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私の明治37年生まれの祖母は乃木さんのことを事あるごと褒めていました。乃木神社でお守り買ってきてあげたら凄い喜んだら事、もう亡くなって20年は経ちますが今でも鮮明に覚えてるます。でも東郷さんのことは余り話さなかった。明治大帝に殉死したこと、息子さん2人失ったことが日露役からそう遠くない頃、尋常小学生になった祖母には感慨深かったようです。
米倉さんは「坂の上の雲」では大山巌を演じてましたね。
地元の観光名所になっている。何度も日本人の友達を203高地に案内していた。
児玉が24時間以内に砲兵陣地の移動を高崎山へ転換命令したのは「重砲隊」であって敷設準備に数ヶ月を要し、砲床のコンクリート工事に1ヶ月を必要とする「28珊榴弾砲」ではありません。それらはすでに第2回総攻撃に前後する頃には別の場所に敷設が終わっており、明治37年9月20日に占領した南山坡山を観測点として10月1日から湾内の艦船にも命中弾を与え相当の損害を旅順艦隊にもたらしていたのです。その後11月の第3回総攻撃後半になって主攻方面を203高地に転換し28珊榴弾砲を203高地に打ち込んでいます。占領した後も確かに旅順残余艦隊を28珊榴弾砲で砲撃しますがあくまでも「観測を203高地からおこなった」だけであり、203高地そのものに28珊榴弾砲を移動・設置したわけではありません。また24時間で28珊榴弾砲が移動できるはずもありません。【資料動画 ua-cam.com/video/jVsIE3bzG-M/v-deo.htmlの7:33当たり】
コンクリート工事に1か月!?
@@TN-ju3px 返信ありがとうございます。現在のような物資が豊富な国では無かった日本で戦時であり急に平時では余分ともいえる必要なコンクリート資材を各方面から集積するにも日数が掛かります。今のような道路整備された日本ではありません。資材も恐らく多方面からかき集めるほかないでしょうし、建設資材を輸送船に乗せて旅順まで運び・・・等々、施設準備にさえ数ヶ月かかるとされていますからコンクリート工事をやり、ベトンが乾き切るまで砲床は設置できません。1ヶ月はみておくべきでしょう。しかしそれらはすでに出来上がっていてこの動画の時期に二〇三髙地へ敷設をし直したのでは無いということ。だからこそ二〇三髙地へ28珊榴弾砲を打ち込むことが出来たのです。この動画はそこがまちがっているのです。この動画では二〇三髙地に敷設し直した28珊榴弾砲から旅順艦隊を砲撃したかのような創りになっていますが、あくまでも二〇三髙地は「旅順艦隊を双眼鏡などを使った測量で観測した地点」です。しかもそのときには既に旅順艦隊はすでにほとんど壊滅していたと言うことです。
@@TN-ju3pxベトンの下に砂利を敷くなど、基礎工事が大変なのでは。あんな重い大砲を載せるのだから
「俺は司馬なんかより歴史に詳しいんだぜ!」まで読んだ。
@@TN-ju3px そもそも28珊榴弾砲は沿岸防備として常設し、来襲する敵国艦船を砲撃する為のものであって、刻々と情勢が変化し、それに応じて移動する戦場で用いる砲兵隊の装備ではなく大変に重い砲撃システムです。つまり沿岸に永久敷設されたままというのが本来の在り方ですので、敷設にはそのぐらいの日数が掛かっても何の不思議もありません。
ロシア軍の機関銃はたった56丁しか持っていなかったし杜撰な弾薬管理で日本軍の砲爆で仕様不能にあの日本軍の要塞砲は不発弾が多くロシア軍が捕獲して整備して撃ち返すこともしばしあった。
初めて出会った機関銃とかもう嘘。日本軍は機関銃をフランスからかなり輸入して相当数部隊に配備してる。機関銃ではないがガトリング砲も幕末からすでに持ってるから、連続して弾が出る兵器を知らないみたいな表現がおかしい。
同感‼️確かノルディンフェルト、ミトレイユーズ、マキシムビッカース(台湾討伐で輪王寺宮(北白川宮将軍が運用))、ホチキス、ガトリングと名だたる機関銃砲を片っ端から買い付けているしな。
フランスのブリュネ将軍の鶴の一声で輸出決定したようだな。
秋山好古の騎兵部隊では機関銃が配備されていた。
どうもそういうことのようですね。同時期の海軍艦艇の写真でもマキシムガンが写っていたので、陸軍でも同様の火器の配備があっても不思議は無いと不審に思っていました。当該高地の攻略は敵陣地の重層的トラップにてこずったのではないかと思います。
このときの防御陣地+機関銃の戦術的組み合わせが戦史上初だったはず。この手の兵器と戦術の組み合わせによる歴史的革新って結構遭遇しない限りわからないし、普通はどうしようもない。三兵戦術、航空兵力の有機的活用とか全部そう。後出しじゃんけん、コロンブスの卵を簡単に語るのは後世の人間の勝手。逆に、一次大戦の塹壕戦を見てもわかるように数十年先でも回答は、戦車、航空戦力、毒ガスしかなかったのが事実。むしろ、乃木と日本軍は現有戦力と工兵のみで攻略してるという点で数十年先の戦略的課題をこなしているところは間違いなく名将。
このドラマのために28サンチ砲の模型を再現したことだけでも凄い
児玉源太郎は丹波哲郎のイメージが強いな・・・・
ヒゲ親父ぃ!
@@katuragi123さんへ、丹波さん 扮する児玉源太郎が大山巌に満州行きを直訴するシーンは感動しました
児玉「そんなバカ面さらしとって何が死力をつくしたじゃ?」
@ あの悪どい重み高橋秀樹さんには 出せんと思うとりますやっぱ丹波さん
@@PK-rl2jk 「たそがれ清兵衛」での丹波哲郎にも笑った。
やはり名役者はセリフの音階が見事だ
米倉斉加年と中谷一郎がなんだか釣り合わない気がするんですよねえ。それで調べてみたら驚いた。米倉斉加年のほうが4つ年下だった!中谷一郎、若々しすぎ!
司馬の乃木嫌いは有名。
坂の上の雲を読んだら分かるが、司馬は乃木よりも山県有朋と伊地知幸介が悪いと書いてる
どういう理由なのか、海とか水蒸気とか霧、船とか霞といった要素は、幻想的だからか、坂の上の雲の日本海会戦における、両軍が戦場で遭遇するまでの精神的に緊迫する描写は、素晴らしいの一言だった。資料の精査がいいかげんな人間なのは間違いないので、原稿も本気か脚色か判断がつかない。3式戦車にヤスリがかかったのを、焼き入れが無い粗悪な装甲、と表現していたが、50ミリを超す装甲は、被弾すると割れるので焼き入れはしない。それすら知らないなら、ちょっと・・・><
義経も嫌いだよね。徳川家康も新撰組も。
義経、家康、新撰組も嫌いですね。
@@内藤和弘-f4u 「新選組血風録」とか「燃えよ剣」も書いていますよ。
タイトル変更しておきました。「司馬の創作」を追加。捏造とまでは言わないでおきました。
捏造、といっても何ら語弊のないレベルで(悪意をもって)やらかしてやがるけどね、司馬遼太郎は。
悪意はあるのかなあ?虚言癖?ってのとも違うかあ。 独自の説や解釈が世間に認められたり賞賛されてファンにもなってくれる。そういうのに快感を得て調子こいちゃうのかもなあ。まるで教祖にでもなった気分?面白い小説を書く物語作家でいればいいモノを、歴史研究家、学者気取りになったのが間違いの元。それを許し権威にまでしちゃった外野(一般のファンも含めて)も悪いわ。
山中狭路 司馬遼太郎の小説はもう、独りよがりの決めつけのマンガですよ。ブンヤ上がりなんだから、推して知るべしだね。あの当時大半のヒトが有難がって、崇拝してたのが気持ち悪かった。例えば、坂の上の雲のオープニングのナレーションのように、「この痛々しいばかりの高揚が分からなければ、この時代の歴史は理解出来ない」とか刷り込みしてくるのがとても嫌。そんな些末な事は、歴史の理解に何も関係ない!
まあ小説として著作したものは、あくまでフィクションに分類され、ノンフィクションではないということになっていますから仕方が無いでしょうね。でも司馬の罪は大きいと思いますよ。「空海の風景」でも意味の解釈においてその誤謬が顕著です。以下は私の所感です。 「空海の風景」の中で「新来の真言家は即ち筆授の相承を泯(ほろぼ)す」とは、伝教大師・最澄の著「依馮天台集(えひょうてんだいしゅう)」で伝教大師・最澄が弘法大師・空海の真言宗を破折した文である。 「筆授の相承」とは、本来は中国・唐代の真言宗の一行(いちぎょう)阿闍梨が、善無畏三蔵より筆受した「真言の相承」を指す。これを間違って解釈したのが司馬遼太郎である。 一行阿闍梨とは嵩山(すうざん)の普寂(ふじゃく)について禅を学び、更に諸方で律蔵ならびに諸経論を研鑽し、また天台の教義にも通じていたといわれる。 善無畏が述べ、一行が記した「大日経疏(しょ)」は、まったく天台宗の立場で大日経を釈したものであった。しかし一行から時代が下って弘法大師・空海の伝えた東密では大日経を唯一絶対の法とし、天台法華を大日の三部より劣ると下(くだ)している。ゆえに伝教大師・最澄は「新来」すなわち「上代では無く」空海のもたらした「新来」の真言宗は善無畏・一行の筆授であるところの「真言の相承」を破ったもの(すなわち正しく相承していないもの)であるという意味が本来の「筆授の相承を泯す」という意味である。 だが司馬はこれを曲解し、真言という宗派は単に「経典」を筆授するだけ(教義の理解のみでは)では伝えられない奥義があるとして伝教大師が「筆授という古来からの伝統を破ったと空海を非難したもの」と解釈しているが、およそ一宗の創立者である最澄がそのようなことを理解出来ないはずも無かろう。でなければ天台宗で年分度者が12年間も山にこもって修行せねばならないというような筆授とはおよそほど遠い修行を課す必要もなかろう。要するに最澄が「依馮天台集」のなかで述べた「筆授」というのは、司馬がいうような教相でのみで理解するという事では無い。「筆授」とは善無畏と一行における真言宗でこそ重要とされているものなのである。司馬の解釈は本来とはまったく違っているのだ。1
@@山中狭路 さん実は学徒出陣(当時大阪外国語学校のちの大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)で陸軍に入り、それがキッカケで大の陸軍嫌いになった、それが坂の上の雲始め執筆に相当影響していると言われています。
203高地ではロシア兵は16名が生き残り他は玉砕 日本兵より悲惨!!まるで日本軍がまけたような映画ですが 内容に創作が多いですね 動画でそのことを徹底解説します
米倉さん、ドラマ「坂の上の雲」では大山巌元帥の役でしたね。
米倉斉加年は大河でもいろんな役やってますねえ。このドラマの主人公森鴎外役は江守徹でしたが、「坂の上の雲」では山県有朋でしたね。
陸軍司令部の乃木将軍の机になぜか風車が突き刺さって
@@ariharaybb 弥七?
『坂の上の雲』はテーマ自体は面白いし、作品は嫌いにはなれないが、乃木と伊地知の扱いがひどすぎる。それと何故か、旅順攻囲戦の扱いと比較して、奉天会戦の扱いが小さすぎる。それはドラマの『坂の上の雲』にまで継承されてしまっている。実際は日本の死者の数でも、奉天会戦の方が大きいくらいだし、あの旅順を終えた後、乃木第三軍の奮闘はめざましい。児玉の扱いにも疑問はあるな。
秋山好古のメインイベントは奉天会戦だったしね。まあ陸上の大会戦をドラマで再現するのは厳しいからしょうがないわな。小説の方は一応詳しいからそれで我慢だね。旅順とは違い、児玉や司令部のヘマもちゃんと書いてるし。
I like the size of the cannons they used :3
映画二百三高地の方が乃木、児玉の関係から指揮権云々の言い方が遥かに好き。司馬さんの小説はいわゆる司馬史観が好みでなく見てないのだけど。
そうそう!映画の兒玉の迫力、もの凄くて痛快でした!
