謎多き僧侶・南光坊天海が徳川家康に重用された理由とは?
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- Опубліковано 12 жов 2024
- ▼参考文献
南光坊天海の研究
amzn.to/489sBK5
徳川家康 人物叢書
amzn.to/433sNHs
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【目次】
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#歴史 #日本史 #大河ドラマ #どうする家康 #明智光秀
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15:08 三脳震盪は、山王神道ですね。この誤変換、結構好きです!W
天海は「怪僧」だと「明智光秀の成り替わり」だの散々言われていますけど、
解説動画を見た限り出自もハッキリしていて至極真っ当に頑張って働いてた人だったのですねw
家康ロスが続いていたから、またこうして家康関係の動画作ってくれたのはうれしいです😊
天海を詳しく解説して頂き、ありがとうございました。私は埼玉県川越に親しいものですので、天海のことをちょっと述べたいと思います。天海は川越の喜多院の住職で、川越が火事にあった時に、家光公が、尽力したとのことで、今の喜多院に、家光誕生の間、春日局化粧の間などがあります。江戸城から移築したとのことです。そしてその庭には「家光公お手植えの枝垂れ桜・現在は二代目なっているそうですが・・毎年春になると綺麗花を咲かせています♪
追、川越城は徳川の親藩でしたので、幕府のお偉方を多数排出していました。
特に有名なのが、5代綱吉公に使えた、側用人・柳沢吉保は川越城の城主でした。
謎の人物、南光坊天海がこんなに分かってきているだなんて、歴史って本当に面白いですよね。
次の大河ドラマ解説、楽しみでなりません。
武士道さんの特技は、分かり易く歴史解説をするところにあるので、不得意分野の平安時代でも、きっと面白い動画を作ってくれると期待しています。
謎多き人物のイメージがありましたが、最新の研究結果に基づく解説をして下さり大変わかりやすかったです。
武将だけでなく時代に合わせて活躍した人物を取り上げてくださるのはありがたいです。
武士道さんの声は聞き取りやすいですね!
ラジオのように聞いてたら、気づきました😊
師走や来年の大河の準備等重なり多忙の中、動画アップしていただき嬉しいです。
寒暖差が大きいので体調に気をつけてください。
明智光秀が天海ではないか?とかの説ロマンがあって好きです。でも、どんどん研究も進んで真実が解き明かされて行くことが歴史研究の醍醐味なのでしょうが…なんだか、寂しさもちょっと感じちゃいます…
武士道さんは、いつも大河ドラマの筋書きについて否定せず、こう言う解釈もありますよね、と言ってリスペクトして解説して下さり、偉いな〜と思って見ています。次の光る君も同様にご教示下さい。
天海=明智光秀という都市伝説がやたらと広まってるけど、結構分かってきていることあるんですね。“大 権 現 !”
この動画、とても興味深かったです!歴史って面白い!interesting!
権現は仏が神の形となって現れた姿というのが神仏習合の考え方ですね。
それでもやっぱり天海は光秀だったという伝説はロマンがあります。「麒麟がくる」の続編で見てみたい。
動画の解説で私の中で初めて天海が妖怪でなく人間だとわかりました。でも、それでも100歳オーバーは確実って凄いですねえ、並みの人物じゃあないわ。
「大権現」の神号ですが、実は清和源氏の祖(ウチの地元の守り神でもありますw) 源満仲公の神号は、「多田大権現」になってます。
ただ、送られた時期が贈正一位の頃と思われまして、家康以前か以後かはわかりません。もしかしたら、多田神社に進んで寄進した4代家綱以降かもしれません💦
私は、福島県会津若松市の住民です。地元では天海大僧正は会津高田町(現在の会津三里町)出身ということで有名です。会津三里町のイメージキャラクターに
は天海大僧正にあやかった『あいづじげん』が使われてます。起き上がり小法師の姿で、災害に見舞われても常に起き上がる姿で、会津に活力を与えてくれています!!
