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この曲ほど八甲田山の厳しさ、悲しさを上手く表現できる曲は二度と現れないように思います。傑作中の傑作。
ご視聴ありがとうございます。同感です。親しみやすく、忘れがたい、映像と一体となった名曲ですよね。
小学生のころ父につれられてこの映画を見たのですが、春の八甲田をローブウエイに乗って緒形拳さん扮する生き残った兵隊さんが春の八甲田を見上げた瞬間、場面は吹雪の八甲田に変わりこのテーマ曲が流れた事今でも覚えています
陸上自衛隊で北方部隊に勤務していた時、冬季訓練で行進中に頭の中でこの曲が流れていた。
ご視聴ありがとうございます。私も雪国在住ですが、雪道を歩くと何故だか脳内再生されてしまいます。
リアル過ぎる
分かるー!
芥川さんは、この名画に相応しい素晴らしい曲をおつくりになった。
ご視聴ありがとうございます。日本映画史上に残る名曲ですね。
「自然」は容赦ない。負けたものは負けるべくして負ける。最近、登山の事故が多いですが、これは大切な教訓。
ご視聴ありがとうございます。組織論としてもいろいろ考えされられる映画でしたね。
青森に行く度に、幸畑の八甲田遭難資料館に行きます。又冬に、レンタカーを借りて遭難の指揮本部になった田茂木野に行ってみましたが、今は廃村同様でした。5連隊は岩手、宮城の出身が多く、山形の兵士は少なかったようです。世界的に稀な山岳遭難ですが、何故こんな悲惨な結果になったのか、何が悪かったのかと考えてしまいます。合掌。
ご視聴ありがとうございます。人命がすごく軽かった時代のように思います。
八甲田山を小学生3年で初めてみた時は何が何だかわからなかったけど今高校1年生になって感動で涙が止まらなくなりました(今は父と史実の八甲田山の話を語り合っています😂)
「案内人殿に対しッ、カシラーッ、右ィッ!」の場面、暴風雪にたじろぐ案内人を「進めぇっ」と押し返す場面、雪中露営でおしくらまんじゅうをしつつ過去を思い出す場面、ラストで「自分は……、雪の八甲田で、確かに、神田大尉にお目にかかりました……」と涙ぐむ場面、………等々等、子供心に「高倉健って、カッコいいなぁ」と感激したのは、そもそもこの映画が最初だったと思います。後に原作を読んだら随分違い、その原作もまた史実と結構違うのを知りました。それでも以後ずっと、高倉健は我が師表です。史実としての事件の悲惨さは十分承知しているつもりですが、それでもつい「大自然の猛威と闘い克服した高倉健」「力及ばず中途に斃れた北大路欣也」という見方から脱し得ない私に対し、とある女性は断固として「家族と見たけど本当に怖かった」「あんな死に方する映画は見たくない」と言い張り、男と女の感性の違いというものを非常に強く感じたことがあります。主演が違ったらまた別の展開があったのかもしれませんが……、他の事では話の合う相手だっただけに、少しは残念です(笑)
そうですね。男女の感性、今は世代間の感性の違いを実感するようになりました。所謂おっさんが好きな映画、俳優さんは少なくなってきたなと思います。興業的にも仕方ないのかなとも思いますけれど。
中学生の頃学校で見に行った。四十年前位ですが泣きました。
ご視聴ありがとうございます。私の泣きポイントは高倉健さんが泣くシーンとラストの緒方拳さんのシーンでした。