日露戦争では、日本軍歩兵部隊に 陣地防御用であるマキシム機関銃の配備はありません この後立会いの外国武官が 母国で機関銃の重要性を説くが 第一次大戦まで 配備が重要視されていません。
マキシムはないけどフランスのホチキスの機関銃はあったぞ。
司馬さんはやたら資料買い漁りまくってるから随筆の方はガチ。なお当方作り話嫌いだから小説の方は読んだ事ない。
二人の子息が戦死して長州の思想的中枢の家柄(吉田松陰、玉木文之進は親族)が跡継ぎなく途絶えるのを憂慮した長州系の重鎮たちが、養子を周旋しようとしたがことごとく断った。つまり、家の存続繁栄は功業をなすことで、彼の信条”忠義”に反する振る舞いだったのだ。乃木希典はとてもエキセントリックな武人でした。
「第三軍の指揮権を暫くワシに譲れ」はリアルで笑えてきたwしかも乃木の描かれ方ただのボケジジイじゃんw乃木に対する名誉毀損も良いとこだろw
そういうとこなんですよねえ。今でこそ司馬のウソは喧伝されるようになったけど、これ連載当時にどんどん叩くべきとこじゃなかったのかよって。出版社やマスコミは金づるのドル箱作家様相手に文句は言わないゲスだからしょうがないけど、他の作家や歴史学者、評論家とかはなんで声を上げなかったんかいって。そういうのもあったけどみんなかき消された?しかし、せめて司馬が生きているうちに質すべきだったでしょうよ。それが司馬のためでもあったと思うんだがなあ。
@@山中狭路 司馬の生前にしばしば誤りは指摘されている。元軍人の方から痛烈に批判されていたし、司馬の耳にも入っていたが、自分の意見をかたくなに変えず、結局修正はしなかったというのが実状。(司馬は映像化を拒み続けたが、この作品がでたらめであるという自覚はあったように思う)ということは皮肉にも、頑迷固陋の象徴として「坂の上の雲」の中で描かれた乃木と伊地知こそが、司馬遼太郎自身ということになるw
結局この指揮権移譲の件は当時の文書にも見当たらなければ、命令権者たる大山は勿論当の乃木と児玉にその他満洲軍や第3軍の参謀だった者たち誰一人としてそれがあったことを匂わせることを言い残してないよな。
@@chiyo0216 いや、最近の研究では指揮権移譲の文章は、確かに大山が児玉に渡している。しかし、結局この指揮権委任状に基づいて、児玉が指揮権を握り、命令を下すことはなかった。
@@dodadi688 なるほど余に代わり児玉を〜の書状はあったけど、実際に児玉が第3軍の指揮権を執ることはなかったが正しいのですね。
朝日新聞の創作よりは許せる。
ただ山の斜面に砲撃してるようにしか見えなかったのですが気のせいでしょうか?
風車の源太郎
乃木希典中将(当時)は、善通寺(香川県)11師団長だった、このため四国の兵隊が多くこの戦争に行ったと母ちゃんがよく言っていた・・・善通寺11師団は第三軍の一つ・・
事実と完全に異なるフィクションが、公然と映像化されていることに驚きを禁じ得ない! 乃木の名誉棄損も甚だしい! 本来ならば、裁判に欠けられたら名誉棄損で有罪ものである!
@@nome8705 フィクションの映像化ならたくさんあるよ。それ全部、名誉毀損で訴えるの?大変だね、頑張って下さい。
これ、何かのドラマですか??初めて見ましたよ…。
コントです
司馬史観丸出しのヒデー映画だね。
シバは日本人ではないと婆さんがいっていたなあ
あれ?仲代達矢と丹波哲郎とちゃうん?
それは映画。こっちはテレビドラマ。
昭和56年TVドラマなんだからミリオタは細かい突っ込みいれてやるなよ
40年前か…
んだんだ。考証の程度ってもんもあったろうし。
ツッコみどころの多い動画なんだろうな・・・とはハナから覚悟してたが、むしろツッコみどころしかない動画とはなw
旅順のロケ地が日本アルプスのどこかじゃないかと思うほど急な山岳地形だし、28サンチ砲の射撃シーンがグダグダでガバガバすぎて草
南アルプスとかで撮影してるな、
舛田利雄の映画は伊豆大島てましたね。土が黒いので、史実にあったカーキ色の軍服は登場しませんでした。
実際は塹壕掘って敵陣に近づくんよね。これヨーロッパでも第一次世界大戦まで続いてた。コンクリ要塞を突破する有効手段は結局戦車と毒ガスなんよね。司馬は創作屋やからそれはしらんのよ。
日立3時間ドラマ「獅子の時代」ですね。
この時代の日本陸軍は兵隊の特攻しか術がないのに、要塞なんて築かれてる旅順を落とせと理不尽な指示をした上が悪い。
確かにな。元自衛隊幹部だった親父や叔父に聞いたが要塞を落とすには工兵による坑道作業で穴を掘り真下に爆薬を仕掛け爆破破壊するか火炎放射器による破壊しかないとの事。今なら空爆や戦車による砲撃だがな。
日本に限らず要塞を落とすのは歩兵の突入だし、旅順を放置したら満州の本隊が背後を突かれる恐れがあるのと旅順艦隊の無力化(実際は黄海の海戦で既に無力化同然だったが)という目的があるのだから攻略は必要不可欠だった。
事前砲撃の事知らなそう
旅順攻略戦は203高地ばかりが注目されるけれど、203高地の奪取は要塞攻略にはさほど影響してないんだよね。要塞守備隊が降伏した主な理由は兵力の枯渇で、結局のところ当時としては消耗戦以外に要塞攻略に有効な手段はなかったと言える。派手な軍服で戦争をしていても、戦闘自体は地味なものだね。
203高地以前にそもそも旅順攻略自体がオマケの作戦でしたからね。それが陸軍の日露戦争の象徴になっちゃった。主役でも何でもない乃木が大スターになるしね。面白いと言えば面白いんだろうかねえ?
オマケというのはさすがに言い過ぎだと思いますよ。満州での露軍主力との決戦には、旅順要塞の陸軍戦力と旅順艦隊の無力化が不可欠でしたから。乃木将軍が英雄視されるのは、やはり人々が英雄を欲していたからなんでしょうね。陸戦では日本海海戦のような華々しい勝利はありませんから。そこに、息子をはじめ多くの部下を失いつつも要塞を陥落させた功績と、水師営の会談に代表される高潔さを併せ持った人物が現れた。英雄とするには申し分ないですよね。もっとも、これ以降の時代においては指揮官クラスがいかに優秀でも大局は動かせないのですが……
英雄候補は他にもナンボでもいたけど乃木が突出した。実力=人気とはならんのは、古今東西よくあることですが。当時は乃木に接した人は、その精神性とやらに魅力を感じた人が多かったそうですが、現代で乃木に魅力を感じたり神格化したりする人は、どういったとこがいいんでしょうかねえ?このドラマで描かれてるような「悩める乃木」像は自分は好きですけどね。
@@山中狭路 オマケという表現にひねくれた人間性が現れていますよ。陸軍と海軍では目的行動が異なることをご理解できないのかナ。203攻略はいわば陸海共同旅順港残戦駆逐・・・しかも弾薬は陸軍持ち。元来旅順に軍艦がいても第3軍は脅威でもなんでもない。陸軍としては可否はともかく一刻も早く旅順要塞を落としさらに北へ進み(想定決戦たる)奉天回戦に早く対応すること、海軍の要望など本来二の次。日露戦争の天王山は「日本海海戦」と考える人が多いいじょう旅順港駆逐は価値がある。
@@山中狭路 日本の陸海軍に「英雄」は存在しません。天皇陛下に対し責任を全うしたか否かだけです。「実力=人気」はじめから一致するものではない。絵になる、小説になる、映画になる、だから英雄のように感じる人が出てくる、それは自然の成り行きというもの。「英雄候補は他にもナンボでも」というのなら10年飛んで日清戦争の英雄候補を挙げてみてください。共感はされないと思うし大抵は「だれそれ?」の世界だと思います。(逆に30年飛んで山本五十六はなしで)
中国の代わりにロシアを追っ払った。感謝されるべき戦い。
シナはとっくに草刈り場になってた。日本だろうがロシアだろうが、シナにとっては他国に取られるってのは同じこと。「代わりに追っ払った」と言えるのは朝鮮半島の事だな。
@@山中狭路さん日清戦争も朝鮮半島ヘロシアの南下ですから。日清戦争で、清は食い荒らされた。ロシアに旅順港から東進鉄道まで作られて。日露戦争もロシアの39度までの南下阻止ですから。清がロシアの南下を阻止為てくれたなら。
航空機が在ればたくさんの兵隊を失うことがなかったはず💀☠️🇯🇵
坂の上の雲はあくまで歴史小説であって史実ではないからね。つまり仮名手本忠臣蔵と同類と言うこと
坂の上は快晴ではなく雲があった。これは「暗雲」の意味だという解釈でいいのかな。
6:01
、 203高地に最初に国旗をたてた人?お墓に国旗を彫ってあります、夏梅さんと😂言う方です。真実ですか。😢
西南戦争で連隊旗を奪われてしまったので戦下手のイメージからこうなってしまったのでしょうか
これは江戸時代?
司馬遼太郎に洗脳されていた父親にホウテンの回戦を知って欲しい
「ホウテンの会戦」ね。
奉天の会戦な!因みに奉天の会戦の何を知って欲しいの?
乃木大将の働き。父親は乃木は無能で、児玉がいなければなにもできない、ただの突撃野郎だと思っていた笑
坂の上の雲も奉天会戦詳細に描いてませんでした?
乃木希典は優秀だよ。司馬遼太郎の、史観に惑わされないで欲しい。
何処がユウシュウ??
今だからあんな要塞攻略に正面作戦は被害増やすだけどいえるけど当時は要塞攻略に正面作戦は世界の軍隊の常識だった。あと当時に今でいう特殊部隊投入と編成したりとかただ正面作戦だけしていた訳じゃなかった。今の歴史観と常識で当時の作戦を批判したのが司馬遼太郎でな。司馬遼太郎の書き物は面白いが歴史観だけは同意できないところはある。
優秀なら流石に「白襷隊」は投入しないだろう。(笑)
@@洋史鈴木 白襷隊の被害は大きすぎるけどもともと決死隊の旨で編成された部隊だし、目標は達成しているから愚策とは思えないけど
いや統帥力の面でも伊地知参謀を抑えきれず犠牲者を増やした。児玉源太郎との能力差は明らかだ。
無謀な突撃により、1個師団が全滅状態は兵の無駄死に!
