Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
コンクール=登竜門=スター誕生=一流のプロです!みたいな変な構図になってますね。世に知られる第一歩としては確かに便利なツールですが後が続かなかったり消えていくパターンも多々あり中々にその開催の意義を問われるのは確かかと思います。マスメディアによる話題性作りの『イベント化』も是非を問われますが最終的には参加者本人のその後の研鑽と努力次第で素晴らしい演奏家や教育者にもなる可能性もあるのであくまでも1つのきっかけとして見守って行く聴く側の姿勢も問われるかと思います。そんな中で素晴らしい音楽性や教育者として成長してくれる人達が増えたら素晴らしいですね。1980年ショパンコンクールでのアジア人初優勝を飾ったベトナムのダン・タイ・ソン氏も当初は一躍大スター扱いでしたが以降様々な研鑽と数々の舞台経験からピアニストだけでは無く教育者として優れた才能を発揮しブルース・リウを世に出した功績って意外に知られてないのが残念です。
以前大フィーバーしたブーニンは報道されないから落ち目になったと言われて久しいけれど。落ち目になったのではなく世界中を飛び回るより静かな生活を選択したのだと思いますベルリンの壁が壊れ、亡命して苦労されたことをどこかで読みました。そういえば最近久しぶりにドキュメンタリーで彼の姿を見ました。マスコミは演奏家をアイドル扱いをするのではなくてもっと別な角度でアプローチしてほしい。
いい…実にいい。 コンクールでの優勝者が天下をとったような報道並びに称賛者の声に違和感を感じてた。上手く表現出来ず、もやもやとした思いがスッキリしました。ありがとうございます♪
この前、ホテルのレストランで、ピアノの生演奏を聴きました。予約の時、ピアノに最も近い席を要望。(笑)音大を出たばっかりのピアニストさんが、ショパン、リスト、ドビュッシーなどをアップライトのピアノで、演奏されていました。めちゃくちゃ良かったです。感動しました。ピアノのすぐ近くなので、反響版の振動が、ガンガン伝わってくる。一方で、前回のショパンコンクール2次予選に出場した日本人8人のうち、7人は、聴きましたが、協奏曲は良いとして、リサイタルで、ホールの後ろのほうの席だと、レストランの生演奏のほうが、良いかも? しれないです。
有名な国際コンクールは究極のオープンオーディションですね。バレエなんかは特にそうです。そこで選ばれた若い芸術家がその後どう育っていくか、同時代を生きる聴衆・ギャラリーとして成長を見守りたい、そんな機会を得られたことを喜びたいと、私自身はそんなふうに思っています。チョソンジンにしろブルースにしろ、彼らが真のヴィルトーゾになるまで自分は長生きできるかわかりませんが、新しい才能が磨かれていく姿を見られる、聴けるのは本当に僥倖です・・・20年前も20年後も、その僥倖をその時代の聴衆は分け合っていくことができるのでしょうし、芸術の愛好家がコンクールで若き芸術家に出会うことは、そんなよろこびを得るチャンスの1つとも思います。ピアノについて、日本では子どもの習い事として触れる機会が多いせいか、ピアノコンクールには関心が高いのかなと思います。有名ピアニストさんのコンサートも圧倒的に女性客が多いですし、習い事の形ですそ野が広がっているのかもしれません。(これもバレエと一緒です)すみません、話が散らかりました m(_ _)m
以前からもやもやしていたことが、少しはっきりしました!コンクール、特に国際的なものにチャレンジする若者に過度に注目するのは、日本に有りがちな風潮なんですね。近年ではコンクールと名の付くものがたくさん出てきてびっくりしますが、ファンとしては、やはりその後の息の長い活動を応援して見守っていきたいです。
「どんなに力があっても魅力的でも世に出るきっかけになる事柄が無い」と表舞台で活躍することができないキビシイ世界なんだとも思います。かのカラヤン氏が自身世に出るまで苦労した経験から、その「きっかけ」を作るために「カラヤン・コンクール」を設立した事は有名ですね。
すばらしい内容で、今回も非常に勉強になりました!世界を飛び回るのも良いが、一つの場所に留まって、そこで演奏を続ける人生を選択するのもすばらしいんだなあと思いました😊
私はコンクール無縁で成功した 五嶋みどり🎻のような音楽家に惹かれます😊
たしかに、おっしゃるとおりですね。反田さんは、ショパン国際ピアノコンクールに入賞され、注目されましたが、そのことにおごれることなく、日本の若い方々のオーケストラを作って、育成に力を入れておられますね。凄い方だと思います。自分が、音楽を通して、何を伝えたいか、これが、しっかりしている方が、凄いと思うのですが。お菓子、美味しそうですね。
車田先生はじめまして以前から楽しく動画を視聴させて頂いております今回のお話し、とても私の中で腑に落ちる内容でしたちょうど昨日、かつて世界的3大コンクールで優勝した経歴を持つ方の演奏会に足を運んだのですが私の心に訴える演奏ではありませんでした先生のお話しを聞いて大切なことは自分の耳で聞いて決めることだと思いました自分の好き、を信じてこれからも沢山演奏会に行きたいと思いますこれからも、先生のお話しを楽しみにしております長文失礼致しました
今日のテーマとは意図が違いますが、10年以上前に浜松のピアノコンクールの一次予選を毎日聞きに行ったことがありました。これは面白かった。そう、甲子園の高校野球の一回戦をずっと見てるようなものだと思いました。その時最年少で優勝したのはチョ・ソンジン君。彼の活躍を今も応援しています。
車田さんのお感じになっていること、深く共感しております。コンクールというものがとても表面的に捉えられいて、確かに順位というのは多くの方々にとってわかりやすいことですが、本当の価値や意味は何処かに置き去りになっていてとても虚しいものに感じることが多いです。またコンクールが多すぎる問題について、いつか車田さんのお考えも伺いたいです。音楽を愛し、音楽と共にある人生を愛していらっしゃる方と感じていますので、是非これからもこのような発信を続けて下さい。
車田先生のお話しは、どの回もとても興味深く、勉強になります。ありがとうございます。今後も楽しみにしております。
今回も興味深く拝見しました。10年くらい前に日本で騒動になったゴーストライター事件をご存知でしょうか?耳の聞こえない作曲家として活躍していたS氏が実はペテン師で、実際に作曲していたのは超優秀な作曲家ピアニストのN氏だったというものです。あの時もメディアはS氏に対して「ベートーヴェンの再来」とか持て囃し、作品そのものよりも感動ストーリーに人々は飛び付いた印象です。N氏の告発により事実が露呈し、メディアは詐欺だと怒っていましたが、作品自体の素晴らしさは変わらないのに…と悔しい気持ちになりました。本当は聞こえているのに聞こえないと嘘をついたのは良くないことだけど、その設定があったからこそあんなに注目されてクラシック音楽としては異例の売り上げになったわけで。色々なことを思い知らされました。日本では感情が重視されますよね。「情に厚い」とか「情にほだされる」とか、情に関する言葉も多い。日本人が論理的思考や合理的思考が苦手と言われる所以は、良くも悪くも感情が優先されるだからだと思います。
ショパンコンクール日本人が入賞したら大ニュースになってましたが、日本人入賞者ばかりの報道で1位は報道しないので誰が1位だったのかしばらく知りませんでした。
😳
優勝はスタートでゴールではないんですね!情報を食べるという感じはよく分かります。有名な三ツ星シェフが作った料理といって出されれば美味しい!と感じる可能性があります。違いが分かる人間で居るためには、案外目を閉じて音楽だけに耳を傾けじっくり聴く、というシンプルな方法が一番良いのかもしれません。そんなに有名な人の演奏でなくても、自分自身にとってはしばらく口も聞けなくなるような感動する演奏に偶然出会えたりすると、本当に音楽聴いてきて良かったなと思います。
☺️☺️
