Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
受容して手持ちのカードで勝負しようとする過程の中で、人々に相談したりして、結果として人が離れて行ったり、仕事を失ったり、受容するのにも一人だけの話に収まらないこともあって、相当な痛みを伴って、とても辛いです。受容するプロセスが私にとっては挑戦的なものですし、結果として得るものもあると信じていますが、非常に恐ろしいというのが正直なところです。
私も発達障害カフェに行くことで自分は一人ではないと知ることが出来ました!一人だと辛いのは当たり前です!
とても共感しました。
@@ninamuller470 発達障害カフェはどこにあるんですか?私の住む市にはないですね。
@@naasuw 都内と名古屋にあるということは聞きました!あと、今京都の北の地方もクラウドファンディングでカフェを設立しようとしていると聞きました。結構Twitterに情報があったりします。
@@ninamuller470 ありがとうございます。ちょっとどこも遠すぎて、行けそうにありません。
元の状態に戻りたい、病気でない状態になりたいって思っている時点で、まだまだ受容はできてないんだなと実感しました苦しいです
この先生が障害を持つ人が一定数生まれながらもそういう人たちが、普通より変わっているからこそ、イノベーションを起こして人類発展している、とても興味深い生存戦略っておっしゃっていてなるほど!と思って、イーロンマスクのインタビューを見まくって彼が人類の役に立ちたいと一生懸命な様子を見て、私は元気をもらいました。たしかに社会性にかなり問題ありで、家族以外とうまく関われなくて、凹ばかりだけど、暗記が得意だったり、勉強が得意なので、少しでも凸を一生懸命磨いて、もちろんイーロンのように大きくではなく、自分ができる限りで社会の役に立っていきたいです
悩みに悩んだ挙句受容に行きましたでもやっぱり怒りや万能に戻ってしまいました苦しいですね
過酷ないじめというトラウマを抱えていても、こうして生きていて、どうにか人生を肯定していこうとしている。そのことだけは素直に自分のことをすごいと思う。これもやはり万能感なのでしょうか?20年経った今もなお、どうしてもいじめられたくなかった!と泣く夜があります。
もういい歳なのですが、かなり長い間「実は私はすごいんだ。障害さえなければ」と思っていました。というか、まだ諦めきれてないのかもしれません。この辺、まだまだ時間がかかるのかもしれませんね。そんなに手軽に苦悩を脱せるはずがないし、脱したとしてそこに素晴らしい自分が待っているわけではない。悲しいですがそれが現実だと再認識しました。わかりやすい解説ありがとうございます。
おっしゃってることにすごく同感します。私もまだまだ受容できず怒りと絶望を行ったり来たりしてます。
平凡を受け入れるのって難しいですよね。ホントは平凡が一番いいものなのに。私もまだまだ、自分に幻想を抱いてしまいがちです。
よくわかります。自分がなってから感じましたが、精神疾患って昔ながらのイメージが強かったけど、実際そんな人は少ない気もしますね。普通の範疇だった人が少しその枠から少しだけ外れた人がなるイメージというか、、
自分が精神疾患にならなければもっといい人生だっただろうに、という気持ちによく支配されます。特に、まわりと自分を比べてしまうと劣等感や怒りが湧いてきます。なんだかんだ諦めきれなかったり、平凡ということを受け入れられていなかったのだと動画を見て気づきました。長い道のりになるだろうけど、ここまで何とか生きた自分を受容していきたいです。
とても腑に落ちる内容でした。不幸とセットの万能感、よくわかります。病気が良くなれば…とか未来に現実味のない希望を抱いていました。病気が寛解しても、人より体力がなかったり離職した時間だったりは残るわけで、「そこらの辺の人より劣る自分」になるだけなんですよね。その部分が苦しくて心から受け入れる事ができないでいます。でもこの動画のおかげで今の日々の意味がわかった気がしました。ただ鬱々と悲しんでいる毎日に、時間を無駄にしている様に感じていましたが、ただ悲しんで不幸を受け入れるための時間がきっと私には必要なのかなと感じました。悲しんで悲しんでどん底までいったら諦めて受容できるのかな。
長い間、万能感を捨てることができませんでした。今は、まさに行ったり来たりしている状態です。早く平凡に悩んだり平凡に笑ったりできるようになりたいです。
受容までたどり着くには目の前にある小さな成功体験を積み上げていくこと。自分のペースでいいから進んでいくこと。不安と孤独はオマケでついてくるけれど、きっとその先には晴れやかな平穏な自分がいるんだと信じること。益田先生の動画は勿論、最近特にコメントを読むのが私にとって支えになるし励まされます。感謝します。