ゴールデンカムイの杉元佐一も203高地のどこかにいるはずだ。
飛行機がまだないから、正面突破しか戦法が無かった。
にしても他に方法がなかったのかと ローマ帝国時代と時代と変わらないやん(笑)
工兵による坑道戦とかやれることはあったんじゃないかな工兵出身の上原勇作(当時の第四軍の参謀長)も旅順攻略の反省点として工兵の要塞攻略の練度不足を挙げてたらしいし
戦車すら ない時代だし
日露戦争の10年後のWW1でも、正面突撃やりまくってたから、相手の陣地を占領するには、最後は歩兵が行くしかなかったんだろ。
厳寒の中、素手で鋼材触っちゃいけないよ。まじで
実はあの旅順要塞は対15サンチ防御しかなかったようだ。何故か父はそれを見抜いた。それだけ陸上自衛隊工兵のレベルが高いのか…
昭和の時代、ソ連軍が北海道に上陸して来たら自衛隊は10分ももたないと言われた。銃弾や砲弾がすぐなくなるんだという笑い話。旅順から何も学んじゃいないってなとこだが、まあ、露助が上陸作戦なんかできやしないってことに確信持ってたんだろうけどな、自衛隊のプロの方々は。
まさに司馬遼太郎の創作ですワ。
私は乃木将軍を同胞を無駄死にさせたと最近まで誤解していました。郷土の神社に祀られている乃木将軍の像は戦前の日本人が乃木将軍の事を正しく理解していたと解ります。像を大切にします。
丹波さんの動画の流れでたどり着いたから二百三高地かと思ったら違うのか これはなんというドラマですか
長野県に見えてならない。違うのなら申し訳ない。
28センチ榴弾砲を24時間で移動できるわけないやろ重砲陣地だよ重砲陣地
べトンならね。実際は木製でやったらしい。
@@捕手太郎 いや、実際には重砲陣地を移動して28センチ榴弾砲は移動させていません。
司馬遼太郎のお陰で愚将というイメージがついてしまった乃木希典だが、そもそも司馬遼太郎は学徒出陣で陸軍に入ってそれ以降大の陸軍嫌いになったという事を理解しないと話が始まらない。坂の上の雲はあくまでも秋山兄弟を中心に描いてはいるが。実際旅順攻撃は「海軍では荷が重いので陸から攻撃してくれ。期限はバルチック艦隊が日本に来るまで。」という事で計画されたもので、実はロシア軍が旅順を要塞化それもコンクリートを多用した世界初(最重要)の要塞だという事を大本営は理解していなかった(せいぜい日清戦争の旅順要塞を少し強化した程度に思ってた)。なので、当時どこの国の軍隊がやっていない即ち成功例も失敗例もマニュアルもない状況で攻撃しなければならないという事を理解しないとならない(そりゃ戦国自衛隊みたいにタイムスリップやドラえもんがひみつ道具出しまくったら話は別だけど)。事実、第一次総攻撃が失敗に終わった後、塹壕やそれこそトンネル掘って攻撃を仕掛けてアシストしている。この時の攻撃は特に工兵隊の参考資料として記録されているという(じゃあ第一次世界大戦の欧州戦線で参考にしなかったのって言われるかもしれない)。児玉源太郎が旅順の第三軍司令部に赴いたのは事実だが、大山巌満州軍総司令官に「危ないから一時的に指揮をとります(これは越権行為です)」と断って出張っている(大山の答えは「わかった、早く帰ってきてね」)。なお児玉が乃木を罵倒したとされているのは捏造で、うまく言いくるめて指揮権委譲を受けている、また参謀に対しては烈火の如く怒りまくっていた様で、そのキッカケは伊地知第三軍参謀長が「弾薬がないから攻撃に支障が」と答えて児玉が「お前ら優先的に回されているのに(歴史的事実)何言ってるんじゃワレゴルァ!お前はアホか!ふざけるなボケナスマヌケ!※意訳」と激しく罵っている。児玉が乃木に指揮権委譲を迫った殺し文句は「これ以上陛下の赤子たる兵を殺すわけにはいかんだろ。お前が苦労したおかげで妙案ができた」。なお児玉が向かっている途中実は二百三高地は一回奪取したが攻防戦の末奪い返されている。この旅順市街突入から二百三高地攻撃に切り替えたのは実は乃木であって児玉が到着し指揮権委譲後児玉が命令したものではない。
結果的に乃木大将以外旅順は落とせなかった!
なんで金属製の盾とか用意しなかったの?😅
じゃゴールデンカムイワールドもアリだな❗
突撃すれば、敵は銃弾を消費するだろう。銃弾が尽きれば、ヨーロッパ人は降伏する。それだけ。
児玉の関与が203高地奪取に関係してなくても児玉の素晴らしさは全く損なわれてないし乃木は乃木でまた素晴らしいと思う明治国家の成長とともに送った彼らの人生を司馬は文学的に美しいと賛美したわけで。司馬は別に乃木をさげてないよ。司馬の殉死をよく読めお前ら
元記者の作家さんにはすっかりだまされてしまった。事あるごとにフィクションであるとお断りをしつこくいうべきだったが、本屋も映画、TVも商売がかっていたな。坂の上の雲も同類項。
NHKの「坂の上の雲」が再放送されますね。本放送はもう15年前の事。この頃にはすでに「司馬の作り話」がバレだしてたよね。NHKは司馬の作品である「坂の上の雲」の忠実なドラマ化という線を変えることができなかったわけだが、そもそも変えるべきだという意見は出なかったのかな?メインで脚本担当してた野沢尚は仕事半ばで自殺した。司馬に忠実な脚本にすることへの葛藤とかが原因になったとかってことはないのかね?
@@山中狭路 つぶやきをいただいても、格別に申し上げることはございません。独り言ならば、どうぞご自分でご消化ください。私は一切関知致しませんので、これ以上はどうぞご遠慮下さい、ネ!
ウソでも何でもドラマとして面白ければいいんだよ。テレビ屋は。
上層部が下部の指揮権をうばうのはよほどの異常の状況であり、必要ヤムを得ない場合に限る。児玉の活躍は、出世欲にもえる参謀にとっては夢のよう出会った。しかし 黒溝台の戦いでは、1割以下の兵で持ちこたえていた秋山好古の部隊からの黒溝台守備部隊を無断で退却させロシアに陣地を渡した。将棋のような作戦のつもりだったらしい。 それも秋山にだまってその配下の黒溝台の種田守備部隊を総司令部命令で退却させたのであった。 さすがに歴戦の名将の立見第8師団長も、この戦は参謀らにまかせられないと感じた。 ものすごい犠牲をはらって黒溝台を取り返すもののすごい損害をこうむった。(八甲田山の生き残りの勇士らもほとんど戦死) 立見は自分たちよりはるか前線で沈担保(ロシア軍の主目的)を持ちこたえた好古に感嘆している。戦後も好古は沈黙を保ち、児玉も早死し日露戦史でもよくわからない。
旅順攻撃での乃木第三軍の損耗は確かに甚大だつたが当時のこの規模の要塞攻略戦としてみたときほんたうにさう非難されるやうな戦ひ方だつたのか。冷静で客観的な研究が必要であらう。司馬遼太郎の小説は小説として読めばいい。だが作り出されたイメージに引き摺られてはいけない。
あれだけの損害出してるんだもん、仮に成功してたって非難されるのはしょうがない。児玉が来て作戦変えたら成功したんだから、乃木軍のやり方は間違ってたのさ。しかし最近は乃木がどうのこうのじゃなく、旅順艦隊を砲撃で沈めること自体やらんでも良かったことって言われてるのね。もう旅順艦隊は動けなかった、そういう情報もあったが海軍は信じなかった。やらないでもいいことをやってあんなに死傷者出したって、ますます乃木が、いや犠牲になった将兵が哀れになるなあ。
@@山中狭路 実際に乃木は実力もあった。203高地奪取は別に児玉が来て作戦を変えたから成功したわけじゃありませんよ。これは司馬が広めた嘘話です。乃木の参謀たちは優秀な人が多いです。司馬は伊地知を無能の代名詞のように描いていますが、実は超優秀な参謀です。(出世も常に同期の誰よりも早かった)確かに203高地を奪取する以前、すなわちナマコ山を奪取して以降、旅順艦隊は使えない状態になっていた。しかしナマコ山では旅順港のすべてを見渡せることができず、旅順艦隊はナマコ山からでは見ることができないところに隠れてしまった。だから旅順艦隊撃滅という報は推測の域を出ないと海軍は判断して、陸軍に203高地攻略を強く要請したのです。さらに、他の人が指摘しているように、乃木としてはロシア兵を消耗させねば、旅順を陥落できないと判断して203高地を決戦の地として、消耗戦にもっていった。近代戦とはこちらが無傷で勝利をおさめることは不可能なんだから、大きな犠牲を払っても目的が達成されれば有能なのです。旅順陥落はやらなくてゃいいわけではなく、世界の人が旅順攻囲戦を注視しているわけだから、陥落することができれば、日本が勝っているという印象を世界の人に与えることができ、外債を売ることが容易にできるのです。だから戦略上、日本としては多大な犠牲を払ってでも旅順を陥落させねばならなかった。それに旅順陥落をきっかけとして、ロシア国内で「もはやこの戦争は勝てない」という観測が広まり、血の日曜日事件が起きたのだから、やはり旅順は陥落させねばいけなかった。
軍人の出世は、実力や実績とは比例しないけどな。乃木や伊地知にどんな実力があろうが、死屍累々を築いたのは事実。司馬がどう描いたかは関係ない。結果がすべてだと思うわ、軍人の評価は。20サンチ砲を持ってくるという単純なことができなかった乃木と伊地知は、この旅順においては無能でしかなかったのさ。
@@山中狭路 まず20サンチ砲じゃなく28センチ(サンチ)榴弾砲な。司馬は頭の固い伊地知が28センチ榴弾砲をかたくなに拒否したと書いていが、これもでたらめ。司馬がどう描いたか関係ないというが、乃木及び伊地知が28センチ榴弾砲を拒否したという事実はない。むしろ送ってくれという電報を東京の大本営に打っている。それに28センチ榴弾砲があれば旅順を容易に落とせるほど、近代要塞戦は生易しいものではない。死屍累々と言うが旅順陥落における日本軍の死傷者は、極めて少ないぞ。これはあくまで比較の問題。旅順攻囲戦というのは近代要塞戦なんだから、前近代の要塞戦と比較しても意味がない。例えば、クリミア戦争のセヴァストポリ要塞戦、攻撃側死者数12万8千。攻防戦10か月。第二次世界大戦のセヴァストポリ要塞戦、攻撃側死者数10万人。攻防戦10か月。第一次世界大戦のベルダン要塞攻防戦では、両軍合わせて死者70万人。これらと比較するに、旅順攻囲戦の攻撃側死者数はわずか1万5千人。さらに5か月で陥落させている。さらに言えばクリミア戦争のセヴァストポリ要塞と比較して、旅順要塞は実にセヴァストポリの6つを合わせたぐらいの堅牢さをほこっていた。また敵将クロパトキン将軍は、ヨーロッパ最強の陸軍がいかなる強力な兵器を使おうとも、3年以上は守ることができると豪語していた。それをわずか5か月で陥落させたのだから、これだけでもって乃木は名将といえる。わずかな死傷者数と期間で旅順を陥落させた乃木を世界の人々は驚嘆し、クロパトキン大将は恐れおののいた。結果がすべてだと思うのであれば、司馬のデマに騙されずに虚心坦懐に資料を見れば、明らかに乃木は名将だろう。こんな実績を成し遂げた将軍は他にいない。奉天会戦の活躍も含めて。
いったい何しに児玉は現地へ行った?司馬の創作なのかね?児玉が出張ってきた、それで話は終わりじゃん。乃木軍首脳が有能か無能かなんて議論するまでもないんだ、アンタら失格、クビってことだろ。児玉が来なくてもどうにかできたっていえるかもしれんがそれはタラレバだし、望みも薄かったし言い訳にしかならな。まあ近代の要塞攻防戦を知らなかった大本営が悪いし、乃木や伊地知は、同じように知らないながらもよくやったって評価はできるかもしれんが、どう転んでも「名」なんて形容は付けようはないな。(乃木の統帥者としての能力は除く、といっても軍司令官の価値はそっちのほうがでかいんだろうけどさ)
タイムマシンが無いと諸説フンプン・・。ああ言えばこう言うやつが必ず出て来る。
コレ、何のドラマ?
