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Part3出ましたua-cam.com/video/mI3iLoZNzes/v-deo.html
1990年は名鉄を最も&唯一利用していた時期なので、何の違和感もなく「これが普通だ」と思っていた。感覚というものは恐ろしいw
仕方無い、だって名鉄だもん(笑)
名鉄がいちばんカオスだった頃を知りたい
まだ乗換案内とかパソコン、携帯が普及していない時代に、よくこんなことができましたね。名鉄の運転士さんも誤通過しなかったのも凄いです
客もプロ、乗務員もプロですね。
最後の三河線直通特急について。昭和50年代から平成3年頃まで季節運転で運行されていました。使用車両は7700系4両固定編成が連結した8両編成で、知立で分割してそれぞれ4両で碧南、西中金(猿投)に向かいました。当時7700系の2両固定編成4本は特急専用アコモ、中間車が抜き取られていなかった4両固定編成4本の内装は特急専用改造前のノーマル仕様でした。白帯車ではないノーマルなパノラマカーとほぼ同じ内装とイメージしていただければよいかと。クロスシートは、特急仕様の一人づつ独立したヘッドレストではありませんでしたが、クロスシートの背もたれの頭には二人分まとめた1枚の白いカバーがかぶせられていました。元々のカバーなので、交換はしていませんでした。休日の部活動を終えた下校時の知立駅で、名古屋方面から来た碧南西中金(猿投)行きが分割、各駅停車になるのを度々見ていました。
なるほど...!詳しくありがとうございました!
日本モンキーパークへのホリデー特急で帰りは三河線ローカルです。当時毎時3本しか無い三河線で一般客を締め出したくない事のあらわれです。
1994年(平成6年)頃、土祝休日限定の猿投~新鵜沼7000系白帯全車指定席特急(猿投~豊田市は普通)に、豊田市から乗りました三河線内は、上挙母 土橋が標準停車駅でしたが単線故に行き違い運転停車が多く、本気で通過したのは竹村だけでした逆の猿投行き特急は知立から普通になりました
迷鉄沼にハマりに行く予定なので迷鉄沿線の方お手柔らかにお願い申し上げます
1990年に富士松止まってるの知らんかったw「急行」いま普通が4本しかない 種別変更とかだと佐屋駅から吉良吉田行きがおすすめかな
急行新一宮行きが、同じ急行新一宮行きに抜かれるとは…しかも同じ急行に2本も抜かれてる…。暴動起きなかったのかな?
新清洲で同じ急行に2本抜きされる急行、初見の人が乗ってたら暴れたでしょうね…。
1980年頃、夏は知多方面(知多新線内海開業後)への海水浴輸送、正月は主に豊川稲荷への初詣輸送に、その幹線に毎時2、3本臨時特急(7000系で、当時は白帯仕様も無し)が設定されましたが、それも乗降客と満席状態を考慮して、前者は神宮前〜富貴はノンストップ、後者は豊川稲荷行きは神宮前〜国府はノンストップ、帰りは豊川稲荷〜東岡崎がノンストップという列車がありました。これの列車新名古屋駅とそれ以西の容量から、新名古屋発着の列車を振り替えたり、延長(津島:お千代保稲荷、新鵜沼:犬山成田山)設定されていました。前者は当時地上駅だった太田川駅が河和線直通の為、ポイントがそちら方へ高速対応になっていたとの事です。
5:42 球場前にも止まったのですね驚
285レの知立通過は新安城までで満員(蒲郡をDXの3両で出発 西尾で3両増結して6連 でも足りない)になったので定員オーバーを防ぐ為です
おっしゃる通り知立の通過の理由はそれです。当時はDXは別料金形態だったので、7000系列が使用されていたと思います
@@Dekoponas_ ですね。パパマルが使用されるようになったのはDX特急が種別廃止になった後から。当時は7700の2両+7000の4両でな の組成だったかと
@@kintamaittaka その時代、夕方は蒲郡行特急が1本知立通過がありました。理由は同じですが、こちらは4両編成。
@@Dekoponas_ あと、朝、豊橋→名古屋にキハ8000系「北アルプス」の間合い運用の特急がありましたが、これも満席の為、知立通過でした。
正月期運用の休日午前に新名古屋を発車する稲荷特急が知立と東岡崎を通過していたのも、多数の列車が神宮前発車時点で満席になっていたからです。平日は知立・東岡崎も停車していました。
この頃通勤で利用してたけど、その範囲内でも何これ?な事が色々あった。大江で後2両を切り離して、前は急行、後は普通、急行が大同町に停車するのを普通が追いかける。普通がしばらく走ると「バシューン」と音がして急停車。はい皆さん分かりますよね?ATSが作動しました、そんな事が何度も。帰りに乗ったのがパノラマカーの普通で大江を出て高架を走ってると「あれ?今日は何か速くない?」と思うとオーバーランしてバックした。
なんでもありですね...
