Admiral Yamamoto Escort Squad !

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  • Опубліковано 20 сер 2024
  • The fate of six young Escort Squad
    Commander and 1st platoon leader, 1st Lieutenant Morisaki, 2nd aircraft, First Flight Sergeant Tsujinoue, and 3rd aircraft, Flight Sergeant Shoichi Sugita
    2nd platoon leader, Chief Flight Sergeant Hidaka, 2nd aircraft, 2nd Flight Sergeant Okazaki, and 3rd aircraft, Flight Sergeant Yanagitani

КОМЕНТАРІ • 167

  • @user-un2yu4yq6i
    @user-un2yu4yq6i 10 місяців тому +31

    長官機護衛任務に着いた6名の方は死力を尽くして戦った。
    この事を褒める事なく終わったことは、残念なことである。

  • @kazagosisingo
    @kazagosisingo 7 місяців тому +17

    山本五十六長官は、駐米武官、海軍次官の対米回避の反戦、そして、連合艦隊司令長官の真珠湾攻撃で名をあげたが、その後はミッドウェー海戦の無策、対戦中の将棋指し、わずかな護衛で最前線視察等、謎が多い

    • @nockerlnnockerln6833
      @nockerlnnockerln6833 6 місяців тому

      山本は政治力はあったが、結局米軍を舐めすぎていた。傲慢の極み。以上。

    • @tetsuonishijima6236
      @tetsuonishijima6236 5 місяців тому

      He was a communist member .

  • @user-iy3sr8mt6j
    @user-iy3sr8mt6j 10 місяців тому +29

    若い頃松山航空隊の漫画を読んで杉田さん観音さんの最後を知りました。そして10年ほど前に近所の居酒屋でし電改の元パイロットの方と偶然一緒になりました上がってしまって、何を話したかあまり覚えてませんただただただ感激しました!

  • @user-ve1hd6nf3x
    @user-ve1hd6nf3x 17 днів тому +1

    『六機の護衛戦闘機(高城肇著・光人社)』を2週間かけて読みましたが、こういう形で再構成した作品に仕上げてもらえたおかげで、散り散りの出来事の時系列がすっきりまとまり、分かりやすいですね。ありがとうございます。その他の戦記物の完成も楽しみにしています。

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  16 днів тому +1

      嬉しくありがたいコメントに元気を頂きました。また、気に入っていただけるように励みます。

  • @user-sj8jo7lx3z
    @user-sj8jo7lx3z 11 місяців тому +27

    杉田上飛曹は映画『零戦燃えゆ』の浜田上飛曹のモデルになった人。

    • @user-bw8fx2tc5u
      @user-bw8fx2tc5u 10 місяців тому +2

      「この味忘れずに行きます(逝きます)」のセリフに自分の行く外地(フィリピン)が十中八九戦死確実な場所と察していたんでしょうね・・・😢

    • @rougesentinelle8923
      @rougesentinelle8923 7 місяців тому +1

      映画では懲罰的出撃が課せられてましたね。
      懲罰と言う訳ではないだろうが、外務省北米一課から戦時下のイラクに配置され危険任務に従事中に殉職した奥一等書記官の謎の人事は今でも腑に落ちない点が多々ある。本人死亡の今はまさに死人に口無しで外務省だけでなく…

  • @user-xq2ku3ty8p
    @user-xq2ku3ty8p 11 місяців тому +36

    杉田庄一さんの実績を顕彰する会の会員です。貴重な情報ありがとうございます。
    上越市上源入211−15関原72歳です。

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  10 місяців тому +6

      杉田少尉の顕彰碑に携わられた方でしょうか。
      少尉を調べているときに写真を拝見しました。上越に行くときには顕彰碑のある生誕の地にも行きたいと思います。

    • @user-xq2ku3ty8p
      @user-xq2ku3ty8p 10 місяців тому +9

      @@Inari_Japan 返信
      ありがとうございます。
      鹿屋基地に慰霊に行きたいと
      考えていますが、貧乏
      暇なしで少し時間が、掛かります。
      上越市に、お越しの時は、早めに、お知らせ下さい。
      上越市上源入211−15関原繁
      72歳です。

    • @user-xq2ku3ty8p
      @user-xq2ku3ty8p 6 місяців тому +1

      能登半島地震で、上越市も、大変な揺れ、津波で、肝を冷やしましたが、健在です。顕彰碑参拝のおりには、なるべく案内したいと思っています。アルバイトをしていますので、早めにご連絡して下さい。なるべく努力しますので、宜しくお願い致します。
      上越市上源入211ー15
      関原 繁 72歳
      TEL 090ー1423ー1164です。北陸新幹線🚅
      上越妙高駅から、約
      片道50分位かかります。ありがとうございます。

