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札幌の地上駅時代の記録ですね。当時は長距離普通から急行、特急と多彩な列車が集合してたので今より賑わいを感じます。行先や列車等級ごとにに客車列車、気動車、電車と使い分けがされ動かす国鉄マンも相当な人員と熟練を要したことでしょう。それだけの人員と物量を投入した時代の音声記録はやはり歴史の重みを感じます。
昔の札幌駅賑わっていましたね。都市部だけではなく地方にも元気があって、それを結ぶ鉄道も元気だったのですね。ただの鉄道趣味で録った音声ではありますが、歴史の重みまで感じて頂けるとは光栄です。
急行ちとせの運行頻度が半端なかった時代ですね。まさに都市間ビジネス急行。全車自由席なのも気軽さを感じます。配信、ありがとうございました。
急行ちとせ、「ビジネス急行」と呼ばれるだけあって便利でしたね。札幌~苫小牧間を乗る機会が多かったですが、いつも混んでいた印象です。
この時代は、急行がたくさんあり、周遊券ではかなり重宝したと思います。多分まだ青春18切符が出る前だと思いますので、北海道の移動は周遊券だったと思います。札幌駅1番線といえば、改札口直結で結構優等列車の発着が多かったような気がするのですが、当時は階段しかなかったと思うので、おおぞらやおおとりが入っているようです。なんか列車の格のようなものを感じます。ひと区間でも、キハ56の息遣いも感じましたし車内放送のみならずエンジン音やわだちのリズムも大変貴重だと思います。ありがとうございました。
改札口を入るとそこは1番線・・・。昔の札幌駅の1番線はなんとなく格がありましたね。今でも釧路や網走から特急に乗る時は、優等列車感が嬉しくなります。
2:25 子供のころ、はじめて買った時刻表で、北吉原駅だけ通過する普通があるなか、急行(=ちとせ5号)が停まるのは間違いじゃないかと思って、時刻表に定規をあて確認しましたが合っていて、とても不思議に思いました。
6:53札幌駅中央改札口を出ると迎えてくれる、巻き取り式の、のりば案内表、懐かしい😂(0番ホームに定山渓行き😂😂遥か昔)
定山渓行・・・乗ってみたかったです。
いつもありがとうございます。札幌発の網走経由釧路行き急行大雪...乗って見たかったなぁ🤔
全区間を通して乗ったことはありませんが、4人向かい合わせのボックス席で、煙草の煙が漂う中、長時間の乗車はきつかったろうなと思います。
急行列車!今無いですね~急行アルプスとか懐かしい。ハイケンスのオルゴールも!
「急行列車」・・・そんな響きも懐かしく感じる時代になってしまいましたね。
中学生の夏、暑いホームからグリーン車を通り抜けた瞬間・・その涼しさ・・(ヒデキ)感激しましたとてもグリーン車に乗れる身分ではないので自由席で登別から札幌までグッタリした想い出の急行です
確かに昔は急行でも普通車には冷房がありませんでしたね。真夏の混雑期には訪れたことがありませんが、いくら北海道でも暑さで苦労されたことと思います。都市部の超満員の通勤電車でさえ、冷房がほとんどなかった時代でした。
そういえば、苫小牧の隣駅、青葉でなく糸井だったことを思い出してしまいました。その頃はやっぱりいい時代でした。が、特急いしかりのヘッドマークの幕が絵入りになったり、廃止が近かったためか急行いぶりに増結車があったりとしていた時期は国鉄終焉のカウントダウンが始まったような感じがしました...
