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長文と自分語りをお許しください。自分は母親に小学生まで強制的にピアノを教え込まれました。間違えれば即座に頭をひっぱたかれる練習で毎回半泣きで弾いていました。頭と覚えが悪い私は今でも楽譜が全く読めません。あの練習がトラウマで今でも鍵盤を前にすると脂汗が出ます。中学生の時、音楽の授業でリコーダーの課題曲を練習していたら、楽譜を見ずに吹いていた私に先生が「なぜ見ずにやっているのか」と聞かれたので私は「見てもわからないから周りの人が出している音と順番をマネして覚えて再現してる」と答えると「君は耳が良い」と言われ。苦手だった音楽で初めて褒められてともてうれしかった事を覚えています。高校生からは ”カッコつけ” でジャズを聴くようになりました。そんな時youtubeで本当に偶然に渡辺貞夫さんの『What's Now』という曲を聴いて一瞬で虜になりました。そして自分もサックスをやりたいと強く思い大学では吹奏楽サークルに入りました。楽器を買う金もなかったのですがサークルの楽器倉庫に眠っていたメッキが剥げだらけで、まだら模様のアルトサックスを頂いて毎日練習しました。周りは長年の楽器経験者、私は楽譜すら読めないド新人。でも先輩たちの奏でる音を覚えてひたすらそれを再現する練習をしました。その時には音楽は全く苦ではありませんでした。音楽との出会いは最悪でしたが、別のきっかけで音楽が好きになれたことはとても幸運だったと思います。社会人の今では老人ホームなどで音楽のボランティア活動をしています。
素敵な方ですね❗️ 好きな音楽をして、その演奏を人に聴いてもらって喜んでもらえれば最高ですね‼️音楽活動ガンバって下さい😀
こういう話大好き
ミートさんの優しさが全面に出てる動画。音楽に限らず教育に関して、すげえ良いこと言ってます。泣きそう。
なんかのゲームで変われる強さと変わらないことの強さはどちらも大事。みたいな言葉があって当時、良い言葉だなぁと。今でもたまに思い出しては自分を維持しようと気持ちが引き締まります。
自分はBASSを少ししてましたが音感が無くコピーとか出来なくてバンドをしても足を引っ張ってました。ただ、自分は音楽が好きだしライブが好きだったからなんとか音楽がある場所にいたいと思って個人でバンドを呼んでイベントを作る事にしました。小さいライブハウスでバンドを呼んで30人も入らない時もあったけど徐々に力を付けて少しずつ大きなバンドを呼べる事にもなったしライブハウスからもイベントの依頼を受けるようになりました。ミートさんが言ってたように歌や楽器が下手という事は変えれないけど音楽にかかわる場所は探せるし必要とされる場所は頑張って作ることはできます。今から20年程前の事ですが今でもその時に出会ったバンドの子とは飲みに行ったりするし良い関係です。楽器が上手くない、出来ないからと言って音楽にかかわれない事も無いし好きという気持ちをだせば良いと思います。今は音楽と関係ない仕事をしてるけどイベント作ってた経験は生きてると思います。むしろ音楽の仕事をしたから今の楽しい人生があると思ってます。週末に好きな音楽を聴きながらビールを飲むささやかですが最高に幸せな瞬間。音楽は幸せであるべき。
昔音楽やってて、いろいろあってどうにも「自分には才能ねえんだなあ」って思って今は活動から離れました。今は会社員やりながら、懲りずに休日にこそこそ同じジャンルやってる人をUA-camで見ては憧れ、一生演奏することはないであろうアレンジをこそこそパソコンで打ち込んでいる日々です。でもなんかそんな自分が嫌いではなくて、好きと思うにはなんだかちょっと恥ずかしくて、月並みなコメントですが、音楽に堂々と取り組んでいるミートたけしさんのこのコメントを聴いて救われたような気持ちになってます。ありがとうございます!まだまだ会社員頑張れそうです。きっと僕じゃない誰かの励みにもなってます!
