【歴史解説】鎧兜の歴史!日本独自の進化を遂げた?!【MONONOFU物語】

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 28 бер 2023
  • 今回の動画は【歴史解説】鎧兜の歴史!日本独自の進化を遂げた?!【MONONOFU物語】をお送りいたします。
    ~目次~ お好きな場面からご覧下さい。
    0:02 日本独自の進化を遂げた?!鎧兜の歴史!
    0:52 鎧兜の歴史! 其之一
    4:34 鎧兜の歴史! 其之二
    8:22 鎧兜の歴史! 其之三
    11:16 鎧兜の歴史! 其之四
    15:21 鎧兜の歴史! 其之五
    ★MONONOFU物語 おすすめ動画↓↓↓
    【歴史解説】家康は二人いた?影武者家康の真相を暴く!!【MONONOFU物語】
    【歴史解説】史上最強の怨霊伝説!?この恨み・・・忘れるものか!!【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】史上最強の怨霊伝説!?この恨み・...
    【歴史解説】武士たちの学び舎、藩校とは!?どんな学校?【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】武士たちの学び舎、藩校とは!?ど...
    【歴史解説】江戸時代のモテ職業!?粋な江戸っ子?俺の事かい?【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】江戸時代のモテ職業!?粋な江戸っ...
    【歴史解説】世間を震わせた?狂気の殿様!【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】世間を震わせた?狂気の殿様たち!...
    【歴史解説】最強の戦国大名はいったい誰だ?戦国大名格付けチェック!【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】最強の戦国大名はいったい誰だ?戦...
    【歴史解説】松平と徳川を差別化?松平から徳川へ!敵となった二つの松平家とは?【MONONOFU物語】【どうする家康】
    • 【歴史解説】松平と徳川を差別化?松平から徳川...
    【歴史解説】改易されたらどうなる?取り潰しされた大名の末路!!【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】改易されたらどうなる?取り潰しさ...
    【歴史解説】売春の日本史!?これもまた歴史の真実!【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】売春の日本史!?これもまた歴史の...
    【歴史解説】家康を苦しめた!?三河一向一揆!得たものとは?そして失ったものとは!?【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】家康を苦しめた!?三河一向一揆!...
    【歴史解説】家康!?出世の道!家康が歩んだ波瀾万丈の出世街道!【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】家康!?出世の道!家康が歩んだ波...
    【歴史解説】徳川十六神将とは?大河ドラマを見るなら、きっと役に立つ!【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】徳川十六神将とは?大河ドラマを見...
    【歴史解説】家康と22人の妻たち!?こんなに沢山?【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】家康と22人の妻たち!?こんなに...
    【歴史解説】戦国武士のお給料事情!?【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】戦国武士のお給料事情!?【MON...
    【歴史解説】家康の守り神!?徳川四天王の生い立ちと成り立ち!【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】家康の守り神!?徳川四天王の生い...
    【歴史解説】これも戦国のならい?恐ろしくも不思議な「首供養」とは?!【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】これも戦国のならい?恐ろしくも不...
    【歴史解説】花魁の真相?!煌びやか世界の裏事情【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】花魁の真相?!煌びやか世界の裏事...
    【歴史解説】江戸時代の処刑あれこれ!実際はこうだった!?【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】江戸時代の処刑あれこれ!実際はこ...
    【歴史解説】島流しの真実!この世の生き地獄!?【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】島流しの真実!この世の生き地獄!...
    【歴史解説】戦国・穢多、非人!人ならぬ者の物語!【MONONOFU物語】
    • 【歴史解説】戦国・穢多、非人!人ならぬ者の物...
    ※お仕事などのご用命はこちらまでお願い致します。
    mononofu.monogatari@gmail.com
    BGM
    曲(title):akatsuki-japan
    #歴史#鎧兜の歴史#歴史解説#日本史#戦国時代

