Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
嫌われたけど、滅私奉公を実践した人らしいですね。国のために自分の財産を拠出したらしい。ほとんど財産が残らなかったとか。
何か誤解があるようで、大久保利通は先見力があった、出身藩に関係なく個人の能力を見出してくれた。それに最後まで西郷の事を気に掛けていたいたんだよ。西郷もそれを理解していたみたいで。世の中に伝わっている事と正反対みたい。自分の先祖も大久保利通に見出されてから伊藤博文も言っていたように出身藩に関わらず能力のあるものは登用してくれた。台湾問題で一緒に北京会談に呼ばれた行ってきたけど・・・。そこでも他人(自分の先祖の意見)の話しに耳を傾てくれた。事実と世の中の一般に言われているのとは雲泥の差があるね。悪役なんてとんでもない事。歴史は子孫の話に耳を傾けないとね。
人間的魅力や西南戦争での自決などから西郷さんが圧倒的人気かも知れませんが、嫌われ者にされながらもきちんと実務をこなし明治政府の基盤を築いたのは大久保だと思うので、私はむしろ大久保利通のほうが好きです。…外っ面ばかり気にし、実は大して仕事してないという輩が最近多いので余計そう思います
あの大混乱期に必要なことをやりぬいた本当の偉人ですよね。大久保がいなかったら崩壊していたのも間違いないですから。私も大久保は心から尊敬しています。
私の中で大久保さんは翔ぶが如くの鹿賀丈史さんでした、最近大久保と違いまして悪くかかず立派な政治家なイメージでした、あと鹿賀丈史さんなので凄いかっこいいですw
西田敏行さんが西郷隆盛でしたね。
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
三英傑のもう1人「木戸孝允」は田中健さんでした。ビンコー(敏行)さんと健さんは、2006年大河「功名が辻」でもご共演でした。
林隆三さんが勝海舟、隆盛の弟従道(信吾)を緒方直人さんが演じていました。林隆三さんと緒方直人さんはこの2年後「信長ーKING OF ZIPANGー」で織田信秀・信長父子役で共演しています。
「西郷どん」では鹿賀丈史さんが島津斉彬・久光の父親である島津斉興役で、西田敏行さんが西郷隆盛の息子菊次郎役で出演してましたね。
大久保公は厳しい態度から嫌われ者な所もありますが。私腹を肥やすような事はなく、国家に有意な事業に採算なく出資して、寧ろ借金があったり。台湾出兵の外交交渉で、琉球は日本に帰属すると清に認めさせたりと、清廉で有能な人物であったと擁護しておきます。
借金も、主に政策の為の予算の不足分をかつての同志たちから借りていたとか。
仰るとおりだと思います。私腹を肥やさす、公共事業の不足分を私財をなげうって補填したとか。少なくとも愛妾を何人も囲っていた伊藤博文や渋沢栄一、公金を湯水の如く贅沢三昧に使った井上馨と比ぶべくもない、清廉潔白な人物だったと思います。
一方、孫の大久保利春は「ロッキード事件」で逮捕されてます。「じいさん(利通)にあわせる顔がない」が彼の口癖だったようです。
大久保は英雄ではない。国家そのものだ。
最近知ったのですが、麻生太郎自民党副総裁は大久保利通の子孫なんですね。彼が吉田茂の孫というのはよく知られていますが、吉田茂の夫人は大久保利通の孫娘なのです。
責任感の塊なんだよなぁこの人…
大久保利通、好きというか、支持してるけどな政策や仕事は間違ってないと思うし、私腹をこやしたわけじゃないし、個人的には西郷より大久保派ですけど、少数派なんだろうなあ
むしろ大きな借金を作ったんだよね。公共事業に私費を投じて明治政府は汚職まみれだったというのに偉人中の偉人
まあどんな形であれ、西郷と大久保の退場は不可避だったと思います。慶喜が幕府を終わらせて、大久保は自らも含め700年の武士支配に始末をつけた。
大久保利通は意図的に「嫌われ役」になったのであって、根っこは優しい人だったんじゃないかと思います。従者の中村太郎の存在がそれを裏付けている。大久保利通が主役の大河ドラマやって欲しいな。
鹿賀丈志さんの翔ぶが如くで大久保利通好きになりました。彼は国家の為に私情を捨てることのできた人だと思います。ただ江藤新平の写真の件は見せしめとしたのだろうけど不平士族の火に油を注いだのかなと思ってしまう。後、彼は捨て子に中村太郎と名付けて従者にするなど非情な人ではなかったとおもう。
「翔ぶが如く」では、西郷隆盛(西田敏行さん)の妻の糸さん(田中裕子さん)が夫に大久保への思いを問いただすと、隆盛が「江藤(新平)どんへの仕打ちは余りにも惨かったが、あの時江藤どんを厳罰に処さなければ、全国の不平士族たちが図に乗って、あちこちで反乱を起こしただろう」と一定の理解を示していました。
家族にはとても優しく、子煩悩な父親だったみたいですね。息子さんの回想を読んだ限りでは。
人脈を上手く使って成り上がったのに、その人脈が次第になくなり孤立無援のような状態にまでなってしまうと思うと、なんか虚しいですね。実直すぎた、ということでしょう。
鹿児島で郷中教育を受けた世代です。大久保さん、たしかに子どもの頃は不人気でした。その名を出すな、というくらいの雰囲気がありました。でも、精忠組のリーダー格になるような人ですので、情もあり、全体を見渡せ、常に正しい判断を導こうとする人だったと思います。あと、人格的にそこまで嫌われるような人であれば、薩摩で成人することはむずかしかったかもしれません(笑)。現代の価値観でみれば、「情をおろそかにして実利を優先させたがゆえに殺された」と表面的な話になるのは仕方ないかもしれませんが、国を作るとはどういうことかを性根の底に叩き込み、それが決まればあとは知らぬという、いかにもこの人も薩摩の武士だったと思います。
大久保利通は物語の中では、脇役が多いので、どんな人かがイマイチ分かって無かったのですが、解説してもらえてよかったです。脇役の解説、これからも楽しみにしてます。ありがとうございました😊
大久保利通の解説待ってました😀
詳しく解説して下さってありがとうございます。
