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いつもご視聴ありがとうございます。このチャンネルでは、真言宗を中心に仏教・仏事の解説をしております。面白いと思われたら高評価、興味を持たれたらチャンネル登録お願いします。
先日、某霊能者さんから先祖供養が足りない、先祖さんがそう言われてると言われました。その際に毎月の月参りに来て頂いてるし、50回忌法要も無事終了してる、更に浄土真宗を信仰してるので既に西方浄土に行かれてるはずと伝えると、それでも十分じゃないから毎月こうしなさいと言われました💧そして言った言葉が自分の宗派で供養しないと届かないです💧見えない世界は言ったもの勝ちなので、正しい知識を学べるチャンネルは本当に貴重ですありがとうございます🙇♂️合掌
コメントありがとうございます。なかなか面白い霊能者さんですね(*^_^*)評価いただいてうれしいです。今後ともよろしくお願いいたします。
とても勉強になりました!一族は浄土真宗、私と母は天台宗系の修験道に帰依しておりますが、息子は浄土宗系の学校に通ってるので、浄土宗と浄土真宗の違いも分からずもやもやしておりましたが腑に落ちました。ゆうき和尚のご説法はいつも分かりやすく感謝しながら拝聴しております。
いつもありがとうございます。そうおっしゃっていただけると嬉しいです(*^_^*)
はじめまして。動画を拝見し、和尚様が大変勉強されていらっしゃる事に頭が下がりました。大変失礼かと思いますが、浄土真宗に関して私なりに思った事を書かせて頂きます。長文乱文をお許しくださいませ。「浄土真宗の聴聞=修行」とありますが、これは失礼ながら正しい解釈とは言えません。浄土真宗は、阿弥陀如来によって衆生は無条件に往生できますから、聴聞の有無は成仏に関係ありません。浄土真宗の聴聞は「自らの愚かさ、傲慢さに気づかされる」手段であります。聴聞によって自らの愚かさに気づき、すぐ忘れる。また聴聞し気づき忘れる。これを繰り返していく中で「自分の本質に目覚め、自らのはからいでは成仏できず、阿弥陀如来のすくいは他の誰でもない自分のためにある」と頂く身になっていくのです。三つの教え(宗派)をスポーツに例えられていますが、浄土真宗は「練習もなしに出場する」と解釈されることに違和感があります。世間一般では「他力(本願)」を「他人任せ、努力の否定」というように誤って捉えられていますが、浄土真宗では努力を否定しているわけではありません。努力をしようと思い立つ心も、努力ができた事も縁起によって成り立つものであり、自らのはからいで行えるものは何一つないと考えるのです。しかし、人間は「俺が(自らの力によって)努力した。あいつは努力が足りない」と努力が自らの傲慢さを生む種になりえるので、自分がそのような危うさを持つ身であることを聴聞によって教えて頂いております。ですから、自力と他力を私なりに「虹を見た」という例えを使って解釈するならば、自力:自らのはからいでその場所に足を運び、その方角に顔を向け、「私が虹を見た」他力:様々な条件(縁)が整った結果、「私の目に虹が映った」というように捉えています。ですから、他力(本願)は「他人任せ」という意味ではないことがおわかり頂けるかと思います。
長文でのコメントありがとうございます。浄土真宗の僧侶の方でしょうか。お書きいただいた部分は、折り込み済みで、この動画を作っております。よろしかったらこちらの動画もご覧ください。「ご宝号 お念仏 お題目 南無大師遍照金剛 南無妙法蓮華経 南無阿弥陀仏 この三つは実は同じ」ua-cam.com/video/2n28Ol8wlEw/v-deo.html
信心をスポーツの練習に置き換えるのは無理があるように思えます。😅ただしなかなかユニークな説法ありがとうございました。🙏
コメントありがとうございます。
いつも興味深く拝見しております。現在の(宗)浄土宗様は、弁長上人のみ教えです。法然様は、聖道の修行(戒律)を否定なさいました。ua-cam.com/video/fIk0dUDGPm0/v-deo.htmlなぜ聴聞をするのか?につきましては、自力を交えない為と理解しております。もう救われている…とはいえ、自らの計らいで、勝手な理解をしたり、自分の手柄にしたり…。それを防ぐために、聴聞が欠かせないと存じます。ua-cam.com/video/lmsviSpYacc/v-deo.html確かにおっしゃる通り難信の法ですね。これからも、精力的なご活躍を心より念じております。 合掌 桜嵐坊🌸
コメントありがとうございます。浄土真宗では高名な桜嵐坊様にご視聴いただき恐縮しております。リンクされている動画拝見いたしました。恥ずかしながら知らないまま、動画を作りましたので、概要欄にリンクさせていただきました。ご教授頂き感謝しております。浄土真宗の聴聞というのは、なかなか他宗からは理解しにくいところです。阿弥陀様に帰依していれば、聴聞などしなくても良いのではないかという思いがありまして、その辺りの疑問を解消する意味で動画を作らせていただきました。今後ともご指導いただけたら幸いです。合掌 ゆうき和尚
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 様ご丁寧なご返信、有難うございます(^人^)❣️共に日本の仏教を現代の人々に、お勧めして参りましょう〜❣️どうぞ宜しくお願い致します〜🙏😊🌸🌸🌸❣️
ゆうき和尚様、いつもありがとうございます🙏高齢の親には浄土宗をすすめています。自分の中で、真言宗の信仰と浄土宗を融合させる方法を模索しています…🤔💭川崎大師の有名な赤札はなぜか南無阿弥陀仏と書いてありますし、無理な事ではないのかと思っているところです。
コメントありがとうございます。浄土宗と真言宗を融合させることはできませんが、真言宗でもお葬式では阿弥陀信仰と極楽往生が取り入れられています。新義真言宗を開いた覚鑁上人は、大日如来と阿弥陀如来の一体化を理論付けましたし、現在の真言宗自体が浄土系の教えに傾いております。
71才男です。自分は自分なりに一生懸命生きてきた。つもりです。今、他力本願に戻りたい。南無阿弥陀仏。死んだ親父を見習いたい。今更無理ですが。私は、実家の 真宗大谷派出です。
コメントありがとうございます。ご事情がおありのようですが、ご実家のお寺に相談されてはいかがでしょうか。戻るのが無理ということは無いと思います。
いつも解りやすいご解説ありがとうございます。今回の動画の内容とは関係無いのですが、真言宗のお経本を見ますと十善戒がありますが私はこれらのの戒めを守る自信がありません。それなのに神仏の前で守りますとお唱えしても良いのでしょうか?宜しくご指導お願い致します。
コメントありがとうございます。十善戒の一番最初の「不殺生」は、人間が生きるためには、他の生き物の命を食べることなので、基本的に守れません。ただ、不必要な「殺生」を避けるという意味です。同じように他の九つの戒めも、できるだけ守るように努力していただくことが大切と思います。
ご回答頂き有難うございます。真言はやはり回数よりも心をこめて唱えれば、少なくともむやみに唱えるより良いという事がよく解りました。有難うございました。
ゆうき和尚さま 本日も貴重なる解説を頂き有り難く存じます。私個人は殆どの武道を経験しておりますので修行の大切さを、身をもって感じておりますゆえ、やはり仏教においても自力の教えを伝える御宗派を好むものです。勿論、絶対他力の浄土系御宗派を否定するものではありませんし、また、その資格も無い私ですから凡夫の立場から申し上げますと、浄土系の場合には、人が亡くなれば即座に阿弥陀如来のおられる西方浄土に到着し、この世には無い美しい世界に生きる事が出来る、とされているので仏壇には故人の魂は宿らず、従って水やお茶、菓子類や果物を備えるべきではない、と伝える僧侶もおられるようですし、更に阿弥陀如来様は仏様なので当然に召し上がる事は無いし故人や先祖は西方浄土で美しい水や美味しい果物を得られているので、お供え物も不要という事のようです。その為に[お仏壇]を[お内仏]と呼称して、この中には阿弥陀如来様しかおられぬので位牌を収めてはならない!過去帳を左下に置き、法名軸を左側面に掛ける!等の戒律のような印象を受ける話を伺いましたが、真言宗の檀信徒の私には、やはり和菓子と季節の果物、それに八女茶とお水、小型の炊飯器で早朝に炊いたお仏飯を御供えして御神仏と先祖に召し上がって頂きたいと願うのですが、やはり御宗派によって解釈の違いがあるのは興味深いものです。浄土系の僧侶が幽霊の存在を否定されるのも、実は、このような部分に関係があるような気がしております!死亡と同時に西方浄土に出発される方々が、何を未練がましくこの世を彷徨っているのか、生前から念仏を唱えていたではないか!との矛盾を生じますので大人の事情で[幽霊など存在しない!]とするしか方法が無いのでは?と考えますし、更に申せば[お内仏]なら先祖の魂が宿らない訳ですし、それなら何も毎月僧侶が来訪して、先祖不在の仏壇にお経を唱えて頂かなくても自分の家の阿弥陀如来様には自分でお経を上げますから!と主張する真宗の御門徒さんはおられぬのか?との思いに至るのです。非僧の凡夫ゆえに疑問に思う点を書いてみましたが、浄土系の御宗派を理解出来ずとも決して否定するものでは無い事を付記して本日の感想とさせて頂きます。感恩 合掌
いつもありがとうございます。確かにおっしゃるような話は聞いたことがあります。ただ、浄土系だからという訳でなく、浄土系の方でも真摯に向き合っている方はいらっしゃいますし、自分の宗派に目を向けると僧侶とは言えないような方も目にとまります。私自身も反省する部分が多々あります。
こちらの動画を拝見し、貴殿の書き込みが目に留まりました。失礼ながら、誤解をされていらっしゃる所があるのでコメントさせていただきます。まず、浄土真宗のお仏壇(に限らず葬儀や法事など全ての仏事)は「故人を弔う場」ではなく、「仏を敬う場」であります。お位牌を用いないのもこの為です。ここが理解できないと、何のための読経なのか?という問いも生まれることでしょう。解釈の仕方によると思いますが、貴殿が述べられている浄土真宗における「してはならない」は「する必要がない」という方が浄土真宗の教えからみてもしっくりきます。また、浄土真宗においてもお供えはします。前述の通り、故人ではなく仏様にお供えするものであり、一段高い所にお供えします。これは古来より大切なものは高い所(頂き)に置いたからであり、お供えはある程度時間が経つと「お下がり」と言って自分たちで仏様からの恵みとして食べます。(だから「頂きます」)浄土真宗では、生きとし生けるものが阿弥陀如来によって往生させていただくので、幽霊という存在は考えません。仰られている「大人の事情」という意味は残念ながら理解できませんが、もし真宗門徒において、「幽霊(=成仏していない)という存在を信じる」ということは「阿弥陀如来のすくいを信じていない」ということでもあります。浄土真宗においてはこの「疑い」は出発点であり、その疑いを晴らす方法が聴聞であります。最後になりますが、浄土真宗において先祖供養はしませんが、それは故人を蔑ろにしているわけではありません。寧ろ、この私に仏縁を結んでくれた大切な存在であります。しかし、この私が今ここに存在するのは先祖だけではありません。現在に至るまで様々ないのちや物との繋がりによって育てられてきたのです。にもかかわらず、私達凡夫は自分に関係あるものとそうでないもの、得をするものと損をするもの、好きなものと嫌いなものなど、自分のものさしで線を引こうとします。その様な「ご都合主義」は、事実を事実として見る事を妨げるばかりでなく、差別や争いを生む土壌となります。そんな自分の都合でしかものを見ることができない私だからこそ、「必ず救うぞ」という阿弥陀如来に手を合わせ念仏申させていただく事が真宗門徒の在り方だと思っております。
@@naozou 様 長文のコメントありがとうございます。往生が決まっているのであれば、どう見られても良いのではないですか?先が本当に見えていたら、周りは関係ないです(*^_^*)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 様まず初めに私がしっかりとアンカーを付けなかったことで和尚様から返信をしていただくことになり大変申し訳ありません。こちらは西田様に対する返信ということでコメントいたしました。さて、和尚様に質問がございます。>往生が決まっているのであれば、どう見られても良いのではないですか?先が本当に見えていたら、周りは関係ないです(*^_^*)このコメントの趣旨が理解できません。「自分の信仰する浄土真宗という教えによって自分の往生が決まっているならば、他の人が浄土真宗に対してどう思おうが(誤った解釈をしていようが)良いではないか?」という意味でしょうか?
