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阿部先生、とても分かり易く御法話くださり有難う御座います。
分かりやすくてとてもいい話でした。今までバラバラに聴いていた話がまとまった気がしました。ありがとうございます。
お役にたてて、何よりでした。🌸南無阿弥陀仏🌸
仏法は聴聞に極まる、とは、同じ事を何回も聞け、と言う事を教わりました、有り難うございます、
キタジマサブロウさん有難うございます🌸❣(浄土真宗の聴聞の心得)一、このたびのこのご縁は、初事と思うべし一、このたびのこのご縁は、我一人のためと思うべし一、このたびのこのご縁は、今生最後と思うべし
目が覚めるようなお話しでした♪,南無阿弥陀これからも何回も,何回も,御聴門させて頂きます、
ちゃんハムさん 阿部先生は、本願寺の伝統に則ってお話下さっていますね~🌸🌸🌸❣
いつもありがとうございます。秋のお彼岸の前になって、この動画を拝見しています。最初の1/3くらいを拝聴しておりまして感じていることは、自力が「必要ない」ということこそが難しいんだよなぁ、ということ。清沢満之は岩波文庫で『清沢満之集』をすぐに求めたものの、いまだにキチンと読めていません。暁烏敏の『歎異抄講話』(講談社学術文庫)で清沢への言及が少なからずあって、興味を持ったからでしたからでしたが。私個人としては、高校時代(もう40年以上前です)に歎異抄を読んだ時に、「現実とすり合わせるための方便」と感じたことを、今でもハッキリと覚えております。暁烏の本を読んだときに感じたことは、「学術的にどうとかは(あまり)関係なく、宗教的な真実とはこういうものだ」という主張を強く感じたことにあります。私自身は「てんかん」の既往症(3才のころに発症したときは、診断を受けたときは「キチガイの中でも軽いの」と母は言われたそうです)があるということもあり、アカデミックな理解こそが主要な拠り所となると考えていたので、大きな衝撃を受けたことを今でも覚えています。お世話になっているお寺は、大谷派のお寺です。母方のお墓が多く、お参りはなかなかに大変ではありますが。浄土真宗であるにもかかわらず、「お彼岸とお盆くらいはお墓参りをしなさい」という、当時のご住職に母方の祖父母が惚れ込んだお寺様です。先祖供養は浄土真宗の宗旨とは明らかに違いますよね。それでも私は、そうおっしゃる心が大好きです。どう生まれついても、阿弥陀様の思し召し。そのご縁に感謝し、御供養させていただけることは、阿弥陀様の御心に沿うことである、と思えてならないからです。阿弥陀様の、その心遣いがうれしいと感じるのです。後半も、集中して聴かせていただきます。ありがとうございます。
木村点さんそうでしたか。順延逆縁、色んなご縁の中で、仏縁を結んでいらっしゃるんですね。これかも、阿弥陀様のお慈悲を共に学ばせて頂きましょう🌸🌸🌸❣
南無阿弥陀仏
garyo tenseiさん南無阿弥陀仏🌸❣
目がさめるような、阿部先生のご法話に何時も感謝です。18願、他を気にせず、阿弥陀様が見て頂いている自分らしく生きて行く老後見守って頂いている事をにただ感謝です。先生の法話を聞かせて頂ける事が一番幸せな時間を頂いています。合掌
中村さん >目がさめるような、阿部先生のご法話に何時も感謝です。本当に感謝ですよね❣ 阿部先生がご出演頂けるなんて、勿体ない限りでございます🌸🌸🌸❣
有難うございました、
ちゃんハムさんようこそ、お聴聞下さいました🌸❣
助かっていることを聞くだと、十こう安心の異安心です。
「帰依」が大事です。
仏教は、他力=今ここの救い❗平生業成=助かっているのを聴く❗一心に弥陀に帰命すれば❗阿部信幾先生ありがとうございます。南無阿弥陀仏🙏
馬九行くさん本日も、配信にご参加下さり、有難うございました~🌸🌸🌸❣
初めてのコメント失礼します。最近阿部先生のご法話をきっかけに桜嵐坊さんのチャンネルを拝見するようになりました。いつも大変勉強になっております。阿部先生のお話を親鸞会の講師の方に紹介して聞いてもらったところ、十八願で弥陀の行で助かるという主張自体は同じでしたが、十八願に至るのに十九願、二十願を実践し自力の無力さを阿弥陀仏の力をもって知らされ、十八願に(穢入ではなく)転入するのだと主張されておりました。十八願に突然出会えるに越したことはないが、それは現実的でないため十九願並びに二十願が大事になってくるそうです。その根拠としては、自伝のようなものを一切語らない親鸞聖人が、教行信証で「自分は十九願・二十願を経験して十八願に至った」と語るということは、これらが必ず通らなければならない方便だと示しているものだというものです。これを聞いて自分としてはどちらの主張もあり得るように思えるためこれを踏まえての阿部先生のご意見をお聞きしたく思いました。
Noriaki Handaさん ごしつもん有難うございました。〇「三願転入」(ゲスト) 阿部信幾 先生 ua-cam.com/users/liveV4T54OkK9iA?feature=shareこの動画が、阿部先生のご講義です。〇『三願転入』を味わうua-cam.com/video/R-dH__N5ki4/v-deo.htmlそれにまつわる親鸞聖人・蓮如上人のご文を現代語で朗読致しました。じっくり味わって頂き、「これらが必ず通らなければならない方便」かどうか、お考えになって頂きたいと存じます🌸🌸🌸❣
