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字が綺麗でめちゃくちゃ見やすい
今回の解説は会心の出来で大変面白かったです。各藩が一枚岩でなかった事や、それぞれに政治的思惑満載で色々と動いていたことが良く分かりました。水戸しかり、薩摩しかり、彦根しかり。。。生存者たちのその後も知る事ができ勉強になりました。有難うございました。
解説、ありがとうございます。大河ドラマよりも、月曜日の解説動画楽しみにしてます。
学校の勉強では遠くの国の関係の無い話しと感じてましたが解説されると、それぞれに考えがあって今と変わらない事が実感できます
歴史や近代史の授業がこんな感じだったらもっと面白かったんだろうなあ
歴史が大の苦手ですが、なぜだか今回の大河は楽しく見ていて、もっと知りたくてこの動画に出会いました。大変勉強になり、もっと早く歴史の楽しさに気付きたかったくらいです。ありがとうございます。
名古屋おもてなし武将隊、前田慶次殿の動画『【青天を衝け】桜田門外の変のその後が茶番劇過ぎた。。。【日本史】【歴史】【青天を衝け】桜田門外の変のその後が茶番劇過ぎた。。。【日本史】』などでも解説されてましたが、大河により今まで知らなかったことが知れて勉強になりました。
待ってました!
脱藩浪士たちのその後、解説ありがとうございます😊護衛についた彦根藩士たちの処罰は5年後に行われ、切腹したのは当時重傷を負った藩士たち、軽傷だったり、逃亡した者は武士としての価値も無いとして斬首されたという説もあります。これならいっそのこと戦って死にたかったでしょうね🙁武士ってほんとキツイ仕事ですな
5万人突破おめでとうございます!“銀の盾”を掲げる日は近くはないかもしれませんが、決して遠くもない筈です。応援しています!!!
とても面白く視聴させてもらいました。歴史上の大事件でも、それに関わった人それぞれの思惑があり、その後の人生があり、やはり歴史は人間のドラマなんですね。
5万人超えましたね!!おめでとうございます。いつも見ております。簡潔でオモシロイ。
全ては大沢たかお主演の桜田門外の変という映画を見たら分かります。素晴らしい映画です。
「花の生涯」読みおわりました。私から見た直弼は風流人でした。多くの人の思惑が交差した事件だと思います❗私は今、花と咲き花と散った直弼の偉大さを知ったのも事実です。
かつての日本は、国の生き方や自分の生き方を本気で考えて生きていた。すごくパワフルな時代だと思う。
面白かった‼️👍️まさしく講談ですの👏
いつも有難うございます。
自分も歴史大好き人間だけどヘーそうなんだ、初めて知りました。ここまで詳しく知るのは相当突っ込んだ勉強しないと分かりませんね。
きっかけ、展開、結果へと、分かりやい説明を有難うございました。大河でどう描かれるか、楽しみです。鳥羽伏見の戦いで、慶喜が錦旗に逆らわず。彦根藩は、揺れながらも幕府を裏切る決断をする‥栄一のテーマから離れるから無理かな?
Thanks for uploading includes the latest discovery. Interesting!
よい。極めてよい。これから、応援します。頑張って下さい。
大変勉強になりました‼️☺️😺🙇ありがとうございました❗️
歴史で習っていた、桜田門外の変は、本当に表面をなぞっただけのものだと思い知らされました。今回詳しく知れて良かったです。しかし、井伊直弼を最初に仕留めたのが、刀ではなく拳銃だった事が一番意外でした。井伊直弼は悪いやつと思っていましたが、今回の動画で、彼も歴史に翻弄された一人で、日本をちゃんと愛していたんだなと分かりました。今回も分かりやすい動画をありがとうございました。
学校の歴史の授業でここまで詳しく話していたら、教科書終わらないし、受験に間に合わないよ(笑) 巷にあふれる「学校では教えてくれない〇〇」なんて本も、みんな当たり前のこと。
ですよねぇ。歴史の先生も、「全部やるのは無理。でも、文○省はやれって言うてくるねん。無理やっちゅうねん」とぼやいてはりました。
ピストルの話ってつい最近の研究で分かったのですよね。杵築藩の記録では確か触れられていなかったようです。やはり田舎の人間なのでピストルのことを知らなくて何があったかわからなかったのですかね。竜馬がピストルを持っていたとのことですが、当時どのくらいの人間がピストルというものを知っていたかなんて調べたら面白いかもしれません。杵築藩のお殿様は小藩といえども譜代ですから、幕府からなぜ井伊家に加勢しなかったのかと後で謹慎させられたとのこと。とんだとばっちりを受けた人もいるものです。大体物見遊山気分で江戸に来た藩士が本当に井伊家の行列を見物していたので何が起きたかわからなかったのでしょうね。
短筒(拳銃)は当時もあったけど国産銃は火縄銃で暴発率もケタ違いしかも鉄砲自体が禁制品(江戸)となればあまり広まらないのも無理はない護身用にしか使えないし竹光(模造刀)の方が全然役に立つw
それ以前に登城した大名はほとんどの家臣を門の前で待機させている。だから桜田門の前には登城済の大名の家臣が多数待機していた。それなのに誰も水戸浪士の襲撃を止めていない。それなのに杵築藩だけに貧乏籤を引かせるのはどうなんだ。そもそも、襲撃が終わった直後に紀州藩の行列が通過している。明らかに桜田門の前で戦いが起こっているのに巻き込まれたくないから様子見していた。
薩摩藩の卒兵上洛の経緯についての説明が分かりやすいです。ドラマでもこのあたりの説明が曖昧で水戸藩との連携などもはっきり描きませんね。
解説動画ありがとうございます。たしかに井伊直弼一人が悪者扱いされているように感じますね。安政の大獄のような反対派の大粛清もしましたし。
シ人に口なし
桜田門外の変は幕末を語る上で非常に重要なキーポイントにもかかわらず、関係者がその後どうなったかほとんど語られていないよな。
補足解説の動画、ありがとうございます!!面白かったです♪井伊直弼を守れなかった部下が切腹させられたの、かわいそうですね、、😭頑張っただろうに。
映画である程度の知識はあったので 解説は大変面白く聞くことが出来ました。
今、舟橋聖一の「花の生涯」読んでます‼ドラマでは、サラッとでも人物をフォーカスする事により面白く見られますね。直弼の首は井伊家側が死守したのでしょうか?
