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父が大型トラック運転手でした。当時は高収入で、家族の為に、こんな危険な道を走っていたんだと思うと、改めて感謝とまた、偉大な父親だったなと思い返します。60歳で他界しましたが、いつも優しい穏やかな父でした。
お父様が安らかで在られます様に😌
運転する側になってからは車酔いしなくなったけど、これだけ揺れると疲労感凄そうですよね。
当時は、エアコンもパワステも贅沢品だったそうですね。お父さん、強い方だったのですね。家族愛ですかね?
これぞ本当のドライビングテクニックですね
昭和50年代半ばまで、僕が住む県西部・幡多地域にもこんな道はあちこちにありました。僕の家から車で10分くらいのところにある国道321号は今でこそオーシャンヴューが楽しめますが、以前はこれまた絶壁。同じ絶壁でも、下は数十メートル下に太平洋がありました。落ちたら一巻の終わり。でも、バスやトラックが落ちて事故を起こしたという話は聞いたことがありませんでした。ちなみに、小学校時代に、地元の高知県交通(現・とさでん交通)の運転手に「おんちゃん、怖ない?」と聞くと、「いや、慣れた道やからかえって走りやすいぞ。ちまちました街の道よりこっちの方がええ」と悠々たるもの。他方、瀬戸内方面や県外から来た観光バスは、車掌が降りて笛を吹きながらの誘導。運転手はまさに汗をかき顔面蒼白になって走っていたようです。
親戚の実家がまさに四国山地、ど真ん中のど秘境。よく80歳の親戚のばあちゃんから聞くのは、「〇〇集落には昔旅館も居酒屋もあった」「若い人も子供もいっぱいいた」「もう今は老人しかいないし何もない」。
交通の便が良くなると、ストロー効果で若い人が都会に流出しちゃう…
今はどんな田舎にでもちゃんと道がある先人に感謝しかないありがとう
頑張って維持してかなきゃな
時々バスがて転落したよな😱
重ステのバスやトラック。Wクラッチ!極狭路この時代の職業ドライバーには本当に関心します。
岡本真夜のファンになり高知へ移住して高知市から本川のダムまで最高で年間80回位194号を往復したもんよ。98年から2004年位まで。また行きたいね。本川の長沢ダム。
今までテレビで南米の奥地とかの険しい山道をみて「うわ~危ないなー」って思ってたけど日本も昔は同じだったんだな~
今みるとこの時代だと道路整備にバンバンお金かけるのは決してまちがいでもないな
本当今なら、この動画みたいな場所にも、高架橋とトンネルが連続の四国の真ん中を南北に貫く高速道路とかが整備されましたし、一般道路の幹線国道とかにも、急な峠道を迂回出来るトンネルバイパスみたいのも、整備されてますからね。
更にこれから時代が進み、点字ブロックの常備された歩道も当たり前のバリアフリー化も当たり前になりゆくかと思われます。
でも今は逆に、道路も老朽化してインフラ設備が崩れつつあるね😭コンクリートから人へなどと、世迷言を間に受けてインフラ軽視・破壊したアホ国民の自業自得😭不断の維持が無ければ脆くも崩れ去るインフラ、作ったものが老朽化せずに未来永劫ずっと存在し続けるとでも思ったのだろうか❓😩
しかし国全体として時代が変化し少子超高齢化や人口減や経済減速の問題がでてきて高度成長時代に採算合わない地域にまで親切にインフラ完備したツケがきてしまった全国の過疎地の長年の人口減に経済や財政停滞で無駄になってる膨大なインフラを削っていかなくては存続できなくなる人がいなくなった地域や使わなくなった道路は削ってまた自然に戻して世界の過疎地の今後の見本にしよう
@@uu-be2om 少子高齢化してなければ、全国津々浦々もっと発展していた。一極集中で震災で全滅するリスクもなかった
高知市在住ですが古き良き高知を知ることが出来ました😀
パワステアリングでもないのに運転技術凄い!
動画後半に窓から眺めてるのは川又屋旅館かな?今も繁盛してるいい旅館
高知県民です。地元から愛媛県の西条市へ向かう際に、国道194号線をよく利用していますが、昔はこんな道だったとは思いもしませんでした。家の近くの国道439号線も、数十年前の高知国体の際に改修されたそうで、かなり運転しやすい道になっています。(ただし徳島県との県境の京柱峠付近などは酷道のままですが)
寒風山トンネルの開通でかなり改善されましたね。あの県境を超えるのに相当に苦労しました。
サングレイトが動いてるところを初めて見ました…貴重な映像ですねえ。
サングレイトが渋すぎる。運転手をしていた義父もこんな道を通って仕事をして家族を養っていたのかと思うと胸が熱くなる
40代の高知県民です幼い頃は川沿いにガードレールすらなかったですよね金谷川
昭和のまだ今見たいに道路も舗装がされてない頃に九州からフェリーに乗ってた八幡浜につき高知に行くには険しい峠の道を走っていったものです、道路は断崖絶壁のような所をトラックが下に落ちやしないかどきどきしながら走ったものでした、今から考えるとほんとに懐かしくおもいますね、
国道194号も今は総て2車線化してます❗動画にあった場所は今は旧道❗
6時間かけたこの山道も、今では高速道路で1時間弱で通過できます。
技術って凄いよね…
難所どころか、一歩ハンドル切り間違えたら全員真っ逆さま恐ろしい
丸見えとかアンビリで見る奴が日本にもあったんだなって思ったよ。
お出かけも命懸け⁉️今では考えられませんね。
いくら運転が良くても路肩が崩れそうで怖い
こういうの見ると、それぞれの市町村が栄えてたの理解できるなー
南米ペルーかよ日本もこういう時代があったんだな
まだ長岡郡 大豊町にはあるよ
_スプリントは性癖です_ 大豊はしゃーねえw
こんな恐ろしいのは大豊でももうないよ。
ボリビアのデスロードやな
ガードレール無しなら幾らでもあるで
この時代の車って重ステだろうに。すご。
あの切り返しを重ステでやってるのが泣ける
カーナビもないです
感心ですね。
@@hki4853カーナビは現代でも無くても別にいいかな。道路案内表示、道にあるんやし。
素晴らしいアーカイブだと思います。
東北出身で今年初めて四国を車で一周しましたが、山道の多さ、険しさに驚きました。香川丸亀市から高知市に向かう途中、祖谷峡・大歩危のあたりは、急な斜面に家が何軒も建っていて、他の地域では見られない絶景だと思いました。NHKで見ましたが、あの辺りは昔道路がなくて、歩いて生活していたそうです。。高知は山道に沿って流れる川の水がとても綺麗で、沈下橋などインスタ映えする景色が満載でした。四国に山のイメージがなかったのですが、それぞれの地域の景色に特徴があって、山道を走ってるだけで楽しかったです。
Genius IT boy さんGenius IT boy さん平家の落人伝説が多くありその時代からの名残なんですまた、遠国と言えば土佐で流刑の地だった歴史もあります
四国民ですそれって四国の真ん中辺りですねあそこは完全に秘境レベルですw市内から片道75キロありましたw
大歩危峡油断して大股で歩いてると危ない小歩危峡用心して小股で歩いてても危ない名前のイメージか大歩危の方が有名ですが、本当の難所は小歩危の方です^^とはいえ昔のはなしですが・・・
祖谷一昨日行きました!祖谷温泉の露天風呂はとてもオススメですが道が険しかった!
