富士溶岩流が産んだ神々/三嶋大社

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  • Опубліковано 19 сер 2023
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КОМЕНТАРІ • 148

  • @AIAIMI38
    @AIAIMI38 11 місяців тому +14

    三嶋大社から、柿田川湧水に7月に旅行しました。
    結構な街中なのに、綺麗な水がコンコンと溢れ出て涼しくて素晴らしかったです✨
    この清流は、富士山噴火から来ているんですね。溶岩の流れまで考えてみたこともないので、いつもながら勉強になりました。ありがとうございます😊

  • @Tanaka-Ichiro999
    @Tanaka-Ichiro999 11 місяців тому +20

    今更ながら、日本の最高峰が山脈や連山でなく、火山で出来た単独峰なのに驚く。それは凄い災害だったのでしょう。多くが溶岩の下に埋もれていてもおかしくはないはず。

  • @user-es6zy2lc2x
    @user-es6zy2lc2x 11 місяців тому +20

    私は8月3日に初めて三嶋大社に参拝しました。毎年三島市にひとりで出掛けています。富士山の伏流水が多く自分の育った田舎町に似ているので、とても大好きな街です。夏に梅花藻を観に行くのですが、7月初旬に起業したばかりだったので三嶋大社にいきました。
    綺麗な巫女さんがお二人いらっしゃり、仕事守を買い求め、久しぶりおみくじを引いてみたら大吉でした。
    翌日、金曜日の正午過ぎに渋谷のヒカリエで開催された持田大輔さんの絵を観に行きましたよ。

  • @tomshio1290
    @tomshio1290 11 місяців тому +8

    三嶋大社の福太郎餅は絶品です。

  • @kakochan8622
    @kakochan8622 11 місяців тому +15

    女性の怒りで大噴火🌋日本の神話の神様はなんとも生き生きと人間臭くて素敵です。
    白滝公園から三嶋大社までの道のりは本当に素晴らしい!まさに清流。ここは水の神様の存在を感じますね。太宰の表現が的確すぎて感動。
    伊豆は海洋民族である縄文人が神津島と黒曜石の交易をしてた場所ですよね。豊かな湧水が海洋民族にとってはとても大切なものだったとか。伊豆を訪れた古代の人々は豊かな水に感謝し、祀ったのかもしれません。龍の神、でしょうか。そしてその自然の恩恵を与えたのはダイナミックな噴火と溶岩…ジオヒストリアかな😊

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +13

      執筆意欲に🔥がつきました!

    • @kakochan8622
      @kakochan8622 11 місяців тому +5

      @@maomao96363 茂木先生ファイヤー🔥執筆のご予定がびっしりのようですね!わくわくしながら待っています😊

  • @user-zg2wo1mh2l
    @user-zg2wo1mh2l 11 місяців тому +5

    時代を超えて平田篤胤に意見する茂木先生かっこいいです👍

  • @13ichirouyuukijun15
    @13ichirouyuukijun15 11 місяців тому +10

    楽寿園は、小松宮の別邸だった屋敷を三島市が下賜された名庭園、小浜池は毎年水位が10月ごろまで変化します。
    京は138cmあるそうです。
    三島大社は、北条政子が、化粧箱を奉納してます。

  • @chanuta5379
    @chanuta5379 11 місяців тому +10

    とても分かりやすく勉強になりました。遠隔参拝させて頂き、とても有り難いです🙏✨日本思想史マトリックスでも勉強させて頂きます🙏✨いつもありがとうございます💕感謝🙏

  • @KOJIARAI
    @KOJIARAI 11 місяців тому +28

    三島に住んでいる者ですが、1万年以上の昔から水が豊富でとても豊かな場所ですし、そのころからずっと人が定住していて、、
    なので神社信仰のさらに前からそこにあったんじゃないかと子供の頃から漠然と思っています。

  • @teabouz7427
    @teabouz7427 11 місяців тому +11

    三島大社のすぐ隣に三島暦の館という建物がありまして、江戸時代まで使用された三島暦に関して、暦師の子孫の方が詳しく説明してくれます。
    暦の作成をココで行われていたことも何かあるのかなと想像しています。

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +3

      おお、貴重な情報ありがとうございます。

  • @user-wk8rh7gp5p
    @user-wk8rh7gp5p 11 місяців тому +5

    瀬織津姫の神様って、数が多いですね、行き当たるところに瀬織津姫ありきみたいな感じですね、縄文時代にできた溶岩流の後には、もう縄文人が住んでいた。朝仕事中に観て、今もう一度確認で観てます。茂木先生にとって神社巡りは、文献との照らし合わせと息抜きですね、暑い中お疲れ様でした。

  • @JJ-bh8yk
    @JJ-bh8yk 11 місяців тому +22

    三嶋神社は鴨家との繫りが深いので事代主様をお祀りされてることに間違いないと思います。茂木さんの仰る通り戦の神のイメージからは遠く感じますが、軍師としての存在感はありますね。しかし、他の神様も併せてお祀りしていると思われるので特定するのが難しそうです。饒速日様もお優しい方ですが戦の神でもあります。

  • @user-xu5kv7kw5p
    @user-xu5kv7kw5p 9 місяців тому +2

    茂木先生、暑い中の撮影、ご苦労様でした。
    水音の爽やかな事、三島、数年ぶりに見て、一緒に散策させていただいてる気持ちになりました🙏🏻

  • @gishimajin_kor_lab
    @gishimajin_kor_lab 11 місяців тому +2

    茂木先生、ようこそ三島へ❗️
    三嶋大社に先生がいらっしゃるなんて、なんか不思議な感じです✨

  • @GoetheFaustus
    @GoetheFaustus 11 місяців тому +7

    動画UPありがとうございます。
    ちょうど50年前に中学の修学旅行で三島を訪れました。
    当時はクリスチャンでしので、あまり気に留めていませんでしたが、過去の思い出が沸き上がるとともに「ありがたい」想いがこみ上げてきました。再び感謝。

    • @user-yv9cu1vg1z
      @user-yv9cu1vg1z 9 місяців тому

      やめられたのですか?私も教会に行くのをやめてから神社仏閣をありがたいと思う心が戻ってきた時の安心感が忘れられません。

  • @akirayoshimatsu3572
    @akirayoshimatsu3572 11 місяців тому +7

    徒歩だとちょっと遠いですが、滝川神社の近く(と言っても少し歩きますが)に、鬼石という巨石があり、河原にも降りて見られます。夏は川の水が冷たくて気持ち良いです。柿田川湧水もですが。

  • @user-jn1wl9ib3j
    @user-jn1wl9ib3j 11 місяців тому +2

    ありがとうございます。 宜しくお願い致します。

  • @user-ci6ge6wf9g
    @user-ci6ge6wf9g 11 місяців тому +6

    日本海側の若狭湾を港とし丹後、近江から山城、大和、瀬戸内海に船を使用して輸送していたと考えると、大阪高槻市、三島氏の本拠地であるとされる三島鴨神社のある淀川沿岸は桂川、宇治川、木津川が合流して大阪湾、瀬戸内海に繋がる海運の要所であったように思います。
    事代主と三島溝咋の娘、活玉依姫の婚姻により、出雲とは親族関係になったようですね。

  • @user-ik5rg6tb5i
    @user-ik5rg6tb5i 11 місяців тому +26

    伊予大三島神社は日本一国宝を蔵する神社として知られています。大半が刀剣・鎧などの武具ですけど。
    大三島神社に来られる際は、是非、尾道の巨石群(千光寺、岩屋山、浄土寺、西国寺タンク山、艮神社境内)もご覧ください。特に岩屋山の巨石は圧巻です。(尾道市民より)

    • @user-sy6yx9gh6h
      @user-sy6yx9gh6h Місяць тому

      艮神社の巨石は、1991年劇場公開の大林映画「ふたり」で長谷部真子と北尾実加の二人が前野万里子との談判を試みようとした際、雨の日に二人が待ち合わせした境内の背後に映し込まれています。
      「長谷部真子」を演じたのは柴山智加さん、「北尾実加」を演じたのは石田ひかるさんです。
      前々から不思議に感じていたのですが、その巨石は、いったいどこから来たのでしょうか。
      千光寺山から転がってきたのですよね?

