Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
こんなに走らされて幸せだったのかしら…
懐かしい動画、ありがとうございます。忘れられないハイセイコー、偉大な名馬でした。
私の青春❤今の競馬はハイセイコーが無くては今の競馬は無いと思います😮🎉
正解です。
俺も歳を取り青春の想いでですよ、さらばハイセイコー😭
長い競馬界の歴史の中で強い馬,人気のある馬多数いるがハイセイコーは別格です。競馬をただのギャンブルからメジャーに引き上げた第一人者(馬)だとおもいます。印象に残るレースでは負けが続い時期に中山記念をぶっちぎったレースが一番。会社の帰り赤羽の飲み屋街にラジオから哀愁の漂うメロディーそれが主戦騎手/増沢末夫が歌った「さらばハイセイコー」でした。
丈夫で長持ち、この馬格で故障もなく30年生きたのは、無事これ名馬の典型。我が青春のハイセイコー 君が出走するだけどワクワクした。
1:49 当時は弥生賞は、正式な皐月賞トライアルではない。5着まで優先出走権は付与されてたけど。
ハイセイコーは2歳の秋に大井のマイルを1分40秒切るタイムで勝ってた父がカリムのイナリトウザイ(アラブ)は2歳の秋に翌年の桜花賞馬を破ってた芦毛の怪物オグリキャップは2歳の暮れに古馬Bクラスと走って勝ってた2歳から規格外な奴には夢がある
50年になりました。初代アイドルホースハイセイコー日本ダービー90年周年記念ありがとうございます。🫡
どこかの喫茶店で聴いたさらば、ハイセイコー~~〜〜〜〜今も忘れない
引退の時に主戦だった増沢がさらばハイセイコーという曲で偲んだのはあまりにもゆうめい。
成績もローテもすげぇ
この頃競馬を知らない人でも『ハイセイコー』は知っているというくらいの人気のある馬だった。オグリキャップと同じような感じでしたね。
ガキでも知ってる競走馬は、ハイセイコーとオグリキャップ、あとデープインパクト。
同じではありません。競争馬としての価値は、うんこと金くらい違います。いうまでもなく、ハイセイコーがウンコ。
ハイセイコーよ!永遠なれ!
@@ひげトントンはげトントン 😅
サラブレッドが走る姿がこんなにもカッコいいんやと言う事を教えてくれた馬。第一次競馬ブームの立役者と言う事を後に知った。馬券は一度も買ったことないけど、ただ彼らが一生懸命走る姿を見たいがために競馬を見続けてる今日この頃。
小学生の頃パチンコ屋で流れていたハイセイコーのレース実況忘れない
弥生賞、スプリングS、皐月賞、NHK杯、ダービー🏇🏇🏇🏇🏇、、、、、すごいローテーションですね。金田正一400勝の時代、馬も投手も出ずっぱり。
タケホープに破れた時のハイセイコーは、涙を流し、厩舎に入って来なかったというお話を聞き、馬も勝つ為にガンバってくれてるんだと感動した覚えがあります!父が果たせなかった夢を果たしてくれたカツラノハイセイコ⋯それにしても、ハイセイコー及び産駒達、長命なのが素晴らしい👏
元祖アイドルホース
そう言えば、「さらば、ハイセイコー」っていう歌がありましたね。歌ったのは主戦騎手の人だったかしら?「ありがとー ともよーさらば、ハイセイコー」っていう歌詞が未だに頭から離れません。
川村和彦 増沢末夫さんですね。僕も大ファンなものでちょっと・・・・。
何度聴いても泣けます😢
やっぱりハイセイコーが競馬のターニングポイントの一つだと思う当時ただのギャンブル場で柄の悪いオッサンの巣窟だった競馬場にハイセイコー見たさに女性の観客が来る程だった
当時小学生だった私も知ってたハイセイコー生まれて初めて知った競走馬でした
さすがにローテがやばすぎるな…NHK杯からだいぶ疲れてるような感じを受ける
2000m前後だと圧倒的に強かったんだな
増沢騎手にとり最強馬は文句無しに前年菊花賞馬イシノヒカルだそうですが一番思い出に残るのはやはりハイセイコーだそう。今世紀に入りNHK歌番組でさらばハイセイコー唄う増沢さんの姿に胸が一杯になりました。
