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子供のころからゼロ戦に憧れたおじさんにとって、こうやって、ブランニューのゼロ戦が見られるのは、まさに夢のようです。この機体はレストアでもなんでもなく、三菱の青写真とサルベージされた部品を基にゼロからスクラッチビルドされ、カナダで耐空証明を受けた歴としたものです。オリジナルの設計こそ日本ですが、歴史的技術に対する態度の彼我の違いに驚きます。20年以上前に工場を見学しましたが、カルバリー家の方々が力を合わせてこの歴史的プロジェクトに取り組まれているのを見て、強く感銘を受けたのを昨日のことのように思い出します。ゼロ戦がもし喋れたら、いまはカナダが自分の故郷だと言いそうな気さえます。
今の目で見ても、零戦のスタイルは美しいと思う。
空飛ぶ芸術品です。
どこぞの米帝のf4uとかと違ってな
航空力学の粋を極めていると思う、当時の海軍の無茶な要求を満足する設計をした堀越技師の頭脳 尾翼の先が細く萎んでいることで、空気抵抗の低減を図り、防弾装備無しで総重量の低減を図り、更には、枕頭リベットを用い機体表面の空気の流れまで考えたことにより航続距離の延長を目指した‼️素晴らしい機体だと思う
日本人だから零戦はカッコよく見えると思ってました。しかし当時海軍からの無理注文を実現するため胴体や羽を極限まで細く薄くして無駄なぜい肉を省いたデザイン。その結果海外の人から見ても美しい機体に見えるらしいですね。
この機体を20歳前後の若者達も操縦していたと考えると感慨深くなってしまう
特攻じゃなく、こうやって空を自由に飛んでる0を見ると嬉しく思う。
あとなんか嬉しくもなるよね。当時の兵士たちが望んだ平和が今の日本に築かれてるの
この機体は、南太平洋のジャングルで発見された空母赤城所属の零戦を採寸してできるだけオリジナルに近く新たに創られた機体です。零戦の栄エンジンは再生しようがないのでほぼ似た出力、大きさの当時のアメリカエンジンを搭載せざるを得ず、若干エンジンカウリングは大きくなっていますが、飛行性能はほぼオリジナルに近いものです。尾翼の機体番号は発見された零戦のオリジナル番号です。操縦しているパイロットでオリジナル画像と同一だと分かりました。
赤城所属ではなく空母ズイカク所属の中島飛行機製でした。
素晴らしい映像ありがとうございます。
@@オリハルコン-t8m 様 素人には判りえない貴重な情報ありがとうございました。 という事はスバル系のエンジンでしょうか、動画と共に楽しめました。
@@joshuau2250 サン米国のプラットアンドホイットニー製1200馬力エンジングラマンF4Fワイルドキャットと同じ。
@@ナオ-y6p ライバルだったF4Fの心臓部を移植して蘇る零戦、ある意味戦後の象徴でもありますね。飛ぶ姿は本当に美しい。
とても優雅で美しいに尽きます。そして当時の日本の技術力の高さが凄すぎる。
当時この機体を17〜20歳ぐらいの若い子達が操縦してたと思うと凄い事だと思う🫡
まったくそうですね。最初に零戦52型が日本に一時里帰りした時、これを見た老人の方の回想に、50年前は自分も確かにあれに乗って大空をとんでいたんだと思っても、もう信じられない気がしたというのがありました。
まあドイツとか29歳の戦闘機総監いたし。スポーツ選手とおなじだから若いのは当たり前だ
尾輪のプロペラ機は滑走路を真っ直ぐ走りません。理由は後ろから見るとプロペラが右に回転しているためで、反動トルクで左にとられますまた回転抑えると右にとられます。それらを調整しながらパイロット飛んでいるのです。エンジンスタートする場合は操縦桿アップ側へ動き始めたらダウン側へすることで充分速度付くと尾輪が浮いて前のめりかなおもったころ操縦桿を静かにアップに、地面を離れるとプロペラトルクで左に取られのでラダー右にほんの少しふみます。それらの事をいろいろやっていますが、飛行機の操縦は自転車乗ると同じ正確にできるかどうかわかりませんが、忘れるもではありません。
乗ってたのですか?凄い。
@@コウダイ-r1v TF51Dの無料の物理シミュレーターがありますので、 やってみると、いかにレシプロ機の離陸に技術がいるかが分かりますよ。 初心者でまず、まともに離陸滑走できる人は居ません。 その前にタキシングして離陸開始位置に付けるだけでも、一苦労です。 実機で、この難しいの上げてたのかと感動します。
80年前にこんな技術があったなんてすごい江戸時代の終わりから80年ちょっとで日本は零戦を生み出したのがスゴすぎる
たしかに…!脱線かもですが、近年でも驚愕すべき技術革新をリアルタイムで感じたことがありました。モノクロのドット画面のゲームボーイ、通信ケーブルでポケモン交換してた小学生時代。その10数年後、無料オンライン3Dゲーム、スマホが普及した高校、大学時代。今でさえ過去のことで当然のことだけど、当時は信じられない思いでいました。
@@missotsukete129今では世界中で日本の技術が活躍していて誇らしいですね
元ラバウル航空隊の零戦搭乗員です。現代でも零戦を大事にしてくれる方々がいる事で、英霊達も喜んでいると思います。
