吉野ヶ里遺跡“謎エリア”墓の大きさが幅36センチと判明、埋葬者は大柄ではない?
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- Опубліковано 8 чер 2023
- 佐賀県の吉野ヶ里遺跡では、弥生時代後期のものとみられる石棺墓の内部調査が行われています。9日は新たに棺の大きさが判明しました。
◆長さ1.8メートル、幅36センチ
佐賀県の吉野ヶ里遺跡では連日、石棺墓の調査が行われており、9日は棺の外側を約20センチ中に入った土を2センチ掘り下げました。その結果、石棺墓の大きさが長さ1・8メートル内側の幅が36センチであることが新たに分かりました。石棺墓は、縦に石を4枚ずつ横に石を1枚ずつ並べて作られていました。
◆弥生土器の破片も見つかる
また、墓の中から弥生土器の破片が2つ見つかったほか、黒と白の2種類の粘土が使われているのが確認されました。石棺墓の調査は来週月曜日に再開され、今月15日をめどに調査を完了する予定です。
「卑弥呼か……?」と思いながらも未確定なので言えない感じがよく出ているw
石棺の中にこれだけ泥が侵入しているとなると被葬者の骨が残っている可能性は低いのかな。寧ろ甕棺墓の時代の方が気密性が保たれて骨が残り易かったでしょうね。
なんか敢えて泥(粘土)を詰めていたらしいね。
@@user-rj5pv4th5t 粘土はシーリング材として甕棺の合わせ口にも使われているそうです。なので石棺は石と石の隙間が大きくて気密性が保てないということでしょうね。
大陸から大工道具が伝来したのは、仏教伝来以降の6世紀後半と言われています。
この時代(3世紀半ば)は、まだ、大工道具が存在していないので石の斧や石のハンマー、青銅製のノミくらいしか工具がないので大したものは作れなかったのだと推測できます。
石材を平坦に加工するというのは、相当に難しかった筈です。元々平坦に近い形の石を使う等の妥協が必要だったと考えられます。当然隙間が多いので、埋葬時に粘土で目張りをシても経年劣化で剥離して土が流入するのは仕方がないのかと推測できます。
弥生時代の人の平均身長は男性が163cm、女性が151cm。
古墳時代の人の平均身長は男性が163cm、女性が152cm。
ちなみに、現代人の平均身長は男性が170.8cm、女性が158cm。卑弥呼の時代(=弥生時代末期から古墳時代初期)の人達は当然、現代人基準からすれば小柄。
石棺の内法の横幅が36cm。生きている人間を入れるのなら、内法に余裕をもたせるのだろうが、死者を入れる石棺、とくに権力者用であれば体格に合わせてのオーダメイドでほぼ横幅がぴったりになっていると思われる。
この埋葬者の肩幅が35cmだったと想定すると、身長と肩幅の関係は『肩幅=身長×約23%』として計算できるので、生前の身長は152cmくらいとなる。埋葬者が女性だったと仮定すれば、その時代の女性としては平均的な身長となる。肩幅は現代人でも35−44歳くらいをピークに徐々に狭くなるので、この埋葬者が卑弥呼だと仮定すると、80歳くらいまで生きたことになるので身長における肩幅も随分と狭くなっていたはず。実際の埋葬者の肩幅が35cm以下だったとしても、高齢で肩幅が狭くなっていたのであれば、埋葬された当時の時代の人の中でも小柄ではなかったはずだ。
素晴らしい推理ですね。
解説力が上回っていますね。
ぜひ隣で話してほしい😂
そうですね。発掘は、慎重に、少しずつしないと、毀損して台無しにしかねません。
泥が多そう 人骨は残ってないかもしれないですね
日本というのは火山が多く、火山灰の混ざった土壌というのが多い。火山灰の混ざった土壌というのは酸性。今回、発掘調査の行われている地域も酸性土壌の地域。人骨というのはリン酸カルシウムや炭酸カルシウムが主成分。炭酸やリン酸というのは弱酸で人骨というのは弱酸とカルシウムが塩を作っているモノ。酸性の土壌に人骨が埋もれていると長い年月をかけて人骨を形成するリン酸カルシウムや炭酸カルシウムのカルシウムが土壌の酸と結びつくので骨が分解されてしまう。結果、人骨が綺麗さっぱり消失してしまう。頭蓋骨の上顎などは分厚くて頑強なので奥歯がかろうじて残っている可能性はもあるので、歯ぐらいは残っているのでは、と微かに期待はしている。
月曜日に再開って、調査している人は休みなく働きたいだろうね。
興奮冷めやらぬ状態でしょうね。
ゆっくり休んで欲しいものです。
寝ずにはたらいて
ロマンしかないね。発掘作業員の人たちも月曜日が待ち遠して仕方がないだろうね。
ゆっくりと待ちましょう( ´∀` )b
どんな人の墓なのか気になって夜しか寝れません
自分もご飯が3回しか喉を通らないかないよ
気になって朝からずっとご飯食べれませんでした。
パンとラーメンとステーキとスイーツは食べました。
雨できるだけ降らないで〜!