    • @user-sy6yx9gh6h
      @user-sy6yx9gh6h Місяць тому

      余談ですが、三島駅の南側には、元女子プロレスラーの紅夜叉さんが経営する「なごみ亭」があり、また、岩屋山がある尾道市向島には、同じく元女子プロレスラーの吉田万里子さんが経営する「フェルデンクライス」がそれぞれあります。

  • @user-lh7mo6ux1n
    @user-lh7mo6ux1n 11 місяців тому +20

    もぎ先生、酷暑の中お疲れ様です。先生のお陰でいながらにして史跡探訪させてもらえます。考古学と歴史学の中間は神話学ではないかと思いますが、想像逞しく楽しめる世界です。先生の学者ぶらない飄々とした話しぶりがいいですね。

  • @musashino_103hi
    @musashino_103hi 11 місяців тому +4

    渡辺惣樹先生のチャンネルでも取り上げられていたけど、三嶋大社は出雲系の神社でしょうね。
    神津島に渡った出雲系の方が、伊豆半島に上陸して、三島に拠点を築いたのが始まりかな。
    三島を選んだのは、航海や神津島の暮らしでは、水不足とかあったと思うので、水が豊富に湧き出る場所を選んだのかもって思います。

  • @user-dv6pg5pz6t
    @user-dv6pg5pz6t 11 місяців тому +2

    溶岩の話が始めて、良くわかりました。

  • @school-izumiya
    @school-izumiya 11 місяців тому +2

    茂木先生こんばんは❗
    三島は、小生の養父の実家のある街です。祖母は平成前期に亡くなりましたが、小生が小学生までは夏になると『三嶋大社のお祭りがあるから泊まりに来なさい』と言って二週間位は三島で過ごしていました。当時小生は茅ヶ崎に住んでいたので、今はないとおぼしき東海道線の東京発沼津行きとか東京発浜松行きなどの長距離電車に乗れば、三島には電車一本で行けたのですが、五年生の夏に浜松行きに乗り込み、見事に寝過ごして静岡まで乗り過ごしたのを思い出します😅
    三島は本当に伏流水が豊富ですよね。しかも、祖母の家の上水道の水がいつ行っても夏でも冷たく感じておいしかったのですよ🥤✨確か、地理だか、地質学的には被圧伏流水と呼称したと思います。
    三島と云えば、三嶋大社と広小路駅の直ぐ側の今川焼と焼きそばのお店を思い出します。懐かしいです。
    三嶋大社を茂木先生が訪ねて下さり、動画をアップロードしていただいた事に感謝致します。

  • @kagejiro
    @kagejiro 11 місяців тому +5

    ひとが移動すればことばも伝わる。方言の繋がりを調べるのも面白いと思う。

  • @barbeque2007
    @barbeque2007 11 місяців тому +4

    富士山溶岩流が駿河湾まで流れ下った証ですね。こんな遠くまで。
    次は富士山本宮浅間大社でしょうか。富士山を遥拝する社殿のない山宮浅間神社、神仏分離令の厳しさがわかる村山浅間神社も市内にあります。
    岸田総理が夏休みのために購入した本に伊勢谷先生の「アマテラスの暗号」があるとか。いわゆる同祖論、意外な広がりがありそうです。

  • @user-kai246
    @user-kai246 11 місяців тому +5

    沼津出身です。三島大社とのつながりを確か、、忘れちゃったけど三津と、五重塔に隠された言霊、
    UFOとか、巨石とか、富士山などが繋がるレイラインがあったような、、、それを美術の先生が教えてくれたんですが、、、、

  • @hiromi711
    @hiromi711 11 місяців тому +5

    茂木先生✨動画配信ありがとうございます🙏🎌✨
    茂木先生は動画の撮影とても上手いですね🤔🧐ぶれずに😅
    すごい映像も綺麗です😌💓

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +3

      ジンバルさんのおかげです。

    • @hiromi711
      @hiromi711 11 місяців тому +1

      @@maomao96363 様✨
      うゎ~茂木先生から返信がきたぁ~💕感激します~😳
      ありがとうございます🥺
      ジンバルさん🤔 フムフム🤔

  • @PiCA-pyan
    @PiCA-pyan 2 місяці тому +1

    先生 こんにちは💕この動画内の お妃さまの 見目神社 みるめ が ミツハノメ とつながるのではと さがしていたら みつけました (リンクをはったコメをしたのですが はじかれるみたい💦けっこういいことかいたのに🙊)
    以下コピー
    大和朝廷は三女神を宗像氏などの祀る土地神として位置づけ、国家祭祀を受けたことを記している。
    『日本書紀』は「一書(あるふみ)」と呼ばれる多くの異伝を併記しているのが大きな特徴だが、第三の一書では、三女神ははじめ宇佐島(大分県の宇佐神宮付近か?)に降らせたが、現在では「海の北の道の中に在(ま)す。号(なづ)けて、道主貴(ちぬしのむち)と曰(まう)す。此(これ)筑紫の水沼君等(みぬまのきみら)が祭(いつきまつ)る神、是(これ)なり。」と記しており、宗像氏でなく水沼氏らが祭祀をしているとする。
    🤔もしや 見沼氏が祭ってたのはミツハノメじゃなかったのかなーとか🤔
    ご参考になれば幸いです😸
    でも 瀬織津姫の封印を解除したい 秘密のホントを知りたい 間違いを正したい と思っていたのが 毎日 先生をみていたら 最近はそんなことしなくたって 大丈夫だと思うようになってきて…そして 勾玉をみたら もぅ確信になりました!
    守屋山での先生の勾玉💚💙をみたら なんか 素晴らしき正解?完成形?をみた気がしてます…どうあらわせばいいのやら🤔現代の地上の先生は無反応だけど霊次元の先生は 大丈夫わかってるから って云うしるしに思えてね😸✨(妄想の自由💕)
    予感はこれだったのかしら?
    だからなんかスゴくもぅ大丈夫だって思えてね😸💕
    はい♡めでたしめでたし♡です
    守屋山での勾玉💚は☯️の具現化💕
    縄文の女神に出会った証?😻🎀
    誠先生✨エもぎぃです✨
    ホント神聖で美しすぎる物語をみせてくださって
    ありがとうございました😸✨
    誠先生は縄文魂をもつ皆さんを先生の縄文愛で満たし呼び覚まして ☯️統合完成形に導くご使命があるのね💚っとねこは云う😸✨
    先生が日々してることに私は神聖な物語を感じて 私は日々すごく幸せです😸💕
    20240522pm633
    編集 0523 満月の日 ☀️-🌏-🌕

  • @kdmdouble
    @kdmdouble 11 місяців тому +6

    三嶋大社の本来のご祭神ですが、(独自研究ではありますが)伊弉諾尊、伊弉冉尊の子である蛭子(ヒルコ)のような気がします。
    事代主≒蛭子を祀ることから本来は蛭子≒ヒルコであり、その対に位置する淡島が現在の沼津市にあるあわしまマリンパークの山上にある淡島神社のような気がします。
    どちらも市杵島姫命≒瀬織津姫≒祓戸大神ですし、どこか共通点があると思うのです。
    伊豆半島も元々約1万年前に南の地から流れてきた辺りもヒルコと結びつきますし。

  • @ernest-tachibana
    @ernest-tachibana 11 місяців тому +7

    さすがは平田篤胤大先生・・・全くその通りだと思いますね。
    あと、阿波咩命と伊古奈姫は少なくとも徳島県側の資料では同一神となるようです。
    阿波咩は忌部氏の系譜図中では天日鷲命(阿波忌部)の妹神として記されている女神ですので、素直に阿波(徳島)の女神と考えるべきなんじゃないでしょうか・・。
    また同じ静岡県にある「阿波々神社」も神津島の阿波命神社と同じ神様を祭っているようで(阿波比売命)、こちらの神社では阿波比売命は事代主の
    后であるとされています。ですので三嶋大社の祭神も事代主が正解という事?ですよね。

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +5

      忌部系女神説!