私個人に取って競馬への関心を持たせてくれたのが“ハイセイコー”🐎でした。無敗で迎えたダービーでタケホープに敗れたレースは、その悔しさは今でも脳裏にハッキリと刻まれています😣
一番好きな馬、530キロの美しい馬体😊
ウマ娘にハマって実際の競走馬のことをいろいろ調べていると父から「自分が若い頃に有名にだったのはハイセイコー、歌まで作られたくらいの競走馬」と教わりここにたどり着きました覚えてくれていた父に感謝です
自分の68歳の競馬に興味のない母でも、オグリキャップとともに知っている馬です。ちなみに自分は1983年産まれなので当然リアルタイムでは知りませんが、後世に語りつがれて知ってますからな。
ハイセイコー以上の成績をあげた馬はいくらもいるが、昭和48年にハイセイコーが中央競馬に移籍してこなければ、その後の我が国の競馬の隆盛はなかった。
チャイナロック産駒とは言え大井デビューの馬をよくぞクラッシック登録してたもんだ。しかし、そういう時代だったんだろうが酷使が凄いしそれに応えて走り続ける馬も凄い。
キャラソン聴いたら想像よりだいぶ軍歌調だった
Aメロは軍歌Bメロ以降は演歌ですね。増沢さんの歌唱力はすごいですね。
@@禰子-e5n 元は麦と兵隊です。
競馬の実況中継って、昔から変わらないんだね。
ハイセイコーの高松宮杯、中京競馬場の近くを通る国道1号がハイセイコー見たさのファンの車で大渋滞を起こしたとの逸話もございましたね。
この馬今の時代だったら1600から2500ならばいくつG1取れたと思います
5歳の俺が鼻差で負けた菊花賞を見て泣いたんだから凄いよ。
@@ろンろン そりゃそうよ。人気、実力ともに、結構凄い馬だったんですよ。すっかり遅くなってしまったけれども・・・・。
タケホープは皐月賞に出れる運が無かった。それでもタケホープ以降 ダービー菊花賞二冠馬は現れてない。ハイセイコー以外の馬も深い世代なのが73世代
ダービーで3着に敗れて長距離不安説が出てた中で3000メートルの菊花賞で最後の直線タケホープとのデットヒートは感動しました。当時よく競馬中継に出ていた寺山修二さんが人間味のある馬として評論していたのをおぼえています。
今の馬の人気とは比較にならなかっでしょうね🐴とにかく子どもでも知っていましたね👍私も子どもでしたがテレビ、新聞いつも出ていましたよ❗ハイセイコー頑張りました💪長生きもしてくれました👏
今の競馬体系なら,大阪杯,天皇賞・秋は確勝でしょう.あるいは,ダート路線・地方交流競走は総ナメか.
今の時代だったら3歳で秋天4歳は中山記念・大阪杯・宝塚記念・秋天・マイC or香港カップというイスラボニータやアルアインみたいなローテーションの馬なんだろうな。不得意の長距離を人気背負って出走した菊花賞や天皇賞春は少しかわいそう。
あの頃は今みたいにレースの格付けがなければ、距離別路線も充実していなかったため「長距離=高額賞金」の図式があり、長距離が不得意と判っていても出走せざるを得なかった事情がありましたから。
それが馬を道具にしてるという事です。金儲けの道具。その馬の得意で安全に走れる距離を追求するべきだろう。
今なら絶対ダートのまま大井であれ程の時計を出してた馬が芝転向はない
中央競馬のダートを一度でいいから、走ってもらいたかった。特にタケシバオーの出した1700メートルの日本レコード1分41秒9を大幅に上回る1分39秒0で走る姿が見たかったです。
雄大な漆黒の馬体、とにかく逞しい、まさに野武士のニックネームが相応しい馬だった。社会的に一大ブームを巻き起こした事は子供心にもハッキング覚えている。
訂正 ハッキング→ハッキリ
まだ競馬知らなかった小学生の頃、おばあちゃんがハイセイコーについて語ってたの思い出しました😅😅
ハイセイコーが5歳で秋の天皇賞(当時は3200メートル)の前の東京のオープン(1800メートル)に出走して2着(勝ち馬はヤマブキオー)後鼻出血で秋の天皇賞出走回避した時NHKニュースにもなったそうですよ!ちなみにハイセイコーの偉業は今大井競馬場の2歳重賞ハイセイコー記念(旧青雲賞)に受け継がれています!