393レは、今あれば乗って見たかった特急です。前に普通がつかえていたのとパノラマスーパー使っていましたが、以前は気動車(北アルプス)を使っていた時期があります。ちなみに折り返しは須ヶ口に止まっていました。ちなみにナゴヤ球場前は通過のはずです。
そうだったんですね〜キハ8000を使っていたのは驚きです。ナゴヤ球場前はミスです...
393レは90/10/29のダイヤ改正前は7713Fを使っていました。何故か毎回特定の車両がやってくるという運用でした。自分は夕方のラッシュで座席に座りたいときに310円を払い乗車していました。(神宮前から)ちなみに須ヶ口では運転停車をして、ホームの出発ブザーが吹鳴の後、車掌が電鈴を鳴らし発車していました。
特急しおさいに乗った時に成東から普通になったのに驚愕したのを思い出したw
南成岩駅は現在青山駅に、名称変更されてます。1990年頃に行っていた、上ゲ駅の急行特別停車は、現在廃止されてます。布土駅は利用客減少のため、2006年に廃止されました。ほとんどの普通が、通過していた椋岡駅も、利用客減少のため、2005年に廃止されました。
825B 上ゲと布土特別停車かあ 今でいう河和線7時台の知多半田から快急パターンと同じやな 今は聚楽園止まるけど名和・柴田・大同町・大江・道徳特別停車かあ ・・・ってはあ!?高架化前の太田川(今は聚楽園)で名古屋方面の普通列車と接続してるけど、当時はそういうのなかったんでしょうねあのへん高校とか大学もちらほらあるし、何より臨海で工業・会社の密集地帯だから、通勤・通学のために5駅連続停車なんてしてたんでしょうね
もっとぶっ飛ばす運用をたくさん作って欲しいなあ。例えば名鉄岐阜発豊橋駅の特急で途中停車駅を名鉄一宮、名鉄名古屋、金山、神宮前、知立、豊橋だけとか。そのかわり全車特別車にして。
昔はそういう感じのがあったんですけど、なくなってしまいましたねぇ...
1992年から1999年まで、知立特別通過の一部特別車特急がありました新岐阜 新一宮 新名古屋 金山 神宮前 東岡崎 豊橋
まだこの時代ナゴヤ球場前は日中普通電車も通過していた頃かな?ちなみに新名古屋の立ち食いきしめん屋もまだ現役でしたね、懐かしい。
ナゴヤ球場前(山王)通過の普通列車は常滑線系統でした。
岩倉通過の特急、確か平日の8時台に2本ありましたね。 8両編成で全車指定席車、江南までで満席状態になるため、岩倉に停めても意味が無かったからと聞いたことがあります。 (太田川を特別通過の特急も、もしかしたら同じような理由なのかもしれません)
仰る通りそのような理由になります。当時は利用者が現在よりもとても多かったため、朝の特別通過は多かったですね。
今でいう準急→特急?1990年高速準急廃止してもメチャクチャ多いな面白い
そういう感じですね
津島線特急は〜現存していますか?
平日下りに数本設定されているようです。
393レは、8500系「北アルプス」の間合い運用?