  • @user-is6yj78fg
    @user-is6yj78fg 11 місяців тому +23

    貴重な記録😌ありがとうございました🙇‍♂️

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  11 місяців тому +3

      嬉しいコメント!ありがとうございます。

  • @itoutatsuya1971
    @itoutatsuya1971 11 місяців тому +39

    以下ネタバレ
    杉田一飛曹最後まで生き永らえてくれと祈りながら引き込まれるように最後まで見てしまった。結局6人中、無事終戦を迎えられたのは右手を失い教官に転じた柳谷飛長だけ。連日の空戦で明日をも知れぬ命、どんな精神状態だったのか凡人の私には本当に計りかねると同時に畏敬の念を抱かざるを得ない。

    • @user-zx4pu2rj1y
      @user-zx4pu2rj1y 7 місяців тому

      実際は一度捕虜になった一式陸攻ペアみたいな扱いだったんだろうな

    • @user-uc6ru2on8r
      @user-uc6ru2on8r 2 місяці тому

      杉田ほどのやつならそれでもゼロ戦にのってればまず死ななかったと思うけどな。ラバウルやブインでのスクランブルはとんでもないレベルだったからあれでもゼロ戦だったら生き延びられる目が合った

  • @user-uc3bf7nq8b
    @user-uc3bf7nq8b 11 місяців тому +21

    エピソードの順送りコンテンツが多い中、素晴らしい、レポートです。レベルの高い情報で、大変勉強になりました。ありがとうございました。

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  10 місяців тому +6

      ありがたいお言葉ありがとうございます!
      今回の動画がお褒めいただける出来になりましたのは
      動画の最後に記した、エピソードを残してくださった方たちによるものです。
      英霊と戦友、ご家族、軌跡を追いかけた方々に感謝。

  • @user-gx1cl4xr7y
    @user-gx1cl4xr7y 10 місяців тому +12

    ただただ、ありがとうございました🙇🏻‍♂️

  • @user-pl2jy4mq8v
    @user-pl2jy4mq8v 10 місяців тому +7

    この山本さんの護衛は本当は20機で行くはずでしたけど敵がそこまで以内とか色々な話があったので数を減らしてこの6機か12機でいったらしいです。

  • @user-yk7pt7xx2h
    @user-yk7pt7xx2h 10 місяців тому +19

    この暗号解析に大活躍したのが学徒出陣した兵士で
    彼らは技術将校や語学将校として解読に活躍してほぼ全部の日本軍暗号を解読、いくら変えても解読されるので最後はヤケクソ気味に鹿児島弁平文で通信したら全く解読出来なかったそうです。

    • @73moto
      @73moto 6 місяців тому

      でも親が鹿児島県出身の日系二世が鹿児島弁暗号を解読した。

    • @boomoto6512
      @boomoto6512 4 місяці тому

      @@73moto その日系二世が通話の録音を聞いて、これは薩摩弁と知ったのは終戦から2,3年後だったと思います。

    • @boomoto6512
      @boomoto6512 4 місяці тому

      いくら変えても解読されるのでとはあり得ない話、日本海軍は米軍が解読している事に
      全く気づいていませんでした。終戦まで海軍の暗号は完璧だと思っていた。

  • @user-bw8fx2tc5u
    @user-bw8fx2tc5u 11 місяців тому +32

    彼等を信じて送り出した隊長宮野善治郎大尉もまた、激戦のなか空を朱に染めましたね・・

    • @user-cy1fp1ui7p
      @user-cy1fp1ui7p 10 місяців тому +2

      かなしうはなし、です。

  • @user-yr7rq3hp5d
    @user-yr7rq3hp5d 6 місяців тому +6

    この一式陸上攻撃機は、岡山県倉敷市にある水島で作られていたそうです、現在の三菱自動車です、

  • @しばたしげいえ
    @しばたしげいえ 8 місяців тому +11

    今村均中将は護衛機は50機付けろと言ったとか
    実現していれば長官は戦死する事はなかった。

  • @user-di3mk1lx3f
    @user-di3mk1lx3f 6 місяців тому +4

    山本長官機撃墜についてここまでの詳細は初めて知りました。勉強になりました。ありがとうございます。

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  6 місяців тому +1

      嬉しく過分なお言葉!ありがとうございます。

  • @motohami3359
    @motohami3359 7 місяців тому +6

    長官の行動予定の電文はすべて敵に解読され待ち伏せされていた。長官機を護衛の優秀なパイロットであっても多勢に無勢、待ち伏せの多数の敵戦闘機に敵う訳もなかった。撃たれれば弱い零戦がたったの6機の護衛、ここいら辺も日本軍の不備というか欠陥を感じる。

