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鎌足が靴を拾って、近づいて、中大兄皇子をたぶらかしたんだよなあ鎌足が百済の王子だから、仏教を取り入れる蘇我が邪魔だったとか日本が隋唐と仲良くなられると百済としては面白くないもんな当時、明日香には高句麗の王子もいたそうでなんでも留学生という名目の人質だったとか
関裕二氏の書籍では、百済の王子 豊璋と書かれていますね鎌足が記録に出てこない時期と白村江の戦いの時期が重なるだったかな色々論拠を書いていた
百済と中臣氏、藤原氏のつながりはあってもおかしくないが、さすがに鎌足=豊璋は飛躍し過ぎる。なお、関氏の書籍は私も読んだ。
関裕ニの説は月刊ムーと同レベル。学会では相手にされない人が適当に書いてるだけです。鎌足=豊璋説は他の作家さん(名前忘れた)も主張してましたけど、、、白村江の戦いの時期に記録に残されてない人なんて日本全国にクソほどいたのに、なんでその中で鎌足が実は豊璋と断言できるのか謎です。
そもそも日本書紀は藤原氏が書いたものです。しかし藤原氏の祖先である中臣鎌足が百済からやって来たとは一言も書かれていません。ちなみに扶餘豊は百済王氏の祖先だと奈良時代の書に書かれています。
鎌足の先祖は茨城県民
8:00からが本編。
天皇の後継者の系図の中に「大海人皇子(後の天武天皇)」が載っていないのはどうして?皇位継承者としては順位が低いので省略したのでしょうか?現実的には天武天皇が中大兄皇子(後の天智天皇)のあとを継ぎますが。
中臣鎌足は、百済の王子だったと言う説も何かで読んだ事があります。王子が記録に残っている期間は鎌足の記録がなく、鎌足が記録に残っている期間は王子の記録がないとか。百済の王子だったからこそ、白村江の戦いに出兵し、負けたので王子の身分を捨てたとも。
扶余豊璋ですね。
俺は漫画 天智と天武で
成吉思汗=源義経よりは可能性あります。
岡山に百済人が建てた山城があるらしいので昔から渡来人は来てたでしょうね。大和朝廷は百済人や蝦夷を討伐して本土を統一したんでしたっけ縄文人は平和を愛する民族だったので、大和民族が渡来人なのは納得できますね。
@@ワンパンマン-d8r 浅~い知識w
どう見ても魔理沙の方がハーフっぽいのだが。
だいしゅき魔理沙❤
改新の改革は孝徳朝が進めたことで孝徳朝では中大兄皇子は冷遇されてたと言われてますねそもそも鎌足がテロを起こしても改革の方向性は変わらなかった
ヤバイのはこのチャンネルな気がしてきた😱
鎌足は百済の王子。人質として日本にいるうちに、百済が滅びてしまった。中臣氏は古くから皇室の忠臣として祭祀を担当していた氏族だから、鎌足は元祖背乗り?って記事を見た事がある。また別記事では、中大兄皇子と大海人皇子は実は赤の他人で本当のところは大海人皇子の方が歳上だったとか……
古代日本は、国際化していたらしいので、...
天孫系そのものが渡来人じゃね? そもそも連でなく臣の系統は元々の大王家の家人。中臣氏が渡来人なのであればその主人も渡来人ってのが自然でしょう?
天照と素戔嗚はまず間違いなく新羅系やからね。天孫系も多分渡来系やないかな。元々の日本人は縄文人やし。
中臣しは関東に氏神を祭る歴然とした日本人。
いやいや、日本の豪族はほとんど、渡来人ですよ。現代人の6割とか、弥生人系だから、渡来人ですよ。100%縄文人の人って、東北の田舎とかじゃないかなあ。しかも、上流層は渡来系だから、かわいそうだけど、貧困層かも?
家系図的には藤原鎌足の子孫なんだよな。血縁で言えば養子とかあるから自称平氏で忍者の子孫
鎌足が亡くなる1日前に滑り込みで最高位の官位を賜ったって時点で藤原氏の台頭の影に藤原氏の陰謀があるって気が付けよ、大体官位を与えるのが死ぬ直前に間に合ったって事になってるけど、死亡証明なんて1日2日なら適当に何とでもなんやろ、藤原氏は何としてでも朝廷で蘇我の後ポジションを奪取したかったんだって。
何故タブー?
