神武天皇は高句麗の副王だった!扶余を開拓したイワレヒコ
Вставка
- Опубліковано 5 жов 2024
- ご覧いただきありがとうございます💗
📖この動画の参考書籍📖
鹿島曻著書「倭人興亡史」「邪馬壱国興亡史」
石原道博著書「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」「新訂 旧唐書倭国日本伝・ 宋史日本伝・元史日本伝」
房玄齢等著書「晋書」
東洋文庫「三国史記1新羅本紀」
浜名寛祐著書「契丹古伝」
吾郷清彦著書「日本建国史 全訳ホツマツタヱ」
伏見稲荷大社務所「第50号山城国風土記と稲荷社」
佐治芳彦「邪馬臺国抹殺の謎」
鈴木武樹著書「消された帰化人たち」「日本古代史の展開」
宮崎康平著書「まぼろしの邪馬台国」
藤間生大著書「日本古代國家」
斎木雲州著書「出雲と蘇我王国」
富士林雅樹著書「出雲王朝とヤマト政権」
この動画の台本を公開しています😊
↓−note-もフォローしてね📗↓
note.com/ai_au...
#神武天皇#イワレヒコ#イカツチワケ
多国籍民族国家の国史だからそれぞれの民族の神話を喧嘩しないようにうまく?取り入れたんでしょうね。
1145年に編纂された「三国史記」は、「古事記」や「日本書紀」の内容を拝借していると言う話しは聞いていましたが、本当に拝借している事が確認出来ました。
ありがとうございます。
海彦・山彦の物語でも、弟の山彦が勝って繁栄したことになってますね。
参考書籍を列挙していただけるのは有難いんですが、入手出来たのが浜名寛祐著書「契丹古伝」とか斎木雲州著書「出雲と蘇我王国」ぐらいで、原文を確認出来ないのが
つらいですね。出雲・丹後系の初代~九代目(原神武朝)を引き継いだ九州系の崇神朝では、王朝交代を隠す為に神武天皇の出自を創作したとは思いますが。
鹿島神宮の祭神建御雷神も、モデルは「ワケイカツチ」かも知れない。古代史の海は深すぎて溺れてしまいそうです。
建御雷神の子供であり分家なのでワケたイカツチです。
沸流はフル、フルリ人、温祚は曽於(熊襲)な感じもしますね。
負児岳辺りの民が富士山と名付けた感じがしますね。
過去動画をリニューアルして最アップしている感じですね。
良いと思います。
三国史記はいつの時代に書かれた史書かご理解されてますか?
面白いw
私はカモタケツノだと思ってました、ツノはスサノオかなw
声が聴きやすくなったね。😊
出雲口伝が1番しっくりくるね。
そうすると徐福がマルドゥクやインドラになるな
@@weyfeyうん、星神信仰だからね。この星神信仰はユダヤ系統から発展したと。そして星神信仰の星の読み方は、航海術は発達させたと。徐福は山東省との事。この地域にはユダヤ系統の渡来人が入植していたと。この地域から南へ下ると江蘇省等、蘇の地域が散見される。この蘇は、古代イスラエル系統を指すと伝わっていると言う。話はちょっとズレるが、古代中国兵法は、中国独自性のものでは無く、古代ユダヤ系統の民は国を持てず、利子に依存する高利貸しを生業とした中にありがちな絶対に損はしない、マズければすぐ逃げろ、今日の武士道、騎士道には全く無い、イギリスのシティやアメリカのウォール街根底に流れているものに近い。事実、シティやウォール街では孫子の兵法が好んで読まれているという。・・・徐福が出雲攻略の為、相手に取り入り、政略結婚を準備し、兵士ではなく、大勢の子供達を連れて行くと。内実は、少年親衛隊、技術職人、そしてこれら大勢を乗せる船の造船技術と星神信仰の応用による航海術を駆使して大船団を組織して出雲攻略へ進む。・・・第一次失敗し第二次も名前を変えて臨むも失敗。第三次またまた名前を変えてやっと九州北部上陸。この間に出雲系の太陽信仰を捨てろ、星神信仰をせよ、と無理強いし、中々中々広まなかったと。・・・今日本のあちこちに✡️マークやユダヤ系統の足跡、特に何故伊勢神宮に✡️マークがあるのか。太秦、古代中国ではローマ帝国を太秦と読んでいたとも。・・・まあ長くなりましたが、徐福のやり口を見ると、シティやウォール街を作りアメリカのFRBを発足させ、アラブの分断の原因を作り、東京大空襲、2回の原爆投下、合わせて50万人に及ぶ死者を出し、ケロッとしている。