  • @user-yb9xp1bt9p
    @user-yb9xp1bt9p 11 місяців тому +22

    米軍の方も、「復讐作戦」と名付けられた山本長官襲撃作戦は、敵将とはいえ「暗殺」に近いものだったから一部「後ろめたさ」もあったと云う。そして此の作戦に参加したパイロット達も一応英雄となり_後々捕虜となってしまった場合、作戦の概要(暗号解読等)が漏らされるのを恐れて_本国帰還となった。然し戦後に「山本長官機を撃墜したのは自分だ」と作戦に参加したパイロット達の中の2名が争うことになるという後味が悪さが残った。

  • @kazunakamura924
    @kazunakamura924 7 місяців тому +6

    2005.2.25読売新聞夕刊に、吉村昭さんが「山本長官 戦死の秘話」として柳谷さんに取材したときの話が掲載されています。

  • @user-yy1sp7yf8n
    @user-yy1sp7yf8n 7 місяців тому +7

    見入ってしまいました 長官護衛機を20機増やしていれば 違った結果だったのかと思いました。

  • @toruinoue8558
    @toruinoue8558 6 місяців тому +5

    この凡将山本の絶対にやってはならない真珠湾攻撃米戦争、ミッドウエー、イ号作戦全て全てこの男の陰謀。優秀な将兵を失わせた。全てを熟知していた杉田庄一様には生き残って欲しかったです。

    • @makotonezumi277
      @makotonezumi277 6 місяців тому +2

      智将なら左遷されてる。

    • @toruinoue8558
      @toruinoue8558 6 місяців тому

      @@makotonezumi277 本当ですね、現代の日本にも通じる、智将がリーダーに選出されず、日本崩壊に向かわせる首相があてがわれている。

  • @seisetu1326
    @seisetu1326 9 місяців тому +7

    感動しました。有難う御座います。

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  9 місяців тому +1

      なんとも!嬉しいコメント...ありがとうございます!
      嬉しく、感謝、励みとなります!
      改めて、ありがとうございます!

  • @user-tg4kj5xt8f
    @user-tg4kj5xt8f 10 місяців тому +13

    米軍パイロットの供述はこれと異なる。
    零戦は間に入ってこないので陸攻はガラ空き。
    機銃掃射で陸攻がすぐ火を噴いたので驚いたが、燃料が残り少ないので一撃して帰投した。

    • @user-ww2xb2fd7u
      @user-ww2xb2fd7u 6 місяців тому

      米軍の方が信憑性が有りますね。敵は待ち伏せで一式陸攻を狙っての一撃離脱だろうから、そこまでの空中戦とはならないでしょう。ドキュメンタリー番組で当時の搭乗員がかなり盛って報告していたと語っていた。過大報告は大本営発表が取り沙汰されるが日本軍に蔓延していたと思われます。

  • @user-vg5rw8zs7t
    @user-vg5rw8zs7t 8 місяців тому +10

    当時の海軍では 大尉 は ダイイ 大佐 は ダイサ と発音するのが正解だと思います。

  • @ged03012
    @ged03012 8 місяців тому +7

    当時の方々には、我々の信じられ来ような経験をされていたと思います。私の父も部下とともに、台湾のコウさんって方に救われた人生を聞いています。

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  8 місяців тому +2

      お父様と部下の皆様も、時代のうねりの中で波乱な人生を送られたのですね。平和を築いてくださった先人に感謝です。

    • @ged03012
      @ged03012 8 місяців тому +1

      父は駆逐艦の先任でした。艦を離れる際、駆逐艦長に「先任頼むぞ」と頼まれたそうですが、丸一昼夜の中で一人一人と沈んでいったそうです。父は全員を手つなげと命令したそうですが、それでも一人一人と沈んでー行ったそうです。父は死ぬ間際に「艦長」って言葉は忘れることはできません。まぁ救ってくれた台湾のコウさんとは、その後定年後、3千トン級の小型船で東南アジア航路の船長になった際、救ってくれた、コウさんが亡くなるまで、親交深めたそうです。


      全トン

  • @user-ew7rq5qe2m
    @user-ew7rq5qe2m 8 місяців тому +6

    杉田さんは343空で戦死するんですよね。
    日本海軍はマリアナではなくソロモンで失われた、大和10隻より貴重なベテランパイロットを失って。

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  8 місяців тому +1

      なるほど...おっしゃる通りな気がします!

