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若い頃松山航空隊の漫画を読んで杉田さん観音さんの最後を知りました。そして10年ほど前に近所の居酒屋でし電改の元パイロットの方と偶然一緒になりました上がってしまって、何を話したかあまり覚えてませんただただただ感激しました!
似非戦闘機乗りもいるけどな
23:34
長官機護衛任務に着いた6名の方は死力を尽くして戦った。この事を褒める事なく終わったことは、残念なことである。
山本五十六長官は、駐米武官、海軍次官の対米回避の反戦、そして、連合艦隊司令長官の真珠湾攻撃で名をあげたが、その後はミッドウェー海戦の無策、対戦中の将棋指し、わずかな護衛で最前線視察等、謎が多い
山本は政治力はあったが、結局米軍を舐めすぎていた。傲慢の極み。以上。
He was a communist member .
アメリカ側の山モロ暗殺について「暗殺後に優秀な長官が就任したら困ると思ったらしい」。これがアメリカ側の山モロに対する評価。
『六機の護衛戦闘機(高城肇著・光人社)』を2週間かけて読みましたが、こういう形で再構成した作品に仕上げてもらえたおかげで、散り散りの出来事の時系列がすっきりまとまり、分かりやすいですね。ありがとうございます。その他の戦記物の完成も楽しみにしています。
嬉しくありがたいコメントに元気を頂きました。また、気に入っていただけるように励みます。
杉田上飛曹は映画『零戦燃えゆ』の浜田上飛曹のモデルになった人。
「この味忘れずに行きます(逝きます)」のセリフに自分の行く外地(フィリピン)が十中八九戦死確実な場所と察していたんでしょうね・・・😢
映画では懲罰的出撃が課せられてましたね。懲罰と言う訳ではないだろうが、外務省北米一課から戦時下のイラクに配置され危険任務に従事中に殉職した奥一等書記官の謎の人事は今でも腑に落ちない点が多々ある。本人死亡の今はまさに死人に口無しで外務省だけでなく…
この山本さんの護衛は本当は20機で行くはずでしたけど敵がそこまで以内とか色々な話があったので数を減らしてこの6機か12機でいったらしいです。
貴重な記録😌ありがとうございました🙇♂️
嬉しいコメント!ありがとうございます。
エピソードの順送りコンテンツが多い中、素晴らしい、レポートです。レベルの高い情報で、大変勉強になりました。ありがとうございました。
ありがたいお言葉ありがとうございます!今回の動画がお褒めいただける出来になりましたのは動画の最後に記した、エピソードを残してくださった方たちによるものです。英霊と戦友、ご家族、軌跡を追いかけた方々に感謝。
以下ネタバレ杉田一飛曹最後まで生き永らえてくれと祈りながら引き込まれるように最後まで見てしまった。結局6人中、無事終戦を迎えられたのは右手を失い教官に転じた柳谷飛長だけ。連日の空戦で明日をも知れぬ命、どんな精神状態だったのか凡人の私には本当に計りかねると同時に畏敬の念を抱かざるを得ない。
実際は一度捕虜になった一式陸攻ペアみたいな扱いだったんだろうな
杉田ほどのやつならそれでもゼロ戦にのってればまず死ななかったと思うけどな。ラバウルやブインでのスクランブルはとんでもないレベルだったからあれでもゼロ戦だったら生き延びられる目が合った
彼等を信じて送り出した隊長宮野善治郎大尉もまた、激戦のなか空を朱に染めましたね・・
かなしうはなし、です。
ただただ、ありがとうございました🙇🏻♂️
この一式陸上攻撃機は、岡山県倉敷市にある水島で作られていたそうです、現在の三菱自動車です、
この暗号解析に大活躍したのが学徒出陣した兵士で彼らは技術将校や語学将校として解読に活躍してほぼ全部の日本軍暗号を解読、いくら変えても解読されるので最後はヤケクソ気味に鹿児島弁平文で通信したら全く解読出来なかったそうです。
でも親が鹿児島県出身の日系二世が鹿児島弁暗号を解読した。
@@73moto その日系二世が通話の録音を聞いて、これは薩摩弁と知ったのは終戦から2,3年後だったと思います。
いくら変えても解読されるのでとはあり得ない話、日本海軍は米軍が解読している事に全く気づいていませんでした。終戦まで海軍の暗号は完璧だと思っていた。
山本長官機撃墜についてここまでの詳細は初めて知りました。勉強になりました。ありがとうございます。
嬉しく過分なお言葉!ありがとうございます。
杉田庄一さんの実績を顕彰する会の会員です。貴重な情報ありがとうございます。上越市上源入211−15関原72歳です。
杉田少尉の顕彰碑に携わられた方でしょうか。少尉を調べているときに写真を拝見しました。上越に行くときには顕彰碑のある生誕の地にも行きたいと思います。
@@Inari_Japan 返信ありがとうございます。鹿屋基地に慰霊に行きたいと考えていますが、貧乏暇なしで少し時間が、掛かります。上越市に、お越しの時は、早めに、お知らせ下さい。上越市上源入211−15関原繁72歳です。
能登半島地震で、上越市も、大変な揺れ、津波で、肝を冷やしましたが、健在です。顕彰碑参拝のおりには、なるべく案内したいと思っています。アルバイトをしていますので、早めにご連絡して下さい。なるべく努力しますので、宜しくお願い致します。上越市上源入211ー15関原 繁 72歳TEL 090ー1423ー1164です。北陸新幹線🚅上越妙高駅から、約片道50分位かかります。ありがとうございます。
ハワイ真珠湾攻撃で 成功した等と言うのがおかしい?空母を攻撃目標にするのは解るがもしいなければ、燃料庫 等を攻撃しなかったのか?燃料がなければ 鉄屑と一緒だと想う 構想が甘かったのではないか?パールハーバーは、宣戦布告前に攻撃したから、戦果が出たのであって、ミッドウェイ海戦でアメリカ合衆国の手のひらのなかで踊っていただけだと思う。前線基地の士気を高めるために山本五十六長官がわざわざ出向かなくても良かったのではないか⁉️長官搭乗機が攻撃された高度も気になる海面 地上すれすれを飛べば敵機は上空からしか攻撃できない、すなわち下からの攻撃が皆無になる 360°の範囲を見張るより180°の方が楽になるのではないだろうか。(この角度については 三次元)
『高城肇著 6機の護衛戦闘機』の動画版ですね、ありがとうございます。因みに海軍は「大尉=だいい」と呼び、陸軍=たいいと呼びます。柳谷飛長は「やなぎや」、204空は「ふたまるよんくう」が正式呼称です。気になりましたので記させて頂きました。私は『6機の零戦、第二小隊長の身内』です。
コメントありがとうございます!「やなぎや飛長」「ふたまるよんくう」大変勉強になりました。一点だけ「だいい」につきまして。海兵61期から始まった呼び方で、正式な呼称は「たいい」とのことなので、動画内では「たいい」と発音するつもりです。「第二小隊長の御身内」の方にご指摘いただけたのは、ちょっと嬉しくもあります。よろしければ、また誤りがあった時はご指摘下さい。
ご返信ありがとうございます。日高義巳上飛曹(戦死後飛曹長)の入隊から戦死までの戦闘歴は所属部隊ごとの戦闘行動調書から判明しました。しかし、S18.6.7 ルッセル島航空撃滅戦での戦死状況は明確でないです。永田の生家敷地内に「日高義巳飛曹長顕彰碑」を建立しました。柳谷謙治氏は晩年、日高飛曹長の墓参の為屋久島永田を訪れてます。その際に副官機主操縦員の林浩二飛曹と再会をしてます。下段の一湊で会ったという方の話は、林浩二飛曹で間違いないです。部隊の呼称ですが…。251空=ふたごうひとくう 201空=ふたまるひとくう などとなります。
新たなエピソードも書き込んでいただき感謝です。勉強させていただきました!