40代になった今、発達障害と診断されたときは否認とか怒りの感情が最初はありました。しかし冷静に考えてみると、今までの人生で思い当たる節が色々あったので「そうだったのか」と思い腑に落ちました。まさに諦観という感じでした。
歳を重ねて人生を振り返ると、色々な環境にいても似たような目に遭うのだから、自分に問題があるって事に気づきますよね。負けよしみですが、それを自覚できただけ過去の苦しみも無駄にはなってないのかなと思う時もあります。
「平凡を受け入れる」という言葉が心に刺さりました。テレビやネットで活躍して脚光を浴びている方達に、憧れや時には嫉妬を感じてしまいますが、あの方達と自分は根本的に違っていて、結局自分は平凡かそれ以下なんだろうと、思わざるを得ないという事なんでしょう。
障害も不幸も平凡も受け入れられずぶれぶれで生きてます。万能ではないということを理解できるのに理解できないもやもやがあります。このままで人生終わるのは嫌だから、手持ちのカードが何なのか整理することから始めてみようと思います。
万能感をまだ引きずっているという事に気づけました。受容出来るように毎日過ごしていきたいです。
今年25歳になりますが、やっと自分の特性や病気、置かれた環境を客観的に見られるようになりました。早い人なら幼稚園あたりで自分を客観視して社会での立ち回りを考えていたんだろうな、と思ったりします。人よりも出来ない事が多いし不運なのに、人生において精神病である時間が長くいつも万能感に溢れていました。受け入れてまだ日が短いですが人として当たり前のことを着実にこなす事から始めようと思います。先生の動画本当に勉強になります。
これ否認か怒りだけでもできてる時点で十分凄いと思う。抑圧とか乖離で否認まで行けないこともあるから。虐待やいじめを受けていた記憶が完全に押し込められている時期が長かったから。益田さんを否定してる人も、動画までは見に来ようとしたってことだから。『日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」』という記事が前に有名になってました。俺個人もそうだし、「日本全体」も、平凡への否定の所で停滞している感じがします。
私は自分が精神疾患と自覚出来るまでに約20年掛かりました。先生のお話であったように「何で私が精神疾患なんだよ。ふざけんなよ」ってずっと怒ってました。多分無知だったからです。私は想像を絶するハラスメントを受けて病んでいましたが、私は精神疾患じゃなく、加害者の方が精神疾患だろ、ふざけるなって思ってました。でも病気の事を勉強したり、色々な患者さんと接するうちに無知がなくなって病気が受け入れられるようになりました。ただ病気は受け入れられましたが大好きだった消防の仕事を失ったので、その事はずっと尾を引いています。医師や看護師保母さんなど資格のある人はやり直しが出来ますが、消防士は資格ではないので辞めたら終わりです。また元気になって一から積み上げる事が出来ません。その辛さから私は抜け出せていません。働く人は大嫌いだったけど、消防の仕事は大好きだったから何故ハラスメントを受けた私が辞めて悪い人間が働き続けてるの、ふざけんな、という怒りから抜け出せずにいます。家族からはあんな恐ろしい消防を辞められて良かった、辞めてなかったら今頃どうなってたか分からないと考えたらどうかと助言されます。別の消防で働けたら、そんな気持ちになれたのかもしれませんが、本当に消防の仕事が好きで、時間も忘れてしまうほど打ち込んでいたので退職した事実をまだ受け入れられていません。悔しくて泣けてきます。いつかこの悔しさからも抜け出して受け入れられる日が来るのでしようか?今は真っ暗なトンネルの中で光の方向が分からない状態です。今私に残されているカードは、家族を大切にする事です。引きこもりの私を支えてくれている家族に迷惑を掛けないように一人でも外出出来るくらいにまで回復したいです。小さな目標をクリアして、もう一度前向きに人生が歩めるようになりたいです。
本当にあなた側の特性に問題がなければ、もう少しスムーズに、柔軟に人生を渡っていけたはずです。世の中の仕事は消防士だけではないです。貴方自身に自分が思う以上の問題があるって印象がしますね。文章から。
もちろん加害者側にも問題があるのは間違いないだろうが。
最後に言っておく。いじめる人間も悪いがいじめられる人間も悪い論法で、これまで、沢山のイジメ被害者が犠牲になり、中には自殺した者もいた。明らかにイジメる者が悪い。これが理解出来ない人間を、私は鬼畜だと思う。
今日、県内の消防の方から、私が働いていた消防は異常だと有名だったから、私が唯一まともだったんじゃないのと言われました。私が勤務していた消防は、県内で異常と有名だったんです。