この時代はこんな細い木でも売り物になったんだから時代の流れを感じる。
昔は事故が多かった。通るの命懸けだった。と聞いていたけど、これ見て納得。今でも狭い住宅街や、崖っぷちの狭~い山道をバスや大型トラックがギリギリで通るとかあるけど、 運転手さんスゲー!ってなる。
「やれやれ、無事に通り抜けてくれました」←冷静
動画の続きが気になりまくる
パワステも、エアコンも無いのに頑張ってたんですね‼腕っぷしに脱帽です
素直にカッコ良い!
凄い運転技術力です!
木材のトラック、パワステじゃないよね??シンプルに凄いな!!
パワーが必要なステアリングですw
重そうに回してましたね。
しかもこれパワステなんてない時代だろう?凄すぎるな。
性能の悪いパワステの教習用トラックを運転した時、教官に「これ、パワステではないのですか?」と質問してしまった僕自身が恥ずかしいです。
たった2分の動画でいろいろ伝わるなぁ、記憶のどこかにありそうな風景
昔の運転さんは凄いです。うちのバス会社にも若い頃このような大型トラックで木材の運搬をしてた方がいました。その方は現在は定年で引退されてますが現役の時の運転はもの凄く上手でした。高知県の山間部の方ですが 狭い山道を切り返しなしで何百メートルもバックしたりビタビタに車体がくっつく狭い所をいとも簡単に抜けたり、、。現代の若い運転手さんには真似出来ないですね。高知県の山間部の道 今も狭い所は狭いですよ。
貴重な映像の投稿に感謝します🙏
ありがとうございます 素晴らしい映像です
ローリー運転手時代に山奥のスタンドや工事現場のタンクに輸送するときこんな道はよくありました、ないよりマシ程度のパワステ付き、勿論ミラーも動かないふそうの前ダブで小回り効かずダンプシャーシが羨ましかった。4フロントの内1本崖に落として曲がったり、ダブルタイヤの内輪でかじりついてカーブ曲がったりよくやってたなと思います。さらに古い先輩は土佐久礼にはカーブでバタ板踏んで走る所があって命がけだったと聞きました。トラックは降りたが若いころに体に運転叩き込んだからそれは良い経験だった。
軒先の屋根瓦が道路面が真新しいので、何度か擦ってトラックの荷台と接触、瓦が土埃を舞い上げて崩れたのが推察できる。神風ドライバーという言葉を思い出したよ。
木材の積み方が埼玉県川口市でよく走っている"クルドカー"みたいですなぁ。1:36
1:45 この前輪のリング、今のトラックには共締めされてないけど、当時は足掛けとして正式な装備品だったそうです。
何かにぶつけてグニャグニャのリング(足掛け)もありましたね
高知県民です。僕が小さい頃は、まだ高速道路も無くて、太平洋側(足摺岬~室戸岬)車で五時間以上かかってました💧
神業的テクニックだな
なんつー上手さだ!どんなにやっても確実にかなわねぇ!!!!!!!
この時代のトラックドライバーさんは、すれ違うのに、片輪のダブルタイヤのうちの1輪を崖に落としてたと聞きました。嘘だと思いましたが、これを見ると本当にやっていたのだろうとは思います..まさに昔のトラックドライバーさんは「職人」ですね....
すごい崖っぷち、さすが職人技です。
パワーアシストのないクルマで劣悪な条件の道を走る、これぞ「職人芸」ですね。「命を預かる」状況を本当に実感させてくれますよね。ただただ尊敬しかありません。
俺の運転だったら、何軒潰してるだろう。
バスにのればきぶんがとられるな!
あんな狭いところ、自分は無理だ。バスの運転手さん神業過ぎる。
運転下手くそ過ぎで草俺も何軒潰してたであろうか……
だんじりならこの屋根毎年やられるな。
当時の新聞をみてると引くぐらい滑落事故が多い。飲酒運転も緩かった時代だから当たり前といえば当たり前なんだけど、町肝いり事業の業者がほぼ全滅とかシャレにならないのもあった。
30年ちょっと前は田舎だと居酒屋や飲み屋に駐車場あったしね。今じゃ当たり前だし当然だけど飲酒運転は橋本大治郎が知事になってから厳しくなったんだよ。当時飲酒に厳しくなったのは橋本が酒飲めないからやって話になってたわ。
バスガイドのお姉さんも並みの男以上に肝が据わってそうで乗客の命を背負ってる表情が凛々しい!