今後とも宜しくお願い致します。
宜しくお願い致します。
長官の行動予定の電文はすべて敵に解読され待ち伏せされていた。長官機を護衛の優秀なパイロットであっても多勢に無勢、待ち伏せの多数の敵戦闘機に敵う訳もなかった。撃たれれば弱い零戦がたったの6機の護衛、ここいら辺も日本軍の不備というか欠陥を感じる。
2005.2.25読売新聞夕刊に、吉村昭さんが「山本長官 戦死の秘話」として柳谷さんに取材したときの話が掲載されています。
今村均中将は護衛機は50機付けろと言ったとか実現していれば長官は戦死する事はなかった。
見入ってしまいました 長官護衛機を20機増やしていれば 違った結果だったのかと思いました。
米軍の方も、「復讐作戦」と名付けられた山本長官襲撃作戦は、敵将とはいえ「暗殺」に近いものだったから一部「後ろめたさ」もあったと云う。そして此の作戦に参加したパイロット達も一応英雄となり_後々捕虜となってしまった場合、作戦の概要(暗号解読等)が漏らされるのを恐れて_本国帰還となった。然し戦後に「山本長官機を撃墜したのは自分だ」と作戦に参加したパイロット達の中の2名が争うことになるという後味が悪さが残った。
山本長官が、なぜ動きが鈍い一式陸攻をえらんだのか謎です。この後、海軍の統率が乱れていきました。なお、OVAの戦記物では山本長官は、転生して養子に行く前の高野という名字で海軍を統率することとなっています。
山本閣下の本が出版されます。『山本五十六がアジアを解放した』安濃豊著
当時の方々には、我々の信じられ来ような経験をされていたと思います。私の父も部下とともに、台湾のコウさんって方に救われた人生を聞いています。
お父様と部下の皆様も、時代のうねりの中で波乱な人生を送られたのですね。平和を築いてくださった先人に感謝です。
父は駆逐艦の先任でした。艦を離れる際、駆逐艦長に「先任頼むぞ」と頼まれたそうですが、丸一昼夜の中で一人一人と沈んでいったそうです。父は全員を手つなげと命令したそうですが、それでも一人一人と沈んでー行ったそうです。父は死ぬ間際に「艦長」って言葉は忘れることはできません。まぁ救ってくれた台湾のコウさんとは、その後定年後、3千トン級の小型船で東南アジア航路の船長になった際、救ってくれた、コウさんが亡くなるまで、親交深めたそうです。鮮鮮全トン
この凡将山本の絶対にやってはならない真珠湾攻撃米戦争、ミッドウエー、イ号作戦全て全てこの男の陰謀。優秀な将兵を失わせた。全てを熟知していた杉田庄一様には生き残って欲しかったです。
智将なら左遷されてる。
@@makotonezumi277 本当ですね、現代の日本にも通じる、智将がリーダーに選出されず、日本崩壊に向かわせる首相があてがわれている。
米軍パイロットの供述はこれと異なる。零戦は間に入ってこないので陸攻はガラ空き。機銃掃射で陸攻がすぐ火を噴いたので驚いたが、燃料が残り少ないので一撃して帰投した。
米軍の方が信憑性が有りますね。敵は待ち伏せで一式陸攻を狙っての一撃離脱だろうから、そこまでの空中戦とはならないでしょう。ドキュメンタリー番組で当時の搭乗員がかなり盛って報告していたと語っていた。過大報告は大本営発表が取り沙汰されるが日本軍に蔓延していたと思われます。
感動しました。有難う御座います。
なんとも!嬉しいコメント...ありがとうございます!嬉しく、感謝、励みとなります!改めて、ありがとうございます!
今気づいたが、東京都荒川区に「吉村昭記念館」の様なものがあると聞いたので、そこへ行けば対談のテープが残されているかもしれない。
ご丁寧な返信ありがとうございます。護衛隊の方が”ほんの一瞬先に気づいた”など、貴重なお話しですね!東京に行く時は吉村昭記念館に寄ってみます。
当時の海軍では 大尉 は ダイイ 大佐 は ダイサ と発音するのが正解だと思います。
杉田さんは343空で戦死するんですよね。日本海軍はマリアナではなくソロモンで失われた、大和10隻より貴重なベテランパイロットを失って。
なるほど...おっしゃる通りな気がします!
黙祷・・・・・
昭和~令和と変わったても 目的意識の欠落は変わらないm(__)m
山本五十六連合艦隊司令長官機を撃墜されさぞかし護衛のゼロ戦6機の隊員は無念でならなかったでしょうね😂皆様のご冥福をお祈りいたします🙏😢😢😢😢😢😢
山本長官の行動は、米軍に筒抜けだったようですね。長官の護衛には少なすぎる零戦。物量は言わずもがな、レーダーや暗号解読でも米軍には適わないコトを長官は熟知していただけに本当に残念でした。長官が生き残ったとしても戦犯とされていたかもですが、戦後日本の復興に山本さんが居たらと思ってしまいます。今でも「山本五十六語録」には共感致します。
わたしとは山本五十六像が大分違うようです。 ・陸軍は、戦局を大東亜に絞り、アメリカには参戦させないように作戦を立てた。しかし、山本は一 人で真珠湾攻撃を主張し、アメリカ参戦のきっかけを作り、太平洋戦争を引き起こした。 ・この背景には、日本をアメリカと戦わせ、敗戦させ、敗戦に乗じて朝日新聞勢を中心として共産主義革命を起こさせようとするアメリカ共産主義者の意向が働いていた。 ・山本の行動は、アメリカに筒抜けだったのではなく、そのまま生き残っても、戦犯となり処刑されるので、視察と称して撃墜されるために出かけて行った。その後の調査では、山本の遺体は発見されておらず、戦後アメリカで山本を見たという話まで聞く。護衛機の数を12機から6機に減らさせたのは、山本だという。要するに、アメリカとツーツーの関係だった。 山本五十六という人物は、は「日本を敗戦に導いた最大の売国奴」、これがわたしの山本像なのですが、いかかでしょうか。勿論、わたしも一次資料によって、調べてみたわけではなく、単にそう聞かされているというだけのことです。検証していただければ幸いです。
護衛機の大編隊が当たり前だと思っていた現地司令官。桜田門外の変の井伊直弼となんか。彦根藩家老はこのわずかな距離でも全力で当日の護衛人数を、と。公儀に決められていると断った井伊直弼。この二人死を覚悟していた。
つつぬけっつっても離陸時間だけ聴いて飛んでる飛行機に向かって一度も飛んだことない空域を燃料ギリギリの長距離の推測飛行でとらえるなんて天文学的な確率。機上レーダーもない時代だからインターセプトで上がっても敵機みつけられないとか普通なのにな
南方諸島ではマラリアになった兵も多く、森崎中尉の体調不良は疲労以外にマラリアの影響もあったのかな?