何年か前に事件現場の清水谷に行き、道路沿いの公園に大きな碑が建てられていましたが、雑草がかなり繁っていてあまり地元の方の手入れはされていない印象受けました😅
戦国Banashiさん、西郷隆盛の盟友だった大久保利通卿を掘り下げた解説ありがとうございました。
あくまであるあるですが、大久保利通が好きな人は、石田三成も好きだと思う。それぞれ、使命感がとても強く目的達成のためなら非情になれるため、それが人に冷たくうつり同僚や部下、世論からの人望がなかったのでは。ちなみに二人とも生活は質素だったそうです。
同感です。
確か俳優の鹿賀丈史さんが、この両方の役を大河ドラマ(石田三成「徳川家康(1983年)」 大久保利通「翔ぶが如く(1990年)」)で演じていましたね。
誤解されて「嫌われた」から「メチャクチャ激しく凄まじく憎まれた」悲しい人でした。
内務卿って今の総理大臣ですよね。初代は伊藤博文ではなく、大久保利通だと思ってます。
だとしたら襲撃した石川士族は唯一の現職総理大臣暗殺で死刑になった連中。原敬暗殺犯は13年で恩赦で釈放されて1980年まで生きているし、犬養毅を暗殺した軍人は全員数年で出所している。
前回の前島密氏は、実際に大久保の暗殺直後、駆けつけてその惨状を書き残してます。:(;゙゚'ω゚'):実際に遺体を見た前島密(ひそか)は「肉飛び骨砕け、又頭蓋裂けて脳の猶微動するを見る」と壮絶な表現をしています。
大久保が凶変な倒れる1カ月程前に、前島密は、大久保から奇妙な話を聞いたようですね「実は昨夜、奇夢を見た」と次のように語ったようです「何故か、西郷と断崖の上で殴り合いをしており、二人して抱き合いながら崖下に転落したすると自分の頭蓋が破れ、脳が微動するのを見ている自分がいた 実に不思議な夢だ」奇夢が現実になった訳だから、話を聞いた前島密は、ゾクッとした事でしょうねぇ
大久保利通が暗殺された場所、現在のホテルニューオオタニの裏手の清水谷公園の中に大きな哀悼碑が立っています。当時を思い起こさせるかのように、あたりには鬱蒼とした木が茂っています。
江藤新平の回も楽しみにしてます。
江藤新平は大久保利通に目を付けられたのでしょうね。
こんばんは!今の栄一の上役の井上馨を特集してほしいです!
…諸説ありますが,これほど日本国を思う葛藤の時期は,なかったと思います…。「大久保さん・西郷さん」は表裏一体,富国強兵を推進した,大久保さん。不平不満の武士階級を滅亡させる,西郷さん。この両輪があり「近代国家・日本国」の礎を成しえたのではないでしょうか…?
学校の社会では誰が誰やらごちゃごちゃでホント苦手だったけど、ひとりひとりの解説有難いです。ちなみに大隈の佐賀弁はよぉわかるばってん、大久保の薩摩弁はいっちょんわからんです😅
今の世こそ大久保のような政治家が欲しいね💕
今でいうグローバリスト 中国は上手くやっているように見えるけどなぁ。開国するのに外国人を甘く見過ぎたんじゃない。外国人がただで手伝ってくれる訳ないと思わなかったのか
西郷さん贔屓だった鹿児島生まれの亡き父でしたが「大久保が居なかったらいまの政治はなかった」と言ってました。ドラマでの扱いはどうも・・・・亡くなった時西郷さんの手紙を読んで居たと聞きますし。あえて嫌われ役なったのかも
この方、まだ若いのに歴史をかなり勉強されてますね。話し方も上手です。あっぱれ‼️
嫌われ者だけど改革者として評価する❗
江藤新平の佐賀の乱は、大久保利通が早急に鎮圧した。ある意味すごい戦いでした。裁判も大久保利通が担当したとか!!有名な言葉は、江藤消臭対し成りと江藤新平を批判する言葉を残した人だからあまり大久保利通を評価出来ないねなにげに??🤔👍
大久保は西郷を遠ざけた事で民衆からの人気を失ったその時点で大久保の運命は決まった気がする
この度も分かりやすい解説有難う御座います∠( ̄^ ̄)「板垣退助が何藩」とか話の中にも説明を入れて貰えて 詳しくない人にも分かりやすくぶっしーのそういう所が優しくて いいんです( ‘-^ )b
大久保利通が襲われたときに使っていた馬車が、岡山県倉敷市のお寺にあるそうです。一度訪れてみたいです。ただ、なぜここにあるのか教えていただきたいです。
あの暗殺時、乗っていた馬車は『五流尊龍院』にあるようですね あの馬車は、大久保利通の遺族が供養の為に奉納したものと本で読みました あの馬車は、英国製で同じ薩摩藩出身の五代友厚からの贈り物だそうです
世の中が変わる時って、最初に立ち上がった人たち(幕末で言えば、吉田松陰や佐久間象山)は早々に斃れ、その弟子にあたる第二世代が事を成し遂げる(同・西郷・大久保・木戸ら)。ただ、役目が終わると次々退場。結局、第三世代(第二世代の部下)が出世して、おいしいところを持っていく(山縣や伊藤…伊藤は朝鮮で暗殺されるが)といった構図になるようですね。
大久保利通は凄い政治家だったと思うので、正直いつも悪役にされて可哀想内務卿の部屋は緊張感のある粛然とした職場であったそうだし、上がってくる案件の決済も決してなあなあにはしなかったとのこと大久保亡きあとは、政府は空気はゆるくなり堕落したという人もいたとか日本の成長のために私財を投じ、死亡時にはこれによる借金が凄かったとかこのような日本史上稀有な政治家に対して、あまり知られないどころか器の小さい悪役扱いはあまりな仕打ちではなかろうかと思うのですよ
のちの人間たちに、都合の良い話にされてしまったのでしょうね。しかし、真実は埋もれないと思います。私の中では、初代総理は、大久保さんです。
@@くま-r9n 大久保さんの一番弟子が初代内閣総理大臣です。素晴らしい師匠(上司)だったようです。
武士でありながら文官肌で、真面目で有能なんだけど周囲からの反発も多いというのは石田三成と共通するところがあるかもしれませんね
それと梶原景時や本多正純とも共通点がありますね
三成と異なるところは、他の藩出身の部下にも尊敬されていたところ。筆頭は伊藤博文。
大久保利通像の文字を故意で右にずらしたのなら悲しい…冷酷にみえて西郷が島流しされた時に尽力したり根は友達思いのいいやつだと勝手に思ってるw