昭和の時代だと8000系が使用された時期もありましたが、8500系は使用されたことはありません。8500系は高山から名古屋に帰ってくるのが20時頃の為、19時台に津島に向かう特急は7700系から1000系(パノラマスーパー)でした。
1990年頃は、急行が特別停車していた、大江駅は現在急行の標準停車駅に、格上げされてます。道徳駅・柴田駅・名和駅の急行特別停車は、現在廃止されてます。大同町駅の急行特別停車は、早朝の下り1本だけになりました。上り急行は、全て通過します。
東室蘭から室蘭までのアレか。
そうですね
新鵜沼〜猿投特急は7000か7700の白帯車でしょうが、白帯車の場合は普通だろうが、急行だろうが、運用種別に関係なく布製の枕カバーなので、リネン類は特に変わらないかと。
情報ありがとうございます。やはりリネンはないのでしょうね
名古屋、金山、神宮前のいずれかを通過するような列車はさすがになかったがもしあったら・・・
652E列車(新岐阜527-717常滑、太田川から急行&大野町から普通。つまり長浦と日長しか通過しない)601E列車(常滑550-719新岐阜、太田川から急行&神宮前から特急、大同町・大江停車。驚異の二階級昇進)も入れてください
一つ目は入れようとしてたけど、時間と構成の関係で入れられませんでした。二つ目は単に知りませんでした。また追加で動画を作ろうと思ってるので、その時に入れますね
知立と太田川はオカシイですね!自分も長年使ってますが知多半田までの普通はオカシイくらい待たされます。本数多すぎて待ち過ぎなんですよねーやっぱりカオスで誇らしいw
名鉄→迷鉄→冥鉄ですね〜
いつも思うけど停車駅紹介の時の曲なんなんだ・・・
やはり名鉄は、ムカシカラカオスだった😅💦
さすがキングオブカオスの謎鉄だ😅💦
新岐阜~東岡崎まで全区間準急だった列車は急行なのに10駅特別停車するというギャグ列車に生まれ変わる
津島行き特急は昭和の時代にキハ8000使ってた列車かな?流石にナゴヤ球場前停車は聞いたこと無いけど手違い?
普通に間違えてました....
どうせなら静岡、熱海、東京、成田空港まで相互直通運転してもいいんじゃねぇ?まあ、あり得ないけど妄想の範囲で。
新那加という漢字が間違っています
あれナゴヤ球場前.富士松?編集ミスかな?
概要欄をご覧下さい
KTRは毎日特急車両を使って、快速から特急はしだて号へと種別変更します。
そうなんですね。
此の時代だったんだね!確か、名鉄は、岐阜すら、手放したんだったね!もう、私鉄界の魔窟を、体験我慢してたなあ!!
津島の発音(イントネーション)が対馬になっていて唖然( ; ゜Д゜)残念( ´△`)
ゆっくりの仕様なのでご勘弁を...
わけがわからないよ
737レは二ツ杁と国府宮でも待避なので急行なのに3駅4本に抜かれる意味不明急行になっちゃってます
やはり三河線はどうでもいいんですね。。。海線山線共に特に何もないので紹介すらされないですよね。。。でも1990年代は三河線が本線に直通していたという話を聞いたことがあります。その調査を依頼したいです。
柚紀さん三河線沿線は、ト×タの勢力が強く、マイカー保有率が高いから、名鉄もほったらかしにしているんでしょうね😵😩😣😖😔😞
小川孝弘 海線も山線もトxタ系列の工場ばかりですもんね。そりゃ名鉄も放置しますよね。。。むかしは特急走ってたって聞いたんですけどねぇ、やっぱりそんなに目立ちませよね。。
三河線には2000年代でも直通列車が存在していました。西尾線には急行がありますが、そのせいで小駅が2本/hになっちゃうんですよね。その点まだ三河線は末端覗くすべての駅でで4本/h停車するのでいいのかもしれません。
三河線(と瀬戸線)は最も名鉄化に抵抗したからじゃね?