地道な研究って大事なんですね。
明智光秀なんかではないことまで
はっきり分かってしまう。
作り話製作者は見向きもしない情報でしょうが、
歴史好きには大事なことです。
ネタばらし時点ではなんで天海役が小栗なんだよ?と思いましたが、
放送を見ると
「吾妻鏡を紹介するから」
なんですねw
それなりに納得しました。
解説ありがとうございます、蘆名氏関係者なのは割と古い時期から言われてるのにむしろ光秀と結びついたのがいつなのか気になります。余談ですが義時を演じた小栗さんが三浦氏の末裔をやるってのは笑えました。
もう一つのどうする家康見て、私も檜尾さんに解説してくれたらいいな〜と思ってたので、嬉しかったです。ありがとうございました。次回も楽しみにしてます🎉
上野の寛永寺も、京都の北東にある比叡山に見立てて天海が創建したのですね。
金地院崇伝出しといて、天海出ないの、何で?と思ってたら、ここで小栗旬やったか~💦って感じです(松潤家康が出た「13人」の最終回つながり。小栗くんも出たいって言ってたので、可能性として、私は伊達政宗で出てくると思ってた)w
天海は三浦氏に繋がる蘆名氏の生まれらしいので、『どうする家康』に出すなら山本耕史さんが適役だったのでは……(八田知家のように見た目と年齢がかけ離れてることにして肉体美披露もあり
やっぱ歴史はおもしろいですね😊
今年もお世話になりました、また来年も
よろしくおねがいします😀
滝田版家康では竜雷太さんの随風が終盤で展開になりましたが、随風という名前に根拠はあったんですね!
竹千代が生まれたときから影に日向に見守り、助け、家康が死ぬときまで見た目が変わらず「いったいいくつだよ」というような謎の男でしたが。
会津高田駅近くに天海大僧正ご両親の墓というのがあるそうです。
そもそも天海明智光秀説の理由が説得力に欠けるものやあり得ない理由なので、99.9%ないだろうと思っていましたが、一つの説として議論するのには面白いですよね。
天海の生い立ちと生涯、結構はっきりしてるんですね!全然”謎”じゃないですね。
本来、真言宗と神道の合体である両部神道での祀りを望んでいた家康の意志に反し、天海が自身の宗派天台宗と神道の合体による山王神道で祀ったそうです。いかにもありそうな話で、他宗派ではなく、自派で神格化したかったのでしょう。家光の時代、”東照社縁起”という書の編纂で、家康の遺言として_必ず山王神道を守り他派を入れてはならない_と遺言を改変したそうです。それ以来、東照大権現はもともとの両部神道の神から山王神道の神にもなったと言われています。三代将軍家光は家康を非常に尊敬していたので、徳川幕府創始者のカリスマ性を高めるため、東照宮を荘厳に改装したのも、家康の格式を上昇させその末裔である己の正当性を論理づける点でも、重要だったのだと感じます。
訂正です。両部神道の神から山王神道の神にもなった です
解説、ありがとうございます!!
山岡荘八版家康での「随風」という呼び方自体は、それなりに歴史的根拠があったのですね。
「謎の前半生」が有名だけど、ここまで研究が進んでるんですね 勉強なりました
三河の一揆もあったし、寺社には家康も神経使ったように思えたりもしました
おもしろーい!