@@7676amida ご丁寧にありがとうございます。一度拝見した動画でございましたが、ご返信頂いた後再び聞かせていただいたところ、1回目では全くわかっていなかったことが知らされました。信前の私としましては阿部先生のような方々から法話を聞かせていただくことがまず第一なのだと改めて痛感いたしました。
@@nori_handa さん結縁なさいましたね❣ 南無阿弥陀仏🌸
恭昌 小木曽さん折角コメント頂いたのですが、上座部仏教も大乗仏教も、区別がついておらず、ぐちゃぐちゃな内容で、とても表示できません。まず、大乗仏教とは何か?こちらのご動画をご覧頂き、整理頂けると、幸甚です。ua-cam.com/video/qNVsudxcChU/v-deo.htmlsi=Bq1LyLQ5TCp27pDkua-cam.com/video/Ma4fZQg-zN8/v-deo.htmlsi=PLjyVp9eWNKD4J2oそれと、この動画は、親鸞会との論争動画であり、「阿弥陀如来とは何ぞや」を語る動画ではありません。「八百屋に来て、この店は、肉を売ってないのか?けしからん」と言っているようなもの…。阿弥陀如来ってどんな仏さま?ua-cam.com/users/shortsOMA2UkhRjs0?si=XOwUrBs46NkaD6ntua-cam.com/video/q9NdVGP-uEc/v-deo.htmlsi=mpslDu65m9daJ0DWua-cam.com/video/AT4yPPSxYjM/v-deo.htmlsi=nGi8Wdvli6zE59IZイライラ、カリカリせず・・・、心静かに、ご覧下さい🌸
口からでる南無阿弥陀仏さまが仏様でげんざさんは口からでる南無阿弥陀仏に対してようこそようこそさてもさてもと言われたのでは?
そうですよ❣「己が使いに 己が来にけり」「阿弥陀様の使いに、阿弥陀様自ら(口から出る南無阿弥陀仏)がやって来た」
南無阿弥陀仏🙏
雲の介さん 南無阿弥陀仏🌸🌸🌸❣
江戸時代のことを初めて知りました。有難うございました。托鉢:ビックリです。地方和上様---龍大に集約:なるほど。「いろんな説」を安吾で問答:真宗はスバラシイと思う。82歳。
fumihiko kajiwaraさんようこそ、ご覧下さいました(^人^)namo🌸🌸🌸❣
ねここねこさん 『白道燃ゆ P150』高森顕徹 著「弥陀の五功思惟の願を…大歓喜はこの地獄の釜底でなければ体験できない。」『こんなことが知りたい』①P116~117「必堕無間の自己に驚き…自力一杯もとめたことのないものに自力無効と知らされる筈がありません」『絶対の幸福』谷口春子 著 「嗚呼、地獄より他に行く処のなき我身であったと地獄へ堕ち切った処まで行かなくては助けられた味合いは判りません。」元会員さんからも、ゴロゴロ証言が上がってきています。
おめでとう、世界で唯一の善知識、高森先生の元でよく勉強しましたね、唯、残念なことに臨終とてもとても間にあわん、ワシにとっては金魚の餌にもならん、まあ、地獄堕ちきるとこまでいってチョ、堕ちないでね、命綱つけてね、
@@ハナコ-b5f さん>地獄堕ちきるとこまでいってチョ、堕ちないでね、命綱つけてね、本願には、遇えてますので、化土往生ですね。500年後にお浄土でお会いしましょう~(^人^)namo🌸🌸🌸❣「誓願不思をうたがひて 御名を称する 往生は 宮殿のうちに五百歳 むなしくすぐとぞ ときたまふ」(現代語訳)本来、成仏できるような要素をまったくもち合わせていない凡夫を信心一つで浄土往生させると誓われた勝れたはたらきを疑って、<布施・勧誘などの>功績を期待して往生しようとすれば、方便化土と呼ばれる世界に五百年のあいだ止まって、いたずらに虚しい時を過ごさなければならないと「大経」の「胎化得失の文」には説かれています。
二種深心ですね。難しいですね。ここも親○会さんとは解釈の違いで対立してますね。まあ、アンチ親○会の人は地獄一定と極楽一定が同時に知らされるような矛盾するような解釈、摩訶不思議的解釈と言う人もいます。また信心決定病と言う人もいます。まあ、個人的には親○会さんは「自力という関所」経由かなと感じなくないですが。ちょうど、先週報恩講(本願寺派さんは1月ですね。)があり、法要、法話で三願転入含め少し話題になったところです。多くの門徒のおじいちゃん、おばあちゃんには難しく感じていたようです。本願寺派さんも親○会さんも真宗学を教えるときそれぞれの他派の説も説明して自分たちはこうゆう理由でこの説を採用してますと言う教え方をしないといけないと思います。しているかも知れませんがまだ不十分なのかなあと思ったりもします。ゆうき和尚が言うには阿弥陀様を信じて南無阿弥陀仏と称えれば簡単に往生できると言っているのに、簡単な教えのはずが真宗学は恐ろしく難解になってしまっていると言っていました。悪人正機説ひとつとっても理解するのにパラダイムチェンジ的発想が必要で頭使います。まあ、ときには何も考えずに南無阿弥陀仏🙏と称え、ブルース・リー的に、Don't think . Feelみたいになるのがいいのかも。ナモアミダブツ、南無阿弥陀仏🙏
釋 圓憲さん>ゆうき和尚が言うには阿弥陀様を信じて南無阿弥陀仏と称えれば簡単に往生できる「本願を信じ念仏申さば仏になる」「…念仏申さんとおもいたつこころのおきるとき、 即ち摂取不捨の利益に預けしめたもうなり」ですからね❣唯、簡単な教えは、誤解されやすいんですよね💦。「そじゃなくて~💦、あのね…」と言い出すと、難しくなっていきます~m(_ _;)m。ブルース・リー的に言えば、「Don't think . as you wish」ですかね(^人^)🌸🌸🌸❣
