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有難うございます。1964年と言えば東京オリンピックの年。その翌々年修学旅行で函館から上野へ昼ごろ連絡船に乗り、翌朝着いた懐かしい想い出を味わうことができました。帰路の列車はこの画像通りその逆です。団体列車でしたが所要経路時間は常磐線回り急行で上野から青森まで14時間くらいだったのでしょう。懐かしいです。
貴重な画像ありがとうございました、初老の男です、S30年代に母の実家のあったく山形の天童へ時々夜行ででかけました、当時、夜の上野駅は独特の雰囲気があってこの画像を見ていますと当時の上野駅が脳裏によみがえってきます、私たちがよく利用していた列車は急行出羽でした、上野からディーゼル気動車で当時としては上野から気動車は珍しかったと記憶しております、忘れられないのが福島~米沢間の板谷峠でした、列車は苦しそうにゆっくりと喘ぎながら峠を上っていき、列車が米沢に到着しますと車掌さんや乗客達は皆、安堵の表情をしていた、と記憶しております、次々と消え行く夜行列車、しかし我々団塊世代の心の中にはいつまでも生き続けるでしょう。
こちらこそ、当時の思い出を語って頂きありがとうございます。当時の上野駅も板谷峠も僕の世代では資料で知ることは出来るものの体験はできません。身を以て経験したお話を伺うことができうれしく思います。
すげぇぇWikipediaで読んだ通りの生き証人か...
まさにあの歌謡名曲「♪ああ上野駅」の時代ですね。
なにげに音楽が良いので作業用BGMとしてもよく観させて頂いていたのですが、、、スタッフロールみたら作曲まさかのうp主で驚きました…
今考えるとなかなかカオスですねこの時代でも東京から来る列車があったとは......
6:30 両毛・水戸・真岡の3線に乗り入れる列車もあったのですね。間々田から小山に入らず、直接右カーブして水戸線に入る短絡線も今は昔。わずかな痕跡ももうやっと見つかるくらいですね。
栃木県出身のオレでさえ、こんな列車があるとは知りませんでした(1980年生まれ)。
派遣で働いている埼玉県草加市のアパート住まいの酒井一紘 あらら!私は草加の松原団地の生まれ育ちで、大学から今、宇都宮です。あべこべですね!
@@miyaken1969 人口数は草加は宇都宮の二分の一なのですが密度が濃いですね、横浜よりも濃いのは凄いですね。
長野・湯田中行きの湯田中行きは屋代で切り離して長野電鉄屋代線に入るルートでしたね。その屋代線も廃止。。。
この時代の東北の農家の方は冬から春になると長距離普通列車を出稼ぎ帰省の時乗ってたんでしょうねぇ。
小山電車区(現小山車両センター)が1965年、籠原電車区(現高崎車両センター籠原派出)が1969年解説だから、今小金井、籠原どまりになってるのがその頃は小山・熊谷行きになってるんですね。
小生が生まれる8年前ですが、多分、この頃は東海道新幹線が開通しましたが、新幹線に乗れるビジネスマンは会社の規定で取締役などの重役で、そのほかの人たちは寝台急行が乗れれば厚待遇で、多分、座席の夜行準急や夜行急行で移動していたと思います。東北方面の場合、特急が数本ありましたが、これも新幹線同様の待遇で、夜遅く、出発する夜行準急や夜行急行がビジネスマンが利用していたのではないかと推測します。無論、故郷へ帰る人たちの重要な足として、長距離普通列車が存在したのでしょう。
ちょうどこのころは安達 - 松川間複線化により東北本線東京駅ー福島駅間の全線複線化電化が完成しました。
普通 秋田行きってすげぇな
この頃は武州・大宮駅に停車する特急列車はなく、急行や準急の一部も通過してたものの、1965年10月1日のダイヤ改正より、上下6本の特急が停車(埼玉県下の国鉄駅では初)する様になりました。
111列車普通青森行き、乗り通した人いるのかなぁ?長距離列車なのに2等寝台すらないのはすごい!急行白山、熊の平にも停車したんですね。
この当時は碓氷峠のアプト式が前年に解消されたばかりで、後の上り線を使った単線運行でしたから列車交換のため、あの秘境駅の熊ノ平でも停車する一部の急行列車があったのですね。
急行「久慈川」の停車駅から郡山が抜けている。
簡単に運転をぶつ切りにする今と違って普通列車に長距離ランナーが多いですね。普通・新潟、普通・直江津、普通・福島、普通・仙台(常磐線経由)がありますね。凄い‼️
上野から大阪行き白鳥がでていたとは、白鳥は青森〜大阪だけだと思っていました。東海道メインみたいな感じがあったので、裏周りは新鮮です。まあ、ここにきて、新幹線のルートもきまりましたので、また、大阪まできてください。ルート完成したら、北海道から、鹿児島中央までいっぽんでいけるようになりますね。東海道は16両フル編成しかはしれないので、西は8両とかでもガンガンはしるので、九州新幹線ぷらす北陸新幹線とかで頑張って北からみなみに〜とかやってほしい。
高崎線に大阪行があったのかー
1:44 北陸新幹線の先祖的な?
