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ゼネラルプロダクツ!懐かしいです。私が大学に入って大阪に住み始めて最初に行った所。お土産の饅頭持って行ってレジの方に渡したら、奥から岡田さんが「ありがとう~!」って返事してくれたのを覚えてます(笑)。
最後の映像を前フリもなくオチに使うのオシャレ過ぎる 笑
庵野さんのやらなくて遅れる気持ちもわかるし、赤井さんの進まんから、できるだけ言われた指示を再現したりして努力する気持ちもすごいわかる笑笑
この話いいなぁ…みんな本気で取り組んだからこそ、こんなエピソードを懐かしめるんだろうな。
岡田斗司夫がサイコパスなのはクリエイターから嫌われ尽くしても尚、仲が良いかのように語れるメンタル
僕らは僕らなりの同じ様な事をしていたのが1989年平成元年です。その一年前に大学見学で、大日本と帰ウルを観て、ため息が出ました。僕らは映画を作る仲間達で何本か作りましたが中々納得いくものはできませんでした、皆、映画業界志望でしたが、実際に映画のシナリオライターになれたのは福井晴敏氏の友人の竹内清人だけでした。彼の結婚式の時、福井氏や樋口氏とお会いして飲む事が出来ました。富野氏や庵野氏の話も間接的に聞きます、僕ら昭和43年生まれはオタク第何世代でしょうか?1.5とかでも嬉しいですが。
後に各方面で大活躍する凄い人達がアマチュア時代や学生時代には集まっていろいろやってたっていうタイプのエピソード好きだわ
なかなか生々しい話で面白かった 赤井さんが一番仕事してたんだね
二次創作の監督で挫折した人が公式ウルトラマンの監督にまで成り上がったのすげぇわ
監督ではない
総監督
その頃僕はサイエンスフィクション同好会を中2の時に創立し、SF小説やラジオSFコーナーを聞いていました。ダイコン3は旭川に行きそこの会場で上映会として、参加させていただきました。同級生のメイアラシと後で漫画家になった高橋真と。僕の青春はスターログやジェイムスンシリーズや筒井康隆のジュブナイルや新井素子や、、ハヤカワ文庫、創元文庫や、やっぱりダイコン3が鮮烈でした!ラジオSFコーナーの明日への扉はエアチェックして、フェリクロームのカセットにエアチェックして残っています。ところで、、、ですが。ズバリ、赤井くんバージョンでシン•ウルトラマンを見てみたい。
ほんっと、かっこいいな。こんな時代に。たまらんね
庵野さんのイラストのTシャツ買いました。ぬえデザインのパワードスーツだけど、庵野さん風に大いにアレンジされた絵が非常にカッチョ佳くて、40年も経ちヨレヨレのボロボロになっても捨てられずに持っています。
画像が出てこないのですが、なんて検索すれば出てきますか?
パワードスーツ シャツ庵野秀明 かな
庵野さんが首を宣告された喫茶店が健在で、私がしょっちゅう前を通っていた事を最近知ってちょっと震えました
なんて店?
僕もそのサイゼリヤよく行きます
立地が良いよねそこのコメダ
そこのスタバ雰囲気好きです
意外とそこのドトール混むんですよね
tシャツに込められたストーリーが壮大過ぎた
話に出てくる赤井さんの描写が、アオイホノオで作られたイメージそのまんまだ。
このエピソードだけ聞いたらただのダメ人間なのに、それを補って余りある才能ってのはすごいよなぁ
完璧主義の人間に期限の存在はは苦しいだけだと思う
@@123logtop2 金が動くんだからそれは通らんのよ
@@ラスティスマイレージ だから金を詰んで無理やり働かせても良いもの出来ないんだね
@@n2jiraiiak完成しないよ
無限に近く与えると高畑勲さんになる
当時のアニメや特撮の熱と才能ってすごかったんだな。
当時はどの業界も個人のレベル高かいのが当たり前だったらしいね。
奥さんも漫画家から注目しつつお二人の感性は庶民くすぐって惹きつけるとんでもない才能のかたまり
凄いわ😵✨番組に注がれていた苦労、工夫、メカデザインに込められている知識、解説😵✨子供や素人には分からない事沢山でした💦🙇♀️
桃谷のゼネプロにあった喫茶スペースでウーロン茶(茶菓子付)を頼んだら「今日ウーロン茶切れてて麦茶しかないんすよ」と言われた経験ありやむなく注文「麦茶に茶菓子ってココ友達ん家かぃ!」と強烈に思い出深く、強烈な印象が残っていますあの麦茶を入れてくれたのは岡田氏かと思うとムネアツです 50円値引きしてくれたのも思い出しましたその時の少年は今50歳ですよ岡田氏
大きくなったね〜
赤井さん...。赤井さん、本当にありがとうございました。
「まんが道」と並ぶ漫画業界マンガの傑作「アオイホノオ」(島本和彦)に庵野赤井山賀と岡田の出会いとdaiconまでのストーリーが描かれてます。「熱い思いを死んだ魚の眼で語る」岡田のキャラがすばらしい
