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分かり易い解説で見やすいです
私の祖父は満鉄関連会社に勤めていました。家族はチチハルに住み、祖父はハイラルや満州里にも駐在しました。主に、関東軍将校の接待をしていたようでした。ノモンハン事件の時は、ハイラルで不眠不休で関東軍向け物資を手配、輸送したと聞いています。シベリア鉄道経由でドイツと日本を往復した陸軍将官や武官の接待もしたようで、将官がドイツで購入した高級カメラや鉄道模型、皮手袋などを家族と一緒に見せてもらった話も聞きました。北満のハイラルやチチハルには日本陸軍駐箚師団が置かれており、将校たちは兵舎ではなく、市街のレストランで洋食を好んで食べていたそうです。祖父はその洋食用食材をハルピンから取り寄せる仕事もしていたようです。
大変貴重なお話ありがとうございます。若者の私にとって、日本から遥か遠くの満州里やハイラルに80年前に暮らしていた日本人がたくさんいるという事実はなかなか信じられなかったんですが、黒竜江省の様々な都市を訪れて自分の目で当時の名残を見てようやく実感が湧いてきた気がします。その時代を知る方がどんどん減っていき、また歴史を伝えていくことが難しくなってきた今だからこそ、より若い世代にこの歴史を伝えられるよう尽力していきたいと考えています。
大変興味深いですね!いきなり私事ですが、2月下旬に香港からチチハルまで鉄道旅行をしようと考え、準備を進めていたところ貴動画をおすすめされ、拝見いたしました。実際の列車内の様子が良く感じられ、とても参考になりました。ありがとうございます!
なんとなんと。とてつもない長距離ですね。気温がかなり違いますので体調には十分お気をつけください。
@@China-dailylife2024 ありがとうございます!しっかり体調管理して楽しんできます!
積もる吹雪に 暮れゆく街よ渡り鳥なら つたえておくれ風のまにまに シベリアがらすここは雪国 満州里
1992年6月にハルビンから国際列車の乗って、ロシアに向かいました。満州里までの車窓の風景は最高でしたね。アヒルを散歩させている少女、池で水浴びしている農民たち、肥えた農地。この動画も昼間だったら、当時と比較できて良かったのに
コメントありがとうございます。現地の方が、ハイラルのあたりの夏の草原は本当に美しいとおっしゃっていました。列車の関係で夜間の通過となってしまいましたが、夏に満州里方面に行く機会があれば車窓に注目しようと思います。
中国語の表記でも、「満州」ではなく「満洲」ですね。
ご指摘ありがとうございます。実際に满洲里駅も中国ではさんずいのついた「洲」となっておりますし、歴史的にもその方が正しいと認識しております。ただ、基本的に中国の街や地名を日本語の常用漢字に置き換えて表記しているため、「満州」どの表記にご理解いただければ幸いです。
満州の様子の動画を有難うございました。寒くて、雪の多いカナダ在住者です。寒いのは、任せてください。😅 北米の、北緯49度は、一部を除いて(トロントと南西)アメリカとの国境です。日本でとても人気の都市バンクーバーがちょうど、49度ですが、此処だけは、一年中雨が多くて、雪はほとんど降りません。東に大西洋岸まで、大陸横断をすると豪雪地帯と超低温地帯です。-30℃の世界で、ほぼハルビンに近い冬です。ちなみに北緯55度のモスクワの方がカナダより暖かいです。なお、ボンバルディア社は、スノー・モービルから、始めたカナダの会社で、鉄道部門の本社をドイツに置いていました。過去形です。
カナダからご覧いただきありがとうございます。同じ緯度でも地域によって天候が異なるというのは大変興味深いですね。また、ボンバルディア社の話は恥ずかしながら初めてその歴史を知りました。興味深いお話ありがとうございます。
ご返信ありがとうございます。「満州」と聞くと、行った事が無くても、何故か懐かしい思いがします。2009年、12月末に北京へ行った時に、同じグループの半分はLCCで往復、1泊のハルビンの「氷の祭りプレビュー」に行き、私は北京に留まり、自由行動で、半日紫禁城を見学しました。翌日は天津へ、超特急で日帰りしました。私の祖父は、山梨県の教育委員会にいて、卒業生達の、満州開拓団の送り出しを勧めて敗戦後、命からがら引き上げてきた人達に、恨まれたようです。