坂井三郎さんや西沢さんと、一緒に戦われたのですね?笹井淳一さんも‼️お疲れ様、ご苦労様でした!貴殿方のおかげさまで今の日本が有ります。敬礼
今おいくつですか?お体に気をつけてくださいね。
おいくつですか?凄すぎる
本田稔さんが2021年11月にお亡くなりになりました。この方が現存していた最後の零戦搭乗員でした。皆様、騙されないでください。しかも「ラバウル航空隊」という隊名は存在しません。
@@sooar-ne1pmラバウル航空隊など存在して無かったが。常識ですよ。覚えて置きなさい。
美しいですね~♥♥
能力を発揮するために極限まで無駄を省いた機体、研ぎ澄まされた日本刀のように美しい!当時の帝国海軍所属機を忠実に再現した装備や塗装にも脱帽します。
戦争を全く知らない世代だけどマスタングと仲良く飛んでいる姿になぜか涙腺が・・・・・
零戦は美しいタイヤが格納されてツルッとしてる所や翼の形が素敵日本が開発した事を誇りに思います自分で操縦して飛んでみたいなぁ✈️
何故か涙が出ます。
航続距離の長さは今でもピカイチ❕薄いジュラルミンの軽い機体で有りながら戦闘機としての翼面過重に耐えうる設計はさすが天才堀越次郎❕旋回性能、上昇速度などプロペラ機としての性能も今でもピカイチ❕
十年前所沢の航空公園に実機を見に行きましたあの音と風と排気ガスの匂いは良い思い出です
離陸後、引込み脚が左右別々に格納するのはかっこいい!当時は左右別々ではなく一緒に格納する期待もあったそうです。
引き込み油圧シリンダーの抵抗が少ない方から引き込むそうです。機体によって右、左があったらしく、さらには同時の機体もあったとは思います。ちなみに油圧は当時の日本は工作がいまいちだったらしく雷電は電動です。電動ではさすがに同時に引き込んだと思います。
にしても、綺麗に飛ばしてくれるよなぁ。このベテランじいちゃん
零戦…日本の誇りの1機です(*´ー`*)
今度乗るときの参考にします。
まさか飴色の零戦見せてもらえるなんて嬉しい、真珠湾攻撃の時は飴色でしたからね、後に陸軍の誤射により亡くなられた板谷茂さんも搭乗されていましたよね。
ランディングが特に美しいですね。パイロットと機体が一体となってるようです。ここまで乗りこなしてくれると零戦も嬉しいでしょうね。栄のサウンドも良いですね。最高です。
残念ながら栄ではありません PandWのエンジンです
これ、栄じゃない🥲栄は1台しかない。
あの着陸では空母への着艦は出来ませんね。 ゼロ戦は海軍なので、陸上でも3点着陸が義務付けられて居たと何かで読んだ記憶が有ります。
@@kaisoukonbuさん機体No.61-120ですよね。1994年5月に茨城県龍ヶ崎飛行場で飛んだのを見に行きました。エンジンを保護する為にスロットル80%までの制限をしていると解説で言っていました。確かに、重々しく飛んでいたのを覚えています。一方で、ノースアメリカンP51Dマスタングはエンジン全開で離陸して行き、ハイスピードパスを披露し、低空を時速600キロ超で通過して行きました。あまりの馬力の違いに、『これは流石に勝てない。勝負にならないな』と思ってしましました。
@@charioce826 すみません。機体までは忘れてしまったんですけど栄エンジンは復元されたのが1機と、アメリカで日本人の整備士が0から制作途中でオーナーが変わり途中で制作が止まっているものが1機あります。調べたら61-120が栄エンジンですね。アメリカ人がアメリカで所有していますがどうやって日本に持ってきたんでしょう💦船ですかね?何のエンジンでもそうですけど、エンジンはフルスロットルで使用するものでは無いので、実は車でもバイクでも無意識のうちに上限8割くらいで運転しているもんですよ。栄エンジンのレストア事業がまた再開すれば新しい栄エンジンの零戦のフライトも見れる日が来るかもしれません!!
戦後生まれで戦争は知りませんが、其れでもレイ戦のこんな姿を見れば目頭が熱くなります。
ありがとう懐かしい😭😭
読んでいた小説に零戦二一型が出てきたので見に来ました!本当に無知ですが、美しいですね。
コミックの戦空の魂の一説で、零戦は初めて英米を凌駕した工業製品って感じの台詞があり、当時はそれを読んで感動した記憶があります。
零戦にしても戦艦大和にしても、性能もさることながら、デザインが美しすぎる。日本の様式美は誇れるものだと思う。
戦闘機の当時の強さはパイロットの技量が半分以上ですね、電子化が進んだ今でも一人前のパイロットを育てるのは10年はかかるんでしょうね。それにしても綺麗な機体、コクピットですね。アメリカ🇺🇸さんじゃ無いとここまでは出来なかったでしょうね
この時代でもうチームで戦う有利さがあるので編隊空戦できるシステムと機体でないゼロ戦の劣勢はきまっていた
零戦は素晴らしくいい戦闘機だと思います。いろいろ欠点はありますが世界に誇れる美しい戦闘機だと思います。
日本の技術、栄エンジン、空を飛ぶ、ゼロ戦の魅力、撮影したいです。また観たいですね。
this video is really awesome.., its make me feel really close with Reisen..
Beautiful fighter!
