭
長野駅の1番線だ…
この時代の上野駅の番線案内表示板は小田急そっくりだな
長野駅1番線ホームは無くなって駅ビルになってしまい、今の2番線が昔の3番線でしたね。
長野もしばらく行っていませんが、旧駅舎が今でも印象に残っています。
新幹線ホームは金沢延伸でさらに拡充した感じがありますが、在来線ホームはさっぱりしてしまいましたね
この「あさま」は、「白山3号」のスジのままなので、長野駅は1番線の到着だったのでしょうね。それから、長野駅は、善光寺を模した旧駅舎が良かったですね。門前町の玄関にピッタリでしたから。
「白山」が1往復エル特急の時代。これって、上りの「白山」と、下りの「能登」の間合い運転で、いいのかな?
夜行「能登」で上野到着後にすぐ「白山」のヘッドマークに交換されていましたから、そのまま「白山」で金沢へ戻り、「白山」で到着した編成が夜行「能登」までの間合運用で「あさま」として長野1往復していました。「白山」「あさま」廃止後は、夕方の「ホームライナー鴻巣」「ホームライナー古河」各1往復してから夜行「能登」で金沢へ戻っていました。
9:24
♪ 信濃の国は十州に 〜 万ず足らわぬ事ぞなき
あ
なんや
国鉄型特急列車やっぱかっこいいな
8:00 横軽区間で、ビリビリと振動音が入っていて、空気バネのエアを抜いたことがよく分かりますね!
尾久に並ぶ、グリーン車の無い211系、夢空間や多くのブルートレイン等の客車列車、113系…
平成2桁生まれの若輩者としては、体験したくともできない光景を追体験させていただいて、不思議な気持ちと感謝でいっぱいです…
489の白山型車両のあさまには良く乗りました!懐かしいです😊。
特急あさまは、年末故郷に向かう帰省客とスキー客で車内は通路とデッキは身動きできないほどでしたね…。横川の釜めしは風情ある。
信濃の国を聞くと、信州にきたーという気がします。同じメロディーでも、あさまとあずさでは何か感じが違って聞こえました。あずさは高原の明るさあさまは上野駅の 旅情がありました。
あと、あずさの信濃の国は明るく、あさまの草笛バージョン…藤村の小諸なる古城のほとり、歌哀し佐久の草笛…では趣が違って、どちらも懐かしいです
この車両、確か朝に金沢を出た白山が昼過ぎに上野に着き、
折り返し長野へのあさまとして往復、
それからホームライナーで古河まで往復し、翌朝の白山で金沢へと戻るパターンかと記憶してます。
当時同じく金沢運転所の「白山」用489系でも非貫通(300番台)編成も「あさま」運用に就いていたのでしょうか?
子どもの頃の記憶より遥かに多い尾久の客車と実物を見れなかったレインボーの客車、幼少期を思い出す205系の山手線、モノクラスの211系と夢空間
特急あさまも2000年生まれの自分にとっては見ることが叶わなかった憧れの光景です。峠の釜飯を食べながら見ていたらいつの間にか泣いてました。
夏休みはいつも大宮~長野まで特急あさまに乗っていました。
昭和からの特急の振動だったり音が懐かしい😊
最後に乗ったのは新幹線が開通する前の年だったかな。
横川手前でいつも親から渡されたお金を握りしめて急いで釜飯を買いに行ったのもいい思い出😄
白山色車使用の「あさま」
長野まで行って上野に戻って来ると、ホームライナー古河で古河まで往復、その後夜行急行「能登」金沢行でしたね。
尾久で待機している車両群。今や上野口では見られなくなった211系近郊型電車、今は亡き「スーパーエクスプレスレインボー」… 懐かしいです。
横川〜軽井沢で空気バネの空気抜いてるから、乗り心地が悪くなってゴロゴロ音がするのと揺れがあるのが懐かしかったです。
信越本線の特急電車に乗って、あの独特の乗り心地を体験できたのが、碓氷峠の区間でしたね。独特の走行音と下から突き上げる様な衝撃を思い出しました。
もう、上野駅は昔の賑わいはありません。寂しい限りです。
北の玄関と言われていた時は人が溢れていて、必ずと言っていいほどどこかのホームには特急電車が止まっていました。
93年か…
田端機関区や尾久客車区の賑わい、「禁煙車」という言葉、そして長野の仏閣駅舎と、それぞれが感慨深いのだけど、
何より今聞いて涙が出てきたのは、冒頭に流れた「スーパーひたち 仙台行き」というアナウンスでした。あさまには関係ないけれど。
特急あさま号また、乗りたい
尾久の赤羽寄り電留線に14系ハザが停まっていたのが懐かしすぎる!