初代大河の原作ですね。花の生涯は見たことないので、時をみて視聴したいですね。井伊直弼の首ですが、次左衛門が途中で果てたので、首はその近くの別の藩が回収し、紆余曲折あって彦根藩に回収されたようです。
@戦国BANASHI 殿 大河にても「花の生涯」ご覧になられたきご様子。 が, 果たしてNHK大河ドラマ, 今だに残っておられましょうや❓
@@sengokubanashi ありがとうございます。又、楽しみにしています。歴史ってホントにおもしろいです。
この桜田門通り沿いの旧徳川家の土地を所有していた者です、この事件の当事者のその後にスポットを当てたのがとても新鮮でした、赤穂浪士の切腹した藩士達の子供達も島流しにされたので、掘り下げれば他にも懲罰があったかも知れませんねぇ‼️
ずっと知りたかったです😆日比谷図書館で途中になっていました。
いや~、面白かったです。それとボードに書かれた字の美しさ、どなたが書かれたのでしょうか。こんなに達筆なペン字を見たのは久しぶりです。~明治維新の闇、もっと見たいです。
官軍についたけれども、彦根はその後県庁所在地にはなれず県名にも名を残すことは無かった。井伊直弼への反感が作用したとも言われてますね。
他にも尾張、加賀も政府側だったのに城下町の名前を県名にできなかった。
加賀は官製県知事が赴任したら。県庁が金沢市でなく、根上町にされたりしました。
彦根藩は減封後、禁門の変と戊辰戦争の活躍で5万石まで加増されているのは面白い。さらに維新後は御三卿と同じ伯爵に列せられているので政治の表舞台にはでてこないけど、影響力はあった証ですね。
しかも更に面白いのが直弼の息子の正室の父親のいとこが徳川慶喜。正室の姉の夫が慶喜の兄の水戸十代藩主。
大沢たかおさん主演の映画ありましたよねー!
斉彬公が ご存命であったなら、また結果は 歴史は 変わっていたのかもしれない…。巡り合わせとか、藩や幕府の思惑とか…、複雑に絡み合っているのですね。
xD、m、 っっz、、、.,,?,,?, ? . . .,,.,.. . ,.. . .. . .. ,. .. . ... . . . ..
しかも斉彬の死は幕府が弱体化しているのにそれに気づかず幕府を恐れた父親の斉興が暗殺したという説がある。西郷が久光をあれだけこき下ろしていたのは久光が暗殺に関与していたと思っていたから。
浅田次郎の『柘榴坂の仇討』が面白いです これによると斬死1名/その場で自裁4名/近くの大名屋敷に自訴8名のち全員切腹/不明5名となってる
気になるはなしだった。今日の話の島津斉彬あたりの参考文献なにかいいのありませんか。斉彬ってどんなひとだったんだろう。
斉彬については、島津斉彬の思いと偉業(amzn.to/3mM7Ugl)に斉彬の書状を現代語訳したものがたくさん載っています。斉彬の書状を見ると、井伊直弼に対しては、無勅許調印と、将軍継嗣問題でそうとうムカついてることがわかります
ありがとうございます❗️水戸の烈公と通じるものがあった感がします。それを超える苛烈さか。
武士道さん 補足解説ありがとうございます!水戸脱藩浪士というのが何者か良く解りました。薩摩の有村雄助と次左衛門も水戸脱藩浪士に参戦したんですね。他のドラマでも必ずいるアマガッバの人は彦根藩の河西忠左衛門なのかぁ…そして 首を取ったのは有村の弟次左衛門…力尽きて自決したなんて壮絶過ぎる😭薩摩藩は そういう時 裏切るよねぇ😔会津藩も裏切って長州藩と組み 薩長同盟なんか作ったし😔なるほど 彦根が井伊直弼の死を隠したのは跡継ぎがいなかったからなのか…😒本当に桜田門外の変は 歴史の中で重要だったんですね。
なるほど、桜田門外ノ変と薩摩の上洛で、第一次維新戦争とも言うべき謀叛が画策されていたのですね。島津斉彬が幕府派に暗殺された説を考えるとまだ時が来ていなかったかと思いました
今も連載中の風雲児たち幕末編では幕府と敵対したくない父親島津斉興が暗殺したという説を唱えている。
首を取られてから死ぬまでの時間は井伊直弼が世界最長やろな。(記録上)
関鉄之介は、映画 桜田門外ノ変の大沢たかおがよかったです😭
いやめっちゃ分かりやすい!
