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てかシーズン終盤までグループAマシンでランキング1位を死守してたって凄いっすね…..
半WRカーみたいなものでしたが、それだけランエボの土台がいかにしっかり出来てたかが分かりますね('◇')ゞ
ランサーエボリューションWRC、ここまで苦戦してしまうクルマだったとは…。見た目はまさにインプレッサのライバルに相応しいルックスですけどね…グランツーリスモシリーズで収録されたのが僅か一回のみでありましたね…。
2001年度WRCは第二戦スウェディッシュで二位完走していればマキネンの年間総合優勝があり得たんだよなぁ。
予算がスバルの半分くらいしかないとも聞いたことあるしこの結果は異常だと思う。エボ7以降はWRCでは微妙だったけど、国内ではサーキットもラリーも最強クラスだよね。
WRCだと微妙ですけど今サーキットで7.8.9に勝てる車ってほとんど無いですもんね…
@@sa-vk6bsチューニングしたいっすわー!
うぽつです三菱は、90年代がいちばんの栄光時代でしたね
Gr.Aでは無類の強さでしたねそれだけWRカーが開発するのがいかに難しいかランサーWRCを調べていって感じました。
マキネンが三菱からスバルに移籍した当時は衝撃でした。
02年開幕のモンテカルロからもう「え? オイラ昔からスバル党だよインプレッサいいよね!」みたいな感じにニコニコで、現役引退直後に始めた自身のラリーガレージもスバルとタイアップ。スバルのモータースポーツイベントにも当然の様に招待されてて笑顔を振り撒き「あぁ一人前の社会人たる者、こういう処世術を使いこなせないとダメなのね」と大変勉強になりました。
WRカー規定ってのが元々、FFしか持ってない欧州メーカーにAWDラリーカーを仕立てさせる為の方弁で、最初からAWDのランエボベースだとAWD化にかこつけたサス形式変更が出来ないから、セディアベースにしたとか。ランエボのマルチリンクのままだとやっぱりホイールトラベル不足で、ストラットに変えたかったんじゃなかったっけ?セディアベースにしちゃったから最初のランサーWRC(EVO1)はボンネットが鉄製のままだったとか。
ちなみにEVO4からずっとツインスクロールターボですよ~。Gr.Aは市販車と同じですからね。
待ってましたぁぁあ!!!ちょっとコメント遅れました!
いつも見に来て頂き本当にありがとうございますm(_ _)m
2:09初代GTOがWRCに出場していたのは知らなかった。
調べてたら参戦歴あったんですよね自分も意外でした( ;∀;)
三菱が初めて作ったWRカー。スバルから4・5何年遅れてるにもかかわらず優秀なエンジニアを有力チームから引き抜けなかったのてが…。しかし、従来からのグループA規格残留という逆張りが成功した結果とも言える。
同時期に活躍していたプジョー206WRCがクレーム付いたベース車を無理やりホモロゲ通していたのにWRCのベース車両として開発していたエボ7がWRカーのベース車両として認められなかったのはメーカーの政治力全開って感じがしたなぁ…
当時のWRCだったり車業界だったりは、限られたレギュレーションの中でワークスチームがしのぎを削ってたので、非常に魅力的な車が多かった印象。ランエボがグループAでも強かったのは、改造範囲が狭いなら最初からそういう性能の車を作って売ればいいという大企業の理念があったのかも? 割とそういう車を作っていい土壌とファンの後押しと予算もあったしね。比較としてスバルのインプもグループAでは同じ考えでSTiバージョンを作っていたけど、WRカーレギュが発表されるといち早くそれにスイッチすることで、3年連続マニュファクチャラーズチャンピオン獲得の3年目と、性能を熟成していっての後のドライバーズチャンピオン獲得に繋がっていったんだろうね。同じ日本車でもこの違いの差が面白い。
直列4気筒はフラット4ではなくストレート4ですね
失礼しました。表記間違いですね(-。-;ご指摘ありがとうございますm(_ _)m
『インライン4』…とも言いますねー。
