【くいこむように造営されたふたつの古墳】佐紀陵山古墳と佐紀石塚山古墳
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- Опубліковано 15 вер 2024
- 2022年に実施されたクラウドファンディング「古墳時代の大王が眠る! 佐紀古墳群を航空レーザ測量し真相解明へ!」は、無事目標金額に到達し、軽飛行機によるレーザ測量が行われ、2023年にオンライン説明会が開催されました。
このチャンネルではそのプロジェクトに出資し、チャンネル開設の目的だった「古代史研究のためのクラウドファンディングに収益を寄付したい」という夢をかなえることができました。
今回のこのシリーズでは、レーザ測量が行われた古墳を、実際に歩いて巡ります。
第5回は、佐紀陵山古墳と、その西側に隣接する佐紀石塚山古墳の周辺を歩きます。
佐紀陵山古墳の後円部西側は、佐紀石塚山古墳の前方部と後円部のくびれ部にくいこんだような形になっています。このふたつの古墳は、なぜこんなにも近くに築造されたのでしょうか。
さまざまな説がありますが、築造時期は佐紀陵山古墳のほうが早いとされており、それよりあとに築造された佐紀石塚山古墳が、佐紀陵山古墳を避けるようにして造られたのは、同じ尾根筋を利用して造られたふたつの古墳が、尾根の幅いっぱいに造られたからだという説もあります。今回は、その尾根筋の高低差を実感しながら、佐紀陵山古墳と佐紀石塚山古墳の間の道を歩きます。
#佐紀古墳群航空レーザ測量速報成果資料集より転載
#佐紀陵山古墳
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#成務天皇
#日葉酢媛命
#佐紀古墳群
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/ @tezukayamakoukogaku
ブログ「梅前佐紀子の古代妄想日記」
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梅前佐紀子・著 「皓月 皇極・斉明天皇物語」全3巻
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いつも素敵な動画をありがとうございます。 梅前さんのナレーションが好きです。 2月も本日で終わりかと思ったら、今年は閏年でしたか。3月は明後日からですね。 (CAM)
いつもご視聴ありがとうございます♪ 明後日から3月ですね。いい春になりますように。
本当に勉強になります。まるで自分が歩いているようで臨場感一杯です。丁寧な解説も役に立ちます。有難うございました。
>まるで自分が歩いているようで臨場感一杯です。丁寧な解説も役に立ちます。
嬉しいお言葉、ありがとうございます。これからも頑張りますのでよろしくお願いします。
感激です。大好きな佐紀古墳群、一緒に歩いているような臨場感でした。早速チャンネル登録しました。よろしくね😃
チャンネル登録ありがとうございます♪ 今後ともよろしくお願いいたします(≧▽≦)
希少な情報ありがとうございます。佐紀陵山古墳は以前から行燈山古墳(現崇神天皇陵)と相似形ではないかと言われておりましたが、今回の航空測量では周壕とそれを分ける突堤の形までよく似ているので行燈山古墳の次に作られた天皇陵だと思います。
大変貴重なご教示ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
ふたつの古墳が隣接している理由。全く同じことを考えていました。また、古墳の壕って墳丘の土取りで掘られるようなものだがら、もともとの尾根を利用していることもあって、壕も細くて済んだのかなと予想しています。
ハルキー先生ご教示ありがとうございます♪ 最初からあの尾根の上には古墳をふたつ造る気でいたんでしょうね。どちらも尾根の中心からずれてますし……。ということは、夫婦か親子の陵墓だったのでは?などと妄想しております。(少なくともおばあちゃんと孫ではナイ)
@@umemaeSakiko 当時はまだ夫婦よりも親子兄弟の気がするので、成務と五百城入彦? 成務と八坂入媛? いろいろ妄想してしまいます。
いつも楽しく拝見しております。
佐紀陵山古墳の大型埴輪、石室を含めた主体部の構造、前方部の幅が狭いことから、メスリ山古墳から何らかの影響を受けているかも知れませんね。
殉葬については、古墳時代初期の古墳から主体部に従属する埋葬施設として出土している、特殊器台の流用も含めた円筒棺が可能性として考えられないでしょうか。円筒棺は古墳以外の遺跡や、後の古墳からも出土しているので、根拠に乏しいですが・・・
メスリ山古墳。貴重なご教示ありがとうございます!
