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特攻隊の大切な話を遺すことは、非常に大事なことです。ありがとうございます。
角田和男 少尉の事は今日まで知りませんでしたよ、勉強になりました。ありがとうございます。
有難いコメント、感謝です!
沢山の特攻話を聞いてきましたが、すごくよかったです。簡潔でわかりやすく1人の人物を追っていき、苦労も涙も勇気も伝わってきました。なくなられた特攻隊の方々に合唱🙏
嬉しいコメント!ありがとうございます。先人とご視聴してくださった皆様に、感謝して動画を作っていきます。
大西さんが特攻の生みの親と言うのは?ただ最後に介錯なしで切腹したのは立派だった思います。責任をとらずに戦後のうのうと生きた高級将校の多い事よ
幸運というか、まるで見えない手で誘われる様に生き抜いた角田少尉の心境は如何ばかりか…。こういうのを見ると、運命ってこういう事なんだろうかと考えてしまう。
動画の最初の場面は当時ニュウス映画でみた最初の特攻隊の敷島隊と指揮官の関行男大尉です。戦果の空母撃沈破は見事でしたが、正式空母でなく貨物船改造の護送空母の誤認で後に大きな悲劇となり、特攻機で撃沈は巡洋艦以上皆無でした。
メディアやSNS等で特攻に対して一方的な発信が多いので、個人的には、この動画をおススメしています。ありのままの彼らの思いや公的な資料に基づく情報が令和の現代に伝わって欲しいと思いました。
先人達のおかげで、今の日本🇯🇵があることを忘れてはいけませんね。素晴らしい動画、ありがとうございました。このような動画を地上波TVで放映される日本🇯🇵にするのが、我々の恩返しだと思います。
お褒めの言葉ありがとうございます!先人が守ってくださった日本を大切にしたいです。
特攻隊員の直前の様子を知ることができ貴重でした。18年でやめないといけなかった戦争ですが止められない戦争の怖さを思います。
コメントありがとうございます!確かに18年で...
もうそろそろ…というかいい加減、特攻隊員達は「熱望してまで行った」よりも、このような本当の話を紡いでいきたいですね
こちらのチャンネルの動画がいつの日か全国の小学校で道徳の授業に流れる、そんな真に強く正しい日本を心から望む。
中学校と高校も希望!
この話は小学校の教科書に載せるべきだと思います。
ラエで鹵獲された零戦32型は角田少尉の乗機です。>被弾し、ラエでは修理不能と判断し遺棄され進駐した米軍に鹵獲。動画でも見れますので検索して下さい。角田氏は終戦まで最前線を飛び、台湾で終戦を迎え多くの隊員を見送りました。戦後は茨城で農地開拓で一生を終え戦闘機に乗る事は無かったのですが、米軍を最後まで憎んでいたそうです。傑作「修羅の翼」は必読ですよ。岩本徹三と西澤廣芳の対談が読めるのは本書のみです。
23歳の若き隊長の立派なことよ、今の23歳とは大違いだと思う。昔の日本人は本当に凄いと思う散華された英霊に敬礼。
教育や文化、社会情勢諸々、違い過ぎて単純に比較するのは今の子には気の毒よ
若いかったら私も希望したでしょう。還暦過ぎるとむづかしいです。