司馬史観は今や否定された
乃木希典も児玉源太郎も長州閥。まずこの事をオカシイと思わなければならない。他の藩出身者でも優秀な人物いたであろうはず。長州閥でなければ陸将になれない、これが間違いのもと。西郷隆盛初代陸軍大将による西南の役ののち薩摩閥から陸将になるもの少なし。
藩閥の弊害が出てくるのはこの後からでしょ。児玉は、本来参謀長をやる予定だった田村怡与造(甲府藩)が急死し、代わりが見当たらずしょうがなしというか無理体に着任させられたようなもん。もう内務大臣、台湾総督までやってた児玉にとって、満州軍の参謀長という職は3階級降格みたいなもんだからな。藩閥によるよいしょ人事とは真逆なんだ。満州軍の4人の軍司令官は、薩摩の黒木と野津、佐幕だった小倉藩の奥。乃木が第三軍に選ばれたのは、日清戦争で旅順を陥落させてる(大山巌の元でだが)から、今度も適任だろうという至極真っ当な人選(安易とも言えるが)。長州閥云々なんて忖度はない。まあ司馬は、薩摩が二人いるから長州も一人入れとけという忖度があったようなことは言ってたかな。
山中狭路様、コメントへのご返事ありがとうございます。司馬遼太郎の史観が好きではないと言いながら司馬遼太郎の史観にとらわれているのでしょうね。山縣有朋から西園寺公望、桂太郎の時代があまりによろしくないので、日露戦争まで長州閥が悪と考えるのは違うのですね。兵士の死亡も脚気によるものが多くあったと聞きます。乃木希典さんを神様にまつりあげたのも、のちの人々ですね。あらためて明治の将兵の心意気と昭和の将兵との落差を感じずにはいられませんね。浅学な私へのご返答ありがとうございます。
昭和の軍が腐った原因は高級軍人が官僚化したこと。明治の新国家を作るにあたって、軍隊だけでなく官僚機構を構築するための人材確保のために試験制度を取り入れた。封建時代までの門閥じゃ全国組織の官僚を賄える人材なんか揃えられない、当然の策だ。しかしこれは、日本が歴史上一度も採用しなかったシナの科挙の制度そのもの。なんで日本人は絶対に科挙を真似しなかったのかはわからないが、ありゃヤバいもんだとわかっていたのか否か…。ともかくその科挙(試験で官僚を選抜する)を取り入れた結果が、昭和の軍人の体たらくになった。最初は良かった。試験を通った軍人、官僚はみな天下国家の為とか公に奉仕する精神を持っていた。が、そんな精神はいつしか消え、出てきたのはエリート意識。自分たちはエライという増上慢の夜郎自大になっていたのが昭和の軍人。科挙を取り入れたことが国を亡ぼすことになると看破したのは小室直樹だが、特権階級化した官僚が国を亡ぼすのはソ連邦もしかり。昭和の軍でそれがいち早く起こったわけだが、戦後はその軍の体質がそっくり今の高級官僚(大蔵⇒財務省がその親玉)に引きつがれて現在に至る。ひとつ面白いのは、昭和の軍の意思決定層は佐官クラスになっていたこと。トップダウンが崩れることはなかった欧米の軍とは違う変遷をした日本の軍隊組織。なんでこうなっていったかの研究ってほとんど誰もしていないんだな(当然オレもどうしてそうなっていったのかはよくわからんわ)。
軽そうな28サンチ砲だな
ゴレンジャーの秘密兵器的な、、、
6:00 砲撃の迫力のなさが、、、しょぼすぎてww
米倉さんあんまり乗り気じゃないような気がしないでもない
どんなもんだったのかね?こんだけの好演と存在感示して、やる気が薄かったってのもねえ。昭和の演劇人だから当然のように左巻きで朝鮮人である米倉ですが、演じる役を選ぶようなことはしないタイプじゃなかったかと思う。いろんな役を達者に演じてきたA級の役者。このはるか後年、NHKの「坂の上の雲」では大山巌役もやってるが、出番少なすぎだったのが残念でした。
織田信長ならもっと良い戦法やってた?
信長は戦術家だの戦法編み出すだのって人じゃないから。桶狭間はギャンブルやったが、基本的に勝てる兵力揃えてから戦うタイプ。って司馬の小説の受け売りだが、これは肯定するわ。
高校の日本史の教師が乃木は無能な指揮官、地名に残るなんてと言ってた。どうなんだろう?
不死身の杉本は何処?(笑)
教えてください愛は死にますか?山は死にますか?
教えたら幾らくれる?
まぁ乃木さんは指揮官としてはあまり評価は高くないのは今でもそう。西南戦争でも旗取られたし
素朴な疑問。敵の軍旗を奪うってことは、作戦のうちに入ってるもんなのか?軍隊はそういうことやるものなのか、それを目標にするものなのか?って疑問に思うんだが、どうなんでしょ。軍旗奪われてどうにかこうにかって話は、乃木のケースしか聞いたことないし。ボードゲームじゃないんだから軍旗奪ったところで勝敗が決まるわけじゃあるまいし、なんだか薩摩の兵隊も意地汚いことやるもんだなあって思うんだな。
@@山中狭路 陣地取ったどーって奴ですね ウクライナがロシアの旗を焼いたり捨てたりするのは、旗ってのは私たちが思うより重要、KとかCがよく日本国旗燃やしたり踏んづけたりしてるのは平和ボケしてる我らはなんも感じないかもだけど、他の国の人からしてみたらブチ殺されても文句言えないレベル
相手が薩摩の知将篠原国許将軍だからなあ。運が悪すぎだ。
@@山中狭路 ゲームではなく人がしぬわけで、軍旗って言うのは想像以上に大事なんだと思います味方の士気にも影響は出るでしょう
@@永田寛-l9w 今の我々にはわからないですが、乃木さんは後年亡くなるまでずっと悔やんでいたそうですからね軍内部でも大分そしりは受けたらしいです
TBSの3時間ドラマ「獅子の如く」からでしょうか。児玉のような合理的な男が帝国陸軍にはもっと必要だった。児玉がいなければ日露戦争には勝てなかったのに乃木希典は日露戦争いや明治という時代の象徴になったことが、その後の帝国陸軍、大日本帝国の悲劇に繋がったと思う。日本人は壮絶と言う言葉が大好きだ。死体の山を築きそこに日章旗を掲げなければ気がすまない民族へとなって行く。陸軍の戦術は日露戦争から太平洋戦争まで全く変わらない。機関銃だろうが戦車だろうがひたすら歩兵による銃剣突撃あるのみ。
そうです、「獅子のごとく」。ご存知の方もいましたか。勝った勝ったで、まずかったところを隠ぺいしてしまった。それが日本の転落の始まりとか司馬も言ってましたな。しかし日露戦争の時は昭和とは違いずいぶん合理的でしたでしょ。同じなのは、持たないもの(物資や兵器弾薬の寡少)の無理やりなとこ。これはもしかすると日本だけの話じゃないかもしれない。ただ他の国だったら、兵力足りなかったら日本みたいに立ち上がりはしない、あるいはとっとと降伏するってのが違うかな?
司馬史観全快すぎだし、そもそも日本陸軍のドクトリン自体は上海事変あたりで戦闘群による浸透戦術に変化を遂げていて、機関銃陣地に掩護もなく突っ込むような戦法じゃねえよ。日本人は云々のくだりなら青島の攻略の内容くらい調べてからぬかせそれとも対戦車火器の一つたりとも日本軍にはなかったとでも思ってんのか?だいたい戦車への肉薄攻撃なんざ他国でもやってるわ
満州軍の参謀の中に「冬季にロシア軍の大規模攻勢は無い」と断じて、秋山支隊の警報を無視し続けて黒溝台会戦で危うく満州軍を壊滅させかねなかった人がいたような。
『獅子のごとく』リアルタイムで見てました。森鴎外(江守徹)の生涯を描いたドラマですが、児玉源太郎役が中谷一郎さんだったので、「弥七」が児玉を演っていると妙に記憶に残ってます。
乃木大将というのはこの戦いに関して言えば愚将の最たるものだが、太平洋戦争の時の連中と比べれば全然まし。
このドラマの児玉のセリフじゃないが、参謀が悪いんだよね。あと大本営も悪い。乃木に限らず、軍司令官って作戦立てられないし、参謀いなきゃイクサはできん。しかし責任は大将がとる。結果が良けりゃ称賛されるし悪ければ叩かれる。本人の能力は全く関係なしにだ。思えば乃木の評価が、愚将と名将と両方あるのは、要は旅順攻略戦の成否に乃木の力は何も関与してないってことの証左のようだわ。乃木以外の3人の司令官及び大親分の大山巌に関して、この日露戦争で名将だったのか愚だったのかってほとんど語られないのも面白いというか、なんだかいい加減だなーという気もするが、結局総大将って戦術的な勝ち負けに大して影響はないってことだわな。統帥だけが仕事。
現場より大本営の方がダメだったのではないですかね。旅順艦隊は第三軍の28サンチ砲でかなりダメージを与えた模様と打電している。それをあえて203高地を奪取せよとの命令をしているのはいかがなものかと。
何を以て愚将と吐き捨てるのか謎第二次総攻撃以降は強襲を改めて塹壕と坑道を掘る地道で堅実な正攻法により攻略し死者を抑えたといえる。
@@山中狭路 日露戦争に関する最新研究読んでいると現場の人間は優秀だが満洲軍総司令部のグダグダがすごい。児玉源太郎も実はそんなに優秀な参謀ではないのではないかと思うようになりましたね。台湾統治に関しては優れていましたが。
日本軍って突っ込むの好きだよな。当時の日本人気質なのかな?
他にやり方ないんだもん。塹壕ほりほり、坑道作戦ってのも併用したけど、時間かかり過ぎだし。突っ込む前に大砲撃ちまくれって言ったって、弾がありゃせんだのだ。結局は消耗覚悟で突っ込むしかねー。早く落とせってプレッシャーきっついしさ。
明治維新からまだそんな経ってないからまだそういう原始的なドクトリンしかなかったんだと思う
@@山中狭路 第一次世界大戦がまさに日露戦争って感じですからね。日露戦争は第零次世界大戦と言う歴史家もいるくらいですから。
突撃するにも夜陰に紛れて奇襲するとかラッパで敵にこれから突撃しまーす♫ってフェイントかまして囮にして注意を引いて裏から回り込むとかなら分かるけど、敵にこれからの予定を教えてそのまま突撃とか撃って下さいと言わんばかりの戦法はアホ丸出しとしか言いようがないな笑笑太平洋戦争でも突撃ラッパ鳴らして正面攻撃とか何回失敗しても繰り返してりゃ負けるわな
乃木は間違いなく凡将だが、特別扱いせず子を死地にやり、帝に夫妻で殉死した無私忠義だけは突出している。乃木軍神の元で挙式したが妄信はしない
このドラマの乃木切腹シーンua-cam.com/video/Og0CfD7jZhc/v-deo.htmlこのドラマでは、乃木の切腹が忠義の為だという解釈はしていない。最後の鴎外のセリフは「乃木家や世間(国家)が乃木に課した武士としての生き方を意地で全うした」「一番自分らしくない人生を完璧な形で全うした」と、忠義だの殉死だのという観点は皆無。これは自分も賛同しますね。あくまで自己のための切腹。それだけに異常にカタチにこだわった。そしてそれを完璧にこなした。鴎外も乃木同様、国家や家からの重圧に苦しみもがくのだが、個人と国家の関係や、明治の負の部分をえぐるのがこのドラマの主題。
しかしこの旅順は実際に現地に行ってみらんとわからんな。おそらく俺の感だと203高地以外にもっといい占領目標がありそうな気がする。実際に地図でも日本の佐世保と似たような地形だし。
抗日奇侠 乃木希典
乃木希典 有日本戰神之尊稱,1895年10月率領日軍第二師團於枋寮登陸並於10月21日攻進至台南府城,因戰功晉升為中將,日本殖民台灣時期,因平台有功為天皇親授為台灣第三任總督,1904年2月,日俄旅順戰爭203高地爭奪戰,奉日本天皇指派為日俄戰爭第三軍團司令官負起攻佔旅順之責,其作戰計畫是以強攻強打,最終以傷亡五萬多日軍的代價攻克203高地,兩位公子皆戰死沙場,後導致年邁孤苦無依,與夫人一起自殺而亡,結束傳奇的一生,此場戰爭亦造成中國三十萬平民百姓傷亡,由於旅順的勝利,更造成日本侵佔東三省的野心,進而發動侵華戰爭,及太平洋戰爭的深淵而無法自拔。
司馬危上げ太郎の小説はフィクションでありハクションデマあります😂
なぜ日本の戦法は古来から正面からのゴリ押しが好きなんだろう・・・
昔はみなそう。黒色火薬の時代は密集して前進ですよ。
児玉総参謀がいなければ203高地は捕れなかったよ。
まだそんな司馬の解釈(創作)を信じてる人がいるのか。乃木軍が203高地に目標を切り替えたのは、児玉が来る前で直接指揮なんかあるはずもない。それどころか司令部は当初は反対したくらいなんだから。児玉が来たのは陥落目前の時。わざわざ来る必要性がなかったと言っていい。
江戸時代の戦法だよ、勝てるわけがにい、指導者ひとつだよ。
満州軍の4人の軍司令官の中で参謀無しで戦えるのは奥保鞏だけであるが、そもそも近代戦では指揮官が作戦立てたり、戦法を編み出すもんじゃない。ってなことは司馬の言だが、奥の評価はともかく、後段の部分はその通りであろう。作戦が複数あってどれかを選ぶことや、進退の決断、そして何よりも統帥が指揮官の仕事だというのはわかる。もっとも責任を取るのも指揮官だから、乃木が叩かれるのは自然なことでもあるけどね。
乃木は、愚将ですよ。長州だから、出世できた。司馬に、勝る小説家はいねぇよ。児玉は天才だよ。しかも偉そうにしないんだよ。軍師だね。
型や精神論を前面に出すのは大抵は無能と相場は決まっている。しかし、そういうのは指揮官や大将には必要なもんである、と言っちゃうと司馬遼的になるかな。
私の明治37年生まれの祖母は乃木さんのことを事あるごと褒めていました。
乃木神社でお守り買ってきてあげたら凄い喜んだら事、もう亡くなって20年は経ちますが今でも鮮明に覚えてるます。
でも東郷さんのことは余り話さなかった。明治大帝に殉死したこと、息子さん2人失ったことが日露役からそう遠くない頃、尋常小学生になった祖母には感慨深かったようです。
米倉さんは「坂の上の雲」では大山巌を演じてましたね。
地元の観光名所になっている。何度も日本人の友達を203高地に案内していた。
児玉が24時間以内に砲兵陣地の移動を高崎山へ転換命令したのは「重砲隊」であって敷設準備に数ヶ月を要し、砲床のコンクリート工事に1ヶ月を必要とする「28珊榴弾砲」ではありません。それらはすでに第2回総攻撃に前後する頃には別の場所に敷設が終わっており、明治37年9月20日に占領した南山坡山を観測点として10月1日から湾内の艦船にも命中弾を与え相当の損害を旅順艦隊にもたらしていたのです。その後11月の第3回総攻撃後半になって主攻方面を203高地に転換し28珊榴弾砲を203高地に打ち込んでいます。占領した後も確かに旅順残余艦隊を28珊榴弾砲で砲撃しますがあくまでも「観測を203高地からおこなった」だけであり、203高地そのものに28珊榴弾砲を移動・設置したわけではありません。また24時間で28珊榴弾砲が移動できるはずもありません。【資料動画 ua-cam.com/video/jVsIE3bzG-M/v-deo.htmlの7:33当たり】
コンクリート工事に1か月!?