2000㍍までは絶対の強さ、ダービー、菊花賞、 天皇賞、有馬記念は距離の壁、今の時代の様にマイルのGⅠがあればマイル王になっていた❗
ダート路線に復帰してもフェブラリーステークスとチャンピオンズカップの両方で優勝してクロフネ級の馬になっていたと思う。
今なら大阪杯も勝てる。
完全に力負け今ならとかマイルならとかそんなんどんな馬にも言えるだろ(笑)
@@小堀健一-z4u 今現在ならば、阪神大賞典も勝てそう?
というか大井時代の時計がヤバすぎるし、調教師も騎手も語ってたようにダート馬だと思うよクロフネより芝で強かったけどダートだったら間違いなく最強馬になってた
生まれる前の馬だけど子供の頃は馬の名前というとまっ先にハイセイコーが思い浮かんだな親が競馬見てるわけでもないし何に影響されたのかわからんけどダービーとか菊花賞負けてるけど惨敗ってわけでもないし距離がのびると弱いわけでも無いんだな
中山記念の圧倒的な勝ち方を見たらマイラーだったかも知れんね。昔の馬は強ければクラシックディスタンスを走らされてたからね。ビゼンニシキの頃に3歳マイル路線があれば、ビゼンニシキはニホンピロウイナーの好敵手になってたんじゃないかな。
ハイセイコーは元祖アイドルホースやったな…大井から鳴り物入りで中央に転厩し、ダービー迄連勝街道まっしぐら。あの馬の場合はタケホープ、タニノチカラ(タニノムーティエの半弟)と云う良きライバルに恵まれとったしな。さらばハイセイコー、又逢う日迄…😭
Kazuya 誰?タニノチカラ。確か、グッドキラメキもいたよね。
成績とかは抜きにしてレコードを出して売れるってんだから、人気の面ではルドルフもブライアンもディープもハイセイコーの足元にも及ばないのでは。時代背景は違いますが。
人気面で張り合えるのはオグリくらいかと思います
雨宮功 人気、実力ともに、結構凄い馬だったんですよ。いや、ほんとに。
週刊少年マガジンの表紙になったくらいだからな。アイドルホースと言えば、このハイセイコーとオグリキャップは確定、異論はあるかもしれんがディープインパクト、この3頭だと思う。
@@wurry77 異論なし
自分は未だに寝ても覚めてハイセイコー🎉そしてステイゴールド❤次にオルフェーヴル❤この3頭な一生離れることはないでしょう😊惜しむらくは、騎手の選択が?🙄・・・もしステゴの騎手が初めから武豊だったら〜オルフェの凱旋門鞍上が池添だったら😅ただ本人の名誉のために、有馬記念 ダイユウサクの騎手が熊澤君だった事は大正解でしたね。
小さい頃から名前がカッコいいなあと思って見てました。
青雲賞の映像あるのびっくり。現在のハイセイコー記念。
NHK杯のやつ、普通に考えたら負けポジションなのに抜け出すんか…
すごい馬場だ…
カネイコマも強い良きライバルだったのかな
5:58後200しかないよ!w
夢をあたえてくれました
ハイセイコーは特別ですね。競馬のランキングが色々あるけれど、ハイセイコーはそういう対象に入れてはいけないような気がします。
伝説の競走馬
凄え!王様だわ‼︎
菊花賞は、鼻の差「3cm」だった。中山記念は、21馬身差。
この馬ハイセイコーは強かった。皐月賞の勝ち方はあれ見事だった。この馬を若い人にも見て欲しいね。
私の中ではやはりハイセイコーが一番だなー
ゆみこなか 僕もそう。
弥生賞からスプリングステークスてモーリアローやねw
嬉しい😄ね!
寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」を読んで、その後さらばハイセイコーをしり、この馬を知った。間違いなく今の"誰でも楽しめる競馬"を作った名馬の1頭だ。
懐かしい!
山口百恵とハイセイコーは伝説から神話の代表。
ありがとう友よ さらばハイセイコー
種牡馬としてハイセイコーは、成功してる。
しかも当時は内国産種牡馬冬の時代それを考えたら今の内国産種牡馬と変わらない種牡馬能力だと思う
カツラノハイセイコは覚えてる
芦毛のハクタイセイ
サンドピアリスもハイセイコーの仔でしたね。
中山記念えっっぐ
中山1800がベストコース距離みたいやね
台湾マンゴー 東京か阪神の1600メートルでも、十分できたのではないのかな。
調教師も騎手も語ってたようにダート馬だよハイセイコーの大井時代の時計はおかしいくらい凄いから
実況の盛山毅さんや鳥居滋夫さん(ともにフジテレビ)、あと杉本清さん(関西テレビ)や吉村功さん(東海テレビ)もハイセイコーに対する思いは強かっただろう。Takeshi Moriyama and Shigeo Torii (Both CX), Kiyoshi Sugimoto (KTV) and Isao Yoshimura (THK) would have had a strong feeling for Haiseiko.
鳥居さんハイセイコーの時代まで実況していたんだな。盛山アナの「あと200メートルしかないよ!」に草。みんなハイセイコーが好きだったんですね。政治家で言えば角栄みたいな馬だったか・・・。
いつかはウマ娘に実装されることを祈ってる、望みは捨ててはいない。例え実装出来なくても新シナリオのライトハローみたいなポジションで出てきても良い。
新冠に旅行に行った時にハイセイコー号をしった、ウマ娘から競馬を好きになったからハイセイコーは知らなかった人気と実力は正にだっだわけか
1:57キモいw
わらた
これが全員坊主頭で裸ならミドリのマキバオーになる。
公開コメント入力47
1800〜2200強い
ハイセイコーを出してくれてありがとう 感謝です!!!♡ (私は生まれていない世代ですが)凄く凄く尊敬していました!
どうだハイセイコー、この淀のコースの走り心地はどうだ
あと200mしかないよーw
武(邦彦)ホープ
ウマ娘化して欲しい馬ですね、オグリキャップの大先輩的ポジションですからね。
デタラメ順位💢
そう思います
スピードも末脚もない、ただの2000メートルの馬。オグリキャップの時代だと、ヤエノムテキに相当。昭和40年代、国民はこの程度の馬に入れ込んでいた。15年後、オグリを応援した国民とは、同じ国民とは思えない。15年の間に日本人の競馬を観る目な飛躍的に向上した。
ハイセイコーは3着以下なし。オグリキャップは3着、5着、6着(着外)、11着(惨敗)がある..どう評価するかはファンの胸の内.受け止めかた。どちらもビッグレースで勝ち負けしている
@@メジロアサマ-u1mハイセイコーは3着以下無しの意味がわからん天皇賞とか3着以下どころか普通に着外だけど
😅
肉食獣のエサだな
核ちゃん よく平気でそんなコメントが出来るな。言って良い事と悪い事の違いも分からんのか?