東隣にある北墳丘墓と対になるお墓なので、埋葬者も北墳丘墓と同格になるのでしょうかね。
吉野ヶ里周辺には複数の古墳が展開しているので、もしこの地域に卑弥呼の陵墓があるとすれば時代的にもそちらになるのでは。
先に吉野ヶ里中枢に埋葬されたのは、漢の光武帝に使者を送り金印を授かるほどの権勢を誇った奴国の王辺りになりそうです。
女性の肩幅くらいだね
壹与かもしれんな
後の大和朝廷となる勢力(神武天皇?)が、日向から「東遷」する際に通りすがりに邪馬台国を征服して、支配者である壹与を大人に成長する前に殺害し、「国譲り」の逸話として古事記とか日本書紀に書いたってことかね?
ヨドヒメ神社が近くに沢山あるからトヨでしょうか?
うしおととらを思い出したよ
那珂八幡古墳 祇園山古墳 光正寺古墳 石塚山古墳など 邪馬台国と同時代の前方後円墳・方墳が三角縁神獣鏡を伴って福岡だけでも複数見られる。
北部九州・瀬戸内・近畿は一体だった。3世紀前半の畿内系土器が北部九州で普通に発掘されるようになった。壱岐からも発掘される。
論争に関わりなく、考古学は内堀まで埋めてしまっている。
いよいよわからなくなった。
卑弥呼の骸骨が発見なるか??❤
やはり、小柄な女性かもしれない、ひょっとしてやっぱり
卑弥呼じゃなく、トヨさん、
だろうけど、この後、
何が出るか、で決まるね。
卑弥呼の理由を探してる感
女性か子供か
自然にこんなびっしりと土で埋まることはないのでは?
フタは一度掘り出された後に被せられたのではないかと。。
そら大昔の人だからね
白米中毒の戦前と、子供の頃から小麦を食べられるようになった戦後でさえ体格全然違うし
断定、この石棺には人は入ってない、副葬品だらけ、そしてその下に本当の人体石棺が現る。
要は2重、3重構造、相当の権力者(夢、夢、)卑弥呼=天照大御神。😄😄😄
卑弥呼しかない!女性ですね
卑弥呼様なら私の前で財布を持って歩いていますよ
御公務とは言え、墓を暴くのは悪趣味。いたずらに封印を解いてはいけない。
どうでもいい
邪馬台国の卑弥呼の後継者の臺与もしくは壹与な気がする
そちらであったとしても大発見になるわな。土器の破片しか出なかったら無念
前方後円墳が作られ始めた時代としたら何もかもがショボいと思ってしまう。
まぁ、古墳時代のごく初期の時代だからね。
大仙陵古墳のようなものは、古墳建造の技術の最盛期だろうから初期の古墳は技術的に未熟だっただろうから仕方がない。
古墳時代の初期って捉え方もできるし
弥生時代終盤って捉えた時にどうなんだろ
36センチだと宇宙人だな
エリア51の宇宙人 グレーか。
もしや埋葬されてるのは女性、、、卑弥呼かな😅