@@TN-ju3px 返信ありがとうございます。現在のような物資が豊富な国では無かった日本で戦時であり急に平時では余分ともいえる必要なコンクリート資材を各方面から集積するにも日数が掛かります。今のような道路整備された日本ではありません。資材も恐らく多方面からかき集めるほかないでしょうし、建設資材を輸送船に乗せて旅順まで運び・・・等々、施設準備にさえ数ヶ月かかるとされていますからコンクリート工事をやり、ベトンが乾き切るまで砲床は設置できません。1ヶ月はみておくべきでしょう。しかしそれらはすでに出来上がっていてこの動画の時期に二〇三髙地へ敷設をし直したのでは無いということ。だからこそ二〇三髙地へ28珊榴弾砲を打ち込むことが出来たのです。この動画はそこがまちがっているのです。この動画では二〇三髙地に敷設し直した28珊榴弾砲から旅順艦隊を砲撃したかのような創りになっていますが、あくまでも二〇三髙地は「旅順艦隊を双眼鏡などを使った測量で観測した地点」です。しかもそのときには既に旅順艦隊はすでにほとんど壊滅していたと言うことです。
@@TN-ju3pxベトンの下に砂利を敷くなど、基礎工事が大変なのでは。あんな重い大砲を載せるのだから
「俺は司馬なんかより歴史に詳しいんだぜ!」まで読んだ。
@@TN-ju3px そもそも28珊榴弾砲は沿岸防備として常設し、来襲する敵国艦船を砲撃する為のものであって、刻々と情勢が変化し、それに応じて移動する戦場で用いる砲兵隊の装備ではなく大変に重い砲撃システムです。つまり沿岸に永久敷設されたままというのが本来の在り方ですので、敷設にはそのぐらいの日数が掛かっても何の不思議もありません。
ロシア軍の機関銃はたった56丁しか持っていなかったし杜撰な弾薬管理で日本軍の砲爆で仕様不能にあの日本軍の要塞砲は不発弾が多くロシア軍が捕獲して整備して撃ち返すこともしばしあった。
初めて出会った機関銃とかもう嘘。日本軍は機関銃をフランスからかなり輸入して相当数部隊に配備してる。機関銃ではないがガトリング砲も幕末からすでに持ってるから、連続して弾が出る兵器を知らないみたいな表現がおかしい。
同感‼️確かノルディンフェルト、ミトレイユーズ、マキシムビッカース(台湾討伐で輪王寺宮(北白川宮将軍が運用))、ホチキス、ガトリングと名だたる機関銃砲を片っ端から買い付けているしな。
フランスのブリュネ将軍の鶴の一声で輸出決定したようだな。
秋山好古の騎兵部隊では機関銃が配備されていた。
どうもそういうことのようですね。同時期の海軍艦艇の写真でもマキシムガンが写っていたので、陸軍でも同様の火器の配備があっても不思議は無いと不審に思っていました。当該高地の攻略は敵陣地の重層的トラップにてこずったのではないかと思います。
このときの防御陣地+機関銃の戦術的組み合わせが戦史上初だったはず。
この手の兵器と戦術の組み合わせによる歴史的革新って結構遭遇しない限りわからないし、普通はどうしようもない。
三兵戦術、航空兵力の有機的活用とか全部そう。後出しじゃんけん、コロンブスの卵を簡単に語るのは後世の人間の勝手。
逆に、一次大戦の塹壕戦を見てもわかるように数十年先でも回答は、戦車、航空戦力、毒ガスしかなかったのが事実。
むしろ、乃木と日本軍は現有戦力と工兵のみで攻略してるという点で数十年先の戦略的課題をこなしているところは間違いなく名将。
このドラマのために28サンチ砲の模型を再現したことだけでも凄い
児玉源太郎は丹波哲郎のイメージが強いな・・・・
ヒゲ親父ぃ!
@@katuragi123さんへ、丹波さん 扮する児玉源太郎が大山巌に満州行きを直訴するシーンは感動しました
児玉「そんなバカ面さらしとって何が死力をつくしたじゃ?」
@ あの悪どい重み
高橋秀樹さんには 出せんと思うとります
やっぱ丹波さん
@@PK-rl2jk 「たそがれ清兵衛」での丹波哲郎にも笑った。
やはり名役者はセリフの音階が見事だ
米倉斉加年と中谷一郎がなんだか釣り合わない気がするんですよねえ。
それで調べてみたら驚いた。米倉斉加年のほうが4つ年下だった!
中谷一郎、若々しすぎ!
司馬の乃木嫌いは有名。
坂の上の雲を読んだら分かるが、司馬は乃木よりも山県有朋と伊地知幸介が悪いと書いてる
どういう理由なのか、海とか水蒸気とか霧、船とか霞といった要素は、幻想的だからか、坂の上の雲の日本海会戦における、両軍が戦場で遭遇するまでの精神的に緊迫する描写は、素晴らしいの一言だった。資料の精査がいいかげんな人間なのは間違いないので、原稿も本気か脚色か判断がつかない。3式戦車にヤスリがかかったのを、焼き入れが無い粗悪な装甲、と表現していたが、50ミリを超す装甲は、被弾すると割れるので焼き入れはしない。それすら知らないなら、ちょっと・・・><
義経も嫌いだよね。徳川家康も新撰組も。
義経、家康、新撰組も嫌いですね。
@@内藤和弘-f4u 「新選組血風録」とか「燃えよ剣」も書いていますよ。
タイトル変更しておきました。
「司馬の創作」を追加。捏造とまでは言わないでおきました。
捏造、といっても何ら語弊のないレベルで(悪意をもって)やらかしてやがるけどね、司馬遼太郎は。
悪意はあるのかなあ?虚言癖?ってのとも違うかあ。
独自の説や解釈が世間に認められたり賞賛されてファンにもなってくれる。
そういうのに快感を得て調子こいちゃうのかもなあ。まるで教祖にでもなった気分?
面白い小説を書く物語作家でいればいいモノを、歴史研究家、学者気取りになったのが間違いの元。
それを許し権威にまでしちゃった外野(一般のファンも含めて)も悪いわ。
山中狭路
司馬遼太郎の小説はもう、独りよがりの決めつけのマンガですよ。
ブンヤ上がりなんだから、推して知るべしだね。
あの当時大半のヒトが有難がって、崇拝してたのが気持ち悪かった。
例えば、坂の上の雲のオープニングのナレーションのように、「この痛々しいばかりの高揚が分からなければ、この時代の歴史は理解出来ない」とか刷り込みしてくるのがとても嫌。
そんな些末な事は、歴史の理解に何も関係ない!
まあ小説として著作したものは、あくまでフィクションに分類され、ノンフィクションではないということになっていますから仕方が無いでしょうね。でも司馬の罪は大きいと思いますよ。
「空海の風景」でも意味の解釈においてその誤謬が顕著です。以下は私の所感です。
「空海の風景」の中で「新来の真言家は即ち筆授の相承を泯(ほろぼ)す」とは、伝教大師・最澄の著「依馮天台集(えひょうてんだいしゅう)」で伝教大師・最澄が弘法大師・空海の真言宗を破折した文である。
「筆授の相承」とは、本来は中国・唐代の真言宗の一行(いちぎょう)阿闍梨が、善無畏三蔵より筆受した「真言の相承」を指す。これを間違って解釈したのが司馬遼太郎である。
一行阿闍梨とは嵩山(すうざん)の普寂(ふじゃく)について禅を学び、更に諸方で律蔵ならびに諸経論を研鑽し、また天台の教義にも通じていたといわれる。
善無畏が述べ、一行が記した「大日経疏(しょ)」は、まったく天台宗の立場で大日経を釈したものであった。しかし一行から時代が下って弘法大師・空海の伝えた東密では大日経を唯一絶対の法とし、天台法華を大日の三部より劣ると下(くだ)している。ゆえに伝教大師・最澄は「新来」すなわち「上代では無く」空海のもたらした「新来」の真言宗は善無畏・一行の筆授であるところの「真言の相承」を破ったもの(すなわち正しく相承していないもの)であるという意味が本来の「筆授の相承を泯す」という意味である。
だが司馬はこれを曲解し、真言という宗派は単に「経典」を筆授するだけ(教義の理解のみでは)では伝えられない奥義があるとして伝教大師が「筆授という古来からの伝統を破ったと空海を非難したもの」と解釈しているが、およそ一宗の創立者である最澄がそのようなことを理解出来ないはずも無かろう。でなければ天台宗で年分度者が12年間も山にこもって修行せねばならないというような筆授とはおよそほど遠い修行を課す必要もなかろう。要するに最澄が「依馮天台集」のなかで述べた「筆授」というのは、司馬がいうような教相でのみで理解するという事では無い。「筆授」とは善無畏と一行における真言宗でこそ重要とされているものなのである。司馬の解釈は本来とはまったく違っているのだ。
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@@山中狭路 さん
実は学徒出陣(当時大阪外国語学校のちの大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)で陸軍に入り、それがキッカケで大の陸軍嫌いになった、それが坂の上の雲始め執筆に相当影響していると言われています。
203高地ではロシア兵は16名が生き残り他は玉砕 日本兵より悲惨!!まるで日本軍がまけたような映画ですが 内容に創作が多いですね 動画でそのことを徹底解説します
米倉さん、ドラマ「坂の上の雲」では大山巌元帥の役でしたね。
米倉斉加年は大河でもいろんな役やってますねえ。
このドラマの主人公森鴎外役は江守徹でしたが、「坂の上の雲」では山県有朋でしたね。
陸軍司令部の乃木将軍の机になぜか風車が突き刺さって
@@ariharaybb 弥七?
『坂の上の雲』はテーマ自体は面白いし、作品は嫌いにはなれないが、乃木と伊地知の扱いがひどすぎる。それと何故か、旅順攻囲戦の扱いと比較して、奉天会戦の扱いが小さすぎる。それはドラマの『坂の上の雲』にまで継承されてしまっている。実際は日本の死者の数でも、奉天会戦の方が大きいくらいだし、あの旅順を終えた後、乃木第三軍の奮闘はめざましい。児玉の扱いにも疑問はあるな。
秋山好古のメインイベントは奉天会戦だったしね。
まあ陸上の大会戦をドラマで再現するのは厳しいからしょうがないわな。
小説の方は一応詳しいからそれで我慢だね。
旅順とは違い、児玉や司令部のヘマもちゃんと書いてるし。
I like the size of the cannons they used :3
映画二百三高地の方が乃木、児玉の関係から指揮権云々の言い方が遥かに好き。
司馬さんの小説はいわゆる司馬史観が好みでなく見てないのだけど。
そうそう!
映画の兒玉の迫力、もの凄くて痛快でした!