ピアニストのアンドラーシュ・シフが、著書の中でコンクールへ疑問を投げ掛けていて、なるほどと唸ってしまったことを思い出しました。音楽は芸術なのか?スポーツなのか?何かのために音楽をするのであって、何かに敵対するものではないと。でも最近のコンクールビジネスは、スポーツ的な弾き方を後押ししていると(音楽性よりテクニックやパワー面を評価することだと解釈しました)。で、そういうコンクールがグローバルに盛り上がることで、スタイルの画一化が助長されてしまうと。あるピアニストがショパンコンクールで入賞するために、過去のコンクールの入賞者の演奏を全て聴いて、審査員がどう評価したかを分析し、どう弾けば入賞できるのか研究したというエピソードに、ふむ、と感じたことも思い出しました。難しいですね。これからという若手にとっては、コンクールに出て注目されることで演奏機会が増えて音楽家として食べていけるわけですし。有名コンクールで優勝したある若手ピアニストは、芸術に勝敗をつけることは反対だが、コンクールは必要悪。出て入賞しないと演奏機会が得られない、と葛藤を漏らしていました。そこでシフは、国際的な「フォーラム」という形で若手への演奏機会を提案したり、よい演奏家を発掘するためにマスタークラスを頻繁に行ったりしているんだそうです。出来上がってしまった今のシステムを変えるのは至難の技かもしれませんが、シフの考えに同感しました。それには聴き手である私自身が感性を磨いて、メディアに惑わされないよい耳を持たなければいけないのだなと、改めて思っているところです。
ちょっと意地悪な見方をすればシフは、コンクール向けではないし勝つことは難しい。
心惹かれる内容のときだけ拝聴してます。すみません。どんな演奏をしたか? どんな音を出したか? これに尽きるとおもいます。ピアニストの前に一人の人間として楽譜をどんなふうに理解したかを表すのがピアニスト。ただバリバリと指で速く弾きこなすのではないと恩師に数十年前に伝え教えてもらいました。音校のまま育っていたら今ピアノは嫌いで弾いてないと思います。経緯から興味を持って拝聴しました。
日本は、「肩書」が好きだから、中身はどうでも良いイメージかな。本当の価値がわからないのかもしれない。
😢
たしか文学賞のアイロニーに、高村幸太郎の道程をパロった「賞の前に金はない 賞の後に金は出来る」ってのがありましたっけ。音楽も同じwクラシックに普段なじみがない人が何か聞いてみようと思ったら、お墨付きがあるんだからきっと素晴らしいんだろう、と考えるのは仕方ないでしょう。日本のクラシックでは「○○大学出身○○コンテスト受賞誰それに師事」を強調して、だからいい!って宣伝しますしね。そうしないと多くの人に届かない。メディアが作った人気演奏家には人が集まりますが、ほとんどの人はそれ以外を聞いているわけでもないのでねぇ。友人に音大やコンクールと無縁のギタリストがいますが、まずは実演聞いてから判断してもらいたいものです。
日本ではクラシック音楽を芸術としてではなく一つのエンターテイメント(芸能ネタ)としてとらえられる傾向にある気がします。これは全てではないですが、メディアの影響が大きいですね‥芸術性は二の次で話題があって売れて儲かればOK👍みたいな? たまに日本人はショパンとラ・カンパネラとベートーベンは第九と月光、熱情、悲壮しか知らないのか?とさえ思ってしまいます(笑)地方で支援者に支えられながらクラシック音楽をもっと身近なものにをテーマに色々な楽曲を手頃な金額で提供してくれる楽団員の皆様を私はこれからも足を運んで応援したいです❤
👍☺️☺️
プロ野球と甲子園の例えがわかりやすかったです、さすが車田先生✨コンクール優勝🏆なんて聞くとめちゃくちゃすごく感じますが、そもそもはプロになるための登竜門なんですものね‥‥教えていただいている先生が「小さい頃はコンクールにこだわる必要は全くない」とおっしゃっていた真意を改めて感じています。
最近では世界のコンクールも配信があり予選から一般人でも聞くことができて大変ありがたいです。 その中で、自分なりのお気に入りの演奏家を見つけその後もずっとフォローするのが趣味になってます。 おっしゃるとおり、この世界も露出や演出、バックアップがないと実力だけでは難しいんだろうなと想像はつきます。、自分の周囲でも○○さんは▲▲コンクールで優勝したとか入賞したから凄い人と経歴だけで言う人もいますが、ちょっと残念に思うときもありますね。 あと、皆さんやっぱり刺激が好きなのかと・・・。笑
私はショパン国際ピアノコンクールをピアノ界のオリンピックと勘違いしてしまっていました。すごく勉強になりました。ありがとうございます巨匠と言われるピアニストの方々のリサイタル是非行ってみたいです
順位を決めなきゃ過度な報道はなくなるかも?と思います。それではコンクールにならないか??コンクールの公開を聴きに行くのはなかなか面白いです。若さとひたむきさがあって。同じ曲だと演奏の違いもよく分かり、誰が残るか?予想するのも一興。あまり小さな子のためのコンクールは子どものためになっているんだろうか??と思います…
コンクールは不透明な発表会で年度の質量も違うから大変ですね。実力や本人に器がなければ才能も壊れやすいから良くも悪くもあります。ほんとうに、お話が多面的で深く、上手でいつも驚きます。成し遂げたいショーや体現したいのもを明確に活動していく芸術家が増えることを望みます。全く見えないし、公言しない。しても聴こえてこないだから、娯楽に肩を並べれないのかと思います。凄い会場と、音響や楽器があるので、何かに劣ることはありえません。しかも、日本のお金持ち老人や国際的なメジャーさ。これを利用して、最高の娯楽にできない音楽家はイメージが足りないのかな。特に日本は、天才は凡人に合わせて生きてしまう良くも悪い風土がね。本当の天才は、合わせたまま埋もれるに違いない。
将棋の藤井くんの将棋の内容より勝負飯がテレビネタになるのと同じ現象ですね 一般人は内容なんて理解出来ないのです 何が素晴らしいのかが
気持ち的におおいに賛同します。コンクールというのは、コンテスタントのためのイベント。世に出るための一つの道筋。周りがはやし立てるような雰囲気には違和感覚えます。それに、コンテスタントのなかには、自分は出たくないけれど親や先生に尻を叩かれて、いい賞を取るまでむりやりあちこちのコンクールに出場させられている人もいると聞きます。そういう話を聞くと、なんか複雑な気分になります。ついでに、感覚的なことを言えば、コンクールの演奏ってなんか妙なわざとらしさを感じることがあります。「自分が作りたい音楽」でなく、「いい評価をされる演奏」。すくなくともリサイタルで聴く演奏と微妙に違う。
僕もオリンピックと勘違いしていました、、笑。甲子園とプロ野球の例えが物凄く分かりやすかったです!コンクールといえば、リパッティはコンクールで優勝出来ませんでしたがコルトーが才能を見出して活動をサポートした、話が浮かびます。才能のある若者が誰かの目に留まる機会としてコンクールがあるのは素晴らしいことですね♪
日本人コンクール好きすぎる謎。コンクール動画からお気に入りの新人(?)を見つけるのも楽しいです。
コンクールがオリンピックみたいな世界一決定戦だと思っていたというコメントが少なからずあってびっくりしました。年齢制限のある、若手の登竜門だということを伝えるのが思いのほか難しいのは、それだけ「その後」の方に目が向けられていないということなのでしょう。世界中でも高校年代のスポーツをこんなに注目してる国はなかなかありませんが、プロ野球がないがしろにされてるということはないはずです。一方でクラシック音楽がどうかというと、30代で引退というような世界ではないだけに「その後」の扱いに不安を覚えますね。
大好きなパスタ屋さんで配信を見させて頂いてるうちに、わからないけど涙が出そうになりました。全く私には国際的なキャリアもなければ、今回の配信の内容と少しズレているかもしれませんが、コンチェルトを演奏する機会があったときに、私にはこれといって有名な日本のコンクールでの受賞歴がなく、プロフィールを書くのが恥ずかしいと思ったことがありました。今、私は40代後半です。私がなぜピアノを続けていたいのか、お客さまに聴いて頂きたいのか、車田先生の配信で、あらためて考える事が今できて、ほっとしました。配信とズレてるコメントで失礼いたしました。気持ちが楽になりました!