バスガイドじゃなくて車掌だと思います。確かバスガールと呼ばれていたと記憶しています。
あげ缶…
1:35 パワステ無さそうなトラックでこの微妙なハンドルさばきはまさに職人
高知県は、明治維新より多くの偉人を輩出してるのに故郷を良くしようと思う人物居なかったのね。
そんな偉人たちは故郷のためだけに動てねえよw
地元民が鉄道敷設を陳情に行ったら「私は日本の総理大臣であって高知県の利益代表ではない」と言って断った吉田茂という男がいましてね…
彼らは故郷(土佐の高知)や家族を捨ててでも、日本を良くしようとした人たちですからね...中岡慎太郎なんて嫁や家族に何んも云わず、いつも通りに家を出て、そのまま内緒で脱藩しちゃったそうな。
昭和の人達は、逞しい。。🍀
美化しすぎ
@@happyone8875 このコメ書いたやつが三年経って未だに捻くれてる俺かっけーみたいな考え方から成長できてないか、黒歴史扱いしてるか、いずれにしても目も当てられないな
この時代の大型トラックドライバーはホンマのプロやからな。道路は未整備、車自体も快適装備は無いしカーナビも無いからね。ハンドルも重ステ、バックカメラも疲労軽減装備も無い今の職業ドライバーとは比べ物にならないね。しかし、昔は飲酒運転上等な時代やったけどね。
すっげーハンドル捌き。自分もトラック好きで運転してるからこそこれは尊敬します。
重ステ、辛そうですね。
教習所のS字とかクランクで脱輪すると「お前この道路の両脇崖だと思え、落ちたら即死だぞ」とか言われ「こんな道路あるかよ?」って内心思ってましたが、リアルにあったんですねえ。
なんなら路上講習でガードレールない池を横断しから役にたったw
だいぶ昔ね
海外(特に発展途上国の国)では稀に2車線で崖っぷちの悪路とかあります。
海外は崖っぷちも車輪はみ出しながらトラック走ってるところもあるな
国道425号線に数か所あります。
何年か前、行きは高速バス、帰りは特急列車を使って高知へ行きました。行きの高速道路は、うんざりさするぐらいのトンネルまたトンネルの連続…帰りの鉄道は、やはり山また山で、よくぞこんな所に鉄道を敷いたな…と驚くほどの険しい線形でした。それでも今は快適に山々を越えて高知まで行かれる…先人たちに感謝です。
ボンネット型に、重ステ、性能の低いブレーキ、遊びの大きいハンドル、ダブルクラッチ、電動格納無しのミラー、全てがすごいハンディ、給料倍もらわないとできない。貰ってもやりきれない。
今の倍以上の価値の給料貰ってたと思うよ。それに当時のドライバーは夜はしっかり寝ていたよ
数倍もらってたよ
今の最新のトラックも30年後には同じ様に言われてそう。
1222 Mac そんなこといってたらどんだけ能力低いんだってはなしでしょw
1222 Mac 流石にそれはねぇだろw
昔、国道の山道を抜けて集落が見えた時は、なんだかホッとした気分になってたなぁ!
昔、峠でバスが転落したと聞いた事があったけど、こういう道なら転落するのも納得する
لدينا في العراق من هذه الشاحنات ولحد الان تعمل بشكل جيد الصناعة القديمة أقوى وعمرها أطول من الشاحنات الحديثة
サングレイトに日野KB!渋いですね~
土佐の高知の四万十川の近辺に生まれた親父がよく言っていた。今は高速道が整備され、瀬戸大橋や明石大橋が繋がり本州にも気軽に行けるようになったが。昔は四国山脈に隔たれた高知県から隣県に出るだけでも大事で、峠道をグネグネ、やっと高知を出たと思ったら四国から出るにはフェリーに乗って。外国に行く気分だったとw
ちらっとみえましたけど、大昔はあのトヨタも大型車(6~8t)製造していたんですね。(僕が)幼稚園くらいのときに絵本でみた記憶がありますね。
これが国道だった時代・・・トラックの運ちゃんすげえ!
それも100番台ですよ
今も国道だよ。ただ、現在の車でも無理じゃね?ってのは何ヵ所かある(・・;)コンパクトカーや軽は問題ないけど、ワイドボディの3ナンバーは結構しんどい(・・;)
@@片岡敬吾 300番台以降ならこの手の国道は今もたくさんありますが。200番台以下だと25、152、157、193、256、265等少数です。最近までは169(奈良、和歌山)や260(三重)にも狭い区間がありましたが
@@jojiajordan5942 中々興味深い道がありますね💡無事に帰って来れるかは不安な所ですが(・・;)三重県側の道は行ってみたいですね💡暗峠も気になる所ですが、上れるのか心配です(・・;)
密集させる事で、インフラ配管のコストが下がっていいんじゃないのかな?密集してない所でポツンと家たててる人いるけど、ああいう人と同じ料金は納得できないなぁ。
今みたく片手や指でクルクルハンドル回せないだろうから大変だったろうなぁ(-_-;)今大変ながらも上手く回ってるのは昔の人が頑張って次世代へと繋いでくれたからだねー!
今は無きTOYOTA 8tトラックがいた。懐かしい😍
トヨタ8tトラックってフロントガラスが左右2分割のヤツですか?