  • @zeitgeistzeku
    @zeitgeistzeku 11 місяців тому +2

    茂木先生、いつもありがとうございます。おかげさまで、日本の成り立ちに対する興味が毎回増幅されていきます!
    神道がもともと、山、岩、木、水、を信仰対象としていて、その中で広範囲に存在感があるのが山であることを考えると、太古の昔のクニの長、つまり各地元の有力者を「おおやまつみ」として記紀でひとまとめにしたのではないでしょうか(コノハナサクヤヒメ、アシナヅチ、テナヅチ、カムオオイチヒメと出生がわかりにくい方々の父神としてまとめられている)。出雲口伝では事代主は出雲の長である(大名持)に対して、副官(少名彦)として尊敬を集めた方となっておりますが、当時の出雲は九州から四国、中国地方、関西までが影響範囲の様なのでオオヤマツミよりも後付け感がある気がしますが、いかがでしょうか。三島県主のつながりから鴨氏も連想できそうですが、伊豆の三島は砂鉄がとれないので、違う気がします。曖昧な知識での意見ですので、自信はありませんが。

  • @user-zw6lv9ez9e
    @user-zw6lv9ez9e 2 місяці тому +1

    いつも楽しく拝見しております。
    茂木先生の言われたとおり、ためしに母系をたどってみました。なんだかワクワクしますね。
    ・ニニギの妻はコノハナサクヤヒメ→父:オオヤマツミ(←イザナギ・イザナミの子)
    ・ホオリ(山幸彦)の妻はクシナダヒメ→父母:アシナヅチ・テナヅチ→オオヤマツミの子(←イザナギ・イザナミの子)
    ・ウガヤフキアエズの妻はトヨタマヒメ→父:オオヤマツミ→(←イザナギ・イザナミの子)
    ・神武天皇の后はヒメタタライスズヒメ→父:大物主または事代主
    ・大物主の妻はイクタマヨリヒメ→父:三嶋溝抗
    ・事代主の妻はタマグシヒメ→父:三嶋溝抗
    ・大国主の妻はスセリヒメ→父:スサノオ(妻クシナダヒメ→父母アシナヅチ・テナヅチ→父オオヤマツミ←イザナギ・イザナミの子)

  • @user-tb8fs9rb3y
    @user-tb8fs9rb3y 11 місяців тому +1

    もぎ先生、お疲れ様です。
    最近、元皇族家出身の華頂さんという方のチャンネルが
    日本の歴史を語っておられています。
    日本語の「馬小屋」をいろんな言語で変換して、
    逆にその言葉を日本語に翻訳すると「安定」という言葉になるそうです。

  • @tsuyoshifujii6990
    @tsuyoshifujii6990 11 місяців тому +5

    事代主は、役職名というのが一番説得力があると思います。

    • @user-xc4no3dd1i
      @user-xc4no3dd1i 11 місяців тому +5

      出雲口伝では、スクナヒコが副王の役職名で、その第8代目のスクナヒコが事代主。記紀では平和主義のように書かれていますが、出雲口伝では、徐福集団に大国主と共に殺されたとあります。

  • @gfgxxxQoQ
    @gfgxxxQoQ 11 місяців тому +4

    幕末に三島神社が流行ったのはおそらく尊王派のみなさんがやたらに東海道を行ったり来たりしたからではないでしょうかw
    箱根と大井川の間でちょっと一息の場所かな、と。
    事代主って個人の名前でなく役職っぽくないですか?主というのは要するにマネージャー/管理職みたいな意味で、江戸時代でも主税とか主水とかありますし、今でも主査とか主任とかありますよね。
    事代というのは神の託宣を伝える役とありますが、シャーマン的なものでなく、広報官みたいな職?主事?右大臣的な職?と思ってます。
    大国主が事代主に聞いてくれ、みたいなことも言ってたりしますし。歴代の中にエビス様っぽい人もいたのでは?

  • @user-pg3iq8dp9b
    @user-pg3iq8dp9b 11 місяців тому +5

    金木犀は力を蓄えて何年かに1度のペースで咲かせますよ。40年前は金木犀が咲いた事が離れた所でも分かるくらいの香りを放っていました。

  • @japan5637
    @japan5637 11 місяців тому +1

    茂木さんが、三島に…来たーーーー✊✨
    今度は、沼津市にも来てください!😊
    古墳が沢山あります👍

  • @user-xp9qt9sz6z
    @user-xp9qt9sz6z 11 місяців тому +7

    静岡いらしてたんですね〜❗️
    近かった〜😅

  • @user-mm7jd4ls2r
    @user-mm7jd4ls2r 11 місяців тому +13

    三島に行ったなら、少し遠いですが、瀧川神社にも足を運んで欲しかった。

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +16

      動画、撮ってありますよ😊

    • @user-jk2sv3bj9m
      @user-jk2sv3bj9m 11 місяців тому +2

      ​@@maomao96363良い発言 ありがとう

  • @user-zu9wz1xm9b
    @user-zu9wz1xm9b 11 місяців тому +1

    今日の動画🎥はわかりやすいです⭕️⭕️⭕️‼️🥸

  • @tv2488
    @tv2488 11 місяців тому +5

    先生!!お早うございます。三嶋大社については良く分かりませんが。一人相撲の大山祇神社(大三島)絡みのようですね?!!忌部氏(天皇家の一族)が阿波から千葉の安房に文化を伝播するのに向かう通過点と思われます。大山祇は阿波の仏王山大山寺辺りから石槌山までの支配した国津神です。平田篤胤の大山祇=事代主は同族と言うことでしょう?!事代主は記紀において平和的に国譲りしたように書かれているのは母君が須佐之男命の流れだからでしょうが阿波の以津面(いずも)を納めた大王であり、神武天皇の事績に重なるようです。又、宮中三殿の神嘉殿で祀られております。闘いの神でも間違いないでしょう。頼朝は清和源氏ですが京都の六孫王神社(清和源氏発祥の宮)に満仲王の誕生水神社がありますが満仲王は阿波の神山が高天原であることを知っていたようです。(死に場を求めました。)よって、頼朝も天皇家の深部をある程度知っていたと思われます。(京都の伏見より。)

  • @kzn3720
    @kzn3720 11 місяців тому +6

    私は、大山祇命は倭人が先祖と主張していた太伯の神格化だと思います。
     瀬戸内はO1b2優勢で倭人の文化風習などの痕跡がたくさんあります。また大山祇を祀った越智氏も、饒速日命の後裔ってことにされてますが、ほんとのところは土着の倭人(越人)だったと思います。大山祇と同一視される三島溝咋は後に同一視されたのだと思います。
     そもそも天火明饒速日命の後裔を主張する物部氏ですが、天火明命の傍系(直系は天香具山命→尾張氏)の宇麻志麻遅命の末裔だとすれば、彦火明命はO1b2の海人族でしょうから物部氏と越智氏が同族である可能性もありえますがね。丹後半島の遺跡の出土品は弥生系です。

  • @user-xz1sn7gz8l
    @user-xz1sn7gz8l 11 місяців тому +8

    三島には鎌倉時代から続く妙法華寺も在ります、太田道灌や北の政所のお墓などもあります。なお和尚は全国初の連座制で捕まるほど徳の高い方です、有り難や有り難や~

  • @PiCA-pyan
    @PiCA-pyan 11 місяців тому +3

    先生 オハヨ~ございます🐣☀️
    ⛩️三嶋大社⛩️来たぁ~😻🌋🙏✨
    (先生の調神社🐇から方位 坤ヒツジサル🐣ヒメの字何故か口+羊 神は示す+申💕伝わってるかしら🙊姫神さまの封印を解く旅💕🐣)
    こちらに詣ってあの‼️足柄山の滝行に向かったのですね🤔😺
    ジオ好きなので解説うれしいデス 😻
    1万年前の三島溶岩流🌋 そして2900年前の富士山 山体崩壊での御殿場泥流 ゴロゴロ岩達はその時運ばれたそうデス🗻ちょい南には湧き水が源流の柿田川があります💎めっちゃきれいな水がめっちゃわいてますヨ(語彙🙇💦)
    3:39チョウは神様からの歓迎ラッキーサインだそう💖特にクロアゲハは瀬織津姫だとセオリスト?には大変ありがたいサインだそう…先生 姫神さまと相思相愛のサイン😻💕チョウはチュウチュウ給水をするので水まわりによくいるものですがね😅イヤ滝の龍の観音様の祝福デス😁✨
    神津島といえば黒曜石デスね🌋縄文人が船で世界と交易してたらしいデス🌋🐣
    知る神社なのでよくわかるのですが 先生は取材とはいえ ホント丁寧に巡って詣っていらっしゃるのが よくわかりました🐣感謝 尊敬いたします🙇🙏💖
    先生がたどられた様に丁寧にみてまいりたいと思います✨縁ある神社や神についてだとドキドキ感が半端ないっす😅この神は誰だーとか云われると何故か身内が疑われてるみたいに😅独特の楽しさが✨😻
    この北東の箱根山系の湧き水の滝を御神体とした滝川神社があり 瀬織津姫の生誕地のひとつと云われ、この三嶋大社に住んでいた説が🧐🎶ホツマに瀬織津姫はカキタ柿田から来たと…🧐
    コトシロヌシも謎多き神さま…えびすさん🎣ヒルコ…役職名…🦆氏…先生の考察楽しみにしてます🐣🙇✨
    この夏は茂木先生とジオ+神+女神の謎解き巡りの旅が楽しめてホント幸せデス😻 最大の感謝の気持ちをお贈りいたします🙏💖✨

    • @PiCA-pyan
      @PiCA-pyan 11 місяців тому

      訂正 アゲハ蝶 ❌給水➡️⭕️吸水
      🦋🥤 🙇💦🙏

  • @junesunshine417
    @junesunshine417 11 місяців тому +13

    静岡県の神社は湧水の豊富な所が多くて清々しいですね。舞殿の手前の神門は明治の造営で向唐破風の四脚門になりましたが、江戸中期の古図によると地震で倒壊する前は二階建ての楼門でした。なぜ忠実に再現しなかったのかちょっと謎です。頼朝が建てた門も楼門スタイルだったんですよ。当時は木部は丹塗りでした。