それも彼の本心のひとつだった、ただ日本のために顔で冷たく腹で泣いて、だったのでしょう。
大久保利通尊敬しています
考えてみれば、政府の最高指導者が出勤途中に惨殺されるって、桜田門外の変と全く同じですよね。しかし、一方は国を衰退させる一撃になり、一方は国がそのまま発展していくのだから、政治は本当に難しいです。
大久保利通は、伊藤博文を筆頭に多くの人材育成も行っていたから、そのまま発展したのです。
汚職はせず利殖に励むことなく個人名義で国の借金肩代わりしてたりと、政治家としては理想的といえるけど、上司にしたいかと言われたらお断りしたい。
歴史上の人物で言えば、梶原景時、石田三成、本多正純のタイプになりますか。
一番弟子とも言える伊藤博文の言葉を見れば、大久保の部下に対する接し方がわかりますよ。非常に部下思いですよ。暗殺時に伊藤博文が非常に悲しんだそうです。
西郷は大久保の視野の広さについていけなかった。近代日本の礎は大久保にあります。
ビスマルクの解説はアルノが至高
大久保利通は死後も帰郷を許されなかったんですよね。薩摩の英雄であった西郷吉之助を自害に追い込んだ事、薩摩を蔑ろにした事が原因で。
他のサイトでは、大久保の内容がすくなかったのであざっス!勉強なります
西郷、木戸、大久保ら維新第1世代は明治10年までにほとんど死んでしまい、伊藤、大隈、黒田、山県、桂ら第2世代に引き継がれ、彼らが20世紀初の対外戦争デビューまでリードする。維新第一幕と第二幕で最初から役割分担があったみたいで興味深い。
「過ぎたるは尚及ばざるが如しと言うが、私は過ぎたるは尚及ばざるに如かずと言いたい」
征韓論の後の、木戸大久保が袂を分かつ原因になった台湾出兵に触れて欲しかったですね。木戸vs大久保を始めると、致命的に大久保の保守性、後進性、抑圧的体質がストレートに出るから難しいのかな?ここに大久保の政策的な一貫性を感じないんですよ。
台湾出兵は主権国家として当たり前のことをしただけな。
職場の先輩は明治だけでなく大正生まれでも自我が強かった。
司馬遼太郎さんの翔ぶが如くを読むと明治において西洋に追いつかなくてはの焦りを感じる。特に彼が変わったは岩倉と欧州視察に帰ってからかもしれない。帰って来て半年間、官邸にも来なかった事も謎ではあるし佐賀の乱においては江藤新平が東京の裁判で真実を述べると言うのを否定し彼を長崎で斬首、全権を手に入れその後西南戦争につながる訳だが、しかし彼の功績は西南戦争から亡くなるまでの間光る物もある、制台論においてはわざわざ北京にまで出向き外交を成立させたりと。しかし大久保は生前海外の要人を招く時の為借金で洋館を建てたのだが、彼の死後家族はその借金で大変苦労したらしい。ある意味大久保は薩摩の土方歳三と見ている。日本を西洋の如く強くする為には友たる西郷も罠にはめざるおえない。
乃木希典なんてやってください
間違いなく時代が送り込んできた偉人暗殺された後、自分名義の凄い額の借金が残っていたが、全て国の為に使っていた。
ホワイトボードの各項目ごとに発生年とその時の年齢があると分かりやすいと思います。
「嫌われ正助の一生」でしたね…
座布団3枚!
上司いたら疲れそうで困るけど、彼の清廉潔白な所は今の日本の政治家に見習って欲しい。
鹿児島の、ある会社の応接室に、為政清明 甲東 の額を見たのを思い出しました。西郷隆盛で云うと 敬天愛人 南州 みたいな。40年位前のことです。
良く聞かしてもらっています。私は高齢者ですのでもう少しゆっくり話してくれたら助かります。
右上の縦3つの点々の設定から再生速度を遅くすればゆっくりになりますよ。0.75倍速にするだけで結構違います。
大久保政権は独裁的であったかもしれませんが、独裁政権とまでは言えませんね。あくまで合議制ですそれに独裁政権最初の仕事は議会を潰すことですが、彼の政権はむしろ議会政治の導入を目指していました
明治天皇自身は大久保利通のことをどう思っていたんだろう?🤔西郷隆盛が亡くなった時に「西郷を殺せなんか言ってないぞ」って深く哀しみ木戸孝允が病気で重篤になった時は心配して自ら見舞いに行ったらしい大久保利通にはそういったエピソードがないからよく分からない
初めて見ますが西暦に加え元号を、生誕箇所は明確に残っていますね。下級武士とは言いながら立派な武家「全国10%以下、鹿児島藩は、ある書では20%前後と異常数値」の出、故に国主に近付ける機会を得ています。概略として面白いですね。彼は利発-行動力があり命を掛けた政治家「何もしないのが政権安定、が改革無し」です。バラエティーとしても面白いです。
地元からも滅茶苦茶嫌われているって、どんな偉人なんでしょうね。
維新三傑のうち大久保利通ほど実像が曲げられた政治家はいないと思う。今回の大河ドラマもそれに基づいて描写されているのは残念。後に大久保利通の部下になる伊藤博文の言葉。「桂さんは出身藩閥のことを気に過ぎだし、部下に対する接し方もよくない。(今でいうパワハラ)しかし、大久保さんは、出身派閥のことを気にしないし、部下に優しく指導してくれる。」大久保暗殺後、その一番弟子である伊藤博文が、その後の明治を創ったところをみればそれがわかる。征韓論争から西南戦争までの経緯により、地元鹿児島で嫌われたことが、誤解の大きな原因なのかもしれない。
その伊藤博文も出身藩閥を気にしない人材登用してるところから考えてマジで伊藤博文は出身藩閥優遇は良くないと思ってたんだな。
武家の出ではない、というのもあるのかな?長州のボス木戸サンを差し置き、大久保卿に懐く俊輔(伊藤)であった
伊藤・山縣・大隈といった有能官僚が最終的に揃いも揃って大久保派になってるもんね。序盤は木戸派だったけど。伊藤山縣は長州だから当然か
日本史授業は明治以降はいつもざっくりで教科書読んどけだったので大久保利道は新時代の恩人と思っていました 西郷さんより尊敬してましたが正しかったのですね👀‼️74才👵
カメラとか何かソフト変えました!?いつもよりもすごく動きが滑らかな気がします!