いいですね。
井伊直弼のともをして直弼を守れなかった井伊家家臣のその後も紹介してください。
作家吉村昭書、[桜田門外ノ変]に詳しく書かれてありますね。また関鉄之介のストーリーでもあって、良い歴史小説ですね。
こんばんは!武士道さん『井伊直弼を斬った男達のその後』の解説、有り難う御座います 武士道さんの冒頭の挨拶、めちゃくちゃ受けました でも、当時の事件としては大きかったので😨😨😨『桜田門外の変』は、薩摩藩が、かなり大きな影響力だったのですね 徳川家定の継室も、篤姫で薩摩の出身だった訳だし…幕末の薩摩藩に大きな影響力を有した『誠忠組』は、西郷隆盛・大久保利通・有馬新七・村田新八・大山格之助などがいました ただ、ややこしい事に、彼ら自身が、そのように名乗った訳ではないようです 後の時代に命名されたもので、長州・土佐で言えば『松下村塾』『土佐勤王党』と似た感じになります『尊王思想』は、水戸学に始まったと武士道さんから教わり、大変いい学習が出来ましたが、幕末動乱で、際立った活躍を見せていた『水戸藩尊攘激派』は無くなってしまい、幕末・維新から姿を消してしまった事には残念な思いがしました藤田東湖、徳川斉昭と言う優秀な人物がいたのですが…時代は、解らないものですね😣😕😖
水戸藩自体は徳川家の分家だから御家騒動は避けたい総意やろけどね外様大名が黙って従う道理は無い実際 長州·薩摩·土佐···外様が暴れだすしw
水戸藩の幕末に興味があって色々調べました。水戸藩の尊攘派(天狗党)と門閥派の内部抗争は他藩に比べても、ものすごく苛烈で陰惨で家族も巻き込んで多くの人命が犠牲になっています。この間に優秀な人材は皆、尊攘派と、市川三左衛門率いる門閥派が殺し合いの結果、枯渇してしまい、維新を生き延びることは出来なかったんですね。維新後の旧水戸藩は薩摩などの新政府に牛耳られるしかなく、まとまな人材を出せませんでした。
@@whitysaz さんこんばんは!南さんは、茨城県の方ですかね?当時の水戸藩の状況、教えて下さり有り難う御座います藩内で、内部抗争があったのですね これだと確かに難しいですね
フィクションですが、浅田次郎「柘榴坂の仇討」がいいです。赤穂事件と並びやたらメディアが扱う歴史ネタですね。
彦根藩っていちはやく新政府側に寝返ったんで史実ではあれほど冷遇されてはいないんだよな。。。藩主は宮様と婚姻もしてるし若い次期藩主は意外とリベラルっぽい人だったし、
井伊家のその後が面白いんだよなぁ
斉彬も暗殺を考えてたんだ...知らなかった
ゾンビ直弼が登場の背景は跡取り問題よりも、大名行列の中を襲われて主君の首を取られる事自体が改易ものの話、だから直弼の首を探し体と縫い合わせ死んだ場所は屋敷の中で襲撃現場ではないと取り繕う必要が有った。 幕府も普代筆頭の井伊家を潰すわけにも行かずその茶番に付き合った。
だから菩提寺の直弼の墓の命日は全く別の日。
今でも加害側と被害側の県民仲が悪いとか何とか維新関連の内戦は根が深い
いろいろあったんですね。
関鉄之介とか襲撃首謀者の男たちの極刑は仕方ないにしても滝本いのとか直接襲撃に関わってない遊女までも犠牲になったのがちょっと気の毒。
それなのに本妻は身分が低かったから、妻として届けていなかったから見逃してもらえる謎理論。
彦根藩10万石減の前はどのくらいだったのでしょうか?解説いつも楽しみにしています。少6の息子もファンです。
それまではおよそ35万石と言われています。御三家である水戸藩に匹敵する石高だったわけですね。
@@sengokubanashi 3分の一減、厳しいですね。。返信頂き、有り難うございます!!
でも35万石の内5万石は幕府から預かった分。それでも水戸藩は実高は25万石しか無いのに御三家としてのみえから強引に高直しした結果。
縁あって最近、海江田信義について調べていました。「有村俊斎。かつて西郷らと精忠組に属した志士の生き残り。水戸藩藤田東湖の薫陶を受けた。実弟有村次左衛門は桜田門外で井伊直弼の首級を挙げたが追われ自害。同じく雄介も連座して藩命により自刃。次左衛門が継ぐはずだった日下部家に婿入り、その旧姓海江田を名乗った。島津久光の行列を妨げた外国人に家来たちが斬りかかった(生麦事件)おり、深手を負って落馬した英国人リチャードソンにとどめを刺したのが彼である。のち討幕軍参謀として江戸城受け取りの責任者となったほか、上野の山の戦いなどで大村益次郎と対立。大村暗殺の黒幕と噂されたためか、長州閥に疎まれ伯爵になれず。元老院議員、奈良県知事、貴族院議員など歴任した。」 この後、このドラマに登場するかは微妙なところ。
信義の末の弟の子孫が何故か彦根市長選挙に立候補した。だから当時の市長がそんな人間の子孫が市長になるべきでは無いとネガティブキャンペーンをした。結果全く別の人が市長になった。
彦根城が現在まで残っている理由が判りました、もっと歴史小説を読んでみようと思っています。
慶喜擁立工作をしてた西郷さんや月照さんも薩摩に帰れなくて、錦江湾に飛び込んだんですよね....おのれ久光ぅぅぅぅ!!
当時は久光では無く、斉彬と久光の父親斉興が健在で実権を握っていた。
河西忠左衛門今でゆうSPですね井伊直弼側の方がやられ放題だったと思ってた最強剣豪がいたんだ知らんかった河西さんかっこいい好きになったかも
幕府は脱藩したとはいえ御三家水戸藩徳川家を処断できず被害者であった彦根藩伊井家の石高を減らしてしまったため鳥羽伏見の戦いのあと譜代であるが幕府を見限り新政府側についてしまった幕府の落ち度。
質問です。島津斉彬が大久保ら誠忠組など井伊暗殺を謀る過激分子を容認していたといった内容でしたが本当ですか?その斉彬が病死した後、久光ではなくて違う名前の人が後継者になったと言われていましたが、あの人は誰なんですか?それと、映画「桜田門外の変」を見た時に疑問に思ったことですが、井伊直弼暗殺に蹶起した水戸藩脱藩浪士側の中には神主さんが何人かいたのですが、当時は藩士が神主を兼業していたのですか?それにしても神に仕える身の人がテロリストになるというのは理解に苦しむんですね。そしてその神主さんたちもおそらく生き延びることはなかったでしょうから、神社はあるじがいなくなったのでしょうね?