  • @user-px2qt3in6v
    @user-px2qt3in6v 11 місяців тому +7

    私のメモ書きによると以下の通りです(出典調査中)。
    『伊豆国三嶋神主家系図』(近世初頭)によると、慶雲元年(704年)興島(三宅島?)に祀っていた三島宮を伊豆大島に移し、天平7年(735年)に現在地に遷座。
    「みしま」の「み」は尊敬の意を表す接頭語でしょう。「島神社」はおそらく縄文以来の信仰で、火山の噴火を鎮めるための祈りの場、あるいは島を生み出す火山という自然の力への崇拝などが考えられます。神話の神は「みしま」の音からの連想で後世付け加えられたものでしょう。

  • @7772018
    @7772018 10 місяців тому +1

    茂木様
    その疑問は究極の至り。
    すべでの謎にに通ずる未だ知られぬ心理への道。

  • @hakubyakudan
    @hakubyakudan 11 місяців тому +2

    前から大山って言葉が引っかかっておりましたが、阿波が関係あるなら何かゆかりがあるのかも…うちの田舎の親戚が大山山の大山神社を代々守っていて、小さいほこらが山頂にあるんですが、鷲住王を祀っています。
    海部の開祖なんですが…関係ないかな💦
    景行天皇─ー神櫛別命(神櫛王)──千摩大別礼命─〔讃岐国造〕須売保礼命─ー鮒魚磯別王──鷲住王

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 11 місяців тому +10

    蝉しぐれが降り注ぐ暑い中、
    三嶋大社のご紹介
    ありがとうございます♪
    三嶋の神さまについて
    賀茂一族を辿ると
    観えて来るものがあります。
    【三輪氏・賀茂氏の系図】
    ✤事代主(大物主神)
     ↓
    ✤天日方奇日方
     ↓
    ✤飯肩巣見
     ↓
    ✤建甕槌
     ↓
    ✤豊御気主
     ↓
    ✤大御気主
     ↓
    ✤阿田賀田須
    ✤建飯賀田須
     ↓
    ✤大田田根子
     ↓
    ✤大御気持
     ↓
    ✤大鴨積→鴨君・賀茂氏祖❤
    ✤大部主
     ↓
    ✤大友主→神(みわ)君・大神氏祖💛
    ♪ ♫ ♪ ♫
    正史
    先代旧事本紀
    三輪氏に伝わる系図が
    このカタチで一致します。
    【事代主(大物主)】の子である、
    【天日方奇日方】は、
    ヤマト政権初代皇后である
    【タタラ五十鈴姫】の兄です。
    この兄妹の親は
    父・事代主
    母・三嶋溝咋の娘である
      活玉依姫(玉櫛姫)です。
    三嶋溝咋は
    瀬戸内を拠点に海と山を制した
    縄文の大豪族であり、
    大山祇神であると思います。
    飛騨に伝わる伝承では、
    元々、乗鞍周辺の山に
    住んでいた飛騨王朝の人たちは、
    寒冷化により
    山を降りてゆきます。
    その中で、
    次男・山下住命の子孫に
    大山住命がおり、
    瀬戸内に進出してゆくのです。
    大山住(おおやますみ)が
    大山祇(おおやまずみ)に
    なっていったと考えられます。
    縄文の民です。
    この三嶋家の活玉依姫の婿に
    出雲の事代主を迎えます。
    三嶋一族と出雲王家は
    ここで親族となり、
    四国では三嶋一族が事代主を
    サポートしてゆきます。
    事代主の死後、
    活玉依姫は子どもたちを連れて
    実家(高槻)に戻り、
    子どもたちはそこから、
    三嶋一族と出雲勢力に支えられ、
    ヤマトに進出し、開拓してゆくのです。
    ↑この系図は、
    その初代皇后の一族の系図であり、
    ヤマト政権の祭祀を請け負ってゆきます。
    この一族の親族の姫が、
    代々の姫巫女となり、
    三輪山の太陽の女神を
    お祀りしていました。
    3世紀に九州から
    二度目の物部の東征があり、
    大鴨積(おおかもつみ)❤は、
    三輪山を奪われ、
    山背ヘ追い出されてしまいます。
    このとき、
    太陽の女神を祀る姫巫女も、
    丹波ヘ逃げます。
    その後、籠神社を経由して、
    伊勢ヘ移り、
    お祀りされることになります。
    山背(京都)ヘ逃れた
    大鴨積❤の一族の一部は、
    (大部主💛)
    三輪山を奪還し、
    太陽の姫巫女が伊勢ヘ行かれたので、
    大物主をお祀りするようになります。
    大部主の子孫が【大神(みわ)氏】で、
    ヤマトを拠点とし、
    大神神社をお祀りする一族です。💛
    一方、大鴨積の子孫は、
    山背で賀茂神社・日枝大社を整備し、
    後に平安京に遷都させます。❤
    こちらが現在まで続く、
    賀茂神社の系列となります。
    平安京は箱物は秦氏が造りましたが、
    その裏には賀茂氏がおり、
    両者はピッタリとペアを組み☯、
    婚姻関係を結び、
    ガッチリと協力し合っています。
    伊豆に渡った三嶋一族は、
    この大山祇・三嶋一族と
    出雲・事代主一族の子孫たちであり、
    房総半島ヘ渡った阿波忌部一族とも
    大きく被ります。
    伊豆にも安房にも
    【賀茂・鴨】のつく地名が
    とても多いです。
    多くの系図における
    【神魂命】は
    おそらく、事代主であろう思います。
    現在の皇室は
    事代主の子孫であるとも言えますし、
    大山祇神の子孫であるとも言えます。
    (初代皇后の両親なので)
    三嶋大社に菊の御紋が
    ありますね。
    初代大王は
    婿として迎えられたのです。

    • @nihontaro9
      @nihontaro9 11 місяців тому +3

      mayumi3300🌻様、
      詳細な鴨氏の系図をご丁寧に教えて頂きありがとうございます♪
      いつもながら系図は本当に一番分かりやすいですね。
      私ごとですが静岡県三島市には去年退職した今は無き会社の技術研修所があり、20代と30代の頃に三か月位社員寮に泊まりで勉強して居た時期があり、とても懐かしいです。その頃は神社の知識は全くなく、三嶋大社にも一度しか参拝しておらず、特に休日はする事もなくて暇だった時だけに、今から思うと、とてももったいないことをしました。
      やっと本題です。三嶋の神様について、出雲の伝承だと、三嶋大社が建てられたのが、事代主の子孫の第6代孝霊天皇の皇太子の大彦命(富ノ長髄彦)が第一次物部東征を察知し大和を逃れ滋賀から領国伊賀敢国で安倍氏を名乗り北陸から最後は東北津軽十三湊に逃れアラハバキ信仰の安倍王国を作る途中で別れた息子の武沼川別が伊勢遺跡で出雲式の銅鐸信仰を発展させたのちに静岡に移り北伊豆に出雲祖神のクナトノ大神(大山祇)と祖先の第8代目副王少名彦の八重波津身事代主を祀る三嶋大社を建てた事から地名が三島となった。ようですね。
      お話のように三嶋とは事代主のお后の三島溝杭耳の姫玉櫛姫の実家の摂津国三島郡(現在の高槻市あたり)にちなんだ社名ですね。
      この三嶋大社から出雲東王家富家、そして八咫烏と呼ばれる大和葛城の三輪山大神神社の太田氏、大和と山城の出雲東王家系下鴨、西王家系上賀茂の賀茂氏と、日本の重要な歴史が透けてというよりもはっきりと見えてきそうです♪。
      事代主とは、茂木先生のご考察のように、神話上では無血開城で出雲の国譲りを行い、争い事を嫌う温厚な神様で、確かに本来の漢字の意味である言知主のお名前のように、武力よりも言論の力で知しめし統治する王と言うお名前ですが、役職名の副王少名彦の役目が国防を司る防衛担当の王であったことから、当時の強力な出雲王国軍の軍事力を考えると、並々ならぬ武神であった。と想像ができます。
      あとまた少し余談ですが、偶然このお盆に母親の一周忌もあり秋田に帰省した時に、生まれた町内に奈良時代から続く高龗龍神社があることを、恥ずかしながら生まれて初めて知り、参拝しましたら、鳥居の後ろに敢富と書かれた石碑がありました。もしかしてこれは、、と驚いてしまいました。案内板には、大同年間806年安東氏の建立と書いてあり、成る程ねえ。と思ってしまいました。不思議なことがあるものですw。

