This train, part of the KiHa 80/81/82 series, essentially brought limited express service to many parts of Japan that never had such services before outside of the Tokyo to Hakata corridor. I believe it was this model that made it possible to have much faster services between Tokyo and Aomori on the Tōhoku Main Line in the early 1960's.
世界で一番優美なタイフォンはキハ82だったと思う。
少し籠もった様なハモりの具合が最高の音でした
懐かしいキハ82
山陰本線のまつかぜ・はまかぜ・あさしおを思い出す。現役当時は乗ったことは無いけど、伯備線電化・やくもの381系電車化により捻出されたキハ181に置き換わった後に初めて利用した。初めて乗った気動車特急は修学旅行で利用した181系おきだった。
自分が小学生になる前かな?「しなの」で大阪→松本に家族で乗車ました。
何かの影響で大幅に遅延して途中で食堂車を連結した記憶があります。
This train, part of the KiHa 80/81/82 series, essentially brought limited express service to many parts of Japan that never had such services before outside of the Tokyo to Hakata corridor. I believe it was this model that made it possible to have much faster services between Tokyo and Aomori on the Tōhoku Main Line in the early 1960's.
Thank you for your message.
Greetings from Sapporo Hokkaido Japan.
特急日向、なはがこれでした😃宮崎から大阪まで乗りました。
コメントありがとうございます。
そういえば「日向」、「なは」ってありましたね。私は乗ったことはないのですが、沖縄に行かないのに「なは」だなんて・・・と思っていました。
@@TKTK43 そうですよね、ちょっと聞くと妙ですが鉄道のない沖縄に関する名前の列車も作ろうと言うことでできた名前のようです。
もう1度手宮に行ってみたいです。
26年前に無理矢理行き時間の許す限りの訪問でした。
コロナが落ち着けばもう1度行きたいですね。
コメントありがとうございます。
26年経てば手宮の展示も変わっている部分もあると思います。ぜひおいで下さいね。
道産子の私にとっても
キハ82系は道内の特急用気動車としての先駆け的存在と言えると思う。
初めて乗ったのは親と一緒に札幌へ向かう時のおおとり(運行区間は函館↔️網走)の時だったが
近くで見た時は(速そうだな…)と当時子供だった頃の心を揺すぶるようなワクワク感を感じたものだ。
如何にも(走ってやるぞ!)と言わんばかりのウェッジが効いたスタイリングはやはりカッコ良く、
独特の横長のパノラマウインドーとリクライニングシート、静かなエンジン音で乗り心地は良かったと思う。
公開ありがとうございます👌✨
コメントありがとうございます。
この車両は確かに古いのですが、思ったより車内は快適でした。揺れも少なく騒音も思ったほどではありません。シートは薄っぺらでちょっとイマイチでしたがまさに「特急車両」でした。
私が最後に乗れた時は、R55リクライニングシートに換装されてた時なんで、オリジナルの回転クロスシート車両乗りたかった。
コメントありがとうございます。あのオリジナルシートの座り心地は最悪レベルでした。それでいて5時間、10時間の運用に使われるんですからね。でもあのシートこそ「キハ82」だよな、と今でも思ってしまいます。
日本がこんなの作ったのすごい
Thank you for your effort on this video. Greeting from Hong Kong. A railway fans.
Thank you for your message.
I gone to the Hong-Kong three times.
Hong-Kong was very fun town.
I'd like to go to Hong-Kong again.
Thank you.