大権現をゴリ押ししたイメージだったけど
天台宗の日光で神になるから大権現だと言われれば納得しちゃいますね
お忙しいでしょうが崇伝の解説も期待してます
どうする版光秀が天海に転生しなくて良かった
『サクラ大戦』というゲームに
天海という悪役が登場していたが、
南光坊天海が謎多き僧であったことが元ネタだったんですね・・・
確かに最終ボスとしてでてきましたね。ちなみに『大久保長安』という江戸時代の奉行として有名な人物も後の『4』で有名な声優さんの声で敵として登場してましたね。
明智光秀に関しては美濃山中を逃げのび身代わりとなった人物の土地で過ごしたのでは?という説がでてきましたからね。天海=明智光秀せつはないだろけど、想像としては面白いですよね。
あの時代で100歳以上存命してる時点で当時の人からしたらある意味化物やろ
明智光秀論はおそらく創作なのでしょうが、明智平という地名も日光にあるし、歴史好きが想像力をかき立てるのには条件としては揃ってますね。義経が馬賊になった説とかも同じようなにおいが。
東照宮に何故か桔梗紋がありますし
天海が明智家と関りがあるのは間違いなさそうですね
天海の銅像、確か、川越、日光にありますネ、どちらも、行きました!😅😅😊
天海の詳細ありがとうございます!!私は光秀押しなので、色々わかってくると、やっぱり別人ですよね・・・ってなり、ちょっと残念です(笑)
今回の「どうする~」は、途中、瀬奈ちゃんの下りあたりから、「あら~」っと思ってしまったところもありましたが、新解釈でもいいのかな??!!!で結果最後まで楽しませていただきました。
来年の大河は今までにない平安もので、かなり楽しみです。小学生の時からなぜか偉人伝を読むのが大好きで、学級文庫にあった紫式部も何度も読みました(笑)
サムネの天海、小栗旬さんではなく岡田淮一さんに見えて・・まさか織田信長の生まれ変わり😁・・いや、信長存命中にとっくに天海はいましたね。
明智秀満と直筆が似てるとどこかで見たような感じがしましたが、違うのですね。なるほど。
もし天海=光秀だったら、「天海って奴、光秀やろ。」みたいな文書がたくさん残ってるはず。
山王神道は『山王一實神道(さんのういちじつしんとう)』の略称で、『山王神道』と表記されます。15分07秒の字幕に誤りがありました。
私の町内は天海さんの生誕の地となっていて町内住の同級生2人は徳川の末裔で葵の御紋が家宝です
天海は長谷川博己さんにやってほしかったな。「麒麟がくる」では光秀死んでないし。
明智光秀説の出所は何でしょうか。
事実はその通りでしょうけど、なぜ光秀説が出たかですね。
天台宗ファーストだった天海は比叡山を焼き討ちした信長が大嫌いで、光秀推しだったのかも、なんて考えちゃいました。それで明智平とかいろいろ暗号を散りばめたとか😊
天海のそれまでのイメージは「前半生が不明で齢は100を越えており、実は明智光秀かもしれない(諸説あり)」と言われていたことから「そりゃ、明智光秀=天海なら(本能寺の変の1582年で50歳と仮定すれば)100歳越えるよなぁw」と100歳以上生きたとするのは「天海=明智光秀説をとるならば」かと思っていたのですが実際に100歳を越えていたとは…
自分の死後神社建てて神になるってまんま秀吉と同じ事やったけど神になるの良いなぁって羨ましがってたんだろうか?
当時の価値観で言えば、神は畏怖される存在でもあるので、東北の伊達や上杉たちから江戸を守る守護神という意味合いが強いかと。豊臣が滅びたとはいえ、まだまだ外様大名への対応は予断を許さない状況です。
来年は、光殿の13人でしょうか?
座布団1枚あげますね
光秀=天海説が結構好きだったけど、家康と生きてたら100歳超えという人間50年とか言われてた時代じゃあり得ない生命力してたことになるのでまさかwと思いながらどこか期待してたなあ
徳川実紀だけじゃあれだから、もし本当に蘆名の家の出であるなら、蘆名家関連の史料とかに何かしらあれば確実性が増すんだけどな。
小栗旬さんがキャストされた理由はやはり大麻俳優ヤバい捕まりそうだったのでしょうか?
光秀公が天海説はあり得ない😢なぜなら江戸時代の人が今の時代の人より長生きしててギネスよりの長生きなので😢
大明神の方がいいです。