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 11 місяців тому +5

      @@nihontaro9 さま
      コメント
      ありがとうございます♪
      わたしも若い頃、
      熱田神宮の目と鼻の先に住んでいましたが、
      一度も参拝しませんでした。
      神社にはほとんど
      無関心で過ごして来たように
      思います。
      もったいないことをしました。>⁠.⁠<
      熱田神宮に初めて参拝したのは、
      前回帰国したときですが、
      まだ出雲王家の伝承を知る前でしたので、
      今なら違う角度から
      観れると思います。
      三嶋大社も行ったことは
      ありませんので、
      皆さんが現地に行かれて
      その肌感覚を伝えてくださるのは、
      とてもありがたく、
      脳内旅行を楽しんでいます。
      おっしゃる通り、
      三嶋一族は、
      武沼河別命の陸からの移動と、
      海からの進出と、
      両方から行っているように
      感じます。
      海からの進出は
      出雲王家の伝承には
      書いてないので、
      なかなかその全体像が掴めませんが、
      阿波忌部と大きく関わりが
      ありそうですね。
      出雲・三嶋・賀茂・忌部・中臣
      そして秦氏…
      全て繋がっていますね。
      一つを引っ張ると、
      ズルズル出て来る。
      【敢富】とは
      そのまんまですね。
      ここにも
      地球儀を回していた人たちが
      いらっしゃいますね。👣

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +4

      母系を探れ、ということですね。自分でも確認してみます。ご教示ありがとうございました♪

    • @nihontaro9
      @nihontaro9 11 місяців тому

      @@mayumi3300🌻さま、
      ハイ!、また教えていただいた『地球儀🌏』の歌♬が聞こえてきました。
      2023-806=1,217年前の地球儀です。
      まさか自分の生まれた町内から、今初めて聞こえてくるとは思いませんでした。😂
      そういえば、亡くなった祖母がたぶんその龍神さんを信仰していて、床の間の口の広い大きめの壷に水を張って
      毎日「南無妙法蓮華経」とお経のその部分を繰り返し熱心に唱えていた覚えがあります。
      まだ小学生だったので、正直気味が悪くて少し怖かったです。(たぶん、お稲荷さんの信仰もやっていたようです🦊💦)
      今に思うと、実家のお墓のあるお寺は宗派が一向宗なので「南無阿弥陀仏」のはずなのに、、、なぜ😅?
      きっと「法華経」の響きに憧れていたのかも🤣

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 11 місяців тому +3

      @@maomao96363
      茂木先生
      ありがとうございます♪
      その通りです。
      古代においては、
      母方の方が重要です。
      大王とは表向きの代表ですが、
      実際にヤマト政権を確立し
      運営して行ったのは、
      この人たちです。
      何故なら、
      祭祀こそがマツリゴトだからです。
      天とつながることができるのは
      女性でした。
      ヤマト政権とは、
      外国からやって来た人たちが
      造った政権ではありません。
      次から次へと
      波のように渡来して来る人たちを
      全て飲み込み融合し、
      その中央には
      微動だにしない縄文の祭祀が
      現在まで続いています。
      【大元出版】の
      旧出雲王家の伝承を読まれますと、
      詳しい詳細が分かります。
      よろしければ、一説として…。

  • @user-fo6nj5yk6f
    @user-fo6nj5yk6f 11 місяців тому +1

    私も縄文時代からの信仰に関心が高く、動画をよく見させて頂いております。
    お忙しいとは思いますが、大神神社にもぜひ訪れて頂けると嬉しいです。

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому

      かなり前の動画ですが。
      ua-cam.com/video/1hjOXxAplbo/v-deo.html

    • @user-fo6nj5yk6f
      @user-fo6nj5yk6f 11 місяців тому +1

      なるほど。ご返信ありがとうございます。私も5年前初めて大神神社に初詣に訪れまして、次男が9月末で5歳になります。
      彌彦神社さん、氷川神社さん、塩竃神社さんはとても好きでよく訪れます。
      三嶋大社さん、諏訪大社さん、鹿島神宮さん、香取神宮さんは訪れたことがないのでぜひ訪れたいです。
      岩手県には瀬織津姫さまが祭られた神社が早池峰山周辺にあります。色々と興味深いです。
      これらかも素敵な参拝動画を心待ちにしております。
      ご健康に氣を付けてお過ごしください。

  • @user-bb6qs9ro8o
    @user-bb6qs9ro8o 11 місяців тому +4

    大山祇の神は何者か?私が聞くには元々縄文時代から日本列島に住んでいた土着神の総大将と聞く。国津神の筆頭。
    太古の昔から沢山の民族が日本列島に入って来ているが、出雲族が日本に入る前から住んでいた民族のルーツであり、勿論その時代は國という概念は無く、人が集まる集落にはそれぞれの首長(按司)が居た訳で、その首長達も集落の民もそれぞれが交流をしていた。
    そしてその首長を束ねていた国津神の筆頭の民族が大山祇だという。
    ヨーロッパの方から来た大巫女軍団の最初は6000年前になる。その末裔とも言えるだろうし、また更に古くはムー大陸が在った時代の末裔でもあると思われる。ムーの民の末裔となると古すぎて判らないが。
    出雲族が日本に来る前の王というべき存在なんだろう。
    言われている様に、出雲族は日本列島を縦断した。開拓という言葉は語弊があるが、出雲族が日本列島で出雲國を造った際、先住民のこの沢山の他の民族や土着の民族を束ねる働きをした。
    出雲族は戦って奪って征圧して行ったのではなく、出雲族は生きる術と知恵を伝え和合し、日本列島の民族を束ねて行ったのだそうだ。当時はやはり狩猟が主の生活だったのだが、出雲族は稗や粟や古代米の栽培の仕方、耕作の知恵を知っていた。その知恵と種を元々の土着の民族に教えて和合し、治めて行ったのだそうだ。事代主の名が出て来るのはそういう事なのだ。確かに事代主は戦ってはいない。戦いの神ではない。
    伊豆諸島の神津島に残る神話も事代主が出て来る。出雲の民である大国主軍団が寄った事の証拠でもある。また、千葉の房総半島の先端の神社には、稗粟の栽培の仕方の知恵を教えて貰った事の逸話が残っているそうだ。大国主軍団と一緒に動いた阿波族が教えたそうだ。
    出雲族である大国主軍団が淡路から神津島経由で関東へ入った証拠です。阿波=安房でありその名が土地に残る。
    茂木先生が言う渡辺惣樹という方の説ですか?ほぼ同じですね。
    ここからは私の想像だが
    では淡路や徳島から大国主軍団が来たのか?それは阿波族が一団に入っている様だし、その通りなのだが、瀬戸内海の民も来ていたのか?それはそうだろうと思うが、多分そうだろう、大山祇の民も来ていたんでしょうね。
    神津島からは富士山が見える。大山祇の民が来ていて、あの大きな山はなんだ?と富士山へ行くのは判るし、信仰したのだろう。自然神崇拝であり山が神で、その信仰を持つ大山祇の民が富士山へ行き、その近くで富士山を崇拝したのは容易に想像できる。きっと、あの三嶋大社の近くに大山祇の民が住んだのだと想像する。そして出雲と和合した大山祇の民が、三嶋大社で事代主を祀るのは、共に航海を一緒にしたのだから当然であると思う。時代が古いので、その神の祀りがいつしか混ざり、今ではこの三嶋大社では、大山祇=事代主となってしまったのかな?
    私は三嶋大社へ行った時に神と対話したが、本殿の神は事代主ではなく、まさしく大山祇の神で父神であった。事代主の神はいなかったよ。
    私は、今月末に丁度愛媛の大山祇神社へ行く事になっている。その辺の歴史の事。神が教えてくれるかは判らないが聞いて来ようと思っています。

    • @amenominakanusi369achimarikamu
      @amenominakanusi369achimarikamu 11 місяців тому +1

      縄文人は部族間婚姻で血が濃くならないように他部族と祭りで縁を結び政(まつりごと)に繋がった
      四国では田植えの時期、山の神様(大山祇)に山から注ぐ川の清流に感謝します
      名を残す武将は 多くの命を奪い自然を傷つけた武具を禊祓するために納めたのではないでしょうか
      そしてムー大陸の同族として
      環太平洋の島から江戸時代までは
      交流があったそうです

  • @anncookie1650
    @anncookie1650 11 місяців тому

    いつも面白いお話しありがとうございます‼︎
    おまつりされてる神さまは、オオナムチ、スセリ姫あたりだったりしますでしょうか?