この人のガイナックス時代終盤に、誠実で勤勉で優秀なプロデューサー・営業担当・財務担当をどっかからか引き抜いてくる所までやってくれてから辞めてくれていたら。庵野秀明は友達を失わずに済んだのだろうか。
昔、脱税でガサ入れされたとき、嬉しそうに国税Gメンをビデオ録画していたそうだから、そういう才覚はなかったと思われ。ちなみにその様子を見ていたアニメーターは当時月給5万だった。
@@es335ize 確認ですが、この人が優秀なプロデューサー・営業担当・財務担当であるとは私は書いてないので、引き抜く才覚がないと思われと仰っているのですよね。実際にあり得るか否かを考えているというよりは、4ヶ月前の私はifを使って庵野さんの悲しみを想像しようとしているようです。
この人というのは、庵野氏ではなく岡田斗司夫でしたね。失礼いたしました。
脱税の話きいて庵野さんへの信頼がめっちゃ上がった。どんなときも動きの仕事に結びつける。
こだわりの強さを時間を掛けて形にして大成した側と、こだわりの強さより生産性を重視してビジネスに励んだけど頭打ちで人の作品を評論するだけになった側今現在、口だけ動かしてるのはどっちで、手を動かしてるのはどっちかを考えたら感慨深いものがあるな
そう言われると本当に皮肉な話だなー。一長一短でどちらが良いとか分からないけれど、庵野秀明の不器用さ、亀の歩みでもクリエイターとして生き続ける愚直さに僕らは心を動かされる。
これを20代の青年達が行動思考実行してたと思うと凄いね
とんでもない密度の10代を過ごしたんでしょうね少年期の様々な思索が下地にあるのだと思います
@@99t66 おまえらがゆとり教育でボーッとしとるだけやで
なんで”20代の青年”なんて一括りにして上から目線で言ってんだろうな。君は年齢で判別してる子供だね
@@丸刈りいたでたーwww
モノと情報、娯楽が溢れる中ではそれを消費するのに手一杯で自ら何か創ろう変革しようなんて考えるのは一部の跳ねっ帰りだけなんよ楽だし
誰かにとっての青春みたいなもの感じてなんか…すごくいい切り抜きだなと思った
17:19最後若き日の岡田さん?雰囲気ちが〜う、やっぱ落ち着くのね。
人間万事塞翁が馬ってことか。あの場面ではそうするしか選択肢がなかった、と思いつつ岡田氏も心にしこりとして残ってる。庵野氏はショックで動けなくなるほどの体験を経ることで変わったのかな。それが良いことか悪いことかは後になってみないと誰にも分らないものだよね。
私はアニメーターとしてあの業界に入り、それでは食えないと制作進行になった者ですがこの話の当時の庵野監督と当時の岡田氏の言い分は双方共に理解できます。その矛盾を振り切れずにあの業界を去ったのを思い出します。
お疲れ様でした。余生ゆっくりおうちで過ごしてくださいね。ね!ね!ねねねね!
佐々木丸正さんみたい
知れば知るほどすごい男の岡田さん。最初はなんだよ、この自称オタキングは?と思ったら好きなコンテンツあれもこれも作ってる偉人だった。てか庵野監督と違ってずっとオタに分かりやすい位置にいてくれるのがほんとすごい。
僕も最近「逆襲のシャア」を見て岡田斗司夫さんの偉大さを思い知った
まあ写真という設定はさておき、この絵を描いた2年後に、オネアミスの翼のあの一連のメカ作画が生まれたと思うと感慨深いものがある。
充実した時間でした!ありがとうです!
いいお話でした。ありがとうございました。
シン・エヴァが完結まで散々時間が掛かった理由がよ―わかるな
なんかあると山口に帰ってきます。清掃バイト先の宇部空港でたまに見かけたなあ
クビ切りの経験があったから庵野秀明の才能が開花したのかもしれないね結果的に良い判断だったのかも…
最後のズームインw岡田さんだけじゃなく、話に出てた人も居るなかな?w
学生でマクロスを手伝いに行ったって逸話が本当に尋常ではない人物を表すエピソードだよね
と言うかマクロスの監督河森正治も慶応在籍中にTV版マクロスのメカデザインでバルキリーを生み出して演出もやって、慶応を中退した翌年に劇場版マクロスで初監督してますからやはり天才はどこか違うんでしょうね
@@空豆豆蔵 イーロンマスクもそうだけど大学辞める事に躊躇がないのが凡人とは違いますね🤔行動力のある天才はヤバイ
@@ヤマト黒猫-j3s この時代の芸術系の大学は卒業までにやりたいこと決まって辞めるのが普通で卒業まで残ってるのは落ちこぼれっぽい感じって聞いたよ
老人Zの北久保監督は中卒でサンライズに入って、初仕事がファーストガンダムの動画だったらしいよ
@@空豆豆蔵 愛 覚えていますか 22歳監督? あり得ない天才
戦闘機の解説は流石という感じ。
コレ、むかし中学生の頃に買って、今も大事に持ってます。
17:17 衝撃のラスト!