КОМЕНТАРІ • 55

  • @daisuke5755
    @daisuke5755 Рік тому +9

    幕末の幕府側の鎧兜は単にステレオタイプであり、幕府側も西洋式を取り入れていて、官軍と幕府側を区別しやすいように絵が描かれているだけです。

  • @umiushi11
    @umiushi11 Рік тому +11

    おじいちゃんの所に古い鎧が有ったけど兜はなかったので理由を聞いたら「ご先祖様がご維新の時に負けて逃げる時に無くした」って言われた。マァ冗談だろうけどね。

  • @eeebee5116
    @eeebee5116 Рік тому +6

    大陸的な鎧からこれ程多種多用にローカライズするという事は、それだけ古代から戦が続いてたって事でしょうね。

  • @sayaandmasa
    @sayaandmasa Рік тому +8

    時代まつりのバイトで着たことあるけど、持つと重いのに着ると重さを感じなかった。

  • @drankark.k6563
    @drankark.k6563 Рік тому +5

    時代の変遷とともに姿、形を変化させていった鎧。参考になりました。
    昔の武士にあやかろうと端午の節句には、床に兜を置いてます。結構するんだよなあ。でも、ひな壇よりは値がしなかったと記憶している。

  • @user-rl2mc2zc7j
    @user-rl2mc2zc7j Рік тому +7

    岡山県の国道二号線沿いに在るドライブインに併設されてる展示館が在るんだけど(もう長い事行って無いから現在も在るのか不明ですが)、そこには女性用の鎧が展示されてました。
    日本では甲冑を着るのは、伝統的なイベント位になってしまったけど、一般家庭でも残ってる物が有るんですよ!
    それが端午の節句で飾られる物で、私も兜だけの物ですが家に有ります。
    そうやって日本の技術が残されてるんですよね!

  • @sideforest36
    @sideforest36 Рік тому +5

    素晴らしい✨

  • @user-nv8uw2rb9h
    @user-nv8uw2rb9h Рік тому +9

    大鎧で八艘飛びやったら
    人間じゃねーやろ

  • @HasegawaNobutame
    @HasegawaNobutame Рік тому +9

    魚釣り用のライフジャケットにも、肩にかかる重さを軽減するために腰で重さを支えるタイプが近頃ふえています。
    鎧を参考にしたのかな?

  • @user-in7ob5zu7x
    @user-in7ob5zu7x Рік тому +5

    甲冑はロマン

  • @ryuseijp2446
    @ryuseijp2446 10 місяців тому +5

    歴史は繰り返すのか現代戦のボディアーマーなんかも最新の物になると収斂進化なのか何処となく昔の武者鎧っぽくなってきてて謎の感慨を感じてます
    やっぱ飛んでくる物に対して効果的な防御をしようとすると似てくるんだなぁって

    • @日本語に出来るらしい
      @日本語に出来るらしい 10 місяців тому +2

      長時間付けながら行動するし機動性と防御を考えると結局そうなってくんだろうね

    • @miyotukushitv2475
      @miyotukushitv2475 8 місяців тому +1

      飛び道具が主流で機動性確保となるとやっぱり日本の鎧型がベストなのかもしれません。

    • @user-jt9xo3ht8v
      @user-jt9xo3ht8v Місяць тому

      頭形兜なんて、まんま形が戦闘ヘルメットだしな

  • @user-hx9nt9zt1i
    @user-hx9nt9zt1i Рік тому +4

    短甲ってヨーロッパのプレートアーマーみたいな感じだけど、挂甲みたいなラメラ―アーマーのような方が日本では主流になっていくのが不思議。やっぱり地形や環境の違いとかで動きやすさを重視したのかね。

    • @日本語に出来るらしい
      @日本語に出来るらしい 10 місяців тому +2

      可動域と量産性じゃね?
      挂甲は同じ鉄板をある程度量産すれば良いから

  • @user-yb9xp1bt9p
    @user-yb9xp1bt9p Рік тому +6

    幕末に勃発した当初の戦争─長州征伐以降─では多くの武士が先祖伝来の甲冑を身に付け出陣した。然し「会津戦争」の頃には殆ど廃れてしまったのは、海外から輸入された洋銃(ライフル銃)が火縄銃と比べものにならないほど、長い射程距離と命中精度そして高威力だったことが影響している。何しろ被弾したら分厚い鎧を貫通するだけでなく「鎧を貫通した」ことで「速度が落ちた」銃弾が体内に止まって暴れ、より深刻なダメージとなって─手当てもままならず─戦死する者が続出したからだそうです。