評価なんて他人が勝手に決めるもの。もっと言えば社会に存在してるものや概念は全部誰かが作ったり、決めてるもの。それを楽しく活用するのは良いけど、囚われると病む。自分を縛るものなんて法律だけで十分。だから他人とか気にせず自由に楽しくなる方に進んだほうがいい。これが軽音サークルでベースやって得たものです。ベースの才能ある人と比べて嫌な気持ちになったこともあったけど、自分には歌の方があってることや音楽意外の分野に才能があることを知りました。今はバンドも組まずに家でたまに基礎練したり、曲コピーしたりしてます。この前チャールズミンガスのⅡ B.S.の一部分を耳コピで弾けてめっちゃ嬉しかったんです。自分の好きなようにベース弾くのは楽しいです。歌も仕事もゲームもやりすぎなきゃ楽しいです♪
なんでこのひとこんな優しいんだ
ミートさんの話よくわかりますけど俺にはこれしかないんだって言う気持ちは惹かれしまう魔力がありますね
深すぎる。。。めっちゃ話が面白い。今日珍しく音楽聞かずに話聞いてますよ。
新参だけど、ミートさんの人間学マジで面白いというか、もっと聞きたくなる🙄🤔
魅力あるよね
音楽についてミートさんが仰りたいことがぎゅっと詰まった動画ですね。吹奏楽の子たちは「好き」という理由で続けていいんだ、と心から思えたのかもしれないですね。ニーバーの祈りはずっと心に留めておきます。
素敵な話💫🙏
初コメ失礼します。社会人アマチュア・アコースティックバンド【接続解除】の低音担当の齋藤と申します。ミートさんのお話、いつも楽しく聴かせてもらってますが、今回はズドンときました(笑)自分は老人介護の仕事しながら、趣味で音楽を楽しくやらせてもらってます♪自分自身には音楽で食べていくだけの才能はないと自覚しているし、趣味として音楽を楽しむのは自由だと思っているし、今の職場では一緒に音楽で遊べる仲間に出会えた事にも感謝しているし、そんな仲間たちと一緒に地域の町起こしイベントにも呼んで頂けている事にも感謝しています♪とはいえ、プロとして仕事として音楽に携わっている方々も、本当に凄い方たちだと思っていますし、そんな方々も自分たちのようなアマチュアの人間と同じように音楽が好きな人間なんだと思うし、でも、ある意味では、自分たちとは違うベクトルで音楽をされていると思ってますし、、まぁ、なんというか、、、もろもろ全て、ミートさんが仰ってくださってます(笑)
変えられないものは受け入れる度量と変えられるものを見つける賢さ…まさに(勝手ですが)自分に向けたテーマと思えました
音楽をとったら何も残らない、というわけじゃない、という部分を聞いてふと、ブルージャイアントの沢辺を、彼にもこの話を聞いてもらえたらな、とふと思い出しました。手軽にうまくなる方法はない、というのも、楽しめばいい、というのも、本当にその通りだなぁと思いながら拝聴しました。自分も編集や色々結局独学で、学校で習ったことをいま使ってないので、身に染みる思いで拝聴しました。音楽のお話と思いながら聞いていても、ミートさんのお話はいつも音楽を通しての色んな考え方なんだなと改めて感じました。ミートさんの好きなお言葉の部分も、色んな事が要約されていて、素晴らしい文言だなと感じました。
大学で吹奏楽を一年だけやりました。ラッパです。(入学後一年間、田舎で寮生活という特殊なカリキュラムでした)経験者が7割くらいでしたが、みんな受け入れてくれました。同級生に囲まれた練習はもちろん厳しいときもあって、同じ初心者で辞めたやつもいましたが、そこで出来た友人関係は今でも続いています。楽器を吹いたのはその一年だけでしたし、演奏会でも隅っこにいましたが、音楽は私の人生を豊かにしてくれましたよ。感謝してます。PS.中学時代リコーダーで吹き探したアークザラッドのテーマを、ラッパで吹けた時は嬉しかったです。
20歳で音楽初めて何度も凄い悔しい思いをしながら20代を過ごして今38歳。音楽やってきてよかったと今は思ってますし、この動画を見て改めて音楽が好きだと思いました。ありがとうございます。
3:28 過去一しんみりした。ありがとうございます…
小学校の音楽の先生は若くて美人で華があって好きだった。中学校の先生は黒柳徹子みたいな強烈な個性を持った女性で、内気な自分が授業でドラムやってみたいって言ったときに、喜んで学年全員に触れ回るくらいのお祭り女性で大好きだった。高校の先生はオッサンだったけど、『陽の当たる教室』を見せてくれたり、JポップJロックの面白く解説をしてくれたりと、音楽の広さや楽しさを教えてくれた。そして幼稚園の園長先生。園内のアンサンブルで宇宙戦艦ヤマトのドラムを叩いてた。威風堂々としており、音楽のオの字も知らん子供でも格好良く見えて憧れた。音楽は必ずしも先生が必要なものではないけれど、自身に至っては授業の内容とは離れたところで学ぶことが多かった。ほんと思い出ってやつは、大人になっても心強い味方になってくれている。
みんな好きで選んで音楽やってるはずなのに、楽しむことを忘れて自分で自分を苦しめている方が多いですよね。苦しんでても誰も責任なんて自分の代わりにとらないのに…。変えられないことばかりに目を向けてないで、変えられること、できることに目を向けて好きに楽しんで生きろってことですかね?独学だって良いし、学びたきゃ学ぶのもよしだし、やめたきゃ辞めれば良いし、ただ変えられない他人に石を投げて発散するのはやめようぜと…
何かに縛られずに、例え下手でも手探りで研究していく過程が面白いですよね!手が痛くなったら「なんで痛いんだろう」ってところからフォームの改善になるかもですし😊
学校の音楽教育って部分なんだけど、小学校の授業で雅楽聞かされてくっそ眠い曲でなんじゃこりゃと思ってたんだけど大人になって漫画の「あさきゆめみし」で源氏物語みて雅楽ってこれか!って発見して、その後伊勢神宮に旅行行って御祈祷して貰ったらたまたま大口の団体と一緒になって高額な料金必要な雅楽と神楽舞見る事できて本当に感動した。その時人生何処でその音楽と繋がるかわからない。子供の内に何だか分からなくても兎に角色んなジャンルの色んな曲聴かせるべきだと思ったんだよね。
ミッちゃん ヤバイわ。 泣けるぜ。 神回。🎉
人の数だけ音楽があると思うのです。だから音楽が好きで面白い!