  • @kazukazujcc
    @kazukazujcc 4 місяці тому +3

    山本長官が、なぜ動きが鈍い一式陸攻をえらんだのか謎です。この後、海軍の統率が
    乱れていきました。なお、OVAの戦記物では山本長官は、転生して養子に行く前の
    高野という名字で海軍を統率することとなっています。

  • @user-vr9gu3wz6s
    @user-vr9gu3wz6s 11 місяців тому +26

    護衛機少なすぎる

    • @user-uc6ru2on8r
      @user-uc6ru2on8r 2 місяці тому

      山本長官関係はいろいろ臭すぎてこのへん悪意の存在しか感じないね。

  • @takeshibaooo
    @takeshibaooo 11 місяців тому +11

    黙祷・・・・・

  • @user-zo7is1nr8n
    @user-zo7is1nr8n 9 місяців тому +3

    今気づいたが、東京都荒川区に「吉村昭記念館」の様なものがあると聞いたので、そこへ行けば対談のテープが残されているかもしれない。

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  9 місяців тому

      ご丁寧な返信ありがとうございます。
      護衛隊の方が”ほんの一瞬先に気づいた”など、貴重なお話しですね!
      東京に行く時は吉村昭記念館に寄ってみます。

  • @koh631
    @koh631 10 місяців тому +11

    昭和~令和と変わったても 目的意識の欠落は変わらないm(__)m

  • @user-yr7rq3hp5d
    @user-yr7rq3hp5d Місяць тому

    山本五十六連合艦隊司令長官や戦闘員の人達が乗っていた一式陸上攻撃機はもしかしたら岡山県倉敷市の水島で作られていたかもしれません、

  • @user-qj2xg6wx1k
    @user-qj2xg6wx1k 9 місяців тому +5

    今は、亡き親父が、若い時ラバウルで、山本長官あった数時間後長官機は、撃墜されたそうです。

  • @user-gn6ee8wv1c
    @user-gn6ee8wv1c 11 місяців тому +21

    山本長官の行動は、米軍に筒抜けだったようですね。
    長官の護衛には少なすぎる零戦。
    物量は言わずもがな、レーダーや暗号解読でも米軍には適わないコトを長官は熟知していただけに
    本当に残念でした。長官が生き残ったとしても戦犯とされていたかもですが、戦後日本の復興に山本さんが居たらと思ってしまいます。
    今でも「山本五十六語録」には共感致します。

    • @user-ib5fi8mk1k
      @user-ib5fi8mk1k 10 місяців тому +3

      わたしとは山本五十六像が大分違うようです。
       ・陸軍は、戦局を大東亜に絞り、アメリカには参戦させないように作戦を立てた。しかし、山本は一       人で真珠湾攻撃を主張し、アメリカ参戦のきっかけを作り、太平洋戦争を引き起こした。
       ・この背景には、日本をアメリカと戦わせ、敗戦させ、敗戦に乗じて朝日新聞勢を中心として共産主義革命を起こさせようとするアメリカ共産主義者の意向が働いていた。
       ・山本の行動は、アメリカに筒抜けだったのではなく、そのまま生き残っても、戦犯となり処刑されるので、視察と称して撃墜されるために出かけて行った。その後の調査では、山本の遺体は発見されておらず、戦後アメリカで山本を見たという話まで聞く。護衛機の数を12機から6機に減らさせたのは、山本だという。要するに、アメリカとツーツーの関係だった。
       
       山本五十六という人物は、は「日本を敗戦に導いた最大の売国奴」、これがわたしの山本像なのですが、いかかでしょうか。勿論、わたしも一次資料によって、調べてみたわけではなく、単にそう聞かされているというだけのことです。検証していただければ幸いです。

    • @user-jz3uy6ju6y
      @user-jz3uy6ju6y 9 місяців тому

      護衛機の大編隊が当たり前だと思っていた現地司令官。桜田門外の変の井伊直弼となんか。彦根藩家老はこのわずかな距離でも全力で当日の護衛人数を、と。公儀に決められていると断った井伊直弼。この二人死を覚悟していた。

    • @user-uc6ru2on8r
      @user-uc6ru2on8r 2 місяці тому

      つつぬけっつっても離陸時間だけ聴いて飛んでる飛行機に向かって一度も飛んだことない空域を燃料ギリギリの長距離の推測飛行でとらえるなんて天文学的な確率。
      機上レーダーもない時代だからインターセプトで上がっても敵機みつけられないとか普通なのにな