  • @user-rr4nd9eg3u
    @user-rr4nd9eg3u 9 місяців тому +2

    鎧兜は矢や槍を防ぐもので実戦では鎧兜の上から打撲を負わせる。動きの鈍くなったあいてを組伏せて喉を小刀で突き刺すのではないでしょうか?西洋の甲冑は身体に会わなくて動きも鈍かったそうです。

  • @user-lj3xo8pn3d
    @user-lj3xo8pn3d Рік тому +2

    欧州から影響を受けた満智羅(語源はオランダ語)など襟を立てたような格好の良い物もありますね

  • @windysquall5405
    @windysquall5405 Рік тому +16

    実際付けて演武してるのみると伝統工芸品というよりは戦闘用装備そのものよ。パワードスーツに近いものを感じる。

    • @user-xt7cu4sx9r
      @user-xt7cu4sx9r Рік тому +3

      いや元から戦闘用装備です。鎧は防具じゃなく武器。

    • @umiushi11
      @umiushi11 Рік тому +1

      つけて闘う為には人一倍 パワーがいるなぁ たしかに…

  • @dice-koz206
    @dice-koz206 5 місяців тому +2

    大鎧も基本は挂甲がベースでは?挂甲に仏具の製造技術と合わさり日本独自の鎧に進化したのです。
    挂甲は中国、さらに正確には北方騎馬民族由来であり、大鎧を着用していた鎌倉時代まで武士の基本的な戦い方が弓騎兵なのもその名残です。

  • @toshichika720
    @toshichika720 Рік тому +4

    胴丸かっこいい👍義経

  • @user-mo5ir5lu9d
    @user-mo5ir5lu9d Рік тому +5

    重いし、夏場は相当暑かったでしょうね…

    • @user-wr7bu1nx8x
      @user-wr7bu1nx8x 10 днів тому +1

      今ほど夏は暑くなかった。戦は農閑期にかけてなので暑さはあまり関係ない。主戦場は足軽、徒士兵なので陣笠、胴丸、脛当ての軽装備。

  • @Keihinhsv
    @Keihinhsv Рік тому +3

    時代劇見ると簡単に矢が突き刺さる

  • @rockkazu7537
    @rockkazu7537 Рік тому +2

    鉄砲で撃って防御力テストをさせていたとされているのが伊達政宗で仙台市博物館に所蔵されてる鎧に銃弾の跡が残ってますよ

  • @user-mx5xz9rz3u
    @user-mx5xz9rz3u Рік тому +2

    欲しいですけど邪魔ですよね。飾るにしても収納でも中型冷蔵庫くらいの床面積を取りますよね。

  • @user-rh7ue2vk6l
    @user-rh7ue2vk6l Рік тому +9

    間違った内容が目立ちます。
    大鎧の栴檀の板等は、腕を振る動作等で脇のガラ空きを防ぐ目的で付けられたものです。
    大鎧から胴丸への変化は、攻城戦への対応、長引く紛争による新規鎧難しさ、調達や補修の材料調達の難しさが背景に有ります。
    当世具足の防御力は東西地域の差が有り、西国地域では鉄砲火力の影響で防御力よりも回避機動力重視の鎧、東国では騎馬利用による防御力重視の胴構造の鎧と、利用出来る物資の差や戦術により当世具足の内容に差が出ています。

    • @user-ee9vg8pd9n
      @user-ee9vg8pd9n Рік тому +2

      博識ですね!!偉いと思います!

  • @user-ef3dw3kq3q
    @user-ef3dw3kq3q 2 місяці тому +1

    短甲は革だと昔学んだような?