二種深信についてのお話なのですね。『なぜ生きる』という本に、詳しく二種深信について書かれてありますので、二種深信について論じられる場合、まず読まれてからなされると、より有意義なお話になるのではないかと思います。また、こちらの動画で二種深信について話しております。↓↓ua-cam.com/video/uTQQBYGK_vs/v-deo.html「おそらくこういう理解だろう」という想像ではなく、実際に、どういう話をしているのかを確認していただいた上でお話しいただけると、さらにピントのあったお話になるのではないでしょうか?なお、申し上げるまでもございませんが、お互い、正しい答えを求めての議論ではなく、勝つための争いは醜く、時間の無駄ですよね。すでにご覧になっておられるかもしれませんが、下記の動画が参考になればと思います。阿部氏も言われていたように、団体対団体のような議論より、教えにフォーカスした議論こそ、優先すべきと考えております。ua-cam.com/video/fNSy8FVO5_o/v-deo.htmlライブには間に合わないかもしれませんが、どのような話をなされるのか楽しみにしております。
筬島さん早速、拝見させて頂きます。
筬島君、講師歴30年とは、親鸞会の講師歴でしたか!、であるならば何故、私の問いに正面から答ないのですか!、身の上を明かさず、良いは良い人、悪い人は悪い人、等と訳の分からぬコメントでしたね、親鸞会講師と堂々と名乗るべきでしょう、これだけの長文コメントできるのですから、それと親鸞会は破邪顕正が使命のはずでは!、
なるほど、「これまでのことは阿弥陀如来のはからいだった」というくだりは、阿弥陀如来のはたらきに出会った後のその人の『感想文』なわけであって、出会う前にはたらいていたわけでわないということですね。そもそも、出会う前にはたらいているという現象が起こっていれば自力の修行なんかしませんよね。出会う前の感想文と、出会った後の感想文は分けて考えるように気を付けたいですね。
ビリヤニダイスキさん阿弥陀様は、十功の昔から、働き続けて下さっています。それを、疑って「布施・勧誘をしなければ、信心頂けない」等と、自力心をで蓋をするから、どれだけ聞いても、信心獲得できない教団が出来上がるんですよね。
@@7676amida はたらいていないから自力心が起こるのではないでしょうか?はたらいているのに自力心が存在するのは矛盾していると思います。「はたらいている」ワードは本願に出会った後にその人のみが語れる限定ワードであって、普遍的な現象ではないと思うのですが。
@ビリヤニダイスキ さん>「はたらいている」ワードは本願に出会った後にその人のみが語れる限定ワードそれはそうですね。授業中、居眠りしてて「おい!山田っ」で目が覚める💦。皆の嘲りの眼差しが突き刺さる。先生は、授業中寝ている私をずっと気遣って、大声を出してみたり、咳ばらいをしたり・・・。しかし、起きない私。「山田君…山田…、おい山田!起きろ!」私が目覚めて、先生(阿弥陀)が働き始めたんじゃないんです。先生は、寝てる私を心配し(はたらき)続けてくれていたんです。なのに、私は自分の睡眠欲に負けて(自力心)、寝てしまっていたんです。① 阿弥陀如来のはからい法然上人は、ここのところを「月影の いたらぬ里はなけれども 眺むる人の 心にぞすむ」と歌われました。「私たちが往生浄土する」証拠は、南無阿弥陀仏となって、万人に!すでに!届いています。これを「阿弥陀様のお計らい」「おはたらき」と言います。しかし、まだ出会っていない人にとっては、何のこっちゃです。② 自力心親鸞聖人は、「摂取不捨」のご左訓に「ものの逃ぐるを追はへとるなり」と書かれています。自力で悟れるはずがない私!なのに、自分で修行出来るつもりでいる。それを久遠 劫より繰り返してきたんです。だから、今だに私は凡夫なんです。私達は、生まれつき、自力心の塊なのです。そんな私を呼び続け、追っかけ続け続けてこられたのが、阿弥陀様の十功だったんですね。www.saganet.ne.jp/namo18/sub1370nigete.html
@@7676amida 万人が往生する証拠が届いているのに何故輪廻しているのか矛盾しているのではないですか?何度も言いますが「はたらいている!」「計らいがある!」は仏様に出会ったあとのその人個人が「〜と私は思っている」のレベルの話なので、普遍的な現象ではないと思うのですが。
@@ビリヤニダイスキ さん>万人が往生する証拠が届いているのに何故輪廻しているのか万人を治す薬は出来上がっています。・・が、飲まないと治りません。>普遍的な現象の定義が、 ビリヤニダイスキ さんと僕では、ずれがあるみたいですね。
親鸞会では、機法二種一具の深信(二種深信)が信知(明知)された一念に、信心決定すると講師の方が教えているようです。つまり、信疑決判は、二種深信がハッキリと知らされたか否かなのですね。本願寺派では、二種深信をどのように解釈されているのか、慎重に聞き誤りがないように聞かせて頂きます🙏
横浜一筋さん 先生も仰っていますが、親鸞様は、どこに書いていらっしゃいますか?親鸞聖人が、仰っていない事を説く師匠の話をどれだけ聞いても、信心は頂けません。
横浜さん、親鸞会で命掛けの聴聞を百千万劫ききぬいて、二種深信ハッキリ決判、受けて下さい、検討を祈ります、南無阿弥陀仏
「深信」の意味はどういうことでしょうか?