殉葬については、石室に埋葬された被葬者でさえ骨が残るか残らないかなので、ましてや周囲に葬られた人の痕跡は長い歳月の間に消し去られてしまう可能性が高いと考えています。円筒棺についても貴重なご教示いただき感謝です。
ご返信ありがとうございます。
今日から3月ですね。東大寺二月堂では修二会本行が始まりました。
今年は4年ぶりにお堂の局で聴聞できるようですので、5日の夜は過去帳の読み上げで「青衣の女人」の声を聞き逃すまい、と皆さん待ち構えてらっしゃったのではないでしょうか。
まもなく奈良に春がやってきます。
散策日和ですね。
埴輪は殉葬者の代わり、という話ですが、実際に殉葬の例って考古学上の証拠はあるのでしようか?
文献史料としては、ご紹介し『日本書紀』があるのですが、実際の発掘で古墳の周囲から人骨という話は聞いたことがないです(私の勉強不足かもしれませんが)
天皇陵を発掘すればもしかしたら出てくるかも、ですが……。
こんな連立形状の古墳も有るんですね。面白かったです。
動画中に、平安時代の盗掘の話が出て来ましたが、盗掘して古墳内のどんなモノを持ち出そうとしたのだろうか? との疑問を持ちました。そもそも持ち出そうとしたのかも分かりませんが、持ち出した物が有ったとして、それをどうするつもりだったのか。平安時代から、考古学趣味だか骨董趣味だかとして、発掘遺物を収集する好事家が居たのだろうか? って事ですね。
中国の古代には、上流階級の墳墓に副葬品として高級調度とか絹などの布地・璧なんかを埋葬者の傍に置いたとかあって、其れを狙った墓荒らしなんかが暗躍してたってのは聞いた事が有りますが、日本の古墳にそこまで即金目の物ってあったんだろうかとか。
古物商は存在したんだろうけど、古墳の埋葬品と成ると、古物として扱えたのかどうか。
>盗掘して古墳内のどんなモノを持ち出そうとしたのだろうか? との疑問を持ちました。そもそも持ち出そうとしたのかも分かりませんが、持ち出した物が有ったとして、それをどうするつもりだったのか。
確かにそうですよね。
詳しくはわからないのですが、目当ては副葬品そのものより、その素材自体だったのではないかと思います。高松塚古墳でも、太陽が描かれていた金箔をはがした形跡があります。なので、副葬されていた鏡などは、溶かされて銅とか錫などとして売られた可能性がありますね。中にはその形のまま売り買いされたものもあったかもしれませんが。
石塚山は後円部の埋め戻し跡とは別に前方部の先端も一段多く土を盛ってるのが分かる。これを見ると古墳の主の被葬者とは別にもう一人かそれ以上の人数が埋葬されてる可能性が極めて高い。そもそも有力者の古墳には被葬者の兄弟姉妹や子息を後から追加で埋葬するのが一般的で、他の大王墳でもその痕跡が確認できるとか。
石塚山古墳前方部の高まり、気になっておりました。なるほど、その可能性ありますね。大変貴重なご教示、ありがとうございました。
@@umemaeSakiko より詳しい事は古墳の埋葬形態について研究した清家章氏の『埋葬からみた古墳時代』が参考になると思います。
こんばんは😃🌃
こんばんは~(≧▽≦)
田んぼ
意外に知らない
古墳の数は兵庫県がNO1
しかもダントツ
陪塚て私有地が多いのですか?
どのような経緯で私物になったんやろ?
俺も欲しいなぁー
兵庫県、古墳がダントツで多いんですね!勉強になりました。
古墳が私有地になっている場所、結構多いです。古墳の上が畑になっていたり。そこが古墳だと知られていない時代から、作物を作っていたのかもしれませんね。私も古墳ひとつほしいです(笑)
現代にも多数あるのはため池として農業に利用が多いということでしょうか。つまり、①池が付属している古墳、②池が付属していない古墳、③ため池のみ、と分けられるのではないか。特に兵庫県の播州はため池が多いこと有名です。また、古墳に付属する池が現代でも利用されているのか興味があるところ。「古墳の台帳」「ため池の台帳」があれば興味深い。
説明に該当する画像をお入れになるのは面倒ですか?
同じ画面で様々な魅力的なお話されても…。