当初はライバルに対する三菱のアドバンテージだった電磁クラッチ式アクティブデフが、タイヤの進歩で逆にハンデに変わってた様で…。それともマキネンだったからクセ強マシンを乗りこなせてたのかな? 彼の凄みがマシマシだったのもランエボが下り坂に差し掛かってからだったし。デルクールが初ドライブして最初に要求したのが「電磁クラッチもう害悪だから棄てろ」だったらしい。エンジニアは「これが三菱のアイデンティティー」くらいに思ってたからびっくりしたとか。その後も歯に衣着せず言いまくったからかデルクールはチームと喧嘩して離脱。でも結局彼の言った通り電磁クラッチはお蔵入りになった。しかしベース車がライバル勢に対し大き過ぎ重過ぎたのが低迷の最大要因だったと思う。
グループAのランエボのまま戦っていたら自分はドライバーズタイトルを取っていたと思うのに、何故シーズン途中からWRカーにしたんだろうと思った。あのマシンは癖が強くて運転し辛かったとマキネンは言ってました。私もランエボが新しくなる度に感じたのですが、ランエボがランサーからギャラン化、ディアマンテ化、デボネア化していくボディが大型化しているように感じでました。三菱はグループAの仕様なら多分イケてたと思います。WRカーのリヤサスがマルチリンクからマクファーソンストラットにした事が恐らく挙動に癖があるマシンになったのかと思います。
市販車のモデルサイクルも絡んでくるからスイッチしたんだと思いますが難しい所ですよね(+o+)
ランエボ6.5を作るときにシーズン中に完全なWRカーをデビューさせるという約束をFIAにしたからですねグループAをベースにWR規定の改造を盛り込んだ内容だったので他よりも戦闘力が低かったんだと思います
確かストラットに変更したリヤサスは大幅なパフォーマンスの向上を果たせたが、操舵も兼ねるフロントサスは開発が難しく時間も無いので従来のサスの改造に留めたそうで、兎に角フロントがグリップしない状態だったかと。翌年のドイツはバランスを取る為、わざとリヤサスをテールハッピー(フランソワ曰く「ぶっ壊す」)にしてセッティングを取ったかと。お陰で観客大盛り上がり。
当時は三菱母体が色々あったってのも有りましたけど、プジョー307WRC同様ベース車両選択ミスとちゃうの?って思ってましたね(;´∀`) この跡のランサーも変な位置にリアウイング付いててカッコ悪かったなぁって記憶が有ります過去の栄光にすがりWRに移行出来なかったなって成績が物語ってましたね(;´∀`)
Gr.A当初はセダン型が穏やかな挙動変化でラリーカー最適解でしたが、電子制御技術の進歩と共にリアのトランク部分が「役に立たない余計な重り」と化しちゃったんだよね。これはGDBインプレッサも同様。更にランサー04の場合はフロントのグリップがリアに比べて悪く、リアウィングを前に出してテコの原理で縮小均衡でバランス取らないともっと曲がらない車になった。この点はリアウィングを目一杯後ろに置いて暴れるリアを押さえ込もうとしたGDBインプレッサと真逆だったけど。
ランエボWRCがセディアベースとは知らなかった…てっきりエボ7と思ってましたw
エボ7が叩かれる理由がこれなんすよ、セディアベースにしたおかげで曲がらない扱いにくい車に仕上ってしまった、、
@@魔弾の射手-k6xいや曲がるやろニワカおつ
@@ちびまる子ちゃん-h8s はぁゲームばっかりしてる君はランエボ持ってます?
第3世代のWRカーが跋扈する時代に第1世代のWRカーの内容のままだったのがね
やはりGr.Aとは違う開発範囲の広さに岡崎とRAEのキャパシティを超えてしまったのが手痛かったですね(+o+)
@@channelKariki 00年の11月に初めてほぼ1年後に投入じゃ時間無さすぎ。せめて99年の末ぐらいから始めないと
ランサーWRC…じゃなかったっけ。
調べましたところ、2001年と2002年のマシンについてはランエボWRCの名称で2004年からのマシンからランサーWRCになってましたm(_ _)m
三菱の頭が やる気 ないんじーゃー どうしようもないな
トヨタ(TTE)も人の事が言えない・・・と言うかトヨタ本社本体が問題かっ!
レースというお金が絡みつつ尚且つ成績がメーカーの販売に直結するケースが大半なので、擁護は出来ませんが上からの圧力も半端なかったでしょうね(-_-)
てかシーズン終盤までグループAマシンでランキング1位を死守してたって凄いっすね…..