  • @user-hy5kl4iu5i
    @user-hy5kl4iu5i 6 місяців тому +3

    山本五十六連合艦隊司令長官機を撃墜されさぞかし護衛のゼロ戦6機の隊員は無念でならなかったでしょうね😂皆様のご冥福をお祈りいたします🙏😢😢😢😢😢😢

  • @user-zo7is1nr8n
    @user-zo7is1nr8n 9 місяців тому +6

    昭和45年前後、その年の1月の成人の日(昔はたしか15日だった)、柳谷氏は車で自宅から最寄りの駅まで吉村氏を迎えに行った。穏やかな陽光が降り注ぐ心地よい日だった。吉村氏は近づいてくる車を見て、すぐ「その車だ」と直感し手を挙げた。車はスムースに氏の前で止まった。車に乗り込むと柳谷氏の右手首が義手で、先端が丸いカギのようになっており、ハンドルに着けた丸い円筒形の突起を巧みに操り、とても義手によるものとは思えないほど運転は安定していた。それはまるで、南太平洋・ソロモン方面の激烈な戦闘を生き抜いてきた氏の力量を垣間見るようであった。車窓から見ると晴着を着た娘さんの姿も多くみられ街の風景は華やいでいた。
    柳谷氏は「息子も成人式のはずなんだかどこへ行ったんだか分からんのですよ」と笑っていた。子息さんは医大生とのことだった。
    以上、何回も何回も聴いた両氏の対談の内容を思い出すままに書きちらしたが、肝心の空戦の様子が思い出せない。ただ、柳谷氏によると「ほんの一瞬、ほんの一瞬ですけど我々の方が先に敵機に気づいたと思う」と強調しておられたのを記憶している。
    大事なカセットテープを紛失したのは残念の極みだが、この貴重な対談は『海軍甲事件』に生かされているはずだからもう一度読み返すのが一番かと思う。

  • @sorakohama758
    @sorakohama758 10 місяців тому +2

    南方諸島ではマラリアになった兵も多く、森崎中尉の体調不良は疲労以外にマラリアの影響もあったのかな?

  • @user-kd5uq7gh1e
    @user-kd5uq7gh1e 9 місяців тому +3

    50年くらい前、屋久島の一湊というところで鬼のような顔つきの大男と狭い道ですれ違った。男は大道を歩め、と怒鳴られた。
    その人はゼロ戦搭乗員の生き残りと、あとで聞いた。
    阿川弘之の本で山本五十六の護衛の6機の一人が、ご当地に住んでいるとあった。
    私がすれ違った人は、たぶんその人だったんだろう。

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  9 місяців тому

      うろ覚えの内容で失礼します。
      海軍甲事件にかかわられた屋久島出身の方は日高義巳上飛曹と一式陸攻2番機の搭乗員がおられたと記憶しています。
      一式陸攻で生き残られた方は、戦友会にも参加せず、屋久島でひっそりと暮らされた...といった話であったような。
      興味深いエピソード、ありがとうございます。

    • @user-zx4pu2rj1y
      @user-zx4pu2rj1y 8 місяців тому

      片手が無ければその人

  • @user-iq6cm4tx1t
    @user-iq6cm4tx1t 10 місяців тому +4

    山本長官は死に場所を探していた?
    何故出て逝ったか謎である。

  • @user-uq1jj3pu2c
    @user-uq1jj3pu2c 10 місяців тому +26

    今更ながらの話し、米軍に情報がダダ漏れでは話にもならず、護衛機も少ない論外だ。

  • @zab8302
    @zab8302 9 місяців тому +2

    山本五十六が、敗戦した日本軍にとってどういう人間であったのか、改めて詳らかにすればいいと思う。

  • @userTochan
    @userTochan 11 місяців тому +8

    政治や軍の上層部に感情に流されず、冷酷とも言える理性で戦争の開始や戦略、戦術を指導できる人がいれば惨めな敗北も無かっただろう。しかし今に至る迄日本人は情緒優先だね。日本人の未来はどうなるのだろうか?

    • @Seaza_Sr1
      @Seaza_Sr1 10 місяців тому

      政治や軍の上層部なんか国民の情緒の丸写しなんだから、あの国民やマスコミの代表では最初から無理な話だった
      近未来の戦争も大東亜戦争の時と同じ様に譲歩譲歩の後手後手で最悪の状態になってから(万全の準備体制の敵から攻撃された後で)準備する間もなく開戦すると思う。
      大東亜戦争の時には居なかった何百万という在日や帰化人の中国人や韓国人、朝鮮人が便意兵とその予備軍(戦時犯罪者)として国内にビッチリ潜んでるからなおさら不利だね

  • @shinyasatake1507
    @shinyasatake1507 3 дні тому

    AIに鍛えられて将棋初段になったから山本長官と将棋指してみてー→山本五十六元帥さん、26時間連続で将棋を指し続ける→艦船で観戦だけにしときます(滑)