@@naozou 様 こちらこそ、申し訳ありません。私宛の返信ではないことは承知しておりましたが、管理人としてお返事させていただきました。昨日は、夜遅かったこともあり、簡単な返信になって失礼いたしました。お返事いただきありがとうございます。別にコメントいただきました件と合わせてあわせてお返事させていただきます。「自分の信仰する浄土真宗という教えによって自分の往生が決まっているならば、他の人が浄土真宗に対してどう思おうが(誤った解釈をしていようが)良いではないか?」その通りです。重要なのは、極楽へ往生することであり、浄土真宗の教えはそのための方便です。教えが重要ということになると本末転倒ではありませんか。質問された時には、お答えされることは、親切だと思いますが、違った考えを見つけて反論することは不要ではありませんか。自力と他力の話でもそうですが、自力と他力はそんなに簡単に分けられるものではありません。私自身は、山中で50日以上一人で籠り、真っ暗闇の中で、真言を一日12時間以上唱え続ける行を行い、手足がしもやけで紫に変わりましたし、断食を行いながら山を登り、拝み続ける行もしましたし、半年以上寝袋だけで野宿しながら、四国をお参りし続けました。なんで、こんなことをしたかと聞かれても、自力ではない、むしろ、そういう厳しい行を行った人の方が、仏様の力(他力)を感じます。自分が行ったのではなく、仏様にさせていただいたと思う訳です。それをもっと大きく覚られたのが親鸞聖人と思います。私自身は修行や勉強など意味が無いと自覚しております。でも、現在も修行も勉強もやっています。何かを覚えたりするためでなく、いうなれば仏様の声を聴くためで、広い意味でいえば聴聞です。浄土真宗でも妙好人と言われる方がいらっしゃいますが、こういう方は、聴聞などしてないんではないですか。逆に聴聞しても、妙好人になれるわけではない。要するに、感じることが重要で努力など要らないわけではないでしょうか。ただ、浄土真宗の教えを否定しているわけではありません。方法としては優れていると思います。しかし、その方法にこだわられると本質を見失うように思います。いかがでしょうか。
ゆうき和尚 殿浄土真宗は、「聴聞につきる」と言われますが、わざわざお寺に行かなくともネットのユアチューブなどで浄土真宗の本願寺派、大谷派などの僧侶の講話などを聴くのも修行なのです。今は、パソコンも発達してネットを利活用することで良き修行に変えられると思います。今日の動画は、本当に為になりました。一度、高野山などにいって、空海さんの目指した「人間の幸せ」を見てみたいと思っています。
コメントありがとうございます。少しでも参考にしていただけたら嬉しいです(*^_^*)
興福寺奏状や摧邪輪を読むと、浄土系各宗は『仏教系の新宗教』なんだなと思います。それにしても、法然も解脱上人も明恵も親鸞も良く勉強してますね。今の宗門系大学の学生さんにも見習って欲しいですね。
動画有難うございます。先日、愛猫の葬儀の際に阿弥陀さまの救いと追善供養について質問させていただきましたが、新義真言宗における興教大師さまの浄土観は、私には難解です。要はどういう解釈すれば良いのでしょう?
真言宗の真髄は煩悩即菩提即身成仏であって死のあと浄土に向かう浄土信仰とはそこが違うように感じるのですがどうでしょうか🙆?
コメントありがとうございます。教義的にはおっしゃる通りではあります。ただ、現実には真言宗のお葬式では、極楽往生するように祈願しております。また、即身成仏と極楽往生はどちらも方便です。それにつきましては、「南無大師遍照金剛~四智の話(仮)」という動画を次の次にアップしておりますのでよろしかったらご覧ください。
どの宗派も目指す所はひとつなのですから自分に合った修行ができる宗派を選ぶ!で良いと私も以前から思っておりました私の実家は浄土真宗妻の実家は真言宗にございますどちらの教えも勉強し真言宗の教えのほうが私に合っているので真言宗信徒になりましたいつも解りやすく楽しい動画をありがとうございます感謝合掌
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 私、ハンネから本名の弘一郎に変えました今後ともよろしくお願いいたします
@@弘一郎-o4s 様 すいません。新しい方かと思ってしまいました(*^_^*)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 すみません💦もう変えません笑よろしくお願いいたします
私の家は浄土宗ですが、家のお寺の住職とほぼ同じ事を述べておられます。勢至丸のお父さんのいう恨みというのはフランスのニーチェのルサンチマンという恨みを捨てなさいという教えでないかと考えております。法句経にもかいてあり、この点洋の東西を問わず、釈尊の時代から既に同じことをかんがえていたのかといつも法句経を読むとそれを考えます。いつもいろいろ情報ありがとうございます。
いつもありがとうございます。法然上人の話は、史実としては微妙なようですが、仏教的な話として紹介しました。
とてもわかりやすく客観的にお話いただきありがとうございます。私は仏教に興味を持っている素人です。(たまたま縁があって浄土宗系の中学高校に通っていました)。UA-camで仏教の動画を見ていろいろ考えていますが、浄土真宗系の動画が多いですね。素人的に大きなことを言うとお釈迦様の悟りも法然上人、親鸞聖人、弘法大師様、(それと禅宗の道元禅師なども)が目指したものは同じなのでないでしょうか?実質的には自我を捨て自然の一部として(大きな力に抱かれながら)安らかに生きていくことだと思います。そこに導く道筋をそれぞれ研究されてお伝えされてきたのではないかと思っています。いかがでしょうか?
コメントありがとうございます。>お釈迦様の悟りも法然上人、親鸞聖人、弘法大師様、禅宗の道元禅師が目指したものは同じおっしゃる通りです。ただ、どうしても特定の宗派の教えだけを学ぶと、それは全く理解できないと思います。その話はこちらで説明しております。「智証大師 円珍は なぜ、弘法大師の真言宗ではなく天台宗を選んだのか」 から考える 仏教は広く学んだほうが良いua-cam.com/video/Va_IPMgxqpQ/v-deo.htmlよろしかったらどうぞご覧ください。
浄土真宗では、信心が無いと往生出来ないと言われます❗️信心を得るために聴聞をするのですが、聴聞する時間を作るために、日常生活で結構努力してますよ。称名念仏10回で往生できるのなら、そちらの方が易行だと思います。信心を得るとは大変な事だと思います。
コメントありがとうございます。>信心を得るために聴聞をするのですが、聴聞する時間を作るために、日常生活で結構努力してますこれはおかしいのではないですか?他力は阿弥陀様にすべてお任せするのに、そのために聴聞が必要というのでは、聴聞教ではないですか?(*^_^*)浄土真宗の人は、聴聞を重視しますが、私は親鸞聖人の教えを解説するようなものは要らないと思います。学問的に理解しても、それでは救われません。重要な部分は、「自力では救われない」という自分の無力さを実感することです。その時点で、初めて「阿弥陀様の力・ありがたさ」が沸き起こってくるものです。そういう意味では、修行も戒律もしない教えでは「自分の無力さを実感する」という部分が、感じにくい気もします。>称名念仏10回で往生実際のところ、10回も要らないでしょう。ただ、自分の無力を実感するのは難しいと思います。ちなみに、私は親鸞聖人ほどではありませんが、生か死かみたいな行もやっております。だから、なぜ、親鸞聖人が自力を捨てられたか、非常によくわかります。ただ、普通は踏み切れない部分を、親鸞聖人は踏みこまれて、突き抜けた教えを説かれた凄さがあると思います。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 さん、自分で修業をして、自分の無力さを体験しないと、自分が無力な凡夫であることが判りませんね。
真言宗僧侶からの各宗派の違い、視点、興味深く拝見させて頂きました。南無大師遍照金剛とお唱えするのは、称名念仏の影響があったのではないかという指摘は興味深かったです。日蓮宗のお題目を唱えるのも同様の影響があるのかもしれませんね。ありがとうございます一点、聴聞とは「仏願の生起本末」を聴く、と浄土真宗では言われています。お寺に何を聴きに行くかは、なぜ阿弥陀如来が衆生往生を念仏一つで救うと誓い果たされたか、ということですなのでお寺じゃなくてもどこでも良いです。もちろんネットでも本でもただ、お寺だと聴聞する環境が整っているので、お寺参りを勧めるわけですね・・・退屈な話しを聞くのは苦行かもしれませんが😅昔はネットもなかったし、本は庶民に買えないし、そもそも文字も書けなかったので、お寺に集まるのは当然だったのかもしれませんね
コメントありがとうございます。聴聞を勧められたのは、蓮如上人と思われます。蓮如上人の時代は、その教えを聞く場所が、お寺しかなかったので、おっしゃる通りではないかと思います。ちなみに、蓮如上人は、信徒に酒や餅を勧め、仮名で文書を出し、一緒に勤行することを始めたとも言いますので、宣伝広告のプロだったと思います(*^_^*)
なるほど、最終的なゴールは仏教を習得することであり、真言宗は最初から全教科を体系的に学んでいくのに対し浄土真宗では最初のハードルを下げているけど、聴聞を通じて仏教を学んでゴールを目指すということなのですかね。これも対機説法の一つなのでしょうか?
