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仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
今日もありがとうございました。若者ですが無常を感じることは意識してます、自分が身内の誰よりも先に亡くなってしまってもおかしく無いよなと。ただ仏法を聞くようになってから、因果の道理や諸行無常などを知ってから自分の視点が広がった感覚は持つようになって、ストレスや不安は明らかに緩和されているように思います。仏教を知ることは本当大切だなと日々思わされます。引き続き聴聞していきます。
いつもありがとうございます!
未だ、80過ぎの女性ではありませんし、万引きはしていませんが、 「大事な人はもう、いない」っていうのは、よくわかります。本当に大事なもの、頼れるものは何か?を探して、この動画を観ています。
いつも聞かせていただいております。老後の生活費は政府の言うのは実際と違います。私は夫婦2人で年金額230万/年 あれば年に1~2回温泉旅行に行くくらいはできます、外食は月に2~3回夫婦で行きます。人口13万人程の都市に住んでいます、住居は持ち家で共益費と管理費で17000円払っています。出費がカサム車は持っていません、自転車も持っていません、生命保険は入っていません。理由は所得が少ないから高額医療はとりあえず支払いますが、18000円/月を超えるときは市から戻ってきますのでとりあえずの医療費貯蓄が300万ほどあれば大丈夫です。
私はどこか吹っ切れていて、今体に起きている状態や他者の感覚を参考に生きています。体や生活は安定していますが、死の圧迫は感じています。最近はだいぶ安定してきました。菊谷さんの動画でいつも学んでいます。色々な方の動画も見ていますが、また菊谷さんの動画にかえったりしています。今後とも自分の思考の参考に柔らかくあるよう学びます。
菊谷先生、今晩は。僕は66歳です日常生活においては、高齢者の自覚が全くありません。やりたいことがあり、幸せだからであるから、だと思います。悪い事など考える時間がもったいないです。時間最優先です。親鸞聖人や、蓮如上人の言われていることが、良く分かる様な気がします。今日もありがとうございました。
今日もありがとうございます🙇
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
もうそれを信じて生きて行くしかありません。いつも素晴らしいお話を有難うございます。
医療機関の発達に伴い我が国の平均寿命は世界一位にまでに上り詰めました.今や60まで生きて当たり前.80代まで生きると次第に生きる気力も衰えあとは死を待つばかりと.僕も老後は不安です.目下に面倒を見てもらうのもつらいしいつ死んでも構わないです.できることならぽっくりと行きたいです.でももし本当に大悲の願船があるのなら乗せていただきたいです.菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました.
「難度海」のお話を聴いて、改めて将来が恐しくなりました。 孤独で無常ですね。ワタシにとらわれる限り絶望が訪れそう。老境の悩みは若い頃の嫉妬や承認欲とは違い、避けようの無い虚しいさ闇が襲ってくるかんじですね。身体が不自由になり、健康や美貌を失い、親族を失い、できないこと分からないことが増えていく。世界が色褪せ…お金もなくなり、孤独の中で死の恐怖と向かい合う。とっても悲しい…。人や社会と交われば、必ず悲しみ、憎しみ、怒りを心に宿してしまう愚かなワタシ。独りでは生きられず、長く生きた分、穢れを心に溜め込んでしまう…救いようの無いワタシ。いつかその時を迎える時、平静で居られるだろうか…。ワタシが消えようとも、皆んなには必ず朝日は登り輝かしい明日が来る。この惑星は美しい。心配しなくても大丈夫。そのことを皆んなに伝えて、お別れを言おうかな…憎むなかれ、争うことなかれ、絶望に呑まれようと必ずいつか救われる。なからず…ワタシはワタシを留めることは無いけれど、世界から消えたりはしない。形を変えて新たな命として生まれ変わる。だから傍の草花にも、故人の面影を見て優しくして欲しい。この時代に生まれ、皆んなと共に過ごせたことが嬉しい…。みんなで明るい未来を築いて欲しいな…。そんな想いで最後を迎えたい。大好きな地球に生まれて良かった。