今度は伊藤博文の話し聞いてみたいです🤔
非常に簡潔でわかりやすいものでした。ペリーさんが来て以来日本は目覚ましい発展(これまでは井の中の蛙で身内でごたごたして互いに殺しあったりしましたが)を遂げましたね。特に岩倉使節団が国のことを留守にして長期にわたっていろんな国を見学?してようやく自分の足元を見れるようになりましたね。なるほどね!そこで工業に力を入れ新橋から鉄道引いたり造船に力を入れたりして遠方の島島を日本に帰属させたり力が有り余ったりして廃藩置県後これまで殿さまにぶら下がった人達ちが職を失い(西南戦争後)外に向けたわけですね。なるほどね!残念なことに
今でこそ、5500本の美しい松林で有名な堺市の浜寺公園も当時は新田開発のため松が伐採されまくる悲惨な状態1873年(明治6年)大久保利通が当地を訪れ、約850本にまで減少してしまった姿に「何てむごい・・」と堺県令の税所篤に働きかけ、伐採を停止させる。そして同年、1873年(明治6年)12月に日本最古の公立公園として開園。大久保さんを語るのならば、この辺りのエピソードくらい入れてもらわんとなんとも寂しいスね~~( ^ω^)・・・
ありがとうございます
いつもわかりやすい解説で勉強になります。伊藤博文を解説してほしいです。朝鮮を植民地ではなく数年後には朝鮮の人達に返そうという思想を持っていたというのは本当でしょうか??解説宜しくお願いします(((^-^)))
その伊藤博文の師匠(上司)が大久保利通です。
そりゃあ、、西郷さん🔴して自分だけ漁夫の利取るのは、冷飯食いの士族が許さないでしょ?
るろうに剣心で知りました。”天剣”の宗次郎君の初登場でしたね。
大久保利通の玄孫はるろうに剣心の読者でもある。そしてつい最近まで副総理兼財務大臣だった人である。
登録しました。期待してます。
大久保利通さんのひ孫が麻生太郎さんだそうですね、
大久保さんが生きていたら我々も西洋人的な感性になっていたかも。
大久保利通は囲碁の勝負で激しやすい人だったそうですが、久光の側近として随行していた生麦事件では飛び出していかなかったのでしょうか。また、私生活では西洋風に染まっていて、毎週親戚で昼食会をしていたとか。超多忙なのに不思議。
7:29の所ですが…使節団の目的は、不平等条約の改正にあったとありますね この部分、最近の研究では誤認であったみたいですよ
全ての問題をほったらかして海外に出た岩倉使節団。
大久保利通が嫌われ者だったと言いますが、その孫の大久保利春は、とうとう牢屋に入れられて「明治の元勲・大久保利通の孫がこのザマか」と嘲笑されましたね。例のロッキード疑惑の丸紅ルートで、破滅したんすよ。
バズ狙いの歴史解釈では見えないモノがあるのかなと改めて思いました。
大久保利通→伊藤博文によって近代化が勧められたことにもなるのであと10年長生きできていたら日本近代化の父と評価されてもいたかも知れない
ヘビースモーカー…
大久保利通は今の日本ハムの監督新庄剛志に似てたんだな
青山霊園にある大久保利通の墓が荒れ放題で不憫。大久保家は没落しちゃったのかね。逆に三島通庸の墓はデカすぎるだろ。
西郷の朝鮮派遣が一度決まってから、岩倉使節団が帰国するんじゃなかったでしたっけ?
確かに髭がすごい!どうつながってるかわからない髭。高橋ユキヒロさんが一番似てる。
재밌네요 일본역사
たまにはロケも良きだが解説動画の方が良き。
ビスマルクはフランスではなくドイツですね
大久保はやってることは嫌なヤツだけど、いいヤツだったんだろうな。
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
自分の私費で国家予算をたてかえいたとか今の政治家tお反対
今でも鹿児島では大久保は不人気。西南戦争が一番の原因で、大河ドラマ「西郷どん」などの創作物や教育の影響もあると思う西郷さんと呼ぶ人は大勢いるけど、大久保さんと呼ぶ人はほとんどいない。鹿児島でも大久保利通は大久保利通呼び
しかし、政府の要人の中心人物だつたのに、馬車の前後に重装備の警護兵を配備しなかつたのが悔やまられる!