そういえば、小学校の横に国鉄が走っていました。昼休みかな、試運転と思われる尻切れの編成で走っているのをよくみていました。今はなき工場で塗り替えなど整備していたのだと思います。話変わってカツミ模型のキハ82(HO)と実車の音が同じように聞こえていたのは気のせいかな。
コメントありがとうございます。
良い環境の小学校に行かれていましたね(笑)
私もHOを一時期やっていたことがあります。
キハ82は持っていませんでしたが、Nゲージよりも遥かに本物っぽい音だと思います。
ここのキハ82は客室に入れるんですね。私の地元リニア鉄道館のキハ82 73は入れないので、うらやましいです。キシ80は唖然…これなら横川のオシ17の方が、現役時代のテーブルと椅子が残されている分だけまだ幸せですね。
私がまだ学生の頃、夏休みを利用して母の実家がある東北のとある県へ旅行したときにこのキハ82-1に実際に乗車しました。この当時の道内の電化区間は函館本線の小樽~旭川間のみであったのと、函館を中心としたダイヤが組まれていたため深夜に函館に到着して青函連絡船に乗り換え、さらに早朝青森発の上野行き特急はつかりや大阪行きの特急白鳥へと乗り換えてそれぞれの目的地まで向かっていたのが懐かしく思い出せます。青函トンネルが開通した当時も寝台特急北斗星などが上野と札幌を結んでいましたが、現在ではそれらの列車もなくなり新幹線と貨物列車のみとなってしまい北海道と本州の間は飛行機での移動が主な手段となってしまって、東北と北海道との移動が非常に不便になってからは特別なことでも無い限り行くことも無くなってしまいました。最後に余談ではありますが私はこのときの旅行がきっかけでNゲージの鉄道模型を始め、今では当時の懐かしい車両を走らせて楽しんでいます。思い出をありがとうございました。
こんにちは。コメントありがとうございます。
様々な思い出があるのですね。キハ82ほど特急らしい素晴らしい車両はなかなか無いと思います。
そして今後も出ないでしょうね。
どうぞ今後もよろしくお願いいたします。
(貴チャンネルを登録させて頂きました)
学生時代、何度と無く乗車しましたが、183系と比べてエンジンが静かで良かったですよ。
コメントありがとうございます。
183などの高出力・新系列エンジンはキハ82などの古いDMH17 系エンジンよりもアイドルが高いようです。
それが特に停車時の騒音になっている気がします。
確かマスコンバンドルは押して回し右に回すと力行で左に回すと機関停止でしたっけ?変速機の機、中、変はどのような意味あるのでしょうか?
こんにちは。コメントありがとうございます。
変速機表示灯ですが以下となります。
[機] : 編成中の全機関が立上がると点灯する。(潤滑油の油圧を検出(らしい))
[ 中] :中立。つまりニュートラル
[変 ] :トルクコンバータを介して運転している状態。(変速段:車で言うローギア)
他にも車種によって[ 直 ]があります。
これはトルクコンバータを介さない状態で車で言うロックアップ状態です。
@@TKTK43 様、丁寧な説明ありがとうございます。キハの車両に乗るときにずっと気になっていた謎が解けました❗
今から35年前、UPしてくれたこの車両の前でオヤジに記念撮影してもらいました(当時小学5年生)。
幾度となく「特急北斗」として札幌~函館間で利用させてもらって、いわば自分を育ててくれた車両。未だに鉄道車両の中で世界一大好きな系列、車両です。
キシ80の車端におよそ二人が腰掛けられる横がけのシート(短いからあえてロングシートとは表現しませんよ)が何故かあったのを不思議に思っていつもそこを訪れるのを楽しみにしていた。だって特急車両なのに窓開くんですから!そこに腰掛けて窓は開いていて車窓を楽しめる。なんとも妙な場所。
さすがに晩年の乗り心地は酷いもので縦揺れ振動に耐えられなくなってしまってました。キハ183系に乗り慣れたせいもあると思いますが(贅沢になったんでしょう)何だかキハ82系が哀れに思えたことを思い出します。それでも多客期の波動車両としてしっかり従事してくれていた事には賛辞をお贈りしたいです。
こんにちは。コメントありがとうございます。
お返事遅くなり申し訳ありません。
思い出が色々とおありなんですね。
この車両のデザインは本当に「日本国有鉄道の特急」に相応しいなんて思ったりします。
でもおっしゃるとおり、窓が開くとかベンチシートとかちょっと不思議な側面もありました。
でも永遠に保存して欲しい名車であります。
またお出で下さいませ。
窓のあく特急でおもいだしました、未だ電化されて無い房総で特急でこれは1960年代に乗った覚えが有ります。確か外房線でしたよ。
綺麗ですね~☺️
ありがとうございます。
懐かしいですね~☺️小学生の頃はまかぜだったような
コメントありがとうございます。
「はまかぜ」も使われていましたね。
全国を走った名車中の名車です。
Nice video!