なんとなくシン仮面ライダーに起こった出来事を理解できた
シン•仮面ライダーの制作ドキュメント見て、この話聞いてちょっと納得した。理想はあってスタッフの提案にダメ出しはできるけど、じゃあどうすればいいのか具体に提案してスタッフで共有できないところはずっと変わらないんだね…
岡田斗司夫さんと西和彦さんの類似点同世代(西さんが2歳上)実家が裕福大学中退仲間と企業社長業が上手くいかず追い出される違うところ岡田さんはバツイチで子供がいる西さんはマイクロソフトの初期に極東担当副社長で非常に大きな貢献をしている。
そのTシャツ、再販したら売れると思うの☆カッコいい。
岡田さんのズームイン!が誰よりもキレッキレ
このTシャツ普通にオシャレUTにありそう
思い出に浸ってる感じがしてなんか見てられる
色々言う人が居るけど、この動画はそういう事ではなく最後の映像がすべて。切り抜き編集が素晴らしい。懐かしい短編映像見た気分になった。
「帰ってきたウルトラマン」のOPは当時衝撃的でした。マットアローのプラモどこからから出ないかなぁ。
最後の映像、貴重過ぎんか?w
ズームインww
ua-cam.com/video/mTwZIvEHcU8/v-deo.html
クラフトマンのマスター
@@torinomiya 狂四郎のかな?確かに似てるかもw
@@rtgmyfgr510 さん当時録画していた人がいるんですね〜(笑)
コナミ上層部がメタルギアソリッドの小島監督を追放したように、いくら凄いクリエイターでも納期と予算を守れないと株主や会社が壊れていくから、そういう判断をしないといけないらしい。アップルコンピュータを追い出された社長もそうだった気がする。
帰ってきたウルトラマンが岡田さんの作品だったとは……
そりゃ当たり前なんだけど、絵がうめえよ
すっごくすてきなお話でした✨すばらしいわ!先生ありがとうございます!
日本SF大会やってて、野田昌宏さんの会社に入るってことは、野田さんにスカウトされたのかな?日本SF大会が21世紀になっても行われ続けてるのは、ひとえに野田昌宏さんが基礎作りをしてたから。九州でSF同人誌をやってた大学生たちに会いに行って「次のSF大会は君たちがやってね」といった感じで、日本全国でSF大会が開催されるようにしてた。
日本テレワークは野田昌宏氏が作った会社だし。アニメやSFの実力者が催し物に出て来ていたから、次の世代のアニメーターとかが育ったのだろう。(スタジオぬえの石黒監督や矢野徹氏を見た)
まさかお二人がここ迄、大成し世界に影響力を与える様になろうとは当時のお二人を知る特ヲタの誰が想像した事でしょう!!?今後のお二人のご活躍にも期待しかないです!!🤔😂👍🎉🎉🎉
数々の名作の中でも一番好きで最高のヱヴァンゲリヲンを作った庵野秀明様は私にとっての神様アスカを創り出してくれて本当にありがとう…今までもこれからも最推しとして大切にします
貞本義行「」
ANNOの書き方センスしか感じないw
08:43 赤井作品やんけ まあゴジラとウルトラマンも監督は違う人だし、庵野さんは総監督がええんやろな
楽しく語れる青春時代があるから良いね。相手はいい思い出ではなさそうだけど。
庵野秀明さんのデザインはかなり好きだから庵野秀明デザインのMSは見てみたいw
サラっと述べられているDAICON4ですが、DAICON3に比べても更にとんでもなくクウォリティが上がっていて、業界的にも革新的な内容だったように思います。最後の映像をサラッと使うのに、感動しました。
まさか伝説のニュース番組ズームイン朝!の取材を受けていたなんて……今まで知りませんでした。😔
岡田さん体型維持能力すげぇな
最後のインタビューシーンでインタビューしてるのが小林大作さんっていうところに時代を感じますね。2000年くらいに桃谷駅の近くに住んでたけど、どのへんにゼネプロあったんだろう?
あんのは監督となり、こっちは他人の作品にチャチャをいれて日銭を稼ぐ。現実って残酷だ。
あれは23歳の頃だったか?岡田さんが晴海のコミケでゼネプロのグッズ販売時のPRをしてる姿を思い出しました。あの時ダイコンIIIのΤシャツやマグカップを買ったのを覚えてます。
リアリティ追求し過ぎるとアニメ作れなくなる(ファンタジーを残すのが必要なので)ので、富野氏がダメ出ししたのかな…と。でも後のエヴァではどちらも殺すかとなく巧い使い方していたと思います。
「ゼネプロ」「桃谷」、懐かしいです。そのころ私は岡山で大学生をやってましたが、時々桃谷まで買い出しに行ってました。一番のお気に入りは、アイスラッガーのキーホルダーでした。もしかすると、それと気づかぬままお会いしてたかもしれませんね。
6:35 シン仮面ライダーのドキュメンタリーそのままですねw
スケール…タックファルコンは210m、ウルトラマンAが脇に抱えている絵が忘れられず、ウルトラ検定、間違えました。
中学の頃か・・・この店行ったことあるの思い出した。ナイトオブゴールドのフィギアを買ってたわ。懐かし。
庵野監督が降ろされて半日カウンターから動かなかったって話何回聞いても面白ぇ
あー、このTシャツ持ってたなーDAICON FILMの巡業上映会が何度か地元に来たときにちょこちょこグッズを買い揃えたのでこのTシャツ以外にもマグカップや大日本のディフォルメフィギュアも持ってました。最初の巡業の際に赤井さんがいらしていたので上映会パンフのバグジュエルのイラストにサインを頂いたのを憶えてます。
サイコパスとか言われてるけど青春時代の思い出をずっと大事にしてるからそんな事ないと思うなあ
自称サイコパスで実際はサイコパスじゃない。ただの視野が深くて広い人の普通の意見。
岡田さん、ビジネスマンですねぇ~
本当すごい人はずっと走り続けてるなぁ✨
頭悪いのに楽して稼ごうとしてる能無しが臭いコメントすんなよ
ここのコメントの流れに思わず笑いました。絶妙なチャンネル名、辛辣な返し。最高です。
@@contarou5843 いきなり急降下過ぎて風邪引いた。何か辛い事あったの?