先日、旧吾北村日比原地区を通って動画に収めてきました道幅は同じ感じで橋の先の曲がり角も存在しており当時の苦労が垣間見れました
これは貴重な映像だ
サングレイトとボンネットトラックが現役時代の頃は貴重な映像ですね!😆👍
昭和30年代、高知ー松山間の旅客機が飛んでたそうな両親が新婚旅行で乗った
この時代のバスの形めっちゃ好き。
これ対向車来たらどうすんだろう・・・ あの断崖絶壁を鬼バックとか死んでしまう
多分似たような道があった昭和の香川と徳島の県境の話にはなりますが、トラックはすり抜けれる範囲の道なら、片輪のダブルタイヤの内の1輪を崖に落としてすれ違うと言う話を父から聞きましたね...すれ違えなければ、おっしゃる通り鬼バックと言う事になると思います。
貴重な映像ですね。アフリカや山岳地帯のアジアのような、運転手の腕一本に人の命や事故回避がかかっている時代が日本にもあったということ。この時代と今の日本を比べてどちらが幸せだといえるのだろうか。
道も酷かったけど、昔のクルマは登り坂でオーバーヒート、下りではブレーキのフェードも心配しないといけなかった。でも、ドラムブレーキってフェードするのは速いけど、ディスクよりフルードに熱が伝わりにくいのか、ベイパーロックまでの時間は長いんだよなぁ。その後なかなか冷えないけど。
高知県民だけどこんなに酷かったのかって🙄なってる....信じられねえ
高知県吾北村日比原。昔の祖父の家が写ってた。親父は写ってないなあ。いまも建物が新しくなったくらいで、街並みはあまり変わらない。車がほとんど通らないけど。
長崎も道が狭く坂道ばかりで大変だが比較にならないなこれは
0:17からの映像は文字通りの酷道ですね('ω')青の洞門みたいにトンネル掘ってくれる和尚はいなかったのでしょうか('ω')ともあれ、インフラ整備って大事なのですね('ω')
青の洞門は日本初の有料道路でもある。
@@mizutanit5233 さん。青の洞門って有料だったのですね('ω')どこぞの和尚さんが自らノミと金槌をもって掘ってて関心した住民が協力して30年かけて掘ったと昔の道徳の教科書で読みました('ω')
隣の集落に向かうだけで何本ものトンネル掘らないといけないし、そこまでの要所で無ければ曲がりくねった道の方が作り安かった。
0:17 バスが通るには危ないというレベルを超えている!
撮影カメラもバスの窓から乗り出しての撮影
車酔いしてるテンションガタ落ちのおばちゃんの表情ワロタwww
昔の人老けてるから以外と40代くらいだったりして‼️
gymkamc31 おばあちゃんではなく、お母さんと娘かもしれませんよ!
隣のお孫さん?も、心配そう。
コレが普通だったな。高知市内に出かけるには一大決心が必要だった。トラックの画面の日比原からは5時間くらい掛かったじゃないか。座ると酔うからこの数時間ずっと立ってた記憶がある。
1:42の右折時,現在のトラックなら電動ミラーを畳む場面。その畳むか畳めないかで大分違う。
全然違う、ミラーの分だけ突っ込めますからね。
何回見ても緊張する。富士急の高飛車超えた。
パワーステァリング無く!! 車両によってはフルシンクロが付随しないのが全て、ギヤ―比が細かく、ダブルクラッチが全て !! 旧車に成れば、運行中にクラッチ調整をしなければ成らない場合やギヤ―チェンジ棒が抜けたりと、人知を超える・知識・感と云う抜群の(運転技能) が最も重要なアナログ世界は、大型トラックは (6t)が主流 !! 中でも動画の「日産UD」排気音も独特で、パワーでは一際めだつ車両の上に、狭いながらも簡易ベット付と、一時は長距離運行に重宝された車種である !! 当時最大の難所はR-8 敦賀・倶利伽羅峠・親不知。R-18 碓氷峠。R-246 沼津~小田原。R-1 箱根峠。
0:16これ以上ないくらい適切な選曲
昭和時代の終わり頃小倉港⚓️からフェリー⛴️で松山港から道後温泉♨️を後にして四国山脈を横断して高知に車で一人旅、その後も数回旅した思い出が懐かしいですね~
当時にこのようなビデオカメラがあったとは素晴らしいです。
0:16 途中何らかの事情で通れなかったり、対面で鉢合わせになったりしたらどちらかが交わせるところまで後退しないといけないんですよね?
これがほんとのプロドライバー!笑
世の中が便利になっていけばいく程、こういった技術が喪われていくんだろうな。これこそ職人技。
UD2サイクルエンジン加速速かったな独特の音チェンジ嫌がる人もいたけど軽くてやりやすい好きな車やった👍Wクラッチで‼️懐かしい😊
昔の方々は、素朴で辛抱強かったですね。頭がさがります。
80年代前半でもこんな感じで、峠を走るバスに乗っていると、運転席が崖の外側にはみ出たりスリリングでしたね。二度とこんなとこ来ねえ!と決心した記憶が。今では高規格道路ができて普通になったようで。
なんかええなぁ昔の風景って最近は高速が各所に伸びてアクセスよくなったけど十年くらい前まではツーリングに最適な山道しかなかったわ
この道路の今を見たいなどんだけ整備されたんだろ
高知県吾北村日比原は現在合併して吾川郡いの町になっているようです。トンネルも開通して国道194号線は完全片側1車線化されてますが日比原地区の旧道は映像のままですね。一升瓶を吊るしていた橋の手前の酒屋(西峰商店)やサングレイトがギリギリで曲がった橋、この2階から撮ったであろう旅館(川又屋旅館)が現存していました。グーグルマップで川又屋旅館で調べると旅行者の方が撮られた当時の面影を残す道の写真が出てきますね。
30年くらい前の四国の山間部も結構な山深い道だったからなぁ今は天国よ
この時代の人達が今の自動運転技術やスマートフォン見たらビックリするだろうなぁ。
バス運転手やってるけどこの道運転するの凄すぎて尊敬するわwww
これ見ると事故せず狭い道走ったと豪語する全ての大型トラックYutuberがもの凄くかわいく見えますね。当時はパワステ機能もカメラも無く感だけで事故らず走行してますし
父が大型トラック運転手でした。当時は高収入で、家族の為に、こんな危険な道を走っていたんだと思うと、改めて感謝とまた、偉大な父親だったなと思い返します。
60歳で他界しましたが、いつも優しい穏やかな父でした。
お父様が安らかで在られます様に😌
運転する側になってからは車酔いしなくなったけど、これだけ揺れると疲労感凄そうですよね。
当時は、エアコンもパワステも贅沢品だったそうですね。お父さん、強い方だったのですね。家族愛ですかね?