半WRカーみたいなものでしたが、
それだけランエボの土台がいかに
しっかり出来てたかが分かりますね('◇')ゞ
ランサーエボリューションWRC、ここまで苦戦してしまうクルマだったとは…。見た目はまさにインプレッサのライバルに相応しいルックスですけどね…グランツーリスモシリーズで収録されたのが僅か一回のみでありましたね…。
2001年度WRCは第二戦スウェディッシュで二位完走していればマキネンの年間総合優勝があり得たんだよなぁ。
予算がスバルの半分くらいしかないとも聞いたことあるしこの結果は異常だと思う。
エボ7以降はWRCでは微妙だったけど、国内ではサーキットもラリーも最強クラスだよね。
WRCだと微妙ですけど今サーキットで7.8.9に勝てる車ってほとんど無いですもんね…
@@sa-vk6bs
チューニングしたいっすわー!
うぽつです
三菱は、90年代がいちばんの栄光時代でしたね
Gr.Aでは無類の強さでしたね
それだけWRカーが開発するのが
いかに難しいかランサーWRCを
調べていって感じました。
マキネンが三菱からスバルに移籍した当時は衝撃でした。
02年開幕のモンテカルロからもう「え? オイラ昔からスバル党だよインプレッサいいよね!」みたいな感じにニコニコで、現役引退直後に始めた自身のラリーガレージもスバルとタイアップ。スバルのモータースポーツイベントにも当然の様に招待されてて笑顔を振り撒き「あぁ一人前の社会人たる者、こういう処世術を使いこなせないとダメなのね」と大変勉強になりました。
WRカー規定ってのが元々、FFしか持ってない欧州メーカーにAWDラリーカーを仕立てさせる為の方弁で、最初からAWDのランエボベースだとAWD化にかこつけたサス形式変更が出来ないから、セディアベースにしたとか。ランエボのマルチリンクのままだとやっぱりホイールトラベル不足で、ストラットに変えたかったんじゃなかったっけ?
セディアベースにしちゃったから最初のランサーWRC(EVO1)はボンネットが鉄製のままだったとか。
ちなみにEVO4からずっとツインスクロールターボですよ~。Gr.Aは市販車と同じですからね。
待ってましたぁぁあ!!!ちょっとコメント遅れました!
いつも見に来て頂き本当にありがとうございますm(_ _)m
2:09初代GTOがWRCに出場していたのは知らなかった。
調べてたら参戦歴あったんですよね
自分も意外でした( ;∀;)
三菱が初めて作ったWRカー。スバルから4・5何年遅れてるにもかかわらず優秀なエンジニアを有力チームから引き抜けなかったのてが…。しかし、従来からのグループA規格残留という逆張りが成功した結果とも言える。
同時期に活躍していたプジョー206WRCがクレーム付いたベース車を無理やりホモロゲ通していたのにWRCのベース車両として開発していたエボ7がWRカーのベース車両として認められなかったのはメーカーの政治力全開って感じがしたなぁ…
当時のWRCだったり車業界だったりは、限られたレギュレーションの中でワークスチームがしのぎを削ってたので、非常に魅力的な車が多かった印象。ランエボがグループAでも強かったのは、改造範囲が狭いなら最初からそういう性能の車を作って売ればいいという大企業の理念があったのかも? 割とそういう車を作っていい土壌とファンの後押しと予算もあったしね。
比較としてスバルのインプもグループAでは同じ考えでSTiバージョンを作っていたけど、WRカーレギュが発表されるといち早くそれにスイッチすることで、3年連続マニュファクチャラーズチャンピオン獲得の3年目と、性能を熟成していっての後のドライバーズチャンピオン獲得に繋がっていったんだろうね。同じ日本車でもこの違いの差が面白い。
直列4気筒はフラット4ではなくストレート4ですね
失礼しました。表記間違いですね(-。-;
ご指摘ありがとうございますm(_ _)m
『インライン4』…とも言いますねー。
当初はライバルに対する三菱のアドバンテージだった電磁クラッチ式アクティブデフが、タイヤの進歩で逆にハンデに変わってた様で…。それともマキネンだったからクセ強マシンを乗りこなせてたのかな? 彼の凄みがマシマシだったのもランエボが下り坂に差し掛かってからだったし。