  • @user-xt7cu4sx9r
    @user-xt7cu4sx9r Рік тому +3

    馬鹿をいうな。
    鎧具足の知恵は現在は土木、建築、工業用やモータースポーツの分野で保護具に脈々と受け継がれている。

  • @user-zs7xw4de5f
    @user-zs7xw4de5f Рік тому +1

    義経は胴丸ではなく胴丸鎧でしょう。大山祇神社に一領、義経のものとされる胴丸鎧が奉納されています。

  • @daisuke5755
    @daisuke5755 Рік тому +2

    弓矢に関することを省いているのは兜の説明をする気がないのでしょうか?馬上で戦っていたのは馬上で弓矢を使っていたからですよ?

  • @Mitsu0602
    @Mitsu0602 9 місяців тому +1

    小3の時着たことあるけどそんなに重くなかった。鉄砲は重すぎた。

  • @user-mr8eq9zc3e
    @user-mr8eq9zc3e Рік тому +5

    でも中国三國時代だと青銅製の武具で
    それと同時期である
    弥生時代では鉄製の鍬使ってましたよ?

  • @HK-oo5wt
    @HK-oo5wt Рік тому +6

    大鎧から当世具足まで、当時のものに触れるなら鳥取の渡辺美術館がおすすめですよ👍
    あれ程の数の当世具足に触れられるのはあそこくらいだと思います。

  • @user-ij4ym2fb8v
    @user-ij4ym2fb8v Рік тому +2

    またまた古い間違った仮説での説明・・・勘弁して!

  • @philosophydoubtfuljournalcom
    @philosophydoubtfuljournalcom Рік тому +1

    金属加工技術は、実はかなり古代から持っていた節などもありますけどね

  • @daisuke5755
    @daisuke5755 Рік тому +3

    中華王朝が中華人民共和国なのは変ですよw

  • @user-uq2sk9ek6i
    @user-uq2sk9ek6i 2 місяці тому

    伝統工芸品となった現代の当世具足は鉄板の厚さが薄くなった。

  • @pfficater
    @pfficater Рік тому +6

    重量だけでいちいち戦えませんって断じるのなんなの?
    現代人だって職種によっては3~40kgを持ち3時間断続的に小走りで移動することが可能です。
    着用して行軍するなら馬が必要なら分かりますけど、戦えないと断じるべきではないと思います。

    • @user-ue5xb8sy7b
      @user-ue5xb8sy7b Рік тому +3

      全身に重さが散ってるから意外と動ける

    • @user-su8vp7mr3u
      @user-su8vp7mr3u Рік тому +2

      まあこの主もそうだけどyoutuberなんて適当な事言って金貰う楽な仕事だから・・・

    • @user-nx9cb5ql7z
      @user-nx9cb5ql7z Рік тому +3

      ま、着たことない人だったら何とでも言えるわな。

  • @kid7544
    @kid7544 Рік тому +2

    鉄砲の弾はもちろん矢ですら簡単に貫通しちゃってたんでしょ?まあ侍の記号的なもので見かけだけでつけてないよりまだマシって程度なんですかね?

  • @user-sk1ft9in6z
    @user-sk1ft9in6z Рік тому +3

    やっぱり大鎧よりも当世具足の方が
    大好きです😍😍😍

  • @user-dl6ex8fw7v
    @user-dl6ex8fw7v 10 місяців тому +4

    大鎧にしても胴丸にしても、手持ちの盾を不要とした構造に何故解説がないのか。片手落ちの解説ならない方が良いのでは?

  • @user-su8vp7mr3u
    @user-su8vp7mr3u Рік тому +3

    え?弥生時代の武具が石と木材?木材はまだしも石?"稲作"が"広まっている"時代に石の武器?本気で言ってる?歴史習った?

  • @chevalier0316
    @chevalier0316 Рік тому +3

    仏胴の画像仏胴じゃなくて草。雪の下胴やろあれ

  • @jacky5996
    @jacky5996 Рік тому +4

    鎧兜の歴史的変遷は嘘ではないが、その理由は嘘や妄想でしかないものばかり。投稿する前に、もう少し、まじめに勉強しなさい