お客さまの心に届く演奏をめざしてがんばります(^^)
生命を賭けて生涯伝えたい事がありましても方法がわからずそのうち萎えてしまうことはよくあります。その中で皆が注目しやすく判りやすい世に出るきっかけを作るのがコンクールの賞歴。コンクールシステムが業界の成熟化を押し上げ賞歴が世間に説得力を持たせる判りやすい力でした。ただどんな芸術業界も戦後,成熟の先の問題を抱えており頑なに時代と乖離していると感じます。その中で今後は影響力の在り方も多様化すると思います。長文にて失礼しました🙇♀️😍💕💁♀️
コンクールで、1位になったとしても、そこから先の精進が大切などかと思います。
こんばんは。30年ばかり前にショパンかチャイコで優勝したブーニンのコンサートを企画したのは日本でしたね。発売と同時に完売して大騒ぎになりました。それでテレビも特別番組を組んだようでした。今日のお話を聞いて思わず笑ってしまいました。コンクール優勝はスタート地点ってことを知らずに企画を組んだとは思えませんから、だましたんでしょうね。かわいそうなブーニンはピアニストとして活躍することはできませんでした・・・
小説の新人賞みたいなものでしょうか? 賞を取れれば世に送り出すけど、売れなかったらサヨナラ。勿論、売れるかどうかは保証されてない(当然ですが)。
甲子園とプロ野球のたとえ、非常によく分かり腑に落ちました。また○○産の小麦云々のお話、自分の舌と耳と頭を信用できるような人生を送りたいものです。
コンクールってサッカーだとunder23に近いもののようですね。小澤征爾のブザンソン指揮者コンクールも、小澤さん以外で話題になったことはありませんものねw
私は、クラシック音楽をあまり知らない人には、「コンクールはM-1みたいなものだよ。」と説明しています。既に売れている芸人は出る必要がないし、年齢制限もある。今まで無名だったミルクボーイが一躍有名になったように、そういう若手を発掘するものなんですと。おそらく、車田先生には、この説明、訳分からないと思いますが、これで多くの人は納得してくれますね。
なるほどね、と思えました。つい、コンクールで賞を取った人がいい演奏家なのだと思っていました。でも実際聞いているとその違いはよくわからなかったりしました。ショパンコンクールの動画を見ても、どの人もみな上手で違いがよくわからないので、つい賞を取った人が上手なのだと思おうとしている気がします。自分の心に響いた音や音楽、これが好きという感じ方でもいいんのかなぁ、と今日の動画を見て思いました。
😅
今日この日の誰々の演奏会は、おそらく今年最上級の演奏の一つであろう、こんな記事が新聞で読めたら感動的です😊四国の地方都市でも、世界的な演奏家が来県して下さるので、スルーするのはもったいないよ😅
いつも大変学びあるお話をありがとうございます!車田先生、私はヴァイオリンのピアノ伴奏をしています。伴奏者の事を車田先生の視点からお話聞きたいです。いつかよろしくお願い致します!!!
音楽は心で聴くものなんだと思いました。
コンクールについてですが一言で言うと音楽を競技にしてしまった。「競技」です。演奏会はその人の演奏を聴きたくて来ている観客ですがコンクールでは審査員含めて全員批判者です。受ける人はその違いを解っていない人が多い。後コンクール自体も昔とは変わって来ています。昔はカリスマ性、凄みのある人が多かった。今は多くの人が受けすぎる為課題を多くして器用な人、頭が優先の人が選ばれてしまう部分があります高度な学校の試験の様です後メディアですが例えばふじこさんの放送を観た人はメディアによって作られた映像なのです。プロのライティング、MC.によって錯覚してしまうと思います後クラシックの演奏会のチラシを見るとやたらと履歴を並び立てる。たまに笑ってしまう時があります。これは観衆の率直な判断を阻害するだけで意味の無いものです。よくディナーにいって、やたら産地と前置きが多いと素直な味覚を信じれなくなる様なものです。今の世の中昔と違い多種多様な娯楽があり、余程感動させてくれないとわざわざ高い入場券を買って演奏会に行かないですよ。ただマニュアル通りに弾いただけでは2度と足を運びません。最後に子供のコンクールに必死になっている人は、コンクールの持つ博打的な部分にはまっている様に見える。私は日本在住だから欧米の事はわからないが、何処の国も同じなのか?はたまた日本人は競争が好きなのか?賞を取る事だけを評価している指導者とその生徒、何か変ですねこのタイプの人は参加料とレッスン、セミナーには金を使うが本当の良い演奏会にはまず行かない。何の為にやっているのか理解不能ですね。末永く一生、他の仕事を持ちながら趣味で過ごすのも良い事と思います
クーゲルン、娘がウィーンに留学していた頃、何度か行った際にお土産によく買っていました。あのペーストはマロニエ(日本の栃に近い)ですね。新しい味があるんですね。機会があれば試してみたいです。ウィーンには、コンスタンツィエのはなかったけれど、シシィ(エリーザベト)のはありました。チョコの中に栃餅の風味がする餡が入っている感じ。さて、コンクールについては、娘が中学生の頃から出ていた某学生音楽コンクール(いちばん有名な)で全国大会で入賞しましたが特に将来には繋がらず、その翌年の初めて受けた大人のコンクールで入選した時も大学の特待生になったくらいで、将来には繋がらなかったように思います。さらに、留学中に受けたコンクールでは、あからさまに審査員の関係者以外は入賞から排除されていたり、某ドイツのコンクールで優勝したけど日本では全く見向きもされませんでした。しかし、コンクール優勝後は、オーディションを受けたゲヴァントハウスやその他多数のドイツのオケから招待が来るようになったそうです(受からなかったけれど)。今、彼女は日本のオケで首席奏者になっていますが、日本ではコンクールを過大評価しがちと言っており、実際に日本でいちばん権威あるとされるコンクール優勝者が某オケの試用期間で落ちたりしています。車田さんのおっしゃるとおり、コンクールは若い人が世に出るきっかけになりますが、出発点でしかないと思います。何十年も前に、故中村紘子さんがクリスティアン ツィメルマンがショパンコンクール第1位になった時、素敵な人だけど、これからの研鑽ですねと言われていたのを思い出しました。優勝しても研鑽を積まなければ今のツィメルマンにはなれないのですね。
「〇〇産の小麦」引用して頂いて感激です。そもそも音楽は競技ではないので、優勝だとか入賞という順位づけはプロへのスタートラインに立つ為に便宜上行われていると理解しなくてはいけませんね。情報やメディアの煽りに惑わされず、音楽の本質を聴く耳を持った聴衆が増えることを望んで止みません。
勘違いしている人間にいつも言っていた事を言ってもらえてスッキリw 自分も、日本人に通じる話でと考えて、やっぱ甲子園で例えちゃう。(๑¯ ¯๑)
コンサートのチラシとか見たら、ソリストには必ずコンクール歴が書いて有るからね。小さなコンサートだと「越谷市民オーディション○○」とか書いてあってて、そこまで肩書き大事か~と驚いたことがある。
ある金管楽器奏者がインタビューで日本での公演の感想を聞かれた際、「たった数人のためにたくさんの人が聴きにきて、列を作ってサインを求められる不思議な経験をした」みたいなことを言っていました😂(元記事が英語だったので、はっきりとは覚えていないのですが💦)ロンドンから来たブラスアンサンブル(という"ブランド")がどんなものか一度聞いてみたい!熱量なのかなぁと。(個人的にはこのアンサンブル好きです)
ランランはチャイコフスキーコンクールで一位になっていますよね?確かにその前にもいろいろ活動されていたようですが、、、
私の先生は、コンクールを好まない先生ですね。ただ、やはり音楽で食べていく人はステータスのためにある程度は必要なのかもしれませんね・・・。経験上、本当にうまい人はコンクールいらないっても言ってました。
確かにシフとかコンクールでそれほどの結果を残していない名ピアニストはいますけど自分は、コンクール大好きです。特にショパンコンクールはピアニストに必要とされる条件を満たすことができるものが勝てるようなところがあり注目しています。コンクールってある意味、オリンピックと変わらないと思っています。
毎回考えさせる内容を有難うございます。確かに国内外のコンクールに優勝又はそれに準じた賞を取ることで名が知れますし、音楽マネージメントや歌劇場等と契約も取れる故にビジネスチャンスが訪れるわけです。でも昨今のコンクール偏重主義はこれからの時代を担う若手音楽家たちに過度な圧力や競争心を煽るやり方と過激な報道合戦は改めるべきだと思います。ヴァイオリニストのサラ・チャンの父親チャン・ミンスはコンクールよりもオーディションが重要でコンクールは多様なレパートリーを消化して舞台恐怖症を乗り越える機会であるだけだと述べまた不必要な競争心を刺激するなとも述べコンクールを真っ向から否定的でした。音楽科の高校や大学ではコンクールで競い賞を取って名を上げ学校の名誉に一役買うことはあまり意味がないですね。元N響第1コンサートマスターのマロさんこと篠崎史紀さんはUA-camのなかで本人のスキルアップをするために何をやらせるべきか考えなきゃいけない コンクールは一つの商売の宣伝材料になるかも知れないが相手のためにはなっていない先生のために賞を取るようなものだとこちらも否定的です。今回の動画でコンクールのあり方が問われる内容で受ける側や主催側やメディアや聴衆のそれぞれの立場に問題提起を投げ掛けている事だと改めて感じました。長文失礼いたしました。
今回の動画はコンクールそのものの在り方よりもその報道のされ方や受け取られ方への問題提起であるように思います。一方このご意見はアンチコンクールへ凝り固まった聞き手の偏見に思えてなりませんね。昨今のコンクール偏重主義っていつのお話ですか?国際的なコンクールが演奏家に過度なプレッシャーを与えるとか報道が過熱するとかいうのはもう50年・60年前から言われ続けてる話で、逆にコンクール受賞歴とは関係なくキャリアを築く演奏家も少なからずいるのですから偏重主義というのは古い認識だと思います。若い音楽家のキャリアはコンクールやオーディションで終わりではなく、むしろそこがスタートです。「その後」のほうがアーティストにははるかに重要なのであって、コンクールにこだわった批判は周囲の人間が勝手にやってればいい話です。
間違いがありました申し訳ありません。10月14日の予選会でした。審査員が参加します。コンクールは曖昧な部分があります。車田さんの解説は、曖昧ではありません。理解出来ます。🎌👌😊
2015年の時にショパン国際コンクールのセミファイナルとファイナル見たのですが1日が長くて眠くなりました。特に演奏後の結果発表までの時間が長くてホールから出されてロビーで立って待ってること何時間だったか。夜24時50分頃にロビーの階段で発表ありその時に思ったのが映画のシーンとは全然違うと思いました。ホールのステージで行うと思ってましたので。他のコンクールの表彰式スタイルはどんな形式なのかもしご存知でしたら教えてくださーい😊
おっしゃるようにショパンコンクールなどについての日本における報道の過熱ぶりは困ったものです。ショパンコンクールがどういうものであるかとか、年齢制限についての説明がある場合もありますが、クラシック音楽になじみのない人はそのようなディテールは目や耳に入ってきません。したがってショパンコンクールの優勝者は世界一のピアニストだなどという誤解が容易に生まれます。車田さんの音楽談話はこのチャンネルに興味を示さないような人にこそ見てもらいたいものがたくさんありますが、今回はとくにそうですね。どうしたら車田さんの発信をもっと多くの人に伝えていけるのか、私たちにも何かできることはあるでしょうか?