関西の比較的温暖な土地ですが、たまに雪が降るとこの音楽が頭の中でグルグル回り、思わず雪の進軍まで口ずさんでいます。いい映画、いい音楽です。
三十数年前、春の東京を大雪が襲った。見る間に雪が街に降り積もり、交通機関はマヒ状態に陥った!!なんとか動いていた地下鉄に乗ったものの、終点駅まで行っても、自宅までは数キロメートル以上の道程が残っていました。雪道を彷徨ながら歩きました。まだ数が多くはなかったコンビニで肉まんやらで暖を取りながら……アタマの中に、このテーマ曲が流れて……。
泣ける映画でしたね。自然は手厳しい。人間は小さい。
ご視聴ありがとうございます。自然には抗えないということと、その美しさを存分に見せてくれましたね。
この曲は八甲田山に凄くマッチしていて、聞くとあの映像が頭を過ぎります。同時に凄く切なくなります。
芥川也寸志さんも良い作曲を遺してくれました。この曲を聴くと雪の恐ろしさが判り、青森第5連隊の悲劇が後世になっても語り繋がれている事も未来に語り伝えて行くべきです。
ご視聴ありがとうございます。この曲がレクイエム代わりに残っていくといいなと思っています。
コマーシャルで天は我々を見放したーと、北大路欣也さんが言ったcmを子供ながら見た記憶がいまだに印象に残ってます。もう45年前ですか、、、隔世の感がありますね。
ご視聴ありがとうございます。私も子供ながらに凄い映画だなあ・・と思って見ていました。
大雪で身動きとれず雪の中に倒れていく兵士たち。壮絶なシ―ンが浮かんできます。
ご視聴ありがとうございます。今ではみんなCGで作っちゃうんでしょうけど、あんな臨場感は出せないでしょうねぇ
一番最初に亡くなる橇隊の兵士は無名時代の大竹まことです。
『八甲田山』ですら地上波でやらなくなってしまったな……(泣)
ご視聴ありがとうございます。やらなくなりましたねえ。いい映画なのに本当に残念です。
八甲田山は映画館で観ました。夏の景色と冬の景色が大画面でかわるがわる出て来て余計に悲惨さを際立てたのを忘れません。この事件以外にもガスの吹き溜まりに隊員が入ってしまい何人も亡くなってしまったと聞きました。山を舐めてはいけません。
壮大なサウンドが素晴らしいです😃銅像が立っている所は旅をして見学!実話を映画化!高倉健さんの存在感が凄かったですね😃世界的にも例をみない雪中行軍での多数の死者!正にホワイトアウト!高倉健さんはこの映画に掛けるため他の仕事は全部断ったとお話されていました☺️
ご視聴ありがとうございます。神田大尉(北大路 欣也さん)の遺体と対面したシーンは泣けますね。高倉健さんはこの映画で任侠もののイメージから「立ち姿」だけで絵になる役者さんに大転換したように思います。
@@sasa-uo2fo こういう風に泣くんだ。「あなたはなんで死んだんだ」なんて言わないのだ。「こうすりゃよかったじゃないか」なんて言わないのだ。「俺は無事でした」なんて言わないのだ。相手の無念を思いやり「雪の八甲田でお目にかかりました」と言って泣くんだ。声なんぞあげずに黙って泣くんだ。子供心にそう思ったのを今でも覚えています。以来ずっと高倉健のファンです。
弘前市で2023年8月10日に最高気温39.3度を記録しました。1999年の碇ヶ関の37.9度の記録越えとなりました。暑いので八甲田山のテーマ聴きに来ました。
父に連れられ、映画館で観た。心の底から冷え切り、カゼを引いた。辛い想い出となった。
この映画を観たときは感じなかったが、今はビンビン感じますね!