事を荒立てず穏やかに解決しましょう、という人たちを「穏健派」とは言うが「穏便派」とは言わない。「穏便」という言葉自体はあるけどね。
大老は江戸城内で住んでいたと思ってましたが、間違いですかねー⁉️通勤で毎日、籠に乗って通っていたのでしょう❓
広い意味での江戸城内に武家屋敷があり、そこで生活&仕事をしてます。桜田門外の変が起きたときは、ひな祭りのイベントのため、江戸城”本丸”へ登城していたので大名行列だったわけで、毎日籠に乗って行列を作っていたわけではないです。
@@sengokubanashi なるほどー。疑問が解決して今晩はゆっくり寝れそうです。毎週、為になる動画と今回のご返信ありがとうございます😊また楽しみにしてます。
薩摩藩が絡んでたのは知りませんでした。水戸藩って、利用された感が悲しいですね。
薩摩の目的は天下を奪う事。薩摩弁が人為的に作られた言語である事。幕府からの監視の目をかわすのが目的。 初期の島津家が朝鮮からの渡来人だったとする事実。常に血の気が多いのが薩摩人の特徴。下剋上の習性は朝鮮の遺伝子に因るもの。薩摩人の多い官僚社会には未だに続く下剋上精神。男尊女卑も朝鮮時代からの文化。以下諸々。
事実よりおもしろいことはありませんね。
あっちゃんなんかより聴きやすかった斎藤一も警察官になってたし
不祥事で入院する人もいるって言うのに、殺されても生きてることにされる人もいるんだなあ
司馬遼太郎「暗殺」、吉村昭「桜田門外ノ変」、等に詳しいです。
15:32 確か新撰組の(局中法度ではなく)軍中法度も隊長がやられたら隊士は切腹 だったのですごく大変な時代だったんだなと思いました
逃亡に成功した五人のうち、確か一人は、捕まって、検分される前に、あまりの憎らしさのあまり、捕縛した与力に切り殺されたとか。
桜田門外ノ変の後は映画になってます。
そうなんだよね、死んだ藩士は桜田殉難八士として豪徳寺に墓があるけど生き残った負った傷の具合に応じて処分があり藩士の家族迄も処分されたみたいだね。
死んだ人は無罪で、重症・軽症・逃げた人・報告しに行った人はみんな切腹または死罪だった。
@@subuya428 重傷は幽閉じゃなかったっけ。
靖国神社の元宮には松平容保以下42名が祀られてその中には桜田烈士も含まれているはずです!福羽美静が明治政府に内緒で祀ったと記憶します。
A級戦犯と同じ
昔、父から聞いた話ですが、家の先祖が桜田門の事件に関与していたらしいです。父も亡くなり、真偽のほどはわかりませんが、まあ直系ではないでしょう。
痛手を負いながら堀沿いに首を持って逃げてたところも解説して欲しかったです。
彦根藩が幕府に不信感を持っていたことを示す具体的なエピソードはありませんか?幕府内でも特に家康に近しい家柄の人たちが、かような扱いで黙っていたはずが無いので‥
大老の供回りをしていながら主君を討たれるというのは、腹を切れるだけでもマシなのだろうなぁ。
確か、死亡した者は跡継ぎの家督が認められたけど、重傷は幽閉、軽傷が切腹、無傷が斬首だった。
井伊直弼はあんまり好きじゃないけど井伊直政は大好き!!
ななきかなかねなかなききかなかなかねねねなかなかなかにしてかねなかなきかなかにかなきかたかたにてにか
本題とは関係ないが、字がうまいね!
確か供回りは逃げて実質守ったののは彦根藩士7,8名で襲撃犯は20名弱で鉄砲もあり。その他の駕籠かきはたちは逃げた後どうなったのだろうか?供回りは全員切腹斬首なんだけどね(まあ、主君置いて逃げたんだから。駕籠かきは単なる雇われ人だとおもうし)
安政の大獄を主導した井伊直弼だが、水戸殿 (徳川斉昭)を怒らせてしまい、恐ろしくて夜も寝付けないと側近に洩らしている、そしてその予感は的中した。
薩摩藩「井伊を暗殺するでごわす。」篤君「あいちゃ~😞💦」
こんにちは!薩摩藩と篤姫のやり取り、面白いですね🤣頓知が上手いですね!👏
2010年の佐藤純彌監督、吉村昭原作『桜田門外ノ変』や浅田次郎原作、若松節朗監督『柘榴坂の仇討』という映画がありますね。
薩摩が幕府と戦うには兵3000は少な過ぎると思います。倒幕は過激派の願望であって、後の文久の政変のように勅使迎えて幕政介入を狙ったのかも、兵はその護衛。
こんばんは!その兵の件は、私も気になりWikipediaで調べて見ました藩兵5000人を率いて、抗議の為、上洛する事を計画したとありました なので、3000人は間違いですね
Wikipediaの情報はあんまり信用しないようがいいですよ。こちらはちゃんと参考文献から引用してますので。↑のコメントの柏原さんの言う通り3000という兵の数は、戦争をするためというよりは、朝廷への圧力と護衛ですね。政治改革を行うための尖兵です。その先には大規模な戦争(鳥羽伏見の戦いのような)があったかもしれないという話です。
@@sengokubanashi さんこんにちは!有り難う御座います また一つ、いい勉強になりました
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
斉彬は倒幕までの発想はなかったでしょう、それまで公武合体、雄藩連合で幕政関与を目指していたんだから。上洛→示威運動→井伊直弼失脚が最終目標だったと思いますよ。
桜田門外の変。教科書は桜田門外のテロに変えましょう。
そういえば今日泉岳寺行ってきたわってあれは吉良かww時代も違うしw
三船プロ作品『侍 Samurai.Assassin.1965』
近江藩江戸屋敷と桜田門までたったの5百メートルぐらいしか離れていないのやから映画ほど近江藩側はそんなに危機感はなかったと思うぞ😂
蜘蛛の子を散らすよに、逃げていった中間(ちゅうげん)と言われた者達は、処分を受けたのだろうか
この解説見てから、計画段階から処刑まで史実に忠実に時間を追って作られた、大沢たかお主演『桜田門外ノ変』を見ると面白さが増す不勉強で映画を先に観るとつまらない💦
水戸藩士の、子孫ですが、先祖伝来の話ですが、講釈氏の、話には?