零戦が実際に飛んでいる……この目で実機を見てみたいです✨
かつて敵同士、今はゼロ戦を大切にしてくださり嬉しい限り
現代では3Dプリンタなどの技術の発達によってオリジナル部品からワンオフで部品を作って新造することのハードルが昔に比べてはるかに低くなっています。日本の手で疾風や百式司偵などの傑作機もこの零戦のように復元してみたいですね。
嘗ては恐怖の対象だったゼロ、現代ではその最大の敵国だった国の人間が、その機体をレストアして飛び回っている事に少し不思議。それでも空中を飛翔するゼロ戦は矢張り美しいとしか言えない。これは日本人だからなのだろうか、とふと思ってしまう。子供の頃憧れたゼロ戦、飛んでいる姿だけで十分ですね。BGMは邪魔だね。
零戦美しくてカッコいいし性能も凄いですね。開発者も凄いです。いづも、かがに載せてみたい。
ZEROのエンジン音たまらない大事にしていつまでも
21型は優美で好き
翼の長さはコレが1番いい!32型は駄目!
零戦はほんまかっこいい
祖父や曾祖父達がカッコ良すぎる可愛い祖母や曾祖母が惚れる訳だわ🥺
世界名機❤
どうせシミュレーターだろって思ってみたら実機でびっくりした
設計者の堀越二朗さんはきっと絵の才能も秀でてたんでしょう。そうでなければ零戦のこんな華麗なシルエットは生まれるはずがない。それで思い出した。イギリスに短期留学した時に英国人の先生が「イギリスは文学でも音楽でも世界に冠たる作品があるが国立美術館の著名な作品に英国人画家の作品はほとんど無いんだ(苦笑)」と自虐してたのを。アメリカ機が性能優秀だけれど優美と言えるデザインがほとんどないのはアングロサクソンだからかww。
世界で一番美しいプロペラ戦闘機。
このおじいさんこの零戦の専属パイロットでもありましたね。グラマンF4Fを解説する動画もアップされています。
零戦は初期型塗装が似合うなあ。
Drop the music! I want to hear the engine!!!
me to.
CADやシミュレーションなど無いから設計者の経験とセンスでデザインしていた時代、その美的感性が素晴らしいですね。普遍のグッドデザイン、同時に卓越した飛行性能を実現。勝手に模造品を作るのは意匠侵害ですよ!。(笑!)
カッケェ〜!!
零戦ラジコンでは飛ばしたことありますが、実機の飛んでる勇者を、この目でみたいですね。
So is this how much more power than an original Nip engine?
14:15あたりから流れてくる音楽がなんかぐっときた
ちょうどゼロ戦に乗るとこだったから助かる
乗れるの?
見たことも、勿論操縦したこともないけど、何故か零戦はパイロットと一体になって飛ぶ感じがして、凄く操縦しやすそうとこの動画を見て感じた
手足のように動いたらしいですよ。当時の搭乗員の人が言ってました。
車で言うとAE86だよな。
これ保守部品の入手大変だろうな・・・ワンオフも多いのだろうか。SI単位系とヤーポン法という壁もありそう。
塗装が少し違う様な明灰色が、コックピットの内装色も若竹色が?
平成の中頃から明灰白色は否定されて飴色だったと言われてます。この零戦は南方の強烈な日射しからくる退色なども考慮した新色じゃなかったかな?
室内塗装はこれが正解。保存されている機体の写真、プラモ用の塗料、全てこの色。
@@幸男橘 外板の色も、これが正しく「現用飴色」とはこの色です。これが日光で褪色すると、いわゆる明灰白色となります。堀越次郎著「零戦」を読んでも、試作機は灰緑色の塗装がかけられとあり、これが現用飴色です。
零戦懐かしいな、お母さんのおじいちゃんが零戦のパイロットだったのでガダルカナルとかによく行っていたので話しとかいろいろ聞いてな
BGMうるさすぎる!
素晴らしい、飛び方、でも、この気体に、乗ってたパイロットは、亡くなったんだと思うと、切ない、有り難う、零戦。
零戦の素晴らしいさは軽量な機体とそれにマッチしたエンジン。最初は九六戦になれた搭乗員が最初は文句言ったそうですけど、優れた当時の搭乗員とマッチして無敵だったんでしょうね。
私の親族で名古屋市の大江工場から試験飛行するために十二試艦載上戦闘機を牛車で各務原基地まで運んだ大伯父いますよ、皇紀2600年の前年(昭和十四年)運びましたよ、その後ははしけで運びましたよ、重慶の渡洋爆撃では零戦の効果で中国軍機が沢山撃墜されましたよ、そのパイロットの中には坂井三郎さんもみえましたよ。
シュミレーションではありませんが、玩具みたいな飛行機の操縦経験があります。そこで思うのが0戦で奇麗にロールできるパイロットがいません。なぜできないのか、ロールする前に落ちるのが恐ろしく、必要以上にアップかけて背面なった時、ダウンをかけてないので樽型ロールになります。2回ロールするのみたことがありません。0戦の翼型から樽型にはなりやすいですが、そのため比較的経験の浅いパイロットでも安全飛べたのが0戦です。実際に操縦していた」人(分隊長)から0戦の不満はなっかたときいています。私の兄は52型0戦500キロ爆弾を抱いて特攻し戦死しています。
せっかくのエンジン音がBGNのせいで聞こえない。
マジそれな栄エンジン……
残念ながら、この機は栄エンジンではないです。
特攻で使わない零戦が1番かっこいい🎉
弱点なんか探しゃいくらでもあるけどそうじゃ無いんだ。乗る人にそこの欠陥を抱えさせる覚悟でより高性能な機体に仕上げて乗せてやろうって所が良いんだ。
小学生の頃、父ちゃんと桶川に零戦見に行ったの思い出したわ。スミソニアン博物館にある震電もレストアして飛ばしてもらえんだろうか?塗色はね今や誰にも『本当の色』は分からんのです。
見なくても俺は零戦パイロットだ
こんな飛行機が欧米から遥か離れた日本で製作できたことは欧米の列強からすると驚いたに違いありません。独特の文化と独特の技術は世界に誇れるとともに世界中の脅威でもあったのですね?