これぞ本当のドライビングテクニックですね
昭和50年代半ばまで、僕が住む県西部・幡多地域にもこんな道はあちこちにありました。
僕の家から車で10分くらいのところにある国道321号は今でこそオーシャンヴューが楽しめますが、以前はこれまた絶壁。同じ絶壁でも、下は数十メートル下に太平洋がありました。落ちたら一巻の終わり。でも、バスやトラックが落ちて事故を起こしたという話は聞いたことがありませんでした。
ちなみに、小学校時代に、地元の高知県交通(現・とさでん交通)の運転手に「おんちゃん、怖ない?」と聞くと、「いや、慣れた道やからかえって走りやすいぞ。ちまちました街の道よりこっちの方がええ」と悠々たるもの。
他方、瀬戸内方面や県外から来た観光バスは、車掌が降りて笛を吹きながらの誘導。運転手はまさに汗をかき顔面蒼白になって走っていたようです。
親戚の実家がまさに四国山地、ど真ん中のど秘境。
よく80歳の親戚のばあちゃんから聞くのは、「〇〇集落には昔旅館も居酒屋もあった」「若い人も子供もいっぱいいた」「もう今は老人しかいないし何もない」。
交通の便が良くなると、ストロー効果で若い人が都会に流出しちゃう…
今はどんな田舎にでもちゃんと道がある先人に感謝しかないありがとう
頑張って維持してかなきゃな
時々バスがて転落したよな😱
重ステのバスやトラック。Wクラッチ!極狭路
この時代の職業ドライバーには本当に関心します。
岡本真夜のファンになり高知へ移住して高知市から本川のダムまで最高で年間80回位194号を往復したもんよ。98年から2004年位まで。また行きたいね。本川の長沢ダム。
今までテレビで南米の奥地とかの険しい山道をみて
「うわ~危ないなー」って思ってたけど
日本も昔は同じだったんだな~
今みるとこの時代だと道路整備にバンバンお金かけるのは決してまちがいでもないな
本当今なら、この動画みたいな場所にも、高架橋とトンネルが連続の四国の真ん中を南北に貫く高速道路とかが整備されましたし、一般道路の幹線国道とかにも、急な峠道を迂回出来るトンネルバイパスみたいのも、整備されてますからね。
更にこれから時代が進み、点字ブロックの常備された歩道も当たり前のバリアフリー化も当たり前になりゆくかと思われます。
でも今は逆に、道路も老朽化してインフラ設備が崩れつつあるね😭
コンクリートから人へなどと、世迷言を間に受けてインフラ軽視・破壊したアホ国民の自業自得😭
不断の維持が無ければ脆くも崩れ去るインフラ、作ったものが老朽化せずに未来永劫ずっと存在し続けるとでも思ったのだろうか❓😩
しかし国全体として時代が変化し少子超高齢化や人口減や経済減速の問題がでてきて高度成長時代に採算合わない地域にまで親切にインフラ完備したツケがきてしまった
全国の過疎地の長年の人口減に経済や財政停滞で無駄になってる膨大なインフラを削っていかなくては存続できなくなる
人がいなくなった地域や使わなくなった道路は削ってまた自然に戻して世界の過疎地の今後の見本にしよう
@@uu-be2om 少子高齢化してなければ、全国津々浦々もっと発展していた。一極集中で震災で全滅するリスクもなかった
高知市在住ですが古き良き高知を知ることが出来ました😀
パワステアリングでもないのに運転技術凄い!
動画後半に窓から眺めてるのは川又屋旅館かな?
今も繁盛してるいい旅館
高知県民です。
地元から愛媛県の西条市へ向かう際に、国道194号線をよく利用していますが、昔はこんな道だったとは思いもしませんでした。
家の近くの国道439号線も、数十年前の高知国体の際に改修されたそうで、かなり運転しやすい道になっています。
(ただし徳島県との県境の京柱峠付近などは酷道のままですが)
寒風山トンネルの開通でかなり改善されましたね。
あの県境を超えるのに相当に苦労しました。
サングレイトが動いてるところを初めて見ました…貴重な映像ですねえ。
サングレイトが渋すぎる。運転手をしていた義父もこんな道を通って仕事をして家族を養っていたのかと思うと胸が熱くなる
40代の高知県民です
幼い頃は川沿いにガードレールすらなかったですよね金谷川
昭和のまだ今見たいに道路も舗装がされてない頃に九州からフェリーに乗ってた八幡浜につき高知に行くには険しい峠の道を走っていったものです、道路は断崖絶壁のような所をトラックが下に落ちやしないかどきどきしながら走ったものでした、今から考えるとほんとに懐かしくおもいますね、
国道194号も今は総て2車線化してます❗
動画にあった場所は今は旧道❗
6時間かけたこの山道も、今では高速道路で1時間弱で通過できます。
技術って凄いよね…
難所どころか、一歩ハンドル切り間違えたら全員真っ逆さま恐ろしい
丸見えとかアンビリで見る奴が日本にもあったんだなって思ったよ。
お出かけも命懸け⁉️今では考えられませんね。
いくら運転が良くても路肩が崩れそうで怖い
こういうの見ると、それぞれの市町村が栄えてたの理解できるなー
南米ペルーかよ
日本もこういう時代があったんだな
まだ長岡郡 大豊町にはあるよ
_スプリントは性癖です_ 大豊はしゃーねえw
こんな恐ろしいのは大豊でももうないよ。
ボリビアのデスロードやな
ガードレール無しなら幾らでもあるで
この時代の車って重ステだろうに。
すご。
あの切り返しを重ステでやってるのが泣ける
カーナビもないです
感心ですね。
@@hki4853カーナビは現代でも無くても別にいいかな。道路案内表示、道にあるんやし。
素晴らしいアーカイブだと思います。
東北出身で今年初めて四国を車で一周しましたが、山道の多さ、険しさに驚きました。
香川丸亀市から高知市に向かう途中、祖谷峡・大歩危のあたりは、急な斜面に家が何軒も建っていて、他の地域では見られない絶景だと思いました。
NHKで見ましたが、あの辺りは昔道路がなくて、歩いて生活していたそうです。。
高知は山道に沿って流れる川の水がとても綺麗で、沈下橋などインスタ映えする景色が満載でした。
四国に山のイメージがなかったのですが、それぞれの地域の景色に特徴があって、山道を走ってるだけで楽しかったです。
Genius IT boy さん
Genius IT boy さん
平家の落人伝説が多くあり
その時代からの名残なんです
また、遠国と言えば土佐で流刑の地だった歴史もあります
四国民です
それって四国の真ん中辺りですね
あそこは完全に秘境レベルですw
市内から片道75キロありましたw
大歩危峡
油断して大股で歩いてると危ない
小歩危峡
用心して小股で歩いてても危ない
名前のイメージか大歩危の方が有名ですが、本当の難所は小歩危の方です^^
とはいえ昔のはなしですが・・・
祖谷一昨日行きました!