くそおもろれえや
最後のテレビの映像、もはや別人。
SF作品製作に憧れる若い漫画家は先人の残した作品への拘りというか掘り下げが異常すぎて、恐ろしくて描けないよねwそれとも逆にハードルを高くすることによって、選ばれた人だけが名作を生み出せるジャンルになってるのか
なんかこの人の話をいくつか聞いてると、多趣味博学すぎて両津勘吉に見えてくるwそれもすぐブチ切れず理路整然と捲したてるタイプの両津勘吉
なるほど両津勘吉か
そのこち亀おもんなさそう
両津のポジに杉下右京がいるって思うと面白そうじゃない?
江崎教授の発明で左脳が覚醒した時の頭脳派りょうさんみたいw
39年前の今日か、、時代だなぁ…なう(2024/04/15 19:45:27)
いい話だなぁ
サインがもう既にセンスありますね😊
このTシャツ今めちゃ売れそう
アニメ関係者ってあんまりこういうの話してくれないから、いろいろ言われてても面白いんだよなー
最後の大昔の映像、アナウンサーはヤマヒロさんなんだね。
うわー、庵野さんの描くMS見たかったなぁ。当時のデザイン画とか残ってないのかなぁ。
残ってれば画集を出して欲しい。
最後の「ズームイン!!朝!」の映像よく残ってたなぁ
庵野監督が逆シャアに参加してたとは知らなかった!
ガイナックスで受注してたらしいよ
庵野さんは航空機好きなんですよね‼️庵野さんがプロデュースした海上自衛隊のシリーズがあって、全部持ってますが、ものすごく航空機に力入れた記憶があります❤
岡田さん😮ひょっとして、ダイコン特撮の"スカ〜❤"の人ですか!!??高校生当時、友達に誘われて1度参加した田舎のコミケで偶然観たアレ、今だに好きなんですよ😂面白かった。忘れてしまったところは多いけど、"スカ〜❤"の笑顔は、そうだ、岡田さんだ😂😂😂アレの裏に、こんな凄いお話があったとは…あの楽しそうなお兄さんが、❝岡田斗司夫❞になっていたとは😲💥
この話最初になんかの本で読んだんだったかな。岡田さんが同じ店の前通りかかったら庵野さんが別れた時と同じポーズのまま固まってたとかそんな話だったような
DAICONⅢやⅣの時代か。福岡から安いフェリーで大阪に行ってた。
庵野監督、バイト先の家電屋で見かけた時ビビって記憶飛んだなぁ😂
前から思ってたけど岡田斗司夫って決してヲタクではないかなって思うたまたまヲタクが多くいる業界とコンテンツに身を置いて生態に詳しい頭の良い人ってだけのような気がする
2000年初頭のオタクイズデッドでも語ってる通り、それは現代人が考えてるオタク像こそ岡田斗司夫にとってはオタクではない、というパラドックスな認識の捩れです。あの時代のオタクからすれば岡田はオタクそのもので、趣味範囲が狭くて量だけ貪って消費するだけの今のオタクのような人種は一般人と変わらんのです。
T
現代のオタク像からすれば、岡田斗司夫はジブリオタクではあるね、
自分ではヲタクではなく「おたく」と言ってるぜ。第2世代らしい。
面白い仮説。だけどクレヨンしんちゃんのアニメの解説してたから、間違いなくヲタク。
ゼネプロ…懐かしいですね。「マットアロー発進命令」も庵野氏サイン入りで持ってます。桃谷にある逓信病院に2年半入院してました。
岡田さんがよく「自分には友達がいない」って言うの、仲良くてもバッサリクビに出来たり酷評したりするからなんだろうな。大抵の人は、友人だと思ってた人間にそれらやれると耐えられない。結果、業界人から憎まれるようになる。
高校生の時、SF仲間でゼネプロのカタログ誌を兼ねた同人誌?を見ながらワチャワチャしてた日々を思い出しました。マットアロー1号やセブンのウルトラアイのバキュームキットを買いましたね。帰ウルの進行に問題があって庵野さんが降ろされたことが書いてあった気がします(超うろおぼえ)。
みんな興味津々で楽しい内容でしたが端的に纏まりすぎて勿体ない気もしましたが切り抜きのせいかな?😢
今もこのシャツよく庵野展で売ってます。
岡田斗司夫とボンドルドは多分同一人物(笑)
「アンノは可愛いですね…」
赤井孝美のお楽しみはコレだったりして……大好きでしたww 補足ですが怪傑のうてんきは岡田氏主演ですよ
ゼネラルプロダクツ!懐かしいです。私が大学に入って大阪に住み始めて最初に行った所。お土産の饅頭持って行ってレジの方に渡したら、奥から岡田さんが「ありがとう~!」って返事してくれたのを覚えてます(笑)。
最後の映像を前フリもなくオチに使うのオシャレ過ぎる 笑
庵野さんのやらなくて遅れる気持ちもわかるし、赤井さんの進まんから、できるだけ言われた指示を再現したりして努力する気持ちもすごいわかる笑笑
この話いいなぁ…
みんな本気で取り組んだからこそ、こんなエピソードを懐かしめるんだろうな。
岡田斗司夫がサイコパスなのはクリエイターから嫌われ尽くしても尚、仲が良いかのように語れるメンタル
僕らは僕らなりの同じ様な事をしていたのが1989年平成元年です。その一年前に大学見学で、大日本と帰ウルを観て、ため息が出ました。僕らは映画を作る仲間達で何本か作りましたが中々納得いくものはできませんでした、
皆、映画業界志望でしたが、実際に映画のシナリオライターになれたのは福井晴敏氏の友人の竹内清人だけでした。
彼の結婚式の時、福井氏や樋口氏とお会いして飲む事が出来ました。富野氏や庵野氏の話も間接的に聞きます、僕ら昭和43年生まれはオタク第何世代でしょうか?