国鉄末期、帯広の隣にできた 「柏林台」、北見の二つ隣にできた「愛し野」、そしてJR化後に苫小牧の隣に「青葉」自分の中ではなんとなく兄弟駅のような気がしております。
いつも懐かしく聞かせていただいております。札幌駅が地平ホームの頃、改札口はいると乗り場案内がありました。地下通路を通り目的の列車に乗り込むという一連の流れを体験しました。急行ニセコはまだ旧客だったのですね。時刻表にあるℒ特急「いしかり」、急行「かむい」、循環急行「いぶり」、網走経由釧路行き急行「大雪」などなど、懐かしい記憶がよみがえりました。
高架になる前の札幌駅、今はない列車の数々、もう遠い昔のことになってしまいました。記憶がよみがえり、懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
「函館本線」の意味がはっきりわかる普通「旭川~函館」がいいよねぇ。
海線に主役の座を譲ったとはいえ、函館本線もまだまだ元気でした。
毎々貴重な音源の配信ありがとうございます。当時、私は中学生で札幌に住んでいましたが特急と急行の役割が明確だったと思います。それを思うと現在の特急すずらんの全席指定席化は残念です。そもそも特急すずらんは事実上の急行ちとせの役割を使命とするので基本自由席にするべきだと思います。
札幌に住まわれていた方にご視聴頂けて嬉しいです。それにしても「すずらん」の全車指定は不評ですね。
急行宗谷様こんにちは。今回は発着風景録音も含めると、豪華に4本もの列車を収録ですね。室蘭始発札幌行き急行ちとせ3号は、自由席のグリーン車を含めた4両編成。現在同区間の特急列車が前車指定席化されて、集客面で苦戦していることを思うと、激変の感を覚えます。1:18 途中の苫小牧駅停車中にホーム立売の駅弁販売人さんの美声が聴こえますね。同駅名物駅弁といえば、国鉄時代よりシシャモチップ寿司です。チップは確か北海道名物のアキアジことシャケのアイヌ言葉らしいですね。それを王子製紙の子会社王子サーモン社の技術力でスモークサーモン加工されたもので、シシャモと共に酢飯押し寿司によく合いました。また食べたくなりました。旭川始発函館行き普通122列車は、函館本線全線を走り通す普通列車とは恐れ入りました。青春18のびのびきっぷ発売開始が1982年と記憶しますから、まだ普通乗車券か北海道ワイド周遊券利用客だけだったと思われますので、小樽を過ぎたら恐らく空気輸送でしょうね。特急いしかり3号は1980年6月改正から本格運行された781系の新製ピカピカな状態ですね。冬将軍到来前に781系に交代出来て国鉄北海道総局はホッとしていた事でしょう。札幌始発旭川、遠軽、網走経由の釧路行き急行大雪3号は乗りでがあった列車。函館始発のニセコ1号を受けて走る列車だけに、東北本線八甲田号、青函連絡船深夜便、ニセコ1号と乗り継いできた若者が目的地へ向かって希望に燃えた列車だった事でしょう。胆振線廻りの循環急行いぶり号と室蘭行きちとせ3号の併結急行とは珍しいです。決して長距離列車とは言えない列車でしたが、運転区間、併結列車、全車自由席車両というだけでも現在では考えられない貴重な録音でした。急行宗谷様による貴重な音源の選択、動画制作とアップロード作業お疲れさまでした。次回はどのような列車がどのような駅が登場するのか?気長に待っています。
札幌駅ホームの放送が中心になってしまい、旅情は少ないかな・・・と一抹の不安を抱えながらの公開でしたが、今回もじっくりご観賞頂き丁寧なコメントを有難うございます。苫小牧駅ホームの駅弁屋さんの声、発車ベルの音にかき消されてしまうかと思いましたが、しっかり聴き分けて頂けて嬉しい限りです。それにしても色々なことをご存知なのですね。
小学生一年の頃でしたが、深川発6時16分発の普通に乗りました。牽引機はc 62だったと思います。神居トンネル開通の前でしたし。当時の時刻表運用でも記載されてました。あ、でもどの文献か忘れました。すみません。
旧線には貸自転車を借りて訪れたことがありますが乗ってみたかったです。
この路線を今の時代も、うまく活用出来ないかなぁ~。
列車に乗る人さえ多ければ、もっといろいろなことができるのに・・・と思ったりいたします。
東室蘭 鱧弁当 苫小牧 シシャモチップ寿司 中一のころ東室蘭-札幌間を毎週利用してました。
日常的に乗車されていた方にご視聴頂けて嬉しいです。地元の方には日常でも、旅行者とっては新鮮でした。
今回もまってました、貴重な781のいしかりの画像 サツエキの様子ありがとうございます。残念なのは 岩見沢到着放送の乗換案内ない(涙)幌内線、万字線してました
そうですよね。「室蘭線、幌内線、万字線お乗り換えです・・・」の案内は定番のはずなのですが・・・
急行ちとせには自由席グリーン車がありましたね。自由席グリーン車今もないかな?
