【第4回:禅僧の逸話に学ぶ】 花園大学総長 横田南嶺 | 禅・仏教講座「禅とこころ」 2024年10月8日(火)
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- Опубліковано 16 гру 2024
- 「建学の精神」である禅仏教による人格の陶冶をテーマに、「禅・仏教講座」として開設しています。
禅の世界をあらゆる角度から捉え感得するため総長、学長、仏教学科教員を中心に授業を展開し、その他、いす坐禅・読経など実践を行います。
「知識としての禅」から「感じとる禅」への転換をテーマとし、「自分だけにしかないいのちを生きる」ことを目標とした講義です。
なお、学生向けに配信している総長講義のみ、順次公開させていただきます。
禅僧の逸話に学ぶ 令和六年十月八日 横田南嶺
鎌倉時代から室町時代にかけての禅僧の逸話に学ぶ
檀林皇后(七八六~八五〇)
唐土(もろこし)の 山のあなたに 立つ雲は ここに焚く火の 煙なりけり
大日房能忍 日本達磨宗
栄西禅師(一一四一~一二一五)
一一四一年、一歳 備中 (岡山県) に生まれる。
一一五四年、一四歳 比叡山に上り出家する。
一一六八年、二八歳 宋に渡り、万年寺などに詣で、重源とともに帰国。
一一八七年、四七歳 二回目の入宋。万年寺の虚庵に参す。一一九一年帰国。
一一九四年、五四歳 京で禅宗布教が禁じられる。
一一九五年、五五歳 聖福寺 (博多)の開山となる。
一一九八年、五八歳 『興禅護国論』を著す。
一二〇〇年、六〇歳 寿福寺 (鎌倉)の開山となる。
一二〇二年、六二歳 建仁寺 (京都) の開山となる。
一二一一年、七一歳 『喫茶養生記』を著す。
一二一五年、七五歳 示寂。
夢窓国師(一二七五~一三五一)(講談社『日本の禅語録7夢窓』を参考)
一二七五年 一歳 伊勢に生まれる 一二七八年 甲斐に移る
一二八三年 九歳 平塩山寺(山梨県市川大門町)の空阿について出家。
一二九二年 一八歳 東大寺で受戒。
一二九三年 一九歳 講師の死に逢う。夢窓疎石と名乗る。
一二九四年 二〇歳 上洛。建仁寺に入る。
一三〇三年 二九歳 鎌倉万寿寺にて高峰顕日に参禅。
一三〇五年 三一歳 常陸の臼庭(茨城県北茨城市)にて大悟。
浄智寺に高峰顕日を訪ね印可を受く。
一三二五年 五一歳 八月後醍醐帝の勅により上洛、南禅寺に住す。
一三二七年 五三歳 北条高時の請により浄智寺に入る。退いて瑞泉寺開山。
一三二九年 五五歳 円覚寺に住す。第十五世。
一三三〇年 五六歳 円覚寺を退き、甲斐に恵林寺を開く。
一三三四年 六〇歳 南禅寺に再住。建武の中興。
一三三六年 六二歳 南禅寺を退山。臨川寺に帰る。
一三四〇年 六六歳 天龍寺成る。
一三四二年 六八歳 八坂法観寺宝塔慶讚仏事。利生塔の初め。
一三五一年 七七歳 天龍寺に再住。九月三十日三会院に入寂。
大燈国師 宗峰妙超(一二八二~一三三七)
一二八二年 一歳 播州揖西(兵庫県揖保郡)に生まれる
一二九二年 十一歳 書写山に登り 戒信律師に師事
一三〇一年 二十歳 建長寺に参禅
一三〇四年 二三歳 高峰顕日に参じて剃髪受具。上洛南浦紹明に参じる
一三〇五年 二四歳 大応、京都万寿寺に入寺 これに従う
一三〇七年 二六歳 大応 建長寺に入寺 雲門の関字で大悟 印可受ける
一三〇九年 二八歳 京都に帰り東山雲居庵にて聖胎長養
一三一五年 三四歳 紫野に大徳庵を創す
一三一六年 三五歳 花園天皇に召される
一三二五年 四四歳 清涼殿にて叡山の僧と宗論し論破
一三二六年 四五歳 大徳寺法堂落成 開堂
一三三四年 五三歳 建武中興 後醍醐帝は大徳寺を南禅寺と並ぶ五山第一とす
一三三五年 五四歳 遺誡を作る
一三三七年 五六歳 十二月二十二日遷化 五六才