今の日本を、この時代の志士はどう思うのかな・・
ガビに首を撃ち切られた直後のエレン状態だったという事ですな。
岸田も誰か切ってくれないかな?
明治維新と警察官かぁ。。。
夷狄に暗殺されたんですよね?!
サムネ村山コウタかおもた
字が綺麗でめちゃくちゃ見やすい
今回の解説は会心の出来で大変面白かったです。各藩が一枚岩でなかった事や、それぞれに政治的思惑満載で色々と動いていたことが良く分かりました。水戸しかり、薩摩しかり、彦根しかり。。。生存者たちのその後も知る事ができ勉強になりました。有難うございました。
解説、ありがとうございます。大河ドラマよりも、月曜日の解説動画楽しみにしてます。
学校の勉強では遠くの国の関係の無い話しと感じてましたが
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今と変わらない事が実感できます
歴史や近代史の授業がこんな感じだったらもっと面白かったんだろうなあ
歴史が大の苦手ですが、なぜだか今回の大河は楽しく見ていて、もっと知りたくてこの動画に出会いました。大変勉強になり、もっと早く歴史の楽しさに気付きたかったくらいです。ありがとうございます。
名古屋おもてなし武将隊、前田慶次殿の動画『【青天を衝け】桜田門外の変のその後が茶番劇過ぎた。。。【日本史】【歴史】【青天を衝け】桜田門外の変のその後が茶番劇過ぎた。。。【日本史】』などでも解説されてましたが、大河により今まで知らなかったことが知れて勉強になりました。
待ってました!
脱藩浪士たちのその後、解説ありがとうございます😊護衛についた彦根藩士たちの処罰は5年後に行われ、切腹したのは当時重傷を負った藩士たち、軽傷だったり、逃亡した者は武士としての価値も無いとして斬首されたという説もあります。これならいっそのこと戦って死にたかったでしょうね🙁武士ってほんとキツイ仕事ですな
5万人突破おめでとうございます!
“銀の盾”を掲げる日は近くはないかも
しれませんが、決して遠くもない筈
です。応援しています!!!
とても面白く視聴させてもらいました。
歴史上の大事件でも、それに関わった人それぞれの思惑があり、その後の人生があり、やはり歴史は人間のドラマなんですね。
5万人超えましたね!!おめでとうございます。いつも見ております。簡潔でオモシロイ。
全ては大沢たかお主演の桜田門外の変という映画を見たら分かります。
素晴らしい映画です。
「花の生涯」読みおわりました。
私から見た直弼は風流人でした。
多くの人の思惑が交差した事件だと思います❗
私は今、花と咲き花と散った直弼の偉大さを知ったのも事実です。
かつての日本は、国の生き方や自分の生き方を本気で考えて生きていた。すごくパワフルな時代だと思う。
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いつも有難うございます。
自分も歴史大好き人間だけどヘーそうなんだ、初めて知りました。ここまで詳しく知るのは相当突っ込んだ勉強しないと分かりませんね。
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大河でどう描かれるか、楽しみです。
鳥羽伏見の戦いで、慶喜が錦旗に逆らわず。
彦根藩は、揺れながらも幕府を裏切る決断をする‥栄一のテーマから離れるから無理かな?
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歴史で習っていた、桜田門外の変は、本当に表面をなぞっただけのものだと思い知らされました。
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しかし、井伊直弼を最初に仕留めたのが、刀ではなく拳銃だった事が一番意外でした。
井伊直弼は悪いやつと思っていましたが、今回の動画で、彼も歴史に翻弄された一人で、日本をちゃんと愛していたんだなと分かりました。
今回も分かりやすい動画をありがとうございました。
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ですよねぇ。
歴史の先生も、「全部やるのは無理。でも、文○省はやれって言うてくるねん。
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やはり田舎の人間なのでピストルのことを知らなくて何があったかわからなかったのですかね。
竜馬がピストルを持っていたとのことですが、当時どのくらいの人間がピストルというものを知っていたかなんて調べたら面白いかもしれません。
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とんだとばっちりを受けた人もいるものです。大体物見遊山気分で江戸に来た藩士が本当に井伊家の行列を見物していたので何が起きたかわからなかったのでしょうね。
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初代大河の原作ですね。花の生涯は見たことないので、時をみて視聴したいですね。
井伊直弼の首ですが、次左衛門が途中で果てたので、首はその近くの別の藩が回収し、紆余曲折あって彦根藩に回収されたようです。
@戦国BANASHI 殿
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ありがとうございます。
又、楽しみにしています。
歴史ってホントにおもしろいです。
この桜田門通り沿いの旧徳川家の土地を所有していた者です、この事件の当事者のその後にスポットを当てたのがとても新鮮でした、赤穂浪士の切腹した藩士達の子供達も島流しにされたので、掘り下げれば他にも懲罰があったかも知れませんねぇ‼️
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いや~、面白かったです。それとボードに書かれた字の美しさ、どなたが書かれたのでしょうか。こんなに達筆なペン字を見たのは久しぶりです。~明治維新の闇、もっと見たいです。
官軍についたけれども、彦根はその後県庁所在地にはなれず県名にも名を残すことは無かった。
井伊直弼への反感が作用したとも言われてますね。
他にも尾張、加賀も政府側だったのに城下町の名前を県名にできなかった。
加賀は官製県知事が赴任したら。県庁が金沢市でなく、根上町にされたりしました。
彦根藩は減封後、禁門の変と戊辰戦争の活躍で5万石まで加増されているのは面白い。さらに維新後は御三卿と同じ伯爵に列せられているので政治の表舞台にはでてこないけど、影響力はあった証ですね。
しかも更に面白いのが直弼の息子の正室の父親のいとこが徳川慶喜。正室の姉の夫が慶喜の兄の水戸十代藩主。
大沢たかおさん主演の映画ありましたよねー!