ニーバーの祈りじゃん 英語の先生が教えてくれてからそれ指標に生きてます
今回は(も?)全て同意。素晴らしい!ミート❗️Love Meat❣️
「それは学問じゃない」良い言葉ですね。
中高吹奏楽経験者の50歳ですが、ミートさんの仰ることが全て同意できて震えます。でも50歳になったから共感できることも多いのであって、若い時に聞いても説教臭えおじさんだなーって嫌悪する子は一定数いると思う。辛いことや大変なことがあってもそれを前向きに捉えて自分の糧にできる人が結局は幸せな生活を送ることができる人なんじゃないかと思います。
昔、ボカロPやっててでもすぐに自分には音楽の才能が無いと解った。とはいえ、それでも自分で何かを創る事の喜びをあの時に味わい、それが忘れられないものになった。今は📸に夢中。やはりうまくいかないことが多いけど、それすらも楽しく感じてる
漫画の変えられる物と変えられない物というお祈りはテレホン人生相談の加藤諦三先生の名言が元ネタなんかな。
自己流で楽器を続けることはある程度のリスクも伴うかもしれないけれど、そのまま突き詰めて行けたらそれはもう他人には真似出来ない味になる。これが楽器の面白いところ。
自分の人生を他人と比べずに自分が好きな事を楽しんで生きようぜって話を自分の知識に無い音楽の話をベースに、好きなことが正しい方法を知らなかったせいで出来なくなってしまうのをそれはそれでいいんじゃないかと言ってしまうのは可哀想では?というその人の今についての自分の考え、それに対して違和感とか問題が起こった時に自分で調べて直そうとしない奴はどっちにしろ遅かれ早かれダメになるけどその経験はその人にとって教訓になるというその人の将来を見据えたミートさんの考え、人生の選択肢なんて無限大なんだから自分で自分の視野を狭めて将来の可能性を潰してしまうような考えはよくないよねという生き方の話が混ざり合って、ライブ中に頭の中が整理できてなかったのを1つの動画としてまとめてもらって何回か見直してやっと頭の整理ができましたこもりんさんいつも見やすい動画編集お疲れさまですミートさん今後も動画楽しみにしてます
どうにもならないことを受け入れるのが大人とか成長なんかなぁとか漠然と考えてたけど、ミートさんが言語化してくれてすごく府に落ちました。
「変えられるもの、変えられないもの」は、アルコール症者の自助グループ(AA)で言い伝えられてきたものが元だと思われます。まあ、だから何だよって話ですが。
もし過去にされてたら申し訳ないのですが、ミートさんが選ぶJAZZ名盤選(『ミートたけしのベスト30』みたいな)を見てみたいです!
自分は教える時、「興味をもって頂いてありがとうございます!もっと好きになってね!」のスタンスです。特に初心者に厳しく教えるのって誰の得にもならないよね
ファッションだって毎年ブームがあって、流行が去った翌年に別のファッションに行く事が普通なんだから、別にアニメで楽器ブームが起きたからってブームが去ったら別のジャンルに移っていくのは普通だと思いますけどねえ
下を向いている子には学び方を学習させたいよね。劣等生だったしそこに学び方を教えられる教師と、出会えた幸運があったから余計に思う。単なる結果の模倣ではなく。そのお祈りそのもの。必ずしも自分の楽器を教えられる人かも保証は実は全く無い。最後にそこを見極めなくてはいけないのは結局自分だ。自分が死ぬまでにしか存在しない自分の体の偶然性と今回の生でしか出来ない身体条件と音。イタリアでBuon appetitoと日常的は言いますが、もし頂きますをもしイタリア語に直訳したら Io gradiscoになる。それに尽きる。
飛鳥山 お疲れ様でした。 演奏直後 はじめての お声がけでした。(笑)
ゲームで初狩りするのが悪いって伝わるはずなのに音楽での初狩りが「教育」で片づけられる時あるの嫌い隠 れ よ や
音楽だけじゃないけど、あらゆる分野で初心者は教わりたがるし、経験者は教えたがるもの。で、音楽は教えたがる奴にほど教えを乞わない方が良いと思うし、もっといえば、教えることも、教わることも、実はとても危険なことなんだよ。多くの経験者は、自分が上達した過程を話しているに過ぎなくて、学問として体系化された音楽は、音学であっても音楽じゃない。でもそれでいいじゃん。社会ってそういうものじゃんって、ミートさんが思っているのは新鮮でした。
いいですね~。
ミートさん良いこと言うねぇー😮音楽は音を楽しむと書いて音楽だからねぇ
口が本当にわりぃけど言ってることはめっちゃ良いこと言ってる。口が本当にわるいけどw
神ガカリ的な 話ですね。すばらしい。
全然関係無いけど小学校の時に吹奏楽をやる機会があって、打楽器がやりたかったんだけど鍵盤ハーモニカをやらされて嫌になったのをなんだか思い出した。それでいて使い方は全く教えてくれなかったんだよなー、謎教師。いや音楽自体は好きなんだけど。聴き専。
この人の動画で初めて最後までなんのしこりも残らなかった。チャンネル登録しそうになつた。
音楽も美術も教育としては、それを理解して楽しむためには知識や技術があった方がいいよねという事だったはずが、なぜか逆転して強制的な暗記作業になってるのは実に残念ですね ある程度までやっとけば普通の仕事しながら趣味でも一生楽しめるものなのに
