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体験しないと解らない世界!その為に聴聞を真剣に!
『弥陀に救われた』の具体的イメージがつかめない為、仰っていることが全く理解できません!(4年前から協議を勉強している76歳の真宗門徒です)
渡部先生ご自身の経験を述べて欲しいです。
南無阿弥陀仏m(__)m
先生有難うございました。🙇♀️
先生は見て来たような事を言われますが、先生自身は弥陀に救われた経験があるのですか?正信偈に書いてあるから間違いないという事 であるならば、何故、親鸞が言っている事だから間違いないと言えるのでしょうか。さらに言えば、今の日本人の中で何人が救われているのですか?実際に救われている人などいるのでしょうか。それを示して頂けませんか?釈迦も親鸞も、大悲の願船に乗る人は少ないという。なので、極楽浄土へは往来やすいけれども往っている人は少ないという。ならば、ほとんどの人は救われる事はないのではないですか?おかしな事ばかり言われる。
分かりやすいご説明ありがとうございます。いつも疑問に感じているのですが、説法をしている親鸞会の講師方は、弥陀の救いがハッキリしたのでしょうか?少なくとも、高森顕徹師や渡部講師は、ハッキリした体験があり、後生の一大事を解決されているのですよね?これだけ自信満々に何度もハッキリすると繰り返している親鸞会の講師方は、皆、ハッキリした体験があった上で、弥陀の本願を人にも伝えていると理解してもよろしいでしょうか?
講師の先生でも色々でしょう、、救われて顔に出ればいいが、外観は普通の姿だから難しい。
弥陀に救われたら、救われたことがハッキリすると何度も力説している以上、ハッキリしていない人に、ハッキリすると言われても、説得力がありません。それとも、高森顕徹師から、ハッキリすると言うように指導されているのでしょうか?ハッキリを強調しているのは、親鸞会だけではないでしょうか?
やあく
浄土真宗親鸞会さんの特にこの大問題を力強く発信されている姿勢を、宗門は見倣うべきです。宗門の無帰命安心の露出は、この度の"新しい領解文"事件に極まったと言えます。
歎異抄にある唯円の言葉に、「念仏を申しても歡喜の心が起きず浄土にいきたいとも思わないのはどういうことなのですか?」と親鸞聖人に問いかける箇所がありますが、僕は唯円は救われたことに気ずいてなかったのではと思ってしまうのですが?
私自身が「ハッキリする」とか「間違いない」とか何のアテになるというのでしょうか?他力の信心とはそんなもんではないと思います。
火に触ったよりもハッキリするとは、どんな体験なんでしょうね。火に触ったら、相当ハッキリすると思いますが。
😅😅😅😅
単に火傷するよ😮あっちぃ~
あの本にはこう書かれているこの本にはこう書かれているを主張する人物は自分の意見を持たない!
親鸞聖人でさえ、お釈迦様の言われたことしか伝えていません。自分の考えは一つも交えていません。お釈迦様はこう言われていた。釈迦の教えを伝えていた高僧方もこう言われていた、と。親鸞聖人ご自身でさえ「親鸞、さらにわたくし なし」と言われています。意味わかりますか?ただ弥陀の心をそのまま伝えているだけで、自分の考えなど一つも述べてはいない、ということです。さらに言うと、因果の道理を理解できない人を、仏陀は「愚か者」と言われています。善因善果、悪因悪果、いいのも悪いのもすべて 自因自果です。正しいことを説かれている人を批判するのは、法誹罪という重罪です。そんなことをして、なにか自分によいことがありますか?自分が目立ちたいから?名誉欲ですか?それ、「欲」という「煩悩」です。ただ、文句を言いたいだけですか?それ、「愚痴」という煩悩です。この文章読んで腹たちますか?それ、「怒り」という煩悩です。早く仏縁が深まればよいですね。
体験しないと解らない世界!その為に聴聞を真剣に!
『弥陀に救われた』の具体的イメージがつかめない為、
仰っていることが全く理解できません!
(4年前から協議を勉強している76歳の真宗門徒です)
渡部先生ご自身の経験を述べて欲しいです。
南無阿弥陀仏m(__)m
先生有難うございました。
🙇♀️
先生は見て来たような事を言われますが、先生自身は弥陀に救われた経験があるのですか?正信偈に書いてあるから間違いないという事 であるならば、何故、親鸞が言っている事だから間違いないと言えるのでしょうか。さらに言えば、今の日本人の中で何人が救われているのですか?実際に救われている人などいるのでしょうか。それを示して頂けませんか?釈迦も親鸞も、大悲の願船に乗る人は少ないという。なので、極楽浄土へは往来やすいけれども往っている人は少ないという。ならば、ほとんどの人は救われる事はないのではないですか?おかしな事ばかり言われる。
分かりやすいご説明ありがとうございます。
いつも疑問に感じているのですが、説法をしている親鸞会の講師方は、弥陀の救いがハッキリしたのでしょうか?
少なくとも、高森顕徹師や渡部講師は、ハッキリした体験があり、後生の一大事を解決されているのですよね?
これだけ自信満々に何度もハッキリすると繰り返している親鸞会の講師方は、皆、ハッキリした体験があった上で、弥陀の本願を人にも伝えていると理解してもよろしいでしょうか?
講師の先生でも色々でしょう、、救われて顔に出ればいいが、外観は普通の姿だから難しい。
弥陀に救われたら、救われたことがハッキリすると何度も力説している以上、ハッキリしていない人に、ハッキリすると言われても、説得力がありません。
それとも、高森顕徹師から、ハッキリすると言うように指導されているのでしょうか?
ハッキリを強調しているのは、親鸞会だけではないでしょうか?
やあく
浄土真宗親鸞会さんの特にこの大問題を力強く発信されている姿勢を、宗門は見倣うべきです。
宗門の無帰命安心の露出は、この度の"新しい領解文"事件に極まったと言えます。
歎異抄にある唯円の言葉に、「念仏を申しても歡喜の心が起きず浄土にいきたいとも思わないのはどういうことなのですか?」と親鸞聖人に問いかける箇所がありますが、僕は唯円は救われたことに気ずいてなかったのではと思ってしまうのですが?
私自身が「ハッキリする」とか「間違いない」とか何のアテになるというのでしょうか?他力の信心とはそんなもんではないと思います。
火に触ったよりもハッキリするとは、どんな体験なんでしょうね。火に触ったら、相当ハッキリすると思いますが。
😅😅😅😅
単に火傷するよ😮
あっちぃ~
あの本にはこう書かれている
この本にはこう書かれている
を主張する人物は自分の意見を持たない!
親鸞聖人でさえ、お釈迦様の言われたことしか伝えていません。自分の考えは一つも交えていません。
お釈迦様はこう言われていた。釈迦の教えを伝えていた高僧方もこう言われていた、と。
親鸞聖人ご自身でさえ「親鸞、さらにわたくし なし」と言われています。意味わかりますか?
ただ弥陀の心をそのまま伝えているだけで、自分の考えなど一つも述べてはいない、ということです。
さらに言うと、因果の道理を理解できない人を、仏陀は「愚か者」と言われています。
善因善果、悪因悪果、いいのも悪いのもすべて 自因自果です。
正しいことを説かれている人を批判するのは、法誹罪という重罪です。
そんなことをして、なにか自分によいことがありますか?
自分が目立ちたいから?名誉欲ですか?それ、「欲」という「煩悩」です。
ただ、文句を言いたいだけですか?それ、「愚痴」という煩悩です。
この文章読んで腹たちますか?それ、「怒り」という煩悩です。
早く仏縁が深まればよいですね。