コメントありがとうございます。習得というより、悟りを感じるというほうが適当かもしれません。そのために、真言宗は様々な手法を用いますが、浄土真宗では使わない。ハードルという点でいえば、実感として浄土真宗の方が高いと思っています。その人に合ったほうほうですから、対機説法ですね(*^-^*)
ゆうき和尚様、何時もお教え有難うございます。顕教と密教と言うだけでも、真言宗、浄土宗・浄土真宗は大きく異なると存じます。真言宗と浄土宗・浄土真宗とでは、印とセットで考えられることの多い「真言」と後者の専修念仏とは随分異なると存じますが如何でしょうか。真言宗のお立場からすれば、真言と念仏とは異なるとの反発は起こらないのでしょうか。況してや、念仏だけ称える浄土宗・浄土真宗とキチンと修行して学ばないと使いこなせない真言宗の印と真言(多数の佛様の数以上に陀羅尼も有りますね)とでは、真言宗の方が僧侶様としても階段が多いと感じる次第です。その上で、冷静に浄土宗・浄土真宗も捉えて居られるゆうき和尚様に頭が下がる思いです。ご解説有難うございました。
いつもありがとうございます。そうおっしゃっていただけると嬉しいです。
浄土教の信心決定や信心獲得と言うのは興味深い教義ですね。わずか十遍でも南無阿弥陀仏と唱えれば極楽に往生できるはずなのに、実際にはやはり不安のように見えます。
コメントありがとうございます。おっしゃる通りだと思います。法然上人も親鸞聖人も、相当な行をされたうえで会得された悟りの部分を、結論だけ引用して宗派が組み立てられているので、かなり難しいのではないかと私は感じております。むしろ様々な行を行ったうえで、その人に合った方法を見つけることが重要だと思います。
UA-camを観て和尚様のこちらの動画にたどり着きましたので、いま思うことを記述させていただきます。「死ぬのが怖い」心を「何かにすがって」ることで「とりあえず解決しよう」という範囲で仏教があるわけでもないと考えたりするものの、そして仏教の有難い話や個人の生き方や、哲学感的な話に(わかったようわからないような)リスペクト感を得たりするものの、しかしながらやっぱり死ぬのは怖いので「すがる何か」を求めてその範囲にフォーカスして仏教を聞いています。死んでからのことそんなこと考えてもわかりません、とお釈迦様が言った?(なんとか経で死後の世界はあるもないもその問いに答えなかった)そうですが、本当に心からそう言える状態に達してお釈迦様は「悟られた」ということでしょうか。(もっと死の範囲を超えた世界感に到達したのでしょうか)私は、仏教に興味があり弘法大師も最澄、法然、親鸞、日蓮等の各お上人様をリスペクトしているごく普通の社会人です(宗教関係者ではありません)が、悟れないので死の問題を「わからない」と背けごまかしたり、でもきちんと誰か(子供とか)に伝えないといけないと思ったりを往復している者です。このあたりの和尚様のお考えをお聞かせいただければ幸いです。
コメントありがとうございます。>お釈迦様が死後の世界はあるもないもその問いに答えなかったこれは、毒矢の例えと言われるものです。確かにお釈迦様は答えなかったので、お釈迦様は死後の世界を否定したという人もいますが、私は相手が理解できないから答えなかっただけだと思います。>もっと死の範囲を超えた世界感に到達おそらくそう思います。お答えになるかどうかわかりませんが、多少、動画でお話しておりますので、よろしかったらご覧ください。また、疑問に思われたことがありましたら、お尋ねいただきましたら、判る範囲でお答えいたします。「死んだらどうなる? その答えは自分自身にある」ua-cam.com/video/G7hxlDbodic/v-deo.html「仏教は幸福を求める教えではない 生きるための瞑想 生死を超えた瞑想」ua-cam.com/video/xIJ8UEFgm0s/v-deo.html「仏教の基本「十二因縁」苦からどう離れる 仏教は幸福を求める教えではない2」ua-cam.com/video/4MJWV_ltK8M/v-deo.html
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 コメントさせていただいて良かったです。どうもありがとうございます。動画の方を観させていただこうかと思います。
扇子を振り上げる仕草がいつも楽しみです、笑笑すみません(^^;)
いつもありがとうございます。私の動画は動きが無いので、唯一のスパイスです(*^_^*)
はじめまして動画を何本か拝見させていただいております。詳しい説明ありがとうございます。どうしてもわからないことがありまして質問させていただきますお墓まいりについてですが・・私個人はどこの宗教に属していませんが真言宗般若心経にご縁を頂き現在いろいろと学びたいと思っている段階です。 お墓まいりについてどうしてもわからないことがございまして・・お寺さんを調べましたら浄土真宗です。お墓参りにいったときはやはりその宗派のお経を唱えるべきなのでしょうか? 真言宗はすべてを網羅していると個人的には感じているので光明真言をお唱えできたいいなぁ・・と・・しかし・・ご先祖様に失礼だと・・と思い 質問させていただきました。大変お忙しいとおもいますが・・回答が可能でありお時間がございましたら どうぞよろしくお願いいたします。
いつもありがとうございます。基本的なお話をすると、仏教的には問題ありません。ただ、日本の仏事は厳密には仏教ではないので少し考えていただく必要があると思います。公営の墓地のような所であれば、問題ないでしょうし、他宗のお墓を受け入れているような所でも問題ないでしょう。問題が出るとしたら、お墓は浄土真宗だけに限っているお寺の場合です。その場合は注意が必要になると思います。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 和尚様即答 大変ありがとうございます。神仏の学びは深すぎてわからないことばかりですがとても勉強になります。生きる知恵を頂き感謝ですが・・その反面。。本当はいきつくとろこは一つなはずなのに・・それぞれの考え方宗派で戦争などの歴史があることに・・非常に胸が痛みます・・貴重な動画をありがとうございます。これかもお世話になります。
ゆうき和尚様の言う事がよくわかりました。 努力・修行しないは物足りん。例えば、ドラゴンボールで言えば、天下一武闘会で優勝するもヤムチャでは安心できないので、修行して、スーパーサイヤ人ブルーやゴールデンフリーザになった方が天下一武闘会で優勝する可能性が高い!という事ですね。よっくわかりました。
コメントありがとうございます。スーパーサイヤ人やゴールデンフリーザになったら、天下一武道会など関係ない気もしますが(*^_^*)
これからの僧侶が悟りを開いて曼荼羅の世界が増えて、今後も続くのであろうと思うけど、宗派の識別教えより曼荼羅の世界が増える悟りを僧侶がしなければ仏教は衰えて忘れされると思うけど(╹◡╹)
氏のおっしゃる旨はおそらく密教曼荼羅の最上たる事をおつしやつておられると思いますが、真の意味ははかりかねます。
自力本願で、頑張ります。
キックオフ様阿弥陀様の誓願に基づく「本当の誓願」なので「他力」の時だけ使います。ちなみに、真言密教は自力・他力・法界力の三力です。
キックオフ様ちょっと偉そうなことを申し上げてしまったようで反省しております。申し訳ありませんでした。ご自身で、悟りを目指したいという気持ちはわかります。
宝蔵菩薩の四十八願ですが、阿弥陀仏になるにあたってたてた誓いであります。簡単ではありますが一八項目の内容は概ね合っていますが正法誹謗と五逆罪の者を除くと言う点には触れられていませんが何故、正法誹謗、五逆罪の者は除くと触れられなかったのでしょうか?これはとても絶対重要だと思いますが何故、割愛されたのでしょうか?
コメントありがとうございます。なぜ割愛したか?というご質問ですが、私に意識がなかったとしか、言いようがありません。正法誹謗、五逆罪は阿弥陀様の誓願に限らず、仏教全般に言える話です。ただ、私は今まで説いたことがないので、今回もお話ししなかっただけということでご理解いただけたら有り難いです。
ゆうき和尚様、初めまして。他宗派に対する寛容なご理解、尊敬申し上げます。私は高齢の求道者でございます。ところで、よく[釈迦に帰れ]という言葉を聞きます。それは原始仏典に帰れということでしょうか?