斉彬公が ご存命であったなら、また結果は 歴史は 変わっていたのかもしれない…。巡り合わせとか、藩や幕府の思惑とか…、複雑に絡み合っているのですね。
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しかも斉彬の死は幕府が弱体化しているのにそれに気づかず幕府を恐れた父親の斉興が暗殺したという説がある。西郷が久光をあれだけこき下ろしていたのは久光が暗殺に関与していたと思っていたから。
浅田次郎の『柘榴坂の仇討』が面白いです これによると斬死1名/その場で自裁4名/近くの大名屋敷に自訴8名のち全員切腹/不明5名となってる
気になるはなしだった。今日の話の島津斉彬あたりの参考文献なにかいいのありませんか。斉彬ってどんなひとだったんだろう。
斉彬については、島津斉彬の思いと偉業(amzn.to/3mM7Ugl)に斉彬の書状を現代語訳したものがたくさん載っています。
斉彬の書状を見ると、井伊直弼に対しては、無勅許調印と、将軍継嗣問題でそうとうムカついてることがわかります
ありがとうございます❗️
水戸の烈公と通じるものがあった感がします。それを超える苛烈さか。
武士道さん 補足解説ありがとうございます!
水戸脱藩浪士というのが何者か良く解りました。
薩摩の有村雄助と次左衛門も水戸脱藩浪士に参戦したんですね。
他のドラマでも必ずいるアマガッバの人は彦根藩の河西忠左衛門なのかぁ…
そして 首を取ったのは有村の弟次左衛門…力尽きて自決したなんて壮絶過ぎる😭
薩摩藩は そういう時 裏切るよねぇ😔
会津藩も裏切って長州藩と組み 薩長同盟なんか作ったし😔
なるほど 彦根が井伊直弼の死を隠したのは跡継ぎがいなかったからなのか…😒
本当に桜田門外の変は 歴史の中で重要だったんですね。
なるほど、桜田門外ノ変と薩摩の上洛で、第一次維新戦争とも言うべき謀叛が画策されていたのですね。島津斉彬が幕府派に暗殺された説を考えるとまだ時が来ていなかったかと思いました
今も連載中の風雲児たち幕末編では幕府と敵対したくない父親島津斉興が暗殺したという説を唱えている。
首を取られてから死ぬまでの時間は井伊直弼が世界最長やろな。(記録上)
関鉄之介は、映画 桜田門外ノ変の大沢たかおがよかったです😭
いやめっちゃ分かりやすい!
いいですね。
井伊直弼のともをして直弼を守れなかった井伊家家臣のその後も紹介してください。
作家吉村昭書、[桜田門外ノ変]に詳しく書かれてありますね。また関鉄之介のストーリーでもあって、良い歴史小説ですね。
こんばんは!武士道さん
『井伊直弼を斬った男達のその後』の解説、有り難う御座います 武士道さんの冒頭の挨拶、めちゃくちゃ受けました でも、当時の事件としては大きかったので😨😨😨
『桜田門外の変』は、薩摩藩が、かなり大きな影響力だったのですね 徳川家定の継室も、篤姫で薩摩の出身だった訳だし…
幕末の薩摩藩に大きな影響力を有した『誠忠組』は、西郷隆盛・大久保利通・有馬新七・村田新八・大山格之助などがいました ただ、ややこしい事に、彼ら自身が、そのように名乗った訳ではないようです 後の時代に命名されたもので、長州・土佐で言えば
『松下村塾』『土佐勤王党』と似た感じになります
『尊王思想』は、水戸学に始まったと武士道さんから教わり、大変いい学習が出来ました
が、幕末動乱で、際立った活躍を見せていた『水戸藩尊攘激派』は無くなってしまい、幕末・維新から姿を消してしまった事には残念な思いがしました
藤田東湖、徳川斉昭と言う優秀な人物がいたのですが…
時代は、解らないものですね😣😕😖
水戸藩自体は徳川家の分家だから
御家騒動は避けたい総意やろけどね
外様大名が黙って従う道理は無い
実際 長州·薩摩·土佐···外様が暴れだすしw
水戸藩の幕末に興味があって色々調べました。水戸藩の尊攘派(天狗党)と門閥派の内部抗争は他藩に比べても、ものすごく苛烈で陰惨で家族も巻き込んで多くの人命が犠牲になっています。この間に優秀な人材は皆、尊攘派と、市川三左衛門率いる門閥派が殺し合いの結果、枯渇してしまい、維新を生き延びることは出来なかったんですね。維新後の旧水戸藩は薩摩などの新政府に牛耳られるしかなく、まとまな人材を出せませんでした。
@@whitysaz さん
こんばんは!南さんは、茨城県の方ですかね?当時の水戸藩の状況、教えて下さり有り難う御座います
藩内で、内部抗争があったのですね これだと確かに難しいですね
フィクションですが、浅田次郎「柘榴坂の仇討」がいいです。赤穂事件と並びやたらメディアが扱う歴史ネタですね。
彦根藩っていちはやく新政府側に寝返ったんで史実ではあれほど冷遇されてはいないんだよな。。。藩主は宮様と婚姻もしてるし若い次期藩主は意外とリベラルっぽい人だったし、
井伊家のその後が面白いんだよなぁ
斉彬も暗殺を考えてたんだ...