護衛機少なすぎる
山本長官関係はいろいろ臭すぎてこのへん悪意の存在しか感じないね。
昭和45年前後、その年の1月の成人の日(昔はたしか15日だった)、柳谷氏は車で自宅から最寄りの駅まで吉村氏を迎えに行った。穏やかな陽光が降り注ぐ心地よい日だった。吉村氏は近づいてくる車を見て、すぐ「その車だ」と直感し手を挙げた。車はスムースに氏の前で止まった。車に乗り込むと柳谷氏の右手首が義手で、先端が丸いカギのようになっており、ハンドルに着けた丸い円筒形の突起を巧みに操り、とても義手によるものとは思えないほど運転は安定していた。それはまるで、南太平洋・ソロモン方面の激烈な戦闘を生き抜いてきた氏の力量を垣間見るようであった。車窓から見ると晴着を着た娘さんの姿も多くみられ街の風景は華やいでいた。柳谷氏は「息子も成人式のはずなんだかどこへ行ったんだか分からんのですよ」と笑っていた。子息さんは医大生とのことだった。以上、何回も何回も聴いた両氏の対談の内容を思い出すままに書きちらしたが、肝心の空戦の様子が思い出せない。ただ、柳谷氏によると「ほんの一瞬、ほんの一瞬ですけど我々の方が先に敵機に気づいたと思う」と強調しておられたのを記憶している。大事なカセットテープを紛失したのは残念の極みだが、この貴重な対談は『海軍甲事件』に生かされているはずだからもう一度読み返すのが一番かと思う。
山本五十六連合艦隊司令長官や戦闘員の人達が乗っていた一式陸上攻撃機はもしかしたら岡山県倉敷市の水島で作られていたかもしれません、
山本長官は日本の暗号がすでにアメリカに解読されてたのは承知してたと思う。
政治や軍の上層部に感情に流されず、冷酷とも言える理性で戦争の開始や戦略、戦術を指導できる人がいれば惨めな敗北も無かっただろう。しかし今に至る迄日本人は情緒優先だね。日本人の未来はどうなるのだろうか?
政治や軍の上層部なんか国民の情緒の丸写しなんだから、あの国民やマスコミの代表では最初から無理な話だった近未来の戦争も大東亜戦争の時と同じ様に譲歩譲歩の後手後手で最悪の状態になってから(万全の準備体制の敵から攻撃された後で)準備する間もなく開戦すると思う。大東亜戦争の時には居なかった何百万という在日や帰化人の中国人や韓国人、朝鮮人が便意兵とその予備軍(戦時犯罪者)として国内にビッチリ潜んでるからなおさら不利だね
山本長官は死に場所を探していた?何故出て逝ったか謎である。
くちゃくちゃ音どうにかなりませんか? 気になって聞きたい話が集中できません⤵︎
山本五十六が、敗戦した日本軍にとってどういう人間であったのか、改めて詳らかにすればいいと思う。
50年くらい前、屋久島の一湊というところで鬼のような顔つきの大男と狭い道ですれ違った。男は大道を歩め、と怒鳴られた。その人はゼロ戦搭乗員の生き残りと、あとで聞いた。阿川弘之の本で山本五十六の護衛の6機の一人が、ご当地に住んでいるとあった。私がすれ違った人は、たぶんその人だったんだろう。
うろ覚えの内容で失礼します。海軍甲事件にかかわられた屋久島出身の方は日高義巳上飛曹と一式陸攻2番機の搭乗員がおられたと記憶しています。一式陸攻で生き残られた方は、戦友会にも参加せず、屋久島でひっそりと暮らされた...といった話であったような。興味深いエピソード、ありがとうございます。
片手が無ければその人
恐らく二番機(副官機)の主操縦員だったでしょうね。日高上飛曹はふた隣の永田集落の出身ですから違います。戦後復員して一湊で余生を過ごされました。
零戦搭乗員で屋久島出身は私の身内の『日高義巳上飛曹』です。日高はこの海軍甲事件の後、6月7日ルッセル島航空撃滅戦で散華しています。一湊で会ったのは『副官機主操縦員 林浩二飛曹』ですね。
今は、亡き親父が、若い時ラバウルで、山本長官あった数時間後長官機は、撃墜されたそうです。
ブーゲンビリアは…○崎空港の愛称になっている…
今更ながらの話し、米軍に情報がダダ漏れでは話にもならず、護衛機も少ない論外だ。
二機の陸攻に護衛が、零戦たったの六機。そもそも無理でしょ?零戦六機のパイロットより上層部の責任のほうが重いと思います。
一人生き残りが居たのは存じなかった。杉田一飛曹の死はかなり不運でした。最初に戦死した4名は、責任感の重責による半ば自決でしょうねでも、護衛を倍にしなかった海軍司令部の落ち度だと私は思いますよ。味方の制空圏下でも、一瞬の油断が死を招く戦場ですから
"半ば自決,"海軍司令部の落ち度"私は...おっしゃる通りだとおもいます。他の方のコメントで思いましたが。山本長官が死に場所を...あったかもしれない。と思い始めています
杉田さんも無理を承知で離陸・・・部下を道連れにしたのはよろしくないが
😮もう少し時間を遅らせればp38ライトニング燃料がぎりぎりだつた。前線視察無謀だ😮
私はこの事件を考えるたびに何故海軍連合司令部は護衛機を6機しか付けなかったのか、今で言えば要人護衛のセキュリティ意識が甘すぎると思うのです。そして長官機を撃墜された護衛機6機のパイロットの心情に、やはり護衛が甘かった安倍元首相の襲撃事件後の中村長官と鬼塚本部長の自責の念を重ねたくなったものです。6機のパイロットは名パイロットであり、その後も撃墜スコアを伸ばしたが、私には彼らが死を急いだように見える生き方に臣を守れなかったサムライの、死をもって失敗を償う責任感を見るのです。
映画化出来ないかな・・・。今の映像技術と当時の残存フィルムを織り交ぜて。
三船敏郎さんかな映画化されてテレビで見たな、六機の護衛戦闘機、単行本もあるよ。
AIに鍛えられて将棋初段になったから山本長官と将棋指してみてー→山本五十六元帥さん、26時間連続で将棋を指し続ける→艦船で観戦だけにしときます(滑)
6機は少な過ぎだよな。
草鹿任一、小沢治三両中将は護衛戦闘機6機では心もとない!俺たちのところから何機でも出す!司令部に言っていたそうですが、それが握りつぶされたんですよね。また、小沢中将は、山本長官の行動を逐一暗号電文で打電したことについて「何故、そんなバカな事をする!これでは、敵に長官を殺してくれというのも同じ!」と激怒されたそうですよ。
当時軍部の実権を握っていた者の多くが日本居残り組のエリート達で武官経験無いものが多く、逐一自分達の考えに水を差す 外国帰りのエリートを疎んじていたようです。特に陸軍ではこの傾向は酷く、無謀な作戦に意をとなえてくる帰国組を臆病者として蔑みました。この典型例が栗橋中将やインパールの柳田中将でした。山本長官は将兵達からの人気が絶大であったため、やむなく長官に指名された との証言もあるので、海軍の上層部でもそような山本長官が疎ましかったのでは、それ故の冷遇なのかもしれません。
護衛6機というのが良くわからないですね。2機の隊×3ではなく、3機の隊×2ということだったようですが、空中で1機が2機を指揮するのは難しく、僚機とバディを組んだ2機を基本に、2の倍数で編成すべきでしょう。特に海軍の戦闘機は無線の性能が悪く視覚に頼った連携になるならなおさらですね。護衛される側と護衛する側の間で、襲撃を受けた場合の対応の訓練とかブリーフングとかを事前にやっていたんでしょうか?