Part3出ました
ua-cam.com/video/mI3iLoZNzes/v-deo.html
1990年は名鉄を最も&唯一利用していた時期なので、何の違和感もなく「これが普通だ」と思っていた。
感覚というものは恐ろしいw
仕方無い、だって名鉄だもん(笑)
名鉄がいちばんカオスだった頃を知りたい
まだ乗換案内とかパソコン、携帯が普及していない時代に、よくこんなことができましたね。名鉄の運転士さんも誤通過しなかったのも凄いです
客もプロ、乗務員もプロですね。
最後の三河線直通特急について。昭和50年代から平成3年頃まで季節運転で運行されていました。使用車両は7700系4両固定編成が連結した8両編成で、知立で分割してそれぞれ4両で碧南、西中金(猿投)に向かいました。当時7700系の2両固定編成4本は特急専用アコモ、中間車が抜き取られていなかった4両固定編成4本の内装は特急専用改造前のノーマル仕様でした。白帯車ではないノーマルなパノラマカーとほぼ同じ内装とイメージしていただければよいかと。クロスシートは、特急仕様の一人づつ独立したヘッドレストではありませんでしたが、クロスシートの背もたれの頭には二人分まとめた1枚の白いカバーがかぶせられていました。元々のカバーなので、交換はしていませんでした。休日の部活動を終えた下校時の知立駅で、名古屋方面から来た碧南西中金(猿投)行きが分割、各駅停車になるのを度々見ていました。
なるほど...!詳しくありがとうございました!
日本モンキーパークへのホリデー特急で帰りは三河線ローカルです。当時毎時3本しか無い三河線で一般客を締め出したくない事のあらわれです。
1994年(平成6年)頃、土祝休日限定の猿投~新鵜沼7000系白帯全車指定席特急(猿投~豊田市は普通)に、豊田市から乗りました
三河線内は、上挙母 土橋が標準停車駅でしたが単線故に行き違い運転停車が多く、本気で通過したのは竹村だけでした
逆の猿投行き特急は知立から普通になりました
迷鉄沼にハマりに行く予定なので迷鉄沿線の方お手柔らかにお願い申し上げます
1990年に富士松止まってるの知らんかったw「急行」いま普通が4本しかない
種別変更とかだと佐屋駅から吉良吉田行きがおすすめかな
急行新一宮行きが、同じ急行新一宮行きに抜かれるとは…しかも同じ急行に2本も抜かれてる…。
暴動起きなかったのかな?
新清洲で同じ急行に2本抜きされる急行、初見の人が乗ってたら暴れたでしょうね…。
1980年頃、夏は知多方面(知多新線内海開業後)への海水浴輸送、正月は主に豊川稲荷への初詣輸送に、その幹線に毎時2、3本臨時特急(7000系で、当時は白帯仕様も無し)が設定されましたが、それも乗降客と満席状態を考慮して、前者は神宮前〜富貴はノンストップ、後者は豊川稲荷行きは神宮前〜国府はノンストップ、帰りは豊川稲荷〜東岡崎がノンストップという列車がありました。これの列車新名古屋駅とそれ以西の容量から、新名古屋発着の列車を振り替えたり、延長(津島:お千代保稲荷、新鵜沼:犬山成田山)設定されていました。前者は当時地上駅だった太田川駅が河和線直通の為、ポイントがそちら方へ高速対応になっていたとの事です。
5:42 球場前にも止まったのですね驚
285レの知立通過は新安城までで満員(蒲郡をDXの3両で出発 西尾で3両増結して6連 でも足りない)になったので定員オーバーを防ぐ為です
おっしゃる通り知立の通過の理由はそれです。
当時はDXは別料金形態だったので、7000系列が使用されていたと思います
@@Dekoponas_
ですね。
パパマルが使用されるようになったのはDX特急が種別廃止になった後から。
当時は7700の2両+7000の4両でな の組成だったかと
@@kintamaittaka その時代、夕方は蒲郡行特急が1本知立通過がありました。理由は同じですが、こちらは4両編成。
@@Dekoponas_ あと、朝、豊橋→名古屋にキハ8000系「北アルプス」の間合い運用の特急がありましたが、これも満席の為、知立通過でした。
正月期運用の休日午前に新名古屋を発車する稲荷特急が知立と東岡崎を通過していたのも、多数の列車が神宮前発車時点で満席になっていたからです。
平日は知立・東岡崎も停車していました。
この頃通勤で利用してたけど、その範囲内でも何これ?な事が色々あった。
大江で後2両を切り離して、前は急行、後は普通、急行が大同町に停車するのを普通が追いかける。
普通がしばらく走ると「バシューン」と音がして急停車。はい皆さん分かりますよね?ATSが作動しました、そんな事が何度も。
帰りに乗ったのがパノラマカーの普通で大江を出て高架を走ってると「あれ?今日は何か速くない?」と思うとオーバーランしてバックした。
なんでもありですね...