コメントありがとうございます。>よく[釈迦に帰れ]という言葉を聞きます。おっしゃっている方の意図は存じません。以下は私の解釈です。「密教は仏教か? 真言僧がお答えする 仏教は文章ではなく心で伝える」ua-cam.com/video/LCnkzqojLvY/v-deo.html
真言宗は名前の通り真言を唱えることを重んじられるようですがその回数が多ければ多いほど良いとされるのはなぜですか?
コメントありがとうございます。真言は多いほど良いというのは私は聞いたことがありません。念仏とか題目は、多いほど良いと思われますので、それと同じように真言をお唱えされる方もいるかもしれません。
ご指導賜りありがとうございます。私も回数が多ければ良いとするのは疑問なところですが、、虚空求聞持法のようなものが存在するのも確かなのご質問さていただきました。
@@ドンレオ 様 お返事ありがとうございます。求聞持法につきましては、100万回という回数がよく取り上げられておりますが、厳密にはお唱えするだけでなく実は瞑想法です。ですから、たぶん回数が問題ではないのですが、誤解されている部分があります。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 ご丁寧にご回答頂き有難うございます。真言は回数の多さでない事がよく解りました。有難うございました。
禅宗との相違点についてお聞かせくださいませ。
コメントありがとうございます。「真言宗と禅宗(臨済宗・曹洞宗)はどう違う」ua-cam.com/video/8XpBn-bN3uo/v-deo.htmlという動画を作っておりますので、よろしかったらご覧ください。
私説はわかりますが教えや目的をスポーツの試合に例えるのはかなり無理があるように思います。質問ですが先祖供養が大好きな日本人をどう考えますか?
コメントありがとうございます。>教えや目的をスポーツの試合に例えるのはかなり無理があるおっしゃる通りです。教え自体を説くことが難しいので、イメージで雰囲気だけ伝わればいいと思っています。>先祖供養が大好きな日本人をどう考えますか?ちょっとお答えしかねるのですが、私は日本人は先祖供養が大好きとは感じていません。また、日本人をどう考えますか?と言われても、「良いと思います」としか答えられません。「日本の先祖供養についてどう考えるか」という意味でありましたら以下の動画をご覧ください。ua-cam.com/video/ZpLY1Qcy1t4/v-deo.html
はい。家の宗派は浄土真宗なんです。易行道といえど、かなり難しいですよ。
いつもありがとうございます。浄土真宗は難易度が高い教えと言うのが私の持論です(*^_^*)
信仰は自由です。とやかく言うつもりも有りませんm(_ _)m私みたいな素人からするとお釈迦の教えが仏教で人それぞれに法をとかれて経典が有るのは理解出来ます。仏教なら本尊は釈迦牟尼仏であり阿弥陀仏でも大日如来でもないと思います。阿弥陀仏を本尊にするなら阿弥陀教、大日如来を本尊とするなら大日教若しくは、密教であり、仏教と思えません(´・ω・`)お釈迦が悟られ広められた一代教が仏教では?今の13宗56派閥あまりにもお釈迦様を軽く見てるようにしか個人的に思えません。
コメントありがとうございます。ちょっとよくわからないのですが、「仏教はこうあるべき」という主張をされるのは構いませんし、それでご自身が救われるのであれば、結構だと思います。なお、現在の仏教宗派がどうであろうと関係ないような気がしますが、いかがでしょうか?
この3つは お釈迦様が仏法を知らない人のために例えの教えそのお釈迦様がお亡くなりになったので そのご利益はもうありません
コメントありがとうございます。おっしゃることが判りません。ua-cam.com/video/SNaxELFXBUg/v-deo.htmlわかるように説明していただくと有り難いです。
日蓮正宗系の方ですか?
犯罪者とその被害者。他人には、まさに他人事です。復讐は新たな復讐を生じさせる。時代劇なら皆殺しと討ち入り。ばかな復讐で、気持ちが満たされるはずがない。我が身は、我慢強く執念深い。しょうがないなぁ。と思う。宗派の違いはわからない。ただ神仏にはすがりたい。答えは出てない。ただし賞罰なし。ありがたいことです。
コメントありがとうございます。>ただ神仏にはすがりたい。>答えは出てない。ただし賞罰なし。ありがたいことです。この部分に共感しました。答えを見つけられるよう願っています。いつか、見つけられると思います。
宗派の違いの動画を拝見し感じました。恨む心の執着心が46年間。長い。ほぼ不治の病。これからも長い付き合いになると覚悟しました。捨てられないつらさを抱きしめると泣く子供と同じ。少し落ち着きました。わかった。落ち着け。気持ちはわかる。自分の気持ちを自分でいたわる。なぜ捨てようとしたのかわかりません。恨む執着の心も自分の一部。自分から生じた心の一部を自ら嫌うことは自己否定。迷いや不安の心を生じていました。ありがとうございます。まだ答えではありませんが心が楽になりました。
聞いた話では宗教は拝めば拝むほど特徴(開祖の生き様)が出ると聞きましたキリスト教=怪我をしやすくなる真言宗=男が弱々しく一家の柱が立たない(父方の親族一同がまさにこれ)念仏=自害の念が現れる(この影響を受けたのが侍の腹切)禅宗=口だけの人間になる等宗教はよく選ばないと怖いですね
コメントありがとうございます。私が知っている話では、youtubeには、コメント削除機能や非表示機能がついております。私は特定の教えを説いているわけではなく仏教を解説しているチャンネルです。動画に関係ない内容で、特定の教えを根拠なく批判されても困ります。ua-cam.com/video/SNaxELFXBUg/v-deo.htmlどんな意見を書いていただいても結構ですが、こちらの動画で述べているように、1 挨拶2 自分の立場3 丁寧な言葉でわかり易く相手に伝えるというのが、社会一般の常識です。>宗教はよく選ばないと怖いですねおっしゃる通りだと思います(*^_^*)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 真言宗を信仰してる人って未亡人、家族の中に男性がいたら先立たれてる人多くないですか?先に「真言宗は男が弱々しく一家の柱が立たない」と聞いた後に真言宗信仰してる人の家族みたら100%そうだったので寒気がしました。たまたまですか?
@@legend_of_crimson_youth 様たまたまです(*^_^*)洗脳されやすい方ですね(*^_^*)それより、私の返信コメント読まれました?良く読んでからコメントお願いします。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 仏法者が「たまたま」とか「洗脳」とか言うんだw真言の生喩という方が日蓮との法論対決にケチョンケチョンにやられたという話は本当なん?
@@legend_of_crimson_youth 様>真言宗は男が弱々しく一家の柱が立たない>真言宗信仰してる人の家族みたら100%そうだったという話がたまたまで、そういう話を信じる人は洗脳されやすいことについては、動画で説明します>真言の生喩という方が日蓮との法論対決にケチョンケチョンにやられたという話は本当なん?生喩ではなく性喩では?日蓮上人が佐渡にいた頃、僧侶になったかたですから、おそらく会ったことは無いでしょう。また、日蓮上人が法論をしたという話は聞いたことありません。ただ、日蓮僧にも、確認中です。
浄土真宗は、だめです。心が全くありません。
コメントありがとうございます。すいません「心が全くない」では、おっしゃることが判りません。
いずさんは、だめです。心が全くありません。
@@真言宗僧名博雲伊藤弘 2回もご返信ありがとうございます。博雲さんには心を感じました。状況をお話せずに、結論だけ投稿しました。あまりにもひどい菩提寺?住職とその妻の言動に、驚き、途方に暮れました。私は、宗教界はこんなにひどいものかと、多くの宗派(真言宗、天台宗、曹洞宗、臨済宗、浄土宗、ついでにキリスト教にも)や真宗の西本願寺、東本願寺のお坊様にお話したら、驚いていらっしゃいました。その中の真宗のお坊様お一人が、謝罪の言葉をかけてくださいました。また、別の真宗のお坊様は、私でも、あなたの気持ちがわかるし、離檀したい気持ちも分かるし、自分でも離檀そうするだろうと言ってくださいました。ありがたい事では、ありましたが、私の心は傷ついたままです。ひどい住職、菩提寺?です。詳しいことをまた、思い出して、投稿するのも、辛いです。コメント欄を汚したなら、すみません。でも、私の心の声、嘆きです。苦しみ悲しみの中にある人間に、追い打ちをかけるのが真宗です。戒律?決まり?を守ることのほうが、人間の心を救う(寄り添う)より先にあるのが、真宗の教えみたいです。私は、浄土真宗が大嫌いです。何度も言います。ひどい目に合わされました。私の知る限り、両親も神仏や、ご先祖様を大事にする家系で、160年続いています。本家と分家の墓に、22霊位が眠っています。菩提寺に対して無礼なことはしていないと思います。お金あえてそう言います。あれは、お布施ではありません。120万超えでお支払いしました。でも、お金の問題ではありません。とにかく、真宗はだめです。心がないです。別に菩提寺と口論やけんかをしたわけではありません。でも、やり取りの中での失望感や住職の仏事のやり方など、私の心はボロボロになりました。私は、死んでも、菩提寺の世話にはなりません。親族にも、しっかり伝えました。人の心(苦しみ悲しみ)に寄り添えない宗教、教えは意味があるのでしょうか?博雲さんは、どのようにお考えになられますか?
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 自分の気持ちをぶつけてしまいました。教えて下さい。阿弥陀様は立像と坐像があります。真宗と浄土宗の違いの一つらしいですが、何がそんなに違うのですか?なぜ真宗は、それほど拘るのですか?一般人からすれば、阿弥陀様は立っていても座っていても、衆生のものを救ってくださるのではないのですか?