ご冥福をお祈りします。靖国神社二礼二拍手一礼合掌🙏
柳谷謙治氏と作家の吉村昭氏が昭和45年前に対談をしている。そのカセットテープを持っていたのだが紛失してしまった。
興味ある私にとりましては、残念なお話です。
護衛機が少なすぎて、長官を見殺しにしたとか思えない。
山本長官でなく2番機に乗っていた宇垣さんが戦死していれば、終戦の玉音放送を聴いた直後に若い隊員22人を道連れにしたバカな特攻はなかったのに。※戦死は23人中18人
上空から急降下で陸攻に襲いかかる敵機に旋回戦を誘っても無視され、陸攻を攻撃する。旋回性能の良い戦闘機では爆撃機の援護は出来ない。零戦で援護は無理です。柴田少佐の言う通り敵機を追いかけられない戦闘機は戦闘機ではない。ルンガ沖航空戦でも全く援護できなかった。
乗機に 一式を選択した時点でアウト。せめて陸軍の隼とかね、海軍の彩雲とかで回れば良かったんだよ。
優秀な海軍、予科連のパイロットさん達の御戦死の責任、
山本五十六は、海軍大将で有り、時代を知っていた?
全部戦闘の責任を取られての御戦死、
山本五十六連合艦隊司令長官は、もしかしたら日米開戦の責任を取られ御戦死なさられたのかも知れません、
敗戦がわかっていた山本五十六は、死にたかったのでは…
そう思われても仕方が無い!明らかに自殺行為ですよ!一国を預かる人が誰が考えても軽率ですよ!
日本人のコメントとは思えません。ちゃんと日本の歴史を学んで下さい。知らないことは罪です‼️
知らない事は罪…その通りだな、海軍を神聖化してるから失敗を繰り返す
違うで。
知らないことは罪という方の見解が聞きたいね。私は「父山本五十六」というご子息の本を含め色々な本を読んだ。駐在武官として滞米経験のある山本はアメリカの国力を体の芯から知っていた。対米戦争に最後まで反対してたしミッドウェーまでにアメリカを叩かなきゃ勝ち目なしと踏んでたよ。死に場所を探してたっていう推測もマンザラ嘘じゃないさ。
杉田さんが護衛に当たったのは紫電改などでわかりました。
?
米軍に暗号解読されて待ち伏せされました。
100式司令偵察機か彗星艦上爆撃機で高速ですっとんで行くしかなかったのに…1式陸上攻撃機では足が遅すぎる。大将閣下の移動にはふさわしくなかった。
6人の護衛パイロットは皆激戦地に送られて戦死されたとばかり思っていて勉強不足でした。真珠湾攻撃も開戦も全てアメリカに筒抜けだったことは本当に奇襲だったのか!?リメンバー広島、長崎といいたいが。
6機の護衛機じゃ少なすぎるしかも相手は暗号解読して待ち伏せしてた相手撃墜された責任をこの6人に被せて、連日、出撃任務に付ける鬼畜の海軍全員、負傷するなり死亡して海軍は罰するの止めたらしいけど
ミッドウェーもだけど、何でそんな事するん?みたいな事が後に重大な結果につながっている。勝負以前に日本人は戦下手すぎる…。
防弾装備のない航空機に乗ったのはアッポーです。😂
やはり、日本は甘かったアメリカの通信技術が上をいってた‚すでに暗号がバレバレだった‚もう少し日本にも通信技術が優れたなら長官は助かっていた、やはり運命なのか!でももう少し長生きして欲しかった
20機いたら守れたのでは。各機戦ったとはいえ、長官機を守らなければならないのては。飛曹ばかりでどうして将校の飛行士が予備中尉以外いなかったのでしょうか。緩みがあったのではないでしょうか。
アメリカの正式な報告書いずれにも日本の護衛機一機撃墜と今だにありますね。このような史実があるにも関わらず。
現場は一流だったが・・・
山本五十六氏の自決飛行ね
確かに自決だと思います。しかも、戦死でなければなりませんでした。哀しいことです。
認識不足と情報戦の敗北、海軍甲事件。その後の生き残り護衛兵の責任措置がいたたましい(>_
敵、アメリカ🇺🇸軍機が待ち構えているのを知りながら山本五十六海軍長官は殺されでもいいと思って行かれたのだと思います、戦争の責任を取ったのだと思います、
普通はおとりを使うだろう?
ふ
20機つけていれば大丈夫だったと思うよ。山本さんは甘すぎた。
連日の出撃で疲れ切ってる搭乗員がいるからそれを気遣って6機で充分っておっしゃったんだよ。甘いとかそういうもんじゃないよ
角田和夫氏の零戦特攻に遠回しに理由が書いてあります。 バラレ基地ではなく近くのブイン基地に一泊してくれれば零戦は相当数いたそうです。 角田氏と先輩搭乗員が酔いに任せて参謀(源田参謀の子飼い)を殴った事件でブイン基地は避けられたと証言しております。
ぼー読み
親父は陸軍少年飛行兵になりたがっていた。例の、藤沢周平さんも、そうだったらしい。して、長官機を操縦するは、地元、山形県、民田、出身と言ってましたが?はて、どうだろうな?それにしても、どうでもいい、視察で、死に場所を探していたんでしようねー。ある意味、卑怯者ですね。それで、いいけど。
ミッドウェー海での失敗では更迭の対象にすべきだった人達の一人が、気か付けば国葬に遇されていた。アベノミクスの大失敗で国家に甚大な損害を与えた人達の一人が、気付くと国葬に遇されていた。
山本も死に場所を探していたのでしょう。
山本五十六は神ではない。驚いたことに戦闘機に積む機銃の射程距離を伸ばそうと言う案に反対し、「そんな奴は大和魂が足りない」と言う趣旨の発言をしている。大和魂で弾丸が遠くまで届くとでも言うのか。所詮は当時の愚かな軍人の一人に過ぎない。それでも開戦に反対し、東條とぶつかったことだけは立派だと認める。
大尉はダイイ、零戦はレイセンと言ってあげて欲しかったです😢
そう、海軍だからね。陸軍とは違うんだよね。
吉村明の作品のパクリ?こういうのって著作権とか関係ないの?
参考文献は説明欄に載せてあります。吉村明さんの作品は読んでおりません。著作権に触れるような箇所があったのでしょうか?
若い頃松山航空隊の漫画を読んで杉田さん観音さんの最後を知りました。そして10年ほど前に近所の居酒屋でし電改の元パイロットの方と偶然一緒になりました上がってしまって、何を話したかあまり覚えてませんただただただ感激しました!