  • @peesukeats7252
    @peesukeats7252 10 місяців тому +10

    二機の陸攻に護衛が、零戦たったの六機。そもそも無理でしょ?
    零戦六機のパイロットより上層部の責任のほうが重いと思います。

  • @user-rz8vx3jh6j
    @user-rz8vx3jh6j 10 місяців тому +3

    ブーゲンビリアは…○崎空港の愛称になっている…

  • @bonokiss798
    @bonokiss798 9 місяців тому +7

    一人生き残りが居たのは存じなかった。杉田一飛曹の死はかなり不運でした。最初に戦死した4名は、責任感の重責による半ば自決でしょうね
    でも、護衛を倍にしなかった海軍司令部の落ち度だと私は思いますよ。
    味方の制空圏下でも、一瞬の油断が死を招く戦場ですから

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  9 місяців тому

      "半ば自決,"海軍司令部の落ち度"
      私は...おっしゃる通りだとおもいます。他の方のコメントで思いましたが。
      山本長官が死に場所を...
      あったかもしれない。と思い始めています

    • @user-zx4pu2rj1y
      @user-zx4pu2rj1y 8 місяців тому

      杉田さんも無理を承知で離陸・・・部下を道連れにしたのはよろしくないが

  • @foch3676
    @foch3676 10 місяців тому +12

    6機は少な過ぎだよな。

    • @user-rk2ml6eq6o
      @user-rk2ml6eq6o 10 місяців тому +8

      草鹿任一、小沢治三両中将は護衛戦闘機6機では心もとない!俺たちのところから何機でも出す!司令部に言っていたそうですが、それが握りつぶされたんですよね。
      また、小沢中将は、山本長官の行動を逐一暗号電文で打電したことについて「何故、そんなバカな事をする!これでは、敵に長官を殺してくれというのも同じ!」と
      激怒されたそうですよ。

    • @foch3676
      @foch3676 10 місяців тому +1

      当時軍部の実権を握っていた者の多くが日本居残り組のエリート達で武官経験無いものが多く、逐一自分達の考えに水を差す 外国帰りのエリートを疎んじていたようです。特に陸軍ではこの傾向は酷く、無謀な作戦に意をとなえてくる帰国組を臆病者として蔑みました。この典型例が栗橋中将やインパールの柳田中将でした。山本長官は将兵達からの人気が絶大であったため、やむなく長官に指名された との証言もあるので、海軍の上層部でもそような山本長官が疎ましかったのでは、それ故の冷遇なのかもしれません。

  • @paipan39
    @paipan39 10 місяців тому +5

    映画化出来ないかな・・・。今の映像技術と当時の残存フィルムを織り交ぜて。

    • @e.178daoye5
      @e.178daoye5 10 місяців тому

      三船敏郎さんかな映画化されてテレビで見たな、六機の護衛戦闘機、単行本もあるよ。

  • @user-ib6nz9yr2r
    @user-ib6nz9yr2r 5 місяців тому +1

    くちゃくちゃ音どうにかなりませんか?
    気になって聞きたい話が集中できません⤵︎

  • @katsuhiroookubo630
    @katsuhiroookubo630 6 місяців тому +2

    私はこの事件を考えるたびに何故海軍連合司令部は護衛機を6機しか付けなかったのか、今で言えば要人護衛のセキュリティ意識が甘すぎると思うのです。そして長官機を撃墜された護衛機6機のパイロットの心情に、やはり護衛が甘かった安倍元首相の襲撃事件後の中村長官と鬼塚本部長の自責の念を重ねたくなったものです。6機のパイロットは名パイロットであり、その後も撃墜スコアを伸ばしたが、私には彼らが死を急いだように見える生き方に
    臣を守れなかったサムライの、死をもって失敗を償う責任感を見るのです。

  • @tcnm9862
    @tcnm9862 6 місяців тому +3

    護衛機が少なすぎて、長官を見殺しにしたとか思えない。

  • @user-bf3rx5dq4m
    @user-bf3rx5dq4m 6 місяців тому +2

    米軍に暗号解読されて待ち伏せされました。

  • @user-yr7rq3hp5d
    @user-yr7rq3hp5d Місяць тому

    全部戦闘の責任を取られての御戦死、

  • @user-yr7rq3hp5d
    @user-yr7rq3hp5d Місяць тому

    優秀な海軍、予科連のパイロットさん達の御戦死の責任、

  • @user-ho4kj7xl8q
    @user-ho4kj7xl8q 3 місяці тому

    上空から急降下で陸攻に襲いかかる敵機に旋回戦を誘っても無視され、陸攻を攻撃する。旋回性能の良い戦闘機では爆撃機の援護は出来ない。零戦で援護は無理です。柴田少佐の言う通り敵機を追いかけられない戦闘機は戦闘機ではない。ルンガ沖航空戦でも全く援護できなかった。