相変わらず、核心を突きますね。ただ、学校の先生の言う事を聞く、聞かないに関しては、個人的には別に“選択の自由”として本人の自由にして良いよって教える分には、講演する側(今回の場合はミート氏)が責任を負わなくても構わないと思ってます。それこそ、自分で近道を探す、選ぶ事として、誰かに教えを乞う、乞わないと云う選択肢がある様に、自分の選択の結果を、自分の招いた結果として受け止める覚悟さえ出来るなら、老若男女問わず、誰でも自由に、誰の言う事も聞こうが聞くまいが本人の自由だと私は思います。世の中の大人が全員成熟してると思ったら大間違いですし、個人的には学校や病院や法曹界、政界等、所謂“先生”と世間一般から呼ばれる閉鎖的な社会では、その環境下で勘違いをした残念で未成熟な大人の巣窟だと思っています。実際、私の母校なんかでも、話の分かる真っ当な大人の先生も居ましたが、中には“お前、まだ高校ダブってるだけのイタイ先輩だろ?”って言いたくなる様な、色々と勘違いをしてしまった阿保な、身体と世間体だけ大人になってしまった残念な輩も居ましたし、なんなら学校の先生ってそういうタイプが多かったです。だから、私個人は、そういうタイプが大嫌いだったので、そんな阿保には徹底的に歯向かいましたし、嫌われようが、成績に響こうが、損しようが、徹底抗戦して、最終的には論破してその教師と校長が、私の親に反省文持って来る事態まで事を運びました(笑)どんな目に遭っても自己責任だと思えるなら、学校の先生なんていくらでも歯向かえば良いし、学校が社会の縮図である以上、その逆もまた然り。かつての職場でも、根性のネジ曲がったクソ野郎には先輩だろうが徹底抗戦して、嫌がらせを受けようが、梯子を外されようが、結果と論理で完膚なきまでに叩きのめして来ました。その結果、損もしましたが、得もしてますし、悪しき慣習を駆逐して、新風を採り入れる風穴を空ける事も出来ました。全てを受け止める覚悟さえ出来るなら、誰に歯向かおうが、従おうが、当人の自由だと私は思います。勿論、そんな私はしなくて良い損も沢山して来ていますし、後悔する選択もいくらでもありましたが、全て自分の招いた結果なので、納得はしてますし、後悔から学ぶ事もあれば、その経験に依って、その後の自分は更に選択肢が広く、深くなったのも事実です。ミート氏が仰る通り、自己責任の上での選択であれば、どうなっても構わないんです。そして、子供に対しては大人はついついアドバイスして後悔しそうな選択を先回りで除外しがちですが、自分で体感しないと本当の意味での実(身)になる経験とは云えないので、時には、多分結果がネガティブになる可能性が高いけど、どうしても貴方がやりたいなら、そうしてごらん、ぐらいに背中を押すのも大切かなぁとも思います。仮にその結果、アドバイスした相手が失敗や損や後悔をしても、釘を刺す事に依って、背中を押した処であくまでも選択したのは当人ですからね。そして、その結果当人が、アドバイスした側に責任転嫁しようとするなら、その時に釘を刺した事実と真意を教えて、選択の自由と責任についてを教えてあげれば、きっとその失敗や後悔は、そこから先の当人の成功や成長の糧になるでしょうし、その経験を糧に出来ない様な阿保にはなるなと教える事も出来るでしょう。一番恐れるべきは、失敗や選択ミス、後悔等から、何一つ学ばず、絶対に後悔するのが分かっていながら同じ轍を踏む阿保に成り果てる事でしょう。それこそ、自分の身に起こる全てを、他責で受け止め、全てを社会や親や先達のせいにして、勝手に自暴自棄になって、勝手に無敵になって、勝手に他人を巻き込んだ心中を謀るような迷惑千万な輩とか。
大人だから「辞めて良いんだよ」といわれれば、「じゃあ辞めます」と言えるけど、大人の庇護下にある子供は「辞めても良いんだよ」と言われると、見放されるような気がして「もうちょっとやります・・・」という反応をとることはよくあると思う。ミートさんの意図は非常にわかるけど、同時に「辞めても良いんだよ」は「教室からでてっても良いんだよ」みたいに教師がやりがちな手法だから、もしかしたら子供は「辞めても良いんだよ(おまえなんかしらねーよ)」っていうふうに捉えてる可能性もあるかと…。だからだれも「そうですね、僕辞めます」とは言えない(後で教師におこられるかもしれないからそういう事も言えないかも知れない)。
「神よ、変えることのできないものを…」有名なニーバーの祈りですね(キリスト教神学者の言葉)。「正解」を教わることのデメリットは、1)それ以上自分で考えなくなる、2)それ以外の解法に目がいかなくなる、3)自力で問題解決する能力が育たなくなる、4)失敗や間違いを過度に恐れるようになる、などでしょうか。教わったこと以上・以外の音楽家に育たない(成長が止まる)リスクがありますね。そういう意味では正解を教えるのではなく、問題解決能力・探求力を育てるのが良い教育なのでしょう。
金言だらけ ありがとうミートたけし
地方によくいる、「井の中の蛙」おじさん、おばさん、プロの人たち。たいしてうまくもないのに、楽器やってます的な素人さんにすごく冷たい。ライブハウスは衰退して当たり前。
学校の授業、というより他人から強制されるのが嫌いだったから体育とか美術、技術、音楽の授業で問答無用でやらされるのが我慢ならんかった想い出私音楽理論なんて1ミリも理解できんかったし当然のごとく譜面なんて読めませんでしたけど、ギター弾くのが好きだったから取り憑かれたかのように毎日何時間も弾いてたよ。これカッケーって思った曲何回も聴き直しながら『こうかな?こうかな?』って耳コピしまくってた。自分が出したのが何音だの、何コードだのなんかさっぱりわかってないけど兎に角楽しかったんでそれで何も問題なかったよ。メタルとかハードロック流行ってた時代だったからピロピロピロピロやってましたわ