昭和39年9月の時刻表(復刻版)では、上野発、福島•山形•秋田経由の普通列車青森行きが載っていました。この改正で無くなってしまったのでしょうか?
昭和39年は SLが走っていました 長距離列車がおおかったんですね
上野口からだと、常磐線は成田方面が蒸気機関車ですね。水戸方面は平まで電機で、そこから蒸気機関車に交換したらしいですね。
平行きは、今のいわき行きですね🎵
熊谷行なんてあったのですね。
遠距離ばかりですね。もし寝過ごしたら、えらいこっちゃですねぇ。
111列車の停車駅に誤りがあります。正しくは蓮田や小山-宇都宮の間は無停車、停車駅は沼宮内が抜けていますよ。
水郡線に準急が..............
高崎線の普通が全部井野駅通過してて草
東北線なら浦和、常磐線なら柏も全列車通過ですね。当時の時刻表には駅名すら載ってませんでした。
上野(東京)「白鳥」は上野~大阪(高崎~信越~北陸~東海道(米原)経由なんて有り得ないルートですね!上野~成田は京成とはライバル視してたのかな?
これが現在の北陸新幹線構想の元祖だったのでしょうね。上野ー金沢間は現実に超特急が走る時代になりましたが。
早朝普通列車がカオス
列車番号にアルファベットの無いものは客車ですか?
はい、その通りです
番号だけは 客車数字の後の M は 電車 数字の後の D は 気動車です
なうかしいな。1Dはつかりが看板だったんだとよくわかる。八甲田には衝動的に乗ったっけ。
2:54 の久慈川号は何気に郡山通過?
普通青森行きwww
私も驚きました
今あったらUA-camrのネタに持ってこいだな。
夜行で約丸一日もかけていくってやばいですね。今で言うムーンライトながらみたいなやつでしょうか。
常磐線のMがついている普通列車は401系ですか?
常磐線は取手まで直流電化ですから、当時の交直流電車の需給を考えると、多分401系で間違いないかと。
多分、ほとんどが401系だと思います
特急白鳥は青森始発のイメージがあるけど上野始発もあったんだ
只野哲也 特急白鳥が気動車の頃、大阪〜青森・上野で白鳥が運転されていて、直江津で切り離しをしていた。上野方面は信越白鳥と言われたそう。
ときわ、奇数偶然逆…?
駅のリクエストはできますか?出来たら京都駅をお願いします!生まれなんで
長野・直江津経由大阪行きwww
奥羽線経由青森行き421レがないが・・・
埠頭半田 この情報は1964年10月当時です。421レはこの頃は411レが該当します。
高崎線ユーザーだけど、終電が23:55の新潟行きで寝過ごしたら取り返しつかなすぎ。
「横川・(熊ノ平)・軽井沢」ってことは、アブト式ED42形とかが頑張ってた時代かな
アプト式ED42は前年に廃止されております。当時は後の上り線を使用した単線運行だったので,列車交換の必要から、あの秘境駅の熊ノ平でも一部の急行は停車したのでしょう。このため、旧熊ノ平駅東側の元上り線のトンネルは列車交換用の線路とポイントを中に設置したため入口が広く、入ると間もなく中がすぼまって単線(後に上り列車専用)になりました。
なんだかスゴい種別ばっかだな、仙台ゆき普通とかなんか恐ろしいw出発日に終点につかなさそうw
青森ゆき普通なんかもっと恐ろしい
RX8とRX7は神 東急車両 上野発の夜行列車降りた時から〜青森駅は雪の中〜
快速ムーンライトながら大垣行きや急行銀河大阪行きもどきがたくさんあるんだから、凄い時代。
大阪発八代行き普通、なんてのも西にありました
普通少ないなwww
いわきより平らの方がいいないわきとかなめてるわ
「あらふた」→「ふたあら」