ゼロ戦とスピットはエンジンをアイドルにしても飛べるほど翼面荷重が小さい。急旋回すれば失神するのが当たり前だったと思う。この機体で高速戦闘機に勝つにはかなりのベテランじゃないと難しい。空戦中、ゼロ戦パイロットは後ろを見ながら飛んでいたはずである。
排気圧計では無くて吸気圧計ですね
過給機がついているので、より正しく当時の用語を使えば給気圧計ですね。
21型の動態保存なんて存在していたのか…
始動時のエンジン音が何ともいかつい( *´艸`)
優れ過ぎた戦闘機を生み出してしまって航空産業がいまだに許されていない・・・寂しいですね
いろいろ利権がらみなどで邪魔されたりしてるが、許されてない訳じゃないです。
ロックフェラーさんに睨まれちゃいますからね😱
敵艦に体当たり突入する瞬間の思いを伝授する方はほぼ存在しなくなりました。零戦を知らない人が世の中、殆どです。歴史的に何処まで、零戦を拡められるかに依ります。37年前に知り合った方は、女子挺身隊員として群馬県太田市で完成された零戦の検査をされていたそうです。もう一人の方は女子挺身隊員として愛知県の方で零戦の組み立てラインに携わったそうでした。女子挺身隊員の女仲間がBー29の空襲の時に逃げ遅れて約、数百名程、名誉の戦死をされたそうでした。 令和6年1月29日、月曜日。
フライト中のBGM不要
R-1830なんでこれでF4Fも大丈夫かなぁ…
2倍近い機体重量差があるので、まだ巴戦では圧倒的に零戦有利で三回転程で立場が逆転していたように記憶しています。「第二次世界大戦機アーカイブDVD零戦VSワイルドキャット」とゆうDVDで実証動画があります。
やっぱり52より21だね😊
でもね~✨大事にしてくれてるみたいだからよしとするか(爆)俺はゼロが大好きだぁ~✨
二十歳くらいでセスナ機のライセンス資格を取得して置けば、良かったと後悔しています。
大戦時に零戦乗りだったジッジにどの型の零戦が1番か聞いた時21型か22型かで一日中悩んでましたね。初期の零戦は熟練工が丁寧に造っていて精度がとても高く操縦すると手足のように反応してくれたらしいです。
但し、零戦はプラモデルも作るのは難しい
ゼロ戦一式隼の大活躍でアジアの欧米を駆逐し世界を独立させました。 最大の功績でありますから、戦勝国です。ありがとう。涙が出ます。
実機も大変工数がかかったと聞いた事が有ります
俺が若い頃に住んでいた近所の爺さんは零戦パイロットだったらしく、お酒を飲みながら良く言ってました。「零戦は最高の飛行機だった!自分の手足の様に動いてくれる。また乗ってみたい」と爺さんは趣味で「プラモデル作り」をしていて、暇があればお邪魔して一緒に作ってました。爺さんが亡くなった時にご家族の方から頂いた零戦のプラモデルは今でも俺の宝物です。
21型で飛べるやつあるんかーい。
日本の誇り?
メイドインジャパン!
敵味方識別帯が変で残念ですね資料を見てやってないんだなって感じで…そもそも灰白色の零戦は敵味方識別帯は無いんですがね
げんよう飴色とゆうらしいですね、オリジナルカラーは。
@@オリハルコン-t8m 飴色は変色による物だというのが有力なようです。当時工場では白色と黒色を混ぜた塗料で塗装しているとのこと。
私の投稿ネタ元は、ユーチューブ上「第二次世界大戦DVDアーカイブ零戦VSワイルドキャット」です。書店で買いました。
@@ジャガー-m5v そもそも三菱オリジナルの零戦生産は少なくて愛知精機や中島飛行機など、似たような航空機会社で作られた機体が圧倒的に多いから似た色を創るのに苦労したかもしれませんね。オリジナルは工場から飛行場まで牛に引かせて運んだとゆうではありませんか。
おまけに東海地方は軍事機密ではありますが戦争中壊滅的地震に襲われたので貴重な資料すら一切失わなれてしまったのかもしれませんね。
座席の後ろの防弾対策してないとな。軽くして運動性能と航続距離を優先した機体
愛媛県にある、紫電改の機体のパネルの薄さがこんな機体で戦っていたんだなと驚きました。 日本では動態保存は無理だよな。
まじで零戦ってペラッペラなんやね内装でわかる
デジタル映像はプロペラが止まって見えるから残念だね
シュミレーターゲームのIL-2でドッグファイトをするとホーカーハリケーンのような小回りの利く戦闘機だとP-51やメッサーシュミットにかなりの確率で勝てるのでゼロ戦は世界最強であったと思う。
I wish you didn't have that stupid music playing when that beautiful aircraft was in the air, it spoiled a other wise gear video.