なんか途中から自分の考え方に固執したいコメントと堂々巡りしてるなw
大したこと言わんなー
誰だよてめぇはw
@@meatalk 名乗るほどの者ではございません
@@あおちゃん-c4i さようなら。2度と関わらないで下さいませ。
長文と自分語りをお許しください。
自分は母親に小学生まで強制的にピアノを教え込まれました。間違えれば即座に頭をひっぱたかれる練習で毎回半泣きで弾いていました。頭と覚えが悪い私は今でも楽譜が全く読めません。あの練習がトラウマで今でも鍵盤を前にすると脂汗が出ます。
中学生の時、音楽の授業でリコーダーの課題曲を練習していたら、楽譜を見ずに吹いていた私に先生が「なぜ見ずにやっているのか」と聞かれたので私は「見てもわからないから周りの人が出している音と順番をマネして覚えて再現してる」と答えると「君は耳が良い」と言われ。苦手だった音楽で初めて褒められてともてうれしかった事を覚えています。
高校生からは ”カッコつけ” でジャズを聴くようになりました。そんな時youtubeで本当に偶然に渡辺貞夫さんの『What's Now』という曲を聴いて一瞬で虜になりました。そして自分もサックスをやりたいと強く思い大学では吹奏楽サークルに入りました。
楽器を買う金もなかったのですがサークルの楽器倉庫に眠っていたメッキが剥げだらけで、まだら模様のアルトサックスを頂いて毎日練習しました。
周りは長年の楽器経験者、私は楽譜すら読めないド新人。でも先輩たちの奏でる音を覚えてひたすらそれを再現する練習をしました。その時には音楽は全く苦ではありませんでした。
音楽との出会いは最悪でしたが、別のきっかけで音楽が好きになれたことはとても幸運だったと思います。社会人の今では老人ホームなどで音楽のボランティア活動をしています。
素敵な方ですね❗️
好きな音楽をして、その演奏を人に聴いてもらって喜んでもらえれば最高ですね‼️
音楽活動ガンバって下さい😀
こういう話大好き
ミートさんの優しさが全面に出てる動画。
音楽に限らず教育に関して、すげえ良いこと言ってます。
泣きそう。
なんかのゲームで
変われる強さと変わらないことの強さはどちらも大事。みたいな言葉があって当時、良い言葉だなぁと。
今でもたまに思い出しては自分を維持しようと気持ちが引き締まります。
自分はBASSを少ししてましたが音感が無くコピーとか出来なくてバンドをしても足を引っ張ってました。
ただ、自分は音楽が好きだしライブが好きだったからなんとか音楽がある場所にいたいと思って個人でバンドを呼んでイベントを作る事にしました。
小さいライブハウスでバンドを呼んで30人も入らない時もあったけど
徐々に力を付けて少しずつ大きなバンドを呼べる事にもなったしライブハウスからもイベントの依頼を受けるようになりました。
ミートさんが言ってたように歌や楽器が下手という事は変えれないけど音楽にかかわる場所は探せるし必要とされる場所は頑張って作ることはできます。
今から20年程前の事ですが今でもその時に出会ったバンドの子とは飲みに行ったりするし良い関係です。
楽器が上手くない、出来ないからと言って音楽にかかわれない事も無いし好きという気持ちをだせば良いと思います。
今は音楽と関係ない仕事をしてるけどイベント作ってた経験は生きてると思います。
むしろ音楽の仕事をしたから今の楽しい人生があると思ってます。
週末に好きな音楽を聴きながらビールを飲むささやかですが最高に幸せな瞬間。音楽は幸せであるべき。
昔音楽やってて、いろいろあってどうにも「自分には才能ねえんだなあ」って思って今は活動から離れました。
今は会社員やりながら、懲りずに休日にこそこそ同じジャンルやってる人をUA-camで見ては憧れ、一生演奏することはないであろうアレンジをこそこそパソコンで打ち込んでいる日々です。
でもなんかそんな自分が嫌いではなくて、好きと思うにはなんだかちょっと恥ずかしくて、
月並みなコメントですが、音楽に堂々と取り組んでいるミートたけしさんのこのコメントを聴いて救われたような気持ちになってます。
ありがとうございます!まだまだ会社員頑張れそうです。
きっと僕じゃない誰かの励みにもなってます!
評価なんて他人が勝手に決めるもの。もっと言えば社会に存在してるものや概念は全部誰かが作ったり、決めてるもの。それを楽しく活用するのは良いけど、囚われると病む。自分を縛るものなんて法律だけで十分。だから他人とか気にせず自由に楽しくなる方に進んだほうがいい。これが軽音サークルでベースやって得たものです。ベースの才能ある人と比べて嫌な気持ちになったこともあったけど、自分には歌の方があってることや音楽意外の分野に才能があることを知りました。今はバンドも組まずに家でたまに基礎練したり、曲コピーしたりしてます。この前チャールズミンガスのⅡ B.S.の一部分を耳コピで弾けてめっちゃ嬉しかったんです。自分の好きなようにベース弾くのは楽しいです。歌も仕事もゲームもやりすぎなきゃ楽しいです♪
なんでこのひとこんな優しいんだ
ミートさんの話よくわかりますけど俺にはこれしかないんだって言う気持ちは惹かれしまう魔力がありますね