音楽の中に、どんな音が奏でられているかということが大切に思います。N響の地方コンサートって、手抜きをしても拍手してもらえるので、聞いていられませんでした。
日本人の軽いところ。よく日本人が世界でどうのこうのとかね。日本はメディアのマインドコントロールが大きい。今はこういうネットでの情報とか参考になるのでいいね。コンクールで優勝してもその年にたまたまそんなにすごい人が出なかったとかね。優勝よりもどんな演奏だったのか。車田さんの動画を最近色々見てますが、話し方が最初オペラ風なので変な違和感がありましたが慣れると逆に聞きやすいですね。ほんと騒ぎすぎ。
日本人は特に権威に弱い傾向があります。有名コンクールに入選することが権威となり、入選というのが評価の根拠になるという、いわば、自分の頭で考えず権威により判断してしまう傾向がある。しかも、その権威も、偏見が含まれていることが多い。学問で言えば、ノーベル賞一辺倒のように、唯一最高の権威と思い込んでしまうのが日本人です。それでも、合唱コンクールや吹奏楽コンクール全国一を決める競技会のようであり、大した権威はないという性質のものでしょう。
ビゼーのカルメンで歌のついた曲ってありますか?買ったらついてなかったのですが?
コンクールはこれからプロを目指す若者たちのためにあるものなんですね。そんな基本的なことを知りませんでした。ショパンコンクールで優勝してスタート地点に立ったブルース・リウさんは、すぐに満席になる日本の状況をどう感じるのでしょうね💦とてもわかりやすい解説をありがとうございます。
車田先生今日も素晴らしいご投稿!甲子園とプロ野球、そうやって説明すればいいですね(^_^)自分の価値観に自信のない場合でもちょっと気になる場合その道?の偉い人が凄い・上手い・美味しい・美しいと言った物を体験したい・いい選択をしたい・間違いたくないと思いたいのだと思います。私も専門外の分野では詳しい友人の言うことをそのまま鵜呑みにする事もあるかもです。勿論、体験して「違うなあ。。。」と思うことも多いですが。。。コンクール優勝者のコンサートには全くクラッシックに興味のない人も出向く!(敢えて聴きにとは書きません(爆))やはり日本だけの傾向なのですね。。。でもそれがきっかけとなり、興味を持ちそこから、真のファン?目指してくれたらそれはそれでいいですね(*^_^*)現役高校音楽教師ピアニストマユミージュことMayumi
そうですね。 100% agreeです。情報を聴いていてはいけないですね。良い話をありがとうございました。
車田さん、いや元教員の車田先生、すごいなぁ…更なるご健勝お祈りしてます!
甲子園とプロ野球の例はとても分かり易かったです!
今時、コンク-ルの結果を気にする日本人がそんなにたくさんいるのだろうか?コンクールは20代くらいの若手だから人生経験が少なく、音楽性などを期待できないと今では思うが、昔々はショパンコンクールの結果は気になった。1985年くらいのショパンコンクールでは、ブーニン、ルイサダ、小山美知恵が金銀銅だったのは印象に残ったが、その後は誰が優勝しても気にならなかった。そんなに演奏会には行かないが、今ではコンクールの結果で観客を呼べる時代ではないと思う。
吉村妃鞠さん、コンクールは好きですか?と聞かれてコンクールは自分のために弾くが、自分は聞いてくれる人が喜んでくれる演奏をしたい、と10歳前後の小学生がしっかりと答えていたのが印象的でした、私は素直に彼女の演奏をコンサートホールで聴きたいと思いました、コンクールは話題性やきっかけづくりにはなるでしょうが、音楽の完成度、美しさを聴き分けられるかは各自が試されているし自分で聞かないとわかりません、もし理解できない人がいたら、その音楽はその人に合っていない、それだけのことだと思います
コンクールそのものは、必要でこれからも続いて行くと思います。若い音楽家にとって目標になるし、周りにアピールするチャンスでもあると思います。ちょっと違和感を感じるのは車田さんが仰るように、報道の在り方だと思っています、日本の報道しか知りませんが。日本のマスコミ記者はおそらく音楽の素養が少ないのではないかと思います、音楽専門雑誌は別ですが、一般紙やテレビなどの記者は何も分からずに書いている様な気がします。私も分かりません、ブルース・リュウと反田恭平の順位の差が。
ルビンシュタインは皆んな上手いので感じのいい人を選んでたそうです。曖昧なものです。ほんの一握りの強運な人が生きる世界。
コンクールは主催団体の思惑に注目すべきかと思います。車田先生がいみじくも指摘なさっている通り、コンクールは「音楽市場形成」の一形態という経済的な側面が大きいかと思います。だから、はっきり言ってコンクールは音楽的な価値を測る場ではなく、演奏家の経済的な価値を測る場と割り切って見るべきです。もっと踏み込んで言えばショパンコンはポーランド政府の、チャイココンはロシア政府の国威発揚という側面も持っています。だから主催団体のポリシーに共感できるか?ということがコンクール自体の評価の基本であり、マスコミはじめ他者の評価は参考に過ぎないと思います。
音楽は感じるもの。
わたしも過去に国内の某コンクールで優勝を頂きましたが、今はしがないおじさんですね。
私は昔、吹奏楽コンクールで、次の大会に行けない"ダメ金"という結果になりました。必死に練習したので、一緒に練習していた後輩たちは、次の年にしっかり次の大会へ行く金賞を手にしていました。地元の新聞にも報道されました。しかし私がしたその当時の演奏は、今でも忘れられないほどの宝です。どういう演奏をしたか、という言葉を聞いて嬉しくなりました。動画を投稿してくださってありがとうございます。これからも楽しみにしています。
吹奏楽コンクールは音楽コンクールではなく、技術を競う「競技会」ですから、一般的に認識のある「音楽コンクール」と一緒にしてはいけません。
同感!ブラボー!
クラシックはヨーロッパで生まれた音楽がほとんどですから、日本にはクラシックを自然に楽しむ土壌がありません。またPOPSのように気軽に楽しめないという意識があるように思います。そういう中でお客さんを呼ぶためには、コンクールで入賞といった看板は有効ではないかと思います。
日本はピアノメーカーがある国でピアノ人口が多く、数あるピアノコンクールは審査員としての仕事を増やすためにビジネスベースであるのだと思います。演奏する時間が5分以内で大量に聴く、応募させるコンクールなどです。ヨーロッパ内にも大小コンクールはあり、国際コンクールとあっても、世界中から人が集まる様に小さな町の観光促進のためにも行われてますコンクール歴はあってもじゃまにはなりません。コンクールや試験を通過するが上手い人もいます、だから実力があるとならない所が面白いし、日本人のコンクール好きはあります。
マスコミはおわってるからな、コロナのときも異様に報道しすぎてたし。だからマスクワクチン信者の多いこと。先生、いつもありがとうございます🎉
コンクール入賞のニュースで、初めてその音楽家の名前を知る。メディア戦略の勝だな。
声楽科の芸大受験に必要最低限な事を教えてほしいです!!!!!
コンクール=登竜門=スター誕生=一流のプロです!
