【因美線・山陰本線】懐かしさと侘しさの旅路

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 8 вер 2024
  • 津山線は急行を彷彿させる乗車利用がありましたが、因美線に入った途端人は減り、線路の悪さも相まって凋落が目に見えます
    悲しい現実と活気のあったころを見比べながら旅を進めます
    また鳥取から山陰本線で帰りましたが、浜坂からの旅路はいつものとおり
    ガラガラで国鉄時代の優雅な旅を追体験するにふさわしいものとなりました
    「山陰は裏切らない」いつでも期待通りの旅を見せてくれます
    #国鉄 #鉄道 #JAPAN Rail way
    チャンネル登録お願いします

КОМЕНТАРІ • 28

  • @user-zd1kh8gw5m
    @user-zd1kh8gw5m 8 місяців тому +5

    旅一郎さんは先輩です。私が子供の頃から各地の鉄道旅を楽しまれ、貴重な動画を撮ってくださいました
    昨年、私は初めて北海道旅行をして、最後の留萌本線を旅してきました
    年若な私自身が失われた鉄路へ覚える悲しみと、旅一郎さんの侘しさは比べものにならないと思います
    貴重な動画に映る人々の中には、すでにこの世におられない人もいることでしょう
    今年の夏、タウシュベツや名寄本線、深名線の廃線跡をマイカーで探訪してきましたが、現役時代に訪問できたらと悲しい思いをしました
    令和五年もいよいよ暮れようとしています。新年も、数十年先も、失われた鉄路と新しく生まれる鉄道を、侘しさと悲しみと喜びを共に語り続けることができますように。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому +3

      ありがとうございます。共感いただけるとモチベーションも上がります。
      商業的な観点ではない鉄道の魅力を伝えていけたらいいなと思いますながら旅しています。
      今年も終わりますが来年もよろしくお願いたします

  • @リチャード
    @リチャード 8 місяців тому +3

    スーパーいなばや、はくとに乗って鳥取に行くとき、智頭を過ぎて因美線に入る途端に揺れが大きくなります。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому +1

      そうですね。あの区間も強化すれば少々の雪でも問題なく走れそうだとと思います

  • @user-us1wc8gw8j
    @user-us1wc8gw8j 8 місяців тому

    秋のフリーパスで初めて因美線初めて乗りました。いい路線ですね。また訪れたいです。特に駅ですね、何回行っても降りてもいいと感じます、結構所要時間は早く感じるので今度はゆっくり行きたいです。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому +1

      所要時間が短いのはおっしゃる通りだと思います。弁当食べて酒を飲んでいると「あれ?」と思ううちに智頭についています

  • @user-iu3pq9cm9i
    @user-iu3pq9cm9i 8 місяців тому

    「山陰は裏切らない」のフレーズに衝撃を受けました。身近な存在であるが故に貴重さが薄れていましたが、実はかなり絶滅危惧種な路線ですよね。静かな夜のキハ旅をしたいです。でもやっぱり豊岡で旅は終わり、納得です(悲)

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому

      ありがとうございます。
      時間帯にもよりますが、夕方以降京都に戻るダイヤは貸切に近いほど空いているので昔を偲ぶのにピッタリです

  • @user-cu3ll3ti8p
    @user-cu3ll3ti8p 8 місяців тому

    北のヨンマルも来春には渡島界隈に閉じ込められそうで、国鉄的「旅情」が何とか体感できる線区も少なくなりますね。
    浜坂界隈は時が止まったかのようで、気動車に乗って旧客気分で駅弁を食べながらの温泉旅をしたくなりました。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому +1

      昨日も行ってきたので、イメージビデオを作ろうと思っています

    • @user-cu3ll3ti8p
      @user-cu3ll3ti8p 8 місяців тому

      楽しみにしております!

  • @seijiide1893
    @seijiide1893 8 місяців тому

    因美線のタブレット授受は20代の頃よく行ってましたね。ムーンライト九州やあかつき、だいせんでアクセスしましたが全て無くなってしまいましたから。美作滝尾の簡易委託のおじいさんは砂丘の通過時刻になるとホームに出て運転士に敬礼してましたから元国鉄職員だったのかな?那岐駅は腕木はなかったですが雪が降って寒い日、駅の事務室に入れてもらってストーブあたらせていただいてとてもありがたかったですね。ローカル線の人の温かみを感じる事ができてました。もし、タイムマシンが発明されたらあの時代に帰ることができたら幸せです。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому

      ムーンライトや夜行急行があった頃は移動がしやすかったですね。
      本当に自由だったと思います。
      今は本当堅苦しいし、惨状を見るのも辛いですね

  • @ume4188
    @ume4188 8 місяців тому

    因美線・山陰本線の動画ありがとうございます。
    因美線東津山智頭間は、急行砂丘の末期以来乗っていませんが、
    駅舎等は当時のままの様なので、また乗りに行きます。
    25km/h制限は急行砂丘当時はなかったかと思いますのが、
    津山線快速ことぶきとともに当時陰陽連絡のルートをたどりたいと思います。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому +2