祖谷温泉の露天風呂はとてもオススメですが道が険しかった!
この時代はこんな細い木でも売り物になったんだから時代の流れを感じる。
昔は事故が多かった。
通るの命懸けだった。と聞いていたけど、これ見て納得。
今でも狭い住宅街や、崖っぷちの狭~い山道をバスや大型トラックがギリギリで通るとかあるけど、 運転手さんスゲー!ってなる。
「やれやれ、無事に通り抜けてくれました」←冷静
動画の続きが気になりまくる
パワステも、エアコンも無いのに頑張ってたんですね‼腕っぷしに脱帽です
素直に
カッコ良い!
凄い運転技術力です!
木材のトラック、パワステじゃないよね??
シンプルに凄いな!!
パワーが必要なステアリングですw
重そうに回してましたね。
しかもこれパワステなんてない時代だろう?凄すぎるな。
性能の悪いパワステの教習用トラックを運転した時、教官に「これ、パワステではないのですか?」と質問してしまった僕自身が恥ずかしいです。
たった2分の動画でいろいろ伝わるなぁ、記憶のどこかにありそうな風景
昔の運転さんは凄いです。うちのバス会社にも若い頃このような大型トラックで木材の運搬をしてた方がいました。その方は現在は定年で引退されてますが現役の時の運転はもの凄く上手でした。
高知県の山間部の方ですが 狭い山道を切り返しなしで何百メートルもバックしたり
ビタビタに車体がくっつく狭い所をいとも簡単に抜けたり、、。現代の若い運転手さんには真似出来ないですね。高知県の山間部の道 今も狭い所は狭いですよ。
貴重な映像の投稿に感謝します🙏
ありがとうございます 素晴らしい映像です
ローリー運転手時代に山奥のスタンドや工事現場のタンクに輸送するときこんな道はよくありました、ないよりマシ程度のパワステ付き、勿論ミラーも動かないふそうの前ダブで小回り効かずダンプシャーシが羨ましかった。4フロントの内1本崖に落として曲がったり、ダブルタイヤの内輪でかじりついてカーブ曲がったりよくやってたなと思います。さらに古い先輩は土佐久礼にはカーブでバタ板踏んで走る所があって命がけだったと聞きました。トラックは降りたが若いころに体に運転叩き込んだからそれは良い経験だった。
軒先の屋根瓦が道路面が真新しいので、何度か擦ってトラックの荷台と接触、瓦が土埃を舞い上げて崩れたのが推察できる。
神風ドライバーという言葉を思い出したよ。
木材の積み方が埼玉県川口市でよく走っている"クルドカー"みたいですなぁ。1:36
1:45 この前輪のリング、今のトラックには共締めされてないけど、当時は足掛けとして正式な装備品だったそうです。
何かにぶつけてグニャグニャのリング(足掛け)もありましたね
高知県民です。
僕が小さい頃は、まだ高速道路も無くて、太平洋側(足摺岬~室戸岬)車で五時間以上かかってました💧
神業的テクニックだな
なんつー上手さだ!
どんなにやっても確実にかなわねぇ!!!!!!!
この時代のトラックドライバーさんは、すれ違うのに、片輪のダブルタイヤのうちの1輪を崖に落としてたと聞きました。
嘘だと思いましたが、これを見ると本当にやっていたのだろうとは思います..
まさに昔のトラックドライバーさんは「職人」ですね....
すごい崖っぷち、さすが職人技です。
パワーアシストのないクルマで劣悪な条件の道を走る、これぞ「職人芸」ですね。
「命を預かる」状況を本当に実感させてくれますよね。
ただただ尊敬しかありません。
俺の運転だったら、何軒潰してるだろう。
バスにのればきぶんがとられるな!
あんな狭いところ、自分は無理だ。バスの運転手さん神業過ぎる。
運転下手くそ過ぎで草
俺も何軒潰してたであろうか……
だんじりならこの屋根毎年やられるな。
当時の新聞をみてると引くぐらい滑落事故が多い。飲酒運転も緩かった時代だから当たり前といえば当たり前なんだけど、町肝いり事業の業者がほぼ全滅とかシャレにならないのもあった。
30年ちょっと前は田舎だと居酒屋や飲み屋に駐車場あったしね。今じゃ当たり前だし当然だけど飲酒運転は橋本大治郎が知事になってから厳しくなったんだよ。当時飲酒に厳しくなったのは橋本が酒飲めないからやって話になってたわ。
バスガイドのお姉さんも並みの男以上に肝が据わってそうで乗客の命を背負ってる表情が凛々しい!