有難うございます。1964年と言えば東京オリンピックの年。その翌々年修学旅行で函館から上野へ昼ごろ連絡船に乗り、翌朝着いた懐かしい想い出を味わうことができました。帰路の列車はこの画像通りその逆です。団体列車でしたが所要経路時間は常磐線回り急行で上野から青森まで14時間くらいだったのでしょう。懐かしいです。
貴重な画像ありがとうございました、初老の男です、S30年代に母の実家のあったく山形の天童へ時々夜行ででかけました、当時、夜の上野駅は独特の雰囲気があってこの画像を見ていますと当時の上野駅が脳裏によみがえってきます、私たちがよく利用していた列車は急行出羽でした、上野からディーゼル気動車で当時としては上野から気動車は珍しかったと記憶しております、忘れられないのが福島~米沢間の板谷峠でした、列車は苦しそうにゆっくりと喘ぎながら峠を上っていき、列車が米沢に到着しますと車掌さんや乗客達は皆、安堵の表情をしていた、と記憶しております、次々と消え行く夜行列車、しかし我々団塊世代の心の中にはいつまでも生き続けるでしょう。
こちらこそ、当時の思い出を語って頂きありがとうございます。
当時の上野駅も板谷峠も僕の世代では資料で知ることは出来るものの体験はできません。
身を以て経験したお話を伺うことができうれしく思います。
すげぇぇ
Wikipediaで読んだ通りの生き証人か...
まさにあの歌謡名曲「♪ああ上野駅」の時代ですね。
なにげに音楽が良いので作業用BGMとしてもよく観させて頂いていたのですが、、、スタッフロールみたら作曲まさかのうp主で驚きました…
今考えるとなかなかカオスですね
この時代でも東京から来る列車があったとは......
6:30 両毛・水戸・真岡の3線に乗り入れる列車もあったのですね。間々田から小山に入らず、直接右カーブして水戸線に入る短絡線も今は昔。わずかな痕跡ももうやっと見つかるくらいですね。
栃木県出身のオレでさえ、こんな列車があるとは知りませんでした(1980年生まれ)。
派遣で働いている埼玉県草加市のアパート住まいの酒井一紘
あらら!私は草加の松原団地の生まれ育ちで、大学から今、宇都宮です。あべこべですね!
@@miyaken1969 人口数は草加は宇都宮の二分の一なのですが密度が濃いですね、横浜よりも濃いのは凄いですね。
長野・湯田中行きの湯田中行きは屋代で切り離して長野電鉄屋代線に入るルートでしたね。
その屋代線も廃止。。。
この時代の東北の農家の方は冬から春になると長距離普通列車を出稼ぎ帰省の時乗ってたんでしょうねぇ。
小山電車区(現小山車両センター)が1965年、籠原電車区(現高崎車両センター籠原派出)が1969年解説だから、今小金井、籠原どまりになってるのがその頃は小山・熊谷行きになってるんですね。
小生が生まれる8年前ですが、多分、この頃は東海道新幹線が開通しましたが、新幹線に乗れるビジネスマンは会社の規定で取締役などの重役で、そのほかの人たちは寝台急行が乗れれば厚待遇で、多分、座席の夜行準急や夜行急行で移動していたと思います。
東北方面の場合、特急が数本ありましたが、これも新幹線同様の待遇で、夜遅く、出発する夜行準急や夜行急行がビジネスマンが利用していたのではないかと推測します。
無論、故郷へ帰る人たちの重要な足として、長距離普通列車が存在したのでしょう。
ちょうどこのころは安達 - 松川間複線化により東北本線東京駅ー福島駅間の全線複線化電化が完成しました。
普通 秋田行きってすげぇな
この頃は武州・大宮駅に停車する特急列車はなく、急行や準急の一部も通過してたものの、1965年10月1日のダイヤ改正より、上下6本の特急が停車(埼玉県下の国鉄駅では初)する様になりました。
111列車普通青森行き、乗り通した人いるのかなぁ?長距離列車なのに2等寝台すらないのはすごい!