ご視聴ありがとうございます。良い映画、良い映画音楽は色褪せませんね。
駅までダッシュしたが終電に乗れなかったとき、この曲が脳内再生された。。。😢
私、北国に住んでおりますので、冬は頻繁に脳内再生されております。
JRは我を見捨てたか…
天は我々を見放したぁ〜。
後に八甲田山に登った折、曇り空の下、大岳付近で残雪に隠れて道を見失った折、超低音でこの曲が流れてきた……気がしました。
終電に乗って目的の駅を2駅程寝過ごした。妹に緊急電わい「タクシー代ある?寝過ごしちゃってさ」妹「あるわけなかろう!歩いて帰ってこい!」わい「天は我を見放した~~~!!;_;」二駅歩く中この曲を口ずさんでいたような、季節も冬でした。
同郷の物語です。陸軍墓地には何度か足を運んでいます。古い写真も展示してました。
ご視聴いただきありがとうございます。私は修学旅行で行きました。この映画の公開後だったのでよく覚えています。
映画で、最初には体中の汗が凍り絶命する隊員を演じたのが、若き日の大竹まことさんでした
チャリで行って帰りに雪降るとこれが流れる
この映画を見ました。白い雪の行軍でした。白い悪魔が、人間に襲いかかる人の力では、無力なことが、描かれていました。
ご視聴ありがとうございます。これ、現地でガチなロケをやってますから、違いますよね。
@@sasa-uo2fo 雪の上についたたくさんの足跡が降雪で消えるまで、大勢がずっと立って待ってから撮影を開始したと言われています。
映画公開1977(昭和52)年6月4日(土)
トラウマ級の映画。これ見て以来冬山には行きたくない。
この曲って月の沙漠じゃなかったんだ・・・
倉田大尉「自分は、神田大尉と共に先頭に・・・いや、大隊長殿にもその先頭に立って頂く!!」史実に基づく作品にありがちな、映画と現実の違いが指摘される中、この台詞も当時の上官に向けた発言としては考えづらいことから創作とも言えるし、こうした極限状況にあってはあり得た話とも言えます
帝国陸軍だけでなく陸上自衛隊も青森は第五聯隊です。派手さはないですが強兵です。特に歩兵部隊の行動に膚接した(重)迫撃砲の運用と雪中戦闘技術がヤバい部隊です。
時の権力者と言うものは、非常識な事を思い付くものです。
この映画の撮影監督の木村大作が「八甲田山のテーマ曲は月の砂漠のパクリだと芥川也寸志が白状していた」とテレビ番組で証言していた。
やっぱり、明治時代は・・・・いいね、できれば、明治時代に生まれたかった
ご視聴ありがとうございます。確かにいろんな意味で希望があった時代ですね。
やまだこうはち
雪中行軍がないほうがいいが、やんぬるかな
どの時代が一番過酷だったんだろか、、平安あたりの平均寿命やばいからね、、
ご視聴ありがとうございます。信長が人間50年~と謡った戦国時代もなかなかですよねぇ。
軍人が戦場で死ぬのは本望だが意味のない演習で死ぬのは無念だったろう。しかも師団長以下この演習を企画した幹部は誰一人責任を取る者は居なかった。いつの時代もどんな組織も日本人の隠蔽体質は変わらないと思った。
この曲ほど八甲田山の厳しさ、悲しさを上手く表現できる曲は二度と現れないように思います。傑作中の傑作。
ご視聴ありがとうございます。
同感です。親しみやすく、忘れがたい、映像と一体となった名曲ですよね。
小学生のころ父につれられてこの映画を見たのですが、春の八甲田をローブウエイに乗って緒形拳さん扮する生き残った兵隊さんが春の八甲田を見上げた瞬間、場面は吹雪の八甲田に変わりこのテーマ曲が流れた事今でも覚えています
陸上自衛隊で北方部隊に勤務していた時、冬季訓練で行進中に頭の中でこの曲が流れていた。
ご視聴ありがとうございます。
私も雪国在住ですが、雪道を歩くと何故だか脳内再生されてしまいます。
リアル過ぎる
分かるー!
芥川さんは、この名画に相応しい素晴らしい曲をおつくりになった。
ご視聴ありがとうございます。
日本映画史上に残る名曲ですね。
「自然」は容赦ない。負けたものは負けるべくして負ける。最近、登山の事故が多いですが、これは大切な教訓。
ご視聴ありがとうございます。
組織論としてもいろいろ考えされられる映画でしたね。