  • @user-zo7is1nr8n
    @user-zo7is1nr8n 9 місяців тому +2

    柳谷謙治氏と作家の吉村昭氏が昭和45年前に対談をしている。そのカセットテープを持っていたのだが紛失してしまった。

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  9 місяців тому

      興味ある私にとりましては、残念なお話です。

  • @yousetutarouyousetutarou87
    @yousetutarouyousetutarou87 9 місяців тому +1

    杉田さんが護衛に当たったのは紫電改などでわかりました。

  • @user-mj5ku7yz2q
    @user-mj5ku7yz2q 7 місяців тому +3

    乗機に 一式を選択した時点でアウト。
    せめて陸軍の隼とかね、海軍の彩雲とかで回れば良かったんだよ。

  • @user-yr7rq3hp5d
    @user-yr7rq3hp5d Місяць тому

    山本五十六連合艦隊司令長官は、もしかしたら日米開戦の責任を取られ御戦死なさられたのかも知れません、

  • @user-qt4gz4ck8j
    @user-qt4gz4ck8j 4 місяці тому +1

    ご冥福をお祈りします。
    靖国神社
    二礼二拍手一礼
    合掌🙏

  • @user-zk1md9vc2y
    @user-zk1md9vc2y 5 місяців тому +1

    100式司令偵察機か彗星艦上爆撃機で高速ですっとんで行くしかなかったのに…
    1式陸上攻撃機では足が遅すぎる。大将閣下の移動にはふさわしくなかった。

  • @takataka8545
    @takataka8545 10 місяців тому +43

    敗戦がわかっていた山本五十六は、死にたかったのでは…

    • @user-em8qp5iu9g
      @user-em8qp5iu9g 8 місяців тому

      そう思われても仕方が無い!明らかに自殺行為ですよ!一国を預かる人が誰が考えても軽率ですよ!

    • @user-bv4be3yn7g
      @user-bv4be3yn7g 7 місяців тому +7

      日本人のコメントとは思えません。ちゃんと日本の歴史を学んで下さい。知らないことは罪です‼️

    • @ShimizuNaotoOrigin
      @ShimizuNaotoOrigin 6 місяців тому +5

      知らない事は罪…
      その通りだな、海軍を神聖化してるから失敗を繰り返す

    • @user-qk6se2qw4w
      @user-qk6se2qw4w 6 місяців тому +2

      違うで。

    • @reikobrown6993
      @reikobrown6993 6 місяців тому +1

      知らないことは罪という方の見解が聞きたいね。私は「父山本五十六」というご子息の本を含め色々な本を読んだ。駐在武官として滞米経験のある山本はアメリカの国力を体の芯から知っていた。対米戦争に最後まで反対してたしミッドウェーまでにアメリカを叩かなきゃ勝ち目なしと踏んでたよ。死に場所を探してたっていう推測もマンザラ嘘じゃないさ。

  • @kazuyanakamoto732
    @kazuyanakamoto732 10 місяців тому +1

    防弾装備のない航空機に乗ったのはアッポーです。
    😂

  • @bio-cancer1903
    @bio-cancer1903 6 місяців тому +1

    6機の護衛機じゃ少なすぎる
    しかも相手は暗号解読して待ち伏せしてた相手
    撃墜された責任をこの6人に被せて、連日、出撃任務に付ける鬼畜の海軍
    全員、負傷するなり死亡して海軍は罰するの止めたらしいけど

  • @nippon.1
    @nippon.1 10 місяців тому +21

    山本五十六氏の自決飛行ね

    • @user-dl6vp3eg6d
      @user-dl6vp3eg6d 6 місяців тому +1

      確かに自決だと思います。
      しかも、戦死でなければなりませんでした。
      哀しいことです。

  • @user-yj9od9bc1q
    @user-yj9od9bc1q 10 місяців тому +12

    ミッドウェーもだけど、何でそんな事するん?
    みたいな事が後に重大な結果につながっている。
    勝負以前に日本人は戦下手すぎる…。

  • @32mack82
    @32mack82 2 місяці тому

    20機いたら守れたのでは。
    各機戦ったとはいえ、長官機を守らなければならないのては。
    飛曹ばかりでどうして将校の飛行士が予備中尉以外いなかったのでしょうか。緩みがあったのではないでしょうか。