急行白山、熊の平にも停車したんですね。
この当時は碓氷峠のアプト式が前年に解消されたばかりで、後の上り線を使った単線運行でしたから列車交換のため、あの秘境駅の熊ノ平でも停車する一部の急行列車があったのですね。
急行「久慈川」の停車駅から郡山が抜けている。
簡単に運転をぶつ切りにする今と違って普通列車に長距離ランナーが多いですね。
普通・新潟、普通・直江津、普通・福島、普通・仙台(常磐線経由)がありますね。凄い‼️
上野から大阪行き白鳥がでていたとは、白鳥は青森〜大阪だけだと思っていました。東海道メインみたいな感じがあったので、裏周りは新鮮です。まあ、ここにきて、新幹線のルートもきまりましたので、また、大阪まできてください。ルート完成したら、北海道から、鹿児島中央までいっぽんでいけるようになりますね。東海道は16両フル編成しかはしれないので、西は8両とかでもガンガンはしるので、九州新幹線ぷらす北陸新幹線とかで頑張って北からみなみに〜とかやってほしい。
高崎線に大阪行があったのかー
1:44 北陸新幹線の先祖的な?
昭和39年9月の時刻表(復刻版)では、上野発、福島•山形•秋田経由の普通列車青森行きが載っていました。この改正で無くなってしまったのでしょうか?
昭和39年は SLが走っていました 長距離列車がおおかったんですね
上野口からだと、常磐線は成田方面が蒸気機関車ですね。水戸方面は平まで電機で、そこから蒸気機関車に交換したらしいですね。
平行きは、今のいわき行きですね🎵
熊谷行なんてあったのですね。
遠距離ばかりですね。もし寝過ごしたら、えらいこっちゃですねぇ。
111列車の停車駅に誤りがあります。正しくは蓮田や小山-宇都宮の間は無停車、停車駅は沼宮内が抜けていますよ。
水郡線に準急が..............
高崎線の普通が全部井野駅通過してて草
東北線なら浦和、常磐線なら柏も全列車通過ですね。当時の時刻表には駅名すら載ってませんでした。
上野(東京)「白鳥」は上野~大阪(高崎~信越~北陸~東海道(米原)経由なんて有り得ないルートですね!
上野~成田は京成とはライバル視してたのかな?
これが現在の北陸新幹線構想の元祖だったのでしょうね。上野ー金沢間は現実に超特急が走る時代になりましたが。
早朝普通列車がカオス
列車番号にアルファベットの無いものは客車ですか?
はい、その通りです
番号だけは 客車数字の後の M は 電車 数字の後の D は 気動車です
なうかしいな。1Dはつかりが看板だったんだとよくわかる。
八甲田には衝動的に乗ったっけ。
2:54 の久慈川号は何気に郡山通過?
普通青森行きwww
私も驚きました
今あったらUA-camrのネタに持ってこいだな。
夜行で約丸一日もかけていくってやばいですね。今で言うムーンライトながらみたいなやつでしょうか。
常磐線のMがついている普通列車は401系ですか?
常磐線は取手まで直流電化ですから、当時の交直流電車の需給を考えると、多分401系で間違いないかと。
多分、ほとんどが401系だと思います
特急白鳥は青森始発のイメージがあるけど上野始発もあったんだ
只野哲也 特急白鳥が気動車の頃、大阪〜青森・上野で白鳥が運転されていて、直江津で切り離しをしていた。上野方面は信越白鳥と言われたそう。
ときわ、奇数偶然逆…?
駅のリクエストはできますか?出来たら京都駅をお願いします!生まれなんで
長野・直江津経由大阪行きwww
奥羽線経由青森行き421レがないが・・・
埠頭半田 この情報は1964年10月当時です。421レはこの頃は411レが該当します。
高崎線ユーザーだけど、終電が23:55の新潟行きで寝過ごしたら取り返しつかなすぎ。
「横川・(熊ノ平)・軽井沢」ってことは、アブト式ED42形とかが頑張ってた時代かな
アプト式ED42は前年に廃止されております。当時は後の上り線を使用した単線運行だったので,列車交換の必要から、あの秘境駅の熊ノ平でも一部の急行は停車したのでしょう。このため、旧熊ノ平駅東側の元上り線のトンネルは列車交換用の線路とポイントを中に設置したため入口が広く、入ると間もなく中がすぼまって単線(後に上り列車専用)になりました。
なんだかスゴい種別ばっかだな、仙台ゆき普通とかなんか恐ろしいw出発日に終点につかなさそうw
青森ゆき普通なんかもっと恐ろしい
RX8とRX7は神 東急車両 上野発の夜行列車降りた時から〜青森駅は雪の中〜
快速ムーンライトながら大垣行きや
急行銀河大阪行きもどきがたくさんあるんだから、凄い時代。
大阪発八代行き普通、なんてのも西にありました
普通少ないなwww
いわきより平らの方がいいな
いわきとかなめてるわ
「あらふた」→「ふたあら」