バスガイドじゃなくて車掌だと思います。
確かバスガールと呼ばれていたと記憶しています。
あげ缶…
1:35 パワステ無さそうなトラックでこの微妙なハンドルさばきはまさに職人
高知県は、明治維新より多くの偉人を輩出してるのに故郷を良くしようと思う人物居なかったのね。
そんな偉人たちは故郷のためだけに動てねえよw
地元民が鉄道敷設を陳情に行ったら「私は日本の総理大臣であって高知県の利益代表ではない」と言って断った吉田茂という
男がいましてね…
彼らは故郷(土佐の高知)や家族を捨ててでも、日本を良くしようとした人たちですからね...
中岡慎太郎なんて嫁や家族に何んも云わず、いつも通りに家を出て、そのまま内緒で脱藩しちゃったそうな。
昭和の人達は、逞しい。。🍀
美化しすぎ
@@happyone8875 このコメ書いたやつが三年経って未だに捻くれてる俺かっけーみたいな考え方から成長できてないか、黒歴史扱いしてるか、いずれにしても目も当てられないな
この時代の大型トラックドライバーはホンマのプロやからな。
道路は未整備、車自体も快適装備は無いしカーナビも無いからね。
ハンドルも重ステ、バックカメラも疲労軽減装備も無い
今の職業ドライバーとは比べ物にならないね。
しかし、昔は飲酒運転上等な時代やったけどね。
すっげーハンドル捌き。
自分もトラック好きで運転してるからこそ
これは尊敬します。
重ステ、辛そうですね。
教習所のS字とかクランクで脱輪すると「お前この道路の両脇崖だと思え、落ちたら即死だぞ」とか言われ「こんな道路あるかよ?」って内心思ってましたが、リアルにあったんですねえ。
なんなら路上講習でガードレールない池を横断しから役にたったw
だいぶ昔ね
海外(特に発展途上国の国)では稀に2車線で崖っぷちの悪路とかあります。
海外は崖っぷちも車輪はみ出しながらトラック走ってるところもあるな
国道425号線に数か所あります。
何年か前、行きは高速バス、帰りは特急列車を使って高知へ行きました。行きの高速道路は、うんざりさするぐらいのトンネルまたトンネルの連続…帰りの鉄道は、やはり山また山で、よくぞこんな所に鉄道を敷いたな…と驚くほどの険しい線形でした。それでも今は快適に山々を越えて高知まで行かれる…先人たちに感謝です。
ボンネット型に、重ステ、性能の低いブレーキ、遊びの大きいハンドル、ダブルクラッチ、電動格納無しのミラー、全てがすごいハンディ、給料倍もらわないとできない。貰ってもやりきれない。
今の倍以上の価値の給料貰ってたと思うよ。
それに当時のドライバーは夜はしっかり寝ていたよ
数倍もらってたよ
今の最新のトラックも30年後には同じ様に言われてそう。
1222 Mac そんなこといってたらどんだけ能力低いんだってはなしでしょw
1222 Mac 流石にそれはねぇだろw
昔、国道の山道を抜けて集落が見えた時は、なんだかホッとした気分になってたなぁ!
昔、峠でバスが転落したと聞いた事があったけど、こういう道なら転落するのも納得する
لدينا في العراق من هذه الشاحنات ولحد الان تعمل بشكل جيد الصناعة القديمة أقوى وعمرها أطول من الشاحنات الحديثة
サングレイトに日野KB!渋いですね~
土佐の高知の四万十川の近辺に生まれた親父がよく言っていた。今は高速道が整備され、瀬戸大橋や明石大橋が繋がり本州にも気軽に行けるようになったが。昔は四国山脈に隔たれた高知県から隣県に出るだけでも大事で、峠道をグネグネ、やっと高知を出たと思ったら四国から出るにはフェリーに乗って。外国に行く気分だったとw
ちらっとみえましたけど、大昔はあのトヨタも大型車(6~8t)製造していたんですね。(僕が)幼稚園くらいのときに絵本でみた記憶がありますね。
これが国道だった時代・・・トラックの運ちゃんすげえ!
それも100番台ですよ
今も国道だよ。
ただ、現在の車でも無理じゃね?ってのは何ヵ所かある(・・;)
コンパクトカーや軽は問題ないけど、ワイドボディの3ナンバーは結構しんどい(・・;)
@@片岡敬吾 300番台以降ならこの手の国道は今もたくさんありますが。
200番台以下だと25、152、157、193、256、265等少数です。
最近までは169(奈良、和歌山)や260(三重)にも狭い区間がありましたが
@@jojiajordan5942 中々興味深い道がありますね💡
無事に帰って来れるかは不安な所ですが(・・;)
三重県側の道は行ってみたいですね💡
暗峠も気になる所ですが、上れるのか心配です(・・;)
密集させる事で、インフラ配管のコストが下がっていいんじゃないのかな?
密集してない所でポツンと家たててる人いるけど、ああいう人と同じ料金は納得できないなぁ。
今みたく片手や指でクルクルハンドル回せないだろうから大変だったろうなぁ(-_-;)
今大変ながらも上手く回ってるのは昔の人が頑張って次世代へと繋いでくれたからだねー!
今は無きTOYOTA 8tトラックがいた。
懐かしい😍
トヨタ8tトラックってフロントガラスが左右2分割のヤツですか?
先日、旧吾北村日比原地区を通って動画に収めてきました
道幅は同じ感じで橋の先の曲がり角も存在しており
当時の苦労が垣間見れました
これは貴重な映像だ
サングレイトとボンネットトラックが現役時代の頃は貴重な映像ですね!😆👍
昭和30年代、高知ー松山間の旅客機が飛んでたそうな
両親が新婚旅行で乗った
この時代のバスの形めっちゃ好き。
これ対向車来たらどうすんだろう・・・ あの断崖絶壁を鬼バックとか死んでしまう
多分似たような道があった昭和の香川と徳島の県境の話にはなりますが、
トラックはすり抜けれる範囲の道なら、片輪のダブルタイヤの内の1輪を崖に落としてすれ違うと言う話を父から聞きましたね...