暗殺した旧加賀藩士、松江藩士のこと詳しく知りたい。
これに関しては、大久保利通への斬奸状という犯行予告が新聞各社に撒かれたが、警視庁の川路総監は「石川県士族なんかにできるわけがない!!大久保利通を斬れるのは西郷隆盛だけだ!!」と思っていたがために警護要員をつけなかった。石川県士族を甘く見たが結果、川路は進退伺いを出すくらい重く受け止めたそうです。この事件での心労なのか翌年の欧州視察中に発症した病い倒れ帰国して数日後に亡くなっている。
上司(藩主)と仲良くなる釣りバカ日誌方式ですね
この人も慶喜と直接話して欲しかったただただ倒幕に策士、もったいない。
今でも鹿児島では、西郷は郷土の誇り、神様。反して大久保は嫌われている。薩摩武士らしくない策士。西南戦争の半年間、一度も表に出ず戦地の九州にも来なかった。残念。
しっかりした史観で発信して下さい。歴史を遊びにしないで、未来を建設しましょう。社会は大変ですよ。
大久保が殺害された後、あれほどの権勢をふるっていたのだからさぞかし溜めこんでいるだろうとみられていた。ところがほとんど蓄財らしい物も無く驚かれたと言われている。
喋りが速すぎて聞き取りにくい。もう少し落ち着いて喋って下さい。
実はこの偉人結構好きだったんだけどTwitterで大久保利通のアイコンの人が暴言を吐いていて苦手になった
そして薩摩藩と土佐藩と長州藩と同盟を結んだそして天皇陛下を祭り上げた
嫌われたけど、滅私奉公を実践した人らしいですね。国のために自分の財産を拠出したらしい。ほとんど財産が残らなかったとか。
何か誤解があるようで、大久保利通は先見力があった、出身藩に関係なく個人の能力を見出してくれた。それに最後まで西郷の事を気に掛けていたいたんだよ。西郷もそれを理解していたみたいで。世の中に伝わっている事と正反対みたい。自分の先祖も大久保利通に見出されてから伊藤博文も言っていたように出身藩に関わらず能力のあるものは登用してくれた。台湾問題で一緒に北京会談に呼ばれた行ってきたけど・・・。そこでも他人(自分の先祖の意見)の話しに耳を傾てくれた。事実と世の中の一般に言われているのとは雲泥の差があるね。悪役なんてとんでもない事。歴史は子孫の話に耳を傾けないとね。
人間的魅力や西南戦争での自決などから西郷さんが圧倒的人気かも知れませんが、嫌われ者にされながらもきちんと実務をこなし明治政府の基盤を築いたのは大久保だと思うので、私はむしろ大久保利通のほうが好きです。…外っ面ばかり気にし、実は大して仕事してないという輩が最近多いので余計そう思います
あの大混乱期に必要なことをやりぬいた本当の偉人ですよね。
大久保がいなかったら崩壊していたのも間違いないですから。
私も大久保は心から尊敬しています。
私の中で大久保さんは翔ぶが如くの鹿賀丈史さんでした、最近大久保と違いまして悪くかかず立派な政治家なイメージでした、あと鹿賀丈史さんなので凄いかっこいいですw
西田敏行さんが西郷隆盛でしたね。
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
三英傑のもう1人「木戸孝允」は田中健さんでした。
ビンコー(敏行)さんと健さんは、2006年大河「功名が辻」でもご共演でした。
林隆三さんが勝海舟、隆盛の弟従道(信吾)を緒方直人さんが演じていました。林隆三さんと緒方直人さんはこの2年後「信長ーKING OF ZIPANGー」で織田信秀・信長父子役で共演しています。
「西郷どん」では鹿賀丈史さんが島津斉彬・久光の父親である島津斉興役で、西田敏行さんが西郷隆盛の息子菊次郎役で出演してましたね。
大久保公は厳しい態度から嫌われ者な所もありますが。私腹を肥やすような事はなく、国家に有意な事業に採算なく出資して、寧ろ借金があったり。台湾出兵の外交交渉で、琉球は日本に帰属すると清に認めさせたりと、清廉で有能な人物であったと擁護しておきます。
借金も、主に政策の為の予算の不足分をかつての同志たちから借りていたとか。
仰るとおりだと思います。
私腹を肥やさす、公共事業の不足分を私財をなげうって補填したとか。
少なくとも愛妾を何人も囲っていた伊藤博文や渋沢栄一、公金を湯水の如く贅沢三昧に使った井上馨と比ぶべくもない、清廉潔白な人物だったと思います。
一方、孫の大久保利春は「ロッキード事件」で逮捕されてます。
「じいさん(利通)にあわせる顔が
ない」が彼の口癖だったようです。
大久保は英雄ではない。国家そのものだ。
最近知ったのですが、麻生太郎自民党副総裁は大久保利通の子孫なんですね。彼が吉田茂の孫というのはよく知られていますが、吉田茂の夫人は大久保利通の孫娘なのです。
責任感の塊なんだよなぁこの人…
大久保利通、好きというか、支持してるけどな
政策や仕事は間違ってないと思うし、私腹をこやしたわけじゃないし、個人的には西郷より大久保派ですけど、少数派なんだろうなあ
むしろ大きな借金を作ったんだよね。公共事業に私費を投じて
明治政府は汚職まみれだったというのに
偉人中の偉人
まあどんな形であれ、西郷と大久保の退場は不可避だったと思います。慶喜が幕府を終わらせて、大久保は自らも含め700年の武士支配に始末をつけた。
大久保利通は意図的に「嫌われ役」になったのであって、根っこは優しい人だったんじゃないかと思います。
従者の中村太郎の存在がそれを裏付けている。
大久保利通が主役の大河ドラマやって欲しいな。
鹿賀丈志さんの翔ぶが如くで大久保利通好きになりました。彼は国家の為に私情を捨てることのできた人だと思います。ただ江藤新平の写真の件は見せしめとしたのだろうけど不平士族の火に油を注いだのかなと思ってしまう。後、彼は捨て子に中村太郎と名付けて従者にするなど非情な人ではなかったとおもう。
「翔ぶが如く」では、西郷隆盛(西田敏行さん)の妻の糸さん(田中裕子さん)が夫に大久保への思いを問いただすと、隆盛が「江藤(新平)どんへの仕打ちは余りにも惨かったが、あの時江藤どんを厳罰に処さなければ、全国の不平士族たちが図に乗って、あちこちで反乱を起こしただろう」と一定の理解を示していました。
家族にはとても優しく、子煩悩な父親だったみたいですね。息子さんの回想を読んだ限りでは。
人脈を上手く使って成り上がったのに、その人脈が次第になくなり孤立無援のような状態にまでなってしまうと思うと、なんか虚しいですね。