ほんまに、かっこいい それしか出ない
百式も国も
手順が多すぎて聞いてるだけで頭死ぬ。しかも着陸の方が難しいし、零式艦上戦闘機って事はどうやって日本の小さい空母に着陸してたんですか?って感じ。学力が高くて目が良くて身体が強くてパニック起こさない人しか乗れないじゃん。
飛行中はBGMを止めれば良かった!。エンジンとプロペラの音の迫力が伝わら無い!。😡んっ?、若しかして映画のワンシーン?。
子供のころからゼロ戦に憧れたおじさんにとって、こうやって、ブランニューのゼロ戦が見られるのは、まさに夢のようです。この機体はレストアでもなんでもなく、三菱の青写真とサルベージされた部品を基にゼロからスクラッチビルドされ、カナダで耐空証明を受けた歴としたものです。オリジナルの設計こそ日本ですが、歴史的技術に対する態度の彼我の違いに驚きます。20年以上前に工場を見学しましたが、カルバリー家の方々が力を合わせてこの歴史的プロジェクトに取り組まれているのを見て、強く感銘を受けたのを昨日のことのように思い出します。ゼロ戦がもし喋れたら、いまはカナダが自分の故郷だと言いそうな気さえます。
今の目で見ても、零戦のスタイルは美しいと思う。
空飛ぶ芸術品です。
どこぞの米帝のf4uとかと違ってな
航空力学の粋を極めていると思う、当時の海軍の無茶な要求を満足する設計をした堀越技師の頭脳 尾翼の先が細く萎んでいることで、空気抵抗の低減を図り、防弾装備無しで総重量の低減を図り、更には、枕頭リベットを用い機体表面の空気の流れまで考えたことにより
航続距離の延長を目指した‼️素晴らしい機体だと思う
日本人だから零戦はカッコよく見えると思ってました。しかし当時海軍からの無理注文を実現するため胴体や羽を極限まで細く薄くして無駄なぜい肉を省いたデザイン。その結果海外の人から見ても美しい機体に見えるらしいですね。
この機体を20歳前後の若者達も操縦していたと考えると感慨深くなってしまう
特攻じゃなく、こうやって空を自由に飛んでる0を見ると嬉しく思う。
あとなんか嬉しくもなるよね。当時の兵士たちが望んだ平和が今の日本に築かれてるの
この機体は、南太平洋のジャングルで発見された空母赤城所属の零戦を採寸してできるだけオリジナルに近く新たに創られた機体です。零戦の栄エンジンは再生しようがないのでほぼ似た出力、大きさの当時のアメリカエンジンを搭載せざるを得ず、若干エンジンカウリングは大きくなっていますが、飛行性能はほぼオリジナルに近いものです。尾翼の機体番号は発見された零戦のオリジナル番号です。操縦しているパイロットでオリジナル画像と同一だと分かりました。
赤城所属ではなく空母ズイカク所属の中島飛行機製でした。
素晴らしい映像ありがとうございます。
@@オリハルコン-t8m 様
素人には判りえない貴重な情報ありがとうございました。 という事はスバル系のエンジンでしょうか、動画と共に楽しめました。
@@joshuau2250 サン
米国のプラットアンドホイットニー製1200馬力エンジングラマンF4Fワイルドキャットと同じ。
@@ナオ-y6p
ライバルだったF4Fの心臓部を移植して蘇る零戦、ある意味戦後の象徴でもありますね。
飛ぶ姿は本当に美しい。
とても優雅で美しいに尽きます。
そして当時の日本の技術力の高さが凄すぎる。
当時この機体を17〜20歳ぐらいの若い子達が操縦してたと思うと凄い事だと思う🫡
まったくそうですね。最初に零戦52型が日本に一時里帰りした時、これを見た老人の方の回想に、50年前は自分も確かにあれに乗って大空をとんでいたんだと思っても、もう信じられない気がしたというのがありました。
まあドイツとか29歳の戦闘機総監いたし。スポーツ選手とおなじだから若いのは当たり前だ
尾輪のプロペラ機は滑走路を真っ直ぐ走りません。理由は後ろから見るとプロペラが右に回転しているためで、反動トルクで左にとられます
また回転抑えると右にとられます。それらを調整しながらパイロット飛んでいるのです。
エンジンスタートする場合は操縦桿アップ側へ動き始めたらダウン側へすることで充分速度付くと尾輪が浮いて前のめりかなおもったころ
操縦桿を静かにアップに、地面を離れるとプロペラトルクで左に取られのでラダー右にほんの少しふみます。
それらの事をいろいろやっていますが、飛行機の操縦は自転車乗ると同じ正確にできるかどうかわかりませんが、忘れるもではありません。
乗ってたのですか?
凄い。
@@コウダイ-r1v TF51Dの無料の物理シミュレーターがありますので、
やってみると、いかにレシプロ機の離陸に技術がいるかが分かりますよ。
初心者でまず、まともに離陸滑走できる人は居ません。
その前にタキシングして離陸開始位置に付けるだけでも、一苦労です。
実機で、この難しいの上げてたのかと感動します。
80年前にこんな技術があったなんてすごい
江戸時代の終わりから80年ちょっとで日本は零戦を生み出したのがスゴすぎる
たしかに…!
脱線かもですが、近年でも驚愕すべき技術革新をリアルタイムで感じたことがありました。
モノクロのドット画面のゲームボーイ、通信ケーブルでポケモン交換してた小学生時代。その10数年後、無料オンライン3Dゲーム、スマホが普及した高校、大学時代。今でさえ過去のことで当然のことだけど、当時は信じられない思いでいました。
@@missotsukete129今では世界中で日本の技術が活躍していて誇らしいですね
元ラバウル航空隊の零戦搭乗員です。現代でも零戦を大事にしてくれる方々がいる事で、英霊達も喜んでいると思います。
坂井三郎さんや西沢さんと、一緒に戦われたのですね?笹井淳一さんも‼️
お疲れ様、ご苦労様でした!貴殿方のおかげさまで今の日本が有ります。敬礼
今おいくつですか?お体に気をつけてくださいね。
おいくつですか?凄すぎる
本田稔さんが2021年11月にお亡くなりになりました。
この方が現存していた最後の零戦搭乗員でした。
皆様、騙されないでください。
しかも「ラバウル航空隊」という隊名は存在しません。
@@sooar-ne1pmラバウル航空隊など存在して無かったが。常識ですよ。覚えて置きなさい。
美しいですね~♥♥
能力を発揮するために極限まで無駄を省いた機体、研ぎ澄まされた日本刀のように美しい!