      駅舎は結構そのままなので、雰囲気は残っています。
      駅員が軒並みいなくなったのは寂しく思いますね。
      キハ120というのは末期を感じるので別の意味で寂しいですね。
      急行時代を偲んで楽しんで下さい

  • @Kiwipedia.
    @Kiwipedia. 8 місяців тому

    「砂丘」の走行しながらタブレット授受を行っていたのは、たしかここが最後だった記憶があります。因美線は陰陽連絡が失われてさびれてしまったようです、しかも25km/h制限って。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому

      衰退率でいうとかなりのものがありますね。悲しくなります

  • @bibilu2007-man
    @bibilu2007-man 8 місяців тому +1

    急行がなくなってから因美線に乗ることもなく、もう25年近くになるでしょうか。時のたつのは早いです。
    乗り潰しの旅の時も、中国地方は難関でした。昔は周遊券があったから急行でも、ワイド周遊券ならフリー区間の意特急も乗れたものですが、1日数本、朝晩に集中していることを考えると昔の国鉄閑散線区よりも厳しいです。
    もう気軽に車内で駅弁をつまみに酒を飲むことは、とても贅沢なことのように感じます。駅で売る駅弁も減り、デパートの催事では旅情がないです。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому

      急行列車というのは旅情をかき立てられますね。
      ボックスに座って弁当を食べるのが実に似合います。
      キハ40系列がかろうじて当時の記憶を呼び戻してくれますね。
      しかしながら昨今の「車内飲食」についてキハ40がなくなるのか早いか、飲食禁止になるのが早いか、どちらも歴史の教科書に残るだけになりそうですね

  • @user-ii3xb1lc1l
    @user-ii3xb1lc1l 8 місяців тому

    この雰囲気が「旅行」として楽しめるのはあと10年程度でしょうね。
    芸備線あたりをキッカケにして急速に整理が進みそうです。
    岡山地区も乗客を押し込め「移動」に特化した車両が跋扈してきました。
    下関地区と丹波但馬地区に国鉄残滓が残りそうですが、
    採算性を盾にして事業廃止へ舵を切ろうとしているので路線そのものが危い。
    看取る事しか出来ないのが歯痒いです。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому

      ただ見送ることしかできないというのはその通りですね。
      少しでも多くの人に「こんな旅ができた時代があった」と心に留めていただきたいと思います。
      お仕着せでは味わえない「侘しさ」を体験してほしいですね

  • @coo-k7117
    @coo-k7117 8 місяців тому

    夜の豊岡に滑り込むボックスシートの列車を見ていると、嫌でも昔の532列車を思いだします。この先、夜久野峠を越えて・・ 行くんだろうけど、現実に引き戻されるというか。 それでも、キハ47が国鉄色に戻った事が、それがイベントじゃなく、日常にあることが奇跡なんだろうなと思います。
    目の前を走るヨンマル達が、白いまま消えていくのを見ていると余計に感じます。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому +1

      532列車も1番線でしたね。
      あの時は広く感じた1番線も「こんなに狭かった?」と思います。
      西日本の単色化で唯一良かったのは朱色ですね。
      前から見ていると昔を思い出します。
      京都駅から嫌々乗っていた頃を。
      6:48発の福知山から721レに接続する列車がキハ47の4両でしたから。
      一本前は元浜田行きで始発では接続とらず、この列車に乗ることが多かったです。

    • @coo-k7117
      @coo-k7117 8 місяців тому

      @@user-tabiichiro さま
      いや本当に。気動車の朱色は本当に英断だと思います。
      対して電車の黄色は・・ あれ撮り鉄界隈では「末期色」って呼ばれていますね。

  • @user-mm7wm6dp9i
    @user-mm7wm6dp9i 8 місяців тому

    動画の26:30 ステンレス車両が御出座しの瞬間に「旅は終わった」テロップが出てきたのみて吹き出しましたWWW まぁ自分も同じ感覚ですが 自分の場合、同じステンレス車両でも211系や211系ベースの415系1500番台、311系、719系辺りならまだ許容範囲ですが、Eが付く系の車両(E231、E233、E129等)をみたが最後、一気に気が冷めます。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому

      ありがとうございます。
      自分に言い聞かせる意味もあって「旅は終わり、ここから惰性での移動」としています。
      酒もそこで終了し、飲んでもコーヒーくらいです。

  • @JR-zennihon
    @JR-zennihon 8 місяців тому

    せめて最後が113系だったら旅は終わってないですね。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  8 місяців тому

      そうですね。その意味も込めて最後の交換列車のシーンを入れています