393レは、今あれば乗って見たかった特急です。前に普通がつかえていたのとパノラマスーパー使っていましたが、以前は気動車(北アルプス)を使っていた時期があります。
ちなみに折り返しは須ヶ口に止まっていました。
ちなみにナゴヤ球場前は通過のはずです。
そうだったんですね〜
キハ8000を使っていたのは驚きです。
ナゴヤ球場前はミスです...
393レは90/10/29のダイヤ改正前は7713Fを使っていました。
何故か毎回特定の車両がやってくるという運用でした。
自分は夕方のラッシュで座席に座りたいときに310円を払い乗車していました。(神宮前から)
ちなみに須ヶ口では運転停車をして、ホームの出発ブザーが吹鳴の後、車掌が電鈴を鳴らし発車していました。
特急しおさいに乗った時に成東から普通になったのに驚愕したのを思い出したw
南成岩駅は現在青山駅に、名称変更されてます。1990年頃に行っていた、
上ゲ駅の急行特別停車は、現在廃止されてます。布土駅は利用客減少のため、2006年に廃止されました。ほとんどの普通が、通過していた椋岡駅も、
利用客減少のため、2005年に廃止されました。
825B
上ゲと布土特別停車かあ 今でいう河和線7時台の知多半田から快急パターンと同じやな 今は聚楽園止まるけど
名和・柴田・大同町・大江・道徳特別停車かあ ・・・ってはあ!?
高架化前の太田川(今は聚楽園)で名古屋方面の普通列車と接続してるけど、当時はそういうのなかったんでしょうね
あのへん高校とか大学もちらほらあるし、何より臨海で工業・会社の密集地帯だから、通勤・通学のために5駅連続停車なんてしてたんでしょうね
もっとぶっ飛ばす運用をたくさん作って欲しいなあ。例えば名鉄岐阜発豊橋駅の特急で途中停車駅を名鉄一宮、名鉄名古屋、金山、神宮前、知立、豊橋だけとか。そのかわり全車特別車にして。
昔はそういう感じのがあったんですけど、なくなってしまいましたねぇ...
1992年から1999年まで、知立特別通過の一部特別車特急がありました
新岐阜 新一宮 新名古屋 金山 神宮前 東岡崎 豊橋
まだこの時代ナゴヤ球場前は日中普通電車も通過していた頃かな?
ちなみに新名古屋の立ち食いきしめん屋もまだ現役でしたね、懐かしい。
ナゴヤ球場前(山王)通過の普通列車は常滑線系統でした。
岩倉通過の特急、確か平日の8時台に2本ありましたね。
8両編成で全車指定席車、江南までで満席状態になるため、
岩倉に停めても意味が無かったからと聞いたことがあります。
(太田川を特別通過の特急も、もしかしたら同じような理由なのかもしれません)
仰る通りそのような理由になります。当時は利用者が現在よりもとても多かったため、朝の特別通過は多かったですね。
今でいう準急→特急?1990年高速準急廃止してもメチャクチャ多いな
面白い
そういう感じですね
津島線特急は〜現存していますか?
平日下りに数本設定されているようです。
393レは、8500系「北アルプス」の間合い運用?