upありがとうございます。角田少尉の本を読みました。尾辻中尉のお顔は観音様のようであったそうですね。いや、観音様よりも慈愛に富んだお顔だったとのことです。当時、不思議なことですが、海軍の組織運営として、どこかの基地に着陸した機と搭乗員は、原隊が違ってもそこの基地の隊に所属するという規則が出来たそうです。それで角田少尉も突然、特攻隊の直掩機を命じられたそうです。大東亜戦争を戦い抜き、戦後も零戦搭乗員会などの活動をされていました。私の母方の叔父も特攻隊員で沖縄伊江島上空にて戦死しています。終戦まで2ヶ月もなかった時でした。もう一人の叔父は昭和17年12月、ガダルカナル島飛行場付近の戦闘中負傷し、1000キロほど離れたラバウルの兵站病院で亡くなっています。亡き母の介護中、連日睡眠時間が4時間くらいでフラフラしていたある夜、二人の叔父に「康一朗君、頼むよ!」と激励の言葉をいただきました。急に元気が出て来ました。合掌。
コメントありがとうございます。お母様はご兄弟をお二人も...叔父様達は見守って下さっていたのですね。
50歳過ぎの将である大西は20歳そこそこの部下に死んでこいと身内からも批難がある作戦をどんな気持ちで伝えたのかな
大西瀧治郎さんと言えば昭和19年10月25日の神風特別攻撃隊の敷島隊の発案者ですよね、その時に搭乗機を特攻隊に提供され直掩の役割をした西沢広義さんはその翌日に零戦受領に向かう時に輸送機搭乗中に撃墜され戦死されましたよ。
日本人の命は消耗品今も変わっていない。。
生まれる時代が違えば…逝っても良い人が逝けなくて 生を望む者が逝く皮肉(;_;)
特攻作戦を推進実行したという点でだけでも戦争の指導者(事実上、国の指導者)はもれなく厳しい断罪を受けるべきだと僕は思う。戦争は不可避だったにしても
修羅の翼に書いてことだし一番肝心なことが抜けている。特攻の目的のくだり。
危機迫る戦局の中での決意とはいえ、大事なお生命を捧げる作戦ではない、別な選択はなかったのでしょうか。潔いお覚悟とはいえ、それを命令したか容認した司令部を否定します。こんな愛国心に満ちた優秀な方々だからこそ、生きていただきたかったです。
今回の戦争では陸軍と海軍の向かう方向が違うのです。これでは勝てないです。ただ、戦争を巻き散らかしただけです。
"戦争を巻き散らかした"確かに!と頷いてしまいました。
特攻隊は失敗だったと思います特に少尉以上のベテランを特攻で失ったことは大きいこの悲惨な戦争を繰り返さない様二度と戦争はしてはならない
特務少尉は下士官上がりの少尉で、海軍兵学校出身の少尉、学徒出陣の予備士官の少尉とは異なり、特務少尉は古参の熟練搭乗員です。特務少尉の出身は専ら海兵団から選抜された操縦練習生と初期の乙種予科練生です。特務少尉になるまで生き残った下士官搭乗員は、極小数で技量抜群のため特務少尉で撃墜された搭乗員はあまりいないかも知れませんね。南義美少尉ぐらいでしょうか。
フィリピン戦の頃は、零戦の整備が出来る整備員にも事欠いたのがよく分かります。兵学校出の若い中尉では、階級以外は叩き上げの特務士官に敵わないだけでなく、若い下士官搭乗員の人心掌握さえ手に負えなかったのも、不条理さを感じざるを得ません。総特攻と掛け声だけは勇ましく、実際には基地ごと、部隊ごと、散発的な攻撃しか出来ていません。戦争に骨の髄まで懲りて空自創設時の勧誘を悉く断りながら、晩年を汚してしまったのか。人生は難しい。
晩年を汚した、とは思えませんが・・・。
角田和男少尉(最終階級中尉)は確かに戦後航空自衛隊に誘いを受けていますが、戦後生き残った熟練搭乗員で同じ誘いを辞退された方は少なくありません。角田少尉は余りにも長く航空特攻に限らず多数の戦闘を行い、多くの搭乗員を目の前で散るのを見送った。戦後は専ら戦地を巡り慰霊を行っています。心ある分隊士です。
角田さんの立場で、戦後に特攻に送り出した方々の実家を訪ねあるいて、最後の様子を伝えたり謝罪して歩いた方々がいらっしゃいましたが、その方々と同じと思いますし中々出来ない事ですよ.