  • @elfliede1951
    @elfliede1951 11 місяців тому +1

    いつも足を運んでの臨場感ある配信ありがとうございます。
    縄文以前の歴史に興味があるとおっしゃってましたが、少し気になる本を見つけたので、紹介します。
    出雲と大和のあけぼの―丹後風土記の世界 斎木 雲州 (著) 大元出版
    絶版になっているようで値段ははりますが、再出版された本もあります。
    出雲王国とヤマト政権―伝承の日本史 富士林 雅樹 (著)
    著者が変わっているので全く同じ内容かわかりませんが、いずれにしても、出雲族の口伝を本にしたものだそうです。
    私はまだ読んでいないので詳細はわかりません。

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +3

      出雲口伝も奥深いですね。もう一つの古代史。

  • @user-px2qt3in6v
    @user-px2qt3in6v 11 місяців тому +2

    つい先ほど思いついたことです。
    三嶋宮は代々、溶岩の塊付近に建てられてきたのではないか。
    現在の三嶋大社は茂木先生ご紹介の通りです。他に高台など適地があると思うのですが、よりによって溶岩の塊近くに建てられています。もちろん清水を求めてということは考えられます。
    私の頭から離れないのは、昨日、意味不明と書いた「慶雲3年(704年)三原山が噴火したことから(略)大島に移した」という記述です。火山の神が大地から生み出した三原山の溶岩の塊を求めて遷座した可能性はないでしょうか。
    気象庁HPによると、日本書紀の記述をもとに、天武天皇12年(684年)伊豆島(大島か?←気象庁HP)で大噴火があり島が自然増益したとあります。その20年後というのは、三嶋宮の建て頃?ではないでしょうか。
    冒頭、代々と書きましたが、もしかしたら、三嶋宮は縄文時代以降、伊豆七島を転々と移動しながら祀られていた可能性もあるのではないかと考えます。そうなると、まさに島の火山信仰です。

  • @PiCA-pyan
    @PiCA-pyan 11 місяців тому +1

    🙋せんせ~い🙋
    25:07 平田アツタネさんって9月の新書で 日本のダヴィンチと紹介してる おかた ですね‼️🙊💦天才が何故そんな事を‼️…何かオモワクとかあるのかしら⁉️🧐🤔どんなひとなんだろ…🧐
    新書 おいしそうな色の表紙ですね💕日本人を理解したいので予約いたします🙇🙏✨😻
    私 日本というか(人間)になじめなくて😿🤫

  • @m58574
    @m58574 11 місяців тому +1

    大山祇神社、三島大社、三島鴨神社、美保神社の神紋が同じ三文字紋。一遍上人が開いた郷照寺の社紋と河野氏の家紋も同じ三文字紋。三浦氏の三つ引き紋も似てる。何か関係があるに違いない。

  • @user-fp3uy4uz3b
    @user-fp3uy4uz3b 11 місяців тому +13

    神代の「いずも」は、イの國の津に面した地域のことで、
    そのイの国は伊予の伊であり、阿波の地域のことですね。
    阿波の東南岸の海部族は最古の海洋民族であり、神代の時代には伊豆、房総に進出していたようですね。

  • @user-jn1wl9ib3j
    @user-jn1wl9ib3j 11 місяців тому +1

    どこか 講演会でもあれば行かせて頂きたいのですが 近々何か有りますか?

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +1

      案内動画でお知らせします。

  • @user-vw1mh4le1o
    @user-vw1mh4le1o 11 місяців тому +2

    大山祇神社は去年行きました。芸予諸島は瀬戸内の交通の要衝で軍事的にも重要な場所だったので軍神的なイメージがあるのではないでしょうか。九州勢力から見た東の最前線?
    瓊瓊杵尊は大山祇の娘(コノハナサクヤヒメ)を皇后に迎え、神武天皇は事代主の娘(ヒメタタライスズヒメ)を皇后に迎えてます。どちらも皇室の外戚でこの二組を同一視するなら大山祇=事代主もあるのかな?ちなみにヒメタタライスズヒメの母親は三嶋溝樴耳神(賀茂建角身命)の娘の玉櫛姫(三島溝樴姫)だそうです。関係ありそうだけどやはりイメージが合致しないですね。
    私もこの夏、宇佐神宮や宗像大社などの九州の神社をまわってきたんですが、神社や遺跡は直接行ってみないとわからないことが多いですね。茂木先生の行かれた三島大社や鹿島神宮、弥彦神社もいつか行きたいです。

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +3

      三嶋溝咋ファミリーが謎ですね。神武天皇の外戚だったのに、ほとんど何も伝わっていない…

  • @user-px2qt3in6v
    @user-px2qt3in6v 11 місяців тому +1

    後世に付け加えられた神について。
    私は、一昨年(2021年)の2月12日に鹿島神宮と香取神宮、続いて25日に三嶋大社に参拝しました。三嶋大社にも神鹿園があることから、祭神は、建御雷と経津主だろう、だから、源頼朝などの武将が戦勝祈願したのだろう、と思っていました。
    しかし今回、三嶋大社の神鹿園について調べてみると、大正時代に町の産業発展のために呉服商が中心となって春日大社から鹿を招いたとか。考えれば考えるほど不思議な話です。今さら、祭神を変更できないからとか、何か隠されているのではないでしょうか。

  • @user-wx2sn4fr9b
    @user-wx2sn4fr9b 9 місяців тому

    伊豆最古の神社、白浜神社も取り上げてほしいです。お願いします😊

    • @maomao96363
      @maomao96363  9 місяців тому

      ua-cam.com/video/N6ZMKmL0b-I/v-deo.html

  • @user-jz2ry4ub3j
    @user-jz2ry4ub3j 11 місяців тому +2

    大日本神名辞書に
    阿波咩命は別名天津羽羽命、
    事代主の后神なり。と書いてあり
    徳島では又の名は大宜都比売。
    市場町八幡には天津羽命を祀る
    粟島神社があり近くの
    市場町伊月に夫神である式内社事代主神社が有ります(日本で四社しか無い内の一社)
    伊古奈比咩神社の御由緒に
    三島大明神は南方より黒潮に乗り伊豆に到着されたとかいてあります。(多分、三宅記を参考にされたと思います)
    伊古奈比咩神社に
    阿波の忌部が東國に赴きその
    中間たる南伊豆に同氏所在の
    事實を物語る・・・。
    ・・本名上津島、比島座阿波神、是三島大社本后也。
    事代主玉籤入彦厳事代主神
    又、都波八重鴨言代主神とも
    申奉る。
    伊豆國の伊豆は假字(仮字)にて
    實は(実は)此大神の御名より
    出たる國名なり。
    ※文章の抜粋で繋がった文章では有りません。又書物の漢字には平仮名をうってくれて有ります。
    伊豆と言う地名は
    入彦厳(いづ)事代主から付いた名前だと言うことで
    市場町、伊月(いつき)の事代主
    から繋がる地名だと思います。
    (いず)とは書かず(いづ)と書いてあります。
    伊豆の地名は出雲からの由来と言う事を良く聞きますが
    神の名前から出た地名です。
    ブログ[ぐーたら気延日記]の
    ぐーたらさんにアドバイス頂きました。

  • @user-zu9wz1xm9b
    @user-zu9wz1xm9b 11 місяців тому +1

    神社⛩️であっても地震対策は施しているはずなのに、、、、全壊⁉️なんて、、、、スゲエ揺れ🫨ダッタ🫨🫨ンダロウな🤔🤔🤔‼️🥸

  • @hakuba2112
    @hakuba2112 11 місяців тому

    水泉園 です。沢蟹 三嶋梅花藻 一時、東レの馬鹿垂れが水くみ上げて、楽寿園の水が無くなった。
    富士の湧き水~3歳までここにいました。今から70年近く前~

  • @voyager3yt
    @voyager3yt 11 місяців тому +1

    この地域では愛鷹山、吉原(葦原)、足柄、芦ノ湖の地名に興味があります。
    アシというのは火山と関係があるのでしょうか。
    天、雨、海はアマですが。

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +2

      ポリネシア語説がありますね。
      www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei09.htm#3%E3%80%80富士山周辺の「あし」地名

  • @daccm538
    @daccm538 11 місяців тому +3

    三嶋大神様=大山祗命なのだと思っていました。
    三嶋の神様がわからないことだらけだと初めて知りました。考えがこんがらがってしまう~…
    私が住むのは関東平野のだだっ広い所、利根川沿いでして、大昔から水害の多い土地柄でした。
    その土地の総鎮守として三嶋神社が鎮座されています。伊豆の三嶋大社からの勧進なのだそうです。
    山なんて一つもないだだっ広い土地柄に大山祗命を祀る三嶋様を勧進するなんてどういうことだろう(残念ながら社伝喪失)と不思議に思っていましたが、
    この度の動画で三嶋大社周辺の地理情報として水(泉)が関係していることを知り、水害の多い土地柄と何かしら繋がりがあるのではないかと感じました。
    先に山なんて一つもないと申しましたが、件の三嶋神社は赤城大明神も祀っているので、「山」を広く捉えて大山祗命を主祭神とする三嶋大社と
    関係があるのかも……とも思いますが。いろいろとわからないことだらけです…。
    とりとめのないコメント投稿となり失礼致しました。

