WRC優勝にサファリ連覇 日産が国際ラリー史に残した伝説の名車【解説】【ダットサン240Z】【フェアレディZ】
Вставка
- Опубліковано 23 сер 2024
- ◆関連コンテンツ
【モーター天国】
/ @motortengoku
F1歴史解説チャンネル。
【投稿者Twitter】
/ motortengoku
投稿者(ただのレースファン)レインのツイッター
◆動画内の画像について
この動画では解説内容の補足のためテーマに関連する画像を使用しています。
各画像の引用元は下記を御覧ください。
sites.google.c...
また当チャンネルでは引用要件を遵守し著作権を侵害しないよう注意を払っておりますが
万が一使用画像について問題がある場合は大変恐れ入りますが下記までお問い合わせいただけますと幸いです。
logist121212@gmail.com
◆動画について
今回はかつて国際ラリーの舞台で活躍した日産240Zについて解説します。
◆その他の動画もぜひご覧ください! - Авто та транспорт
ル・マン24時間レースを完走した初の国産車でもありますね。240Z。
ドライバーの一人は1970-71年のサファリを連破した際のコ・ドライバー、ハンス・シュラー(独)氏。
メインドライバーは アンドレ・ハラー(仏)氏。
1975年 出走55台 完走30台中26位。
フランスのプライベートチームだったようですが「 TKS SU 6466 」すなわち品川ナンバーが付いたマシンでした。
7:24 …フェラーリF1で監督やってたジャン・トッドがコ・ドライバーで240Zに乗っていたんですね😀😀😀
ジャン・トッドはこの頃のことが尾を引いたのか自分がチームを率いる立場になっても日産の難波さんを「ボス」と呼び頭が上がらなかったようです。
@@user-oj4ek8sp8b
FIA会長を屈伏させるとは難波さん恐るべし😂
Gr.B時代なんでもありの化け物たちに囲まれながら
NA2.4LのFRでしれっと入賞する240RSすき
日産のラリーといえば『栄光への5000キロ』。その後の『西部警察』『あぶない刑事』最近だと『グランツーリスモ』に続く、スクリーンで活躍する日産車の始祖でもありますね。
他にも実写版『湾岸MIDNIGHT』の悪魔のZのベース車にもなってますね
日産の車両提供でないので省きましたが、実写版湾岸もそうですね。そっち方面だと『ワイルドスピード』も忘れてはならない。
>その後の『西部警察』『あぶない刑事』
オマエ生まれてないやろ(大爆笑)
@@aresama5942 あぶない刑事は三菱自動車提供
昔、田舎モーターショーで240zを見た。
破損個所もそのままであまりの感動に泣きそうになった。
泣くこたぁない。
1968年のモンテカルロラリーに2台のフェアレディR311がエントリーされ、人々をまず驚かせた。プロペラシャフトのあるクルマは勝てないというのが、モンテカルロの定説になっている。難波曰く FR車の事は覚悟の上だったが、SR311はオープンボディだったため、ハードトップは付けたが、保温気密性はクローズドボディの比でなく、シールにかなり気を配っても完全には似らなかった。
悪条件はあったが、初めて起用したフィンランドのドライバー、ハンス ミッコラが猛烈な走りを見せ、総合9位 クラス別3位という見事な成績を収めた。FR車が世界で初めて上位に入賞した。
現地の新聞は、優勝したポルシェ911と同じくらいのスペースをさいて報道した。しかし、帰国すると社内では、3位くらいじゃ、優勝しなくては、というムードが強かった。
その後、SR311のフロントスクリーンが、寒さで凍り付き、曇って運転出来ないという問題が発生。ヨーロッパからの帰りに、乗り継ぎで立ち寄った、雪のアンカレッジ空港の滑走路だけに雪がないことに気づいた難波は、滑走路の下に温水パイプが、施設されていることを知り、旭硝子の協力で、フロントガラスに細いニクロム線を入れることにしました。
せっかくの新技術を市販車に応用しようとしたが、価格が新車の半分と言う事で、旭硝子に相談すると、太くていいなら安く出来ますよ。
と言う事で実現したのが、熱戦入りリアウインド。と言う事らしいです。難波さんがいなかったら、熱戦入りリアウインドはなかったかも。
以上、1985 7.2 発刊 関口正弘著 フェアレディに挑んだ男たち 日産技術陣より。
1973年のシェーカー・メッタさんの240Zでの勝利は、タミヤのプラモデルで有名ですね。1979年頃から日産バイオレットなどによるメッタさんのサファリ連覇の記事は、あの頃の春のオートスポーツ誌の風物詩でした。
4:38 からの横ビュー、痺れるねえ
日産がラリー活動をしていたのはホリデーオート等の雑誌を見ていたので知ってはいたのですが、レインさんの丁寧な解説のお陰で深く知ることが出来たと思います。ありがとうございました!
240Zラリー仕様車
括弧良いです!