すれ違えなければ、おっしゃる通り鬼バックと言う事になると思います。
貴重な映像ですね。アフリカや山岳地帯のアジアのような、運転手の腕一本に人の命や事故回避がかかっている時代が日本にもあったということ。この時代と今の日本を比べてどちらが幸せだといえるのだろうか。
道も酷かったけど、昔のクルマは登り坂でオーバーヒート、下りではブレーキのフェードも心配しないといけなかった。でも、ドラムブレーキってフェードするのは速いけど、ディスクよりフルードに熱が伝わりにくいのか、ベイパーロックまでの時間は長いんだよなぁ。その後なかなか冷えないけど。
高知県民だけどこんなに酷かったのかって🙄なってる....信じられねえ
高知県吾北村日比原。
昔の祖父の家が写ってた。
親父は写ってないなあ。
いまも建物が新しくなったくらいで、街並みはあまり変わらない。
車がほとんど通らないけど。
長崎も道が狭く坂道ばかりで大変だが比較にならないなこれは
0:17からの映像は文字通りの酷道ですね('ω')
青の洞門みたいにトンネル掘ってくれる和尚はいなかったのでしょうか('ω')
ともあれ、インフラ整備って大事なのですね('ω')
青の洞門は日本初の有料道路でもある。
@@mizutanit5233 さん。
青の洞門って有料だったのですね('ω')
どこぞの和尚さんが自らノミと金槌をもって掘ってて
関心した住民が協力して30年かけて掘ったと
昔の道徳の教科書で読みました('ω')
隣の集落に向かうだけで何本ものトンネル掘らないといけないし、そこまでの要所で無ければ曲がりくねった道の方が作り安かった。
0:17 バスが通るには危ないというレベルを超えている!
撮影カメラもバスの窓から乗り出しての撮影
車酔いしてるテンションガタ落ちのおばちゃんの表情ワロタwww
昔の人老けてるから以外と40代くらいだったりして‼️
gymkamc31 おばあちゃんではなく、お母さんと娘かもしれませんよ!
隣のお孫さん?も、心配そう。
コレが普通だったな。高知市内に出かけるには一大決心が必要だった。トラックの画面の日比原からは5時間くらい掛かったじゃないか。座ると酔うからこの数時間ずっと立ってた記憶がある。
1:42の右折時,現在のトラックなら電動ミラーを畳む場面。その畳むか畳めないかで大分違う。
全然違う、ミラーの分だけ突っ込めますからね。
何回見ても緊張する。富士急の高飛車超えた。
パワーステァリング無く!! 車両によってはフルシンクロが付随しないのが全て、ギヤ―比が細かく、ダブルクラッチが全て !! 旧車に成れば、運行中にクラッチ調整をしなければ成らない場合やギヤ―チェンジ棒が抜けたりと、人知を超える・知識・感と云う抜群の(運転技能) が最も重要なアナログ世界は、大型トラックは (6t)が主流 !! 中でも動画の「日産UD」排気音も独特で、パワーでは一際めだつ車両の上に、狭いながらも簡易ベット付と、一時は長距離運行に重宝された車種である !!
当時最大の難所はR-8 敦賀・倶利伽羅峠・親不知。R-18 碓氷峠。R-246 沼津~小田原。R-1 箱根峠。
0:16
これ以上ないくらい適切な選曲
昭和時代の終わり頃小倉港⚓️からフェリー⛴️で松山港から道後温泉♨️を後にして四国山脈を横断して高知に車で一人旅、その後も数回旅した思い出が懐かしいですね~
当時にこのようなビデオカメラがあったとは素晴らしいです。
0:16 途中何らかの事情で通れなかったり、対面で鉢合わせになったりしたら
どちらかが交わせるところまで後退しないといけないんですよね?
これがほんとのプロドライバー!笑
世の中が便利になっていけばいく程、こういった技術が喪われていくんだろうな。
これこそ職人技。
UD2サイクルエンジン加速速かったな独特の音チェンジ嫌がる人もいたけど軽くてやりやすい好きな車やった👍Wクラッチで‼️懐かしい😊
昔の方々は、素朴で辛抱強かったですね。頭がさがります。
80年代前半でもこんな感じで、峠を走るバスに乗っていると、運転席が崖の外側にはみ出たりスリリングでしたね。二度とこんなとこ来ねえ!と決心した記憶が。今では高規格道路ができて普通になったようで。
なんかええなぁ昔の風景って
最近は高速が各所に伸びてアクセスよくなったけど十年くらい前まではツーリングに最適な山道しかなかったわ
この道路の今を見たいな
どんだけ整備されたんだろ
高知県吾北村日比原は現在合併して吾川郡いの町になっているようです。トンネルも開通して国道194号線は完全片側1車線化されてますが日比原地区の旧道は映像のままですね。一升瓶を吊るしていた橋の手前の酒屋(西峰商店)やサングレイトがギリギリで曲がった橋、この2階から撮ったであろう旅館(川又屋旅館)が現存していました。
グーグルマップで川又屋旅館で調べると旅行者の方が撮られた当時の面影を残す道の写真が出てきますね。
30年くらい前の四国の山間部も結構な山深い道だったからなぁ
今は天国よ
この時代の人達が今の自動運転技術やスマートフォン見たらビックリするだろうなぁ。
バス運転手やってるけど
この道運転するの凄すぎて尊敬するわwww
これ見ると事故せず狭い道走ったと豪語する全ての大型トラックYutuberがもの凄くかわいく見えますね。
当時はパワステ機能もカメラも無く感だけで事故らず走行してますし