当時のグリーン車は高価で雲の上の存在でした。現代のuシートに乗った時は昔のグリーン車に乗ったような気分でした。
もちろんないっすね。っつーか、グリーン車自由席っつー概念自体がなくなった😵
@@psychedelicraspberry517首都圏はあるぞよ
あくまでも、「急行」の話😉
行き届いた肉声による放送、エル特急。多彩な急行。オールドファンには唸らずにはいられない古きよき時代ですね。
そっか・・・自分もオールドファンという境地に入っていたのか・・・と改めて気づきました。「エル特急」も「急行」もすっかり過去のものになってしまいましたね。
発車ベル懐かしいですね。
今は電子音のベルさえ少なくなりましたね。時代ですねぇ。
こんにちは。この時代、道内の市町村のほとんどに札幌から乗り換えなしでいけましたね😀
道路網が整備されてきたとはいえ、都市間バスも今ほど多くなく、まだまだ鉄道も頑張っていた時代ですね。
この時代から鉄冷えと呼ばれていた室蘭ですが、今の倍くらいの人口だったから、急行ちとせもそこそこ需要があったと思う。今の特急すずらんと比べると、停車駅少ないな。
急行ちとせはいつ乗っても混んでいた印象です。現在の特急すずらんがガラガラというのが信じられないくらいです。
急行ちとせのグリーン車、指定席じゃなかったんですねぇ。グリーン自由席も今はほぼ見ないですね。首都圏の普通列車のグリーン車くらいですか。
急行列車のグリーン自由席はこの当時でも数少なかったですね。首都圏の普通列車のグリーン車はさすがに指定席にはならないと思いますが、特急は普通車も指定席になっていく傾向ですね。
781系の【いしかり】も短命でしたね。
「特急いしかり」自体が短命でしたね。この翌月の改正で室蘭まで電化開業し大幅に変わってしまいました。
6:53函館行きが同じ時刻に2本出ていますが小樽経由と苫小牧経由ということでしょうか?
1番線から出るのが小樽回りの「ニセコ」、3番線から出るのが東室蘭回りの「北斗」です。
@@急行-宗谷 やっぱりそうでしたか。ありがとうございます。
「あさひがわ」いいですね。都市名を言うときは、もちろん子供の時から「あさひかわ」と言いますが、駅名については、今でも「あさひがわ」の方が馴染みがあります。こんなこと言うと、市民の方に叱られそうですが・・・ この頃、千歳線に乗車していた時、だだっ広い畑の線路脇に、ポツンと「恵み野駅建設予定地」って手書きの看板があって「冗談か」と思っていたら、今では・・・時代を感じる。
急行多いなぁ、と思う反面、普通列車少ないなぁ、とも感じます。近郊通勤電車は省略、なんでしょうか?当時は市電が健在だった?
普通列車、省略されているわけではなく確かに本数が少なかったです。市電も1系統でしたし、地下鉄東西線もまだ琴似駅 - 白石ぐらいでした。周遊券で急行に乗れたからいいようなものの、地元の方は不便だったろうなと思います。
この頃の新札幌駅は、今の白石駅あたりの扱いだったのかな?
