歴史52【なぜみんな満州を欲しがるの?】満州事変 昭和恐慌

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  • Опубліковано 20 жов 2024
  • 日本を襲った4つの恐慌に対して日本はどんな対応をとった?満州事変との関係も見ていきましょう。

КОМЕНТАРІ • 30

  • @sabacan856
    @sabacan856 3 місяці тому +3

    日本の国連脱退の件は、陸軍の熱河省の匪賊討伐によって国連加盟国から経済制裁を受けることがわかったんで、
    自ら脱退する体にしたというオチだったと思います。

    • @f.t365
      @f.t365  3 місяці тому +3

      コメントありがとうございます。
      詳しく紐解くと、熱河作戦1933.2.23、満州国からの撤退審議&勧告2.24、この勧告を不服とし国連総会会場退席→脱退の流れですね。
      撤退勧告が可決されれば合わせて経済制裁や除名も予想されたことから予め議場を去ることが閣議決定されていたようですね。

  • @09umeo
    @09umeo 2 місяці тому +2

    何より資源とソの防衛

    • @f.t365
      @f.t365  2 місяці тому +3

      石炭、鉄鋼の埋蔵量、ソ連からの防衛、市場としての価値からしても当時の日本の生命線と位置付けられる土地だったようですね。

  • @redspiderlily01
    @redspiderlily01 2 місяці тому +4

    戦後に首相となる石橋湛山は、1920年代からすでに大陸撤退、植民地全面放棄を訴えていました。植民地経営にかかる軍事行政コストが大きすぎること、大陸貿易よりも英米貿易の方が金額が大きいのだから、前者を守るために後者を失うべきではないこと、不毛の土地をゼロから開発するよりも、原料輸入と製品輸出を組み合わせた加工貿易をした方がよほどマシであることなど、20年くらい、時代の先を行っていた。

    • @f.t365
      @f.t365  2 місяці тому +1

      いつの時代も先見の明がありそれを訴えている人はいるものですね。難しいのは、未来が見えない(この時は大不況が襲う)中でそれを支持することです。大きな声に消されずに時間がかかっても良い方を選ぶ力を子供たち身に付けてほしいです。

    • @redspiderlily01
      @redspiderlily01 2 місяці тому

      @@f.t365 石橋湛山は、1920年代から、数字をいくつもあげて、日本の満州経営が全く儲かっていないこと、「満蒙は日本の生命線」という宣伝は間違いであり、英米とその植民地との貿易こそ、日本の生命線なのだと論証しています。その主張が実現するには、敗戦で強制的に大陸撤退させられるしかなかったのです。

  • @TheMarines2979
    @TheMarines2979 2 місяці тому

    サムネの印象で
    「ゆっくり毅だぜ、今日は軍部がどうしてあんなにも満州を欲しがってたか解説していくぜ」的な動画と思って開いたらすっげー真面目なやつで申し訳なくなった。

    • @f.t365
      @f.t365  2 місяці тому

      ご視聴ありがとうございます。中高生向けの補修動画という位置付けなので真面目にやっております🙂ゆっくり解説もやってみたいですね。

  • @サクサク-s9e
    @サクサク-s9e 3 місяці тому +3

    意外に日本の満州権益を認めてくれたリットン調査団

    • @f.t365
      @f.t365  3 місяці тому +2

      コメントありがとうございます。リットンの報告書には、満洲に日本が持つ条約上の権益、居住権、商権の尊重とあり、常任理事国日本への配慮も見えますね。それだけに国連脱退は行き過ぎた判断だったと思えます。

    • @良介-q5y
      @良介-q5y 3 місяці тому +1

      傀儡国家其の物が悪い訳では無い要するに今のロシアがウクライナへの進撃と同じ結果論では?国連も戦争を恐れては無いとの理念と考えるべきでは?茂垣喘ぐのは今のロシアが過去の日本や🇩🇪🇮🇹カナ?

  • @hiro99939
    @hiro99939 2 місяці тому

    どうみても、満州への投資割合の表がおかしいです。米国の満州割合は6%の間違いでしょうか。仏国も英国もちがってます

    • @f.t365
      @f.t365  2 місяці тому

      コメントありがとうございます。まず、この数字は他の植民地への投資中の満州投資が占める割合であって、対中投資中の満州が占める割合ではありません。また、出典は『満豪政治経済提要』ですが、質問者様の根拠はどちらですか。おしえてください。

    • @hiro99939
      @hiro99939 2 місяці тому

      11:43 ​@@f.t365さま。ご返信ありがとうございます。
      表の満州割合は満州投資÷対中投資で計算していると思っていました。そうではなく、満州投資÷植民地投資で計算されるのならば納得が行きそうなのですが、その場合、この資料では日本の朝鮮と台湾への投資は植民地への投資とみなされていないということでしょうか。それなら計算が合いそうです。