こんにちは。❤今日も、動画、ありがとうございます。❤
今日も大変、勉強になりました。尊い、ご説法ありがとうございました。
ありがとうございます。
先生有難うございました。
自分は「大正チルドレン」ですが、自分の親世代辺りの高齢者を見ていますと「運命を自然と受け入れていた」ように思われます。あまり物質主義に埋もれていなかったせいもあるでしょうが。今のように延命治療という概念も持っていません。多分、ですがある程度歳老いたら「生きる目標」すら早々と棄ててしまっていたのかもしれません。厚労省も余計なこと言うんじゃない、とも思います。現代不幸は「歳老いることを学ぶ」機会が無くなってしまったことじゃないかな、と思うことも。
うーん 高齢になると 仏法 仏教に興味が湧いてきますわね いいことだと思います 私も興味が湧き よく聞きます いや し聴聞ます。😅
ありがとうございました。多生の目的に向かって、唯只管に。
今の時代、自分の年齢に7を掛けるそうです。例えば40歳なら(40×7=28歳)ですし、60歳の方なら、60×7=42歳という事で、現代人は容姿が昔の人よりもずっと若いですが、ただ「精神年齢」が、それ位なんじゃないかな?と思います。そしていくら科学や医療が発達しても、どのような偉人も聖人も、老少不定、愛別離苦、怨憎会苦、あったものはいつかは別れる時が来る。その苦しみから解き放たれるには、永遠に別れない『心の親(阿弥陀様)にお逢い』するしかないと思う。
@@buhinosukeno2 ああ、すみません。wwww。40才なら(4×7=28歳)で、60歳なら(6×7=42歳)です。仙人願望も不老不死願望も、全くございませんので、ご安心ください。
長寿についての認識が昔の日本とはだいぶ違います、欧米文化の影響が濃くなってきています。日本人の平均寿命が延びた事に原因の一端が有る事は確かです。近所づきあいをしない、肉親への愛情が少ない、夫婦関係の希薄化、会社の飲み会を拒否する、ひきこもるなどが近年の風潮です。欧米の個人主義が浸透して人間関係の崩壊が起きています。親子関係の崩壊がひどい井上靖の「しろばんば」のような複雑な人間関係は今は無い。「遠くの親戚より近くの他人」という諺も死語になったようです。老後の不安は最近の言葉です、肉親にも近所の人にも気配りしない孤独の時代です。煩悩に振り回されて他の人を「判断」「評価」し続けた孤独です。ある若い女性は懸命に生きていますが「愛情が無い」「感謝が無い」自分が生きる事で手いっぱいで「判断」「評価」に忙しいようです。親鸞上人の生きた時代は武士や非人達が貴族の支配から離れてゆく時代でした。血なまぐさい事件は天災等への抵抗した結果病む負えず起きたようです、生きることに必死だった、自分たちが五逆を犯さないと亡んでしまう切羽詰まった状況だったようです。貴族もまた必死の生き残りをしていた、仏教も衆生の救済を掲げなければどうなるか解らない末法の世界に正面から向き合う事が求められていたようです。煩悩の判断が「喜怒哀楽」を生み「諸行無常」を知らされる、法然上人も「一切皆苦」を乗り切る方法を模索していました。「捨てられない煩悩は無視すれば良い」どうしても五逆を犯す時「阿弥陀如来の本願」におすがりする「南無阿弥陀仏」と唱えて「阿弥陀如来の他力本願」にお任せする、「絶対他力」。人間関係を希薄にする事は孤独を生み、愛や感謝を忘れさせます。煩悩の判断を無視して人に頭を下げる時、お釈迦様の「托鉢」がまねでき、他人との些細なキヅナが阿弥陀如来の本願に繋がり「他力本願」になるようです。
寿命の寿は時間、命は身体の維持で、人は命には限りがありますが、いわゆる時間は無量であると説いて、もとは仏教の言葉です。人の寿に無量の至福を、聞法、行などを通じて体得するのが仏道です。
現代人は、生命を感じる能力を、進化と共に失ってしまったと思う。これを、進化と言えるのだろうか?
