宮司が語る!四季のお祭りについて

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  • Опубліковано 1 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 10

  • @yukomatsuda
    @yukomatsuda Рік тому +2

    お花見にこんなに深い意味があったのですね?日本文化の奥深さに触れられ感激です✨ありがとうございました!これからも配信を楽しみにしております❤

    • @mitoshijinja
      @mitoshijinja  Рік тому

      コメントありがとうございます^^また色々なお話をアップしますのでよろしくお願いいたします❣

  • @由紀夫矢田
    @由紀夫矢田 Рік тому +1

    来年、神社検定を受験する予定です‼️
    大変勉強になりました‼️
    ありがとうございました🙇🏻‍♂️⤵️

    • @mitoshijinja
      @mitoshijinja  Рік тому

      コメントありがとうございます❤
      神社限定受けられるんですね!
      ご健闘をお祈りしています✨

    • @由紀夫矢田
      @由紀夫矢田 Рік тому +1

      ありがとうございます‼️🙇🏻‍♂️⤵️
      頑張ります‼️😊

    • @mitoshijinja
      @mitoshijinja  Рік тому

      🙏

  • @Tukihime-tt
    @Tukihime-tt Рік тому +1

    先生 またツアーご一緒したいです!琉球8社巡り待ってます!

    • @mitoshijinja
      @mitoshijinja  Рік тому +1

      わっ💕コメントありがとうございます😊
      琉球八社めぐり、私も楽しみにしています。またご一緒よろしくお願いいたします🍀

  • @MK-em8os
    @MK-em8os Рік тому +1

    「山車」は「出し」なのですね。
    「亥の子石」ですか。こんなのがあるのですね。
    桜のお話をされる時の東川さんの生き生きとした表情(笑)
    教えて頂いてからは知ったかぶりであちこちで使わせて頂いております。
    五条の水神は小和町のことでしょうか?
    平安京では上下水道のことがあまり分かっていなかったとおっしゃってますが、実は都ではこの問題にはかなり苦心していたと伝わっていますよ。
    大帝は南面して治めるというのは中国から入った思想ですが、飛鳥京は飛鳥川が南東から北西へ流れています。
    これが問題となり、平城京では秋篠川と佐保川が鬼門から裏鬼門へと流れる理想的な場所を選択。都の手前で堰止めて上水道として都へ流し、裏鬼門から下水を排出していたそうです。
    平安京ではさらに水量豊富な鴨川と御室川が北から南へ流れ、下水を東西の堀川へ流すという、こちらも理想的な地を選択したようです。
    それでも問題は多く有り、貴族の邸宅前の上水道を勝手に堰止め下水を流したりする輩が現れたりも。また行き倒れの人が鴨川に流れるなどというのもあったとか。
    室町時代になると上下水道の観念は無茶苦茶になっていたようですが。
    長くなりましてすみません。
    (天地悠久)

    • @mitoshijinja
      @mitoshijinja  Рік тому

      コメントありがとうございます^^さすが天地悠久さん!そうです。水神様は五條市小和町のタカヒメさんです。
      亥の子石!面白いですよね!
      京の町は、奈良に比べて格段に水が豊富で、だからこそ、長く都であり続けたのですね。それでも、民衆の意識はまだまだ低かったのでしょうね。
      ちなみに、奈良の都は、実は奈良の大仏建立により水銀中毒だったという話もあるそうです^^
      また色々教えてくださいませね❣