みたいな変な構図になってますね。世に知られる第一歩としては確かに便利なツールですが後が続かなかったり消えていくパターンも多々あり中々にその開催の意義を問われるのは確かかと思います。
マスメディアによる話題性作りの『イベント化』も是非を問われますが最終的には参加者本人のその後の研鑽と努力次第で素晴らしい演奏家や教育者にもなる可能性もあるのであくまでも1つのきっかけとして見守って行く聴く側の姿勢も問われるかと思います。そんな中で素晴らしい音楽性や教育者として成長してくれる人達が増えたら素晴らしいですね。
1980年ショパンコンクールでのアジア人初優勝を飾ったベトナムのダン・タイ・ソン氏も当初は一躍大スター扱いでしたが以降様々な研鑽と数々の舞台経験からピアニストだけでは無く教育者として優れた才能を発揮しブルース・リウを世に出した功績って意外に知られてないのが残念です。
以前大フィーバーしたブーニンは報道されないから落ち目になったと言われて久しいけれど。
落ち目になったのではなく世界中を飛び回るより静かな生活を選択したのだと思います
ベルリンの壁が壊れ、亡命して苦労されたことをどこかで読みました。
そういえば最近久しぶりにドキュメンタリーで彼の姿を見ました。
マスコミは演奏家をアイドル扱いをするのではなくてもっと別な角度でアプローチしてほしい。
いい…実にいい。 コンクールでの優勝者が天下をとったような報道並びに称賛者の声に違和感を感じてた。
上手く表現出来ず、もやもやとした思いがスッキリしました。
ありがとうございます♪
この前、ホテルのレストランで、ピアノの生演奏を聴きました。
予約の時、ピアノに最も近い席を要望。(笑)
音大を出たばっかりのピアニストさんが、ショパン、リスト、ドビュッシーなどをアップライトのピアノで、演奏されていました。めちゃくちゃ良かったです。感動しました。
ピアノのすぐ近くなので、反響版の振動が、ガンガン伝わってくる。
一方で、前回のショパンコンクール2次予選に出場した日本人8人のうち、7人は、聴きましたが、
協奏曲は良いとして、リサイタルで、ホールの後ろのほうの席だと、
レストランの生演奏のほうが、良いかも? しれないです。
有名な国際コンクールは究極のオープンオーディションですね。バレエなんかは特にそうです。
そこで選ばれた若い芸術家がその後どう育っていくか、同時代を生きる聴衆・ギャラリーとして成長を見守りたい、そんな機会を得られたことを喜びたいと、私自身はそんなふうに思っています。
チョソンジンにしろブルースにしろ、彼らが真のヴィルトーゾになるまで自分は長生きできるかわかりませんが、新しい才能が磨かれていく姿を見られる、聴けるのは本当に僥倖です・・・20年前も20年後も、その僥倖をその時代の聴衆は分け合っていくことができるのでしょうし、芸術の愛好家がコンクールで若き芸術家に出会うことは、そんなよろこびを得るチャンスの1つとも思います。
ピアノについて、日本では子どもの習い事として触れる機会が多いせいか、ピアノコンクールには関心が高いのかなと思います。有名ピアニストさんのコンサートも圧倒的に女性客が多いですし、習い事の形ですそ野が広がっているのかもしれません。(これもバレエと一緒です)
すみません、話が散らかりました m(_ _)m
以前からもやもやしていたことが、少しはっきりしました!
コンクール、特に国際的なものにチャレンジする若者に過度に注目するのは、日本に有りがちな風潮なんですね。
近年ではコンクールと名の付くものがたくさん出てきてびっくりしますが、ファンとしては、やはりその後の息の長い活動を応援して見守っていきたいです。
「どんなに力があっても魅力的でも世に出るきっかけになる事柄が無い」と表舞台で活躍することができないキビシイ世界なんだとも思います。かのカラヤン氏が自身世に出るまで苦労した経験から、その「きっかけ」を作るために「カラヤン・コンクール」を設立した事は有名ですね。
すばらしい内容で、今回も非常に勉強になりました!
世界を飛び回るのも良いが、一つの場所に留まって、そこで演奏を続ける人生を選択するのもすばらしいんだなあと思いました😊
私はコンクール無縁で成功した 五嶋みどり🎻のような音楽家に惹かれます😊
たしかに、おっしゃるとおりですね。反田さんは、ショパン国際ピアノコンクールに入賞され、注目されましたが、そのことにおごれることなく、日本の若い方々のオーケストラを作って、育成に力を入れておられますね。
凄い方だと思います。自分が、音楽を通して、何を伝えたいか、これが、しっかりしている方が、凄いと思うのですが。お菓子、美味しそうですね。
車田先生はじめまして
以前から楽しく動画を視聴させて頂いております
今回のお話し、とても私の中で腑に落ちる内容でした
ちょうど昨日、かつて世界的3大コンクールで優勝した経歴を持つ方の演奏会に足を運んだのですが
私の心に訴える演奏ではありませんでした
先生のお話しを聞いて
大切なことは自分の耳で聞いて決めることだと思いました
自分の好き、を信じて
これからも沢山演奏会に行きたいと思います
これからも、先生のお話しを楽しみにしております
長文失礼致しました
今日のテーマとは意図が違いますが、10年以上前に浜松のピアノコンクールの一次予選を毎日聞きに行ったことがありました。これは面白かった。そう、甲子園の高校野球の一回戦をずっと見てるようなものだと思いました。その時最年少で優勝したのはチョ・ソンジン君。
彼の活躍を今も応援しています。
車田さんのお感じになっていること、深く共感しております。コンクールというものがとても表面的に捉えられいて、確かに順位というのは多くの方々にとってわかりやすいことですが、本当の価値や意味は何処かに置き去りになっていてとても虚しいものに感じることが多いです。
またコンクールが多すぎる問題について、いつか車田さんのお考えも伺いたいです。音楽を愛し、音楽と共にある人生を愛していらっしゃる方と感じていますので、是非これからもこのような発信を続けて下さい。
車田先生のお話しは、どの回もとても興味深く、勉強になります。ありがとうございます。今後も楽しみにしております。
今回も興味深く拝見しました。10年くらい前に日本で騒動になったゴーストライター事件をご存知でしょうか?耳の聞こえない作曲家として活躍していたS氏が実はペテン師で、実際に作曲していたのは超優秀な作曲家ピアニストのN氏だったというものです。
あの時もメディアはS氏に対して「ベートーヴェンの再来」とか持て囃し、作品そのものよりも感動ストーリーに人々は飛び付いた印象です。N氏の告発により事実が露呈し、メディアは詐欺だと怒っていましたが、作品自体の素晴らしさは変わらないのに…と悔しい気持ちになりました。本当は聞こえているのに聞こえないと嘘をついたのは良くないことだけど、その設定があったからこそあんなに注目されてクラシック音楽としては異例の売り上げになったわけで。色々なことを思い知らされました。
日本では感情が重視されますよね。「情に厚い」とか「情にほだされる」とか、情に関する言葉も多い。日本人が論理的思考や合理的思考が苦手と言われる所以は、良くも悪くも感情が優先されるだからだと思います。
ショパンコンクール日本人が入賞したら大ニュースになってましたが、日本人入賞者ばかりの報道で1位は報道しないので誰が1位だったのかしばらく知りませんでした。
😳
優勝はスタートでゴールではないんですね!