当時の帝国海軍所属機を忠実に再現した装備や塗装にも脱帽します。
戦争を全く知らない世代だけどマスタングと仲良く飛んでいる姿になぜか涙腺が・・・・・
零戦は美しい
タイヤが格納されてツルッとしてる所や翼の形が素敵
日本が開発した事を誇りに思います
自分で操縦して飛んでみたいなぁ✈️
何故か涙が出ます。
航続距離の長さは今でもピカイチ❕薄いジュラルミンの軽い機体で有りながら戦闘機としての翼面過重に耐えうる設計はさすが天才堀越次郎❕旋回性能、上昇速度などプロペラ機としての性能も今でもピカイチ❕
十年前所沢の航空公園に実機を見に行きました
あの音と風と排気ガスの匂いは良い思い出です
離陸後、引込み脚が左右別々に格納するのはかっこいい!
当時は左右別々ではなく一緒に格納する期待もあったそうです。
引き込み油圧シリンダーの抵抗が少ない方から引き込むそうです。機体によって右、左があったらしく、さらには同時の機体もあったとは思います。
ちなみに油圧は当時の日本は工作がいまいちだったらしく雷電は電動です。電動ではさすがに同時に引き込んだと思います。
にしても、綺麗に飛ばしてくれるよなぁ。このベテランじいちゃん
零戦…日本の誇りの1機です(*´ー`*)
今度乗るときの参考にします。
まさか飴色の零戦見せてもらえるなんて嬉しい、真珠湾攻撃の時は飴色でしたからね、後に陸軍の誤射により亡くなられた板谷茂さんも搭乗されていましたよね。
ランディングが特に美しいですね。パイロットと機体が一体となってるようです。ここまで乗りこなしてくれると零戦も嬉しいでしょうね。栄のサウンドも良いですね。最高です。
残念ながら栄ではありません PandWのエンジンです
これ、栄じゃない🥲栄は1台しかない。
あの着陸では空母への着艦は出来ませんね。 ゼロ戦は海軍なので、陸上でも3点着陸が義務付けられて居たと何かで読んだ記憶が有ります。
@@kaisoukonbuさん
機体No.61-120ですよね。
1994年5月に茨城県龍ヶ崎飛行場で飛んだのを見に行きました。
エンジンを保護する為にスロットル80%までの制限をしていると解説で言っていました。
確かに、重々しく飛んでいたのを覚えています。
一方で、ノースアメリカンP51Dマスタングはエンジン全開で離陸して行き、ハイスピードパスを披露し、低空を時速600キロ超で通過して行きました。
あまりの馬力の違いに、『これは流石に勝てない。勝負にならないな』と思ってしましました。
@@charioce826 すみません。機体までは忘れてしまったんですけど栄エンジンは復元されたのが1機と、アメリカで日本人の整備士が0から制作途中でオーナーが変わり途中で制作が止まっているものが1機あります。
調べたら61-120が栄エンジンですね。
アメリカ人がアメリカで所有していますがどうやって日本に持ってきたんでしょう💦船ですかね?
何のエンジンでもそうですけど、エンジンはフルスロットルで使用するものでは無いので、実は車でもバイクでも無意識のうちに上限8割くらいで運転しているもんですよ。
栄エンジンのレストア事業がまた再開すれば新しい栄エンジンの零戦のフライトも見れる日が来るかもしれません!!
戦後生まれで戦争は知りませんが、其れでもレイ戦のこんな姿を見れば目頭が熱くなります。
ありがとう
懐かしい😭😭
読んでいた小説に零戦二一型が出てきたので見に来ました!
本当に無知ですが、美しいですね。
コミックの戦空の魂の一説で、零戦は初めて英米を凌駕した工業製品って感じの台詞があり、当時はそれを読んで感動した記憶があります。
零戦にしても戦艦大和にしても、性能もさることながら、デザインが美しすぎる。日本の様式美は誇れるものだと思う。
戦闘機の当時の強さはパイロットの技量が半分以上ですね、電子化が進んだ今でも一人前のパイロットを育てるのは10年はかかるんでしょうね。それにしても綺麗な機体、コクピットですね。アメリカ🇺🇸さんじゃ無いとここまでは出来なかったでしょうね
この時代でもうチームで戦う有利さがあるので編隊空戦できるシステムと機体でないゼロ戦の劣勢はきまっていた
零戦は素晴らしくいい戦闘機だと思います。いろいろ欠点はありますが世界に誇れる美しい戦闘機だと思います。
日本の技術、栄エンジン、空を飛ぶ、ゼロ戦の魅力、撮影したいです。また観たいですね。
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Beautiful fighter!