えぇ~50代でこんなに老けてるの失礼だけど70歳位かと思った
情けない例えをいいますね
仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。
peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
今日もありがとうございました。
若者ですが無常を感じることは意識してます、自分が身内の誰よりも先に亡くなってしまってもおかしく無いよなと。
ただ仏法を聞くようになってから、因果の道理や諸行無常などを知ってから自分の視点が広がった感覚は持つようになって、ストレスや不安は明らかに緩和されているように思います。
仏教を知ることは本当大切だなと日々思わされます。
引き続き聴聞していきます。
いつもありがとうございます!
未だ、80過ぎの女性ではありませんし、万引きはしていませんが、
「大事な人はもう、いない」
っていうのは、よくわかります。
本当に大事なもの、頼れるものは何か?
を探して、この動画を観ています。
いつも聞かせていただいております。老後の生活費は政府の言うのは実際と違います。私は夫婦2人で年金額230万/年 あれば年に1~2回温泉旅行に行くくらいはできます、外食は月に2~3回夫婦で行きます。人口13万人程の都市に住んでいます、住居は持ち家で共益費と管理費で17000円払っています。出費がカサム車は持っていません、自転車も持っていません、生命保険は入っていません。理由は所得が少ないから高額医療はとりあえず支払いますが、18000円/月を超えるときは市から戻ってきますのでとりあえずの医療費貯蓄が300万ほどあれば大丈夫です。
私はどこか吹っ切れていて、今体に起きている状態や他者の感覚を参考に生きています。体や生活は安定していますが、死の圧迫は感じています。最近はだいぶ安定してきました。菊谷さんの動画でいつも学んでいます。色々な方の動画も見ていますが、また菊谷さんの動画にかえったりしています。今後とも自分の思考の参考に柔らかくあるよう学びます。
菊谷先生、今晩は。僕は66歳です日常生活においては、高齢者の自覚が全くありません。やりたいことがあり、幸せだからであるから、だと思います。悪い事など考える時間がもったいないです。時間最優先です。親鸞聖人や、蓮如上人の言われていることが、良く分かる様な気がします。今日もありがとうございました。
今日もありがとうございます🙇
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
もうそれを信じて生きて行くしかありません。いつも素晴らしいお話を有難うございます。
医療機関の発達に伴い我が国の平均寿命は世界一位にまでに上り詰めました.今や60まで生きて当たり前.80代まで生きると次第に生きる気力も衰えあとは死を待つばかりと.僕も老後は不安です.目下に面倒を見てもらうのもつらいしいつ死んでも構わないです.できることならぽっくりと行きたいです.でももし本当に大悲の願船があるのなら乗せていただきたいです.菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました.
「難度海」のお話を聴いて、改めて将来が恐しくなりました。 孤独で無常ですね。ワタシにとらわれる限り絶望が訪れそう。老境の悩みは若い頃の嫉妬や承認欲とは違い、避けようの無い虚しいさ闇が襲ってくるかんじですね。
身体が不自由になり、健康や美貌を失い、
親族を失い、できないこと分からないことが増えていく。世界が色褪せ…お金もなくなり、孤独の中で死の恐怖と向かい合う。とっても悲しい…。
人や社会と交われば、必ず悲しみ、憎しみ、怒りを心に宿してしまう愚かなワタシ。独りでは生きられず、長く生きた分、穢れを心に溜め込んでしまう…救いようの無いワタシ。
いつかその時を迎える時、平静で居られるだろうか…。ワタシが消えようとも、皆んなには必ず朝日は登り輝かしい明日が来る。
この惑星は美しい。心配しなくても大丈夫。
そのことを皆んなに伝えて、お別れを言おうかな…
憎むなかれ、争うことなかれ、絶望に呑まれようと必ずいつか救われる。なからず…
ワタシはワタシを留めることは無いけれど、世界から消えたりはしない。