深すぎる。。。めっちゃ話が面白い。今日珍しく音楽聞かずに話聞いてますよ。
新参だけど、ミートさんの人間学マジで面白いというか、もっと聞きたくなる🙄🤔
魅力あるよね
音楽についてミートさんが仰りたいことがぎゅっと詰まった動画ですね。吹奏楽の子たちは「好き」という理由で続けていいんだ、と心から思えたのかもしれないですね。ニーバーの祈りはずっと心に留めておきます。
素敵な話💫🙏
初コメ失礼します。
社会人アマチュア・アコースティックバンド【接続解除】の低音担当の齋藤と申します。
ミートさんのお話、いつも楽しく聴かせてもらってますが、今回はズドンときました(笑)
自分は老人介護の仕事しながら、趣味で音楽を楽しくやらせてもらってます♪
自分自身には音楽で食べていくだけの才能はないと自覚しているし、
趣味として音楽を楽しむのは自由だと思っているし、
今の職場では一緒に音楽で遊べる仲間に出会えた事にも感謝しているし、
そんな仲間たちと一緒に地域の町起こしイベントにも呼んで頂けている事にも感謝しています♪
とはいえ、プロとして仕事として音楽に携わっている方々も、本当に凄い方たちだと思っていますし、
そんな方々も自分たちのようなアマチュアの人間と同じように音楽が好きな人間なんだと思うし、
でも、ある意味では、自分たちとは違うベクトルで音楽をされていると思ってますし、、
まぁ、なんというか、、、もろもろ全て、ミートさんが仰ってくださってます(笑)
変えられないものは受け入れる度量と変えられるものを見つける賢さ…まさに(勝手ですが)自分に向けたテーマと思えました
音楽をとったら何も残らない、というわけじゃない、という部分を聞いてふと、
ブルージャイアントの沢辺を、彼にもこの話を聞いてもらえたらな、とふと思い出しました。
手軽にうまくなる方法はない、というのも、楽しめばいい、というのも、本当にその通りだなぁと思いながら拝聴しました。
自分も編集や色々結局独学で、学校で習ったことをいま使ってないので、
身に染みる思いで拝聴しました。
音楽のお話と思いながら聞いていても、
ミートさんのお話はいつも音楽を通しての
色んな考え方なんだなと改めて感じました。
ミートさんの好きなお言葉の部分も、
色んな事が要約されていて、素晴らしい文言だなと感じました。
大学で吹奏楽を一年だけやりました。ラッパです。
(入学後一年間、田舎で寮生活という特殊なカリキュラムでした)
経験者が7割くらいでしたが、みんな受け入れてくれました。
同級生に囲まれた練習はもちろん厳しいときもあって、同じ初心者で辞めたやつもいましたが、そこで出来た友人関係は今でも続いています。
楽器を吹いたのはその一年だけでしたし、演奏会でも隅っこにいましたが、
音楽は私の人生を豊かにしてくれましたよ。感謝してます。
PS.中学時代リコーダーで吹き探したアークザラッドのテーマを、ラッパで吹けた時は嬉しかったです。
20歳で音楽初めて何度も凄い悔しい思いをしながら20代を過ごして今38歳。音楽やってきてよかったと今は思ってますし、この動画を見て改めて音楽が好きだと思いました。ありがとうございます。
3:28 過去一しんみりした。ありがとうございます…
小学校の音楽の先生は若くて美人で華があって好きだった。
中学校の先生は黒柳徹子みたいな強烈な個性を持った女性で、内気な自分が授業でドラムやってみたいって言ったときに、喜んで学年全員に触れ回るくらいのお祭り女性で大好きだった。
高校の先生はオッサンだったけど、『陽の当たる教室』を見せてくれたり、JポップJロックの面白く解説をしてくれたりと、音楽の広さや楽しさを教えてくれた。
そして幼稚園の園長先生。園内のアンサンブルで宇宙戦艦ヤマトのドラムを叩いてた。威風堂々としており、音楽のオの字も知らん子供でも格好良く見えて憧れた。
音楽は必ずしも先生が必要なものではないけれど、自身に至っては授業の内容とは離れたところで学ぶことが多かった。ほんと思い出ってやつは、大人になっても心強い味方になってくれている。
みんな好きで選んで音楽やってるはずなのに、楽しむことを忘れて自分で自分を苦しめている方が多いですよね。苦しんでても誰も責任なんて自分の代わりにとらないのに…。変えられないことばかりに目を向けてないで、変えられること、できることに目を向けて好きに楽しんで生きろってことですかね?
独学だって良いし、学びたきゃ学ぶのもよしだし、やめたきゃ辞めれば良いし、ただ変えられない他人に石を投げて発散するのはやめようぜと…
何かに縛られずに、例え下手でも手探りで研究していく過程が面白いですよね!
手が痛くなったら「なんで痛いんだろう」ってところからフォームの改善になるかもですし😊
学校の音楽教育って部分なんだけど、小学校の授業で雅楽聞かされてくっそ眠い曲でなんじゃこりゃと思ってたんだけど大人になって漫画の「あさきゆめみし」で源氏物語みて雅楽ってこれか!って発見して、その後伊勢神宮に旅行行って御祈祷して貰ったらたまたま大口の団体と一緒になって高額な料金必要な雅楽と神楽舞見る事できて本当に感動した。その時人生何処でその音楽と繋がるかわからない。子供の内に何だか分からなくても兎に角色んなジャンルの色んな曲聴かせるべきだと思ったんだよね。
ミッちゃん ヤバイわ。 泣けるぜ。 神回。🎉
人の数だけ音楽があると思うのです。だから音楽が好きで面白い!