私と同じ特性の消防職員が見つかりました。メチャクチャ、仕事の出来る消防職員でした。同じ県内のある消防にお勤めの同期ですが、その消防で難しい違反処理を始めてされた方なんです。この同期自身にも問題があるのでしようか?私のような人間でも、素晴らしく柔軟性があり、頭が良い人間はいるんです。証拠もありますよ。悪い人間側の話ばかり聞いているから、正しい情報が入ってこないのではないでしようか?人間は嘘を付きますから、注意しないとダメなんです。私は、以前、裁判をした時に、堂々と職員から、裁判で偽証されたんですよね。普通なら、偽証するような職場の職員の方を疑いますが、世の中は、間違えているから、こんなコメントが増える気がしますね。別に私は、いいねが欲しくて、コメントしているのではないんです。元自衛官の五ノ井さんや、元ジャニーズJr.のカウアンさんみたいにネットの中からでも、救済してくれる人がいないか知りたいんです。こんな恐ろしい人達と、これから戦わないと行けないから。何とか、少しだけラインで証拠が集まったから、同期にも、今後、何とか救済してもらえるように、もっと考えないとですね。私に、強制わいせつをした同期は、最後のラインメッセージで、犯罪をゲロってましたよ。あの文章から読み取れなかったらヤバいです。
22歳にもなってるのに躁鬱もADHDもASDも受け入れられない。何で私はこんなに苦労しないといけないの?周りはずるい!!の気持ちから抜け出せないし、病気や特性が理由だとしても周りより劣ってるのは事実だから酷く劣等感感じ、何をするにも自分にはできるはずがないと強い恐怖や不安を感じます。
私も病気以外に子供のことでも悩み、この苦しみを自分のものとして認識できず、子供のせいにしていました。子供の悩みから解放されて毎日が幸せかと言えば、少し背負った荷物は下ろせましたが、私自身の体調や気分の不安定さは今も変わらずあります。自分のことってわかっているようで、何もわかっていないのかもしれません。それでも明日を生きるために楽しみや喜びを探していきたいです。
すごく自分に当てはまるお話でした。万能感、理想化、抑うつの状態に自分はあると感じました。。
まず、自分の不遇や不幸や置かれている立場の悲惨さをご自身を守るための武器にしないことですね。この受容というのは、益田先生のような医師という資格者であるひとも不幸の受容であるなら知的や精神や発達の障害のかたと同じですね。私の近い関係のかたで、救急の小児科外来で働いている医師がいますが、実母との関係性でわたしからみて、自らの体を痛めつけながら仕事をしてます。この場合、実母が許せない、実母の洗脳にはかからないと言いながら、自分の家族を破壊した実母が許せないといかり、それで生活してゆかないと取引をして抑うつ状態のような感覚を久しぶりにお目にかかって感じてしまいました。この実母を受容できない状態は、この小児科医という医師の立場でも関係なく起こりうることが、私自身の近い人間関係でも確かめることができました
生きづらさ困り事と向き合い、私の病気を受け入れたいと思うので、日々動画を視聴して少しずつ学んでおります。私は病気が治れば優れた人になれると思ったことはありませんが、平凡になることが凄く難しいと感じております…。今の生きづらさ困り事を少しでも改善して平凡に近づけるように、穏やかに生きられるように、これからも病気と向き合っていこうと思います。益田先生、いつも学びの場を提供していただきまして、ありがとうございます。
否認、怒り、取引、抑うつ、、インチキ洗脳を何年間か味わいました。今は諦観に来れたかな😊主治医と、益田先生の動画と共に歩んできました。助けてくれる人達がいてラッキーです♪
とても腑に落ちる内容でした。先生の仰る通りの経過を大なり小なり辿っていると思います。そして、受容に至ったのかは分かりませんが、、、とても考えさせられる動画でした。先生の動画など不満に思ったことは無いですし、本当に感謝しています。ありがとうございました。
身体の病気がまだ受け入れることができずにいます。支援が必要で頼った先で言われた言葉が無神経に感じて怒ったり、怪しいビジネスの人に営業されて悲しくなったり。働いて自分の医療費を自分で払えて嬉しかったのに、働けなくなってまた医療費を親に払ってもらっていることが悲しいです。
病気と喧嘩しちゃだめだよとよくいわれていましたがいまだにあがいてしまいます万能感やこれさえすぎれば幸せになれるという気持ちはもったことがないですこのままでいいんだ幸せになってはいけないんだとどこかで思っている感じです虐待されてきた影響でしょうか自分の病との向き合い方を今一度見直す事ができましたありがとうございます今日も学びをありがとうございました☺