昭和の時代だと8000系が使用された時期もありましたが、8500系は使用されたことはありません。
8500系は高山から名古屋に帰ってくるのが20時頃の為、19時台に津島に向かう特急は7700系から1000系(パノラマスーパー)
でした。
1990年頃は、急行が特別停車していた、大江駅は現在急行の標準停車駅に、
格上げされてます。道徳駅・柴田駅・名和駅の急行特別停車は、現在廃止
されてます。大同町駅の急行特別停車は、早朝の下り1本だけになりました。
上り急行は、全て通過します。
東室蘭から室蘭までのアレか。
そうですね
新鵜沼〜猿投特急は7000か7700の白帯車でしょうが、白帯車の場合は普通だろうが、急行だろうが、運用種別に関係なく布製の枕カバーなので、リネン類は特に変わらないかと。
情報ありがとうございます。
やはりリネンはないのでしょうね
名古屋、金山、神宮前のいずれかを通過するような列車はさすがになかったがもしあったら・・・
652E列車(新岐阜527-717常滑、太田川から急行&大野町から普通。つまり長浦と日長しか通過しない)
601E列車(常滑550-719新岐阜、太田川から急行&神宮前から特急、大同町・大江停車。驚異の二階級昇進)
も入れてください
一つ目は入れようとしてたけど、時間と構成の関係で入れられませんでした。
二つ目は単に知りませんでした。
また追加で動画を作ろうと思ってるので、その時に入れますね
知立と太田川はオカシイですね!
自分も長年使ってますが知多半田までの普通はオカシイくらい待たされます。
本数多すぎて待ち過ぎなんですよねー
やっぱりカオスで誇らしいw
名鉄→迷鉄→冥鉄ですね〜
いつも思うけど停車駅紹介の時の曲なんなんだ・・・
やはり名鉄は、ムカシカラカオスだった😅💦
さすがキングオブカオスの謎鉄だ😅💦
新岐阜~東岡崎まで全区間準急だった列車は急行なのに10駅特別停車するというギャグ列車に生まれ変わる
津島行き特急は昭和の時代にキハ8000使ってた列車かな?
流石にナゴヤ球場前停車は聞いたこと無いけど手違い?
普通に間違えてました....
どうせなら静岡、熱海、東京、成田空港まで相互直通運転してもいいんじゃねぇ?
まあ、あり得ないけど妄想の範囲で。
新那加という漢字が間違っています
あれナゴヤ球場前.富士松?編集ミスかな?
概要欄をご覧下さい
KTRは毎日特急車両を使って、快速から特急はしだて号へと種別変更します。
そうなんですね。
此の時代だったんだね!
確か、名鉄は、岐阜すら、手放したんだったね!
もう、私鉄界の魔窟を、
体験我慢してたなあ!!
津島の発音(イントネーション)が対馬になっていて唖然( ; ゜Д゜)残念( ´△`)
ゆっくりの仕様なのでご勘弁を...
わけがわからないよ
737レは二ツ杁と国府宮でも待避なので急行なのに3駅4本に抜かれる意味不明急行になっちゃってます
やはり三河線はどうでもいいんですね。。。海線山線共に特に何もないので紹介すらされないですよね。。。でも1990年代は三河線が本線に直通していたという話を聞いたことがあります。その調査を依頼したいです。
柚紀さん
三河線沿線は、ト×タの勢力が強く、マイカー保有率が高いから、名鉄もほったらかしにしているんでしょうね😵😩😣😖😔😞
小川孝弘 海線も山線もトxタ系列の工場ばかりですもんね。そりゃ名鉄も放置しますよね。。。むかしは特急走ってたって聞いたんですけどねぇ、やっぱりそんなに目立ちませよね。。
三河線には2000年代でも直通列車が存在していました。
西尾線には急行がありますが、そのせいで小駅が2本/hになっちゃうんですよね。その点まだ三河線は末端覗くすべての駅でで4本/h停車するのでいいのかもしれません。
三河線(と瀬戸線)は最も名鉄化に抵抗したからじゃね?