@@いず-k8g さん大丈夫ですよ。お坊さんもいろいろ居られます。私は今は在家ですが、あなたに合う僧侶さん必ず見つかると思います🙏😊
いつもご視聴ありがとうございます。
このチャンネルでは、真言宗を中心に仏教・仏事の解説をしております。
面白いと思われたら高評価、興味を持たれたらチャンネル登録お願いします。
先日、某霊能者さんから先祖供養が足りない、先祖さんがそう言われてると言われました。
その際に毎月の月参りに来て頂いてるし、50回忌法要も無事終了してる、更に浄土真宗を
信仰してるので既に西方浄土に行かれてるはずと伝えると、それでも十分じゃないから
毎月こうしなさいと言われました💧そして言った言葉が自分の宗派で供養しないと届かない
です💧見えない世界は言ったもの勝ちなので、正しい知識を学べるチャンネルは本当に貴重です
ありがとうございます🙇♂️合掌
コメントありがとうございます。
なかなか面白い霊能者さんですね(*^_^*)
評価いただいてうれしいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
とても勉強になりました!一族は浄土真宗、私と母は天台宗系の修験道に帰依しておりますが、息子は浄土宗系の学校に通ってるので、浄土宗と浄土真宗の違いも分からずもやもやしておりましたが腑に落ちました。ゆうき和尚のご説法はいつも分かりやすく感謝しながら拝聴しております。
いつもありがとうございます。
そうおっしゃっていただけると嬉しいです(*^_^*)
はじめまして。
動画を拝見し、和尚様が大変勉強されていらっしゃる事に頭が下がりました。大変失礼かと思いますが、浄土真宗に関して私なりに思った事を書かせて頂きます。長文乱文をお許しくださいませ。
「浄土真宗の聴聞=修行」とありますが、これは失礼ながら正しい解釈とは言えません。
浄土真宗は、阿弥陀如来によって衆生は無条件に往生できますから、聴聞の有無は成仏に関係ありません。浄土真宗の聴聞は「自らの愚かさ、傲慢さに気づかされる」手段であります。聴聞によって自らの愚かさに気づき、すぐ忘れる。また聴聞し気づき忘れる。これを繰り返していく中で「自分の本質に目覚め、自らのはからいでは成仏できず、阿弥陀如来のすくいは他の誰でもない自分のためにある」と頂く身になっていくのです。
三つの教え(宗派)をスポーツに例えられていますが、浄土真宗は「練習もなしに出場する」と解釈されることに違和感があります。世間一般では「他力(本願)」を「他人任せ、努力の否定」というように誤って捉えられていますが、浄土真宗では努力を否定しているわけではありません。努力をしようと思い立つ心も、努力ができた事も縁起によって成り立つものであり、自らのはからいで行えるものは何一つないと考えるのです。しかし、人間は「俺が(自らの力によって)努力した。あいつは努力が足りない」と努力が自らの傲慢さを生む種になりえるので、自分がそのような危うさを持つ身であることを聴聞によって教えて頂いております。
ですから、自力と他力を私なりに「虹を見た」という例えを使って解釈するならば、
自力:自らのはからいでその場所に足を運び、その方角に顔を向け、「私が虹を見た」
他力:様々な条件(縁)が整った結果、「私の目に虹が映った」
というように捉えています。ですから、他力(本願)は「他人任せ」という意味ではないことがおわかり頂けるかと思います。
長文でのコメントありがとうございます。
浄土真宗の僧侶の方でしょうか。
お書きいただいた部分は、折り込み済みで、この動画を作っております。
よろしかったらこちらの動画もご覧ください。
「ご宝号 お念仏 お題目 南無大師遍照金剛 南無妙法蓮華経 南無阿弥陀仏 この三つは実は同じ」
ua-cam.com/video/2n28Ol8wlEw/v-deo.html
信心をスポーツの練習に置き換えるのは無理があるように思えます。😅
ただしなかなかユニークな説法ありがとうございました。🙏
コメントありがとうございます。
いつも興味深く拝見しております。
現在の(宗)浄土宗様は、弁長上人のみ教えです。
法然様は、聖道の修行(戒律)を否定なさいました。
ua-cam.com/video/fIk0dUDGPm0/v-deo.html
なぜ聴聞をするのか?につきましては、
自力を交えない為と理解しております。
もう救われている…とはいえ、自らの計らいで、
勝手な理解をしたり、自分の手柄にしたり…。
それを防ぐために、聴聞が欠かせないと存じます。
ua-cam.com/video/lmsviSpYacc/v-deo.html
確かにおっしゃる通り難信の法ですね。
これからも、精力的なご活躍を心より念じております。
合掌
桜嵐坊🌸
コメントありがとうございます。
浄土真宗では高名な桜嵐坊様にご視聴いただき恐縮しております。
リンクされている動画拝見いたしました。
恥ずかしながら知らないまま、動画を作りましたので、概要欄にリンクさせていただきました。
ご教授頂き感謝しております。
浄土真宗の聴聞というのは、なかなか他宗からは理解しにくいところです。
阿弥陀様に帰依していれば、聴聞などしなくても良いのではないかという思いがありまして、その辺りの疑問を解消する意味で動画を作らせていただきました。
今後ともご指導いただけたら幸いです。
合掌 ゆうき和尚
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 様
ご丁寧なご返信、有難うございます(^人^)❣️
共に日本の仏教を現代の人々に、お勧めして参りましょう〜❣️
どうぞ宜しくお願い致します〜🙏😊🌸🌸🌸❣️
ゆうき和尚様、いつもありがとうございます🙏
高齢の親には浄土宗をすすめています。
自分の中で、真言宗の信仰と浄土宗を融合させる方法を模索しています…🤔💭
川崎大師の有名な赤札はなぜか南無阿弥陀仏と書いてありますし、無理な事ではないのかと思っているところです。
コメントありがとうございます。
浄土宗と真言宗を融合させることはできませんが、真言宗でもお葬式では阿弥陀信仰と極楽往生が取り入れられています。
新義真言宗を開いた覚鑁上人は、大日如来と阿弥陀如来の一体化を理論付けましたし、現在の真言宗自体が浄土系の教えに傾いております。
71才男です。自分は自分なりに一生懸命生きてきた。つもりです。
今、他力本願に戻りたい。南無阿弥陀仏。死んだ親父を見習いたい。今更無理ですが。
私は、実家の 真宗大谷派出です。
コメントありがとうございます。
ご事情がおありのようですが、ご実家のお寺に相談されてはいかがでしょうか。
戻るのが無理ということは無いと思います。
いつも解りやすいご解説ありがとうございます。今回の動画の内容とは関係無いのですが、真言宗のお経本を見ますと十善戒がありますが私はこれらのの戒めを守る自信がありません。それなのに神仏の前で守りますとお唱えしても良いのでしょうか?宜しくご指導お願い致します。
コメントありがとうございます。十善戒の一番最初の「不殺生」は、人間が生きるためには、他の生き物の命を食べることなので、基本的に守れません。ただ、不必要な「殺生」を避けるという意味です。同じように他の九つの戒めも、できるだけ守るように努力していただくことが大切と思います。
ご回答頂き有難うございます。真言はやはり回数よりも心をこめて唱えれば、少なくともむやみに唱えるより良いという事がよく解りました。有難うございました。
ゆうき和尚さま 本日も貴重なる解説を頂き有り難く存じます。私個人は殆どの武道を経験しておりますので修行の大切さを、身をもって感じておりますゆえ、やはり仏教においても自力の教えを伝える御宗派を好むものです。勿論、絶対他力の浄土系御宗派を否定するものではありませんし、また、その資格も無い私ですから凡夫の立場から申し上げますと、浄土系の場合には、人が亡くなれば即座に阿弥陀如来のおられる西方浄土に到着し、この世には無い美しい世界に生きる事が出来る、とされているので仏壇には故人の魂は宿らず、従って水やお茶、菓子類や果物を備えるべきではない、と伝える僧侶もおられるようですし、更に阿弥陀如来様は仏様なので当然に召し上がる事は無いし故人や先祖は西方浄土で美しい水や美味しい果物を得られているので、お供え物も不要という事のようです。その為に[お仏壇]を[お内仏]と呼称して、この中には阿弥陀如来様しかおられぬので位牌を収めてはならない!過去帳を左下に置き、法名軸を左側面に掛ける!等の戒律のような印象を受ける話を伺いましたが、真言宗の檀信徒の私には、やはり和菓子と季節の果物、それに八女茶とお水、小型の炊飯器で早朝に炊いたお仏飯を御供えして御神仏と先祖に召し上がって頂きたいと願うのですが、やはり御宗派によって解釈の違いがあるのは興味深いものです。浄土系の僧侶が幽霊の存在を否定されるのも、実は、このような部分に関係があるような気がしております!死亡と同時に西方浄土に出発される方々が、何を未練がましくこの世を彷徨っているのか、生前から念仏を唱えていたではないか!との矛盾を生じますので大人の事情で[幽霊など存在しない!]とするしか方法が無いのでは?と考えますし、更に申せば[お内仏]なら先祖の魂が宿らない訳ですし、それなら何も毎月僧侶が来訪して、先祖不在の仏壇にお経を唱えて頂かなくても自分の家の阿弥陀如来様には自分でお経を上げますから!と主張する真宗の御門徒さんはおられぬのか?との思いに至るのです。非僧の凡夫ゆえに疑問に思う点を書いてみましたが、浄土系の御宗派を理解出来ずとも決して否定するものでは無い事を付記して本日の感想とさせて頂きます。感恩 合掌
いつもありがとうございます。
確かにおっしゃるような話は聞いたことがあります。ただ、浄土系だからという訳でなく、浄土系の方でも真摯に向き合っている方はいらっしゃいますし、自分の宗派に目を向けると僧侶とは言えないような方も目にとまります。
私自身も反省する部分が多々あります。
こちらの動画を拝見し、貴殿の書き込みが目に留まりました。失礼ながら、誤解をされていらっしゃる所があるのでコメントさせていただきます。
まず、浄土真宗のお仏壇(に限らず葬儀や法事など全ての仏事)は「故人を弔う場」ではなく、「仏を敬う場」であります。お位牌を用いないのもこの為です。ここが理解できないと、何のための読経なのか?という問いも生まれることでしょう。解釈の仕方によると思いますが、貴殿が述べられている浄土真宗における「してはならない」は「する必要がない」という方が浄土真宗の教えからみてもしっくりきます。また、浄土真宗においてもお供えはします。前述の通り、故人ではなく仏様にお供えするものであり、一段高い所にお供えします。これは古来より大切なものは高い所(頂き)に置いたからであり、お供えはある程度時間が経つと「お下がり」と言って自分たちで仏様からの恵みとして食べます。(だから「頂きます」)
浄土真宗では、生きとし生けるものが阿弥陀如来によって往生させていただくので、幽霊という存在は考えません。仰られている「大人の事情」という意味は残念ながら理解できませんが、もし真宗門徒において、「幽霊(=成仏していない)という存在を信じる」ということは「阿弥陀如来のすくいを信じていない」ということでもあります。浄土真宗においてはこの「疑い」は出発点であり、その疑いを晴らす方法が聴聞であります。
最後になりますが、浄土真宗において先祖供養はしませんが、それは故人を蔑ろにしているわけではありません。寧ろ、この私に仏縁を結んでくれた大切な存在であります。しかし、この私が今ここに存在するのは先祖だけではありません。現在に至るまで様々ないのちや物との繋がりによって育てられてきたのです。にもかかわらず、私達凡夫は自分に関係あるものとそうでないもの、得をするものと損をするもの、好きなものと嫌いなものなど、自分のものさしで線を引こうとします。その様な「ご都合主義」は、事実を事実として見る事を妨げるばかりでなく、差別や争いを生む土壌となります。そんな自分の都合でしかものを見ることができない私だからこそ、「必ず救うぞ」という阿弥陀如来に手を合わせ念仏申させていただく事が真宗門徒の在り方だと思っております。
@@naozou 様 長文のコメントありがとうございます。
往生が決まっているのであれば、どう見られても良いのではないですか?