益田先生、未成年発症で通院服薬入院を経ている場合の、病気障害の受容を動画撮って欲しいです。ただ不運が重なって、、、でも子どもの頃から不運が重なったと理解するにはあまりにも酷で。33年通院し続けていて、病気障害は受け入れざる得ない状況(働けなくなった)です。今は47歳ですが社会的背景→就職氷河期世代生まれた時期も運が悪かった。結局、生活保護や年金で生計を立てているけど、正社員で働いていたときのように近場の旅行に行ったりさえもできないから、自然に視野は狭くなりますよね。生活さえ最低限の生活になり、いつまで苦しい思いをすればいいのだろう。今は終活ノートを書いている時が幸せです。この病気障害の身体と早くおさらばしたいです。海に行きたい、森の中のカフェに行きたい、ほぼ寝たきりで身内と疎遠なので、自力じゃ移動だけでも厳しい。
わかりますよ。平凡でもよいから、普通に楽しいことをしたいですよね。海にもゆきたいし、森のカフェに行ったり、健常者の人たちみたいに、働いたりして、そのお金で、少しでも、やりたいことをできるようになりたいですよね。受容して、乗りこえたら、その先に明るい未来があるなんてことはないと、否定されたら、私も苦しいです。お医者様から処方されている、お薬が合わないのかもしれないですよね。カウンセリングも合わないのかもしれないですよね。私は、世間では公表されていないタイプの解離性障害で、お医者様もお薬の処方に四苦八苦しています。苦しいですが、私もなんとか頑張っていますので、いつか海にも、森のカフェにもゆけるよ、今は仕方ないわあ、と、受け流して、ゆったりかまえて、お互い頑張ってゆきたいですね。
キューブラロスの話しは初めて知りました。特に「怒り」「取引」についてはとても分かりやすかったです。まだまだ知らない自分がいるんだなと思いました。益田先生はとても分かりやすく話してくれるので鬱状態でも内容が頭に入りやすいです。
病気・障害のある自分がいる。病気・障害を受け入れない自分がいる
神経症圏の疾患ですが、発症以来30年間の人生がめちゃくちゃになり、その時間を永遠に失いました。今までもこれからも受容はできませんね…諦念しかないです。来世があるなら健常に生まれたいです
どん底の気分が続いたあと急に万能感が来たりするので、本当の自分を理解しきれなくてずっと不安定な状態です。今回も大変勉強になりました。感情のメルトダウンについても、いつか動画でご解説頂けると嬉しいです…!
私は「病気の自分も自分自身」と言い聞かせていたら少し楽になってきました。
私は学生時代発症で15年くらい経って平凡がわかり、俯瞰できるようになりました。益田先生の仰ってることの深〜い意味でわかるようになりました
私は自分自身に怒りを感じることが多いですね。自分に対する受容がなかなかできないです。他の人に受容して欲しいという気持ちが強いですね。「苦しみを抜きにして受容に至ることはない。」ということを肝に銘じたいと思いました。
長い戦いでしたが、やっと受け入れられるようになったと思います。受け入れられた自分は偉いなと思います。
カウンセリングの過程と相似😊カウンセリングによりうつ悪化、停滞、良化、安定、寛解…間違えていない出口探しの道程ですね😊
介護資格でも似たようなことを学んだような…双極なので平凡を受け入れるのが難しかった。今でも、やれば相当出来る子とか自分で思ってしまう。実績があるだけに…まだ受け入れてるようで受け入れてない気もする。
躁鬱、通院して9年目になります。最初の4年位は全く受け入れられない中やっと通院し服薬しているだけの状態でした。その間は否認や怒りの辺りを行ったり来たり😅そこからショックを受けつつも諦め…自分や周りを観て受け入れ始めたのはここ3、4年です。先生の仰るサイクルを何度も周回しキツイ日もありつつ、じりじり楽な期間が長くなっている感じです。辛いけどそういった地道に受入れながらコツコツ日々を生きていく以外に方法は無いんだと思ってます🍀
悲しい。定型発達っていいなー。私障がい者なんだわ…。知ってた、色々うまくいかない。間違えてばっかりで、恥ずかしい思いばかり。でも子供は万能になってくれるんじゃないかって思って一生懸命育てたけど、やっぱり不注意ひどい。倫理観も弱くて怖い。何のために私たちは生まれるんだろう。
私も定型発達いいなって思います。定型発達が当たり前にこなすことを私は時間がかかったりできなかったり、、そりゃ精神に歪みでてきますよね。
いつもありがとうございます。最近悪夢ばかり見て眠れないので先生の動画を聞いています。自分の人生を受容する事がなかなか出来ないです。体質が敏感で苦痛な事や不幸な出来事、考え過ぎるから受容出来ないのかな…気楽さを、もう少し上げたいです。