特攻隊の大切な話を遺すことは、非常に大事なことです。
ありがとうございます。
角田和男 少尉の事は今日まで知りませんでしたよ、勉強になりました。
ありがとうございます。
有難いコメント、感謝です!
沢山の特攻話を聞いてきましたが、すごくよかったです。
簡潔でわかりやすく1人の人物を追っていき、苦労も涙も勇気も伝わってきました。
なくなられた特攻隊の方々に合唱🙏
嬉しいコメント!ありがとうございます。
先人とご視聴してくださった皆様に、感謝して動画を作っていきます。
大西さんが特攻の生みの親と言うのは?ただ最後に介錯なしで切腹したのは立派だった思います。責任をとらずに戦後のうのうと生きた高級将校の多い事よ
幸運というか、まるで見えない手で誘われる様に生き抜いた角田少尉の心境は如何ばかりか…。
こういうのを見ると、運命ってこういう事なんだろうかと考えてしまう。
動画の最初の場面は当時ニュウス映画でみた最初の特攻隊の敷島隊と指揮官の関行男大尉です。戦果の空母撃沈破は見事でしたが、正式空母でなく貨物船改造の護送空母の誤認で後に大きな悲劇となり、特攻機で撃沈は巡洋艦以上皆無でした。
メディアやSNS等で特攻に対して一方的な発信が多いので、個人的には、この動画をおススメしています。ありのままの彼らの思いや公的な資料に基づく情報が令和の現代に伝わって欲しいと思いました。
先人達のおかげで、今の日本🇯🇵があることを忘れてはいけませんね。
素晴らしい動画、ありがとうございました。
このような動画を地上波TVで放映される日本🇯🇵にするのが、我々の恩返しだと思います。
お褒めの言葉ありがとうございます!
先人が守ってくださった日本を大切にしたいです。
特攻隊員の直前の様子を知ることができ貴重でした。18年でやめないといけなかった戦争ですが止められない戦争の怖さを思います。
コメントありがとうございます!確かに18年で...
もうそろそろ…というかいい加減、特攻隊員達は「熱望してまで行った」よりも、このような本当の話を紡いでいきたいですね
こちらのチャンネルの動画がいつの日か全国の小学校で道徳の授業に流れる、そんな真に強く正しい日本を心から望む。
中学校と高校も希望!
この話は小学校の教科書に載せるべきだと思います。
中学校と高校も希望!
ラエで鹵獲された零戦32型は角田少尉の乗機です。
>被弾し、ラエでは修理不能と判断し遺棄され進駐した米軍に鹵獲。
動画でも見れますので検索して下さい。
角田氏は終戦まで最前線を飛び、台湾で終戦を迎え多くの隊員を見送りました。
戦後は茨城で農地開拓で一生を終え戦闘機に乗る事は無かったのですが、
米軍を最後まで憎んでいたそうです。傑作「修羅の翼」は必読ですよ。
岩本徹三と西澤廣芳の対談が読めるのは本書のみです。
23歳の若き隊長の立派なことよ、今の23歳とは大違いだと思う。昔の日本人は
本当に凄いと思う散華された英霊に敬礼。
教育や文化、社会情勢諸々、違い過ぎて単純に比較するのは今の子には気の毒よ
若いかったら私も希望したでしょう。還暦過ぎるとむづかしいです。
upありがとうございます。角田少尉の本を読みました。尾辻中尉のお顔は観音様のようであったそうですね。いや、観音様よりも慈愛に富んだお顔だったとのことです。当時、不思議なことですが、海軍の組織運営として、どこかの基地に着陸した機と搭乗員は、原隊が違ってもそこの基地の隊に所属するという規則が出来たそうです。それで角田少尉も突然、特攻隊の直掩機を命じられたそうです。大東亜戦争を戦い抜き、戦後も零戦搭乗員会などの活動をされていました。私の母方の叔父も特攻隊員で沖縄伊江島上空にて戦死しています。終戦まで2ヶ月もなかった時でした。もう一人の叔父は昭和17年12月、ガダルカナル島飛行場付近の戦闘中負傷し、1000キロほど離れたラバウルの兵站病院で亡くなっています。亡き母の介護中、連日睡眠時間が4時間くらいでフラフラしていたある夜、二人の叔父に「康一朗君、頼むよ!」と激励の言葉をいただきました。急に元気が出て来ました。合掌。
コメントありがとうございます。お母様はご兄弟をお二人も...