Thank you so much!
この車両が仙台駅から陸羽西線で秋田駅まで「青葉」の名で走っていた。電化さえるまで王者でした。のり心地はスピードが出るに従ってぐにゃぐにゃ車体が揺れた事は覚えてる。
コメントありがとうございます。
陸羽西線でも使われたのですね。
キハ82は空気バネ台車なので基本は乗り心地は良いのですが、磐越西線のような脆弱な線路では重装備のキハ82は厳しいのかもしれません。
でもこの車両はデザインが素敵ですね。
TKTK43 さん。懐かしい時代に帰った気分になりましたよ。私の乗った陸羽西線は結局、日本海側から峠を抜けて太平洋側に出る路線だからカーブと上り下りで当時の特急列車ののり心地が発揮出来なかったのでしょう。(^ー^)しかし楽しい思い出でした。ありがとう。
こちらこそコメントありがとうございます。
またお出で下さいませ。
TKTK43 さん。了解です。機会ある事に鮮明な画像を載せて下さい。
青葉はあおばで、東北、北上、奥羽線経由では?
エンジン回転計1500rpmまでしかない!
キハ82のベースは153系です!貫通型の運転台は分割併合が可能です。183系は総武線が地下乗り入れをする為に考案された苦心作。分割併合は地方には重宝な車両です!上野発の列車は途中で分割する列車が多かった。サボ(行き先表示坂)とホームに番号が提示されて、〇~〇は何処どこと表示しました(アルバイト)。東海道線でも熱海駅、大垣駅で分割併合をしていました。貫通型運転台の使い勝手良さが有ります!
コメントありがとうございます。
なるほど153系ですか。
時代背景的にそうかもしれませんね。
私は幼少のころ153系を見て「なんてかっこよい電車なんだ!」と感動していました。
伊豆方面に親戚がいたのでよく乗りましたし。
@@TKTK43 ありがとうございます!パノラミックウィンドーと云うものです!キハ58の後期型にも採用されました。雪国はデフロスター(熱線の窓が追加)が設置されました。良く観ると機関車にも同様に成っています。視界が広く成っています。切妻の車両が全盛で丸妻車両の誕生が待たれます。車と同じで角の次は丸が流行する繰り返しです。
この車両は原型を保っていて貴重ですが、さすがに野ざらしなので毎年行くたびに他の保存車両も含めて劣化が気になりますね。現役時代に函館-小樽往復に何度も乗っただけに寂しい物です。本格的な補修は必要なれど、地元企業と有志の寄付やボランティアに頼る現状ではこれが限界かも。広く寄付等を募ってもらいたいです。小樽市も館内、保存車両の更新へのやる気が見えないし、政争絶えない現市長では困難ではと思えます。
さとぶん様
コメントありがとうございます。おっしゃる通り劣化が激しいです。他の車両もですが。
有料展示物であっても外に展示されるものは朽ち果てていくものが多いので抜本的な事が必要と思います。
歴史的な車両でぜひ保存してほしいですが、小樽市では無理と思うので例えばですが「道立鉄道博物館」みたいなものを作って道内の鉄道遺産を集約するとかも考えてほしいな、と思っております。
現市長の混乱したままの市政では難しいですね。現在の施設になってほとんどリニューアルしていない展示物に何も声が上がらないのもどうした物かです。道へ移管も正しい選択肢ですね。
実は普通車ってthird classだったりするんだけどね。(だからハなんです。ちなみにイはななつ星で九州にいます)
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りですね。本来は3等車が「ハ」ですね。
でもいつの間にか「ハ」が2等車で「ロ」が1等車扱いになりましたが、今は1等とかの言い方をしないので「普通車」と「グリーン車」に分かれたと思います。
でも「ななつ星」のような豪華列車が出始めたという事はロとかハとかの概念が変わってきますし、旅行を楽しむ車両が増えるのは良いことですね。
だいすき