先が本当に見えていたら、周りは関係ないです(*^_^*)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 様
まず初めに私がしっかりとアンカーを付けなかったことで和尚様から返信をしていただくことになり大変申し訳ありません。こちらは西田様に対する返信ということでコメントいたしました。
さて、和尚様に質問がございます。
>往生が決まっているのであれば、どう見られても良いのではないですか?
先が本当に見えていたら、周りは関係ないです(*^_^*)
このコメントの趣旨が理解できません。「自分の信仰する浄土真宗という教えによって自分の往生が決まっているならば、他の人が浄土真宗に対してどう思おうが(誤った解釈をしていようが)良いではないか?」という意味でしょうか?
@@naozou 様 こちらこそ、申し訳ありません。私宛の返信ではないことは承知しておりましたが、管理人としてお返事させていただきました。
昨日は、夜遅かったこともあり、簡単な返信になって失礼いたしました。
お返事いただきありがとうございます。
別にコメントいただきました件と合わせてあわせてお返事させていただきます。
「自分の信仰する浄土真宗という教えによって自分の往生が決まっているならば、他の人が浄土真宗に対してどう思おうが(誤った解釈をしていようが)良いではないか?」
その通りです。
重要なのは、極楽へ往生することであり、
浄土真宗の教えはそのための方便です。
教えが重要ということになると本末転倒ではありませんか。
質問された時には、お答えされることは、親切だと思いますが、違った考えを見つけて反論することは不要ではありませんか。
自力と他力の話でもそうですが、自力と他力はそんなに簡単に分けられるものではありません。
私自身は、山中で50日以上一人で籠り、真っ暗闇の中で、真言を一日12時間以上唱え続ける行を行い、手足がしもやけで紫に変わりましたし、断食を行いながら山を登り、拝み続ける行もしましたし、半年以上寝袋だけで野宿しながら、四国をお参りし続けました。
なんで、こんなことをしたかと聞かれても、自力ではない、むしろ、そういう厳しい行を行った人の方が、仏様の力(他力)を感じます。自分が行ったのではなく、仏様にさせていただいたと思う訳です。
それをもっと大きく覚られたのが親鸞聖人と思います。
私自身は修行や勉強など意味が無いと自覚しております。でも、現在も修行も勉強もやっています。何かを覚えたりするためでなく、いうなれば仏様の声を聴くためで、広い意味でいえば聴聞です。
浄土真宗でも妙好人と言われる方がいらっしゃいますが、こういう方は、聴聞などしてないんではないですか。
逆に聴聞しても、妙好人になれるわけではない。要するに、感じることが重要で努力など要らないわけではないでしょうか。
ただ、浄土真宗の教えを否定しているわけではありません。方法としては優れていると思います。しかし、その方法にこだわられると本質を見失うように思います。
いかがでしょうか。
ゆうき和尚 殿
浄土真宗は、「聴聞につきる」と言われますが、わざわざお寺に行かなくともネットのユアチューブなどで浄土真宗の本願寺派、大谷派などの僧侶の講話などを聴くのも修行なのです。
今は、パソコンも発達してネットを利活用することで良き修行に変えられると思います。
今日の動画は、本当に為になりました。
一度、高野山などにいって、空海さんの目指した「人間の幸せ」を見てみたいと思っています。
コメントありがとうございます。
少しでも参考にしていただけたら嬉しいです(*^_^*)
興福寺奏状や摧邪輪を読むと、浄土系各宗は『仏教系の新宗教』なんだなと思います。それにしても、法然も解脱上人も明恵も親鸞も良く勉強してますね。今の宗門系大学の学生さんにも見習って欲しいですね。
動画有難うございます。
先日、愛猫の葬儀の際に阿弥陀さまの救いと追善供養について質問させていただきましたが、新義真言宗における興教大師さまの浄土観は、私には難解です。要はどういう解釈すれば良いのでしょう?
真言宗の真髄は
煩悩即菩提
即身成仏であって
死のあと浄土に向かう浄土信仰とはそこが違うように感じるのですが
どうでしょうか🙆?
コメントありがとうございます。
教義的にはおっしゃる通りではあります。
ただ、現実には真言宗のお葬式では、極楽往生するように祈願しております。
また、即身成仏と極楽往生はどちらも方便です。
それにつきましては、「南無大師遍照金剛~四智の話(仮)」という動画を次の次にアップしておりますのでよろしかったらご覧ください。
どの宗派も目指す所はひとつなのですから自分に合った修行ができる宗派を選ぶ!で良いと私も以前から思っておりました
私の実家は浄土真宗
妻の実家は真言宗にございます
どちらの教えも勉強し
真言宗の教えのほうが私に合っているので真言宗信徒になりました
いつも解りやすく楽しい動画をありがとうございます
感謝合掌
@@ゆうき和尚仏教仏事解説
私、ハンネから本名の弘一郎に変えました
今後ともよろしくお願いいたします
@@弘一郎-o4s 様 すいません。新しい方かと思ってしまいました(*^_^*)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 すみません💦もう変えません笑
よろしくお願いいたします
私の家は浄土宗ですが、家のお寺の住職とほぼ同じ事を述べておられます。勢至丸のお父さんのいう恨みというのはフランスのニーチェのルサンチマンという恨みを捨てなさいという教えでないかと考えております。法句経にもかいてあり、この点洋の東西を問わず、釈尊の時代から既に同じことをかんがえていたのかといつも法句経を読むとそれを考えます。いつもいろいろ情報ありがとうございます。
いつもありがとうございます。
法然上人の話は、史実としては微妙なようですが、仏教的な話として紹介しました。
とてもわかりやすく客観的にお話いただきありがとうございます。私は仏教に興味を持っている素人です。(たまたま縁があって浄土宗系の中学高校に通っていました)。UA-camで仏教の動画を見ていろいろ考えていますが、浄土真宗系の動画が多いですね。素人的に大きなことを言うとお釈迦様の悟りも法然上人、親鸞聖人、弘法大師様、(それと禅宗の道元禅師なども)が目指したものは同じなのでないでしょうか?実質的には自我を捨て自然の一部として(大きな力に抱かれながら)安らかに生きていくことだと思います。そこに導く道筋をそれぞれ研究されてお伝えされてきたのではないかと思っています。いかがでしょうか?
コメントありがとうございます。
>お釈迦様の悟りも法然上人、親鸞聖人、弘法大師様、禅宗の道元禅師が目指したものは同じ
おっしゃる通りです。ただ、どうしても特定の宗派の教えだけを学ぶと、それは全く理解できないと思います。
その話はこちらで説明しております。
「智証大師 円珍は なぜ、弘法大師の真言宗ではなく天台宗を選んだのか」 から考える 仏教は広く学んだほうが良い
ua-cam.com/video/Va_IPMgxqpQ/v-deo.html
よろしかったらどうぞご覧ください。
浄土真宗では、信心が無いと往生出来ないと言われます❗️信心を得るために聴聞をするのですが、聴聞する時間を作るために、日常生活で結構努力してますよ。称名念仏10回で往生できるのなら、そちらの方が易行だと思います。信心を得るとは大変な事だと思います。
コメントありがとうございます。
>信心を得るために聴聞をするのですが、聴聞する時間を作るために、日常生活で結構努力してます
これはおかしいのではないですか?