この当時、新札幌駅が主要駅という雰囲気ではないと思っていましたが、今では特急が停車。旅行者には何もわからないものですね。
その当時の新札幌駅前はまだ地下東西線開通前、急行と普通だけ新札幌停車、別話だがこの年に北星男子が琴似から新札幌移転
大雪は札幌発網走経由で釧路行きですか。乗り通す人はいたのですかね
乗り通すのは鉄道好きな人だと思います。「いぶり」に乗り通すのと同様で・・・
私はまさに、この音声の一月ほど前、1980年の小4の夏休みに家族と「いぶり」に乗り、苫小牧先回りで札幌〜札幌間を一周しました。
主要駅◎の千歳、恵庭にみどりの窓口が無い。昔日の感😂
増え続けたみどりの窓口も、今や次第に削減の方向のようですね。
札幌の地上駅時代の記録ですね。当時は長距離普通から急行、特急と多彩な列車が集合してたので今より賑わいを感じます。
行先や列車等級ごとにに客車列車、気動車、電車と使い分けがされ動かす国鉄マンも相当な人員と熟練を要したことでしょう。
それだけの人員と物量を投入した時代の音声記録はやはり歴史の重みを感じます。
昔の札幌駅賑わっていましたね。
都市部だけではなく地方にも元気があって、それを結ぶ鉄道も元気だったのですね。
ただの鉄道趣味で録った音声ではありますが、歴史の重みまで感じて頂けるとは光栄です。
急行ちとせの運行頻度が半端なかった時代ですね。まさに都市間ビジネス急行。全車自由席なのも気軽さを感じます。
配信、ありがとうございました。
急行ちとせ、「ビジネス急行」と呼ばれるだけあって便利でしたね。札幌~苫小牧間を乗る機会が多かったですが、いつも混んでいた印象です。
この時代は、急行がたくさんあり、周遊券ではかなり重宝したと思います。多分まだ青春18切符が出る前だと思いますので、北海道の移動は周遊券だったと思います。
札幌駅1番線といえば、改札口直結で結構優等列車の発着が多かったような気がするのですが、当時は階段しかなかったと思うので、おおぞらやおおとりが入っているようです。なんか列車の格のようなものを感じます。
ひと区間でも、キハ56の息遣いも感じましたし車内放送のみならずエンジン音やわだちのリズムも大変貴重だと思います。
ありがとうございました。
改札口を入るとそこは1番線・・・。昔の札幌駅の1番線はなんとなく格がありましたね。
今でも釧路や網走から特急に乗る時は、優等列車感が嬉しくなります。
2:25 子供のころ、はじめて買った時刻表で、北吉原駅だけ通過する普通があるなか、急行(=ちとせ5号)が停まるのは間違いじゃないかと思って、時刻表に定規をあて確認しましたが合っていて、とても不思議に思いました。
6:53
札幌駅中央改札口を出ると迎えてくれる、巻き取り式の、のりば案内表、懐かしい😂
(0番ホームに定山渓行き😂😂遥か昔)
定山渓行・・・乗ってみたかったです。
いつもありがとうございます。
札幌発の網走経由釧路行き急行大雪...乗って見たかったなぁ🤔
全区間を通して乗ったことはありませんが、4人向かい合わせのボックス席で、煙草の煙が漂う中、長時間の乗車はきつかったろうなと思います。
急行列車!今無いですね~
急行アルプスとか懐かしい。
ハイケンスのオルゴールも!
「急行列車」・・・そんな響きも懐かしく感じる時代になってしまいましたね。
中学生の夏、暑いホームからグリーン車を通り抜けた瞬間・・その涼しさ・・(ヒデキ)感激しました
とてもグリーン車に乗れる身分ではないので自由席で登別から札幌までグッタリした想い出の急行です
確かに昔は急行でも普通車には冷房がありませんでしたね。
真夏の混雑期には訪れたことがありませんが、いくら北海道でも暑さで苦労されたことと思います。
都市部の超満員の通勤電車でさえ、冷房がほとんどなかった時代でした。
そういえば、苫小牧の隣駅、青葉でなく糸井だったことを思い出してしまいました。その頃はやっぱりいい時代でした。が、特急いしかりのヘッドマークの幕が絵入りになったり、廃止が近かったためか急行いぶりに増結車があったりとしていた時期は国鉄終焉のカウントダウンが始まったような感じがしました...