形を変えて新たな命として生まれ変わる。
だから傍の草花にも、故人の面影を見て優しくして欲しい。
この時代に生まれ、皆んなと共に過ごせたことが嬉しい…。みんなで明るい未来を築いて欲しいな…。そんな想いで最後を迎えたい。大好きな地球に生まれて良かった。
こんにちは。❤今日も、動画、ありがとうございます。❤
今日も大変、勉強になりました。尊い、ご説法ありがとうございました。
ありがとうございます。
先生有難うございました。
自分は「大正チルドレン」ですが、自分の親世代辺りの高齢者を見ていますと「運命を自然と受け入れていた」ように思われます。あまり物質主義に埋もれていなかったせいもあるでしょうが。今のように延命治療という概念も持っていません。多分、ですがある程度歳老いたら「生きる目標」すら早々と棄ててしまっていたのかもしれません。厚労省も余計なこと言うんじゃない、とも思います。現代不幸は「歳老いることを学ぶ」機会が無くなってしまったことじゃないかな、と思うことも。
うーん 高齢になると 仏法 仏教に興味が湧いてきますわね いいことだと思います 私も興味が湧き よく聞きます いや し聴聞ます。😅
ありがとうございました。
多生の目的に向かって、唯只管に。
今の時代、自分の年齢に7を掛けるそうです。例えば40歳なら(40×7=28歳)ですし、60歳の方なら、60×7=42歳という事で、現代人は容姿が昔の人よりもずっと若いですが、ただ「精神年齢」が、それ位なんじゃないかな?と思います。そしていくら科学や医療が発達しても、どのような偉人も聖人も、老少不定、愛別離苦、怨憎会苦、あったものはいつかは別れる時が来る。その苦しみから解き放たれるには、永遠に別れない『心の親(阿弥陀様)にお逢い』するしかないと思う。
@@buhinosukeno2 ああ、すみません。wwww。40才なら(4×7=28歳)で、60歳なら(6×7=42歳)です。仙人願望も不老不死願望も、全くございませんので、ご安心ください。
長寿についての認識が昔の日本とはだいぶ違います、欧米文化の影響が濃くなってきています。
日本人の平均寿命が延びた事に原因の一端が有る事は確かです。
近所づきあいをしない、肉親への愛情が少ない、夫婦関係の希薄化、会社の飲み会を拒否する、ひきこもるなどが近年の風潮です。
欧米の個人主義が浸透して人間関係の崩壊が起きています。
親子関係の崩壊がひどい井上靖の「しろばんば」のような複雑な人間関係は今は無い。
「遠くの親戚より近くの他人」という諺も死語になったようです。
老後の不安は最近の言葉です、肉親にも近所の人にも気配りしない孤独の時代です。
煩悩に振り回されて他の人を「判断」「評価」し続けた孤独です。
ある若い女性は懸命に生きていますが「愛情が無い」「感謝が無い」自分が生きる事で手いっぱいで「判断」「評価」に忙しいようです。
親鸞上人の生きた時代は武士や非人達が貴族の支配から離れてゆく時代でした。
血なまぐさい事件は天災等への抵抗した結果病む負えず起きたようです、生きることに必死だった、自分たちが五逆を犯さないと亡んでしまう切羽詰まった状況だったようです。
貴族もまた必死の生き残りをしていた、仏教も衆生の救済を掲げなければどうなるか解らない末法の世界に正面から向き合う事が求められていたようです。
煩悩の判断が「喜怒哀楽」を生み「諸行無常」を知らされる、法然上人も「一切皆苦」を乗り切る方法を模索していました。
「捨てられない煩悩は無視すれば良い」どうしても五逆を犯す時「阿弥陀如来の本願」におすがりする「南無阿弥陀仏」と唱えて「阿弥陀如来の他力本願」にお任せする、「絶対他力」。
人間関係を希薄にする事は孤独を生み、愛や感謝を忘れさせます。
煩悩の判断を無視して人に頭を下げる時、お釈迦様の「托鉢」がまねでき、他人との些細なキヅナが阿弥陀如来の本願に繋がり「他力本願」になるようです。
寿命の寿は時間、命は身体の維持で、人は命には限りがありますが、いわゆる時間は無量であると説いて、もとは仏教の言葉です。
人の寿に無量の至福を、聞法、行などを通じて体得するのが仏道です。
現代人は、生命を感じる能力を、進化と共に失ってしまったと思う。これを、進化と言えるのだろうか?
えぇ~50代でこんなに老けてるの
失礼だけど70歳位かと思った
情けない例えをいいますね