14系レインボーも幾度となく115系車内から見た記憶が…
主な駅の到着時刻
大宮 15時51分
高崎 16時38分
軽井沢17時21分
上田 17時50分
長野 18時14分
いつもご苦労様です
スタイル的にクハ489-3ですね。
ボンネット特急の活躍している時代にタイムスリップしてみたい。
私は基本的にJRになってからの塗装(国鉄メークでないもの)は好きでないものが多いですが、この白山色は例外的に良いデザインですね。
どこかで空気バネの空気を抜いて横軽を超えてたという話を聞きましたが乗り心地って載線してる時の軌陸車の荷台…というかパンクしてリムで走る時の自転車みたいな感じだったのでしょうか…?
もろにガタンゴトンという振動がお尻に伝わってきました。
@@railway-sound ありがとうございます!
横軽廃止の半年後に生まれたのでぜひ乗ってみたかったです…orz
この「あさま25号」は、上野15:30発長野経由金沢行きだった「白山3号」の長野〜金沢間が廃止されて残った、上野〜長野間の運用ですね。
使用車両は、「白山」時代と同じく、JR西日本金沢運転所の489系電車のままでした。
この時上野駅出てひたちと競争した。
車内販売が長野まで乗っていても、弁当・茶販売は高崎~小諸間。横軽区間は営業してなかったので、ほんと僅かな区間。
停車駅の最も少ない最速あさまですね
停車駅の最も少ないあさまは戸倉通過のはずです。一往復だけですけどあって上りの最速あさまに乗ったことあります。
戸倉通過なんてあったんですね@@geminikanonn
白山かと思ったらあさまだった。
白山は新幹線にも採用されず、永久に過去のものとなってしまった。もっとも、はくたかが 長野に帰ってきたとも言えるのですが。
大宮〜高崎47分ってすごくね?
懐かしい車両!!
乗りました😋😁☺️😺✌️!!
この頃の車掌さんはよく「大宮を出ますと高崎まで止まりません」と案内しますが、熊谷に止まると思って乗ってしまう乗客が結構いたのでしょうかね。
「あさま」「草津」など熊谷、深谷などに停車する特急列車も結構ありましたから、誤乗が多かったのではないでしょうか?
城崎かすみ しかも熊谷は新幹線停車駅ですし、新幹線が停車するなら特急も停車するだとうと思う乗客はいたでしょうね。
この時代は東京から長野まで3時間くらいかかってたんだろうな
車窓の景色が視点が低くて速度もゆっくりだから、今の新幹線のあさまとは雰囲気違うな
489系の信濃の国は原曲に近いですね
すごく好きな車内メロディーですので
もう聞けないのは残念です。
長電の発車時間まで案内があるのは驚きました‼︎
携帯電話が、普及し始めた頃の車内アナウンスですね。
クズ入れって言っているのが、時代を感じます。
横川駅を出発した後に映っていた場所は、今は横川鉄道ミュージアムになってる場所でしょうか?
横川駅ホームの釜飯の売り子さん、出発するとお辞儀して手を振ってくれるのが、すごく嬉しかったなぁ。
2:14 東京音頭
長野駅の1番線だ…
この時代の上野駅の番線案内表示板は小田急そっくりだな
長野駅1番線ホームは無くなって駅ビルになってしまい、今の2番線が昔の3番線でしたね。
長野もしばらく行っていませんが、旧駅舎が今でも印象に残っています。
新幹線ホームは金沢延伸でさらに拡充した感じがありますが、在来線ホームはさっぱりしてしまいましたね
この「あさま」は、「白山3号」のスジのままなので、長野駅は1番線の到着だったのでしょうね。
それから、長野駅は、善光寺を模した旧駅舎が良かったですね。門前町の玄関にピッタリでしたから。
「白山」が1往復エル特急の時代。これって、上りの「白山」と、下りの「能登」の間合い運転で、いいのかな?
夜行「能登」で上野到着後にすぐ「白山」のヘッドマークに交換されていましたから、そのまま「白山」で金沢へ戻り、「白山」で到着した編成が夜行「能登」までの間合運用で「あさま」として長野1往復していました。「白山」「あさま」廃止後は、夕方の「ホームライナー鴻巣」「ホームライナー古河」各1往復してから夜行「能登」で金沢へ戻っていました。
9:24
♪ 信濃の国は十州に 〜 万ず足らわぬ事ぞなき
あ
なんや