機の深信と法の深信のこと。機の深信とは、自身は罪悪生死の凡夫であり、迷いの世界を離れる縁が全くないと信じることをいう。法の深信とは、阿弥陀仏の本願力の救いを信じることをいう。labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BA%8C%E7%A8%AE%E6%B7%B1%E4%BF%A1
@@7676amidaここで使われている「信じる」とは、どういう意味でしょうか?
他宗派の人は、二種深信を気持ち(心相)だと理解している人が多いみたいですね。本願寺派では、信心は心に救いの法が届いた状態、気持ちに表れる前です。
THさん >他宗派の人は、二種深信を気持ち(心相)だと理解している人が多いみたいですね。自分の心の中ばかり、気にするコメントばかりです…。
有り難いお話を、有難うございました。すべては、「賜りもの」と言われる事が、分からない時には、一文字の違いが分からなかったものです。なんまんだぶ🙏
成徳さん ご参加ありがとうございます❣>「賜りもの」と言われる事が、分からない時には、一文字の違いが分からなかったものです。一字違いで、大違い❣ ですね🌸❣
地獄は一定すみかぞかしと無間のドン底に叩き堕とされた時(機の深信)、自力無効と他力不思議とは同時に働き、信心歓喜歓喜踊躍とおどり上がり、阿弥陀さま、こうまでして下さらなければ、聞かない私でごさいました(法の深信)と、堕ちるに間違いなし助かるに間違いなしと、機法共に露塵程の疑心もなくなったことを、二種深信という理解で間違いないでしょうか?
横浜一筋さんかなり親鸞会さん的な言い回しですね。〇二種深信 - WikiArc - WikiDharma「深心とは深く信ずる心として二種に開いている。 ここに一にはとあるのは、自身には迷いの生死を出る手掛かりがまったくないということを深信するので「機の深信」という。 二には、このような者を救うために阿弥陀仏は本願を建立され衆生を済度しつつあることを深信するので「法の深信」という。」 labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BA%8C%E7%A8%AE%E6%B7%B1%E4%BF%A1
そうではない、ということを、阿部先生はお話しされたと思います。
私は親鸞会の会員ではありませんが、仏教を聞くきっかけになったのが、親鸞会の菊谷隆太さんのYou Tube動画でした。菊谷さん初め、親鸞会の講師方は、二種深信したことを信疑決判の判定基準だと説法されています。また、阿弥陀仏から頂く他力信心は、七高僧や親鸞聖人、蓮如上人と同じ信心であると。だから、他力信心の心の世界をよくよく知りなさいと。また、南無阿弥陀仏の他力信心=仏智を頂くことであるから、仏智を頂いた時に、仏の智慧によって、初めて地獄一定の煩悩具足の私であったと知らされるとのことです。なので、信前は、真実の自己が分からず、信後に、真実の自己がハッキリすると言われています。これも親鸞聖人の教えとは違いますか?