情報を食べるという感じはよく分かります。有名な三ツ星シェフが作った料理といって出されれば美味しい!と感じる可能性があります。
違いが分かる人間で居るためには、案外目を閉じて音楽だけに耳を傾けじっくり聴く、というシンプルな方法が一番良いのかもしれません。
そんなに有名な人の演奏でなくても、自分自身にとってはしばらく口も聞けなくなるような感動する演奏に偶然出会えたりすると、本当に音楽聴いてきて良かったなと思います。
☺️☺️
ピアニストのアンドラーシュ・シフが、著書の中でコンクールへ疑問を投げ掛けていて、なるほどと唸ってしまったことを思い出しました。音楽は芸術なのか?スポーツなのか?何かのために音楽をするのであって、何かに敵対するものではないと。でも最近のコンクールビジネスは、スポーツ的な弾き方を後押ししていると(音楽性よりテクニックやパワー面を評価することだと解釈しました)。で、そういうコンクールがグローバルに盛り上がることで、スタイルの画一化が助長されてしまうと。
あるピアニストがショパンコンクールで入賞するために、過去のコンクールの入賞者の演奏を全て聴いて、審査員がどう評価したかを分析し、どう弾けば入賞できるのか研究したというエピソードに、ふむ、と感じたことも思い出しました。
難しいですね。これからという若手にとっては、コンクールに出て注目されることで演奏機会が増えて音楽家として食べていけるわけですし。有名コンクールで優勝したある若手ピアニストは、芸術に勝敗をつけることは反対だが、コンクールは必要悪。出て入賞しないと演奏機会が得られない、と葛藤を漏らしていました。
そこでシフは、国際的な「フォーラム」という形で若手への演奏機会を提案したり、よい演奏家を発掘するためにマスタークラスを頻繁に行ったりしているんだそうです。
出来上がってしまった今のシステムを変えるのは至難の技かもしれませんが、シフの考えに同感しました。それには聴き手である私自身が感性を磨いて、メディアに惑わされないよい耳を持たなければいけないのだなと、改めて思っているところです。
ちょっと意地悪な見方をすればシフは、コンクール向けではないし勝つことは難しい。
心惹かれる内容のときだけ拝聴してます。すみません。どんな演奏をしたか? どんな音を出したか? これに尽きるとおもいます。ピアニストの前に一人の人間として楽譜をどんなふうに理解したかを表すのがピアニスト。ただバリバリと指で速く弾きこなすのではないと恩師に数十年前に伝え教えてもらいました。音校のまま育っていたら今ピアノは嫌いで弾いてないと思います。経緯から興味を持って拝聴しました。
日本は、「肩書」が好きだから、中身はどうでも良いイメージかな。
本当の価値がわからないのかもしれない。
😢
たしか文学賞のアイロニーに、高村幸太郎の道程をパロった
「賞の前に金はない 賞の後に金は出来る」ってのがありましたっけ。音楽も同じw
クラシックに普段なじみがない人が何か聞いてみようと思ったら、お墨付きがあるんだからきっと素晴らしいんだろう、と考えるのは仕方ないでしょう。日本のクラシックでは「○○大学出身○○コンテスト受賞誰それに師事」を強調して、だからいい!って宣伝しますしね。そうしないと多くの人に届かない。メディアが作った人気演奏家には人が集まりますが、ほとんどの人はそれ以外を聞いているわけでもないのでねぇ。
友人に音大やコンクールと無縁のギタリストがいますが、まずは実演聞いてから判断してもらいたいものです。
日本ではクラシック音楽を芸術としてではなく一つのエンターテイメント(芸能ネタ)としてとらえられる傾向にある気がします。
これは全てではないですが、メディアの影響が大きいですね‥芸術性は二の次で話題があって売れて儲かればOK👍みたいな? たまに日本人はショパンとラ・カンパネラとベートーベンは第九と月光、熱情、悲壮しか知らないのか?とさえ思ってしまいます(笑)
地方で支援者に支えられながらクラシック音楽をもっと身近なものにをテーマに色々な楽曲を手頃な金額で提供してくれる楽団員の皆様を私はこれからも足を運んで応援したいです❤
👍☺️☺️
プロ野球と甲子園の例えがわかりやすかったです、さすが車田先生✨コンクール優勝🏆なんて聞くとめちゃくちゃすごく感じますが、そもそもはプロになるための登竜門なんですものね‥‥
教えていただいている先生が「小さい頃はコンクールにこだわる必要は全くない」とおっしゃっていた真意を改めて感じています。
最近では世界のコンクールも配信があり予選から一般人でも聞くことができて大変ありがたいです。 その中で、自分なりのお気に入りの演奏家を見つけその後もずっとフォローするのが趣味になってます。 おっしゃるとおり、この世界も露出や演出、バックアップがないと実力だけでは難しいんだろうなと想像はつきます。、自分の周囲でも○○さんは▲▲コンクールで優勝したとか入賞したから凄い人と経歴だけで言う人もいますが、ちょっと残念に思うときもありますね。 あと、皆さんやっぱり刺激が好きなのかと・・・。笑
私はショパン国際ピアノコンクールをピアノ界のオリンピックと勘違いしてしまっていました。
すごく勉強になりました。ありがとうございます
巨匠と言われるピアニストの方々のリサイタル是非行ってみたいです
順位を決めなきゃ過度な報道はなくなるかも?と思います。
それではコンクールにならないか??
コンクールの公開を聴きに行くのはなかなか面白いです。若さとひたむきさがあって。
同じ曲だと演奏の違いもよく分かり、誰が残るか?予想するのも一興。
あまり小さな子のためのコンクールは子どものためになっているんだろうか??と思います…
コンクールは不透明な発表会で年度の質量も違うから大変ですね。
実力や本人に器がなければ才能も壊れやすいから良くも悪くもあります。
ほんとうに、お話が多面的で深く、上手でいつも驚きます。
成し遂げたいショーや体現したいのもを明確に活動していく
芸術家が増えることを望みます。全く見えないし、公言しない。
しても聴こえてこないだから、娯楽に肩を並べれないのかと思います。
凄い会場と、音響や楽器があるので、何かに劣ることは
ありえません。しかも、日本のお金持ち老人や国際的なメジャーさ。
これを利用して、最高の娯楽にできない音楽家はイメージが足りないのかな。
特に日本は、天才は凡人に合わせて生きてしまう良くも悪い風土がね。
本当の天才は、合わせたまま埋もれるに違いない。
将棋の藤井くんの将棋の内容より勝負飯がテレビネタになるのと同じ現象ですね 一般人は内容なんて理解出来ないのです 何が素晴らしいのかが
気持ち的におおいに賛同します。コンクールというのは、コンテスタントのためのイベント。世に出るための一つの道筋。周りがはやし立てるような雰囲気には違和感覚えます。それに、コンテスタントのなかには、自分は出たくないけれど親や先生に尻を叩かれて、いい賞を取るまでむりやりあちこちのコンクールに出場させられている人もいると聞きます。そういう話を聞くと、なんか複雑な気分になります。ついでに、感覚的なことを言えば、コンクールの演奏ってなんか妙なわざとらしさを感じることがあります。「自分が作りたい音楽」でなく、「いい評価をされる演奏」。すくなくともリサイタルで聴く演奏と微妙に違う。
僕もオリンピックと勘違いしていました、、笑。甲子園とプロ野球の例えが物凄く分かりやすかったです!
コンクールといえば、リパッティはコンクールで優勝出来ませんでしたがコルトーが才能を見出して活動をサポートした、話が浮かびます。
才能のある若者が誰かの目に留まる機会としてコンクールがあるのは素晴らしいことですね♪
日本人コンクール好きすぎる謎。
コンクール動画からお気に入りの新人(?)を見つけるのも楽しいです。
コンクールがオリンピックみたいな世界一決定戦だと思っていたというコメントが少なからずあってびっくりしました。年齢制限のある、若手の登竜門だということを伝えるのが思いのほか難しいのは、それだけ「その後」の方に目が向けられていないということなのでしょう。世界中でも高校年代のスポーツをこんなに注目してる国はなかなかありませんが、プロ野球がないがしろにされてるということはないはずです。一方でクラシック音楽がどうかというと、30代で引退というような世界ではないだけに「その後」の扱いに不安を覚えますね。
大好きなパスタ屋さんで配信を見させて頂いてるうちに、わからないけど涙が出そうになりました。全く私には国際的なキャリアもなければ、今回の配信の内容と少しズレているかもしれませんが、コンチェルトを演奏する機会があったときに、私にはこれといって有名な日本のコンクールでの受賞歴がなく、プロフィールを書くのが恥ずかしいと思ったことがありました。今、私は40代後半です。私がなぜピアノを続けていたいのか、お客さまに聴いて頂きたいのか、車田先生の配信で、あらためて考える事が今できて、ほっとしました。
配信とズレてるコメントで失礼いたしました。
気持ちが楽になりました!