他力は阿弥陀様にすべてお任せするのに、そのために聴聞が必要というのでは、聴聞教ではないですか?(*^_^*)
浄土真宗の人は、聴聞を重視しますが、私は親鸞聖人の教えを解説するようなものは要らないと思います。学問的に理解しても、それでは救われません。
重要な部分は、「自力では救われない」という自分の無力さを実感することです。
その時点で、初めて「阿弥陀様の力・ありがたさ」が沸き起こってくるものです。
そういう意味では、修行も戒律もしない教えでは「自分の無力さを実感する」という部分が、感じにくい気もします。
>称名念仏10回で往生
実際のところ、10回も要らないでしょう。
ただ、自分の無力を実感するのは難しいと思います。
ちなみに、私は親鸞聖人ほどではありませんが、生か死かみたいな行もやっております。
だから、なぜ、親鸞聖人が自力を捨てられたか、非常によくわかります。ただ、普通は踏み切れない部分を、親鸞聖人は踏みこまれて、突き抜けた教えを説かれた凄さがあると思います。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 さん、自分で修業をして、自分の無力さを体験しないと、自分が無力な凡夫であることが判りませんね。
真言宗僧侶からの各宗派の違い、視点、興味深く拝見させて頂きました。南無大師遍照金剛とお唱えするのは、称名念仏の影響があったのではないかという指摘は興味深かったです。日蓮宗のお題目を唱えるのも同様の影響があるのかもしれませんね。ありがとうございます
一点、聴聞とは「仏願の生起本末」を聴く、と浄土真宗では言われています。お寺に何を聴きに行くかは、なぜ阿弥陀如来が衆生往生を念仏一つで救うと誓い果たされたか、ということです
なのでお寺じゃなくてもどこでも良いです。もちろんネットでも本でも
ただ、お寺だと聴聞する環境が整っているので、お寺参りを勧めるわけですね・・・退屈な話しを聞くのは苦行かもしれませんが😅
昔はネットもなかったし、本は庶民に買えないし、そもそも文字も書けなかったので、お寺に集まるのは当然だったのかもしれませんね
コメントありがとうございます。
聴聞を勧められたのは、蓮如上人と思われます。
蓮如上人の時代は、その教えを聞く場所が、お寺しかなかったので、おっしゃる通りではないかと思います。
ちなみに、蓮如上人は、信徒に酒や餅を勧め、仮名で文書を出し、一緒に勤行することを始めたとも言いますので、宣伝広告のプロだったと思います(*^_^*)
なるほど、最終的なゴールは仏教を習得することであり、真言宗は最初から全教科を体系的に学んでいくのに対し浄土真宗では最初のハードルを下げているけど、聴聞を通じて仏教を学んでゴールを目指すということなのですかね。これも対機説法の一つなのでしょうか?
コメントありがとうございます。
習得というより、悟りを感じるというほうが適当かもしれません。
そのために、真言宗は様々な手法を用いますが、浄土真宗では使わない。
ハードルという点でいえば、実感として浄土真宗の方が高いと思っています。
その人に合ったほうほうですから、対機説法ですね(*^-^*)
ゆうき和尚様、何時もお教え有難うございます。
顕教と密教と言うだけでも、真言宗、浄土宗・浄土真宗は大きく異なると存じます。
真言宗と浄土宗・浄土真宗とでは、印とセットで考えられることの多い「真言」と後者の専修念仏とは随分異なると存じますが如何でしょうか。
真言宗のお立場からすれば、真言と念仏とは異なるとの反発は起こらないのでしょうか。況してや、念仏だけ称える浄土宗・浄土真宗とキチンと修行して学ばないと使いこなせない真言宗の印と真言(多数の佛様の数以上に陀羅尼も有りますね)とでは、真言宗の方が僧侶様としても階段が多いと感じる次第です。
その上で、冷静に浄土宗・浄土真宗も捉えて居られるゆうき和尚様に頭が下がる思いです。
ご解説有難うございました。
いつもありがとうございます。
そうおっしゃっていただけると嬉しいです。
浄土教の信心決定や信心獲得と言うのは興味深い教義ですね。
わずか十遍でも南無阿弥陀仏と唱えれば極楽に往生できるはずなのに、
実際にはやはり不安のように見えます。
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りだと思います。
法然上人も親鸞聖人も、相当な行をされたうえで会得された悟りの部分を、結論だけ引用して宗派が組み立てられているので、かなり難しいのではないかと私は感じております。
むしろ様々な行を行ったうえで、その人に合った方法を見つけることが重要だと思います。
UA-camを観て和尚様のこちらの動画にたどり着きましたので、いま思うことを記述させていただきます。
「死ぬのが怖い」心を「何かにすがって」ることで「とりあえず解決しよう」という範囲で仏教があるわけでもないと考えたりするものの、そして仏教の有難い話や個人の生き方や、哲学感的な話に(わかったようわからないような)リスペクト感を得たりするものの、しかしながらやっぱり死ぬのは怖いので「すがる何か」を求めてその範囲にフォーカスして仏教を聞いています。
死んでからのことそんなこと考えてもわかりません、とお釈迦様が言った?(なんとか経で死後の世界はあるもないもその問いに答えなかった)そうですが、本当に心からそう言える状態に達してお釈迦様は「悟られた」ということでしょうか。(もっと死の範囲を超えた世界感に到達したのでしょうか)
私は、仏教に興味があり弘法大師も最澄、法然、親鸞、日蓮等の各お上人様をリスペクトしているごく普通の社会人です(宗教関係者ではありません)が、悟れないので死の問題を「わからない」と背けごまかしたり、でもきちんと誰か(子供とか)に伝えないといけないと思ったりを往復している者です。このあたりの和尚様のお考えをお聞かせいただければ幸いです。
コメントありがとうございます。
>お釈迦様が死後の世界はあるもないもその問いに答えなかった
これは、毒矢の例えと言われるものです。
確かにお釈迦様は答えなかったので、お釈迦様は死後の世界を否定したという人もいますが、私は相手が理解できないから答えなかっただけだと思います。
>もっと死の範囲を超えた世界感に到達
おそらくそう思います。お答えになるかどうかわかりませんが、多少、動画でお話しておりますので、よろしかったらご覧ください。また、疑問に思われたことがありましたら、お尋ねいただきましたら、判る範囲でお答えいたします。
「死んだらどうなる? その答えは自分自身にある」
ua-cam.com/video/G7hxlDbodic/v-deo.html
「仏教は幸福を求める教えではない 生きるための瞑想 生死を超えた瞑想」
ua-cam.com/video/xIJ8UEFgm0s/v-deo.html
「仏教の基本「十二因縁」苦からどう離れる 仏教は幸福を求める教えではない2」
ua-cam.com/video/4MJWV_ltK8M/v-deo.html
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 コメントさせていただいて良かったです。どうもありがとうございます。動画の方を観させていただこうかと思います。
扇子を振り上げる仕草がいつも楽しみです、笑笑
すみません(^^;)
いつもありがとうございます。
私の動画は動きが無いので、唯一のスパイスです(*^_^*)
はじめまして
動画を何本か拝見させていただいております。
詳しい説明ありがとうございます。
どうしてもわからないことがありまして質問させていただきます
お墓まいりについてですが・・
私個人はどこの宗教に属していませんが
真言宗般若心経にご縁を頂き現在いろいろと学びたいと思っている段階です。
お墓まいりについてどうしてもわからないことがございまして・・
お寺さんを調べましたら浄土真宗です。
お墓参りにいったときは
やはりその宗派のお経を唱えるべきなのでしょうか? 真言宗はすべてを網羅していると
個人的には感じているので光明真言をお唱えできたいいなぁ・・と・・
しかし・・ご先祖様に失礼だと・・と思い 質問させていただきました。
大変お忙しいとおもいますが・・回答が可能であり
お時間がございましたら どうぞよろしくお願いいたします。
いつもありがとうございます。
基本的なお話をすると、仏教的には問題ありません。ただ、日本の仏事は厳密には仏教ではないので少し考えていただく必要があると思います。
公営の墓地のような所であれば、問題ないでしょうし、他宗のお墓を受け入れているような所でも問題ないでしょう。
問題が出るとしたら、お墓は浄土真宗だけに限っているお寺の場合です。その場合は注意が必要になると思います。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説
和尚様
即答 大変ありがとうございます。
神仏の学びは深すぎてわからないことばかりですが
とても勉強になります。生きる知恵を頂き感謝ですが・・
その反面。。本当はいきつくとろこは一つなはずなのに・・それぞれの考え方宗派で
戦争などの歴史があることに・・非常に胸が痛みます・・
貴重な動画をありがとうございます。これかもお世話になります。
ゆうき和尚様の言う事がよくわかりました。 努力・修行しないは物足りん。
例えば、ドラゴンボールで言えば、天下一武闘会で優勝するもヤムチャでは安心できないので、修行して、スーパーサイヤ人ブルーやゴールデンフリーザになった方が
天下一武闘会で優勝する可能性が高い!という事ですね。よっくわかりました。
コメントありがとうございます。
スーパーサイヤ人やゴールデンフリーザになったら、天下一武道会など関係ない気もしますが(*^_^*)
これからの僧侶が悟りを開いて曼荼羅の世界が増えて、今後も続くのであろうと思うけど、宗派の識別教えより曼荼羅の世界が増える悟りを僧侶がしなければ仏教は衰えて忘れされると思うけど(╹◡╹)
氏のおっしゃる旨はおそらく密教曼荼羅の最上たる事をおつしやつておられると思いますが、真の意味ははかりかねます。
自力本願で、頑張ります。
キックオフ様
阿弥陀様の誓願に基づく「本当の誓願」なので
「他力」の時だけ使います。
ちなみに、真言密教は自力・他力・法界力の三力です。
キックオフ様
ちょっと偉そうなことを申し上げてしまったようで反省しております。
申し訳ありませんでした。
ご自身で、悟りを目指したいという気持ちはわかります。
宝蔵菩薩の四十八願ですが、
阿弥陀仏になるにあたってたてた誓いであります。
簡単ではありますが一八項目の内容は概ね合っていますが
正法誹謗と五逆罪の者を除くと言う点には触れられていませんが何故、正法誹謗、五逆罪の者は除くと触れられなかったのでしょうか?
これはとても絶対重要だと思いますが何故、割愛されたのでしょうか?
コメントありがとうございます。
なぜ割愛したか?というご質問ですが、私に意識がなかったとしか、言いようがありません。
正法誹謗、五逆罪は阿弥陀様の誓願に限らず、仏教全般に言える話です。
ただ、私は今まで説いたことがないので、今回もお話ししなかっただけということでご理解いただけたら有り難いです。
ゆうき和尚様、初めまして。他宗派に対する寛容なご理解、尊敬申し上げます。私は高齢の求道者でございます。ところで、よく[釈迦に帰れ]という言葉を聞きます。それは原始仏典に帰れということでしょうか?