ニーバーの祈りじゃん 英語の先生が教えてくれてからそれ指標に生きてます
今回は(も?)全て同意。
素晴らしい!ミート❗️
Love Meat❣️
「それは学問じゃない」良い言葉ですね。
中高吹奏楽経験者の50歳ですが、ミートさんの仰ることが全て同意できて震えます。でも50歳になったから共感できることも多いのであって、若い時に聞いても説教臭えおじさんだなーって嫌悪する子は一定数いると思う。辛いことや大変なことがあってもそれを前向きに捉えて自分の糧にできる人が結局は幸せな生活を送ることができる人なんじゃないかと思います。
昔、ボカロPやっててでもすぐに自分には音楽の才能が無いと解った。とはいえ、それでも自分で何かを創る事の喜びをあの時に味わい、それが忘れられないものになった。
今は📸に夢中。やはりうまくいかないことが多いけど、それすらも楽しく感じてる
漫画の変えられる物と変えられない物というお祈りはテレホン人生相談の加藤諦三先生の名言が元ネタなんかな。
自己流で楽器を続けることはある程度のリスクも伴うかもしれないけれど、そのまま突き詰めて行けたらそれはもう他人には真似出来ない味になる。これが楽器の面白いところ。
自分の人生を他人と比べずに自分が好きな事を楽しんで生きようぜって話を自分の知識に無い音楽の話をベースに、好きなことが正しい方法を知らなかったせいで出来なくなってしまうのをそれはそれでいいんじゃないかと言ってしまうのは可哀想では?というその人の今についての自分の考え、それに対して違和感とか問題が起こった時に自分で調べて直そうとしない奴はどっちにしろ遅かれ早かれダメになるけどその経験はその人にとって教訓になるというその人の将来を見据えたミートさんの考え、人生の選択肢なんて無限大なんだから自分で自分の視野を狭めて将来の可能性を潰してしまうような考えはよくないよねという生き方の話が混ざり合って、ライブ中に頭の中が整理できてなかったのを1つの動画としてまとめてもらって何回か見直してやっと頭の整理ができました
こもりんさんいつも見やすい動画編集お疲れさまです
ミートさん今後も動画楽しみにしてます
どうにもならないことを受け入れるのが大人とか成長なんかなぁとか漠然と考えてたけど、ミートさんが言語化してくれてすごく府に落ちました。
「変えられるもの、変えられないもの」は、アルコール症者の自助グループ(AA)で言い伝えられてきたものが元だと思われます。まあ、だから何だよって話ですが。
もし過去にされてたら申し訳ないのですが、ミートさんが選ぶJAZZ名盤選(『ミートたけしのベスト30』みたいな)を見てみたいです!
自分は教える時、「興味をもって頂いてありがとうございます!もっと好きになってね!」のスタンスです。特に初心者に厳しく教えるのって誰の得にもならないよね
ファッションだって毎年ブームがあって、流行が去った翌年に別のファッションに行く事が普通なんだから、別にアニメで楽器ブームが起きたからってブームが去ったら別のジャンルに移っていくのは普通だと思いますけどねえ
下を向いている子には学び方を学習させたいよね。劣等生だったしそこに学び方を教えられる教師と、出会えた幸運があったから余計に思う。単なる結果の模倣ではなく。そのお祈りそのもの。必ずしも自分の楽器を教えられる人かも保証は実は全く無い。最後にそこを見極めなくてはいけないのは結局自分だ。自分が死ぬまでにしか存在しない自分の体の偶然性と今回の生でしか出来ない身体条件と音。
イタリアでBuon appetitoと日常的は言いますが、もし頂きますをもしイタリア語に直訳したら Io gradiscoになる。それに尽きる。
飛鳥山 お疲れ様でした。 演奏直後 はじめての お声がけでした。(笑)
ゲームで初狩りするのが悪いって伝わるはずなのに
音楽での初狩りが「教育」で片づけられる時あるの嫌い
隠 れ よ や
音楽だけじゃないけど、あらゆる分野で初心者は教わりたがるし、経験者は教えたがるもの。で、音楽は教えたがる奴にほど教えを乞わない方が良いと思うし、もっといえば、教えることも、教わることも、実はとても危険なことなんだよ。多くの経験者は、自分が上達した過程を話しているに過ぎなくて、学問として体系化された音楽は、音学であっても音楽じゃない。でもそれでいいじゃん。社会ってそういうものじゃんって、ミートさんが思っているのは新鮮でした。
いいですね~。
ミートさん良いこと言うねぇー😮
音楽は音を楽しむと書いて音楽だからねぇ
口が本当にわりぃけど言ってることはめっちゃ良いこと言ってる。口が本当にわるいけどw
神ガカリ的な 話ですね。すばらしい。
全然関係無いけど小学校の時に吹奏楽をやる機会があって、打楽器がやりたかったんだけど鍵盤ハーモニカをやらされて嫌になったのをなんだか思い出した。それでいて使い方は全く教えてくれなかったんだよなー、謎教師。
いや音楽自体は好きなんだけど。聴き専。
この人の動画で初めて最後までなんのしこりも残らなかった。チャンネル登録しそうになつた。
音楽も美術も教育としては、それを理解して楽しむためには知識や技術があった方がいいよねという事だったはずが、なぜか逆転して強制的な暗記作業になってるのは実に残念ですね
ある程度までやっとけば普通の仕事しながら趣味でも一生楽しめるものなのに
相変わらず、核心を突きますね。
ただ、学校の先生の言う事を聞く、聞かないに関しては、
個人的には別に“選択の自由”として本人の自由にして良いよって教える分には、講演する側(今回の場合はミート氏)が責任を負わなくても構わないと思ってます。
それこそ、自分で近道を探す、選ぶ事として、誰かに教えを乞う、乞わないと云う選択肢がある様に、