日露戦争では、日本軍歩兵部隊に 陣地防御用であるマキシム機関銃の配備はありません この後立会いの外国武官が 母国で機関銃の重要性を説くが 第一次大戦まで 配備が重要視されていません。
マキシムはないけどフランスのホチキスの機関銃はあったぞ。
司馬さんはやたら資料買い漁りまくってるから随筆の方はガチ。なお当方作り話嫌いだから小説の方は読んだ事ない。
二人の子息が戦死して長州の思想的中枢の家柄(吉田松陰、玉木文之進は親族)が跡継ぎなく途絶えるのを憂慮した長州系の重鎮たちが、養子を周旋しようと
したがことごとく断った。つまり、家の存続繁栄は功業をなすことで、彼の信条”忠義”に反する振る舞いだったのだ。乃木希典はとてもエキセントリックな武人でした。
「第三軍の指揮権を暫くワシに譲れ」はリアルで笑えてきたw
しかも乃木の描かれ方ただのボケジジイじゃんw
乃木に対する名誉毀損も良いとこだろw
そういうとこなんですよねえ。
今でこそ司馬のウソは喧伝されるようになったけど、これ連載当時にどんどん叩くべきとこじゃなかったのかよって。出版社やマスコミは金づるのドル箱作家様相手に文句は言わないゲスだからしょうがないけど、他の作家や歴史学者、評論家とかはなんで声を上げなかったんかいって。そういうのもあったけどみんなかき消された?
しかし、せめて司馬が生きているうちに質すべきだったでしょうよ。それが司馬のためでもあったと思うんだがなあ。
@@山中狭路 司馬の生前にしばしば誤りは指摘されている。
元軍人の方から痛烈に批判されていたし、司馬の耳にも入っていたが、自分の意見をかたくなに変えず、結局修正はしなかったというのが実状。(司馬は映像化を拒み続けたが、この作品がでたらめであるという自覚はあったように思う)
ということは皮肉にも、頑迷固陋の象徴として「坂の上の雲」の中で描かれた乃木と伊地知こそが、司馬遼太郎自身ということになるw
結局この指揮権移譲の件は当時の文書にも見当たらなければ、命令権者たる大山は勿論当の乃木と児玉にその他満洲軍や第3軍の参謀だった者たち誰一人としてそれがあったことを匂わせることを言い残してないよな。
@@chiyo0216 いや、最近の研究では指揮権移譲の文章は、確かに大山が児玉に渡している。
しかし、結局この指揮権委任状に基づいて、児玉が指揮権を握り、命令を下すことはなかった。
@@dodadi688
なるほど
余に代わり児玉を〜の書状はあったけど、実際に児玉が第3軍の指揮権を執ることはなかったが正しいのですね。
朝日新聞の創作よりは許せる。
ただ山の斜面に砲撃してるようにしか見えなかったのですが気のせいでしょうか?
風車の源太郎
乃木希典中将(当時)は、善通寺(香川県)11師団長だった、このため四国の兵隊が多くこの戦争に行ったと母ちゃんがよく言っていた・・・善通寺11師団は第三軍の一つ・・
事実と完全に異なるフィクションが、公然と映像化されていることに驚きを禁じ得ない! 乃木の名誉棄損も甚だしい! 本来ならば、裁判に欠けられたら名誉棄損で有罪ものである!
@@nome8705
フィクションの映像化ならたくさんあるよ。
それ全部、名誉毀損で訴えるの?
大変だね、頑張って下さい。
これ、何かのドラマですか??
初めて見ましたよ…。
コントです
司馬史観丸出しのヒデー映画だね。
シバは日本人ではないと婆さんがいっていたなあ
あれ?
仲代達矢と丹波哲郎とちゃうん?
それは映画。こっちはテレビドラマ。
昭和56年TVドラマなんだからミリオタは細かい突っ込みいれてやるなよ
40年前か…
んだんだ。
考証の程度ってもんもあったろうし。
ツッコみどころの多い動画なんだろうな・・・とはハナから覚悟してたが、むしろツッコみどころしかない動画とはなw
旅順のロケ地が日本アルプスのどこかじゃないかと思うほど急な山岳地形だし、28サンチ砲の射撃シーンがグダグダでガバガバすぎて草
南アルプスとかで撮影してるな、
舛田利雄の映画は伊豆大島てましたね。
土が黒いので、史実にあったカーキ色の軍服は登場しませんでした。
実際は塹壕掘って敵陣に近づくんよね。これヨーロッパでも第一次世界大戦まで続いてた。
コンクリ要塞を突破する有効手段は結局戦車と毒ガスなんよね。
司馬は創作屋やからそれはしらんのよ。
日立3時間ドラマ「獅子の時代」ですね。
この時代の日本陸軍は兵隊の特攻しか術がないのに、要塞なんて築かれてる旅順を落とせと理不尽な指示をした上が悪い。
確かにな。元自衛隊幹部だった親父や叔父に聞いたが要塞を落とすには工兵による坑道作業で穴を掘り真下に爆薬を仕掛け爆破破壊するか火炎放射器による破壊しかないとの事。今なら空爆や戦車による砲撃だがな。
日本に限らず要塞を落とすのは歩兵の突入だし、旅順を放置したら満州の本隊が背後を突かれる恐れがあるのと旅順艦隊の無力化(実際は黄海の海戦で既に無力化同然だったが)という目的があるのだから攻略は必要不可欠だった。
事前砲撃の事知らなそう
旅順攻略戦は203高地ばかりが注目されるけれど、203高地の奪取は要塞攻略にはさほど影響してないんだよね。
要塞守備隊が降伏した主な理由は兵力の枯渇で、結局のところ当時としては消耗戦以外に要塞攻略に有効な手段はなかったと言える。派手な軍服で戦争をしていても、戦闘自体は地味なものだね。
203高地以前にそもそも旅順攻略自体がオマケの作戦でしたからね。
それが陸軍の日露戦争の象徴になっちゃった。
主役でも何でもない乃木が大スターになるしね。面白いと言えば面白いんだろうかねえ?
オマケというのはさすがに言い過ぎだと思いますよ。満州での露軍主力との決戦には、旅順要塞の陸軍戦力と旅順艦隊の無力化が不可欠でしたから。
乃木将軍が英雄視されるのは、やはり人々が英雄を欲していたからなんでしょうね。陸戦では日本海海戦のような華々しい勝利はありませんから。
そこに、息子をはじめ多くの部下を失いつつも要塞を陥落させた功績と、水師営の会談に代表される高潔さを併せ持った人物が現れた。英雄とするには申し分ないですよね。
もっとも、これ以降の時代においては指揮官クラスがいかに優秀でも大局は動かせないのですが……
英雄候補は他にもナンボでもいたけど乃木が突出した。
実力=人気とはならんのは、古今東西よくあることですが。
当時は乃木に接した人は、その精神性とやらに魅力を感じた人が多かったそうですが、現代で乃木に魅力を感じたり神格化したりする人は、どういったとこがいいんでしょうかねえ?
このドラマで描かれてるような「悩める乃木」像は自分は好きですけどね。
@@山中狭路 オマケという表現にひねくれた人間性が現れていますよ。
陸軍と海軍では目的行動が異なることをご理解できないのかナ。
203攻略はいわば陸海共同旅順港残戦駆逐・・・しかも弾薬は陸軍持ち。元来旅順に軍艦がいても第3軍は脅威でもなんでもない。
陸軍としては可否はともかく一刻も早く旅順要塞を落としさらに北へ進み(想定決戦たる)奉天回戦に早く対応すること、海軍の要望など本来二の次。
日露戦争の天王山は「日本海海戦」と考える人が多いいじょう旅順港駆逐は価値がある。
@@山中狭路 日本の陸海軍に「英雄」は存在しません。
天皇陛下に対し責任を全うしたか否かだけです。「実力=人気」はじめから一致するものではない。絵になる、小説になる、映画になる、だから英雄のように感じる人が出てくる、それは自然の成り行きというもの。「英雄候補は他にもナンボでも」というのなら10年飛んで日清戦争の英雄候補を挙げてみてください。共感はされないと思うし大抵は「だれそれ?」の世界だと思います。(逆に30年飛んで山本五十六はなしで)
中国の代わりにロシアを追っ払った。感謝されるべき戦い。
シナはとっくに草刈り場になってた。
日本だろうがロシアだろうが、シナにとっては他国に取られるってのは同じこと。
「代わりに追っ払った」と言えるのは朝鮮半島の事だな。
@@山中狭路さん
日清戦争も朝鮮半島ヘロシアの南下ですから。
日清戦争で、清は食い荒らされた。ロシアに旅順港から東進鉄道まで作られて。
日露戦争もロシアの39度までの南下阻止ですから。
清がロシアの南下を阻止為てくれたなら。
航空機が在ればたくさんの兵隊を失うことがなかったはず💀☠️🇯🇵
坂の上の雲はあくまで歴史小説であって史実ではないからね。
つまり仮名手本忠臣蔵と同類と言うこと
坂の上は快晴ではなく雲があった。
これは「暗雲」の意味だという解釈でいいのかな。
6:01
、 203高地に最初に国旗をたてた人?
お墓に国旗を彫って
あります、
夏梅さんと😂言う方です。真実ですか。😢
西南戦争で連隊旗を奪われてしまったので戦下手のイメージからこうなってしまったのでしょうか
これは江戸時代?
司馬遼太郎に洗脳されていた父親にホウテンの回戦を知って欲しい
「ホウテンの会戦」ね。
奉天の会戦な!因みに奉天の会戦の何を知って欲しいの?
乃木大将の働き。父親は乃木は無能で、児玉がいなければなにもできない、ただの突撃野郎だと思っていた笑
坂の上の雲も奉天会戦詳細に描いてませんでした?
乃木希典は優秀だよ。司馬遼太郎の、史観に惑わされないで欲しい。
何処がユウシュウ??
今だからあんな要塞攻略に正面作戦は被害増やすだけどいえるけど当時は要塞攻略に正面作戦は世界の軍隊の常識だった。
あと当時に今でいう特殊部隊投入と編成したりとかただ正面作戦だけしていた訳じゃなかった。
今の歴史観と常識で当時の作戦を批判したのが司馬遼太郎でな。司馬遼太郎の書き物は面白いが歴史観だけは同意できないところはある。
優秀なら流石に「白襷隊」は投入しないだろう。(笑)
@@洋史鈴木 白襷隊の被害は大きすぎるけどもともと決死隊の旨で編成された部隊だし、目標は達成しているから愚策とは思えないけど
いや統帥力の面でも伊地知参謀を抑えきれず犠牲者を増やした。児玉源太郎との能力差は明らかだ。
無謀な突撃により、1個師団が全滅状態は兵の無駄死に!