実直すぎた、ということでしょう。
鹿児島で郷中教育を受けた世代です。大久保さん、たしかに子どもの頃は不人気でした。その名を出すな、というくらいの雰囲気がありました。でも、精忠組のリーダー格になるような人ですので、情もあり、全体を見渡せ、常に正しい判断を導こうとする人だったと思います。あと、人格的にそこまで嫌われるような人であれば、薩摩で成人することはむずかしかったかもしれません(笑)。
現代の価値観でみれば、「情をおろそかにして実利を優先させたがゆえに殺された」と表面的な話になるのは仕方ないかもしれませんが、国を作るとはどういうことかを性根の底に叩き込み、それが決まればあとは知らぬという、いかにもこの人も薩摩の武士だったと思います。
大久保利通は物語の中では、脇役が多いので、どんな人かがイマイチ分かって無かったのですが、解説してもらえてよかったです。脇役の解説、これからも楽しみにしてます。ありがとうございました😊
大久保利通の解説待ってました😀
詳しく解説して下さってありがとうございます。
何年か前に事件現場の清水谷に行き、道路沿いの公園に大きな碑が建てられていましたが、雑草がかなり繁っていてあまり地元の方の手入れはされていない印象受けました😅
戦国Banashiさん、西郷隆盛の盟友だった大久保利通卿を掘り下げた解説ありがとうございました。
あくまであるあるですが、大久保利通が好きな人は、石田三成も好きだと思う。それぞれ、使命感がとても強く目的達成のためなら非情になれるため、それが人に冷たくうつり同僚や部下、世論からの人望がなかったのでは。ちなみに二人とも生活は質素だったそうです。
同感です。
確か俳優の鹿賀丈史さんが、この両方の役を大河ドラマ(石田三成「徳川家康(1983年)」 大久保利通「翔ぶが如く(1990年)」)で演じていましたね。
誤解されて「嫌われた」から「メチャクチャ激しく凄まじく憎まれた」悲しい人でした。
内務卿って今の総理大臣ですよね。初代は伊藤博文ではなく、大久保利通だと思ってます。
だとしたら襲撃した石川士族は唯一の現職総理大臣暗殺で死刑になった連中。原敬暗殺犯は13年で恩赦で釈放されて1980年まで生きているし、犬養毅を暗殺した軍人は全員数年で出所している。
前回の前島密氏は、実際に大久保の暗殺直後、駆けつけてその惨状を書き残してます。:(;゙゚'ω゚'):
実際に遺体を見た前島密(ひそか)は「肉飛び骨砕け、又頭蓋裂けて脳の猶微動するを見る」と壮絶な表現をしています。
大久保が凶変な倒れる1カ月程前に、前島密は、大久保から奇妙な話を聞いたようですね
「実は昨夜、奇夢を見た」と次のように語ったようです
「何故か、西郷と断崖の上で殴り合いをしており、二人して抱き合いながら崖下に転落した
すると自分の頭蓋が破れ、脳が微動するのを見ている自分がいた 実に不思議な夢だ」
奇夢が現実になった訳だから、話を聞いた前島密は、ゾクッとした事でしょうねぇ
大久保利通が暗殺された場所、現在のホテルニューオオタニの裏手の清水谷公園の中に大きな哀悼碑が立っています。当時を思い起こさせるかのように、あたりには鬱蒼とした木が茂っています。
江藤新平の回も楽しみにしてます。
江藤新平は大久保利通に目を付けられたのでしょうね。
こんばんは!
今の栄一の上役の井上馨を特集してほしいです!
…諸説ありますが,これほど日本国を思う葛藤の時期は,なかったと思います…。「大久保さん・西郷さん」は表裏一体,富国強兵を推進した,大久保さん。不平不満の武士階級を滅亡させる,西郷さん。この両輪があり「近代国家・日本国」の礎を成しえたのではないでしょうか…?
学校の社会では誰が誰やらごちゃごちゃでホント苦手だったけど、ひとりひとりの解説有難いです。ちなみに大隈の佐賀弁はよぉわかるばってん、大久保の薩摩弁はいっちょんわからんです😅
今の世こそ大久保のような政治家が欲しいね💕
今でいうグローバリスト 中国は上手くやっているように見えるけどなぁ。開国するのに外国人を甘く見過ぎたんじゃない。外国人がただで手伝ってくれる訳ないと思わなかったのか
西郷さん贔屓だった鹿児島生まれの亡き父でしたが「大久保が居なかったらいまの政治はなかった」と言ってました。
ドラマでの扱いはどうも・・・・
亡くなった時西郷さんの手紙を読んで居たと聞きますし。
あえて嫌われ役なったのかも
この方、まだ若いのに歴史をかなり勉強されてますね。話し方も上手です。あっぱれ‼️
嫌われ者だけど改革者として評価する❗
江藤新平の佐賀の乱は、大久保利通が早急に鎮圧した。ある意味すごい戦いでした。裁判も大久保利通が担当したとか!!有名な言葉は、江藤消臭対し成りと江藤新平を批判する言葉を残した人だからあまり大久保利通を評価出来ないねなにげに??🤔👍
大久保は西郷を遠ざけた事で民衆からの人気を失った
その時点で大久保の運命は決まった気がする
この度も分かりやすい解説有難う御座います∠( ̄^ ̄)
「板垣退助が何藩」とか話の中にも説明を入れて貰えて 詳しくない人にも分かりやすく
ぶっしーのそういう所が優しくて いいんです( ‘-^ )b
大久保利通が襲われたときに使っていた馬車が、岡山県倉敷市のお寺にあるそうです。一度訪れてみたいです。ただ、なぜここにあるのか教えていただきたいです。
あの暗殺時、乗っていた馬車は『五流尊龍院』にあるようですね あの馬車は、大久保利通の遺族が供養の為に奉納したものと本で読みました あの馬車は、英国製で同じ薩摩藩出身の五代友厚からの贈り物だそうです
世の中が変わる時って、最初に立ち上がった人たち(幕末で言えば、吉田松陰や佐久間象山)は早々に斃れ、
その弟子にあたる第二世代が事を成し遂げる(同・西郷・大久保・木戸ら)。
ただ、役目が終わると次々退場。
結局、第三世代(第二世代の部下)が出世して、おいしいところを持っていく(山縣や伊藤…伊藤は朝鮮で暗殺されるが)
といった構図になるようですね。
大久保利通は凄い政治家だったと思うので、正直いつも悪役にされて可哀想
内務卿の部屋は緊張感のある粛然とした職場であったそうだし、上がってくる案件の決済も決してなあなあにはしなかったとのこと
大久保亡きあとは、政府は空気はゆるくなり堕落したという人もいたとか
日本の成長のために私財を投じ、死亡時にはこれによる借金が凄かったとか