沙宅じゃないかな。
天孫族のアメノコヤネの子孫なら当然渡来人だろうと思ってたけど、、自称の可能性もあるのか(^_^;)
そんな説が😮
中臣鎌足は茨城県の鹿島市出身だという説がある。鹿島神宮の近くに鎌足神社という場所があり、鎌足が生まれた場所だといわれている。平安時代以前は、東国三社は鹿島神宮、坂戸神社、沼尾神社であり、坂戸神社は中臣氏の祖である、天児屋根尊を祀っている
間違いあるある佐賀県鹿島市鹿嶋市ね 俺は常陸鹿島のほうがよかったんだけどね
@@クルーゼさん 香島
AD(キリスト誕生後)にも、多くの大和民族が朝鮮半島南部に渡っており、直轄地である任那もあったし、百済等の建国にも関わってた。その後、日本国に戻った一族もいたので、それを含めて「渡来人」と言ってるなら、まあ分かるが。
それは後の話だね…。大元の流れは大陸⇒日本で、これが弥生時代から古墳時代まで継続的に発生していて、4世紀以降に日本側の力が強くなったので逆方向の流れが発生した。前者はDNA的に必然で、後者は考古学的に妥当。
素戔嗚と天照がまず間違いなく新羅系。天孫も多分渡来系でしょ。元々の日本人は縄文人だから渡来系にやられたし。あとはとんでも論だけど奈良(ナラ)は朝鮮語で同じ読み方のナラが国を意味するし、渡来系が支配してたんじゃないの?
しょうもないね。日本人は多くが渡来人だろうに。というかどの国の人間もどこかからやってきてるのだからみな渡来人だろうに。
「たり」は韓国語の足だそうですよ。そういうこと
ハラ・カマも朝鮮ルーツの言葉フジは百済(ペクチェ)を意味している、というまことしやかな説もあります(藤の語源は“吹き散る”)
百済も新羅も半島の南側
1000年以上前の渡来人がなんだってんだよwそんなこと言ったら世界の99パーセントは渡来人じゃねえかw
疑惑のかたまり
此の説は有り得ると思っています。 そう思う訳は…・蹴鞠の話しは中国古典に元ネタが有るので、其れのパクリでしょう・中臣鎌足が「乙巳の変」以前に名が知れてないのに、唐突に出て来る不自然さ・「大職冠」を貰っているのは藤原鎌足と百済王子の豊璋の二人のみ・其の二人が同時に日本書紀に記載されている事が無い・そもそも、大国の唐と戦うまでの権益を半島には既に失っていた。 etc
漢民族さあ明らかに漢民族でないやつ始祖にしている王朝あるけどグダグダ言わないし、ヨーロッパなんて王様が他の国の血筋なんて当たり前だからなあ、こういう血統グダグダ言うやつこそやっぱり半島系なんだろなすぐ発狂するし
磐井の乱ってたしか書物で二行くらいしかなかったよね、古代はSF
朝鮮人あるあるですね。
天武の天ちゃんも渡来人説があるよ。だけどそもそも天ちゃん一族自体が半島生まれだから、聖徳太子とかもみんな渡来人になるね
ただ天武天皇、聖徳太子どちらも蘇我氏であり、蘇我氏は武内宿禰が祖先ですから、武内宿禰が半島に三韓征伐に行った時の子孫ではないでしょうか。武内宿禰は三韓征伐して三韓の王となり何年か半島の加羅にいたようです。
日本書記や古事記に依れば、初代天皇の神武は日向 (宮崎県) の出身ですよ。日本書記の編纂を命じたのは天武天皇で、天武天皇は古代最大の内乱を制して、絶大な権力を得た天皇です。天武天皇は国家体制や法律を整え、「天皇」の称号、「日本」の国号を始めた天皇でもあります。そのような絶大な権力者なら、出身地を語ることに、誰にも遠慮は不要なはずです。神武東征が架空の作り話であったとしても、出身地を聖地化できる立場の天武天皇が、初代神武は日向の出身であるとしていることは重要でしょう。朝鮮半島から天皇が来たと言う人は、この点を説明できてませんね。
そもそも、文明のない太古の頃、寒い地域から日本列島に渡ってきたと言うのは不自然。温かく自然豊かな南方から日本へ渡ってきたと考えた方が良い。そして日本の九州地方から大陸へ渡って行ったんだろう。そして往来。DNA的に、言語学的にも全くの別民族なので、決して多くはない往来だっただろう。とにかく、過去を捏造してマウントを取りに来ないで欲しい。
@@isamu4994南方説で行くと弥生人の出現が説明ができないんよ。
DNA的に日本の中央部に住んでいる種族はほぼ弥生人の系統でこのDNAの発生源は中国東北部であることが確定してる。薩摩隼人、東北蝦夷は縄文人で現代でもその影響が残っていて、アイヌと琉球民族は縄文人の系統に属してる。南方説だとその痕跡が沖縄や九州南部に無いことが説明できないし、DNA上の矛盾も解決出来ない。神話との整合性を考えると高天原は大陸の朝鮮半島か満州で、そこからの渡来人が天つ神と見做すべきだろう。扶余が倭人の起源とする中国の歴史書の見解があるが、それほど間違ってはいないだろう。