自分の選択の結果を、自分の招いた結果として受け止める覚悟さえ出来るなら、老若男女問わず、誰でも自由に、誰の言う事も聞こうが聞くまいが本人の自由だと私は思います。
世の中の大人が全員成熟してると思ったら大間違いですし、
個人的には学校や病院や法曹界、政界等、所謂“先生”と世間一般から呼ばれる閉鎖的な社会では、その環境下で勘違いをした残念で未成熟な大人の巣窟だと思っています。
実際、私の母校なんかでも、話の分かる真っ当な大人の先生も居ましたが、中には“お前、まだ高校ダブってるだけのイタイ先輩だろ?”って言いたくなる様な、色々と勘違いをしてしまった阿保な、身体と世間体だけ大人になってしまった残念な輩も居ましたし、なんなら学校の先生ってそういうタイプが多かったです。
だから、私個人は、そういうタイプが大嫌いだったので、そんな阿保には徹底的に歯向かいましたし、嫌われようが、成績に響こうが、損しようが、徹底抗戦して、最終的には論破してその教師と校長が、私の親に反省文持って来る事態まで事を運びました(笑)
どんな目に遭っても自己責任だと思えるなら、学校の先生なんていくらでも歯向かえば良いし、学校が社会の縮図である以上、その逆もまた然り。
かつての職場でも、根性のネジ曲がったクソ野郎には先輩だろうが徹底抗戦して、嫌がらせを受けようが、梯子を外されようが、結果と論理で完膚なきまでに叩きのめして来ました。
その結果、損もしましたが、得もしてますし、悪しき慣習を駆逐して、新風を採り入れる風穴を空ける事も出来ました。
全てを受け止める覚悟さえ出来るなら、誰に歯向かおうが、従おうが、当人の自由だと私は思います。
勿論、そんな私はしなくて良い損も沢山して来ていますし、後悔する選択もいくらでもありましたが、全て自分の招いた結果なので、納得はしてますし、後悔から学ぶ事もあれば、その経験に依って、その後の自分は更に選択肢が広く、深くなったのも事実です。
ミート氏が仰る通り、自己責任の上での選択であれば、どうなっても構わないんです。
そして、子供に対しては大人はついついアドバイスして後悔しそうな選択を先回りで除外しがちですが、自分で体感しないと本当の意味での実(身)になる経験とは云えないので、
時には、
多分結果がネガティブになる可能性が高いけど、どうしても貴方がやりたいなら、そうしてごらん、
ぐらいに背中を押すのも大切かなぁとも思います。
仮にその結果、アドバイスした相手が失敗や損や後悔をしても、釘を刺す事に依って、背中を押した処であくまでも選択したのは当人ですからね。
そして、その結果当人が、アドバイスした側に責任転嫁しようとするなら、その時に釘を刺した事実と真意を教えて、選択の自由と責任についてを教えてあげれば、
きっとその失敗や後悔は、そこから先の当人の成功や成長の糧になるでしょうし、その経験を糧に出来ない様な阿保にはなるなと教える事も出来るでしょう。
一番恐れるべきは、失敗や選択ミス、後悔等から、何一つ学ばず、絶対に後悔するのが分かっていながら同じ轍を踏む阿保に成り果てる事でしょう。
それこそ、自分の身に起こる全てを、他責で受け止め、全てを社会や親や先達のせいにして、勝手に自暴自棄になって、勝手に無敵になって、勝手に他人を巻き込んだ心中を謀るような迷惑千万な輩とか。
大人だから「辞めて良いんだよ」といわれれば、「じゃあ辞めます」と言えるけど、
大人の庇護下にある子供は「辞めても良いんだよ」と言われると、見放されるような気がして「もうちょっとやります・・・」という反応をとることはよくあると思う。
ミートさんの意図は非常にわかるけど、同時に「辞めても良いんだよ」は「教室からでてっても良いんだよ」みたいに教師がやりがちな手法だから、もしかしたら子供は「辞めても良いんだよ(おまえなんかしらねーよ)」っていうふうに捉えてる可能性もあるかと…。だからだれも「そうですね、僕辞めます」とは言えない(後で教師におこられるかもしれないからそういう事も言えないかも知れない)。
「神よ、変えることのできないものを…」有名なニーバーの祈りですね(キリスト教神学者の言葉)。
「正解」を教わることのデメリットは、1)それ以上自分で考えなくなる、2)それ以外の解法に目がいかなくなる、3)自力で問題解決する能力が育たなくなる、4)失敗や間違いを過度に恐れるようになる、などでしょうか。教わったこと以上・以外の音楽家に育たない(成長が止まる)リスクがありますね。そういう意味では正解を教えるのではなく、問題解決能力・探求力を育てるのが良い教育なのでしょう。
金言だらけ ありがとうミートたけし
地方によくいる、「井の中の蛙」おじさん、おばさん、プロの人たち。
たいしてうまくもないのに、楽器やってます的な素人さんにすごく冷たい。
ライブハウスは衰退して当たり前。
学校の授業、というより他人から強制されるのが嫌いだったから体育とか美術、技術、音楽の授業で問答無用でやらされるのが我慢ならんかった想い出
私音楽理論なんて1ミリも理解できんかったし当然のごとく譜面なんて読めませんでしたけど、ギター弾くのが好きだったから取り憑かれたかのように毎日何時間も弾いてたよ。これカッケーって思った曲何回も聴き直しながら『こうかな?こうかな?』って耳コピしまくってた。
自分が出したのが何音だの、何コードだのなんかさっぱりわかってないけど兎に角楽しかったんでそれで何も問題なかったよ。
メタルとかハードロック流行ってた時代だったからピロピロピロピロやってましたわ
なんか途中から自分の考え方に固執したいコメントと堂々巡りしてるなw
大したこと言わんなー
誰だよてめぇはw
@@meatalk 名乗るほどの者ではございません
@@あおちゃん-c4i
さようなら。2度と関わらないで下さいませ。