☺️☺️
お客さまの心に届く演奏をめざしてがんばります(^^)
生命を賭けて生涯伝えたい事がありましても方法がわからずそのうち萎えてしまうことはよくあります。その中で皆が注目しやすく判りやすい世に出るきっかけを作るのがコンクールの賞歴。コンクールシステムが業界の成熟化を押し上げ賞歴が世間に説得力を持たせる判りやすい力でした。ただどんな芸術業界も戦後,成熟の先の問題を抱えており頑なに時代と乖離していると感じます。
その中で今後は影響力の在り方も多様化すると思います。長文にて失礼しました🙇♀️😍💕💁♀️
コンクールで、1位になったとしても、そこから先の精進が大切などかと思います。
こんばんは。30年ばかり前にショパンかチャイコで優勝したブーニンのコンサートを企画したのは日本でしたね。発売と同時に完売して大騒ぎになりました。それでテレビも特別番組を組んだようでした。今日のお話を聞いて思わず笑ってしまいました。コンクール優勝はスタート地点ってことを知らずに企画を組んだとは思えませんから、だましたんでしょうね。かわいそうなブーニンはピアニストとして活躍することはできませんでした・・・
小説の新人賞みたいなものでしょうか? 賞を取れれば世に送り出すけど、売れなかったらサヨナラ。勿論、売れるかどうかは保証されてない(当然ですが)。
甲子園とプロ野球のたとえ、非常によく分かり腑に落ちました。また○○産の小麦云々のお話、自分の舌と耳と頭を信用できるような人生を送りたいものです。
コンクールってサッカーだとunder23に近いもののようですね。小澤征爾のブザンソン指揮者コンクールも、小澤さん以外で話題になったことはありませんものねw
私は、クラシック音楽をあまり知らない人には、「コンクールはM-1みたいなものだよ。」と説明しています。
既に売れている芸人は出る必要がないし、年齢制限もある。今まで無名だったミルクボーイが一躍有名になったように、そういう若手を発掘するものなんですと。
おそらく、車田先生には、この説明、訳分からないと思いますが、これで多くの人は納得してくれますね。
なるほどね、と思えました。つい、コンクールで賞を取った人がいい演奏家なのだと思っていました。でも実際聞いているとその違いはよくわからなかったりしました。ショパンコンクールの動画を見ても、どの人もみな上手で違いがよくわからないので、つい賞を取った人が上手なのだと思おうとしている気がします。自分の心に響いた音や音楽、これが好きという感じ方でもいいんのかなぁ、と今日の動画を見て思いました。
😅
今日この日の誰々の演奏会は、おそらく今年最上級の演奏の一つであろう、こんな記事が新聞で読めたら感動的です😊四国の地方都市でも、世界的な演奏家が来県して下さるので、スルーするのはもったいないよ😅
いつも大変学びあるお話をありがとうございます!車田先生、私はヴァイオリンのピアノ伴奏をしています。伴奏者の事を車田先生の視点からお話聞きたいです。いつかよろしくお願い致します!!!
音楽は心で聴くものなんだと思いました。
コンクールについてですが一言で言うと音楽を競技にしてしまった。「競技」です。演奏会はその人の演奏を聴きたくて来ている観客ですが
コンクールでは審査員含めて全員批判者です。受ける人はその違いを解っていない人が多い。
後コンクール自体も昔とは変わって来ています。昔はカリスマ性、凄みのある人が多かった。今は多くの人が受けすぎる為課題を多くして器用な人、頭が優先の人が選ばれてしまう部分があります
高度な学校の試験の様です
後メディアですが例えばふじこさんの放送を観た人はメディアによって作られた映像なのです。プロのライティング、MC.によって錯覚してしまうと思います
後クラシックの演奏会のチラシを見ると
やたらと履歴を並び立てる。たまに笑ってしまう時があります。これは観衆の率直な判断を阻害するだけで意味の無いものです。よくディナーにいって、やたら産地と前置きが多いと素直な味覚を信じれなくなる様なものです。今の世の中昔と違い多種多様な娯楽があり、余程感動させてくれないとわざわざ高い入場券を買って演奏会に行かないですよ。ただマニュアル通りに弾いただけでは2度と足を運びません。
最後に子供のコンクールに必死になっている人は、コンクールの持つ博打的な部分にはまっている様に見える。私は日本在住だから欧米の事はわからないが、何処の国も同じなのか?はたまた日本人は競争が好きなのか?賞を取る事だけを評価している指導者とその生徒、何か変ですね
このタイプの人は参加料とレッスン、セミナーには金を使うが本当の良い演奏会にはまず行かない。
何の為にやっているのか理解不能ですね。
末永く一生、他の仕事を持ちながら趣味で過ごすのも良い事と思います
クーゲルン、娘がウィーンに留学していた頃、何度か行った際にお土産によく買っていました。あのペーストはマロニエ(日本の栃に近い)ですね。
新しい味があるんですね。機会があれば試してみたいです。
ウィーンには、コンスタンツィエのはなかったけれど、シシィ(エリーザベト)のはありました。チョコの中に栃餅の風味がする餡が入っている感じ。
さて、コンクールについては、娘が中学生の頃から出ていた某学生音楽コンクール(いちばん有名な)で全国大会で入賞しましたが特に将来には繋がらず、その翌年の初めて受けた大人のコンクールで入選した時も大学の特待生になったくらいで、将来には繋がらなかったように思います。
さらに、留学中に受けたコンクールでは、あからさまに審査員の関係者以外は入賞から排除されていたり、某ドイツのコンクールで優勝したけど日本では全く見向きもされませんでした。
しかし、コンクール優勝後は、オーディションを受けたゲヴァントハウスやその他多数のドイツのオケから招待が来るようになったそうです(受からなかったけれど)。
今、彼女は日本のオケで首席奏者になっていますが、日本ではコンクールを過大評価しがちと言っており、実際に日本でいちばん権威あるとされるコンクール優勝者が某オケの試用期間で落ちたりしています。
車田さんのおっしゃるとおり、コンクールは若い人が世に出るきっかけになりますが、出発点でしかないと思います。
何十年も前に、故中村紘子さんがクリスティアン ツィメルマンがショパンコンクール第1位になった時、素敵な人だけど、これからの研鑽ですねと言われていたのを思い出しました。優勝しても研鑽を積まなければ今のツィメルマンにはなれないのですね。
「〇〇産の小麦」引用して頂いて感激です。
そもそも音楽は競技ではないので、優勝だとか入賞という順位づけはプロへのスタートラインに立つ為に便宜上行われていると理解しなくてはいけませんね。
情報やメディアの煽りに惑わされず、音楽の本質を聴く耳を持った聴衆が増えることを望んで止みません。
勘違いしている人間にいつも言っていた事を言ってもらえてスッキリw
自分も、日本人に通じる話でと考えて、やっぱ甲子園で例えちゃう。(๑¯ ¯๑)
コンサートのチラシとか見たら、ソリストには必ずコンクール歴が書いて有るからね。小さなコンサートだと「越谷市民オーディション○○」とか書いてあってて、そこまで肩書き大事か~と驚いたことがある。
ある金管楽器奏者がインタビューで日本での公演の感想を聞かれた際、「たった数人のためにたくさんの人が聴きにきて、列を作ってサインを求められる不思議な経験をした」みたいなことを言っていました😂(元記事が英語だったので、はっきりとは覚えていないのですが💦)
ロンドンから来たブラスアンサンブル(という"ブランド")がどんなものか一度聞いてみたい!熱量なのかなぁと。
(個人的にはこのアンサンブル好きです)
ランランはチャイコフスキーコンクールで一位になっていますよね?確かにその前にもいろいろ活動されていたようですが、、、
私の先生は、コンクールを好まない先生ですね。
ただ、やはり音楽で食べていく人はステータスのためにある程度は必要なのかもしれませんね・・・。
経験上、本当にうまい人はコンクールいらないっても言ってました。
確かにシフとかコンクールでそれほどの結果を残していない名ピアニストはいますけど自分は、コンクール大好きです。特にショパンコンクールはピアニストに必要とされる条件を満たすことができるものが勝てるようなところがあり注目しています。コンクールってある意味、オリンピックと変わらないと思っています。
毎回考えさせる内容を有難うございます。確かに国内外のコンクールに優勝又はそれに準じた賞を取ることで名が知れますし、音楽マネージメントや歌劇場等と契約も取れる故にビジネスチャンスが訪れるわけです。でも昨今のコンクール偏重主義はこれからの時代を担う若手音楽家たちに過度な圧力や競争心を煽るやり方と過激な報道合戦は改めるべきだと思います。ヴァイオリニストのサラ・チャンの父親チャン・ミンスはコンクールよりもオーディションが重要でコンクールは多様なレパートリーを消化して舞台恐怖症を乗り越える機会であるだけだと述べまた不必要な競争心を刺激するなとも述べコンクールを真っ向から否定的でした。音楽科の高校や大学ではコンクールで競い賞を取って名を上げ学校の名誉に一役買うことはあまり意味がないですね。元N響第1コンサートマスターのマロさんこと篠崎史紀さんはUA-camのなかで本人のスキルアップをするために何をやらせるべきか考えなきゃいけない コンクールは一つの商売の宣伝材料になるかも知れないが相手のためにはなっていない先生のために賞を取るようなものだとこちらも否定的です。今回の動画でコンクールのあり方が問われる内容で受ける側や主催側やメディアや聴衆のそれぞれの立場に問題提起を投げ掛けている事だと改めて感じました。
長文失礼いたしました。
今回の動画はコンクールそのものの在り方よりもその報道のされ方や受け取られ方への問題提起であるように思います。一方このご意見はアンチコンクールへ凝り固まった聞き手の偏見に思えてなりませんね。昨今のコンクール偏重主義っていつのお話ですか?国際的なコンクールが演奏家に過度なプレッシャーを与えるとか報道が過熱するとかいうのはもう50年・60年前から言われ続けてる話で、逆にコンクール受賞歴とは関係なくキャリアを築く演奏家も少なからずいるのですから偏重主義というのは古い認識だと思います。若い音楽家のキャリアはコンクールやオーディションで終わりではなく、むしろそこがスタートです。「その後」のほうがアーティストにははるかに重要なのであって、コンクールにこだわった批判は周囲の人間が勝手にやってればいい話です。
間違いがありました
申し訳ありません。10月14日の予選会でした。審査員が参加します。コンクール
は曖昧な部分があります。車田さんの解説は、曖昧ではありません。理解出来ます。🎌👌😊
2015年の時にショパン国際コンクールのセミファイナルと
ファイナル見たのですが
1日が長くて眠くなりました。
特に演奏後の結果発表までの時間が
長くて
ホールから出されてロビーで立って待ってること何時間だったか。
夜24時50分頃にロビーの階段で発表あり
その時に思ったのが
映画のシーンとは全然違うと思いました。
ホールのステージで行うと思ってましたので。
他のコンクールの表彰式スタイルはどんな形式なのか
もしご存知でしたら
教えてくださーい😊
おっしゃるようにショパンコンクールなどについての日本における報道の過熱ぶりは困ったものです。ショパンコンクールがどういうものであるかとか、年齢制限についての説明がある場合もありますが、クラシック音楽になじみのない人はそのようなディテールは目や耳に入ってきません。したがってショパンコンクールの優勝者は世界一のピアニストだなどという誤解が容易に生まれます。車田さんの音楽談話はこのチャンネルに興味を示さないような人にこそ見てもらいたいものがたくさんありますが、今回はとくにそうですね。どうしたら車田さんの発信をもっと多くの人に伝えていけるのか、私たちにも何かできることはあるでしょうか?