似非戦闘機乗りもいるけどな
23:34
長官機護衛任務に着いた6名の方は死力を尽くして戦った。
この事を褒める事なく終わったことは、残念なことである。
山本五十六長官は、駐米武官、海軍次官の対米回避の反戦、そして、連合艦隊司令長官の真珠湾攻撃で名をあげたが、その後はミッドウェー海戦の無策、対戦中の将棋指し、わずかな護衛で最前線視察等、謎が多い
山本は政治力はあったが、結局米軍を舐めすぎていた。傲慢の極み。以上。
He was a communist member .
アメリカ側の山モロ暗殺について「暗殺後に優秀な長官が就任したら困ると思ったらしい」。
これがアメリカ側の山モロに対する評価。
『六機の護衛戦闘機(高城肇著・光人社)』を2週間かけて読みましたが、こういう形で再構成した作品に仕上げてもらえたおかげで、散り散りの出来事の時系列がすっきりまとまり、分かりやすいですね。ありがとうございます。その他の戦記物の完成も楽しみにしています。
嬉しくありがたいコメントに元気を頂きました。また、気に入っていただけるように励みます。
杉田上飛曹は映画『零戦燃えゆ』の浜田上飛曹のモデルになった人。
「この味忘れずに行きます(逝きます)」のセリフに自分の行く外地(フィリピン)が十中八九戦死確実な場所と察していたんでしょうね・・・😢
映画では懲罰的出撃が課せられてましたね。
懲罰と言う訳ではないだろうが、外務省北米一課から戦時下のイラクに配置され危険任務に従事中に殉職した奥一等書記官の謎の人事は今でも腑に落ちない点が多々ある。本人死亡の今はまさに死人に口無しで外務省だけでなく…
この山本さんの護衛は本当は20機で行くはずでしたけど敵がそこまで以内とか色々な話があったので数を減らしてこの6機か12機でいったらしいです。
貴重な記録😌ありがとうございました🙇♂️
嬉しいコメント!ありがとうございます。
エピソードの順送りコンテンツが多い中、素晴らしい、レポートです。レベルの高い情報で、大変勉強になりました。ありがとうございました。
ありがたいお言葉ありがとうございます!
今回の動画がお褒めいただける出来になりましたのは
動画の最後に記した、エピソードを残してくださった方たちによるものです。
英霊と戦友、ご家族、軌跡を追いかけた方々に感謝。
以下ネタバレ
杉田一飛曹最後まで生き永らえてくれと祈りながら引き込まれるように最後まで見てしまった。結局6人中、無事終戦を迎えられたのは右手を失い教官に転じた柳谷飛長だけ。連日の空戦で明日をも知れぬ命、どんな精神状態だったのか凡人の私には本当に計りかねると同時に畏敬の念を抱かざるを得ない。
実際は一度捕虜になった一式陸攻ペアみたいな扱いだったんだろうな
杉田ほどのやつならそれでもゼロ戦にのってればまず死ななかったと思うけどな。ラバウルやブインでのスクランブルはとんでもないレベルだったからあれでもゼロ戦だったら生き延びられる目が合った
彼等を信じて送り出した隊長宮野善治郎大尉もまた、激戦のなか空を朱に染めましたね・・
かなしうはなし、です。
ただただ、ありがとうございました🙇🏻♂️
この一式陸上攻撃機は、岡山県倉敷市にある水島で作られていたそうです、現在の三菱自動車です、
この暗号解析に大活躍したのが学徒出陣した兵士で
彼らは技術将校や語学将校として解読に活躍してほぼ全部の日本軍暗号を解読、いくら変えても解読されるので最後はヤケクソ気味に鹿児島弁平文で通信したら全く解読出来なかったそうです。
でも親が鹿児島県出身の日系二世が鹿児島弁暗号を解読した。
@@73moto その日系二世が通話の録音を聞いて、これは薩摩弁と知ったのは終戦から2,3年後だったと思います。
いくら変えても解読されるのでとはあり得ない話、日本海軍は米軍が解読している事に
全く気づいていませんでした。終戦まで海軍の暗号は完璧だと思っていた。
山本長官機撃墜についてここまでの詳細は初めて知りました。勉強になりました。ありがとうございます。
嬉しく過分なお言葉!ありがとうございます。
杉田庄一さんの実績を顕彰する会の会員です。貴重な情報ありがとうございます。
上越市上源入211−15関原72歳です。
杉田少尉の顕彰碑に携わられた方でしょうか。
少尉を調べているときに写真を拝見しました。上越に行くときには顕彰碑のある生誕の地にも行きたいと思います。
@@Inari_Japan 返信
ありがとうございます。
鹿屋基地に慰霊に行きたいと
考えていますが、貧乏
暇なしで少し時間が、掛かります。
上越市に、お越しの時は、早めに、お知らせ下さい。
上越市上源入211−15関原繁
72歳です。
能登半島地震で、上越市も、大変な揺れ、津波で、肝を冷やしましたが、健在です。顕彰碑参拝のおりには、なるべく案内したいと思っています。アルバイトをしていますので、早めにご連絡して下さい。なるべく努力しますので、宜しくお願い致します。
上越市上源入211ー15
関原 繁 72歳
TEL 090ー1423ー1164です。北陸新幹線🚅
上越妙高駅から、約
片道50分位かかります。ありがとうございます。
ハワイ真珠湾攻撃で 成功した等と言うのがおかしい?空母を攻撃目標にするのは解るが
もしいなければ、燃料庫 等を攻撃しなかったのか?燃料がなければ 鉄屑と一緒だと想う 構想が甘かったのではないか?パールハーバーは、宣戦布告前に攻撃したから、戦果が出たのであって、ミッドウェイ海戦でアメリカ合衆国の手のひらのなかで踊っていただけだと思う。
前線基地の士気を高めるために山本五十六長官がわざわざ出向かなくても良かったのではないか⁉️長官搭乗機が攻撃された高度も気になる
海面 地上すれすれを飛べば敵機は上空からしか攻撃できない、すなわち下からの攻撃が皆無になる 360°の範囲を見張るより180°の方が楽になるのではないだろうか。(この角度については 三次元)
『高城肇著 6機の護衛戦闘機』の動画版ですね、ありがとうございます。
因みに海軍は「大尉=だいい」と呼び、陸軍=たいいと呼びます。
柳谷飛長は「やなぎや」、204空は「ふたまるよんくう」が正式呼称です。
気になりましたので記させて頂きました。
私は『6機の零戦、第二小隊長の身内』です。
コメントありがとうございます!