ゴールデンカムイの杉元佐一も203高地のどこかにいるはずだ。
飛行機がまだないから、正面突破しか戦法が無かった。
にしても他に方法がなかったのかと ローマ帝国時代と時代と変わらないやん(笑)
工兵による坑道戦とかやれることはあったんじゃないかな
工兵出身の上原勇作(当時の第四軍の参謀長)も旅順攻略の反省点として工兵の要塞攻略の練度不足を挙げてたらしいし
戦車すら ない時代だし
日露戦争の10年後のWW1でも、正面突撃やりまくってたから、相手の陣地を占領するには、最後は歩兵が行くしかなかったんだろ。
厳寒の中、素手で鋼材触っちゃいけないよ。まじで
実はあの旅順要塞は対15サンチ防御しかなかったようだ。何故か父はそれを見抜いた。それだけ陸上自衛隊工兵のレベルが高いのか…
昭和の時代、ソ連軍が北海道に上陸して来たら自衛隊は10分ももたないと言われた。
銃弾や砲弾がすぐなくなるんだという笑い話。
旅順から何も学んじゃいないってなとこだが、まあ、露助が上陸作戦なんかできやしないってことに確信持ってたんだろうけどな、自衛隊のプロの方々は。
まさに司馬遼太郎の創作ですワ。
私は乃木将軍を同胞を無駄死にさせたと最近まで誤解していました。郷土の神社に祀られている乃木将軍の像は戦前の日本人が乃木将軍の事を正しく理解していたと解ります。
像を大切にします。
丹波さんの動画の流れでたどり着いたから二百三高地かと思ったら違うのか これはなんというドラマですか
長野県に見えてならない。違うのなら申し訳ない。
28センチ榴弾砲を24時間で移動できるわけないやろ
重砲陣地だよ重砲陣地
べトンならね。実際は木製でやったらしい。
@@捕手太郎 いや、実際には重砲陣地を移動して28センチ榴弾砲は移動させていません。
司馬遼太郎のお陰で愚将というイメージがついてしまった乃木希典だが、そもそも司馬遼太郎は学徒出陣で陸軍に入ってそれ以降大の陸軍嫌いになったという事を理解しないと話が始まらない。坂の上の雲はあくまでも秋山兄弟を中心に描いてはいるが。
実際旅順攻撃は「海軍では荷が重いので陸から攻撃してくれ。期限はバルチック艦隊が日本に来るまで。」という事で計画されたもので、実はロシア軍が旅順を要塞化それもコンクリートを多用した世界初(最重要)の要塞だという事を大本営は理解していなかった(せいぜい日清戦争の旅順要塞を少し強化した程度に思ってた)。なので、当時どこの国の軍隊がやっていない即ち成功例も失敗例もマニュアルもない状況で攻撃しなければならないという事を理解しないとならない(そりゃ戦国自衛隊みたいにタイムスリップやドラえもんがひみつ道具出しまくったら話は別だけど)。事実、第一次総攻撃が失敗に終わった後、塹壕やそれこそトンネル掘って攻撃を仕掛けてアシストしている。この時の攻撃は特に工兵隊の参考資料として記録されているという(じゃあ第一次世界大戦の欧州戦線で参考にしなかったのって言われるかもしれない)。
児玉源太郎が旅順の第三軍司令部に赴いたのは事実だが、大山巌満州軍総司令官に「危ないから一時的に指揮をとります(これは越権行為です)」と断って出張っている(大山の答えは「わかった、早く帰ってきてね」)。なお児玉が乃木を罵倒したとされているのは捏造で、うまく言いくるめて指揮権委譲を受けている、また参謀に対しては烈火の如く怒りまくっていた様で、そのキッカケは伊地知第三軍参謀長が「弾薬がないから攻撃に支障が」と答えて児玉が「お前ら優先的に回されているのに(歴史的事実)何言ってるんじゃワレゴルァ!お前はアホか!ふざけるなボケナスマヌケ!※意訳」と激しく罵っている。児玉が乃木に指揮権委譲を迫った殺し文句は「これ以上陛下の赤子たる兵を殺すわけにはいかんだろ。お前が苦労したおかげで妙案ができた」。
なお児玉が向かっている途中実は二百三高地は一回奪取したが攻防戦の末奪い返されている。この旅順市街突入から二百三高地攻撃に切り替えたのは実は乃木であって児玉が到着し指揮権委譲後児玉が命令したものではない。
結果的に乃木大将以外旅順は落とせなかった!
なんで金属製の盾とか用意しなかったの?😅
じゃゴールデンカムイワールドもアリだな❗
突撃すれば、敵は銃弾を消費するだろう。銃弾が尽きれば、ヨーロッパ人は降伏する。それだけ。
児玉の関与が203高地奪取に関係してなくても
児玉の素晴らしさは全く損なわれてないし
乃木は乃木でまた素晴らしいと思う
明治国家の成長とともに送った彼らの人生を
司馬は文学的に美しいと賛美したわけで。
司馬は別に乃木をさげてないよ。
司馬の殉死をよく読め
お前ら
元記者の作家さんにはすっかりだまされてしまった。事あるごとにフィクションであるとお断りをしつこくいうべきだったが、本屋も映画、TVも商売がかっていたな。坂の上の雲も同類項。
NHKの「坂の上の雲」が再放送されますね。
本放送はもう15年前の事。
この頃にはすでに「司馬の作り話」がバレだしてたよね。
NHKは司馬の作品である「坂の上の雲」の忠実なドラマ化という線を変えることができなかったわけだが、そもそも変えるべきだという意見は出なかったのかな?
メインで脚本担当してた野沢尚は仕事半ばで自殺した。
司馬に忠実な脚本にすることへの葛藤とかが原因になったとかってことはないのかね?
@@山中狭路 つぶやきをいただいても、格別に申し上げることはございません。独り言ならば、どうぞご自分でご消化ください。私は一切関知致しませんので、これ以上はどうぞご遠慮下さい、ネ!
ウソでも何でもドラマとして面白ければいいんだよ。テレビ屋は。
上層部が下部の指揮権をうばうのはよほどの異常の状況であり、必要ヤムを得ない場合に限る。
児玉の活躍は、出世欲にもえる参謀にとっては夢のよう出会った。
しかし 黒溝台の戦いでは、1割以下の兵で持ちこたえていた秋山好古の部隊からの黒溝台守備部隊を無断で退却させロシアに陣地を渡した。
将棋のような作戦のつもりだったらしい。 それも秋山にだまってその配下の黒溝台の種田守備部隊を総司令部命令で退却させたのであった。
さすがに歴戦の名将の立見第8師団長も、この戦は参謀らにまかせられないと感じた。 ものすごい犠牲をはらって黒溝台を取り返す
もののすごい損害をこうむった。(八甲田山の生き残りの勇士らもほとんど戦死) 立見は自分たちよりはるか前線で沈担保(ロシア軍の主目的)を持ちこたえた好古に感嘆している。
戦後も好古は沈黙を保ち、児玉も早死し日露戦史でもよくわからない。
旅順攻撃での乃木第三軍の損耗は確かに甚大だつたが当時のこの規模の要塞攻略戦としてみたときほんたうにさう非難されるやうな戦ひ方だつたのか。冷静で客観的な研究が必要であらう。司馬遼太郎の小説は小説として読めばいい。だが作り出されたイメージに引き摺られてはいけない。
あれだけの損害出してるんだもん、仮に成功してたって非難されるのはしょうがない。
児玉が来て作戦変えたら成功したんだから、乃木軍のやり方は間違ってたのさ。
しかし最近は乃木がどうのこうのじゃなく、旅順艦隊を砲撃で沈めること自体やらんでも良かったことって言われてるのね。もう旅順艦隊は動けなかった、そういう情報もあったが海軍は信じなかった。
やらないでもいいことをやってあんなに死傷者出したって、ますます乃木が、いや犠牲になった将兵が哀れになるなあ。
@@山中狭路
実際に乃木は実力もあった。
203高地奪取は別に児玉が来て作戦を変えたから成功したわけじゃありませんよ。これは司馬が広めた嘘話です。
乃木の参謀たちは優秀な人が多いです。司馬は伊地知を無能の代名詞のように描いていますが、実は超優秀な参謀です。(出世も常に同期の誰よりも早かった)
確かに203高地を奪取する以前、すなわちナマコ山を奪取して以降、旅順艦隊は使えない状態になっていた。しかしナマコ山では旅順港のすべてを見渡せることができず、旅順艦隊はナマコ山からでは見ることができないところに隠れてしまった。
だから旅順艦隊撃滅という報は推測の域を出ないと海軍は判断して、陸軍に203高地攻略を強く要請したのです。
さらに、他の人が指摘しているように、乃木としてはロシア兵を消耗させねば、旅順を陥落できないと判断して203高地を決戦の地として、消耗戦にもっていった。
近代戦とはこちらが無傷で勝利をおさめることは不可能なんだから、大きな犠牲を払っても目的が達成されれば有能なのです。
旅順陥落はやらなくてゃいいわけではなく、世界の人が旅順攻囲戦を注視しているわけだから、陥落することができれば、日本が勝っているという印象を世界の人に与えることができ、外債を売ることが容易にできるのです。
だから戦略上、日本としては多大な犠牲を払ってでも旅順を陥落させねばならなかった。
それに旅順陥落をきっかけとして、ロシア国内で「もはやこの戦争は勝てない」という観測が広まり、血の日曜日事件が起きたのだから、やはり旅順は陥落させねばいけなかった。
軍人の出世は、実力や実績とは比例しないけどな。
乃木や伊地知にどんな実力があろうが、死屍累々を築いたのは事実。司馬がどう描いたかは関係ない。結果がすべてだと思うわ、軍人の評価は。20サンチ砲を持ってくるという単純なことができなかった乃木と伊地知は、この旅順においては無能でしかなかったのさ。
@@山中狭路
まず20サンチ砲じゃなく28センチ(サンチ)榴弾砲な。
司馬は頭の固い伊地知が28センチ榴弾砲をかたくなに拒否したと書いていが、これもでたらめ。
司馬がどう描いたか関係ないというが、乃木及び伊地知が28センチ榴弾砲を拒否したという事実はない。むしろ送ってくれという電報を東京の大本営に打っている。
それに28センチ榴弾砲があれば旅順を容易に落とせるほど、近代要塞戦は生易しいものではない。
死屍累々と言うが旅順陥落における日本軍の死傷者は、極めて少ないぞ。
これはあくまで比較の問題。旅順攻囲戦というのは近代要塞戦なんだから、前近代の要塞戦と比較しても意味がない。
例えば、
クリミア戦争のセヴァストポリ要塞戦、攻撃側死者数12万8千。攻防戦10か月。
第二次世界大戦のセヴァストポリ要塞戦、攻撃側死者数10万人。攻防戦10か月。
第一次世界大戦のベルダン要塞攻防戦では、両軍合わせて死者70万人。
これらと比較するに、旅順攻囲戦の攻撃側死者数はわずか1万5千人。さらに5か月で陥落させている。
さらに言えばクリミア戦争のセヴァストポリ要塞と比較して、旅順要塞は実にセヴァストポリの6つを合わせたぐらいの堅牢さをほこっていた。
また敵将クロパトキン将軍は、ヨーロッパ最強の陸軍がいかなる強力な兵器を使おうとも、3年以上は守ることができると豪語していた。それをわずか5か月で陥落させたのだから、これだけでもって乃木は名将といえる。
わずかな死傷者数と期間で旅順を陥落させた乃木を世界の人々は驚嘆し、クロパトキン大将は恐れおののいた。
結果がすべてだと思うのであれば、司馬のデマに騙されずに虚心坦懐に資料を見れば、明らかに乃木は名将だろう。こんな実績を成し遂げた将軍は他にいない。奉天会戦の活躍も含めて。
いったい何しに児玉は現地へ行った?司馬の創作なのかね?
児玉が出張ってきた、それで話は終わりじゃん。
乃木軍首脳が有能か無能かなんて議論するまでもないんだ、アンタら失格、クビってことだろ。
児玉が来なくてもどうにかできたっていえるかもしれんがそれはタラレバだし、望みも薄かったし言い訳にしかならな。
まあ近代の要塞攻防戦を知らなかった大本営が悪いし、乃木や伊地知は、同じように知らないながらもよくやったって評価はできるかもしれんが、どう転んでも「名」なんて形容は付けようはないな。
(乃木の統帥者としての能力は除く、といっても軍司令官の価値はそっちのほうがでかいんだろうけどさ)
タイムマシンが無いと諸説フンプン・・。ああ言えばこう言うやつが必ず出て来る。
コレ、何のドラマ?
司馬史観は今や否定された
乃木希典も児玉源太郎も長州閥。
まずこの事をオカシイと思わなければならない。
他の藩出身者でも優秀な人物いたであろうはず。
長州閥でなければ陸将になれない、これが間違いのもと。
西郷隆盛初代陸軍大将による西南の役ののち薩摩閥から陸将になるもの少なし。
藩閥の弊害が出てくるのはこの後からでしょ。
児玉は、本来参謀長をやる予定だった田村怡与造(甲府藩)が急死し、代わりが見当たらずしょうがなしというか無理体に着任させられたようなもん。
もう内務大臣、台湾総督までやってた児玉にとって、満州軍の参謀長という職は3階級降格みたいなもんだからな。
藩閥によるよいしょ人事とは真逆なんだ。
満州軍の4人の軍司令官は、薩摩の黒木と野津、佐幕だった小倉藩の奥。乃木が第三軍に選ばれたのは、日清戦争で旅順を陥落させてる(大山巌の元でだが)から、今度も適任だろうという至極真っ当な人選(安易とも言えるが)。長州閥云々なんて忖度はない。まあ司馬は、薩摩が二人いるから長州も一人入れとけという忖度があったようなことは言ってたかな。
山中狭路様、
コメントへのご返事ありがとうございます。
司馬遼太郎の史観が好きではないと言いながら司馬遼太郎の史観にとらわれているのでしょうね。
山縣有朋から西園寺公望、桂太郎の時代があまりによろしくないので、日露戦争まで長州閥が悪と考えるのは違うのですね。
兵士の死亡も脚気によるものが多くあったと聞きます。
乃木希典さんを神様にまつりあげたのも、のちの人々ですね。
あらためて明治の将兵の心意気と昭和の将兵との落差を感じずにはいられませんね。
浅学な私へのご返答ありがとうございます。
昭和の軍が腐った原因は高級軍人が官僚化したこと。
明治の新国家を作るにあたって、軍隊だけでなく官僚機構を構築するための人材確保のために試験制度を取り入れた。
封建時代までの門閥じゃ全国組織の官僚を賄える人材なんか揃えられない、当然の策だ。
しかしこれは、日本が歴史上一度も採用しなかったシナの科挙の制度そのもの。
なんで日本人は絶対に科挙を真似しなかったのかはわからないが、ありゃヤバいもんだとわかっていたのか否か…。
ともかくその科挙(試験で官僚を選抜する)を取り入れた結果が、昭和の軍人の体たらくになった。
最初は良かった。試験を通った軍人、官僚はみな天下国家の為とか公に奉仕する精神を持っていた。
が、そんな精神はいつしか消え、出てきたのはエリート意識。
自分たちはエライという増上慢の夜郎自大になっていたのが昭和の軍人。
科挙を取り入れたことが国を亡ぼすことになると看破したのは小室直樹だが、特権階級化した官僚が国を亡ぼすのはソ連邦もしかり。
昭和の軍でそれがいち早く起こったわけだが、戦後はその軍の体質がそっくり今の高級官僚(大蔵⇒財務省がその親玉)に引きつがれて現在に至る。
ひとつ面白いのは、昭和の軍の意思決定層は佐官クラスになっていたこと。
トップダウンが崩れることはなかった欧米の軍とは違う変遷をした日本の軍隊組織。
なんでこうなっていったかの研究ってほとんど誰もしていないんだな(当然オレもどうしてそうなっていったのかはよくわからんわ)。
軽そうな28サンチ砲だな
ゴレンジャーの秘密兵器的な、、、
6:00 砲撃の迫力のなさが、、、
しょぼすぎてww
米倉さんあんまり乗り気じゃないような気がしないでもない
どんなもんだったのかね?