零戦が実際に飛んでいる……この目で実機を見てみたいです✨
かつて敵同士、今はゼロ戦を大切にしてくださり嬉しい限り
現代では3Dプリンタなどの技術の発達によってオリジナル部品からワンオフで部品を作って新造することのハードルが昔に比べてはるかに低くなっています。日本の手で疾風や百式司偵などの傑作機もこの零戦のように復元してみたいですね。
嘗ては恐怖の対象だったゼロ、現代ではその最大の敵国だった国の人間が、その機体をレストアして飛び回っている事に少し不思議。
それでも空中を飛翔するゼロ戦は矢張り美しいとしか言えない。これは日本人だからなのだろうか、とふと思ってしまう。子供の頃
憧れたゼロ戦、飛んでいる姿だけで十分ですね。BGMは邪魔だね。
零戦美しくてカッコいいし性能も凄いですね。
開発者も凄いです。
いづも、かがに載せてみたい。
ZEROのエンジン音たまらない
大事にしていつまでも
21型は優美で好き
翼の長さはコレが1番いい!
32型は駄目!
零戦はほんまかっこいい
祖父や曾祖父達がカッコ良すぎる
可愛い祖母や曾祖母が惚れる訳だわ🥺
世界名機❤
どうせシミュレーターだろって思ってみたら実機でびっくりした
設計者の堀越二朗さんはきっと絵の才能も秀でてたんでしょう。そうでなければ零戦のこんな華麗なシルエットは生まれるはずがない。
それで思い出した。イギリスに短期留学した時に英国人の先生が「イギリスは文学でも音楽でも世界に冠たる作品があるが国立美術館の著名な作品に英国人画家の作品はほとんど無いんだ(苦笑)」と自虐してたのを。
アメリカ機が性能優秀だけれど優美と言えるデザインがほとんどないのはアングロサクソンだからかww。
世界で一番美しいプロペラ戦闘機。
このおじいさんこの零戦の専属パイロットでもありましたね。グラマンF4Fを解説する動画もアップされています。
零戦は初期型塗装が似合うなあ。
Drop the music! I want to hear the engine!!!
me to.
CADやシミュレーションなど無いから設計者の経験とセンスでデザインしていた時代、
その美的感性が素晴らしいですね。普遍のグッドデザイン、同時に卓越した飛行性能を実現。
勝手に模造品を作るのは意匠侵害ですよ!。(笑!)
カッケェ〜!!
零戦ラジコンでは飛ばしたことありますが、実機の飛んでる勇者を、この目でみたいですね。
So is this how much more power than an original Nip engine?
14:15あたりから流れてくる音楽がなんかぐっときた
ちょうどゼロ戦に乗るとこだったから助かる
乗れるの?
見たことも、勿論操縦したこともないけど、何故か零戦はパイロットと一体になって飛ぶ感じがして、凄く操縦しやすそうとこの動画を見て感じた
手足のように動いたらしいですよ。当時の搭乗員の人が言ってました。
車で言うとAE86だよな。
これ保守部品の入手大変だろうな・・・ワンオフも多いのだろうか。SI単位系とヤーポン法という壁もありそう。
塗装が少し違う様な明灰色が、コックピットの内装色も若竹色が?
平成の中頃から明灰白色は否定されて飴色だったと言われてます。この零戦は南方の強烈な日射しからくる退色なども考慮した新色じゃなかったかな?
室内塗装はこれが正解。保存されている機体の写真、プラモ用の塗料、全てこの色。
@@幸男橘 外板の色も、これが正しく「現用飴色」とはこの色です。これが日光で褪色すると、いわゆる明灰白色となります。堀越次郎著「零戦」を読んでも、試作機は灰緑色の塗装がかけられとあり、これが現用飴色です。
零戦懐かしいな、お母さんのおじいちゃんが零戦のパイロットだったのでガダルカナルとかによく行っていたので話しとかいろいろ聞いてな
BGMうるさすぎる!
素晴らしい、飛び方、でも、この気体に、乗ってたパイロットは、亡くなったんだと思うと、切ない、有り難う、零戦。
零戦の素晴らしいさは軽量な機体とそれにマッチしたエンジン。
最初は九六戦になれた搭乗員が最初は文句言ったそうですけど、優れた当時の搭乗員とマッチして無敵だったんでしょうね。
私の親族で名古屋市の大江工場から試験飛行するために十二試艦載上戦闘機を牛車で各務原基地まで運んだ大伯父いますよ、皇紀2600年の前年(昭和十四年)運びましたよ、その後ははしけで運びましたよ、重慶の渡洋爆撃では零戦の効果で中国軍機が沢山撃墜されましたよ、そのパイロットの中には坂井三郎さんもみえましたよ。
シュミレーションではありませんが、玩具みたいな飛行機の操縦経験があります。そこで思うのが0戦で奇麗にロールできるパイロットがいません。なぜできないのか、ロールする前に落ちるのが恐ろしく、必要以上にアップかけて背面なった時、ダウンをかけてないので樽型ロールになります。2回ロールするのみたことがありません。
0戦の翼型から樽型にはなりやすいですが、そのため比較的経験の浅いパイロットでも安全飛べたのが0戦です。実際に操縦していた」人(分隊長)から0戦の不満はなっかたときいています。
私の兄は52型0戦500キロ爆弾を抱いて特攻し戦死しています。
せっかくのエンジン音がBGNのせいで聞こえない。
マジそれな栄エンジン……
残念ながら、この機は栄エンジンではないです。
特攻で使わない零戦が1番かっこいい🎉
弱点なんか探しゃいくらでもあるけどそうじゃ無いんだ。乗る人にそこの欠陥を抱えさせる覚悟でより高性能な機体に仕上げて乗せてやろうって所が良いんだ。
小学生の頃、父ちゃんと桶川に零戦見に行ったの思い出したわ。
スミソニアン博物館にある震電もレストアして飛ばしてもらえんだろうか?