このような日本史上稀有な政治家に対して、あまり知られないどころか器の小さい悪役扱いはあまりな仕打ちではなかろうかと思うのですよ
のちの人間たちに、都合の良い話にされてしまったのでしょうね。しかし、真実は埋もれないと思います。私の中では、初代総理は、大久保さんです。
@@くま-r9n 大久保さんの一番弟子が初代内閣総理大臣です。素晴らしい師匠(上司)だったようです。
武士でありながら文官肌で、真面目で有能なんだけど周囲からの反発も多いというのは
石田三成と共通するところがあるかもしれませんね
それと梶原景時や本多正純とも共通点がありますね
三成と異なるところは、他の藩出身の部下にも尊敬されていたところ。筆頭は伊藤博文。
大久保利通像の文字を故意で右にずらしたのなら悲しい…冷酷にみえて西郷が島流しされた時に尽力したり根は友達思いのいいやつだと勝手に思ってるw
それも彼の本心のひとつだった、ただ日本のために顔で冷たく腹で泣いて、だったのでしょう。
大久保利通尊敬しています
考えてみれば、政府の最高指導者が出勤途中に惨殺されるって、桜田門外の変と全く同じですよね。
しかし、一方は国を衰退させる一撃になり、一方は国がそのまま発展していくのだから、政治は本当に難しいです。
大久保利通は、伊藤博文を筆頭に多くの人材育成も行っていたから、そのまま発展したのです。
汚職はせず利殖に励むことなく個人名義で国の借金肩代わりしてたりと、政治家としては理想的といえるけど、上司にしたいかと言われたらお断りしたい。
歴史上の人物で言えば、梶原景時、石田三成、本多正純のタイプになりますか。
一番弟子とも言える伊藤博文の言葉を見れば、大久保の部下に対する接し方がわかりますよ。非常に部下思いですよ。暗殺時に伊藤博文が非常に悲しんだそうです。
西郷は大久保の視野の広さについていけなかった。
近代日本の礎は大久保にあります。
ビスマルクの解説はアルノが至高
大久保利通は死後も帰郷を許されなかったんですよね。
薩摩の英雄であった西郷吉之助を自害に追い込んだ事、薩摩を蔑ろにした事が原因で。
他のサイトでは、大久保の内容がすくなかったのであざっス!勉強なります
西郷、木戸、大久保ら維新第1世代は明治10年までにほとんど死んでしまい、伊藤、大隈、黒田、山県、桂ら第2世代に引き継がれ、彼らが20世紀初の対外戦争デビューまでリードする。維新第一幕と第二幕で最初から役割分担があったみたいで興味深い。
「過ぎたるは尚及ばざるが如しと言うが、私は過ぎたるは尚及ばざるに如かずと言いたい」
征韓論の後の、木戸大久保が袂を分かつ原因になった台湾出兵に触れて欲しかったですね。
木戸vs大久保を始めると、致命的に大久保の保守性、後進性、抑圧的体質がストレートに出るから難しいのかな?
ここに大久保の政策的な一貫性を感じないんですよ。
台湾出兵は主権国家として当たり前のことをしただけな。
職場の先輩は明治だけでなく大正生まれでも自我が強かった。
司馬遼太郎さんの翔ぶが如くを読むと明治において西洋に追いつかなくてはの焦りを感じる。特に彼が変わったは岩倉と欧州視察に帰ってからかもしれない。帰って来て半年間、官邸にも来なかった事も謎ではあるし佐賀の乱においては江藤新平が東京の裁判で真実を述べると言うのを否定し彼を長崎で斬首、全権を手に入れその後西南戦争につながる訳だが、しかし彼の功績は西南戦争から亡くなるまでの間光る物もある、制台論においてはわざわざ北京にまで出向き外交を成立させたりと。しかし大久保は生前海外の要人を招く時の為借金で洋館を建てたのだが、彼の死後家族はその借金で大変苦労したらしい。ある意味大久保は薩摩の土方歳三と見ている。日本を西洋の如く強くする為には友たる西郷も罠にはめざるおえない。
乃木希典なんてやってください
間違いなく時代が送り込んできた偉人
暗殺された後、自分名義の凄い額の借金が残っていたが、全て国の為に使っていた。
ホワイトボードの各項目ごとに発生年とその時の年齢があると分かりやすいと思います。
「嫌われ正助の一生」でしたね…
座布団3枚!
上司いたら疲れそうで困るけど、彼の清廉潔白な所は今の日本の政治家に見習って欲しい。
鹿児島の、ある会社の応接室に、為政清明 甲東 の額を見たのを思い出しました。
西郷隆盛で云うと 敬天愛人 南州 みたいな。40年位前のことです。
良く聞かしてもらっています。私は高齢者ですのでもう少しゆっくり話してくれたら助かります。
右上の縦3つの点々の設定から再生速度を遅くすればゆっくりになりますよ。0.75倍速にするだけで結構違います。
大久保政権は独裁的であったかもしれませんが、独裁政権とまでは言えませんね。あくまで合議制です
それに独裁政権最初の仕事は議会を潰すことですが、彼の政権はむしろ議会政治の導入を目指していました
明治天皇自身は大久保利通のことをどう思っていたんだろう?🤔
西郷隆盛が亡くなった時に
「西郷を殺せなんか言ってないぞ」って深く哀しみ
木戸孝允が病気で重篤になった時は心配して自ら見舞いに行ったらしい
大久保利通にはそういったエピソードがないからよく分からない
初めて見ますが西暦に加え元号を、生誕箇所は明確に残っていますね。下級武士とは言いながら立派な武家「全国10%以下、鹿児島藩は、ある書では20%前後と異常数値」の出、故に国主に近付ける機会を得ています。概略として面白いですね。彼は利発-行動力があり命を掛けた政治家「何もしないのが政権安定、が改革無し」です。バラエティーとしても面白いです。
地元からも滅茶苦茶嫌われているって、どんな偉人なんでしょうね。
維新三傑のうち大久保利通ほど実像が曲げられた政治家はいないと思う。今回の大河ドラマもそれに基づいて描写されているのは残念。後に大久保利通の部下になる伊藤博文の言葉。「桂さんは出身藩閥のことを気に過ぎだし、部下に対する接し方もよくない。(今でいうパワハラ)しかし、大久保さんは、出身派閥のことを気にしないし、部下に優しく指導してくれる。」大久保暗殺後、その一番弟子である伊藤博文が、その後の明治を創ったところをみればそれがわかる。征韓論争から西南戦争までの経緯により、地元鹿児島で嫌われたことが、誤解の大きな原因なのかもしれない。
その伊藤博文も出身藩閥を気にしない人材登用してるところから考えて
マジで伊藤博文は出身藩閥優遇は良くないと思ってたんだな。
武家の出ではない、というのもあるのかな?