「やなぎや飛長」「ふたまるよんくう」大変勉強になりました。
一点だけ「だいい」につきまして。
海兵61期から始まった呼び方で、正式な呼称は「たいい」とのことなので、動画内では「たいい」と発音するつもりです。
「第二小隊長の御身内」の方にご指摘いただけたのは、ちょっと嬉しくもあります。
よろしければ、また誤りがあった時はご指摘下さい。
ご返信ありがとうございます。
日高義巳上飛曹(戦死後飛曹長)の入隊から戦死までの戦闘歴は所属部隊ごとの戦闘行動調書から判明しました。
しかし、S18.6.7 ルッセル島航空撃滅戦での戦死状況は明確でないです。
永田の生家敷地内に「日高義巳飛曹長顕彰碑」を建立しました。
柳谷謙治氏は晩年、日高飛曹長の墓参の為屋久島永田を訪れてます。
その際に副官機主操縦員の林浩二飛曹と再会をしてます。
下段の一湊で会ったという方の話は、林浩二飛曹で間違いないです。
部隊の呼称ですが…。
251空=ふたごうひとくう 201空=ふたまるひとくう などとなります。
新たなエピソードも書き込んでいただき感謝です。勉強させていただきました!
今後とも宜しくお願い致します。
宜しくお願い致します。
長官の行動予定の電文はすべて敵に解読され待ち伏せされていた。長官機を護衛の優秀なパイロットであっても多勢に無勢、待ち伏せの多数の敵戦闘機に敵う訳もなかった。撃たれれば弱い零戦がたったの6機の護衛、ここいら辺も日本軍の不備というか欠陥を感じる。
2005.2.25読売新聞夕刊に、吉村昭さんが「山本長官 戦死の秘話」として柳谷さんに取材したときの話が掲載されています。
今村均中将は護衛機は50機付けろと言ったとか
実現していれば長官は戦死する事はなかった。
見入ってしまいました 長官護衛機を20機増やしていれば 違った結果だったのかと思いました。
米軍の方も、「復讐作戦」と名付けられた山本長官襲撃作戦は、敵将とはいえ「暗殺」に近いものだったから一部「後ろめたさ」もあったと云う。そして此の作戦に参加したパイロット達も一応英雄となり_後々捕虜となってしまった場合、作戦の概要(暗号解読等)が漏らされるのを恐れて_本国帰還となった。然し戦後に「山本長官機を撃墜したのは自分だ」と作戦に参加したパイロット達の中の2名が争うことになるという後味が悪さが残った。
山本長官が、なぜ動きが鈍い一式陸攻をえらんだのか謎です。この後、海軍の統率が
乱れていきました。なお、OVAの戦記物では山本長官は、転生して養子に行く前の
高野という名字で海軍を統率することとなっています。
山本閣下の本が出版されます。『山本五十六がアジアを解放した』安濃豊著
当時の方々には、我々の信じられ来ような経験をされていたと思います。私の父も部下とともに、台湾のコウさんって方に救われた人生を聞いています。
お父様と部下の皆様も、時代のうねりの中で波乱な人生を送られたのですね。平和を築いてくださった先人に感謝です。
父は駆逐艦の先任でした。艦を離れる際、駆逐艦長に「先任頼むぞ」と頼まれたそうですが、丸一昼夜の中で一人一人と沈んでいったそうです。父は全員を手つなげと命令したそうですが、それでも一人一人と沈んでー行ったそうです。父は死ぬ間際に「艦長」って言葉は忘れることはできません。まぁ救ってくれた台湾のコウさんとは、その後定年後、3千トン級の小型船で東南アジア航路の船長になった際、救ってくれた、コウさんが亡くなるまで、親交深めたそうです。
鮮
鮮
全トン
この凡将山本の絶対にやってはならない真珠湾攻撃米戦争、ミッドウエー、イ号作戦全て全てこの男の陰謀。優秀な将兵を失わせた。全てを熟知していた杉田庄一様には生き残って欲しかったです。
智将なら左遷されてる。
@@makotonezumi277 本当ですね、現代の日本にも通じる、智将がリーダーに選出されず、日本崩壊に向かわせる首相があてがわれている。
米軍パイロットの供述はこれと異なる。
零戦は間に入ってこないので陸攻はガラ空き。
機銃掃射で陸攻がすぐ火を噴いたので驚いたが、燃料が残り少ないので一撃して帰投した。
米軍の方が信憑性が有りますね。敵は待ち伏せで一式陸攻を狙っての一撃離脱だろうから、そこまでの空中戦とはならないでしょう。ドキュメンタリー番組で当時の搭乗員がかなり盛って報告していたと語っていた。過大報告は大本営発表が取り沙汰されるが日本軍に蔓延していたと思われます。
感動しました。有難う御座います。
なんとも!嬉しいコメント...ありがとうございます!
嬉しく、感謝、励みとなります!
改めて、ありがとうございます!
今気づいたが、東京都荒川区に「吉村昭記念館」の様なものがあると聞いたので、そこへ行けば対談のテープが残されているかもしれない。
ご丁寧な返信ありがとうございます。
護衛隊の方が”ほんの一瞬先に気づいた”など、貴重なお話しですね!
東京に行く時は吉村昭記念館に寄ってみます。
当時の海軍では 大尉 は ダイイ 大佐 は ダイサ と発音するのが正解だと思います。
杉田さんは343空で戦死するんですよね。
日本海軍はマリアナではなくソロモンで失われた、大和10隻より貴重なベテランパイロットを失って。
なるほど...おっしゃる通りな気がします!
黙祷・・・・・
昭和~令和と変わったても 目的意識の欠落は変わらないm(__)m
山本五十六連合艦隊司令長官機を撃墜されさぞかし護衛のゼロ戦6機の隊員は無念でならなかったでしょうね😂皆様のご冥福をお祈りいたします🙏😢😢😢😢😢😢
山本長官の行動は、米軍に筒抜けだったようですね。
長官の護衛には少なすぎる零戦。
物量は言わずもがな、レーダーや暗号解読でも米軍には適わないコトを長官は熟知していただけに
本当に残念でした。長官が生き残ったとしても戦犯とされていたかもですが、戦後日本の復興に山本さんが居たらと思ってしまいます。
今でも「山本五十六語録」には共感致します。
わたしとは山本五十六像が大分違うようです。
・陸軍は、戦局を大東亜に絞り、アメリカには参戦させないように作戦を立てた。しかし、山本は一 人で真珠湾攻撃を主張し、アメリカ参戦のきっかけを作り、太平洋戦争を引き起こした。
・この背景には、日本をアメリカと戦わせ、敗戦させ、敗戦に乗じて朝日新聞勢を中心として共産主義革命を起こさせようとするアメリカ共産主義者の意向が働いていた。
・山本の行動は、アメリカに筒抜けだったのではなく、そのまま生き残っても、戦犯となり処刑されるので、視察と称して撃墜されるために出かけて行った。その後の調査では、山本の遺体は発見されておらず、戦後アメリカで山本を見たという話まで聞く。護衛機の数を12機から6機に減らさせたのは、山本だという。要するに、アメリカとツーツーの関係だった。
山本五十六という人物は、は「日本を敗戦に導いた最大の売国奴」、これがわたしの山本像なのですが、いかかでしょうか。勿論、わたしも一次資料によって、調べてみたわけではなく、単にそう聞かされているというだけのことです。検証していただければ幸いです。
護衛機の大編隊が当たり前だと思っていた現地司令官。桜田門外の変の井伊直弼となんか。彦根藩家老はこのわずかな距離でも全力で当日の護衛人数を、と。公儀に決められていると断った井伊直弼。この二人死を覚悟していた。
つつぬけっつっても離陸時間だけ聴いて飛んでる飛行機に向かって一度も飛んだことない空域を燃料ギリギリの長距離の推測飛行でとらえるなんて天文学的な確率。
機上レーダーもない時代だからインターセプトで上がっても敵機みつけられないとか普通なのにな
南方諸島ではマラリアになった兵も多く、森崎中尉の体調不良は疲労以外にマラリアの影響もあったのかな?