鎌足がいたかどうか。そこから疑ってみる必要があると思います。
中臣鎌足は冠位が大織冠ですが、大織冠は最高位で大臣の上であり、普通の人は絶対もらえない外国の王族クラスでないともらえないそうですから鎌足は百済王族と思われます。他に織冠をもらったのは百済王族豊璋だけだそうですから、鎌足は豊璋だと思われます。そして豊璋即ち鎌足が中臣氏に婿入して中臣鎌足になったようですから中臣鎌足は豊璋で実在していると思われます。むしろ中大兄皇子の実在が疑問です。中大兄皇子は日本人でないので天皇になれなかったので称制をしたらしいので、中大兄皇子は百済人だと思われますが、中大兄皇子が百済王族と言う事は中臣鎌足も百済王族ですから同一人物の可能性があるのではないでしょうか。
国が無くなったから婿入りして嫁側の経済力を後ろ盾にして基盤を作っていったと思えば合致しないこともない。
皇室は日本固有の縄文人DNA D1a2aと云う特殊なY染色体を継承されており、これは日本人男性の約30%です。中臣鎌足とされるミイラのDNA鑑定に、興味を注られますね。今日の藤原氏と一致しているのか。
渡来人と言っても何百年もたつと日本人に同化すると思われます。
平和を愛する縄文人は渡来人に北海道や沖縄に追いやられたのかなだから本土の人は顔が薄いのだろう
今の天皇家はかの国の血筋かいな
お前にも半島や大陸の血は入ってるぞそもそも大和朝廷は渡来人が作ったものだからな
39000年中臣鎌足子孫は日本人だ。天皇・秦氏は日本人では無い。
鎌足が靴を拾って、近づいて、中大兄皇子をたぶらかしたんだよなあ
鎌足が百済の王子だから、仏教を取り入れる蘇我が邪魔だったとか
日本が隋唐と仲良くなられると百済としては面白くないもんな
当時、明日香には高句麗の王子もいたそうで
なんでも留学生という名目の人質だったとか
関裕二氏の書籍では、百済の王子 豊璋と書かれていますね
鎌足が記録に出てこない時期と白村江の戦いの時期が重なるだったかな
色々論拠を書いていた
百済と中臣氏、藤原氏のつながりはあってもおかしくないが、さすがに鎌足=豊璋は飛躍し過ぎる。
なお、関氏の書籍は私も読んだ。
関裕ニの説は月刊ムーと同レベル。学会では相手にされない人が適当に書いてるだけです。
鎌足=豊璋説は他の作家さん(名前忘れた)も主張してましたけど、、、
白村江の戦いの時期に記録に残されてない人なんて日本全国にクソほどいたのに、なんでその中で鎌足が実は豊璋と断言できるのか謎です。
そもそも日本書紀は藤原氏が書いたものです。しかし藤原氏の祖先である中臣鎌足が百済からやって来たとは一言も書かれていません。ちなみに扶餘豊は百済王氏の祖先だと奈良時代の書に書かれています。
鎌足の先祖は茨城県民
8:00からが本編。
天皇の後継者の系図の中に「大海人皇子(後の天武天皇)」が載っていないのはどうして?皇位継承者としては順位が低いので省略したのでしょうか?現実的には天武天皇が中大兄皇子(後の天智天皇)のあとを継ぎますが。
中臣鎌足は、百済の王子だったと言う説も何かで読んだ事があります。
王子が記録に残っている期間は鎌足の記録がなく、鎌足が記録に残っている期間は王子の記録がないとか。
百済の王子だったからこそ、白村江の戦いに出兵し、負けたので王子の身分を捨てたとも。
扶余豊璋ですね。
俺は漫画 天智と天武で
成吉思汗=源義経よりは可能性あります。
岡山に百済人が建てた山城があるらしいので
昔から渡来人は来てたでしょうね。
大和朝廷は百済人や蝦夷を討伐して本土を統一したんでしたっけ
縄文人は平和を愛する民族だったので、
大和民族が渡来人なのは納得できますね。
@@ワンパンマン-d8r 浅~い知識w
どう見ても魔理沙の方がハーフっぽいのだが。
だいしゅき魔理沙❤
改新の改革は孝徳朝が進めたことで孝徳朝では中大兄皇子は冷遇されてたと言われてますね
そもそも鎌足がテロを起こしても改革の方向性は変わらなかった
ヤバイのはこのチャンネルな気がしてきた😱
鎌足は百済の王子。人質として日本にいるうちに、百済が滅びてしまった。中臣氏は古くから皇室の忠臣として祭祀を担当していた氏族だから、鎌足は元祖背乗り?って記事を見た事がある。
また別記事では、中大兄皇子と大海人皇子は実は赤の他人で本当のところは大海人皇子の方が歳上だったとか……
古代日本は、国際化していたらしいので、...