1.5とかでも嬉しいですが。
後に各方面で大活躍する凄い人達がアマチュア時代や学生時代には集まっていろいろやってたっていうタイプのエピソード好きだわ
なかなか生々しい話で面白かった 赤井さんが一番仕事してたんだね
二次創作の監督で挫折した人が公式ウルトラマンの監督にまで成り上がったのすげぇわ
監督ではない
総監督
その頃僕はサイエンスフィクション同好会を中2の時に創立し、SF小説やラジオSFコーナーを聞いていました。ダイコン3は旭川に行きそこの会場で上映会として、参加させていただきました。
同級生のメイアラシと後で漫画家になった高橋真と。僕の青春はスターログやジェイムスンシリーズや筒井康隆のジュブナイルや新井素子や、、ハヤカワ文庫、創元文庫や、やっぱりダイコン3が鮮烈でした!
ラジオSFコーナーの明日への扉はエアチェックして、フェリクロームのカセットにエアチェックして残っています。
ところで、、、ですが。ズバリ、
赤井くんバージョンで
シン•ウルトラマンを見てみたい。
ほんっと、かっこいいな。こんな時代に。たまらんね
庵野さんのイラストのTシャツ買いました。
ぬえデザインのパワードスーツだけど、庵野さん風に大いにアレンジされた絵が非常にカッチョ佳くて、40年も経ちヨレヨレのボロボロになっても捨てられずに持っています。
画像が出てこないのですが、なんて検索すれば出てきますか?
パワードスーツ シャツ庵野秀明 かな
庵野さんが首を宣告された喫茶店が健在で、私がしょっちゅう前を通っていた事を最近知ってちょっと震えました
なんて店?
僕もそのサイゼリヤよく行きます
立地が良いよねそこのコメダ
そこのスタバ雰囲気好きです
意外とそこのドトール混むんですよね
tシャツに込められたストーリーが壮大過ぎた
話に出てくる赤井さんの描写が、アオイホノオで作られたイメージそのまんまだ。
このエピソードだけ聞いたらただのダメ人間なのに、それを補って余りある才能ってのはすごいよなぁ
完璧主義の人間に期限の存在はは苦しいだけだと思う
@@123logtop2 金が動くんだからそれは通らんのよ
@@ラスティスマイレージ だから金を詰んで無理やり働かせても良いもの出来ないんだね
@@n2jiraiiak完成しないよ
無限に近く与えると高畑勲さんになる
当時のアニメや特撮の熱と才能ってすごかったんだな。
当時はどの業界も個人のレベル高かいのが当たり前だったらしいね。
奥さんも漫画家から注目しつつ
お二人の感性は庶民くすぐって惹きつける
とんでもない才能のかたまり
凄いわ😵✨番組に注がれていた苦労、工夫、メカデザインに込められている知識、解説😵✨子供や素人には分からない事沢山でした💦🙇♀️
桃谷のゼネプロにあった喫茶スペースでウーロン茶(茶菓子付)を頼んだら「今日ウーロン茶切れてて麦茶しかないんすよ」と言われた経験ありやむなく注文
「麦茶に茶菓子ってココ友達ん家かぃ!」と強烈に思い出深く、強烈な印象が残っています
あの麦茶を入れてくれたのは岡田氏かと思うとムネアツです 50円値引きしてくれたのも思い出しました
その時の少年は今50歳ですよ岡田氏
大きくなったね〜
赤井さん...。
赤井さん、本当にありがとうございました。
「まんが道」と並ぶ漫画業界マンガの傑作「アオイホノオ」(島本和彦)に庵野赤井山賀と岡田の出会いとdaiconまでのストーリーが描かれてます。「熱い思いを死んだ魚の眼で語る」岡田のキャラがすばらしい
この人のガイナックス時代終盤に、誠実で勤勉で優秀なプロデューサー・営業担当・財務担当をどっかからか引き抜いてくる所までやってくれてから辞めてくれていたら。庵野秀明は友達を失わずに済んだのだろうか。
昔、脱税でガサ入れされたとき、嬉しそうに国税Gメンをビデオ録画していたそうだから、そういう才覚はなかったと思われ。ちなみにその様子を見ていたアニメーターは当時月給5万だった。
@@es335ize 確認ですが、この人が優秀なプロデューサー・営業担当・財務担当であるとは私は書いてないので、引き抜く才覚がないと思われと仰っているのですよね。