    • @f.t365
      @f.t365  2 місяці тому +1

      @@hiro99939 さん  このデータから全てを読み取ることはできませんが、おそらくは日本の数字も投資全体に占める満州の割合だと思われます。朝・台より投資金額において重視されていたということでしょうか。

    • @hiro99939
      @hiro99939 2 місяці тому

      @@f.t365 ​ @f.t365 さん。私はこの統計の元を見たことがないのですが、仰る通りだとして計算すると、日本の対外投資額は約29億円。うち対中投資25億円(そのうち満州17億)。残りの朝鮮、台湾、南樺太および南西諸島などへの投資額は約4億円となります。(満州対朝鮮台湾の投資比率が4:1以下となります。)表の数字が単年度なのか累計値なのか、何年度の数字かもわかりませんが、戦後日本が朝鮮半島に残した資産が莫大であったことを鑑みると、中国以外への投資額の比率があまりにも少なすぎると思いました。ただ、以下の「戦前日本の対植民地投資」という資料を見つけまして、中身を確認したところ、P71、P72に満州、朝鮮、台湾における払込資本金の表と年次推移がありました。P72の表を見ると1940年における満州、朝鮮、台湾の払い込み資本金はそれぞれ51億円、15億円、5億円となっており、戦中には満州に偏った投資がなされていたことがわかります。但し、満蒙政治経済提要の発行年は1932年なのですが、1932年の満州、朝鮮+台湾の払い込み資本金をP71のグラフから読み解くと、およそ8億円、6億円くらいに見えます。すると蒙古政治経済提要の表の数字と合わないのですが、統計における誤差はつきものでしょうし、蒙古政治経済提要の満州割合の数字も配信者様の仰る通りでおそらくは日本の内地以外への投資全体を含んだものだと思います。(ただ、この資料の正確性には少し疑問符がついてしまいます。)元々は動画の表にミスがあるものと思い、それを指摘しようと思っただけなのですが、長々と投稿してしまいすみません。参照資料「戦前日本の対植民地投資」のP71の満州への投資額の伸び方を見ると、当時の満州の活気が垣間見える気がしました。
      戦前日本の対植民地投資
      ycu.repo.nii.ac.jp/records/2001555

    • @hiro99939
      @hiro99939 2 місяці тому

      @@f.t365 ​ さん。私はこの統計の元を見たことがないのですが、仰る通りだとして計算すると、日本の対外投資額は約29億円。うち対中投資25億円(そのうち満州17億)。残りの朝鮮、台湾、南樺太および南西諸島などへの投資額は約4億円となります。(満州対朝鮮台湾の投資比率が4:1以下となります。)表の数字が単年度なのか累計値なのか、何年度の数字かもわかりませんが、戦後日本が朝鮮半島に残した資産が莫大であったことを鑑みると、中国以外への投資額の比率があまりにも少なすぎると思いました。ただ、以下の「戦前日本の対植民地投資」という資料を見つけまして、中身を確認したところ、P71、P72に満州、朝鮮、台湾における払込資本金の表と年次推移がありました。P72の表を見ると1940年における満州、朝鮮、台湾の払い込み資本金はそれぞれ51億円、15億円、5億円となっており、戦中には満州に偏った投資がなされていたことがわかります。但し、満蒙政治経済提要の発行年は1932年なのですが、1932年の満州、朝鮮+台湾の払い込み資本金をP71のグラフから読み解くと、およそ8億円、6億円くらいに見えます。すると蒙古政治経済提要の表の数字と合わないのですが、統計における誤差はつきものでしょうし、蒙古政治経済提要の満州割合の数字も配信者様の仰る通りでおそらくは日本の内地以外への投資全体を含んだものだと思います。(ただ、この資料の正確性には少し疑問符がついてしまいます。)元々は動画の表にミスがあるものと思い、それを指摘しようと思っただけなのですが、長々と投稿してしまいすみません。参照資料「戦前日本の対植民地投資」のP71の満州への投資額の伸び方を見ると、当時の満州の活気が垣間見える気がしました。
      戦前日本の対植民地投資
      ycu.repo.nii.ac.jp/records/2001555

  • @central162
    @central162 2 місяці тому

    満州に固執したのはそれ相当の金と人命を犠牲にしたから。 「満州は日本の生命線」と言われた。戦争に負けてすべてを失って経済復興し経済大国になったのだから皮肉なもんだ。あの戦争は何だったのだ?  戦争犠牲者はあの世で怒り狂ってるのではないか?

    • @f.t365
      @f.t365  Місяць тому

      アメリカは早い段階で植民地化ではなく、貿易の消費地としての満州との関係を築く方へシフトしたようです。経済復興には朝鮮戦争など外的な要因もありますが、世界大戦を経た後の時代に生きる私たちは支配や搾取することなく経済発展していく方法を見いだすべきですね。または、人口に見合った経済規模に満足することを覚えるべきです。

  • @terushimukae
    @terushimukae 2 місяці тому

    「戦える國」って表現が胡散臭い 戦えない國は滅びるんだが。