同調圧力の時代に生きて診断されて葛藤が本当に凄かった身です。診断が降りて安心感を受ける事が良くあると聞きますが、本当にそういう思考が出なくて正直絶望、葛藤が強かったです。でも治らない、一生治らない。覚悟もできてきます。人生の中で受け入れてくれて仲良くできるような方に出逢いたい物です。
あるね。受け入れが。ほんま😊。沢山の人のコメント観て悩み多いんだと。思いました。みんな何処かで我慢し時には辛い思いや悔しい思いも。けど今は変わりつつあり理解してくれる人が増えたらと思います。
キューブラーロスは看護師の方でしたっけ。また読んでみます。皆さんのコメント読んで、自分も辛いと思って良いんだなと思いました。まだまだ行ったり来たりしてて、諦めきれないこともたくさんあります。最近思うのは、諦めるというか出来る範囲で出来ることをする様にしようということです。イチローが、もし今日30%しか力出せないなら、その30%を出し切る努力をするということばが心に刺さりました。30%しか、できない、じゃなく、それを出し切る。その毎日なのかな。
自転車に乗るとき、好きな電車に乗った時何故か万能になった気がします。難しいですね。達観とは。無謀運転はしませんが。
統合失調症30年。何とかして働きたい。幸せな家庭を築きたい。そう努力して真面目に頑張って生きてきたけど。最近仏教の、善因善果悪因悪果の勉強をして、そして善とはコツコツ真面目に生きることとも勉強して、ああ、生活保護で作業所でも、福祉に守られて、5体満足で、どこも痛くないし、バスや地下鉄はタダだし、優しさに囲まれて生きているし。統合失調症って、俺の場合は真面目に生きてきたボーナスなんじゃないかって、最近思えるようになりました。
無いものよりあるものに目を向けてそれに感謝をしながらいきることの大切さを、貴方のコメントから思いましたボーナスって素敵な表現ですね私も、働かずとも食べていける環境ではあるのですが…苦しくなったり楽観的になったり忙しいです書いてくださってありがとうございます
今実際どの位置なのか解らないのがもどかしいですね。罹患も長くてそこそこ達観してきたつもりですが、まだまだ全然なのかもしれないし。
この心理を色々と利用されてますよね。あまり、手助けはあまり必要なくて、見続ける事が大事だと思っています。自分で決めさせるようにゴール設定をするだけ……変な誘惑とかが多いです。変な情報とかを持たずに山籠りで修行するのがいいのかも知れないですね。全部自給自足の生活です……生まれて自意識を持った瞬間に禊みたいな物が必要とは、人間とは何なのでしょうね。
益田先生の動画や他の精神科の先生の動画を見て、益田先生の動画に感情的にでもいいから、いろんなコメントを残してみて、先生のいう「森の外で暮らす」というのが、なんとなく腑に落ちてきたところです。森の外でも楽しく暮らせるかな。
たったいま、「わたしが、私自身のことを受け入れられていないんだな」と、感じることが、起こったばかりでした。最近、益田ドクターがお話してくれている、「五つの段階」を、詳しくお話ししてもらえて、特に「取引」の部分は、とても、身に覚えがありました。いつも、「誰か」の「特別」になって、助けてもらいたかった、抱えてもらいたかったんだと思います。ほんとに、傲慢なことですよね。私は昔から、怒ることができなくて、「怒り」は、ぴんとこなかったんですけど、それも、自分自身を受け入れられてないからなのかな、と、思いました。今は「抑うつ」にいるのかもしれないです。人より劣っている自分を、そのまま、自分自身で受け入れて、自分のために足元をみて生きられるように、なりたいです。いつも、忙しい中、動画や自助会、SNSでの発信、ありがとうございます。私は、ずっと、人との出会には、恵まれていて、益田ドクターに出会えたことも、ほんとうに、運がよかったなと、思います。
益田先生の動画で怒りを感じたことはないですただ時々落ち込みます
真剣に向き合ってくれてる感が凄いから、不快感や見下されてる感は不思議と感じない。
益田Dr.の手持ちのカードの話と似たようなことを主治医の先生も話していました。10代20代の頃は理想と現実のギャップに苦しむことが多いのだそう。今の自分に現実的にできることは何か、今はなんのカードを持っているのか。自分の限界を一回認めないとその先に進むのは難しくて、そこを受け入れるっていうのが大人になるということ、と仰っていました。今はまだ自分の病気のことを完全に受け入れられていなくて悶々としていますが、ちょっとずつ向き合っていこうと思います。
自分は受容の段階と思っていましたが、万能感が残っているんだなと気付かされました。まだ平凡を受け入れるのに時間がかかりそうです。動画のアップありがとうございます。
今日も、動画、ありがとうございます。👨🍼👩🍼🤱🧑🍼🤱🧑🍼👨🍼👩🍼