こんだけの好演と存在感示して、やる気が薄かったってのもねえ。
昭和の演劇人だから当然のように左巻きで朝鮮人である米倉ですが、演じる役を選ぶようなことはしないタイプじゃなかったかと思う。
いろんな役を達者に演じてきたA級の役者。
このはるか後年、NHKの「坂の上の雲」では大山巌役もやってるが、出番少なすぎだったのが残念でした。
織田信長ならもっと良い戦法やってた?
信長は戦術家だの戦法編み出すだのって人じゃないから。
桶狭間はギャンブルやったが、基本的に勝てる兵力揃えてから戦うタイプ。
って司馬の小説の受け売りだが、これは肯定するわ。
高校の日本史の教師が乃木は無能な指揮官、地名に残るなんてと言ってた。どうなんだろう?
不死身の杉本は何処?(笑)
教えてください愛は死にますか?山は死にますか?
教えたら幾らくれる?
まぁ乃木さんは指揮官としてはあまり評価は高くないのは今でもそう。西南戦争でも旗取られたし
素朴な疑問。
敵の軍旗を奪うってことは、作戦のうちに入ってるもんなのか?
軍隊はそういうことやるものなのか、それを目標にするものなのか?って疑問に思うんだが、どうなんでしょ。
軍旗奪われてどうにかこうにかって話は、乃木のケースしか聞いたことないし。
ボードゲームじゃないんだから軍旗奪ったところで勝敗が決まるわけじゃあるまいし、なんだか薩摩の兵隊も意地汚いことやるもんだなあって思うんだな。
@@山中狭路 陣地取ったどーって奴ですね ウクライナがロシアの旗を焼いたり捨てたりするのは、旗ってのは私たちが思うより重要、
KとかCがよく日本国旗燃やしたり踏んづけたりしてるのは平和ボケしてる我らはなんも感じないかもだけど、他の国の人からしてみたらブチ殺されても文句言えないレベル
相手が薩摩の知将篠原国許将軍だからなあ。運が悪すぎだ。
@@山中狭路 ゲームではなく人がしぬわけで、軍旗って言うのは想像以上に大事なんだと思います味方の士気にも影響は出るでしょう
@@永田寛-l9w 今の我々にはわからないですが、乃木さんは後年亡くなるまでずっと悔やんでいたそうですからね
軍内部でも大分そしりは受けたらしいです
TBSの3時間ドラマ「獅子の如く」からでしょうか。児玉のような合理的な男が帝国陸軍にはもっと必要だった。児玉がいなければ日露戦争には勝てなかったのに乃木希典は日露戦争いや明治という時代の象徴になったことが、その後の帝国陸軍、大日本帝国の悲劇に繋がったと思う。日本人は壮絶と言う言葉が大好きだ。死体の山を築きそこに日章旗を掲げなければ気がすまない民族へとなって行く。陸軍の戦術は日露戦争から太平洋戦争まで全く変わらない。機関銃だろうが戦車だろうがひたすら歩兵による銃剣突撃あるのみ。
そうです、「獅子のごとく」。ご存知の方もいましたか。
勝った勝ったで、まずかったところを隠ぺいしてしまった。それが日本の転落の始まりとか司馬も言ってましたな。
しかし日露戦争の時は昭和とは違いずいぶん合理的でしたでしょ。
同じなのは、持たないもの(物資や兵器弾薬の寡少)の無理やりなとこ。
これはもしかすると日本だけの話じゃないかもしれない。
ただ他の国だったら、兵力足りなかったら日本みたいに立ち上がりはしない、あるいはとっとと降伏するってのが違うかな?
司馬史観全快すぎだし、そもそも日本陸軍のドクトリン自体は上海事変あたりで戦闘群による浸透戦術に変化を遂げていて、機関銃陣地に掩護もなく突っ込むような戦法じゃねえよ。
日本人は云々のくだりなら青島の攻略の内容くらい調べてからぬかせ
それとも対戦車火器の一つたりとも日本軍にはなかったとでも思ってんのか?
だいたい戦車への肉薄攻撃なんざ他国でもやってるわ
満州軍の参謀の中に「冬季にロシア軍の大規模攻勢は無い」と断じて、秋山支隊の警報を無視し続けて黒溝台会戦で危うく満州軍を壊滅させかねなかった人がいたような。
『獅子のごとく』リアルタイムで見てました。
森鴎外(江守徹)の生涯を描いたドラマですが、児玉源太郎役が中谷一郎さんだったので、「弥七」が児玉を演っていると妙に記憶に残ってます。
乃木大将というのはこの戦いに関して言えば愚将の最たるものだが、太平洋戦争の時の連中と比べれば全然まし。
このドラマの児玉のセリフじゃないが、参謀が悪いんだよね。あと大本営も悪い。
乃木に限らず、軍司令官って作戦立てられないし、参謀いなきゃイクサはできん。
しかし責任は大将がとる。結果が良けりゃ称賛されるし悪ければ叩かれる。本人の能力は全く関係なしにだ。
思えば乃木の評価が、愚将と名将と両方あるのは、要は旅順攻略戦の成否に乃木の力は何も関与してないってことの証左のようだわ。
乃木以外の3人の司令官及び大親分の大山巌に関して、この日露戦争で名将だったのか愚だったのかってほとんど語られないのも面白いというか、なんだかいい加減だなーという気もするが、結局総大将って戦術的な勝ち負けに大して影響はないってことだわな。統帥だけが仕事。
現場より大本営の方がダメだったのではないですかね。旅順艦隊は第三軍の28サンチ砲でかなりダメージを与えた模様と打電している。それをあえて203高地を奪取せよとの命令をしているのはいかがなものかと。
何を以て愚将と吐き捨てるのか謎
第二次総攻撃以降は強襲を改めて塹壕と坑道を掘る地道で堅実な正攻法により攻略し死者を抑えたといえる。
@@山中狭路 日露戦争に関する最新研究読んでいると現場の人間は優秀だが満洲軍総司令部のグダグダがすごい。
児玉源太郎も実はそんなに優秀な参謀ではないのではないかと思うようになりましたね。
台湾統治に関しては優れていましたが。
日本軍って突っ込むの好きだよな。
当時の日本人気質なのかな?
他にやり方ないんだもん。
塹壕ほりほり、坑道作戦ってのも併用したけど、時間かかり過ぎだし。
突っ込む前に大砲撃ちまくれって言ったって、弾がありゃせんだのだ。
結局は消耗覚悟で突っ込むしかねー。
早く落とせってプレッシャーきっついしさ。
明治維新からまだそんな経ってないからまだそういう原始的なドクトリンしかなかったんだと思う
@@山中狭路 第一次世界大戦がまさに日露戦争って感じですからね。
日露戦争は第零次世界大戦と言う歴史家もいるくらいですから。
突撃するにも夜陰に紛れて奇襲するとかラッパで敵にこれから突撃しまーす♫ってフェイントかまして囮にして注意を引いて裏から回り込むとかなら分かるけど、敵にこれからの予定を教えてそのまま突撃とか撃って下さいと言わんばかりの戦法はアホ丸出しとしか言いようがないな笑笑
太平洋戦争でも突撃ラッパ鳴らして正面攻撃とか何回失敗しても繰り返してりゃ負けるわな
乃木は間違いなく凡将だが、特別扱いせず子を死地にやり、帝に夫妻で殉死した無私忠義だけは突出している。乃木軍神の元で挙式したが妄信はしない
このドラマの乃木切腹シーン
ua-cam.com/video/Og0CfD7jZhc/v-deo.html
このドラマでは、乃木の切腹が忠義の為だという解釈はしていない。
最後の鴎外のセリフは
「乃木家や世間(国家)が乃木に課した武士としての生き方を意地で全うした」
「一番自分らしくない人生を完璧な形で全うした」と、忠義だの殉死だのという観点は皆無。
これは自分も賛同しますね。
あくまで自己のための切腹。それだけに異常にカタチにこだわった。そしてそれを完璧にこなした。
鴎外も乃木同様、国家や家からの重圧に苦しみもがくのだが、個人と国家の関係や、明治の負の部分をえぐるのがこのドラマの主題。
しかしこの旅順は実際に現地に行ってみらんとわからんな。おそらく俺の感だと203高地以外にもっといい占領目標がありそうな気がする。実際に地図でも日本の佐世保と似たような地形だし。
抗日奇侠 乃木希典
乃木希典 有日本戰神之尊稱,1895年10月率領日軍第二師團於枋寮登陸並於10月21日攻進至台南府城,因戰功晉升為中將,日本殖民台灣時期,因平台有功為天皇親授為台灣第三任總督,1904年2月,日俄旅順戰爭203高地爭奪戰,奉日本天皇指派為日俄戰爭第三軍團司令官負起攻佔旅順之責,其作戰計畫是以強攻強打,最終以傷亡五萬多日軍的代價攻克203高地,兩位公子皆戰死沙場,後導致年邁孤苦無依,與夫人一起自殺而亡,結束傳奇的一生,此場戰爭亦造成中國三十萬平民百姓傷亡,由於旅順的勝利,更造成日本侵佔東三省的野心,進而發動侵華戰爭,及太平洋戰爭的深淵而無法自拔。
司馬危上げ太郎の小説は
フィクションであり
ハクションデマあります😂
なぜ日本の戦法は古来から正面からのゴリ押しが好きなんだろう・・・
昔はみなそう。黒色火薬の時代は密集して前進ですよ。
児玉総参謀がいなければ203高地は捕れなかったよ。
まだそんな司馬の解釈(創作)を信じてる人がいるのか。
乃木軍が203高地に目標を切り替えたのは、児玉が来る前で直接指揮なんかあるはずもない。
それどころか司令部は当初は反対したくらいなんだから。
児玉が来たのは陥落目前の時。
わざわざ来る必要性がなかったと言っていい。
江戸時代の戦法だよ、勝てるわけがにい、指導者ひとつだよ。
満州軍の4人の軍司令官の中で参謀無しで戦えるのは奥保鞏だけであるが、そもそも近代戦では指揮官が作戦立てたり、戦法を編み出すもんじゃない。
ってなことは司馬の言だが、奥の評価はともかく、後段の部分はその通りであろう。
作戦が複数あってどれかを選ぶことや、進退の決断、そして何よりも統帥が指揮官の仕事だというのはわかる。
もっとも責任を取るのも指揮官だから、乃木が叩かれるのは自然なことでもあるけどね。
乃木は、愚将ですよ。長州だから、出世できた。司馬に、勝る小説家はいねぇよ。児玉は天才だよ。しかも偉そうにしないんだよ。軍師だね。
型や精神論を前面に出すのは大抵は無能と相場は決まっている。
しかし、そういうのは指揮官や大将には必要なもんである、と言っちゃうと司馬遼的になるかな。