  • @PiCApyan-Miu
    @PiCApyan-Miu 11 місяців тому +1

    せんせ~い🌞謎怪のpikaです🙇‍♀
    19:42 ハヤサスラヒメさま を スセリ姫風に言い間違えてございます💦
    ハラエド社がある場合 そちらをまず最初にまいるとミゾギの意味になります。
    番組構成的に瀬織津姫は後の方がドラマチックですよね😊
    ちょっと離れてる場所でなかなか詣るひとも少ないかと…
    よくご存じで!
    下調べが念入り or 神の導き で どちらにしても尊い🙏✨
    セミの鳴き声が激しいですね!まさに蝉時雨😁
    頭の中が空白になりどこかにつながる感が起こります😅
    📝三嶋の名は 御島みしま から説もあります
    🤔大山祇命は伊予国一之宮 大三島の三島
    🤔あわのめ様 子が物忌奈 → 阿波忌部氏❓
    📝またまた平田アツタネさんの続きなのですが
    あわのめ様を天津羽羽アマツハハと同神としてます
    っで調べますと 夫はアジスキタカヒコネだと
    で tolandサムさんの考察ですと
    事代主(役職) は アジスキタカヒコネ で
    カモノオオカミ でヤタ ガラスで裏 天 皇
    (そういうことですわぁ サムさん決め台詞)⁉🙉💦🙇‍♀
    いつも長文で失礼いたします🙇‍♀先生の存在はインスピレーションの源💖

    • @PiCApyan-Miu
      @PiCApyan-Miu 11 місяців тому +2

      ピカです。追加 20230829📝
      ①あわのめ様は阿波忌部🧐粟、麻そして祭祀 以下コピー
      阿波徳島を拠点に活躍した、阿波忌部が紀伊水道から熊野灘を経ながら、黒潮の流れに沿って東国に移動航路途中、神津島は重要な海上交通の要となっていたことが記されています。
      ②出雲口伝 以下コピー
      *出雲王国では、国王を「大名持」といい、副王がいて「少名彦」といった。
       紀元前7世紀頃の建国されたとされていて、初代大名持・菅八耳(すがのやつみみ)には、二人の王子がおり、東西王家として直轄地をわけた。国王(主王)は、大名持(古事記では大穴牟遅・日本書紀では大巳貴神)、副王は、少名彦(古事記では少名毘古那神・日本書紀では少彦名神)と役職名でよばれていた。少名彦は大名持の出身家でない王家の若殿が就任した。両王家は、ほぼ交替で主王、副王になっていた。
      *8代八千矛(やちほこ)西《大国主》[郷戸家] ……8代副王(少名彦):東 八重波津身《事代主》[富家]
      🤔スクナヒコもコトシロヌシも突然消えますね。同一人物だから
      🤔大国主とスクナヒコが一緒に全国まわるのも納得
      🤔タケミナカタはコトシロヌシの子となっているだから「トミ」(消されてる)がつく
      なんで、ひつこく調べてるかと言いますと、ゆかりある神さまだからです。
      もし、真実が消されてるとしたら、知ってあげることで、成仏というか…刻み込まれてる闇が晴れるのではと…
      ✨🙏🙏🙏🙏✨

    • @PiCApyan-Miu
      @PiCApyan-Miu 11 місяців тому +2

      ピカです🙇‍♀🙇‍♀20230830PM3 サムさんは事代主とアジスキタカヒコネは同一と考察してましたが
      なんかかみあわない部分があり、ひらめいたので調べてみました🧐
      口伝でハツミさんは第八代だとあり、でお名前に八重があるのは八代の意味では!と思いました。
      なのでHに大と事は56されたので、次の代の少がアジになりコトを名乗ったのでは!
      っと思いましたぁ~🙏🙏🙏🙏💦💦
      出雲王家主王(大名持)系図
       初代 菅之八耳(すがのやつみみ)《八箇耳》[富家]
      -2代八島士之身(やしまじぬみ)《八嶋篠》 [郷戸家]
      -3代兄八島士之身(えやしまじぬみ)《八嶋手》 [富家]
      ー4代布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)[郷戸家]
      ー5代深渕之水遣花(ふかぶちのみずやれはな)[富家]
      -6代臣津野(おみづぬ)《国引主》[郷戸家]
      ー7代天之冬衣(あめのふゆぎぬ)[富家]
      ー8代八千矛(やちほこ)《大国主》[郷戸家] ……8代副王(少名彦):八重波津身《事代主》[富家]
      ー9代富鳥鳴海(とりなるみ)《事代主長男》[富家]  
      で、書いてはないが少名彦は八千矛とタギツ姫の子のアジさま かと!
      でその口伝ではタケミナカタの妻はコシの国のヌマカワ姫 
      妻の実家のコシの国に移り住み諏訪湖移ったっと…
      ネット情報だけで本を読んではいませんが、自分的には結構しっくりきてます。
      真実を知ることでこの世の変な情報波動みたいのを浄化したい🙏🙏🙏🙏

  • @tose1671
    @tose1671 24 дні тому

    私の祖父は柿田川公園を作りました。当時、湧水の歴史と、公園内にある貴船神社の由来を調べたそうですが、資料が無いため解明出来なかったそうです。茂木先生のお力で解明して欲しいです。

  • @nonpolinonpori
    @nonpolinonpori 11 місяців тому

    一万年以上前の海岸線は現在よりも北だから 富士山 愛鷹山 箱根山(伊豆半島かも?) が島で分かれてたから 『三嶋』なんですか? もぎせかチャンネル最高!

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +4

      「三嶋」は大阪の淀川水系の地名ですね。そこからの開拓者が、伊豆三嶋大社を開いたのでしょう。

    • @nonpolinonpori
      @nonpolinonpori 11 місяців тому

      @@maomao96363 茂木先生 わざわざ 教えて下さって ありがとうございます感動です❗

  • @UnknownUnknown-nx7ov
    @UnknownUnknown-nx7ov 11 місяців тому +15

    大山ツミの起源が瀬戸内大三島であればイヅモの事代主とは別人ですよね。そもそもイヅモは阿波が起源。平田篤胤はイヅモが日本海側の出雲と勘違いしてる訳だし。
    ヤマト朝廷は房総阿波ないし神津島を拠点にして関東の開拓または統合を行ったわけですね。
    鹿島神宮と同様に鹿がいるというのも興味深い。
    藤原氏は遅れてやって来たユダヤなので引け目を感じて歴史を改竄した?

  • @おちむ
    @おちむ 11 місяців тому

    21:06😂

  • @user-ti4ku2dp2l
    @user-ti4ku2dp2l 11 місяців тому +2

    いつも勉強させていただいております。
    以前先生が気にされていた長脛彦をお祀りする神社についてお伝えできればとコメントさせていただきました。
    奈良の三碓の伝承では明治まで長脛彦、もしくはお館様として添御縣坐神社にお祀りされていたそうです。明治以降は武乳速命と名前をかえさせられてしまいましたが現在も変わらずお祀りされています。
    もし良ければ参拝下さい。既にご存じでしたら大変失礼いたしました。
    P.S.以前ご紹介頂いた淡路島をめぐる素晴らしいレポートのお陰で今年の墓参りは大変充実したものになりました。有り難うございます。
    (*>∇<)ノ

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +2

      情報ありがとうございます。やはり残っているんですね。

  • @user-fm4lh4yn5s
    @user-fm4lh4yn5s 11 місяців тому

    いつも楽しく拝見しています!
    日本の神々は謎が多いですね。
    必ずしも英雄を祀るというわけでなく、敗者を神としたりしていますよね。
    楠木正成も活躍したのは短い期間で最後は戦死してますが、軍神として崇められています。
    そう考えると、戦いの神として祀られていたとしても物凄く平和主義者で致し方なく戦った方で、周りの者はそれを理解し言い伝え、それと事代主とを重ね合わせたと言う見方はいかかでしょうか。
    あるいは遡れば同じ一族だったとか何かしらの共通性はあっと思います。神代文字を研究していた平田篤胤が関わっていたのはとても興味深いです。