@@横浜一筋 さん>菊谷さん初め、親鸞会の講師方は、二種深信したことを信疑決判の判定基準だと説法されています。阿部先生は、「その証拠のご文を出して下さい!」と仰っているんです。それでいて、「南無阿弥陀仏が、私たちが往生する証拠」だというと「十功安心」だと批判するんです💦。>真実の自己がハッキリするua-cam.com/video/398Hp6EpYwo/v-deo.html「南無阿弥陀仏が、私たちが往生する証拠」だということがハッキリするんです。それ以外に、何かがハッキリすると説くから、信心が頂けないんではないですかね~?親鸞会さんの中で、誰か「私は信心頂いた!」って人…いますか?横浜一筋さんも、信心頂いた方の話をお聞きください🌸🌸🌸❣
横浜さん、かなりのハマリ用ですね、ワシもその話聞いたよ、だが親鸞会の中で自力求め、自力無効のドン底に堕ちいった人いるの!、居たら錯覚四角、桜嵐坊様や安部先生が阿弥陀様からの回覧板、回してくれているのです、ぼちぼち、宿善にて柿の渋を取り除き、熟しましょう、
阿部先生、とても分かり易く御法話くださり有難う御座います。
分かりやすくてとてもいい話でした。今までバラバラに聴いていた話がまとまった気がしました。ありがとうございます。
お役にたてて、何よりでした。🌸南無阿弥陀仏🌸
仏法は聴聞に極まる、とは、同じ事を何回も聞け、と言う事を教わりました、有り難うございます、
キタジマサブロウさん
有難うございます🌸❣
(浄土真宗の聴聞の心得)
一、このたびのこのご縁は、初事と思うべし
一、このたびのこのご縁は、我一人のためと思うべし
一、このたびのこのご縁は、今生最後と思うべし
目が覚めるようなお話しでした♪,南無阿弥陀これからも何回も,何回も,御聴門させて頂きます、
ちゃんハムさん 阿部先生は、本願寺の伝統に則ってお話下さっていますね~🌸🌸🌸❣
いつもありがとうございます。
秋のお彼岸の前になって、この動画を拝見しています。
最初の1/3くらいを拝聴しておりまして感じていることは、自力が「必要ない」ということこそが難しいんだよなぁ、ということ。
清沢満之は岩波文庫で『清沢満之集』をすぐに求めたものの、いまだにキチンと読めていません。
暁烏敏の『歎異抄講話』(講談社学術文庫)で清沢への言及が少なからずあって、興味を持ったからでしたからでしたが。
私個人としては、高校時代(もう40年以上前です)に歎異抄を読んだ時に、「現実とすり合わせるための方便」と感じたことを、今でもハッキリと覚えております。
暁烏の本を読んだときに感じたことは、「学術的にどうとかは(あまり)関係なく、宗教的な真実とはこういうものだ」という主張を強く感じたことにあります。
私自身は「てんかん」の既往症(3才のころに発症したときは、診断を受けたときは「キチガイの中でも軽いの」と母は言われたそうです)があるということもあり、アカデミックな理解こそが主要な拠り所となると考えていたので、大きな衝撃を受けたことを今でも覚えています。
お世話になっているお寺は、大谷派のお寺です。
母方のお墓が多く、お参りはなかなかに大変ではありますが。
浄土真宗であるにもかかわらず、「お彼岸とお盆くらいはお墓参りをしなさい」という、当時のご住職に母方の祖父母が惚れ込んだお寺様です。
先祖供養は浄土真宗の宗旨とは明らかに違いますよね。
それでも私は、そうおっしゃる心が大好きです。
どう生まれついても、阿弥陀様の思し召し。
そのご縁に感謝し、御供養させていただけることは、阿弥陀様の御心に沿うことである、と思えてならないからです。
阿弥陀様の、その心遣いがうれしいと感じるのです。
後半も、集中して聴かせていただきます。
ありがとうございます。
木村点さん
そうでしたか。順延逆縁、色んなご縁の中で、仏縁を結んでいらっしゃるんですね。
これかも、阿弥陀様のお慈悲を共に学ばせて頂きましょう🌸🌸🌸❣
南無阿弥陀仏
garyo tenseiさん
南無阿弥陀仏🌸❣
目がさめるような、阿部先生のご法話に何時も感謝です。
18願、他を気にせず、阿弥陀様が見て頂いている自分らしく生きて行く老後見守って頂いている事をにただ感謝です。先生の法話を聞かせて頂ける事が一番幸せな時間を頂いています。合掌
中村さん
>目がさめるような、阿部先生のご法話に何時も感謝です。
本当に感謝ですよね❣
阿部先生がご出演頂けるなんて、勿体ない限りでございます🌸🌸🌸❣
有難うございました、
ちゃんハムさん
ようこそ、お聴聞下さいました🌸❣
助かっていることを聞くだと、十こう安心の異安心です。
「帰依」が大事です。
仏教は、他力=今ここの救い❗平生業成=助かっているのを聴く❗一心に弥陀に帰命すれば❗阿部信幾先生ありがとうございます。南無阿弥陀仏🙏
馬九行くさん
本日も、配信にご参加下さり、有難うございました~🌸🌸🌸❣
初めてのコメント失礼します。最近阿部先生のご法話をきっかけに桜嵐坊さんのチャンネルを拝見するようになりました。いつも大変勉強になっております。
阿部先生のお話を親鸞会の講師の方に紹介して聞いてもらったところ、十八願で弥陀の行で助かるという主張自体は同じでしたが、十八願に至るのに十九願、二十願を実践し自力の無力さを阿弥陀仏の力をもって知らされ、十八願に(穢入ではなく)転入するのだと主張されておりました。十八願に突然出会えるに越したことはないが、それは現実的でないため十九願並びに二十願が大事になってくるそうです。その根拠としては、自伝のようなものを一切語らない親鸞聖人が、教行信証で「自分は十九願・二十願を経験して十八願に至った」と語るということは、これらが必ず通らなければならない方便だと示しているものだというものです。
これを聞いて自分としてはどちらの主張もあり得るように思えるためこれを踏まえての阿部先生のご意見をお聞きしたく思いました。
Noriaki Handaさん ごしつもん有難うございました。
〇「三願転入」(ゲスト) 阿部信幾 先生
ua-cam.com/users/liveV4T54OkK9iA?feature=share
この動画が、阿部先生のご講義です。
〇『三願転入』を味わう
ua-cam.com/video/R-dH__N5ki4/v-deo.html
それにまつわる親鸞聖人・蓮如上人のご文を現代語で朗読致しました。
じっくり味わって頂き、「これらが必ず通らなければならない方便」かどうか、
お考えになって頂きたいと存じます🌸🌸🌸❣
@@7676amida ご丁寧にありがとうございます。一度拝見した動画でございましたが、ご返信頂いた後再び聞かせていただいたところ、1回目では全くわかっていなかったことが知らされました。信前の私としましては阿部先生のような方々から法話を聞かせていただくことがまず第一なのだと改めて痛感いたしました。
@@nori_handa さん
結縁なさいましたね❣ 南無阿弥陀仏🌸
恭昌 小木曽さん
折角コメント頂いたのですが、上座部仏教も大乗仏教も、区別がついておらず、ぐちゃぐちゃな内容で、とても表示できません。
まず、大乗仏教とは何か?