  • @RYOUTYAN2011
    @RYOUTYAN2011 6 місяців тому +1

    現場は一流だったが・・・

  • @user-sk4rb7eh9u
    @user-sk4rb7eh9u 9 місяців тому +2

    6人の護衛パイロットは皆激戦地に送られて戦死されたとばかり思っていて勉強不足でした。真珠湾攻撃も開戦も全てアメリカに筒抜けだったことは本当に奇襲だったのか!?リメンバー広島、長崎といいたいが。

  • @weirdohsrodd
    @weirdohsrodd 8 місяців тому +1

    アメリカの正式な報告書いずれにも日本の護衛機一機撃墜と今だにありますね。
    このような史実があるにも関わらず。

  • @yuzich.7759
    @yuzich.7759 5 місяців тому +1

    認識不足と情報戦の敗北、海軍甲事件。その後の生き残り護衛兵の責任措置がいたたましい(>_

  • @user-gq2hz9ei9p
    @user-gq2hz9ei9p 6 місяців тому

  • @user-yr7rq3hp5d
    @user-yr7rq3hp5d 6 місяців тому +1

    敵、アメリカ🇺🇸軍機が待ち構えているのを知りながら山本五十六海軍長官は殺されでもいいと思って行かれたのだと思います、戦争の責任を取ったのだと思います、

  • @user-me7pd8xb3u
    @user-me7pd8xb3u 2 місяці тому +1

    やはり、日本は甘かったアメリカの通信技術が上をいってた‚すでに暗号がバレバレだった‚もう少し日本にも通信技術が優れたなら長官は助かっていた、やはり運命なのか!でももう少し長生きして欲しかった

  • @makotonezumi277
    @makotonezumi277 6 місяців тому

    普通はおとりを使うだろう?

  • @TT-lh2lg
    @TT-lh2lg 10 місяців тому +5

    20機つけていれば大丈夫だったと思うよ。山本さんは甘すぎた。

    • @Red_Ground
      @Red_Ground 10 місяців тому +2

      連日の出撃で疲れ切ってる搭乗員がいるからそれを気遣って6機で充分っておっしゃったんだよ。甘いとかそういうもんじゃないよ

    • @shinanomori
      @shinanomori 5 місяців тому

      角田和夫氏の零戦特攻に遠回しに理由が書いてあります。 バラレ基地ではなく近くのブイン基地に一泊してくれれば零戦は相当数いたそうです。 角田氏と先輩搭乗員が酔いに任せて参謀(源田参謀の子飼い)を殴った事件でブイン基地は避けられたと証言しております。

  • @user-jq5fx2me9e
    @user-jq5fx2me9e 11 місяців тому +5

    親父は陸軍少年飛行兵になりたがっていた。
    例の、藤沢周平さんも、そうだったらしい。
    して、長官機を操縦するは、地元、山形県、民田、出身と
    言ってましたが?はて、どうだろうな?
    それにしても、どうでもいい、視察で、死に場所を
    探していたんでしようねー。
    ある意味、卑怯者ですね。それで、いいけど。

  • @user-yy2in5di4z
    @user-yy2in5di4z 6 місяців тому +2

    ぼー読み

  • @h.yamazaki
    @h.yamazaki 5 місяців тому

    山本も死に場所を探していたのでしょう。

  • @kiyoshijinno3894
    @kiyoshijinno3894 9 місяців тому +2

    ミッドウェー海での失敗では更迭の対象にすべきだった人達の一人が、気か付けば国葬に遇されていた。
    アベノミクスの大失敗で国家に甚大な損害を与えた人達の一人が、気付くと国葬に遇されていた。

  • @user-vk8uu9nv7n18
    @user-vk8uu9nv7n18 10 місяців тому +6

    山本五十六は神ではない。驚いたことに戦闘機に積む機銃の射程距離を伸ばそうと言う案に
    反対し、「そんな奴は大和魂が足りない」と言う趣旨の発言をしている。大和魂で弾丸が遠くまで
    届くとでも言うのか。所詮は当時の愚かな軍人の一人に過ぎない。それでも開戦に反対し、東條と
    ぶつかったことだけは立派だと認める。

  • @user-zd3rq6vc2q
    @user-zd3rq6vc2q 7 місяців тому +1

    大尉はダイイ、零戦はレイセンと言ってあげて欲しかったです😢

    • @motohami3359
      @motohami3359 6 місяців тому

      そう、海軍だからね。陸軍とは違うんだよね。

  • @user-mz2bq8dm6q
    @user-mz2bq8dm6q 8 місяців тому +1

    吉村明の作品のパクリ?
    こういうのって著作権とか関係ないの?

    • @Inari_Japan
      @Inari_Japan  8 місяців тому +2

      参考文献は説明欄に載せてあります。吉村明さんの作品は読んでおりません。
      著作権に触れるような箇所があったのでしょうか?