カダフィ大佐を殺しシリアを崩壊させ、フセイン大統領を逮捕殺害し、中東を不安定化させ、今度はプーチン大統領を悪者として、鉄砲玉ゼレンスキー(実はゼレンスキーもユダヤ系統)を正義の味方に仕立て上げて混乱を招いている。更に酷いのがイスラエルのガザ問題。・・・古代日本でも古代出雲王家崩壊の後に、平城京、平安京ができたものの、米など税収取り立てが酷く、世情に安定せず、中国、朝鮮半島から渡来人を頻繁に受け入れ、同時に疫病までも輸入してきて、優雅とはかけ離れた世界が戦国期末まで続く。・・・本来ユダヤ系統は穏健で慎ましいが、一部に古代からシオニストと呼ばれてきた過激なもの達がいる。国が無い、人の土地を奪ってでも自分は王になると。・・・私には、今世界を混乱せしめているユダヤ系シオニストでシティやウォール街、FRBを仕切っている者達と徐福は、ダブって映る。だから出雲口伝がしっくりくるのです。長々と失礼しました。
過去動画も見れるようにして欲しい
面白いんですけど、偽書率が多くて、インチキが多くて、最近はがっかりですよ。
ホツマだと多賀大社生まれじゃなかったかな🤔💭
曇徴や恵慈と言う高句麗の高僧(当時は学者とも言える)が渡来したり、八咫烏の存在、高麗若光を受け入れたりと言う史実の裏付けになる話ですね
非常に興味深いお話でした。自分は神武天皇のモデルは高句麗の位宮=狗奴国団王の卑弥弓呼という説も聞いたことがあります。いずれにしても倭と高句麗・扶余は関係が深いようですね。
愛媛の 伊の國 中原..
ググって来たら、伊代国風土記に天山って面白い話しがあったよー
山が天に下ったとき ひとつは大和国の天の香具山(かぐや姫)に ひとつは伊予の天山になった。だって➰🐾
神武東征 前の話で 神武東征付近の話しだろうね これ
私も出雲口伝を知ってからはしっくり来なくなってます。
お酒の下戸..
下戸は お酒 呑ませてもらえないだろうから ここから由来が来てるのかな?(笑)
記紀神話では7世紀から少ししか遡れない。神武はどこまで行っても神話に過ぎない。あとヤマト政権側だけの歴史。
万里の長城建設が北部中国に集団の流動化と政治的な混乱を引き起こした。これが秦氏等の日本列島への移住を促した。基本的な理解はそれで良いでしょうかね?
神武天皇を現実的に考察して良いのなら、欠史を含めて史実であると考える。ただ、大和朝廷の正式成立までの天皇の系譜は正しいものの、それは家系図として正しいだけで、天皇と称する前段階の大神官の系譜が省略されている為に、大和朝廷以前の天皇は正しくは存在しない。大和王権と云う段階までは大神官が天皇と同等の立場にあったと考えるべきである。
天皇の出身地だけを問えば畿内であるが、大和王権の大神官は東日本側の有力国から出されてきたと考えるのが、東アジアまでを含めた情勢から考察するのが矛盾が無い。東日本側から以外から就く者が現れる、もしくは推される事があるとすれば…他民族に祭祀を任せる事となり、何千年と繋いできた東日本側の主権的考えを侵す事となる。そうなれば、東日本側は西日本を捨て去り、神武東征どころの騒ぎではない戦いが起きた歴史となっていておかしくはない。
一万年を超える繋がりはそう簡単には消え去るものではないと考えれば、西日本側の移民中心の諸国の考え方は、軍門に下りながらも中華で失敗した経験を生かして再起を計り、権力への挑戦を画するのである。
北九州勢力にとっての目の上の瘤は、大和王権から離脱をした出雲の巨大な影響力であり、武闘派である九州南部を根城にする熊襲と中華を知る隼人と穂高である。後に穂高は東日本の安曇野に追いやる事で歴史の闇に消え、政局の闘争により中央から外される事となる隼人と熊襲である。それでも大神官を守る事が出来たのは熊野が側近として残り続け、大神官から天皇と変化しても系譜が守られたのは「三種の神器」をそもそも持っていた東日本側の有力国の変わらぬ支持と支援があったからである。
寝言を言ってはいけません。
とんでも論
まったくですわ。フェイクネタすぎて、話にならん。中学生とか、アホでそのまま信じたら、だめと思いますわ。悪書ですな。