よく、受け入れたら楽になるみたいなやつがあって、受け入れることを頑張るみたいなことをしてました。が、頑張って出来るようなものではありませんでした。よく思うのが受け入れようが受け入れまいが痛いものは痛いみたいな、そういうのってあるよねということは思います。日々どうしようもなさと向き合っていつしかそれが普通になる慣れのような受け入れと、カタルシスが起こるような受け入れの2パターンがあるように思ってます。慣れか受容か、ほぼ禅に近いような世界の話しのように思います。(全てがそれで片付けられるとは思いませんが、結構な範囲でそんな感じではないかと個人的には思ってます)
通院するまでに2年かかりました。なんとか、根性で治せると思ってました。行った時は病気を受け入れる事ができずに、薬を飲むのを拒否しました。家族に知られるのが嫌でした。不安、恐怖、絶望、死を思うばかりで、真っ暗の中にずっといました。しかし、子供のために生きるしかありませんでした。素直に受け入れると言っても、すぐには受け入れられないから、苦しかったのは確かです。病気になる前にもどりたいとその時いつも思ってた。通院し、先生に沢山の相談をした。必ず徐々に良くなるのを待つしかありません。9年通院しましたが、だいぶ良くなりましたよ!完璧主義なので、死ぬまで付き合いつづけます、生きられるなら幸せです。
生活習慣を正すの動画見ました!私の場合は、自分のことが本当にどうでも良くて、自分のことを考えたくない、自分のことから離れたいと思い、自○を考えてしまいます。そういった自暴自棄からどうすればいいのか、本当に困っています。また自暴自棄からの回復の方法を動画にしてほしいです。
こんばんは。以前から視聴させて頂いていましたが、私は現在休職期間中で増田ドクターの動画をゆっくり遡って見ている次第です。今回の動画でもそうですが益田ドクターの動画は主治医や心理の方が口にしない内容を素人でも解りやすく説明してくださっています。現在の主治医に対する感覚と益田ドクターの動画から感じる感覚で大きく違いを感じる部分があります。それは、ネットという距離感や長年の臨床主治医ではないという理由が多いのかもしれませんが、益田ドクターが非常にニュートラルな感じがすることです。人を見すぎる特性のある私は日々その特性に苦しむ(自我境界線が薄い?)ことが多いのですが、益田ドクターはとてもフラットな感じがします。以前、益田ドクターが他の精神科医の先生との共演した動画を見ましたが、益田ドクターは「考えるの好きです。パズルを解くような感じです」というようなことをおっしゃっておりました。知的バックグラウンドと解決・伴走の仕方、論理説明と思考が凄いドクターだと思いました。いい意味で人間的な性格・人間味・人情?を表出せずに動画を作成されているのかとも思いました。良い意味でクールで活動的という相反するものを感じます。私の主治医とは長年のお付き合いなのでとても新鮮でした。主治医の言うことを聞くのは嫌だなと思うことも動画で理論説明とやや残酷なことも踏まえて教えていただけると「やってみよう」「ここは抑えてみよう」などと得心がいきます。 私の主治医はやや高齢ですのでやはり患者との信頼関係と愛情に重きをおいているのか、それも凄く大事ですが、益田ドクターは「現代の患者と精神科医のありかた・患者が変わってきているという印象がある」とおっしゃったことがとても腑に落ちました。 長文失礼いたしました。 考えさせられることが多い動画を有難うございます。 どうかまたコメントさせて頂きたいです。皆さんもどうかよろしくお願いします。
動画ありがとうございました。30代半ばで病気が発覚し、難病であることが分かりました。当時はまさに説明のように、否認し、家族を責めたり、悲劇のヒロインのようになった時期があります。ただもう今は変えられない現実と向き合い、なんとか生活はできていることに感謝をしています。心理士ですが、専門職とか関係ないですね😅先生のおっしゃる、仕方ないと思うこと、生まれてきて良かったと思えるように、少しずつなっていけたらと思います。
苦しみを受けいれるのに、スピード出世は、ないっていうのは、なにかしら、救いのような気がします。
精神科医は登山のガイドみたいなものだそうです。道は教えてくれるけど、おんぶ、抱っこはしてけれない。
24年間受容するのに、苦しみました😅当たり🎯
やはり、親や弟に自分の夢を潰され、自分の人生が無意味であるのがあらためてわかりました。手持ちのカードは何一つありません。何も良いことがないのでどうするか考えます。
ご自分の人生、無意味だと感じられたのですね。「いま」はそんなんだなーと気づかれたことに先ずは一歩。なのかなと思います。否認、怒り、取引、抑うつ(順繰りします)……そして、寛解にむかっていくと思います。本当にゆっくりで目に見えない速度だけど、ときどき、振り返ると前より気にしなくなってきたな、とかまた、気づいたりしますよ。慌てず、焦らず、諦めず行きませんか?