護衛機少なすぎる
山本長官関係はいろいろ臭すぎてこのへん悪意の存在しか感じないね。
昭和45年前後、その年の1月の成人の日(昔はたしか15日だった)、柳谷氏は車で自宅から最寄りの駅まで吉村氏を迎えに行った。穏やかな陽光が降り注ぐ心地よい日だった。吉村氏は近づいてくる車を見て、すぐ「その車だ」と直感し手を挙げた。車はスムースに氏の前で止まった。車に乗り込むと柳谷氏の右手首が義手で、先端が丸いカギのようになっており、ハンドルに着けた丸い円筒形の突起を巧みに操り、とても義手によるものとは思えないほど運転は安定していた。それはまるで、南太平洋・ソロモン方面の激烈な戦闘を生き抜いてきた氏の力量を垣間見るようであった。車窓から見ると晴着を着た娘さんの姿も多くみられ街の風景は華やいでいた。
柳谷氏は「息子も成人式のはずなんだかどこへ行ったんだか分からんのですよ」と笑っていた。子息さんは医大生とのことだった。
以上、何回も何回も聴いた両氏の対談の内容を思い出すままに書きちらしたが、肝心の空戦の様子が思い出せない。ただ、柳谷氏によると「ほんの一瞬、ほんの一瞬ですけど我々の方が先に敵機に気づいたと思う」と強調しておられたのを記憶している。
大事なカセットテープを紛失したのは残念の極みだが、この貴重な対談は『海軍甲事件』に生かされているはずだからもう一度読み返すのが一番かと思う。
山本五十六連合艦隊司令長官や戦闘員の人達が乗っていた一式陸上攻撃機はもしかしたら岡山県倉敷市の水島で作られていたかもしれません、
山本長官は日本の暗号がすでにアメリカに解読されてたのは承知してたと思う。
政治や軍の上層部に感情に流されず、冷酷とも言える理性で戦争の開始や戦略、戦術を指導できる人がいれば惨めな敗北も無かっただろう。しかし今に至る迄日本人は情緒優先だね。日本人の未来はどうなるのだろうか?
政治や軍の上層部なんか国民の情緒の丸写しなんだから、あの国民やマスコミの代表では最初から無理な話だった
近未来の戦争も大東亜戦争の時と同じ様に譲歩譲歩の後手後手で最悪の状態になってから(万全の準備体制の敵から攻撃された後で)準備する間もなく開戦すると思う。
大東亜戦争の時には居なかった何百万という在日や帰化人の中国人や韓国人、朝鮮人が便意兵とその予備軍(戦時犯罪者)として国内にビッチリ潜んでるからなおさら不利だね
山本長官は死に場所を探していた?
何故出て逝ったか謎である。
くちゃくちゃ音どうにかなりませんか?
気になって聞きたい話が集中できません⤵︎
山本五十六が、敗戦した日本軍にとってどういう人間であったのか、改めて詳らかにすればいいと思う。
50年くらい前、屋久島の一湊というところで鬼のような顔つきの大男と狭い道ですれ違った。男は大道を歩め、と怒鳴られた。
その人はゼロ戦搭乗員の生き残りと、あとで聞いた。
阿川弘之の本で山本五十六の護衛の6機の一人が、ご当地に住んでいるとあった。
私がすれ違った人は、たぶんその人だったんだろう。
うろ覚えの内容で失礼します。
海軍甲事件にかかわられた屋久島出身の方は日高義巳上飛曹と一式陸攻2番機の搭乗員がおられたと記憶しています。
一式陸攻で生き残られた方は、戦友会にも参加せず、屋久島でひっそりと暮らされた...といった話であったような。
興味深いエピソード、ありがとうございます。
片手が無ければその人
恐らく二番機(副官機)の主操縦員だったでしょうね。
日高上飛曹はふた隣の永田集落の出身ですから違います。
戦後復員して一湊で余生を過ごされました。
零戦搭乗員で屋久島出身は私の身内の『日高義巳上飛曹』です。
日高はこの海軍甲事件の後、6月7日ルッセル島航空撃滅戦で散華しています。
一湊で会ったのは『副官機主操縦員 林浩二飛曹』ですね。
今は、亡き親父が、若い時ラバウルで、山本長官あった数時間後長官機は、撃墜されたそうです。
ブーゲンビリアは…○崎空港の愛称になっている…
今更ながらの話し、米軍に情報がダダ漏れでは話にもならず、護衛機も少ない論外だ。
二機の陸攻に護衛が、零戦たったの六機。そもそも無理でしょ?
零戦六機のパイロットより上層部の責任のほうが重いと思います。
一人生き残りが居たのは存じなかった。杉田一飛曹の死はかなり不運でした。最初に戦死した4名は、責任感の重責による半ば自決でしょうね
でも、護衛を倍にしなかった海軍司令部の落ち度だと私は思いますよ。
味方の制空圏下でも、一瞬の油断が死を招く戦場ですから
"半ば自決,"海軍司令部の落ち度"
私は...おっしゃる通りだとおもいます。他の方のコメントで思いましたが。
山本長官が死に場所を...
あったかもしれない。と思い始めています
杉田さんも無理を承知で離陸・・・部下を道連れにしたのはよろしくないが
😮もう少し時間を遅らせればp38ライトニング燃料がぎりぎりだつた。
前線視察無謀だ😮
私はこの事件を考えるたびに何故海軍連合司令部は護衛機を6機しか付けなかったのか、今で言えば要人護衛のセキュリティ意識が甘すぎると思うのです。そして長官機を撃墜された護衛機6機のパイロットの心情に、やはり護衛が甘かった安倍元首相の襲撃事件後の中村長官と鬼塚本部長の自責の念を重ねたくなったものです。6機のパイロットは名パイロットであり、その後も撃墜スコアを伸ばしたが、私には彼らが死を急いだように見える生き方に
臣を守れなかったサムライの、死をもって失敗を償う責任感を見るのです。
映画化出来ないかな・・・。今の映像技術と当時の残存フィルムを織り交ぜて。
三船敏郎さんかな映画化されてテレビで見たな、六機の護衛戦闘機、単行本もあるよ。
AIに鍛えられて将棋初段になったから山本長官と将棋指してみてー→山本五十六元帥さん、26時間連続で将棋を指し続ける→艦船で観戦だけにしときます(滑)
6機は少な過ぎだよな。
草鹿任一、小沢治三両中将は護衛戦闘機6機では心もとない!俺たちのところから何機でも出す!司令部に言っていたそうですが、それが握りつぶされたんですよね。
また、小沢中将は、山本長官の行動を逐一暗号電文で打電したことについて「何故、そんなバカな事をする!これでは、敵に長官を殺してくれというのも同じ!」と
激怒されたそうですよ。
当時軍部の実権を握っていた者の多くが日本居残り組のエリート達で武官経験無いものが多く、逐一自分達の考えに水を差す 外国帰りのエリートを疎んじていたようです。特に陸軍ではこの傾向は酷く、無謀な作戦に意をとなえてくる帰国組を臆病者として蔑みました。この典型例が栗橋中将やインパールの柳田中将でした。山本長官は将兵達からの人気が絶大であったため、やむなく長官に指名された との証言もあるので、海軍の上層部でもそような山本長官が疎ましかったのでは、それ故の冷遇なのかもしれません。
護衛6機というのが良くわからないですね。2機の隊×3ではなく、3機の隊×2ということだったようですが、空中で1機が2機を指揮するのは難しく、僚機とバディを組んだ2機を基本に、2の倍数で編成すべきでしょう。特に海軍の戦闘機は無線の性能が悪く視覚に頼った連携になるならなおさらですね。護衛される側と護衛する側の間で、襲撃を受けた場合の対応の訓練とかブリーフングとかを事前にやっていたんでしょうか?