塗色はね今や誰にも『本当の色』は分からんのです。
見なくても俺は零戦パイロットだ
こんな飛行機が欧米から遥か離れた日本で製作できたことは欧米の列強からすると驚いたに違いありません。独特の文化と独特の技術は世界に誇れるとともに世界中の脅威でもあったのですね?
ゼロ戦とスピットはエンジンをアイドルにしても飛べるほど翼面荷重が小さい。
急旋回すれば失神するのが当たり前だったと思う。
この機体で高速戦闘機に勝つにはかなりのベテランじゃないと難しい。
空戦中、ゼロ戦パイロットは後ろを見ながら飛んでいたはずである。
排気圧計では無くて吸気圧計ですね
過給機がついているので、より正しく当時の用語を使えば給気圧計ですね。
21型の動態保存なんて存在していたのか…
始動時のエンジン音が何ともいかつい( *´艸`)
優れ過ぎた戦闘機を生み出してしまって航空産業がいまだに許されていない・・・寂しいですね
いろいろ利権がらみなどで邪魔されたりしてるが、許されてない訳じゃないです。
ロックフェラーさんに睨まれちゃいますからね😱
敵艦に体当たり突入する瞬間の思いを伝授する方はほぼ存在しなくなりました。零戦を知らない人が世の中、殆どです。歴史的に何処まで、零戦を拡められるかに依ります。37年前に知り合った方は、女子挺身隊員として群馬県太田市で完成された零戦の検査をされていたそうです。もう一人の方は女子挺身隊員として愛知県の方で零戦の組み立てラインに携わったそうでした。女子挺身隊員の女仲間がBー29の空襲の時に逃げ遅れて約、数百名程、名誉の戦死をされたそうでした。
令和6年1月29日、月曜日。
フライト中のBGM不要
R-1830なんでこれでF4Fも大丈夫かなぁ…
2倍近い機体重量差があるので、まだ巴戦では圧倒的に零戦有利で三回転程で立場が逆転していたように記憶しています。「第二次世界大戦機アーカイブDVD零戦VSワイルドキャット」とゆうDVDで実証動画があります。
やっぱり52より21だね😊
でもね~✨大事にしてくれてるみたいだからよしとするか(爆)俺はゼロが大好きだぁ~✨
二十歳くらいでセスナ機のライセンス資格を取得して置けば、良かったと後悔しています。
大戦時に零戦乗りだったジッジに
どの型の零戦が1番か聞いた時
21型か22型かで一日中悩んでましたね。
初期の零戦は熟練工が丁寧に造っていて
精度がとても高く操縦すると
手足のように反応してくれたらしいです。
但し、零戦はプラモデルも作るのは難しい
ゼロ戦一式隼の大活躍でアジアの欧米を駆逐し世界を独立させました。 最大の功績でありますから、戦勝国です。ありがとう。涙が出ます。
実機も大変工数がかかったと聞いた事が有ります
俺が若い頃に住んでいた近所の爺さんは零戦パイロットだったらしく、お酒を飲みながら良く言ってました。
「零戦は最高の飛行機だった!自分の手足の様に動いてくれる。また乗ってみたい」と
爺さんは趣味で「プラモデル作り」をしていて、暇があればお邪魔して一緒に作ってました。
爺さんが亡くなった時にご家族の方から頂いた零戦のプラモデルは今でも俺の宝物です。
21型で飛べるやつあるんかーい。
日本の誇り?
メイドインジャパン!
敵味方識別帯が変で残念ですね
資料を見てやってないんだなって感じで…
そもそも灰白色の零戦は敵味方識別帯は無いんですがね
げんよう飴色とゆうらしいですね、オリジナルカラーは。
@@オリハルコン-t8m
飴色は変色による物だというのが有力なようです。
当時工場では白色と黒色を混ぜた塗料で塗装しているとのこと。
私の投稿ネタ元は、ユーチューブ上「第二次世界大戦DVDアーカイブ零戦VSワイルドキャット」です。書店で買いました。
@@ジャガー-m5v そもそも三菱オリジナルの零戦生産は少なくて愛知精機や中島飛行機など、似たような航空機会社で作られた機体が圧倒的に多いから似た色を創るのに苦労したかもしれませんね。オリジナルは工場から飛行場まで牛に引かせて運んだとゆうではありませんか。
おまけに東海地方は軍事機密ではありますが戦争中壊滅的地震に襲われたので貴重な資料すら一切失わなれてしまったのかもしれませんね。
座席の後ろの防弾対策してないとな。軽くして運動性能と航続距離を優先した機体
愛媛県にある、紫電改の機体のパネルの薄さがこんな機体で戦っていたんだなと驚きました。
日本では動態保存は無理だよな。
まじで零戦ってペラッペラなんやね
内装でわかる
デジタル映像はプロペラが止まって見えるから残念だね
シュミレーターゲームのIL-2でドッグファイトをするとホーカーハリケーンのような小回りの利く戦闘機だとP-51やメッサーシュミットにかなりの確率で勝てるのでゼロ戦は世界最強であったと思う。
I wish you didn't have that stupid music playing when that beautiful aircraft was in the air, it spoiled a other wise gear video.
ほんまに、かっこいい それしか出ない
百式も国も
手順が多すぎて聞いてるだけで頭死ぬ。しかも着陸の方が難しいし、零式艦上戦闘機って事はどうやって日本の小さい空母に着陸してたんですか?って感じ。
学力が高くて目が良くて身体が強くてパニック起こさない人しか乗れないじゃん。
飛行中はBGMを止めれば良かった!。
エンジンとプロペラの音の迫力が伝わら無い!。😡
んっ?、若しかして映画のワンシーン?。