国鉄末期、帯広の隣にできた 「柏林台」、北見の二つ隣にできた「愛し野」、そしてJR化後に苫小牧の隣に「青葉」自分の中ではなんとなく兄弟駅のような気がしております。
いつも懐かしく聞かせていただいております。札幌駅が地平ホームの頃、改札口はいると乗り場案内がありました。地下通路を通り目的の列車に乗り込むという一連の流れを体験しました。急行ニセコはまだ旧客だったのですね。時刻表にあるℒ特急「いしかり」、急行「かむい」、循環急行「いぶり」、網走経由釧路行き急行「大雪」などなど、懐かしい記憶がよみがえりました。
高架になる前の札幌駅、今はない列車の数々、もう遠い昔のことになってしまいました。
記憶がよみがえり、懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
「函館本線」の意味がはっきりわかる普通「旭川~函館」がいいよねぇ。
海線に主役の座を譲ったとはいえ、函館本線もまだまだ元気でした。
毎々貴重な音源の配信ありがとうございます。
当時、私は中学生で札幌に住んでいましたが特急と急行の役割が明確だったと思います。
それを思うと現在の特急すずらんの全席指定席化は残念です。そもそも特急すずらんは事実上の急行ちとせの役割を使命とするので基本自由席にするべきだと思います。
札幌に住まわれていた方にご視聴頂けて嬉しいです。
それにしても「すずらん」の全車指定は不評ですね。
急行宗谷様こんにちは。今回は発着風景録音も含めると、豪華に4本もの列車を収録ですね。
室蘭始発札幌行き急行ちとせ3号は、自由席のグリーン車を含めた4両編成。現在同区間の特急列車が前車指定席化されて、集客面で苦戦していることを思うと、激変の感を覚えます。
1:18 途中の苫小牧駅停車中にホーム立売の駅弁販売人さんの美声が聴こえますね。同駅名物駅弁といえば、国鉄時代よりシシャモチップ寿司です。チップは確か北海道名物のアキアジことシャケのアイヌ言葉らしいですね。それを王子製紙の子会社王子サーモン社の技術力でスモークサーモン加工されたもので、シシャモと共に酢飯押し寿司によく合いました。また食べたくなりました。
旭川始発函館行き普通122列車は、函館本線全線を走り通す普通列車とは恐れ入りました。青春18のびのびきっぷ発売開始が1982年と記憶しますから、まだ普通乗車券か北海道ワイド周遊券利用客だけだったと思われますので、小樽を過ぎたら恐らく空気輸送でしょうね。
特急いしかり3号は1980年6月改正から本格運行された781系の新製ピカピカな状態ですね。冬将軍到来前に781系に交代出来て国鉄北海道総局はホッとしていた事でしょう。
札幌始発旭川、遠軽、網走経由の釧路行き急行大雪3号は乗りでがあった列車。函館始発のニセコ1号を受けて走る列車だけに、東北本線八甲田号、青函連絡船深夜便、ニセコ1号と乗り継いできた若者が目的地へ向かって希望に燃えた列車だった事でしょう。
胆振線廻りの循環急行いぶり号と室蘭行きちとせ3号の併結急行とは珍しいです。決して長距離列車とは言えない列車でしたが、運転区間、併結列車、全車自由席車両というだけでも現在では考えられない貴重な録音でした。
急行宗谷様による貴重な音源の選択、動画制作とアップロード作業お疲れさまでした。次回はどのような列車がどのような駅が登場するのか?気長に待っています。
札幌駅ホームの放送が中心になってしまい、旅情は少ないかな・・・と一抹の不安を抱えながらの公開でしたが、今回もじっくりご観賞頂き丁寧なコメントを有難うございます。
苫小牧駅ホームの駅弁屋さんの声、発車ベルの音にかき消されてしまうかと思いましたが、しっかり聴き分けて頂けて嬉しい限りです。それにしても色々なことをご存知なのですね。
小学生一年の頃でしたが、深川発6時16分発の普通に乗りました。牽引機はc 62だったと思います。神居トンネル開通の前でしたし。当時の時刻表運用でも記載されてました。あ、でもどの文献か忘れました。すみません。
旧線には貸自転車を借りて訪れたことがありますが乗ってみたかったです。
この路線を今の時代も、うまく活用出来ないかなぁ~。
列車に乗る人さえ多ければ、もっといろいろなことができるのに・・・と思ったりいたします。
東室蘭 鱧弁当 苫小牧 シシャモチップ寿司 中一のころ東室蘭-札幌間を毎週利用してました。
日常的に乗車されていた方にご視聴頂けて嬉しいです。地元の方には日常でも、旅行者とっては新鮮でした。
今回もまってました、貴重な781のいしかりの画像 サツエキの様子ありがとうございます。残念なのは 岩見沢到着放送の乗換案内ない(涙)幌内線、万字線してました
そうですよね。「室蘭線、幌内線、万字線お乗り換えです・・・」の案内は定番のはずなのですが・・・
急行ちとせには自由席グリーン車がありましたね。自由席グリーン車今もないかな?