@@藻塩-o4p 子どもの時からすべて自分がやりたいことは否定され、弟の我がままをすべて許しはなんでも買ってやる親でした。弟は好き放題で自分の思い通りにならないと暴力をふるうので多額の教育費(家一軒分以上)・(将来性がまったくない遊びのような各種学校に何度もいかせた。)を親はかけましたがニートです。自分は小学校の時から塾にいって本当に勉強したいのに本や教材さえ買ってもらえませんでした。一度、教材は買ってもらいましたが高いといって、意味がない参考書機能がなく、不明な解説もない教材に変えさせられ成績が急激に落ちました。。塾はすこしだけやっと行かせてもらえました。そのため中途半端な成績でした。いまでも塾の広告や塾の看板、塾生徒の進学先などをみると本当に悔しくて泣きます。(それでも仙台でトップ高校進学レベルの成績ではありました。)しかし、大学に行きたくて普通高校を希望しましたが普通高校へ行くことは絶対にダメだといわれ、職業系の学校に強制的に入れさせられすぐに働くことになりました。授業料や教科書代は自分が奨学金をかりて40歳近くまで払いましたので20代、30代は遊ぶお金は本当にありませんでした。さらに働いたお金も親にかなりとられました。おじろく・おばさと同じです。ずっと生きている意味がないと子供の時からおもっているので親がタヒんだら、自分の人生は十分達成できたと思うのでそこで終了にしたいと思っています。
ヤスヒロさま。ゆっくり、じっくり大切に読ませていただきたいです。誠実にお返事したいと思います。ところが…実は脳腫瘍(良性)で、最近頭の回転が遅いときがあり、ボーとしてしまうときがあります(^_^;)10月以降には放射線治療をする予定です。私も東北沿岸の出身で、「仙台」という文字を見て、ますます、この使えない私の脳みそを振り絞ってお返事しますので、少し時間をくださいね。そらオバちゃんより。
こんばんは。ヤスヒロさま。お返事が遅くなりまして、すみませんm(__)m二度目の長くコメントしてくれたものが消えてしまいましたが。もしかしたらズレたコメントになるかもしれませんが。数回読ませていただいた感想(*˘︶˘*)ヤスヒロさまは家族のために自分が、犠牲になってきたと感じていらっしゃるのですよね。読んだ限り、兄として、長男(?)としてたくさん頑張られてきましたね。と感じました。私も成人している二人の息子がいますが、やはり次男は甘えさせすぎた気がします。。反省。ヤスヒロさんは、親御さんが、亡くなった時は……とありますけどそれは親御さんのことを本音の部分では大事に思われているからなのでは?と思いました。心配をかけたくなかったり、ね。親御さんを看取る…、というか、それまではという決意をしているのはとても、優しいと思います。あー本当に、また何度も読み返したかったのですが、なぜか。出てこない😢とりあえず。もしよければ。またコメントください(._.)
コメントで自分と全く同じ過程を過ごしていらっしゃる方を見つけました。泣いて否定して怒って諦めての繰り返しでしたよね。それでも通院して向き合い続けて脳が矯正されてきたように感じています。理想と現実の差を埋めようとしない、手持ちのカードで生きていくしなやかさを得る為にはどうしたって通院、自己対話が必要だと思いました。
「受容」って口では簡単に言えますが実際は難しいです。日々の何気ない(社会)生活が修行になっており、いつしか腑に落ちるというか諦念というか達観というか、人それぞれ到来到達時期は違いますが訪れるんでしょうね。
一年くらい前にこのチャンネルを見ていたら、益田にムカっとすることがよくありました。益田が成長して、話のレベルが上がったのかもしれないし、私の需要ができたからかもしれません。今は自分の不幸を受け入れることが、ほぼできています。
なんども、うまく抜けれた気がして、また元に戻るを繰り返していましたが、それでも少しずつは変わっていく自分を実感しています。でもどこかで早く抜けられない自分を、医師はまだ悩むのかと呆れているような気がしてしまいますね。その思考自体、人の目をきにしている証拠なんですけど。平凡を受け入れる、やっとやっと、この私でいいんだ、この私でできることをやるのが私の人生なんだと思えるようになりつつある気がします。小さな幸せを日々感じながら、感謝しながら、小さくでもしなやかに生きていきたいです。
周りに合わせようとしても、上手くいかず、一人で抱え込みすぎる私。まずは、自分の良さと苦手な部分を自覚し、得意で支え、苦手は手伝いをしてもらうようにしております。今は教育の仕事ですが、クラスで孤立しがちな発達凸凹の子ども達の気持ちが良く分かります。彼、彼女達の代弁、権利擁護みたいなことをしていこうと考えております。
受け入れる、頭では分かっていてもなかなか身体に染み込んでいかないですね。ネガティブな時、「皆んな病気になっちゃえばいいのに。そうすればこの辛さが分かるのに」とか考えてしまいます😅