青森に行く度に、幸畑の八甲田遭難資料館に行きます。又冬に、レンタカーを借りて遭難の指揮本部になった田茂木野に行ってみましたが、今は廃村同様でした。5連隊は岩手、宮城の出身が多く、山形の兵士は少なかったようです。世界的に稀な山岳遭難ですが、何故こんな悲惨な結果になったのか、何が悪かったのかと考えてしまいます。合掌。
ご視聴ありがとうございます。
人命がすごく軽かった時代のように思います。
八甲田山を小学生3年で初めてみた時は何が何だかわからなかったけど今高校1年生になって感動で涙が止まらなくなりました(今は父と史実の八甲田山の話を語り合っています😂)
「案内人殿に対しッ、カシラーッ、右ィッ!」の場面、
暴風雪にたじろぐ案内人を「進めぇっ」と押し返す場面、
雪中露営でおしくらまんじゅうをしつつ過去を思い出す場面、
ラストで「自分は……、雪の八甲田で、確かに、神田大尉にお目にかかりました……」と涙ぐむ場面、
………
等々等、子供心に
「高倉健って、カッコいいなぁ」
と感激したのは、そもそもこの映画が最初だったと思います。
後に原作を読んだら随分違い、その原作もまた史実と結構違うのを知りました。
それでも以後ずっと、高倉健は我が師表です。
史実としての事件の悲惨さは十分承知しているつもりですが、それでもつい
「大自然の猛威と闘い克服した高倉健」
「力及ばず中途に斃れた北大路欣也」
という見方から脱し得ない私に対し、とある女性は断固として
「家族と見たけど本当に怖かった」
「あんな死に方する映画は見たくない」
と言い張り、男と女の感性の違いというものを非常に強く感じたことがあります。
主演が違ったらまた別の展開があったのかもしれませんが……、他の事では話の合う相手だっただけに、少しは残念です(笑)
そうですね。男女の感性、今は世代間の感性の違いを実感するようになりました。所謂おっさんが好きな映画、俳優さんは少なくなってきたなと思います。興業的にも仕方ないのかなとも思いますけれど。
中学生の頃学校で見に行った。四十年前位ですが泣きました。
ご視聴ありがとうございます。
私の泣きポイントは高倉健さんが泣くシーンとラストの緒方拳さんのシーンでした。
関西の比較的温暖な土地ですが、たまに雪が降るとこの音楽が頭の中でグルグル回り、思わず雪の進軍まで口ずさんでいます。いい映画、いい音楽です。
三十数年前、春の東京を大雪が襲った。見る間に雪が街に降り積もり、交通機関はマヒ状態に陥った!!なんとか動いていた地下鉄に乗ったものの、終点駅まで行っても、自宅までは数キロメートル以上の道程が残っていました。雪道を彷徨ながら歩きました。まだ数が多くはなかったコンビニで肉まんやらで暖を取りながら……アタマの中に、このテーマ曲が流れて……。
泣ける映画でしたね。自然は手厳しい。人間は小さい。
ご視聴ありがとうございます。
自然には抗えないということと、その美しさを存分に見せてくれましたね。
この曲は八甲田山に凄くマッチしていて、聞くとあの映像が頭を過ぎります。
同時に凄く切なくなります。
芥川也寸志さんも良い作曲を遺してくれました。この曲を聴くと雪の恐ろしさが判り、青森第5連隊の悲劇が後世になっても語り繋がれている事も未来に語り伝えて行くべきです。
ご視聴ありがとうございます。
この曲がレクイエム代わりに残っていくといいなと思っています。
コマーシャルで天は我々を見放したーと、北大路欣也さんが言ったcmを子供ながら見た記憶がいまだに印象に残ってます。もう45年前ですか、、、隔世の感がありますね。
ご視聴ありがとうございます。
私も子供ながらに凄い映画だなあ・・と思って見ていました。
大雪で身動きとれず雪の中に倒れていく兵士たち。
壮絶なシ―ンが浮かんできます。
ご視聴ありがとうございます。
今ではみんなCGで作っちゃうんでしょうけど、あんな臨場感は出せないでしょうねぇ
一番最初に亡くなる橇隊の兵士は無名時代の大竹まことです。
『八甲田山』ですら地上波でやらなくなってしまったな……(泣)
ご視聴ありがとうございます。
やらなくなりましたねえ。いい映画なのに本当に残念です。
八甲田山は映画館で観ました。夏の景色と冬の景色が大画面でかわるがわる出て来て余計に悲惨さを際立てたのを忘れません。この事件以外にもガスの吹き溜まりに隊員が入ってしまい何人も亡くなってしまったと聞きました。山を舐めてはいけません。
壮大なサウンドが素晴らしいです😃銅像が立っている所は旅をして見学!