こちらのご動画をご覧頂き、整理頂けると、幸甚です。
ua-cam.com/video/qNVsudxcChU/v-deo.htmlsi=Bq1LyLQ5TCp27pDk
ua-cam.com/video/Ma4fZQg-zN8/v-deo.htmlsi=PLjyVp9eWNKD4J2o
それと、この動画は、親鸞会との論争動画であり、「阿弥陀如来とは何ぞや」を語る動画ではありません。
「八百屋に来て、この店は、肉を売ってないのか?けしからん」と言っているようなもの…。
阿弥陀如来ってどんな仏さま?
ua-cam.com/users/shortsOMA2UkhRjs0?si=XOwUrBs46NkaD6nt
ua-cam.com/video/q9NdVGP-uEc/v-deo.htmlsi=mpslDu65m9daJ0DW
ua-cam.com/video/AT4yPPSxYjM/v-deo.htmlsi=nGi8Wdvli6zE59IZ
イライラ、カリカリせず・・・、心静かに、ご覧下さい🌸
口からでる南無阿弥陀仏さまが仏様で
げんざさんは
口からでる南無阿弥陀仏に対して
ようこそようこそ
さてもさてもと
言われたのでは?
そうですよ❣
「己が使いに 己が来にけり」
「阿弥陀様の使いに、阿弥陀様自ら(口から出る南無阿弥陀仏)がやって来た」
南無阿弥陀仏🙏
雲の介さん 南無阿弥陀仏🌸🌸🌸❣
江戸時代のことを初めて知りました。有難うございました。托鉢:ビックリです。地方和上様---龍大に集約:なるほど。「いろんな説」を安吾で問答:真宗はスバラシイと思う。82歳。
fumihiko kajiwaraさん
ようこそ、ご覧下さいました(^人^)namo🌸🌸🌸❣
ねここねこさん
『白道燃ゆ P150』高森顕徹 著「弥陀の五功思惟の願を…大歓喜はこの地獄の釜底でなければ体験できない。」
『こんなことが知りたい』①P116~117「必堕無間の自己に驚き…自力一杯もとめたことのないものに自力無効と知らされる筈がありません」
『絶対の幸福』谷口春子 著 「嗚呼、地獄より他に行く処のなき我身であったと地獄へ堕ち切った処まで行かなくては助けられた味合いは判りません。」
元会員さんからも、ゴロゴロ証言が上がってきています。
おめでとう、世界で唯一の善知識、高森先生の元でよく勉強しましたね、唯、残念なことに臨終とてもとても間にあわん、ワシにとっては金魚の餌にもならん、まあ、地獄堕ちきるとこまでいってチョ、堕ちないでね、命綱つけてね、
@@ハナコ-b5f さん
>地獄堕ちきるとこまでいってチョ、堕ちないでね、命綱つけてね、
本願には、遇えてますので、化土往生ですね。500年後にお浄土でお会いしましょう~(^人^)namo🌸🌸🌸❣
「誓願不思をうたがひて 御名を称する 往生は
宮殿のうちに五百歳 むなしくすぐとぞ ときたまふ」
(現代語訳)
本来、成仏できるような要素をまったくもち合わせていない凡夫を信心一つで浄土往生させると誓われた勝れたはたらきを疑って、
<布施・勧誘などの>功績を期待して往生しようとすれば、方便化土と呼ばれる世界に五百年のあいだ止まって、
いたずらに虚しい時を過ごさなければならないと「大経」の「胎化得失の文」には説かれています。
二種深心ですね。難しいですね。ここも親○会さんとは解釈の違いで対立してますね。
まあ、アンチ親○会の人は地獄一定と極楽一定が同時に知らされるような矛盾するような解釈、摩訶不思議的解釈と言う人もいます。また信心決定病と言う人もいます。
まあ、個人的には親○会さんは「自力という関所」経由かなと感じなくないですが。
ちょうど、先週報恩講(本願寺派さんは1月ですね。)があり、法要、法話で三願転入含め少し話題になったところです。
多くの門徒のおじいちゃん、おばあちゃんには難しく感じていたようです。
本願寺派さんも親○会さんも真宗学を教えるときそれぞれの他派の説も説明して自分たちはこうゆう理由でこの説を採用してますと言う教え方をしないといけないと思います。
しているかも知れませんがまだ不十分なのかなあと思ったりもします。
ゆうき和尚が言うには阿弥陀様を信じて南無阿弥陀仏と称えれば簡単に往生できると言っているのに、簡単な教えのはずが真宗学は恐ろしく難解になってしまっていると言っていました。
悪人正機説ひとつとっても理解するのにパラダイムチェンジ的発想が必要で頭使います。
まあ、ときには何も考えずに南無阿弥陀仏🙏と称え、ブルース・リー的に、
Don't think . Feelみたいになるのがいいのかも。
ナモアミダブツ、南無阿弥陀仏🙏
釋 圓憲さん
>ゆうき和尚が言うには阿弥陀様を信じて南無阿弥陀仏と称えれば簡単に往生できる
「本願を信じ念仏申さば仏になる」
「…念仏申さんとおもいたつこころのおきるとき、 即ち摂取不捨の利益に預けしめたもうなり」
ですからね❣
唯、簡単な教えは、誤解されやすいんですよね💦。
「そじゃなくて~💦、あのね…」と言い出すと、難しくなっていきます~m(_ _;)m。
ブルース・リー的に言えば、「Don't think . as you wish」ですかね(^人^)🌸🌸🌸❣
二種深信についてのお話なのですね。
『なぜ生きる』という本に、詳しく二種深信について書かれてありますので、二種深信について論じられる場合、まず読まれてからなされると、より有意義なお話になるのではないかと思います。
また、こちらの動画で二種深信について話しております。
↓↓
ua-cam.com/video/uTQQBYGK_vs/v-deo.html
「おそらくこういう理解だろう」という想像ではなく、実際に、どういう話をしているのかを確認していただいた上でお話しいただけると、さらにピントのあったお話になるのではないでしょうか?