当時のグリーン車は高価で雲の上の存在でした。
現代のuシートに乗った時は昔のグリーン車に乗ったような気分でした。
もちろんないっすね。っつーか、グリーン車自由席っつー概念自体がなくなった😵
@@psychedelicraspberry517首都圏はあるぞよ
あくまでも、「急行」の話😉
行き届いた肉声による放送、エル特急。多彩な急行。
オールドファンには唸らずにはいられない古きよき時代ですね。
そっか・・・自分もオールドファンという境地に入っていたのか・・・と改めて気づきました。
「エル特急」も「急行」もすっかり過去のものになってしまいましたね。
発車ベル懐かしいですね。
今は電子音のベルさえ少なくなりましたね。時代ですねぇ。
こんにちは。
この時代、道内の市町村のほとんどに札幌から乗り換えなしでいけましたね😀
道路網が整備されてきたとはいえ、都市間バスも今ほど多くなく、まだまだ鉄道も頑張っていた時代ですね。
この時代から鉄冷えと呼ばれていた室蘭ですが、今の倍くらいの人口だったから、急行ちとせもそこそこ需要があったと思う。今の特急すずらんと比べると、停車駅少ないな。
急行ちとせはいつ乗っても混んでいた印象です。現在の特急すずらんがガラガラというのが信じられないくらいです。
急行ちとせのグリーン車、指定席じゃなかったんですねぇ。グリーン自由席も今はほぼ見ないですね。首都圏の普通列車のグリーン車くらいですか。
急行列車のグリーン自由席はこの当時でも数少なかったですね。
首都圏の普通列車のグリーン車はさすがに指定席にはならないと思いますが、特急は普通車も指定席になっていく傾向ですね。
781系の【いしかり】も短命でしたね。
「特急いしかり」自体が短命でしたね。この翌月の改正で室蘭まで電化開業し大幅に変わってしまいました。
6:53函館行きが同じ時刻に2本出ていますが小樽経由と
苫小牧経由ということでしょうか?
1番線から出るのが小樽回りの「ニセコ」、3番線から出るのが東室蘭回りの「北斗」です。
@@急行-宗谷
やっぱりそうでしたか。ありがとうございます。
「あさひがわ」いいですね。都市名を言うときは、もちろん子供の時から「あさひかわ」と言いますが、駅名については、今でも「あさひがわ」の方が馴染みがあります。こんなこと言うと、市民の方に叱られそうですが・・・ この頃、千歳線に乗車していた時、だだっ広い畑の線路脇に、ポツンと「恵み野駅建設予定地」って手書きの看板があって「冗談か」と思っていたら、今では・・・時代を感じる。
急行多いなぁ、と思う反面、普通列車少ないなぁ、とも感じます。
近郊通勤電車は省略、なんでしょうか?当時は市電が健在だった?
普通列車、省略されているわけではなく確かに本数が少なかったです。
市電も1系統でしたし、地下鉄東西線もまだ琴似駅 - 白石ぐらいでした。
周遊券で急行に乗れたからいいようなものの、地元の方は不便だったろうなと思います。
この頃の新札幌駅は、今の白石駅あたりの扱いだったのかな?
この当時、新札幌駅が主要駅という雰囲気ではないと思っていましたが、今では特急が停車。
旅行者には何もわからないものですね。
その当時の新札幌駅前はまだ地下東西線開通前、急行と普通だけ新札幌停車、別話だがこの年に北星男子が琴似から新札幌移転
大雪は札幌発網走経由で釧路行きですか。乗り通す人はいたのですかね
乗り通すのは鉄道好きな人だと思います。「いぶり」に乗り通すのと同様で・・・
私はまさに、この音声の一月ほど前、1980年の小4の夏休みに家族と「いぶり」に乗り、苫小牧先回りで札幌〜札幌間を一周しました。
主要駅◎の千歳、恵庭にみどりの窓口が無い。昔日の感😂
増え続けたみどりの窓口も、今や次第に削減の方向のようですね。