実際にあり得るか否かを考えているというよりは、4ヶ月前の私はifを使って庵野さんの悲しみを想像しようとしているようです。
この人というのは、庵野氏ではなく岡田斗司夫でしたね。失礼いたしました。
脱税の話きいて庵野さんへの信頼がめっちゃ上がった。どんなときも動きの仕事に結びつける。
こだわりの強さを時間を掛けて形にして大成した側と、こだわりの強さより生産性を重視してビジネスに励んだけど頭打ちで人の作品を評論するだけになった側
今現在、口だけ動かしてるのはどっちで、手を動かしてるのはどっちかを考えたら感慨深いものがあるな
そう言われると本当に皮肉な話だなー。
一長一短でどちらが良いとか分からないけれど、庵野秀明の不器用さ、亀の歩みでもクリエイターとして生き続ける愚直さに僕らは心を動かされる。
これを20代の青年達が行動思考実行してたと思うと凄いね
とんでもない密度の10代を過ごしたんでしょうね
少年期の様々な思索が下地にあるのだと思います
@@99t66 おまえらがゆとり教育でボーッとしとるだけやで
なんで”20代の青年”なんて一括りにして上から目線で言ってんだろうな。君は年齢で判別してる子供だね
@@丸刈りいたでたーwww
モノと情報、娯楽が溢れる中ではそれを消費するのに手一杯で自ら何か創ろう変革しようなんて考えるのは一部の跳ねっ帰りだけなんよ
楽だし
誰かにとっての青春みたいなもの感じてなんか…すごくいい切り抜きだなと思った
17:19最後若き日の岡田さん?雰囲気ちが〜う、やっぱ落ち着くのね。
人間万事塞翁が馬ってことか。
あの場面ではそうするしか選択肢がなかった、と思いつつ岡田氏も心にしこりとして残ってる。
庵野氏はショックで動けなくなるほどの体験を経ることで変わったのかな。
それが良いことか悪いことかは後になってみないと誰にも分らないものだよね。
私はアニメーターとしてあの業界に入り、それでは食えないと制作進行になった者ですが
この話の当時の庵野監督と当時の岡田氏の言い分は双方共に理解できます。
その矛盾を振り切れずにあの業界を去ったのを思い出します。
お疲れ様でした。余生ゆっくりおうちで過ごしてくださいね。ね!ね!ねねねね!
佐々木丸正さんみたい
知れば知るほどすごい男の岡田さん。最初はなんだよ、この自称オタキングは?と思ったら好きなコンテンツあれもこれも作ってる偉人だった。てか庵野監督と違ってずっとオタに分かりやすい位置にいてくれるのがほんとすごい。
僕も最近「逆襲のシャア」を見て岡田斗司夫さんの偉大さを思い知った
まあ写真という設定はさておき、この絵を描いた2年後に、オネアミスの翼のあの一連のメカ作画が生まれたと思うと感慨深いものがある。
充実した時間でした!ありがとうです!
いいお話でした。
ありがとうございました。
シン・エヴァが完結まで散々時間が掛かった理由がよ―わかるな
なんかあると山口に帰ってきます。清掃バイト先の宇部空港でたまに見かけたなあ
クビ切りの経験があったから庵野秀明の才能が開花したのかもしれないね
結果的に良い判断だったのかも…
最後のズームインw
岡田さんだけじゃなく、話に出てた人も居るなかな?w
学生でマクロスを手伝いに行ったって逸話が本当に尋常ではない人物を表すエピソードだよね
と言うかマクロスの監督河森正治も慶応在籍中にTV版マクロスのメカデザインでバルキリーを生み出して演出もやって、慶応を中退した翌年に劇場版マクロスで初監督してますからやはり天才はどこか違うんでしょうね
@@空豆豆蔵
イーロンマスクもそうだけど
大学辞める事に躊躇がないのが
凡人とは違いますね🤔
行動力のある天才はヤバイ
@@ヤマト黒猫-j3s この時代の芸術系の大学は卒業までにやりたいこと決まって辞めるのが普通で卒業まで残ってるのは落ちこぼれっぽい感じって聞いたよ
老人Zの北久保監督は中卒でサンライズに入って、初仕事がファーストガンダムの動画だったらしいよ
@@空豆豆蔵 愛 覚えていますか 22歳監督? あり得ない天才
戦闘機の解説は流石という感じ。
コレ、むかし中学生の頃に買って、今も大事に持ってます。
17:17 衝撃のラスト!