なお、申し上げるまでもございませんが、お互い、正しい答えを求めての議論ではなく、勝つための争いは醜く、時間の無駄ですよね。
すでにご覧になっておられるかもしれませんが、下記の動画が参考になればと思います。
阿部氏も言われていたように、団体対団体のような議論より、教えにフォーカスした議論こそ、優先すべきと考えております。
ua-cam.com/video/fNSy8FVO5_o/v-deo.html
ライブには間に合わないかもしれませんが、どのような話をなされるのか楽しみにしております。
筬島さん
早速、拝見させて頂きます。
筬島君、講師歴30年とは、親鸞会の講師歴でしたか!、であるならば何故、私の問いに正面から答ないのですか!、身の上を明かさず、良いは良い人、悪い人は悪い人、等と訳の分からぬコメントでしたね、親鸞会講師と堂々と名乗るべきでしょう、これだけの長文コメントできるのですから、それと親鸞会は破邪顕正が使命のはずでは!、
なるほど、「これまでのことは阿弥陀如来のはからいだった」というくだりは、阿弥陀如来のはたらきに出会った後のその人の『感想文』なわけであって、出会う前にはたらいていたわけでわないということですね。
そもそも、出会う前にはたらいているという現象が起こっていれば自力の修行なんかしませんよね。
出会う前の感想文と、出会った後の感想文は分けて考えるように気を付けたいですね。
ビリヤニダイスキさん
阿弥陀様は、十功の昔から、働き続けて下さっています。
それを、疑って「布施・勧誘をしなければ、信心頂けない」等と、自力心をで蓋をするから、
どれだけ聞いても、信心獲得できない教団が出来上がるんですよね。
@@7676amida はたらいていないから自力心が起こるのではないでしょうか?
はたらいているのに自力心が存在するのは矛盾していると思います。
「はたらいている」ワードは本願に出会った後にその人のみが語れる限定ワードであって、普遍的な現象ではないと思うのですが。
@ビリヤニダイスキ さん
>「はたらいている」ワードは本願に出会った後にその人のみが語れる限定ワード
それはそうですね。
授業中、居眠りしてて「おい!山田っ」で目が覚める💦。皆の嘲りの眼差しが突き刺さる。
先生は、授業中寝ている私をずっと気遣って、大声を出してみたり、咳ばらいをしたり・・・。
しかし、起きない私。「山田君…山田…、おい山田!起きろ!」
私が目覚めて、先生(阿弥陀)が働き始めたんじゃないんです。
先生は、寝てる私を心配し(はたらき)続けてくれていたんです。
なのに、私は自分の睡眠欲に負けて(自力心)、寝てしまっていたんです。
① 阿弥陀如来のはからい
法然上人は、ここのところを「月影の いたらぬ里はなけれども 眺むる人の 心にぞすむ」と歌われました。
「私たちが往生浄土する」証拠は、南無阿弥陀仏となって、万人に!すでに!届いています。
これを「阿弥陀様のお計らい」「おはたらき」と言います。しかし、まだ出会っていない人にとっては、何のこっちゃです。
② 自力心
親鸞聖人は、「摂取不捨」のご左訓に「ものの逃ぐるを追はへとるなり」と書かれています。
自力で悟れるはずがない私!なのに、自分で修行出来るつもりでいる。それを久遠 劫より繰り返してきたんです。
だから、今だに私は凡夫なんです。私達は、生まれつき、自力心の塊なのです。
そんな私を呼び続け、追っかけ続け続けてこられたのが、阿弥陀様の十功だったんですね。
www.saganet.ne.jp/namo18/sub1370nigete.html
@@7676amida 万人が往生する証拠が届いているのに何故輪廻しているのか矛盾しているのではないですか?