@@浅井崇-e9m うん、まったくその通りだと僕も思うよね。すっかり遅くなってしまったけれども。
こんなに
走らされて
幸せだったのかしら…
懐かしい動画、ありがとうございます。
忘れられないハイセイコー、偉大な名馬でした。
私の青春❤今の競馬はハイセイコーが無くては今の競馬は無いと思います😮🎉
正解です。
俺も歳を取り青春の想いでですよ、さらばハイセイコー😭
長い競馬界の歴史の中で強い馬,人気のある馬
多数いるがハイセイコーは別格です。
競馬をただのギャンブルからメジャーに引き上げた第一人者(馬)だとおもいます。
印象に残るレースでは負けが続い時期に中山記念をぶっちぎったレースが一番。
会社の帰り赤羽の飲み屋街にラジオから哀愁の漂うメロディーそれが主戦騎手/増沢末夫が
歌った「さらばハイセイコー」でした。
丈夫で長持ち、この馬格で故障もなく30年生きたのは、無事これ名馬の典型。我が青春のハイセイコー 君が出走するだけどワクワクした。
1:49 当時は弥生賞は、正式な皐月賞トライアルではない。5着まで優先出走権は付与されてたけど。
ハイセイコーは2歳の秋に大井のマイルを1分40秒切るタイムで勝ってた
父がカリムのイナリトウザイ(アラブ)は2歳の秋に翌年の桜花賞馬を破ってた
芦毛の怪物オグリキャップは2歳の暮れに古馬Bクラスと走って勝ってた
2歳から規格外な奴には夢がある
50年になりました。
初代アイドルホース
ハイセイコー
日本ダービー90年周年記念
ありがとうございます。🫡
どこかの喫茶店で聴いた
さらば、ハイセイコー~~〜〜〜〜
今も忘れない
引退の時に主戦だった増沢がさらばハイセイコーという曲で偲んだのはあまりにもゆうめい。
成績もローテもすげぇ
この頃競馬を知らない人でも『ハイセイコー』は知っているというくらいの人気のある馬だった。オグリキャップと同じような感じでしたね。
ガキでも知ってる競走馬は、ハイセイコーとオグリキャップ、あとデープインパクト。
同じではありません。競争馬としての価値は、うんこと金くらい違います。いうまでもなく、ハイセイコーがウンコ。
ハイセイコーよ!
永遠なれ!
@@ひげトントンはげトントン 😅
サラブレッドが走る姿がこんなにもカッコいいんやと言う事を教えてくれた馬。第一次競馬ブームの立役者と言う事を後に知った。馬券は一度も買ったことないけど、ただ彼らが一生懸命走る姿を見たいがために競馬を見続けてる今日この頃。
小学生の頃パチンコ屋で流れていたハイセイコーのレース実況忘れない
弥生賞、スプリングS、皐月賞、NHK杯、ダービー🏇🏇🏇🏇🏇、、、、、すごいローテーションですね。金田正一400勝の時代、馬も投手も出ずっぱり。
タケホープに破れた時のハイセイコーは、
涙を流し、厩舎に入って来なかったというお話を聞き、
馬も勝つ為にガンバってくれてるんだと感動した覚えがあります!
父が果たせなかった夢を果たしてくれたカツラノハイセイコ⋯
それにしても、ハイセイコー及び産駒達、長命なのが素晴らしい👏
元祖アイドルホース
そう言えば、
「さらば、ハイセイコー」
っていう歌がありましたね。
歌ったのは主戦騎手の人だったかしら?