9:04 それから5年後の1978年に再びラリーに復帰し、バイオレットでサザンクロス・ラリーで優勝を遂げている。
更に80年代に入り、グループBが主流となった当時、欧州向けのシルビアをベースにしてWRCに参戦した。しかし既にFRではなく、ミッドシップレイアウトの4WDマシンが主流だった為に苦戦したが、1985年のサファリラリーで3位に食い込む快挙を成し遂げている
この頃は日産車がラリーで活躍すると新聞に1面でその活躍を報じる広告が出ていましたね。
日本国内で黒沢と都平(5月に亡くなりましたね)が開発したラリーカーをワークスドライバーは
「使えないクルマ」
と評価していたらしいそうで‥
でもLYエンジンの開発のベースになったのも事実
鈴木誠一さんがやってましたね
PA10バイオレット160Jも忘れないでほしい。
傷だらけのバイオレットがこれまたカッコいいですよね✨
映画「栄光への5000キロ」 懐かしい。
モータースポーツジャパンで桜号の実物を見る機会があったが、こんな華奢な車で過酷なラリーを走り切ってクラス優勝を飾ったのかと驚いた。変形したフェンダーが過酷な戦いを物語っているように感じた。現在ほど海外の情報が簡単に入手できず、交通事情なども良くない時代で海外の大会に打って出るのは相当な困難があったはず。先人達の情熱と頑張りに頭が下がる思いがした。
90年代にはパルサーで参戦したけどタイヤのサイズと冷却効率が悪くて苦戦していたな…
初期のランエボと全く同じ弱点でしたね。経営難もあって構いませんでしたが、パルサーも改良次第では何とか出来たのかな?
240Zで参戦当時は、ラリーの日産の威光があったけど、グループBの240RS、S12シルビアの時代になって来たら、ニスモはサーキットレースに重きを置いてましたね。
こーれがみたかった!ありがとうございます!!
ニッサンとダットサンの涙の結晶が形となった。
その代表車が
この各ブルバード達と
フェアレディZ
240ZXや後の後継車達
ニッサン達のラリーへの栄光で最も輝いてた
時代でもあるかもしれない👏🏆
1958年のオーストラリア一周ラリーのダットサン1000 (210型)の「富士号」と「桜号」がエントリーし19 日間で1 万6000kmを完走。1000cc 以下のエンジン搭載車の「A クラス」で優勝しましたね‼
そのときのドライバーの一人が難波靖治さんです。歌って眠気を振り払いながら走り続けたそうです。
ちなみに1973年のサファリを制覇し日本車初のWRC制覇を達成した240Zはダメージを負ったままの状態で保存されています
激闘を潜り抜けた姿がカッコいいですよね✨
ラリーの日産か〜懐かしい。
510ブルーバードの目覚しい活躍で優勝
日産はエンジンを改良するのは得意だから凄い車に仕上げる。
後方50メートル…砂を巻き上げて追いすがってくるのは、日産ファクトリーが6台もエントリーさせている怪物…ダットサンZサファリSP!!…今や幻となったエリア88での描写
4WDが登場する以前の、ドリフトしまくりのラリーの時代でしたね😊
子供の頃、田宮のプラモデルでその存在を初めて知って(当時はスーパーカー時代でした)そこから国産車に沼った原点のクルマ。
あのプラモ、小遣い貯めて作ったな~1台で飽き足らず2台も。大のお気に入りでした。
WRCといえばPA10バイオレットでしょう。
タミヤ模型の1/12スケールのこのラリー選手権仕様のZを組み上げて飾ってました、三越のショーウィンドウにも展示された力作でしたが
引っ越しで大きく破損、直す事なく廃棄しましたが今考えるとずいぶん勿体ない事したよなって思いながら動画を視聴しましたよ。
レースシーンでは
スカイラインが活躍したが
プリンス自動車の血脈だったわけで
Zとブルーバードが活躍したラリーは
日産本流の意地もあったのだろうな
と想像してしまう。
Zのラリー仕様、プラモデル作ってたなぁ~。
昔、名古屋市中区栄のサカエチカ(地下街)にあった日産の広報スペースである日産ギャラリーでたまたま実車を見ましたが、独特の一線を画す雰囲気だったのは今だに覚えてます。
ハセガワのプラモで知ってはいたが実物は見た事が無い、510ブルーバードなら以前札幌の南一条西三丁目にあった日産のギャラリーに展示されているのを見た事があるね。
技術の日産、デザインのトヨタが張合ってきたが
かっこいい車が売れるようになってきた。
日産頑張れ。トヨタの1/3くらいは販売してくれ。
昔、追浜工場の講堂にボロボロのままお飾りになってた。
確か、50年近く前にアフリカでサファリラリーに出場していたんだっけ?
NISSANがラリーに残した伝説凄いなあ。
9:03 の画像を見るとテールランプがマイナーチェンジ後の物になっていますから、S30ではなくC-S31になるのでしょうか。
面白かったです 240の活躍は知ってましたが ブルーバードの優勝は知りませんでした
1:08 そのラリーのプロジェクトをスタートさせたのが、「Zの父」片山豊氏だったりもする
いまだかつて直6で国際ラリー に挑んだクルマはこの 240Z だけじゃないか?と思う。ベンツのV8とかポルシェの水平対向6気筒は知っているが直6のクランクの長いエンジンが不利と思う あ トヨタがスープラで挑んだ黒歴史があるが 他に直6で参戦したメーカーを知らない。
誰か知ってたら教えて欲しい。
ラジコン買って貰いました😂懐かしい😂
タミヤの12分の1の、サファリラリーモデル、作ったな。懐かしい
1:37のセドリックみたいなヤツは????
410 510 の以前はセドリックやクラウンなんかもラリーに出てました。
ボディ足回りの耐久性、エンジンの耐久性等で選択されてました。
日産は何だかんだ足回りがトヨタより良いから、悪路や連続コーナーの時の安定性は高い
実際、栄光の5000キロなんて時代考えたらまだまだ海外なんか夢の時代だから開拓者でもあるよな
ただFFを普及させたスバルネタだしてほしい笑
うぽつ
日産もWRC復活しませんかね?
千葉さーん
1✌