叔父様達は見守って下さっていたのですね。
50歳過ぎの将である大西は20歳そこそこの部下に死んでこいと身内からも批難がある作戦をどんな気持ちで伝えたのかな
大西瀧治郎さんと言えば昭和19年10月25日の神風特別攻撃隊の敷島隊の発案者ですよね、その時に搭乗機を特攻隊に提供され直掩の役割をした西沢広義さんはその翌日に零戦受領に向かう時に輸送機搭乗中に撃墜され戦死されましたよ。
日本人の命は消耗品
今も変わっていない。。
生まれる時代が違えば…逝っても良い人が逝けなくて 生を望む者が逝く皮肉(;_;)
特攻作戦を推進実行したという点でだけでも
戦争の指導者(事実上、国の指導者)は
もれなく厳しい断罪を受けるべきだと僕は思う。
戦争は不可避だったにしても
修羅の翼に書いてことだし一番肝心なことが抜けている。
特攻の目的のくだり。
危機迫る戦局の中での決意とはいえ、大事なお生命を捧げる作戦ではない、別な選択はなかったのでしょうか。
潔いお覚悟とはいえ、それを命令したか容認した司令部を否定します。
こんな愛国心に満ちた優秀な方々だからこそ、生きていただきたかったです。
今回の戦争では陸軍と海軍の向かう方向が違うのです。これでは勝てないです。ただ、戦争を巻き散らかしただけです。
"戦争を巻き散らかした"
確かに!と頷いてしまいました。
特攻隊は失敗だったと思います
特に少尉以上のベテランを特攻で失ったことは大きい
この悲惨な戦争を繰り返さない様二度と戦争はしてはならない
特務少尉は下士官上がりの少尉で、海軍兵学校出身の少尉、学徒出陣の予備士官の少尉とは異なり、特務少尉は古参の熟練搭乗員です。
特務少尉の出身は専ら海兵団から選抜された操縦練習生と初期の乙種予科練生です。
特務少尉になるまで生き残った下士官搭乗員は、極小数で技量抜群のため特務少尉で撃墜された搭乗員はあまりいないかも知れませんね。
南義美少尉ぐらいでしょうか。
フィリピン戦の頃は、零戦の整備が出来る整備員にも事欠いたのがよく分かります。
兵学校出の若い中尉では、階級以外は叩き上げの特務士官に敵わないだけでなく、若い下士官搭乗員の人心掌握さえ手に負えなかったのも、不条理さを感じざるを得ません。
総特攻と掛け声だけは勇ましく、実際には基地ごと、部隊ごと、散発的な攻撃しか出来ていません。
戦争に骨の髄まで懲りて空自創設時の勧誘を悉く断りながら、晩年を汚してしまったのか。人生は難しい。
晩年を汚した、とは思えませんが・・・。
角田和男少尉(最終階級中尉)は確かに戦後航空自衛隊に誘いを受けていますが、戦後生き残った熟練搭乗員で同じ誘いを辞退された方は少なくありません。角田少尉は余りにも長く航空特攻に限らず多数の戦闘を行い、多くの搭乗員を目の前で散るのを見送った。戦後は専ら戦地を巡り慰霊を行っています。
心ある分隊士です。
角田さんの立場で、戦後に特攻に送り出した方々の実家を訪ねあるいて、最後の様子を伝えたり
謝罪して歩いた方々がいらっしゃいましたが、その方々と同じと思いますし中々出来ない事ですよ.