長州のボス木戸サンを差し置き、大久保卿に懐く俊輔(伊藤)であった
伊藤・山縣・大隈といった有能官僚が最終的に揃いも揃って大久保派になってるもんね。序盤は木戸派だったけど。伊藤山縣は長州だから当然か
日本史授業は明治以降はいつもざっくりで教科書読んどけだったので大久保利道は新時代の恩人と思っていました 西郷さんより尊敬してましたが正しかったのですね👀‼️74才👵
カメラとか何かソフト変えました!?いつもよりもすごく動きが滑らかな気がします!
今度は伊藤博文の話し聞いてみたいです🤔
非常に簡潔でわかりやすいものでした。
ペリーさんが来て以来日本は目覚ましい発展(これまでは井の中の蛙で身内でごたごたして互いに殺しあったりしましたが)
を遂げましたね。特に岩倉使節団が国のことを留守にして長期にわたっていろんな国を見学?してようやく自分の足元を
見れるようになりましたね。なるほどね!そこで工業に力を入れ新橋から鉄道引いたり造船に力を入れたりして
遠方の島島を日本に帰属させたり力が有り余ったりして廃藩置県後これまで殿さまにぶら下がった人達ちが
職を失い(西南戦争後)外に向けたわけですね。なるほどね!残念なことに
今でこそ、5500本の美しい松林で有名な堺市の浜寺公園も当時は新田開発のため松が伐採されまくる悲惨な状態
1873年(明治6年)大久保利通が当地を訪れ、約850本にまで減少してしまった姿に「何てむごい・・」と
堺県令の税所篤に働きかけ、伐採を停止させる。そして同年、1873年(明治6年)12月に日本最古の公立公園として開園。
大久保さんを語るのならば、この辺りのエピソードくらい入れてもらわんと
なんとも寂しいスね~~( ^ω^)・・・
ありがとうございます
いつもわかりやすい解説で勉強になります。
伊藤博文を解説してほしいです。
朝鮮を植民地ではなく数年後には朝鮮の人達に返そうという思想を持っていたというのは本当でしょうか??解説宜しくお願いします(((^-^)))
その伊藤博文の師匠(上司)が大久保利通です。
そりゃあ、、西郷さん🔴して自分だけ漁夫の利取るのは、冷飯食いの士族が許さないでしょ?
るろうに剣心で知りました。”天剣”の宗次郎君の初登場でしたね。
大久保利通の玄孫はるろうに剣心の読者でもある。
そしてつい最近まで副総理兼財務大臣だった人である。
登録しました。期待してます。
大久保利通さんのひ孫が麻生太郎さんだそうですね、
大久保さんが生きていたら我々も西洋人的な感性になっていたかも。
大久保利通は囲碁の勝負で激しやすい人だったそうですが、久光の側近として随行していた生麦事件では飛び出していかなかったのでしょうか。また、私生活では西洋風に染まっていて、毎週親戚で昼食会をしていたとか。超多忙なのに不思議。
7:29の所ですが…使節団の目的は、不平等条約の改正にあったとありますね この部分、最近の研究では誤認であったみたいですよ
全ての問題をほったらかして海外に出た岩倉使節団。
大久保利通が嫌われ者だったと言いますが、
その孫の大久保利春は、とうとう牢屋に入れられて
「明治の元勲・大久保利通の孫がこのザマか」と嘲笑されましたね。
例のロッキード疑惑の丸紅ルートで、破滅したんすよ。
バズ狙いの歴史解釈では見えないモノがあるのかなと改めて思いました。
大久保利通→伊藤博文によって近代化が勧められたことにもなるのであと10年長生きできていたら日本近代化の父と評価されてもいたかも知れない
ヘビースモーカー…
大久保利通は今の日本ハムの監督新庄剛志に似てたんだな
青山霊園にある大久保利通の墓が荒れ放題で不憫。大久保家は没落しちゃったのかね。
逆に三島通庸の墓はデカすぎるだろ。
西郷の朝鮮派遣が一度決まってから、岩倉使節団が帰国するんじゃなかったでしたっけ?
確かに髭がすごい!
どうつながってるかわからない髭。
高橋ユキヒロさんが一番似てる。
재밌네요 일본역사
たまにはロケも良きだが解説動画の方が良き。
ビスマルクはフランスではなくドイツですね
大久保はやってることは嫌なヤツだけど、いいヤツだったんだろうな。
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
自分の私費で国家予算をたてかえいたとか今の政治家tお反対
今でも鹿児島では大久保は不人気。西南戦争が一番の原因で、大河ドラマ「西郷どん」などの創作物や教育の影響もあると思う
西郷さんと呼ぶ人は大勢いるけど、大久保さんと呼ぶ人はほとんどいない。鹿児島でも大久保利通は大久保利通呼び
しかし、政府の要人の
中心人物だつたのに、
馬車の前後に重装備の
警護兵を配備しなかつた
のが悔やまられる!
暗殺した旧加賀藩士、松江藩士のこと詳しく知りたい。
これに関しては、大久保利通への斬奸状という犯行予告が新聞各社に撒かれたが、警視庁の川路総監は「石川県士族なんかにできるわけがない!!大久保利通を斬れるのは西郷隆盛だけだ!!」と思っていたがために警護要員をつけなかった。
石川県士族を甘く見たが結果、川路は進退伺いを出すくらい重く受け止めたそうです。
この事件での心労なのか翌年の欧州視察中に発症した病い倒れ帰国して数日後に亡くなっている。
上司(藩主)と仲良くなる
釣りバカ日誌方式ですね
この人も慶喜と直接話して欲しかった
ただただ倒幕に策士、もったいない。
今でも鹿児島では、西郷は郷土の誇り、神様。反して大久保は嫌われている。薩摩武士らしくない策士。西南戦争の半年間、一度も表に出ず戦地の九州にも来なかった。残念。
しっかりした史観で発信して下さい。歴史を遊びにしないで、未来を建設しましょう。社会は大変ですよ。
大久保が殺害された後、あれほどの権勢をふるっていたのだから
さぞかし溜めこんでいるだろうとみられていた。
ところがほとんど蓄財らしい物も無く驚かれたと言われている。
喋りが速すぎて聞き取りにくい。もう少し落ち着いて喋って下さい。
実はこの偉人結構好きだったんだけど
Twitterで大久保利通のアイコンの人が暴言を吐いていて
苦手になった
そして薩摩藩と土佐藩と長州藩と同盟を結んだそして天皇陛下を祭り上げた