実話を映画化!高倉健さんの存在感が凄かったですね😃世界的にも例を
みない雪中行軍での多数の死者!正にホワイトアウト!高倉健さんはこの
映画に掛けるため他の仕事は全部断ったとお話されていました☺️
ご視聴ありがとうございます。
神田大尉(北大路 欣也さん)の遺体と対面したシーンは泣けますね。
高倉健さんはこの映画で任侠もののイメージから「立ち姿」だけで絵になる役者さんに大転換したように思います。
@@sasa-uo2fo
こういう風に泣くんだ。
「あなたはなんで死んだんだ」なんて言わないのだ。
「こうすりゃよかったじゃないか」なんて言わないのだ。
「俺は無事でした」なんて言わないのだ。
相手の無念を思いやり「雪の八甲田でお目にかかりました」と言って泣くんだ。
声なんぞあげずに黙って泣くんだ。
子供心にそう思ったのを今でも覚えています。
以来ずっと高倉健のファンです。
弘前市で2023年8月10日に最高気温39.3度を記録しました。
1999年の碇ヶ関の37.9度の記録越えとなりました。
暑いので八甲田山のテーマ聴きに来ました。
父に連れられ、映画館で観た。
心の底から冷え切り、カゼを引いた。
辛い想い出となった。
この映画を観たときは感じなかったが、今はビンビン感じますね!
ご視聴ありがとうございます。
良い映画、良い映画音楽は色褪せませんね。
駅までダッシュしたが終電に乗れなかったとき、この曲が脳内再生された。。。😢
私、北国に住んでおりますので、冬は頻繁に脳内再生されております。
JRは我を見捨てたか…
天は我々を見放したぁ〜。
後に八甲田山に登った折、曇り空の下、大岳付近で残雪に隠れて道を見失った折、超低音でこの曲が流れてきた……気がしました。
終電に乗って目的の駅を2駅程寝過ごした。
妹に緊急電
わい「タクシー代ある?寝過ごしちゃってさ」
妹「あるわけなかろう!歩いて帰ってこい!」
わい「天は我を見放した~~~!!;_;」
二駅歩く中この曲を口ずさんでいたような、季節も冬でした。
同郷の物語です。陸軍墓地には何度か足を運んでいます。古い写真も展示してました。
ご視聴いただきありがとうございます。
私は修学旅行で行きました。この映画の公開後だったのでよく覚えています。
映画で、最初には体中の汗が凍り絶命する隊員を演じたのが、若き日の大竹まことさんでした
チャリで行って帰りに雪降るとこれが流れる
この映画を見ました。白い雪の行軍でした。白い悪魔が、人間に襲いかかる人の力では、無力なことが、描かれていました。
ご視聴ありがとうございます。
これ、現地でガチなロケをやってますから、違いますよね。
@@sasa-uo2fo
雪の上についたたくさんの足跡が降雪で消えるまで、大勢がずっと立って待ってから撮影を開始したと言われています。
映画公開
1977(昭和52)年6月4日(土)
トラウマ級の映画。これ見て以来冬山には行きたくない。
この曲って月の沙漠じゃなかったんだ・・・
倉田大尉
「自分は、神田大尉と共に先頭に・・・
いや、大隊長殿にもその先頭に立って頂く!!」
史実に基づく作品にありがちな、映画と現実の違いが指摘される中、この台詞も当時の上官に向けた発言としては考えづらいことから創作とも言えるし、こうした極限状況にあってはあり得た話とも言えます
帝国陸軍だけでなく陸上自衛隊も青森は第五聯隊です。派手さはないですが強兵です。特に歩兵部隊の行動に膚接した(重)迫撃砲の運用と雪中戦闘技術がヤバい部隊です。
時の権力者と言うものは、非常識な事を思い付くものです。
この映画の撮影監督の木村大作が「八甲田山のテーマ曲は月の砂漠のパクリだと芥川也寸志が白状していた」とテレビ番組で証言していた。
やっぱり、明治時代は・・・・いいね、できれば、明治時代に生まれたかった
ご視聴ありがとうございます。
確かにいろんな意味で希望があった時代ですね。
やまだこうはち
雪中行軍がないほうがいいが、やんぬるかな
どの時代が一番過酷だったんだろか、、
平安あたりの平均寿命やばいからね、、
ご視聴ありがとうございます。
信長が人間50年~と謡った戦国時代もなかなかですよねぇ。
軍人が戦場で死ぬのは本望だが意味のない演習で死ぬのは無念だったろう。しかも師団長以下この演習を企画した幹部は誰一人責任を取る者は居なかった。いつの時代もどんな組織も日本人の隠蔽体質は変わらないと思った。