  • @AyatoFumitsuki
    @AyatoFumitsuki 11 місяців тому +2

    初めまして。先生のおっしゃる通り、大山祇と事代主を同一視するのは違和感ありますね。
    大山祇を大国主の御子とするならば、タケミナカタと見るほうが違和感ないです。
    タケミナカタはタケミカヅチに諏訪湖まで投げ飛ばされました。
    これは比喩で、天津神に負けた国津神が東方の開拓を任されたとみることもできます。
    後の豊臣秀吉が徳川家康に行った関東移封もこれを習ったもので、強敵は遠ざけるというのは神話の時代からの伝統なのかもしれません。
    阿波から神津島、そして鹿島へ渡った人たちをタケミカヅチ系統と見るならば、国譲りのときに東方へ飛ばされたタケミナカタ系統の人たちと再会して仲間になった──なんてドラゴンボールの世界のような関係だったら面白いですね☺

  • @user-px2qt3in6v
    @user-px2qt3in6v 11 місяців тому +1

    磐座信仰、巨石信仰があるなら火山島において溶岩信仰があっても不思議ではないのかなと。

  • @daisukeinaba5188
    @daisukeinaba5188 11 місяців тому

    伊予の大三島神社の流れとしますと現大山祇神社、やはり大山祇なのでしょうか。

  • @user-jn1wl9ib3j
    @user-jn1wl9ib3j 11 місяців тому +2

    静岡県に入らしたのですね。 私はもうすぐ75才になる おばあちゃんです。
    日本の歴史について いろいろの人が ご研究くださいますが 元にするものが 古事記 日本書記なので どうしても 矛盾が生ずると思います。
    先生がお気付きのように 日本は初めから 二重構造なのです。いろいろな方の ユーチューブを見せて頂きましたが 茂木先生なら お話ししても良いかなと思いました。 お会いできる方法は有りますか?

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +1

      何のお話でしょう?

  • @user-do3xz8yw7h
    @user-do3xz8yw7h 11 місяців тому

    大山祇神社へは、義経や頼朝が武具を寄贈しております。加えて大山祇神社南方の山は山岳信仰され修験道となる事から、事代主との共通は無理があります。
    蝉時雨で熱そうです。。。昨日、島根の日御碕神社を参拝しましたが熱くて倒れそうでした。先生、御身体自愛下さい。

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +2

      日御碕神社、これから参ります!

    • @user-do3xz8yw7h
      @user-do3xz8yw7h 11 місяців тому

      @@maomao96363
      山陰は伝説の宝庫です。出雲大社をはじめ、猿田彦を祀る佐太神社や美保関神社、奥出雲町の熊野神社が有名です。少し足をのばせば石見国一ノ宮 物部神社 が御座います。是非、神社裏手の山へお登り下さい、ウマシマジの最終地点は感慨深くそして心落ち着きます。

    • @user-do3xz8yw7h
      @user-do3xz8yw7h 11 місяців тому

      ​@@maomao96363
      日御碕神社の沖に 海底遺跡 があるようです。

  • @pianox777
    @pianox777 29 днів тому

    大山祇は貴船高龗神の妻?
    徳島の谷勤さんの話しです

  • @kosahi-m0135
    @kosahi-m0135 11 місяців тому +2

    奥さんのことを山の神とか言うのは、阿波のめ様のお怒りからかしら?平等に接することは難しいけど、順番は守らなあかんわな。阿波のめ様、気性がはっきりしていて表裏ないのは、怖いけど、付きあいやすいタイプ?いやいや火山のように、怒りをお腹に溜め込むタイプか?

  • @user-jn1wl9ib3j
    @user-jn1wl9ib3j 11 місяців тому +1

    突然の話で怪訝に思われたと思いますが コメント欄に書ける話ではないので控えめに話します。霊感で調べた話なので茂木先生が疑問に思っていることを 私の話から チェックして頂きたいのです。茂木先生がユダ族の血を引くのでお話ししたいと思いました。私は静岡県浜松市に住まいする 長谷川久子と申します。

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +1

      それではメールで送ってください。
      makotomogi@icloud.com
      よろしくお願いいたします。

  • @user-jm2qh9bi2s
    @user-jm2qh9bi2s 11 місяців тому +2

    日本書紀どおりに読み取るのであれば、オオヤマツミ=事代主ではありません。大山祇神は三島溝橛耳の親で、この三島溝橛耳の娘を后としたのが事代主です。また事代主は大国主の子です。この系譜から歴史をくみとるべく、なんどか練り直した仮説によれば以下のようになります。
    結論を先にいいますと、国譲りで東国へにげたとおもわれる伊勢津彦は、別名が出雲建子であって出雲国造家なのですが、この正体が鴨氏であり、また阿波忌部なのです。
    もともと事代主は、出雲と阿波の地域が結びついてまつっていた神で、その事代主が大和の葛城に降臨し、葛城の鴨氏がこれをまつった。鴨氏は忌部氏とともに出雲で大国主をまつることになり、これが出雲国造家となった。という推理からみちびかれるのが、先の結論です。弥生後期には葛城、阿波、出雲を結ぶルートを支配した出雲系の氏族がいたと推理します。
    だから伊勢津彦が東国に逃げたことによって、阿波(天太玉?)、鴨(三嶋・オオヤマツミ)といった氏族が伊豆にながれこむのは必然だったのでしょう。

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +2

      伊勢津彦。また新しいキャラが出てきましたね。

  • @MMiya
    @MMiya 11 місяців тому +1

    う…ん…人格が…どっちが根本的に持っていた性格なんだろうか…と悩む。伊豆七島の島巡りもはじまりますか?
    神津島お勉強ツアーなんてどうでしょう🎵

  • @PiCA-pyan
    @PiCA-pyan 11 місяців тому +1

    🙋せんせ~い🙋
    25:07 平田アツタネさんの続きなのですが ホツマツタヱのオシテ文字を後代の創作だと評価してるそうデス🧐🙊💦信じ…🙇💦🙊

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому +2

      篤胤さんは、ホツマの写本は見ていない、というのがとらさんの見解でした。

    • @PiCA-pyan
      @PiCA-pyan 11 місяців тому +3

      @@maomao96363 先生 お返事ありがとうございます🙏✨写本をみてないのに評価するとは🙊💦

  • @wing-5513
    @wing-5513 11 місяців тому +1

    聖書が日本神話のあとって本当ですか?

  • @White_dragon369
    @White_dragon369 11 місяців тому

    事代主さんは、大物主の副官という単なる職名なので、各時代におられます。
    それを全部、同一人物とされたら問題が起こりますね。
    三嶋大社のツミハヤエさんは事代主であり、その娘さんは五十鈴媛さまという、人代初代のカンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)の皇后さまですね。
    まづは、各時代の古伝承を平等に扱おう‥という「神社神道」の立場を、一度捨ててみることをお勧めします。
    平等に扱う、その基盤には記紀が厳然とある(のだ)‥という暗黙の前提が隠れていますが、それをまづ捨てられるかいなか。この種の思考と言うか、パラダイムのジャンプ無しに古代を語れない‥でしょう。
    なぜなら、
    日本人自ら、記紀より前の日本を捨てた‥という歴史が既にあると。それを知っていると。
    そのあたりを気づいたら、全容が見えてくるのではないでしょうか。
    ご質問がありましたら、なんなりとお訊ききください。 白龍

  • @user-nf7zs1dx9t
    @user-nf7zs1dx9t 11 місяців тому +15

    アワノメ様の怒り爆発。だから女を怒らせると大変な事になる。解ってないよね~男子。オオヤマツミ様=コトシロヌシ様は確かに無理はあります。アマノサカテを打つくらいなら剣を抜きそうですもの。本当に私達のご先祖様方は神々とは言え人間くさくて大好き。

  • @chockle2
    @chockle2 10 місяців тому

    ホツマツタヱにミシマはアマテルの孫のニニキネが拓いたとありますね。ニニキネはコノハナサクヤヒメの旦那さんです。古代史でわからないことは、だいたいホツマツタヱに書いてあるような気がします。

  • @user-px2qt3in6v
    @user-px2qt3in6v 11 місяців тому

    出典は、Wikipediaの伊豆大島でした。大島の三原山が噴火したことから(略)大島に移した、というのは意味不明で、出典も明示されていません。そもそも、近世初頭に作成された家系図ですから信憑性に疑問がありますね。

  • @user-zc6jd8dp1r
    @user-zc6jd8dp1r 11 місяців тому

    この神様とこの神様は名前が違うけど同じ神様というのは少しはあるでしょうけど、あまり頻発すると1神教的発想のように思えてなんかイヤ、ハイハイみんなヤハウエですよねわかりましたって思ってしまう、知らんけど

    • @maomao96363
      @maomao96363  11 місяців тому

      復古神道は、確かに一神教的ですね。

    • @user-zc6jd8dp1r
      @user-zc6jd8dp1r 11 місяців тому

      @@maomao96363 御指導ありがとうございます!続編に期待します!結果どこに辿り着けるのかは解りませんが