音楽の中に、どんな音が奏でられているかということが大切に思います。
N響の地方コンサートって、手抜きをしても拍手してもらえるので、聞いていられませんでした。
日本人の軽いところ。よく日本人が世界でどうのこうのとかね。日本はメディアのマインドコントロールが大きい。
今はこういうネットでの情報とか参考になるのでいいね。コンクールで優勝してもその年にたまたまそんなにすごい人が出なかったとかね。
優勝よりもどんな演奏だったのか。
車田さんの動画を最近色々見てますが、話し方が最初オペラ風なので変な違和感がありましたが慣れると
逆に聞きやすいですね。ほんと騒ぎすぎ。
日本人は特に権威に弱い傾向があります。有名コンクールに入選することが権威となり、入選というのが評価の根拠になるという、いわば、自分の頭で考えず権威により判断してしまう傾向がある。しかも、その権威も、偏見が含まれていることが多い。学問で言えば、ノーベル賞一辺倒のように、唯一最高の権威と思い込んでしまうのが日本人です。それでも、合唱コンクールや吹奏楽コンクール全国一を決める競技会のようであり、大した権威はないという性質のものでしょう。
ビゼーのカルメンで歌のついた曲ってありますか?買ったらついてなかったのですが?
コンクールはこれからプロを目指す若者たちのためにあるものなんですね。
そんな基本的なことを知りませんでした。
ショパンコンクールで優勝してスタート地点に立ったブルース・リウさんは、すぐに満席になる日本の状況をどう感じるのでしょうね💦
とてもわかりやすい解説をありがとうございます。
車田先生
今日も素晴らしいご投稿!
甲子園とプロ野球、そうやって説明すればいいですね(^_^)
自分の価値観に自信のない場合
でもちょっと気になる場合
その道?の偉い人が
凄い・上手い・美味しい・美しいと言った物を
体験したい・いい選択をしたい・間違いたくない
と思いたいのだと思います。
私も専門外の分野では
詳しい友人の言うことをそのまま鵜呑みにする事もあるかもです。
勿論、体験して「違うなあ。。。」と思うことも多いですが。。。
コンクール優勝者のコンサートには
全くクラッシックに興味のない人も出向く!(敢えて聴きにとは書きません(爆))
やはり日本だけの傾向なのですね。。。
でも
それがきっかけとなり、興味を持ち
そこから、真のファン?目指してくれたらそれはそれでいいですね(*^_^*)
現役高校音楽教師ピアニストマユミージュことMayumi
そうですね。 100% agreeです。情報を聴いていてはいけないですね。良い話をありがとうございました。
車田さん、いや元教員の車田先生、すごいなぁ…
更なるご健勝お祈りしてます!
甲子園とプロ野球の例はとても分かり易かったです!
今時、コンク-ルの結果を気にする日本人がそんなにたくさんいるのだろうか?コンクールは20代くらいの若手だから人生経験が少なく、音楽性などを期待できないと今では思うが、昔々はショパンコンクールの結果は気になった。1985年くらいのショパンコンクールでは、ブーニン、ルイサダ、小山美知恵が金銀銅だったのは印象に残ったが、その後は誰が優勝しても気にならなかった。
そんなに演奏会には行かないが、今ではコンクールの結果で観客を呼べる時代ではないと思う。
吉村妃鞠さん、コンクールは好きですか?と聞かれてコンクールは自分のために弾くが、自分は聞いてくれる人が喜んでくれる演奏をしたい、と10歳前後の小学生がしっかりと答えていたのが印象的でした、私は素直に彼女の演奏をコンサートホールで聴きたいと思いました、コンクールは話題性やきっかけづくりにはなるでしょうが、音楽の完成度、美しさを聴き分けられるかは各自が試されているし自分で聞かないとわかりません、もし理解できない人がいたら、その音楽はその人に合っていない、それだけのことだと思います
コンクールそのものは、必要でこれからも続いて行くと思います。若い音楽家にとって目標になるし、周りにアピールするチャンスでもあると思います。ちょっと違和感を感じるのは車田さんが仰るように、報道の在り方だと思っています、日本の報道しか知りませんが。日本のマスコミ記者はおそらく音楽の素養が少ないのではないかと思います、音楽専門雑誌は別ですが、一般紙やテレビなどの記者は何も分からずに書いている様な気がします。
私も分かりません、ブルース・リュウと反田恭平の順位の差が。
ルビンシュタインは
皆んな上手いので感じのいい人を選んで
たそうです。曖昧なものです。
ほんの一握りの強運
な人が生きる世界。
コンクールは主催団体の思惑に注目すべきかと思います。
車田先生がいみじくも指摘なさっている通り、コンクールは「音楽市場形成」の一形態という経済的な側面が大きいかと思います。
だから、はっきり言ってコンクールは音楽的な価値を測る場ではなく、演奏家の経済的な価値を測る場と割り切って見るべきです。
もっと踏み込んで言えばショパンコンはポーランド政府の、チャイココンはロシア政府の国威発揚という側面も持っています。
だから主催団体のポリシーに共感できるか?ということがコンクール自体の評価の基本であり、マスコミはじめ他者の評価は参考に過ぎないと思います。
音楽は感じるもの。
わたしも過去に国内の某コンクールで優勝を頂きましたが、今はしがないおじさんですね。
私は昔、吹奏楽コンクールで、次の大会に行けない"ダメ金"という結果になりました。
必死に練習したので、一緒に練習していた後輩たちは、次の年にしっかり次の大会へ行く金賞を手にしていました。地元の新聞にも報道されました。
しかし私がしたその当時の演奏は、今でも忘れられないほどの宝です。どういう演奏をしたか、という言葉を聞いて嬉しくなりました。
動画を投稿してくださってありがとうございます。これからも楽しみにしています。
吹奏楽コンクールは音楽コンクールではなく、技術を競う「競技会」ですから、一般的に認識のある「音楽コンクール」と一緒にしてはいけません。
同感!ブラボー!
クラシックはヨーロッパで生まれた音楽がほとんどですから、日本にはクラシックを自然に楽しむ土壌が
ありません。またPOPSのように気軽に楽しめないという意識があるように思います。
そういう中でお客さんを呼ぶためには、コンクールで入賞といった看板は有効ではないかと思います。
日本はピアノメーカーがある国でピアノ人口が多く、数あるピアノコンクールは審査員としての仕事を増やすためにビジネスベースであるのだと思います。演奏する時間が5分以内で大量に聴く、応募させるコンクールなどです。ヨーロッパ内にも大小コンクールはあり、国際コンクールとあっても、世界中から人が集まる様に小さな町の観光促進のためにも行われてます
コンクール歴はあってもじゃまにはなりません。コンクールや試験を通過するが上手い人もいます、だから実力があるとならない所が面白いし、日本人のコンクール好きはあります。
マスコミはおわってるからな、コロナのときも異様に報道しすぎてたし。だからマスクワクチン信者の多いこと。
先生、いつもありがとうございます🎉
コンクール入賞のニュースで、初めてその音楽家の名前を知る。メディア戦略の勝だな。
声楽科の芸大受験に必要最低限な事を教えてほしいです!!!!!