天孫系そのものが渡来人じゃね? そもそも連でなく臣の系統は元々の大王家の家人。中臣氏が渡来人なのであればその主人も渡来人ってのが自然でしょう?
天照と素戔嗚はまず間違いなく新羅系やからね。
天孫系も多分渡来系やないかな。
元々の日本人は縄文人やし。
中臣しは関東に氏神を祭る歴然とした日本人。
いやいや、日本の豪族はほとんど、渡来人ですよ。現代人の6割とか、弥生人系だから、渡来人ですよ。
100%縄文人の人って、東北の田舎とかじゃないかなあ。しかも、上流層は渡来系だから、かわいそうだけど、貧困層かも?
家系図的には藤原鎌足の子孫なんだよな。
血縁で言えば養子とかあるから自称平氏で忍者の子孫
鎌足が亡くなる1日前に滑り込みで最高位の官位を賜ったって時点で藤原氏の台頭の影に藤原氏の陰謀があるって気が付けよ、大体官位を与えるのが死ぬ直前に間に合ったって事になってるけど、死亡証明なんて1日2日なら適当に何とでもなんやろ、藤原氏は何としてでも朝廷で蘇我の後ポジションを奪取したかったんだって。
何故タブー?
沙宅じゃないかな。
天孫族のアメノコヤネの子孫なら当然渡来人だろうと思ってたけど、、自称の可能性もあるのか(^_^;)
そんな説が😮
中臣鎌足は茨城県の鹿島市出身だという説がある。
鹿島神宮の近くに鎌足神社という場所があり、鎌足が生まれた場所だといわれている。
平安時代以前は、東国三社は鹿島神宮、坂戸神社、沼尾神社であり、坂戸神社は中臣氏の祖である、天児屋根尊を祀っている
間違いあるある佐賀県鹿島市
鹿嶋市ね 俺は常陸鹿島のほうがよかったんだけどね
@@クルーゼさん 香島
AD(キリスト誕生後)にも、多くの大和民族が朝鮮半島南部に渡っており、直轄地である任那もあったし、百済等の建国にも関わってた。
その後、日本国に戻った一族もいたので、それを含めて「渡来人」と言ってるなら、まあ分かるが。
それは後の話だね…。大元の流れは大陸⇒日本で、これが弥生時代から古墳時代まで継続的に発生していて、4世紀以降に日本側の力が強くなったので逆方向の流れが発生した。前者はDNA的に必然で、後者は考古学的に妥当。
素戔嗚と天照がまず間違いなく新羅系。
天孫も多分渡来系でしょ。
元々の日本人は縄文人だから渡来系にやられたし。
あとはとんでも論だけど奈良(ナラ)は朝鮮語で同じ読み方のナラが国を意味するし、渡来系が支配してたんじゃないの?