なんとなくシン仮面ライダーに起こった出来事を理解できた
シン•仮面ライダーの制作ドキュメント見て、この話聞いてちょっと納得した。理想はあってスタッフの提案にダメ出しはできるけど、じゃあどうすればいいのか具体に提案してスタッフで共有できないところはずっと変わらないんだね…
岡田斗司夫さんと西和彦さんの類似点
同世代(西さんが2歳上)
実家が裕福
大学中退
仲間と企業
社長業が上手くいかず追い出される
違うところ
岡田さんはバツイチで子供がいる
西さんはマイクロソフトの初期に極東担当副社長で非常に大きな貢献をしている。
そのTシャツ、再販したら売れると思うの☆カッコいい。
岡田さんのズームイン!が誰よりもキレッキレ
このTシャツ普通にオシャレ
UTにありそう
思い出に浸ってる感じがしてなんか見てられる
色々言う人が居るけど、この動画はそういう事ではなく
最後の映像がすべて。切り抜き編集が素晴らしい。
懐かしい短編映像見た気分になった。
「帰ってきたウルトラマン」のOPは当時衝撃的でした。
マットアローのプラモどこからから出ないかなぁ。
最後の映像、貴重過ぎんか?w
ズームインww
ua-cam.com/video/mTwZIvEHcU8/v-deo.html
クラフトマンのマスター
@@torinomiya 狂四郎のかな?確かに似てるかもw
@@rtgmyfgr510 さん
当時録画していた人がいるんですね〜(笑)
コナミ上層部がメタルギアソリッドの小島監督を追放したように、いくら凄いクリエイターでも納期と予算を守れないと株主や会社が壊れていくから、そういう判断をしないといけないらしい。アップルコンピュータを追い出された社長もそうだった気がする。
帰ってきたウルトラマンが岡田さんの作品だったとは……
そりゃ当たり前なんだけど、絵がうめえよ
すっごくすてきなお話でした✨
すばらしいわ!先生ありがとうございます!
日本SF大会やってて、野田昌宏さんの会社に入るってことは、野田さんにスカウトされたのかな?
日本SF大会が21世紀になっても行われ続けてるのは、ひとえに野田昌宏さんが基礎作りをしてたから。
九州でSF同人誌をやってた大学生たちに会いに行って「次のSF大会は君たちがやってね」といった感じで、日本全国でSF大会が開催されるようにしてた。
日本テレワークは野田昌宏氏が作った会社だし。アニメやSFの実力者が催し物に出て来ていたから、次の世代のアニメーターとかが育ったのだろう。(スタジオぬえの石黒監督や矢野徹氏を見た)
まさかお二人がここ迄、大成し世界に影響力を与える様になろうとは当時のお二人を知る特ヲタの誰が想像した事でしょう!!?今後のお二人のご活躍にも期待しかないです!!🤔😂👍🎉🎉🎉
数々の名作の中でも一番好きで最高のヱヴァンゲリヲンを作った庵野秀明様は私にとっての神様
アスカを創り出してくれて本当にありがとう…
今までもこれからも最推しとして大切にします
貞本義行「」
ANNOの書き方センスしか感じないw
08:43 赤井作品やんけ まあゴジラとウルトラマンも監督は違う人だし、庵野さんは総監督がええんやろな
楽しく語れる青春時代があるから良いね。相手はいい思い出ではなさそうだけど。
庵野秀明さんのデザインはかなり好きだから庵野秀明デザインのMSは見てみたいw
サラっと述べられているDAICON4ですが、DAICON3に比べても更にとんでもなくクウォリティが上がっていて、業界的にも革新的な内容だったように思います。
最後の映像をサラッと使うのに、感動しました。
まさか伝説のニュース番組ズームイン朝!の取材を受けていたなんて……今まで知りませんでした。😔
岡田さん体型維持能力すげぇな
最後のインタビューシーンでインタビューしてるのが小林大作さんっていうところに時代を感じますね。
2000年くらいに桃谷駅の近くに住んでたけど、どのへんにゼネプロあったんだろう?
あんのは監督となり、こっちは他人の作品にチャチャをいれて日銭を稼ぐ。現実って残酷だ。
あれは23歳の頃だったか?
岡田さんが晴海のコミケでゼネプロのグッズ販売時のPRをしてる姿を思い出しました。
あの時ダイコンIIIのΤシャツやマグカップを買ったのを覚えてます。
リアリティ追求し過ぎるとアニメ作れなくなる(ファンタジーを残すのが必要なので)ので、富野氏がダメ出ししたのかな…と。でも後のエヴァではどちらも殺すかとなく巧い使い方していたと思います。
「ゼネプロ」「桃谷」、懐かしいです。そのころ私は岡山で大学生をやってましたが、時々桃谷まで買い出しに行ってました。一番のお気に入りは、アイスラッガーのキーホルダーでした。
もしかすると、それと気づかぬままお会いしてたかもしれませんね。
6:35 シン仮面ライダーのドキュメンタリーそのままですねw
スケール…タックファルコンは210m、ウルトラマンAが脇に抱えている絵が忘れられず、ウルトラ検定、間違えました。
中学の頃か・・・この店行ったことあるの思い出した。
ナイトオブゴールドのフィギアを買ってたわ。
懐かし。
庵野監督が降ろされて半日カウンターから動かなかったって話何回聞いても面白ぇ
あー、このTシャツ持ってたなー
DAICON FILMの巡業上映会が何度か地元に来たときにちょこちょこグッズを買い揃えたのでこのTシャツ以外にもマグカップや大日本のディフォルメフィギュアも持ってました。
最初の巡業の際に赤井さんがいらしていたので上映会パンフのバグジュエルのイラストにサインを頂いたのを憶えてます。
サイコパスとか言われてるけど青春時代の思い出をずっと大事にしてるからそんな事ないと思うなあ
自称サイコパスで実際はサイコパスじゃない。ただの視野が深くて広い人の普通の意見。
岡田さん、ビジネスマンですねぇ~
本当すごい人はずっと走り続けてるなぁ✨
頭悪いのに楽して稼ごうとしてる能無しが臭いコメントすんなよ
ここのコメントの流れに思わず笑いました。絶妙なチャンネル名、辛辣な返し。最高です。
@@contarou5843 いきなり急降下過ぎて風邪引いた。何か辛い事あったの?