「ありがとー ともよー
さらば、ハイセイコー」
っていう歌詞が未だに頭から離れません。
川村和彦 増沢末夫さんですね。僕も大ファンなものでちょっと・・・・。
何度聴いても泣けます😢
やっぱりハイセイコーが競馬のターニングポイントの一つだと思う
当時ただのギャンブル場で柄の悪いオッサンの巣窟だった競馬場にハイセイコー見たさに女性の観客が来る程だった
当時小学生だった私も知ってたハイセイコー
生まれて初めて知った競走馬でした
さすがにローテがやばすぎるな…NHK杯からだいぶ疲れてるような感じを受ける
2000m前後だと圧倒的に強かったんだな
増沢騎手にとり最強馬は文句無しに前年菊花賞馬イシノヒカルだそうですが一番思い出に残るのはやはりハイセイコーだそう。今世紀に入りNHK歌番組でさらばハイセイコー唄う増沢さんの姿に胸が一杯になりました。
私個人に取って競馬への関心を持たせてくれたのが“ハイセイコー”🐎でした。
無敗で迎えたダービーでタケホープに敗れたレースは、その悔しさは今でも脳裏にハッキリと刻まれています😣
一番好きな馬、530キロの美しい馬体😊
ウマ娘にハマって実際の競走馬のことをいろいろ調べていると父から「自分が若い頃に有名にだったのはハイセイコー、歌まで作られたくらいの競走馬」と教わりここにたどり着きました
覚えてくれていた父に感謝です
自分の68歳の競馬に興味のない母でも、オグリキャップとともに知っている馬です。
ちなみに自分は1983年産まれなので当然リアルタイムでは知りませんが、後世に語りつがれて知ってますからな。
ハイセイコー以上の成績をあげた馬はいくらもいるが、昭和48年にハイセイコーが中央競馬に移籍してこなければ、その後の我が国の競馬の隆盛はなかった。
チャイナロック産駒とは言え大井デビューの馬をよくぞクラッシック登録してたもんだ。しかし、そういう時代だったんだろうが酷使が凄いしそれに応えて走り続ける馬も凄い。
キャラソン聴いたら想像よりだいぶ軍歌調だった
Aメロは軍歌Bメロ以降は演歌ですね。増沢さんの歌唱力はすごいですね。
@@禰子-e5n 元は麦と兵隊です。
競馬の実況中継って、昔から変わらないんだね。
ハイセイコーの高松宮杯、中京競馬場の近くを通る国道1号がハイセイコー見たさのファンの車で大渋滞を起こしたとの逸話もございましたね。
この馬今の時代だったら1600から2500ならばいくつG1取れたと思います
5歳の俺が鼻差で負けた菊花賞を見て泣いたんだから凄いよ。
@@ろンろン そりゃそうよ。人気、実力ともに、結構凄い馬だったんですよ。すっかり遅くなってしまったけれども・・・・。
タケホープは皐月賞に出れる運が無かった。それでもタケホープ以降 ダービー菊花賞二冠馬は現れてない。ハイセイコー以外の馬も深い世代なのが73世代
ダービーで3着に敗れて長距離不安説が出てた中で3000メートルの菊花賞で最後の直線タケホープとのデットヒートは感動しました。当時よく競馬中継に出ていた寺山修二さんが人間味のある馬として評論していたのをおぼえています。
今の馬の人気とは比較にならなかっでしょうね🐴
とにかく子どもでも知っていましたね👍
私も子どもでしたがテレビ、新聞いつも出ていましたよ❗
ハイセイコー頑張りました💪長生きもしてくれました👏
今の競馬体系なら,大阪杯,天皇賞・秋は確勝でしょう.あるいは,ダート路線・地方交流競走は総ナメか.
今の時代だったら
3歳で秋天
4歳は中山記念・大阪杯・宝塚記念・秋天・マイC or香港カップ
というイスラボニータやアルアインみたいなローテーションの馬なんだろうな。
不得意の長距離を人気背負って出走した菊花賞や天皇賞春は少しかわいそう。
あの頃は今みたいにレースの格付けがなければ、距離別路線も充実していなかったため「長距離=高額賞金」の図式があり、長距離が不得意と判っていても出走せざるを得なかった事情がありましたから。
それが馬を道具にしてるという事です。金儲けの道具。その馬の得意で安全に走れる距離を追求するべきだろう。
今なら絶対ダートのまま
大井であれ程の時計を出してた馬が芝転向はない
中央競馬のダートを一度でいいから、走ってもらいたかった。特にタケシバオーの出した1700メートルの日本レコード1分41秒9を大幅に上回る1分39秒0で走る姿が見たかったです。
雄大な漆黒の馬体、とにかく逞しい、まさに野武士のニックネームが相応しい馬だった。社会的に一大ブームを巻き起こした事は子供心にもハッキング覚えている。
訂正 ハッキング→ハッキリ
まだ競馬知らなかった小学生の頃、おばあちゃんがハイセイコーについて語ってたの思い出しました😅😅
ハイセイコーが5歳で秋の天皇賞(当時は3200メートル)の前の東京のオープン(1800メートル)に出走して2着(勝ち馬はヤマブキオー)後鼻出血で秋の天皇賞出走回避した時NHKニュースにもなったそうですよ!ちなみにハイセイコーの偉業は今大井競馬場の2歳重賞ハイセイコー記念(旧青雲賞)に受け継がれています!