コメントありがとうございます。
>よく[釈迦に帰れ]という言葉を聞きます。
おっしゃっている方の意図は存じません。
以下は私の解釈です。
「密教は仏教か? 真言僧がお答えする 仏教は文章ではなく心で伝える」
ua-cam.com/video/LCnkzqojLvY/v-deo.html
真言宗は名前の通り真言を唱えることを重んじられるようですがその回数が多ければ多いほど良いとされるのはなぜですか?
コメントありがとうございます。真言は多いほど良いというのは私は聞いたことがありません。
念仏とか題目は、多いほど良いと思われますので、それと同じように真言をお唱えされる方もいるかもしれません。
ご指導賜りありがとうございます。私も回数が多ければ良いとするのは疑問なところですが、、虚空求聞持法のようなものが存在するのも確かなのご質問さていただきました。
@@ドンレオ 様 お返事ありがとうございます。求聞持法につきましては、100万回という回数がよく取り上げられておりますが、厳密にはお唱えするだけでなく実は瞑想法です。ですから、たぶん回数が問題ではないのですが、誤解されている部分があります。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 ご丁寧にご回答頂き有難うございます。真言は回数の多さでない事がよく解りました。有難うございました。
禅宗との相違点についてお聞かせくださいませ。
コメントありがとうございます。
「真言宗と禅宗(臨済宗・曹洞宗)はどう違う」
ua-cam.com/video/8XpBn-bN3uo/v-deo.html
という動画を作っておりますので、よろしかったらご覧ください。
私説はわかりますが教えや目的をスポーツの試合に例えるのはかなり無理があるように思います。質問ですが先祖供養が大好きな日本人をどう考えますか?
コメントありがとうございます。
>教えや目的をスポーツの試合に例えるのはかなり無理がある
おっしゃる通りです。
教え自体を説くことが難しいので、イメージで雰囲気だけ伝わればいいと思っています。
>先祖供養が大好きな日本人をどう考えますか?
ちょっとお答えしかねるのですが、私は日本人は先祖供養が大好きとは感じていません。
また、日本人をどう考えますか?と言われても、「良いと思います」としか答えられません。
「日本の先祖供養についてどう考えるか」という意味でありましたら以下の動画をご覧ください。
ua-cam.com/video/ZpLY1Qcy1t4/v-deo.html
はい。家の宗派は浄土真宗なんです。易行道といえど、かなり難しいですよ。
いつもありがとうございます。
浄土真宗は難易度が高い教えと言うのが私の持論です(*^_^*)
信仰は自由です。とやかく言うつもりも有りませんm(_ _)m私みたいな素人からするとお釈迦の教えが仏教で人それぞれに法をとかれて経典が有るのは理解出来ます。仏教なら本尊は釈迦牟尼仏であり阿弥陀仏でも大日如来でもないと思います。
阿弥陀仏を本尊にするなら阿弥陀教、大日如来を本尊とするなら大日教若しくは、密教であり、仏教と思えません(´・ω・`)お釈迦が悟られ広められた一代教が仏教では?
今の13宗56派閥あまりにもお釈迦様を軽く見てるようにしか個人的に思えません。
コメントありがとうございます。
ちょっとよくわからないのですが、「仏教はこうあるべき」という主張をされるのは構いませんし、それでご自身が救われるのであれば、結構だと思います。
なお、現在の仏教宗派がどうであろうと関係ないような気がしますが、いかがでしょうか?
この3つは お釈迦様が仏法を知らない人のために例えの教え
そのお釈迦様がお亡くなりになったので そのご利益はもうありません
コメントありがとうございます。
おっしゃることが判りません。
ua-cam.com/video/SNaxELFXBUg/v-deo.html
わかるように説明していただくと有り難いです。
日蓮正宗系の方ですか?
犯罪者とその被害者。
他人には、まさに他人事です。
復讐は新たな復讐を生じさせる。
時代劇なら皆殺しと討ち入り。
ばかな復讐で、気持ちが
満たされるはずがない。
我が身は、我慢強く執念深い。
しょうがないなぁ。と思う。
宗派の違いはわからない。
ただ神仏にはすがりたい。
答えは出てない。ただし賞罰なし。
ありがたいことです。
コメントありがとうございます。
>ただ神仏にはすがりたい。
>答えは出てない。ただし賞罰なし。ありがたいことです。
この部分に共感しました。
答えを見つけられるよう願っています。
いつか、見つけられると思います。
宗派の違いの動画を拝見し
感じました。
恨む心の執着心が46年間。
長い。ほぼ不治の病。
これからも長い付き合いになると
覚悟しました。
捨てられないつらさを
抱きしめると泣く子供と同じ。
少し落ち着きました。
わかった。落ち着け。
気持ちはわかる。
自分の気持ちを自分でいたわる。
なぜ捨てようとしたのか
わかりません。
恨む執着の心も自分の一部。
自分から生じた心の一部を
自ら嫌うことは自己否定。
迷いや不安の心を
生じていました。
ありがとうございます。
まだ答えではありませんが
心が楽になりました。
聞いた話では宗教は拝めば拝むほど特徴(開祖の生き様)が出ると聞きました
キリスト教=怪我をしやすくなる
真言宗=男が弱々しく一家の柱が立たない(父方の親族一同がまさにこれ)
念仏=自害の念が現れる(この影響を受けたのが侍の腹切)
禅宗=口だけの人間になる
等
宗教はよく選ばないと怖いですね
コメントありがとうございます。
私が知っている話では、youtubeには、コメント削除機能や非表示機能がついております。
私は特定の教えを説いているわけではなく仏教を解説しているチャンネルです。動画に関係ない内容で、特定の教えを根拠なく批判されても困ります。
ua-cam.com/video/SNaxELFXBUg/v-deo.html
どんな意見を書いていただいても結構ですが、
こちらの動画で述べているように、
1 挨拶
2 自分の立場
3 丁寧な言葉でわかり易く相手に伝える
というのが、社会一般の常識です。
>宗教はよく選ばないと怖いですね
おっしゃる通りだと思います(*^_^*)
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 真言宗を信仰してる人って未亡人、家族の中に男性がいたら先立たれてる人多くないですか?先に「真言宗は男が弱々しく一家の柱が立たない」と聞いた後に真言宗信仰してる人の家族みたら100%そうだったので寒気がしました。たまたまですか?
@@legend_of_crimson_youth 様
たまたまです(*^_^*)
洗脳されやすい方ですね(*^_^*)
それより、私の返信コメント読まれました?良く読んでからコメントお願いします。
@@ゆうき和尚仏教仏事解説
仏法者が「たまたま」とか「洗脳」とか言うんだw
真言の生喩という方が日蓮との法論対決にケチョンケチョンにやられたという話は本当なん?
@@legend_of_crimson_youth 様
>真言宗は男が弱々しく一家の柱が立たない
>真言宗信仰してる人の家族みたら100%そうだった
という話がたまたまで、そういう話を信じる人は洗脳されやすいことについては、動画で説明します
>真言の生喩という方が日蓮との法論対決にケチョンケチョンにやられたという話は本当なん?
生喩ではなく性喩では?
日蓮上人が佐渡にいた頃、僧侶になったかたですから、おそらく会ったことは無いでしょう。
また、日蓮上人が法論をしたという話は聞いたことありません。
ただ、日蓮僧にも、確認中です。
浄土真宗は、だめです。
心が全くありません。
コメントありがとうございます。
すいません「心が全くない」では、おっしゃることが判りません。
いずさんは、だめです。
心が全くありません。
@@真言宗僧名博雲伊藤弘
2回もご返信ありがとうございます。博雲さんには心を感じました。状況をお話せずに、結論だけ投稿しました。
あまりにもひどい菩提寺?住職とその妻の言動に、驚き、途方に暮れました。
私は、宗教界はこんなにひどいものかと、多くの宗派(真言宗、天台宗、曹洞宗、臨済宗、浄土宗、ついでにキリスト教にも)や真宗の西本願寺、東本願寺のお坊様にお話したら、驚いていらっしゃいました。その中の真宗のお坊様お一人が、謝罪の言葉をかけてくださいました。また、別の真宗のお坊様は、私でも、あなたの気持ちがわかるし、離檀したい気持ちも分かるし、自分でも離檀そうするだろうと言ってくださいました。ありがたい事では、ありましたが、私の心は傷ついたままです。
ひどい住職、菩提寺?です。詳しいことをまた、思い出して、投稿するのも、辛いです。
コメント欄を汚したなら、すみません。でも、私の心の声、嘆きです。
苦しみ悲しみの中にある人間に、追い打ちをかけるのが真宗です。戒律?決まり?を守ることのほうが、人間の心を救う(寄り添う)より先にあるのが、真宗の教えみたいです。私は、浄土真宗が大嫌いです。何度も言います。ひどい目に合わされました。
私の知る限り、両親も神仏や、ご先祖様を大事にする家系で、160年続いています。本家と分家の墓に、22霊位が眠っています。菩提寺に対して無礼なことはしていないと思います。お金あえてそう言います。あれは、お布施ではありません。120万超えでお支払いしました。でも、お金の問題ではありません。
とにかく、真宗はだめです。心がないです。
別に菩提寺と口論やけんかをしたわけではありません。でも、やり取りの中での失望感や住職の仏事のやり方など、私の心はボロボロになりました。
私は、死んでも、菩提寺の世話にはなりません。親族にも、しっかり伝えました。
人の心(苦しみ悲しみ)に寄り添えない宗教、教えは意味があるのでしょうか?
博雲さんは、どのようにお考えになられますか?
@@ゆうき和尚仏教仏事解説 自分の気持ちをぶつけてしまいました。
教えて下さい。阿弥陀様は立像と坐像があります。真宗と浄土宗の違いの一つらしいですが、何がそんなに違うのですか?なぜ真宗は、それほど拘るのですか?一般人からすれば、阿弥陀様は立っていても座っていても、衆生のものを救ってくださるのではないのですか?
@@いず-k8g さん
大丈夫ですよ。お坊さんもいろいろ居られます。私は今は在家ですが、あなたに合う僧侶さん必ず見つかると思います🙏😊