何度も言いますが「はたらいている!」「計らいがある!」は仏様に出会ったあとのその人個人が「〜と私は思っている」のレベルの話なので、普遍的な現象ではないと思うのですが。
@@ビリヤニダイスキ さん
>万人が往生する証拠が届いているのに何故輪廻しているのか
万人を治す薬は出来上がっています。・・が、飲まないと治りません。
>普遍的な現象
の定義が、 ビリヤニダイスキ さんと僕では、ずれがあるみたいですね。
親鸞会では、機法二種一具の深信(二種深信)が信知(明知)された一念に、信心決定すると講師の方が教えているようです。つまり、信疑決判は、二種深信がハッキリと知らされたか否かなのですね。本願寺派では、二種深信をどのように解釈されているのか、慎重に聞き誤りがないように聞かせて頂きます🙏
横浜一筋さん 先生も仰っていますが、親鸞様は、どこに書いていらっしゃいますか?
親鸞聖人が、仰っていない事を説く師匠の話をどれだけ聞いても、信心は頂けません。
横浜さん、親鸞会で命掛けの聴聞を百千万劫ききぬいて、二種深信ハッキリ決判、受けて下さい、検討を祈ります、南無阿弥陀仏
「深信」の意味はどういうことでしょうか?
機の深信と法の深信のこと。機の深信とは、自身は罪悪生死の凡夫であり、迷いの世界を離れる縁が全くないと信じることをいう。法の深信とは、阿弥陀仏の本願力の救いを信じることをいう。
labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BA%8C%E7%A8%AE%E6%B7%B1%E4%BF%A1
@@7676amidaここで使われている「信じる」とは、どういう意味でしょうか?
他宗派の人は、二種深信を気持ち(心相)だと理解している人が多いみたいですね。
本願寺派では、信心は心に救いの法が届いた状態、気持ちに表れる前です。
THさん
>他宗派の人は、二種深信を気持ち(心相)だと理解している人が多いみたいですね。
自分の心の中ばかり、気にするコメントばかりです…。
有り難いお話を、有難うございました。
すべては、「賜りもの」と言われる事が、分からない時には、一文字の違いが分からなかったものです。
なんまんだぶ🙏
成徳さん ご参加ありがとうございます❣
>「賜りもの」と言われる事が、分からない時には、一文字の違いが分からなかったものです。
一字違いで、大違い❣ ですね🌸❣
地獄は一定すみかぞかしと無間のドン底に叩き堕とされた時(機の深信)、自力無効と他力不思議とは同時に働き、信心歓喜歓喜踊躍とおどり上がり、阿弥陀さま、こうまでして下さらなければ、聞かない私でごさいました(法の深信)と、堕ちるに間違いなし助かるに間違いなしと、機法共に露塵程の疑心もなくなったことを、二種深信という理解で間違いないでしょうか?
横浜一筋さん
かなり親鸞会さん的な言い回しですね。
〇二種深信 - WikiArc - WikiDharma
「深心とは深く信ずる心として二種に開いている。
ここに一にはとあるのは、自身には迷いの生死を出る手掛かりがまったくないということを深信するので「機の深信」という。
二には、このような者を救うために阿弥陀仏は本願を建立され衆生を済度しつつあることを深信するので「法の深信」という。」
labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BA%8C%E7%A8%AE%E6%B7%B1%E4%BF%A1
そうではない、ということを、阿部先生はお話しされたと思います。
私は親鸞会の会員ではありませんが、仏教を聞くきっかけになったのが、親鸞会の菊谷隆太さんのYou Tube動画でした。菊谷さん初め、親鸞会の講師方は、二種深信したことを信疑決判の判定基準だと説法されています。また、阿弥陀仏から頂く他力信心は、七高僧や親鸞聖人、蓮如上人と同じ信心であると。だから、他力信心の心の世界をよくよく知りなさいと。また、南無阿弥陀仏の他力信心=仏智を頂くことであるから、仏智を頂いた時に、仏の智慧によって、初めて地獄一定の煩悩具足の私であったと知らされるとのことです。なので、信前は、真実の自己が分からず、信後に、真実の自己がハッキリすると言われています。これも親鸞聖人の教えとは違いますか?
@@横浜一筋 さん
>菊谷さん初め、親鸞会の講師方は、二種深信したことを信疑決判の判定基準だと説法されています。
阿部先生は、「その証拠のご文を出して下さい!」と仰っているんです。
それでいて、「南無阿弥陀仏が、私たちが往生する証拠」だというと「十功安心」だと批判するんです💦。
>真実の自己がハッキリする
ua-cam.com/video/398Hp6EpYwo/v-deo.html
「南無阿弥陀仏が、私たちが往生する証拠」だということがハッキリするんです。
それ以外に、何かがハッキリすると説くから、信心が頂けないんではないですかね~?
親鸞会さんの中で、誰か「私は信心頂いた!」って人…いますか?
横浜一筋さんも、信心頂いた方の話をお聞きください🌸🌸🌸❣
横浜さん、かなりのハマリ用ですね、ワシもその話聞いたよ、だが親鸞会の中で自力求め、自力無効のドン底に堕ちいった人いるの!、居たら錯覚四角、桜嵐坊様や安部先生が阿弥陀様からの回覧板、回してくれているのです、ぼちぼち、宿善にて柿の渋を取り除き、熟しましょう、