デルクールが初ドライブして最初に要求したのが「電磁クラッチもう害悪だから棄てろ」だったらしい。エンジニアは「これが三菱のアイデンティティー」くらいに思ってたからびっくりしたとか。
その後も歯に衣着せず言いまくったからかデルクールはチームと喧嘩して離脱。でも結局彼の言った通り電磁クラッチはお蔵入りになった。しかしベース車がライバル勢に対し大き過ぎ重過ぎたのが低迷の最大要因だったと思う。
グループAのランエボのまま戦っていたら自分はドライバーズタイトルを取っていたと思うのに、何故シーズン途中からWRカーにしたんだろうと思った。あのマシンは癖が強くて運転し辛かったとマキネンは言ってました。私もランエボが新しくなる度に感じたのですが、ランエボがランサーからギャラン化、ディアマンテ化、デボネア化していくボディが大型化しているように感じでました。三菱はグループAの仕様なら多分イケてたと思います。WRカーのリヤサスがマルチリンクからマクファーソンストラットにした事が恐らく挙動に癖があるマシンになったのかと思います。
市販車のモデルサイクルも絡んでくるから
スイッチしたんだと思いますが
難しい所ですよね(+o+)
ランエボ6.5を作るときにシーズン中に完全なWRカーをデビューさせるという約束をFIAにしたからですね
グループAをベースにWR規定の改造を盛り込んだ内容だったので他よりも戦闘力が低かったんだと思います
確かストラットに変更したリヤサスは大幅なパフォーマンスの向上を果たせたが、操舵も兼ねるフロントサスは開発が難しく時間も無いので従来のサスの改造に留めたそうで、兎に角フロントがグリップしない状態だったかと。
翌年のドイツはバランスを取る為、わざとリヤサスをテールハッピー(フランソワ曰く「ぶっ壊す」)にしてセッティングを取ったかと。お陰で観客大盛り上がり。
当時は三菱母体が色々あったってのも有りましたけど、プジョー307WRC同様ベース車両選択ミスとちゃうの?って思ってましたね(;´∀`)
この跡のランサーも変な位置にリアウイング付いててカッコ悪かったなぁって記憶が有ります
過去の栄光にすがりWRに移行出来なかったなって成績が物語ってましたね(;´∀`)
Gr.A当初はセダン型が穏やかな挙動変化でラリーカー最適解でしたが、電子制御技術の進歩と共にリアのトランク部分が「役に立たない余計な重り」と化しちゃったんだよね。これはGDBインプレッサも同様。
更にランサー04の場合はフロントのグリップがリアに比べて悪く、リアウィングを前に出してテコの原理で縮小均衡でバランス取らないともっと曲がらない車になった。この点はリアウィングを目一杯後ろに置いて暴れるリアを押さえ込もうとしたGDBインプレッサと真逆だったけど。
ランエボWRCがセディアベースとは知らなかった…てっきりエボ7と思ってましたw
エボ7が叩かれる理由がこれなんすよ、セディアベースにしたおかげで曲がらない扱いにくい車に仕上ってしまった、、
@@魔弾の射手-k6xいや曲がるやろ
ニワカおつ
@@ちびまる子ちゃん-h8s
はぁ
ゲームばっかりしてる君はランエボ持ってます?
第3世代のWRカーが跋扈する時代に第1世代のWRカーの内容のままだったのがね
やはりGr.Aとは違う開発範囲の広さに
岡崎とRAEのキャパシティを超えてしまったのが
手痛かったですね(+o+)
@@channelKariki 00年の11月に初めてほぼ1年後に投入じゃ時間無さすぎ。せめて99年の末ぐらいから始めないと
ランサーWRC…じゃなかったっけ。
調べましたところ、2001年と2002年の
マシンについてはランエボWRCの名称で
2004年からのマシンからランサーWRCに
なってましたm(_ _)m
三菱の頭が やる気 ないんじーゃー どうしようもないな
トヨタ(TTE)も人の事が言えない・・・
と言うかトヨタ本社本体が問題かっ!
レースというお金が絡みつつ
尚且つ成績がメーカーの販売に直結する
ケースが大半なので、擁護は出来ませんが
上からの圧力も半端なかったでしょうね(-_-)