しょうもないね。日本人は多くが渡来人だろうに。というかどの国の人間もどこかからやってきてるのだからみな渡来人だろうに。
「たり」は韓国語の足だそうですよ。そういうこと
ハラ・カマも朝鮮ルーツの言葉
フジは百済(ペクチェ)を意味している、というまことしやかな説もあります(藤の語源は“吹き散る”)
百済も新羅も半島の南側
1000年以上前の渡来人がなんだってんだよwそんなこと言ったら世界の99パーセントは渡来人じゃねえかw
疑惑のかたまり
此の説は有り得ると思っています。 そう思う訳は…
・蹴鞠の話しは中国古典に元ネタが有るので、其れのパクリでしょう
・中臣鎌足が「乙巳の変」以前に名が知れてないのに、唐突に出て来る不自然さ
・「大職冠」を貰っているのは藤原鎌足と百済王子の豊璋の二人のみ
・其の二人が同時に日本書紀に記載されている事が無い
・そもそも、大国の唐と戦うまでの権益を半島には既に失っていた。 etc
漢民族さあ明らかに漢民族でないやつ始祖にしている王朝あるけどグダグダ言わないし、ヨーロッパなんて王様が他の国の血筋なんて当たり前だからなあ、こういう血統グダグダ言うやつこそやっぱり半島系なんだろなすぐ発狂するし
磐井の乱ってたしか書物で二行くらいしかなかったよね、古代はSF
朝鮮人あるあるですね。
天武の天ちゃんも渡来人説があるよ。だけどそもそも天ちゃん一族自体が半島生まれだから、聖徳太子とかもみんな渡来人になるね
ただ天武天皇、聖徳太子どちらも蘇我氏であり、蘇我氏は武内宿禰が祖先ですから、武内宿禰が半島に三韓征伐に行った時の子孫ではないでしょうか。武内宿禰は三韓征伐して三韓の王となり何年か半島の加羅にいたようです。
日本書記や古事記に依れば、初代天皇の神武は日向 (宮崎県) の出身ですよ。
日本書記の編纂を命じたのは天武天皇で、天武天皇は古代最大の内乱を制して、絶大な権力を得た天皇です。天武天皇は国家体制や法律を整え、「天皇」の称号、「日本」の国号を始めた天皇でもあります。
そのような絶大な権力者なら、出身地を語ることに、誰にも遠慮は不要なはずです。神武東征が架空の作り話であったとしても、出身地を聖地化できる立場の天武天皇が、初代神武は日向の出身であるとしていることは重要でしょう。朝鮮半島から天皇が来たと言う人は、この点を説明できてませんね。
そもそも、文明のない太古の頃、寒い地域から日本列島に渡ってきたと言うのは不自然。
温かく自然豊かな南方から日本へ渡ってきたと考えた方が良い。
そして日本の九州地方から大陸へ渡って行ったんだろう。そして往来。
DNA的に、言語学的にも全くの別民族なので、決して多くはない往来だっただろう。
とにかく、過去を捏造してマウントを取りに来ないで欲しい。
@@isamu4994南方説で行くと弥生人の出現が説明ができないんよ。
DNA的に日本の中央部に住んでいる種族はほぼ弥生人の系統でこのDNAの発生源は中国東北部であることが確定してる。
薩摩隼人、東北蝦夷は縄文人で現代でもその影響が残っていて、アイヌと琉球民族は縄文人の系統に属してる。
南方説だとその痕跡が沖縄や九州南部に無いことが説明できないし、DNA上の矛盾も解決出来ない。
神話との整合性を考えると高天原は大陸の朝鮮半島か満州で、そこからの渡来人が天つ神と見做すべきだろう。扶余が倭人の起源とする中国の歴史書の見解があるが、それほど間違ってはいないだろう。
鎌足がいたかどうか。そこから疑ってみる必要があると思います。
中臣鎌足は冠位が大織冠ですが、大織冠は最高位で大臣の上であり、普通の人は絶対もらえない外国の王族クラスでないともらえないそうですから鎌足は百済王族と思われます。他に織冠をもらったのは百済王族豊璋だけだそうですから、鎌足は豊璋だと思われます。そして豊璋即ち鎌足が中臣氏に婿入して中臣鎌足になったようですから中臣鎌足は豊璋で実在していると思われます。むしろ中大兄皇子の実在が疑問です。中大兄皇子は日本人でないので天皇になれなかったので称制をしたらしいので、中大兄皇子は百済人だと思われますが、中大兄皇子が百済王族と言う事は中臣鎌足も百済王族ですから同一人物の可能性があるのではないでしょうか。
国が無くなったから婿入りして嫁側の経済力を後ろ盾にして基盤を作っていったと思えば合致しないこともない。
皇室は日本固有の縄文人DNA D1a2aと云う特殊なY染色体を継承されており、これは日本人男性の約30%です。
中臣鎌足とされるミイラのDNA鑑定に、興味を注られますね。
今日の藤原氏と一致しているのか。
渡来人と言っても何百年もたつと日本人に同化すると思われます。
平和を愛する縄文人は渡来人に北海道や沖縄に追いやられたのかな
だから本土の人は顔が薄いのだろう
今の天皇家はかの国の血筋かいな
お前にも半島や大陸の血は入ってるぞ
そもそも大和朝廷は渡来人が作ったものだからな
39000年中臣鎌足子孫は日本人だ。天皇・秦氏は日本人では無い。