ご冥福をお祈りします。
靖国神社
二礼二拍手一礼
合掌🙏
柳谷謙治氏と作家の吉村昭氏が昭和45年前に対談をしている。そのカセットテープを持っていたのだが紛失してしまった。
興味ある私にとりましては、残念なお話です。
護衛機が少なすぎて、長官を見殺しにしたとか思えない。
山本長官でなく2番機に乗っていた宇垣さんが戦死していれば、終戦の玉音放送を聴いた直後に若い隊員22人を道連れにしたバカな特攻はなかったのに。
※戦死は23人中18人
上空から急降下で陸攻に襲いかかる敵機に旋回戦を誘っても無視され、陸攻を攻撃する。旋回性能の良い戦闘機では爆撃機の援護は出来ない。零戦で援護は無理です。柴田少佐の言う通り敵機を追いかけられない戦闘機は戦闘機ではない。ルンガ沖航空戦でも全く援護できなかった。
乗機に 一式を選択した時点でアウト。
せめて陸軍の隼とかね、海軍の彩雲とかで回れば良かったんだよ。
優秀な海軍、予科連のパイロットさん達の御戦死の責任、
山本五十六は、海軍大将で有り、時代を知っていた?
全部戦闘の責任を取られての御戦死、
山本五十六連合艦隊司令長官は、もしかしたら日米開戦の責任を取られ御戦死なさられたのかも知れません、
敗戦がわかっていた山本五十六は、死にたかったのでは…
そう思われても仕方が無い!明らかに自殺行為ですよ!一国を預かる人が誰が考えても軽率ですよ!
日本人のコメントとは思えません。ちゃんと日本の歴史を学んで下さい。知らないことは罪です‼️
知らない事は罪…
その通りだな、海軍を神聖化してるから失敗を繰り返す
違うで。
知らないことは罪という方の見解が聞きたいね。私は「父山本五十六」というご子息の本を含め色々な本を読んだ。駐在武官として滞米経験のある山本はアメリカの国力を体の芯から知っていた。対米戦争に最後まで反対してたしミッドウェーまでにアメリカを叩かなきゃ勝ち目なしと踏んでたよ。死に場所を探してたっていう推測もマンザラ嘘じゃないさ。
杉田さんが護衛に当たったのは紫電改などでわかりました。
?
米軍に暗号解読されて待ち伏せされました。
100式司令偵察機か彗星艦上爆撃機で高速ですっとんで行くしかなかったのに…
1式陸上攻撃機では足が遅すぎる。大将閣下の移動にはふさわしくなかった。
6人の護衛パイロットは皆激戦地に送られて戦死されたとばかり思っていて勉強不足でした。真珠湾攻撃も開戦も全てアメリカに筒抜けだったことは本当に奇襲だったのか!?リメンバー広島、長崎といいたいが。
6機の護衛機じゃ少なすぎる
しかも相手は暗号解読して待ち伏せしてた相手
撃墜された責任をこの6人に被せて、連日、出撃任務に付ける鬼畜の海軍
全員、負傷するなり死亡して海軍は罰するの止めたらしいけど
ミッドウェーもだけど、何でそんな事するん?
みたいな事が後に重大な結果につながっている。
勝負以前に日本人は戦下手すぎる…。
防弾装備のない航空機に乗ったのはアッポーです。
😂
やはり、日本は甘かったアメリカの通信技術が上をいってた‚すでに暗号がバレバレだった‚もう少し日本にも通信技術が優れたなら長官は助かっていた、やはり運命なのか!でももう少し長生きして欲しかった
20機いたら守れたのでは。
各機戦ったとはいえ、長官機を守らなければならないのては。
飛曹ばかりでどうして将校の飛行士が予備中尉以外いなかったのでしょうか。緩みがあったのではないでしょうか。
アメリカの正式な報告書いずれにも日本の護衛機一機撃墜と今だにありますね。
このような史実があるにも関わらず。
現場は一流だったが・・・
山本五十六氏の自決飛行ね
確かに自決だと思います。
しかも、戦死でなければなりませんでした。
哀しいことです。
認識不足と情報戦の敗北、海軍甲事件。その後の生き残り護衛兵の責任措置がいたたましい(>_
敵、アメリカ🇺🇸軍機が待ち構えているのを知りながら山本五十六海軍長官は殺されでもいいと思って行かれたのだと思います、戦争の責任を取ったのだと思います、
普通はおとりを使うだろう?
ふ
20機つけていれば大丈夫だったと思うよ。山本さんは甘すぎた。
連日の出撃で疲れ切ってる搭乗員がいるからそれを気遣って6機で充分っておっしゃったんだよ。甘いとかそういうもんじゃないよ
角田和夫氏の零戦特攻に遠回しに理由が書いてあります。 バラレ基地ではなく近くのブイン基地に一泊してくれれば零戦は相当数いたそうです。 角田氏と先輩搭乗員が酔いに任せて参謀(源田参謀の子飼い)を殴った事件でブイン基地は避けられたと証言しております。
ぼー読み
親父は陸軍少年飛行兵になりたがっていた。
例の、藤沢周平さんも、そうだったらしい。
して、長官機を操縦するは、地元、山形県、民田、出身と
言ってましたが?はて、どうだろうな?
それにしても、どうでもいい、視察で、死に場所を
探していたんでしようねー。
ある意味、卑怯者ですね。それで、いいけど。
ミッドウェー海での失敗では更迭の対象にすべきだった人達の一人が、気か付けば国葬に遇されていた。
アベノミクスの大失敗で国家に甚大な損害を与えた人達の一人が、気付くと国葬に遇されていた。
山本も死に場所を探していたのでしょう。
山本五十六は神ではない。驚いたことに戦闘機に積む機銃の射程距離を伸ばそうと言う案に
反対し、「そんな奴は大和魂が足りない」と言う趣旨の発言をしている。大和魂で弾丸が遠くまで
届くとでも言うのか。所詮は当時の愚かな軍人の一人に過ぎない。それでも開戦に反対し、東條と
ぶつかったことだけは立派だと認める。
大尉はダイイ、零戦はレイセンと言ってあげて欲しかったです😢
そう、海軍だからね。陸軍とは違うんだよね。
吉村明の作品のパクリ?
こういうのって著作権とか関係ないの?
参考文献は説明欄に載せてあります。吉村明さんの作品は読んでおりません。
著作権に触れるような箇所があったのでしょうか?