分かり易い解説で見やすいです
私の祖父は満鉄関連会社に勤めていました。家族はチチハルに住み、祖父はハイラルや満州里にも駐在しました。
主に、関東軍将校の接待をしていたようでした。
ノモンハン事件の時は、ハイラルで不眠不休で関東軍向け物資を手配、輸送したと聞いています。
シベリア鉄道経由でドイツと日本を往復した陸軍将官や武官の接待もしたようで、
将官がドイツで購入した高級カメラや鉄道模型、皮手袋などを家族と一緒に見せてもらった話も聞きました。
北満のハイラルやチチハルには日本陸軍駐箚師団が置かれており、将校たちは兵舎ではなく、市街のレストランで洋食を好んで
食べていたそうです。祖父はその洋食用食材をハルピンから取り寄せる仕事もしていたようです。
大変貴重なお話ありがとうございます。若者の私にとって、日本から遥か遠くの満州里やハイラルに80年前に暮らしていた日本人がたくさんいるという事実はなかなか信じられなかったんですが、黒竜江省の様々な都市を訪れて自分の目で当時の名残を見てようやく実感が湧いてきた気がします。
その時代を知る方がどんどん減っていき、また歴史を伝えていくことが難しくなってきた今だからこそ、より若い世代にこの歴史を伝えられるよう尽力していきたいと考えています。
大変興味深いですね!
いきなり私事ですが、2月下旬に香港からチチハルまで鉄道旅行をしようと考え、準備を進めていたところ貴動画をおすすめされ、拝見いたしました。
実際の列車内の様子が良く感じられ、とても参考になりました。ありがとうございます!
なんとなんと。とてつもない長距離ですね。気温がかなり違いますので体調には十分お気をつけください。
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ありがとうございます!しっかり体調管理して楽しんできます!
積もる吹雪に 暮れゆく街よ
渡り鳥なら つたえておくれ
風のまにまに シベリアがらす
ここは雪国 満州里
1992年6月にハルビンから国際列車の乗って、ロシアに向かいました。満州里までの車窓の風景は最高でしたね。アヒルを散歩させている少女、池で水浴びしている農民たち、肥えた農地。この動画も昼間だったら、当時と比較できて良かったのに
コメントありがとうございます。
現地の方が、ハイラルのあたりの夏の草原は本当に美しいとおっしゃっていました。列車の関係で夜間の通過となってしまいましたが、夏に満州里方面に行く機会があれば車窓に注目しようと思います。
中国語の表記でも、「満州」ではなく「満洲」ですね。
ご指摘ありがとうございます。実際に满洲里駅も中国ではさんずいのついた「洲」となっておりますし、歴史的にもその方が正しいと認識しております。ただ、基本的に中国の街や地名を日本語の常用漢字に置き換えて表記しているため、「満州」どの表記にご理解いただければ幸いです。
満州の様子の動画を有難うございました。寒くて、雪の多いカナダ在住者です。寒いのは、任せてください。😅 北米の、北緯49度は、一部を除いて(トロントと南西)アメリカとの国境です。日本でとても人気の都市バンクーバーがちょうど、49度ですが、此処だけは、一年中雨が多くて、雪はほとんど降りません。東に大西洋岸まで、大陸横断をすると豪雪地帯と超低温地帯です。-30℃の世界で、ほぼハルビンに近い冬です。ちなみに北緯55度のモスクワの方がカナダより暖かいです。なお、ボンバルディア社は、スノー・モービルから、始めたカナダの会社で、鉄道部門の本社をドイツに置いていました。過去形です。
カナダからご覧いただきありがとうございます。同じ緯度でも地域によって天候が異なるというのは大変興味深いですね。また、ボンバルディア社の話は恥ずかしながら初めてその歴史を知りました。興味深いお話ありがとうございます。
ご返信ありがとうございます。「満州」と聞くと、行った事が無くても、何故か懐かしい思いがします。2009年、12月末に北京へ行った時に、同じグループの半分はLCCで往復、1泊のハルビンの「氷の祭りプレビュー」に行き、私は北京に留まり、自由行動で、半日紫禁城を見学しました。翌日は天津へ、超特急で日帰りしました。私の祖父は、山梨県の教育委員会にいて、卒業生達の、満州開拓団の送り出しを勧めて敗戦後、命からがら引き上げてきた人達に、恨まれたようです。