くそおもろれえや
最後のテレビの映像、もはや別人。
SF作品製作に憧れる若い漫画家は先人の残した作品への拘りというか掘り下げが異常すぎて、恐ろしくて描けないよねw
それとも逆にハードルを高くすることによって、選ばれた人だけが名作を生み出せるジャンルになってるのか
なんかこの人の話をいくつか聞いてると、多趣味博学すぎて両津勘吉に見えてくるwそれもすぐブチ切れず理路整然と捲したてるタイプの両津勘吉
なるほど両津勘吉か
そのこち亀おもんなさそう
両津のポジに杉下右京がいるって思うと面白そうじゃない?
江崎教授の発明で左脳が覚醒した時の頭脳派りょうさんみたいw
39年前の今日か、、時代だなぁ…
なう(2024/04/15 19:45:27)
いい話だなぁ
サインがもう既にセンスありますね😊
このTシャツ今めちゃ売れそう
アニメ関係者ってあんまりこういうの話してくれないから、いろいろ言われてても面白いんだよなー
最後の大昔の映像、アナウンサーはヤマヒロさんなんだね。
うわー、庵野さんの描くMS見たかったなぁ。当時のデザイン画とか残ってないのかなぁ。
残ってれば画集を出して欲しい。
最後の「ズームイン!!朝!」の映像よく残ってたなぁ
庵野監督が逆シャアに参加してたとは知らなかった!
ガイナックスで受注してたらしいよ
庵野さんは航空機好きなんですよね‼️庵野さんがプロデュースした海上自衛隊のシリーズがあって、全部持ってますが、ものすごく航空機に力入れた記憶があります❤
岡田さん😮ひょっとして、ダイコン特撮の"スカ〜❤"の人ですか!!??
高校生当時、友達に誘われて1度参加した田舎のコミケで偶然観たアレ、今だに好きなんですよ😂面白かった。忘れてしまったところは多いけど、"スカ〜❤"の笑顔は、そうだ、岡田さんだ😂😂😂
アレの裏に、こんな凄いお話があったとは…あの楽しそうなお兄さんが、❝岡田斗司夫❞になっていたとは😲💥
この話最初になんかの本で読んだんだったかな。岡田さんが同じ店の前通りかかったら
庵野さんが別れた時と同じポーズのまま固まってたとかそんな話だったような
DAICONⅢやⅣの時代か。福岡から安いフェリーで大阪に行ってた。
庵野監督、バイト先の家電屋で見かけた時ビビって記憶飛んだなぁ😂
前から思ってたけど岡田斗司夫って決してヲタクではないかなって思う
たまたまヲタクが多くいる業界とコンテンツに身を置いて生態に詳しい頭の良い人ってだけのような気がする
2000年初頭のオタクイズデッドでも語ってる通り、それは現代人が考えてるオタク像こそ岡田斗司夫にとってはオタクではない、というパラドックスな認識の捩れです。
あの時代のオタクからすれば岡田はオタクそのもので、趣味範囲が狭くて量だけ貪って消費するだけの今のオタクのような人種は一般人と変わらんのです。
T
現代のオタク像からすれば、岡田斗司夫はジブリオタクではあるね、
自分ではヲタクではなく「おたく」と言ってるぜ。第2世代らしい。
面白い仮説。だけどクレヨンしんちゃんのアニメの解説してたから、間違いなくヲタク。
ゼネプロ…懐かしいですね。「マットアロー発進命令」も庵野氏サイン入りで持ってます。
桃谷にある逓信病院に2年半入院してました。
岡田さんがよく「自分には友達がいない」って言うの、仲良くてもバッサリクビに出来たり酷評したりするからなんだろうな。大抵の人は、友人だと思ってた人間にそれらやれると耐えられない。結果、業界人から憎まれるようになる。
高校生の時、SF仲間でゼネプロのカタログ誌を兼ねた同人誌?を見ながらワチャワチャしてた日々を思い出しました。マットアロー1号やセブンのウルトラアイのバキュームキットを買いましたね。帰ウルの進行に問題があって庵野さんが降ろされたことが書いてあった気がします(超うろおぼえ)。
みんな興味津々で楽しい内容でしたが端的に纏まりすぎて勿体ない気もしましたが切り抜きのせいかな?😢
今もこのシャツよく庵野展で売ってます。
岡田斗司夫とボンドルドは多分同一人物(笑)
「アンノは可愛いですね…」
赤井孝美のお楽しみはコレだったりして……大好きでしたww 補足ですが怪傑のうてんきは岡田氏主演ですよ