2000㍍までは絶対の強さ、ダービー、菊花賞、 天皇賞、有馬記念は距離の壁、今の時代の様にマイルのGⅠがあればマイル王になっていた❗
ダート路線に復帰してもフェブラリーステークスとチャンピオンズカップの両方で優勝してクロフネ級の馬になっていたと思う。
今なら大阪杯も勝てる。
完全に力負け
今ならとか
マイルならとか
そんなんどんな馬にも言えるだろ(笑)
@@小堀健一-z4u 今現在ならば、阪神大賞典も勝てそう?
というか大井時代の時計がヤバすぎるし、調教師も騎手も語ってたようにダート馬だと思うよ
クロフネより芝で強かったけどダートだったら間違いなく最強馬になってた
生まれる前の馬だけど子供の頃は馬の名前というとまっ先にハイセイコーが思い浮かんだな
親が競馬見てるわけでもないし何に影響されたのかわからんけど
ダービーとか菊花賞負けてるけど惨敗ってわけでもないし距離がのびると弱いわけでも無いんだな
中山記念の圧倒的な勝ち方を見たら
マイラーだったかも知れんね。
昔の馬は強ければクラシックディスタンスを走らされてたからね。
ビゼンニシキの頃に3歳マイル路線があれば、
ビゼンニシキはニホンピロウイナーの好敵手になってたんじゃないかな。
ハイセイコーは元祖アイドルホースやったな…大井から鳴り物入りで中央に転厩し、ダービー迄連勝街道まっしぐら。あの馬の場合はタケホープ、タニノチカラ(タニノムーティエの半弟)と云う良きライバルに恵まれとったしな。さらばハイセイコー、又逢う日迄…😭
Kazuya 誰?タニノチカラ。確か、グッドキラメキもいたよね。
成績とかは抜きにしてレコードを出して売れるってんだから、人気の面ではルドルフもブライアンもディープもハイセイコーの足元にも及ばないのでは。時代背景は違いますが。
人気面で張り合えるのはオグリくらいかと思います
雨宮功 人気、実力ともに、結構凄い馬だったんですよ。いや、ほんとに。
週刊少年マガジンの表紙になったくらいだからな。
アイドルホースと言えば、このハイセイコーとオグリキャップは確定、異論はあるかもしれんがディープインパクト、この3頭だと思う。
@@wurry77 異論なし
自分は未だに寝ても覚めてハイセイコー🎉
そしてステイゴールド❤
次にオルフェーヴル❤
この3頭な一生離れることはないでしょう😊
惜しむらくは、騎手の選択が?🙄・・・
もしステゴの騎手が初めから武豊だったら〜
オルフェの凱旋門鞍上が池添だったら😅
ただ本人の名誉のために、有馬記念 ダイユウサクの騎手が熊澤君だった事は大正解でしたね。
小さい頃から名前がカッコいいなあと思って見てました。
青雲賞の映像あるのびっくり。
現在のハイセイコー記念。
NHK杯のやつ、普通に考えたら負けポジションなのに抜け出すんか…
すごい馬場だ…
カネイコマも強い
良きライバルだったのかな
5:58後200しかないよ!w
夢をあたえてくれました
ハイセイコーは特別ですね。競馬のランキングが色々あるけれど、ハイセイコーはそういう対象に入れてはいけないような気がします。
伝説の競走馬
凄え!王様だわ‼︎
菊花賞は、鼻の差「3cm」だった。中山記念は、21馬身差。
この馬ハイセイコーは強かった。皐月賞の勝ち方はあれ見事だった。この馬を若い人にも見て欲しいね。
私の中ではやはりハイセイコーが一番だなー
ゆみこなか 僕もそう。
弥生賞からスプリングステークスてモーリアローやねw
嬉しい😄ね!
寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」を読んで、その後さらばハイセイコーをしり、この馬を知った。
間違いなく今の"誰でも楽しめる競馬"を作った名馬の1頭だ。
懐かしい!
山口百恵とハイセイコーは
伝説から神話の代表。
ありがとう友よ さらばハイセイコー
種牡馬としてハイセイコーは、成功してる。
しかも当時は内国産種牡馬冬の時代
それを考えたら今の内国産種牡馬と変わらない種牡馬能力だと思う
カツラノハイセイコは覚えてる
芦毛のハクタイセイ
サンドピアリスもハイセイコーの仔でしたね。
中山記念えっっぐ
中山1800がベストコース距離みたいやね
台湾マンゴー 東京か阪神の1600メートルでも、十分できたのではないのかな。
調教師も騎手も語ってたようにダート馬だよ
ハイセイコーの大井時代の時計はおかしいくらい凄いから
実況の盛山毅さんや鳥居滋夫さん(ともにフジテレビ)、あと杉本清さん(関西テレビ)や吉村功さん(東海テレビ)もハイセイコーに対する思いは強かっただろう。
Takeshi Moriyama and Shigeo Torii (Both CX), Kiyoshi Sugimoto (KTV) and Isao Yoshimura (THK) would have had a strong feeling for Haiseiko.
鳥居さんハイセイコーの時代まで実況していたんだな。盛山アナの「あと200メートルしかないよ!」に草。
みんなハイセイコーが好きだったんですね。
政治家で言えば角栄みたいな馬だったか・・・。
いつかはウマ娘に実装されることを祈ってる、望みは捨ててはいない。
例え実装出来なくても新シナリオのライトハローみたいなポジションで出てきても良い。
新冠に旅行に行った時にハイセイコー号をしった、ウマ娘から競馬を好きになったからハイセイコーは知らなかった
人気と実力は正にだっだわけか
1:57キモいw
わらた
これが全員坊主頭で裸ならミドリのマキバオーになる。
公開コメント入力47
1800〜2200強い
ハイセイコーを出してくれてありがとう
感謝です!!!♡
(私は生まれていない世代ですが)凄く凄く尊敬していました!
どうだハイセイコー、この淀のコースの走り心地はどうだ
あと200mしかないよーw
武(邦彦)ホープ
ウマ娘化して欲しい馬ですね、オグリキャップの大先輩的ポジションですからね。
デタラメ順位💢
そう思います
スピードも末脚もない、ただの2000メートルの馬。オグリキャップの時代だと、ヤエノムテキに相当。昭和40年代、国民はこの程度の馬に入れ込んでいた。15年後、オグリを応援した国民とは、同じ国民とは思えない。15年の間に日本人の競馬を観る目な飛躍的に向上した。
ハイセイコーは3着以下なし。
オグリキャップは3着、5着、6着(着外)、11着(惨敗)がある..
どう評価するかはファンの胸の内.受け止めかた。
どちらもビッグレースで勝ち負けしている
@@メジロアサマ-u1mハイセイコーは3着以下無しの意味がわからん
天皇賞とか3着以下どころか普通に着外だけど
😅
肉食獣のエサだな
核ちゃん よく平気でそんなコメントが出来るな。言って良い事と悪い事の違いも分からんのか?
@@浅井崇-e9m うん、まったくその通りだと僕も思うよね。すっかり遅くなってしまったけれども。