知らなかった
ゾンビ直弼が登場の背景は跡取り問題よりも、大名行列の中を襲われて主君の首を取られる事自体が改易ものの話、だから直弼の首を探し体と縫い合わせ死んだ場所は屋敷の中で襲撃現場ではないと取り繕う必要が有った。 幕府も普代筆頭の井伊家を潰すわけにも行かずその茶番に付き合った。
だから菩提寺の直弼の墓の命日は全く別の日。
今でも加害側と被害側の県民仲が悪いとか何とか
維新関連の内戦は根が深い
いろいろあったんですね。
関鉄之介とか襲撃首謀者の男たちの極刑は仕方ないにしても滝本いのとか直接襲撃に関わってない遊女までも犠牲になったのがちょっと気の毒。
それなのに本妻は身分が低かったから、妻として届けていなかったから見逃してもらえる謎理論。
彦根藩10万石減の前はどのくらいだったのでしょうか?解説いつも楽しみにしています。少6の息子もファンです。
それまではおよそ35万石と言われています。御三家である水戸藩に匹敵する石高だったわけですね。
@@sengokubanashi 3分の一減、厳しいですね。。返信頂き、有り難うございます!!
でも35万石の内5万石は幕府から預かった分。それでも水戸藩は実高は25万石しか無いのに御三家としてのみえから強引に高直しした結果。
縁あって最近、海江田信義について調べていました。「有村俊斎。かつて西郷らと精忠組に属した志士の生き残り。
水戸藩藤田東湖の薫陶を受けた。実弟有村次左衛門は桜田門外で井伊直弼の首級を挙げたが追われ自害。同じく雄
介も連座して藩命により自刃。次左衛門が継ぐはずだった日下部家に婿入り、その旧姓海江田を名乗った。島津久
光の行列を妨げた外国人に家来たちが斬りかかった(生麦事件)おり、深手を負って落馬した英国人リチャードソンに
とどめを刺したのが彼である。のち討幕軍参謀として江戸城受け取りの責任者となったほか、上野の山の戦いなどで
大村益次郎と対立。大村暗殺の黒幕と噂されたためか、長州閥に疎まれ伯爵になれず。元老院議員、奈良県知事、貴
族院議員など歴任した。」 この後、このドラマに登場するかは微妙なところ。
信義の末の弟の子孫が何故か彦根市長選挙に立候補した。だから当時の市長がそんな人間の子孫が市長になるべきでは無いとネガティブキャンペーンをした。結果全く別の人が市長になった。
彦根城が現在まで残っている理由が判りました、もっと歴史小説を読んでみようと思っています。
慶喜擁立工作をしてた西郷さんや月照さんも薩摩に帰れなくて、錦江湾に飛び込んだんですよね....
おのれ久光ぅぅぅぅ!!
当時は久光では無く、斉彬と久光の父親斉興が健在で実権を握っていた。
河西忠左衛門今でゆうSPですね井伊直弼側の方がやられ放題だったと思ってた最強剣豪がいたんだ知らんかった河西さんかっこいい好きになったかも
幕府は脱藩したとはいえ御三家水戸藩徳川家を処断できず被害者であった彦根藩伊井家の石高を減らしてしまったため鳥羽伏見の戦いのあと譜代であるが幕府を見限り新政府側についてしまった幕府の落ち度。
質問です。島津斉彬が大久保ら誠忠組など井伊暗殺を謀る過激分子を容認していたといった内容でしたが本当ですか?その斉彬が病死した後、久光ではなくて違う名前の人が後継者になったと言われていましたが、あの人は誰なんですか?
それと、映画「桜田門外の変」を見た時に疑問に思ったことですが、井伊直弼暗殺に蹶起した水戸藩脱藩浪士側の中には神主さんが何人かいたのですが、当時は藩士が神主を兼業していたのですか?それにしても神に仕える身の人がテロリストになるというのは理解に苦しむんですね。そしてその神主さんたちもおそらく生き延びることはなかったでしょうから、神社はあるじがいなくなったのでしょうね?
事を荒立てず穏やかに解決しましょう、という人たちを「穏健派」とは言うが「穏便派」とは言わない。「穏便」という言葉自体はあるけどね。
大老は江戸城内で住んでいたと思ってましたが、間違いですかねー⁉️通勤で毎日、籠に乗って通っていたのでしょう❓
広い意味での江戸城内に武家屋敷があり、そこで生活&仕事をしてます。桜田門外の変が起きたときは、ひな祭りのイベントのため、江戸城”本丸”へ登城していたので大名行列だったわけで、毎日籠に乗って行列を作っていたわけではないです。
@@sengokubanashi
なるほどー。疑問が解決して今晩はゆっくり寝れそうです。毎週、為になる動画と今回のご返信ありがとうございます😊また楽しみにしてます。
薩摩藩が絡んでたのは知りませんでした。
水戸藩って、利用された感が悲しいですね。
薩摩の目的は天下を奪う事。
薩摩弁が人為的に作られた言語である事。幕府からの監視の目をかわすのが目的。
初期の島津家が朝鮮からの渡来人だったとする事実。
常に血の気が多いのが薩摩人の特徴。下剋上の習性は朝鮮の遺伝子に因るもの。薩摩人の多い官僚社会には未だに続く下剋上精神。
男尊女卑も朝鮮時代からの文化。以下諸々。
事実よりおもしろいことはありませんね。
あっちゃんなんかより聴きやすかった
斎藤一も警察官になってたし
不祥事で入院する人もいるって言うのに、殺されても生きてることにされる人もいるんだなあ
司馬遼太郎「暗殺」、吉村昭「桜田門外ノ変」、等に詳しいです。
15:32 確か新撰組の(局中法度ではなく)軍中法度も隊長がやられたら隊士は切腹 だったので
すごく大変な時代だったんだなと思いました
逃亡に成功した五人のうち、確か一人は、捕まって、検分される前に、あまりの憎らしさのあまり、捕縛した与力に切り殺されたとか。
桜田門外ノ変の後は映画になってます。
そうなんだよね、死んだ藩士は桜田殉難八士として豪徳寺に墓があるけど生き残った負った傷の具合に応じて処分があり藩士の家族迄も処分されたみたいだね。
死んだ人は無罪で、重症・軽症・逃げた人・報告しに行った人はみんな切腹または死罪だった。
@@subuya428
重傷は幽閉じゃなかったっけ。
靖国神社の元宮には松平容保以下42名が祀られてその中には桜田烈士も含まれているはずです!福羽美静が明治政府に内緒で祀ったと記憶します。
A級戦犯と同じ
昔、父から聞いた話ですが、家の先祖が桜田門の事件に関与していたらしいです。父も亡くなり、真偽のほどはわかりませんが、まあ直系ではないでしょう。
痛手を負いながら堀沿いに首を持って逃げてたところも解説して欲しかったです。
彦根藩が幕府に不信感を持っていたことを示す具体的なエピソードはありませんか?
幕府内でも特に家康に近しい家柄の人たちが、かような扱いで黙っていたはずが無いので‥
大老の供回りをしていながら主君を討たれるというのは、腹を切れるだけでもマシなのだろうなぁ。
確か、死亡した者は跡継ぎの家督が認められたけど、重傷は幽閉、軽傷が切腹、無傷が斬首だった。
井伊直弼はあんまり好きじゃないけど井伊直政は大好き!!
ななきかなかねなかなききかなかなかねねねなかなかなかにしてかねなかなきかなかにかなきかたかたにてにか
本題とは関係ないが、字がうまいね!
確か供回りは逃げて実質守ったののは彦根藩士7,8名で襲撃犯は20名弱で鉄砲もあり。その他の駕籠かきはたちは逃げた後どうなったのだろうか?供回りは全員切腹斬首なんだけどね(まあ、主君置いて逃げたんだから。駕籠かきは単なる雇われ人だとおもうし)
安政の大獄を主導した井伊直弼だが、水戸殿 (徳川斉昭)を怒らせてしまい、恐ろしくて夜も寝付けないと側近に洩らしている、そしてその予感は的中した。
薩摩藩「井伊を暗殺するでごわす。」
篤君「あいちゃ~😞💦」
こんにちは!薩摩藩と篤姫のやり取り、面白いですね🤣
頓知が上手いですね!👏
2010年の佐藤純彌監督、吉村昭原作『桜田門外ノ変』や浅田次郎原作、若松節朗監督『柘榴坂の仇討』という映画がありますね。
薩摩が幕府と戦うには兵3000は少な過ぎると思います。倒幕は過激派の願望であって、後の文久の政変のように勅使迎えて幕政介入を狙ったのかも、兵はその護衛。
こんばんは!その兵の件は、私も気になりWikipediaで調べて見ました
藩兵5000人を率いて、抗議の為、上洛する事を計画した
とありました なので、3000人は間違いですね
Wikipediaの情報はあんまり信用しないようがいいですよ。こちらはちゃんと参考文献から引用してますので。
↑のコメントの柏原さんの言う通り3000という兵の数は、戦争をするためというよりは、朝廷への圧力と護衛ですね。政治改革を行うための尖兵です。
その先には大規模な戦争(鳥羽伏見の戦いのような)があったかもしれないという話です。
@@sengokubanashi さん
こんにちは!有り難う御座います また一つ、いい勉強になりました
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
斉彬は倒幕までの発想はなかったでしょう、それまで公武合体、雄藩連合で幕政関与を目指していたんだから。上洛→示威運動→井伊直弼失脚が最終目標だったと思いますよ。
桜田門外の変。教科書は桜田門外のテロに変えましょう。
そういえば今日泉岳寺行ってきたわってあれは吉良かww時代も違うしw
三船プロ作品『侍 Samurai.Assassin.1965』
近江藩江戸屋敷と桜田門までたったの5百メートルぐらいしか離れていないのやから映画ほど近江藩側はそんなに危機感はなかったと思うぞ😂
蜘蛛の子を散らすよに、逃げていった中間(ちゅうげん)と言われた者達は、処分を受けたのだろうか
この解説見てから、
計画段階から処刑まで史実に忠実に時間を追って作られた、大沢たかお主演『桜田門外ノ変』を見ると面白さが増す
不勉強で映画を先に観るとつまらない💦
水戸藩士の、子孫ですが、先祖伝来の話ですが、講釈氏の、話には?
今の日本を、この時代の志士はどう思うのかな・・
ガビに首を撃ち切られた直後のエレン状態だったという事ですな。
岸田も誰か切ってくれないかな?
明治維新と警察官かぁ。。。
夷狄に暗殺されたんですよね?!
サムネ村山コウタかおもた