キューブラー・ロスのこの話は聞いたことはありましたが、死に対してだけじゃないのだと新たに学びました。私は対人関係が苦手で、そこから生まれる問題で(問題とは私の問題ですが)このループから抜け出せなくなることが多いです。「この苦しみを抜ければ幸せになれる」苦痛の受け入れが下手というか、無痛への執着というか(上手く言えないのですが)ほどほどの苦しみをも受け入れ難いのが問題な感じです。意識がそこに集中してしまって外れない。だから感覚的にかなり痛い(苦しい)ように感じる。イメージ的には"風邪が治る"ような感じを無意識に求めてしまっているような。頭では先生のお話は理解できるのですが、どうにも気持ちがそう持っていくのが困難です。
5年ほど心療内科に通院しております。ずっと苦しんでいる裏に「これを抜ければ幸せが待っているはず…」という大きな期待感(先生がおっしゃっている万能感)のようなものが確かにありましたが、「受容したあとに待っているのは『平凡』」という解説に少し残念さを感じつつ(笑)、最近では平和や穏やかさ、落ち着いた日常を送りたいという気持ちも芽生えてきていたので、そろそろ諦めもつくのかな、抜けれるかな、抜けれるといいな、という思いに至りました。他の動画もいろいろと拝見しており、自己理解や身近にいる困った人(やはり精神疾患においても類は友を呼ぶのでしょうか…苦笑)の理解にも役立てています。動画を出してくださりありがとうございます(՞ .ˬ.՞)"
受け入れることってとっても難しいですね。なかなか。
受容って前も後ろも向かずに生きるって事なんだ。精神疾患の人間が明日は大丈夫だって、未来に希望を抱く事って現実逃避に過ぎなくて、実際は、明日も今日と同じ様に過ごす事が多いんだ。希望を抱かず絶望せずに淡々と時間が過ぎる事を待つって結構辛い事なんだ。
受容って難しいですね😢でも受け入れて、自分にとって平凡な日々を送っていきたい。
何も出来ないことを受け入れることで、何もしないことを選択します。そうすることで、何ができるのか?を見つかる気がします。参考にします。有り難うございました😮
うちの先生は目を見て話しません。益田先生はそうじゃない人でいてほしい。
私はSLD持ちですがつい最近まで「スピード出世」があったように思います。あと障害についての世間の差別、偏見が無意識に自分の中にもあると気づき愕然としました。自分が自分自身に対して差別、偏見を持っている。それは「スピード出世」という形で現れていたと思います。今日の動画で益田先生がキューブラロスの受容の段階の説明をしてくださって自分の受容について今までどの段階だったのか、現在はどの段階なのか認識できた気がします。私は過去の「万能感」と「スピード出世」「否認」を行ったり来たりしながら現在は何だか がっかり とした「抑うつ」のようなステージにいるようです。時々受容できている気になりますが、色々と未だに障害に関して自分を責めてしまうこともあるので完全に障害受容ができてはいないと思います。障害の診断を受けてから長年経つのにこんな自分で情けないです。表面的には受容しているふりをしている自分と受容できていない自分とのギャップに気持ち悪さや自責の念にかられ苦しいです。まあ、それが自分というものだから仕方ないのですけどね。益田先生 今回も為になる動画ありがとうございました。
26歳ASDの可能性があると言われましたそもそも不安障害での中での診断でした受け入れることはやはり難しいですね大人の発達障がい終わりがないとわかりゴールなんてないと苦しむしかないのかなと思っていたらこの動画に出会いましたありがとうございます
初めて受診してから20年近く経ちますが、未だに苦しみは収まりません。メンタルの病気が年齢とともに増えて、病気のデパートみたいになってしまいました。でも、一番20代が苦しかったので、30代になって少し落ち着き、周囲に迷惑をかけることも少しずつ減ってはいます。しかし私個人の病気は一生ものだという覚悟があるので、ある種受け入れてはいるのですが、苦しみに翻弄される度に、どうして自分が…という思いに苛まれます。健常者の方は本当に羨ましいです
学校の授業よりも、益田先生の動画の方が勉強になります。一生使うことのない知識よりも、生きる上でぶつかる壁にどう向き合ったら良いのか、などの本当に大切な知識を教えて下さる益田医師に感謝しています。この動画こそ、大学での必修科目にして欲しいです。
SNSで他人の成功を見た時なんかは怒りや抑うつになります。「もっと頑張ればもっといい結果を得られたのではないか」と万能感のようなものを抱いては、そうなれなかった自分を責めます。そして「こんな自分や人生ではこの先も良くならないな」と思ったり、強い希死念慮が湧きます。しかし、連休等で余裕のある時は「自分のやりたいこと、出来ることをやろう」と計画を立てたり、自己啓発的な思考になります。実際は何も身に付くことをせず、ただ消費するばかりなのですが。良い状態と悪い状態がありますが、比率としては悪い状態の方が多く深刻です。精神科には通っていますが根本的な悩みを打ち明けられておりません。
病気や怪我を受け入れるまで時間がかかりました 怪我で上手く動かせない手になって好きな料理が出来なくなった時は辛かったかな 今は上手につきあえてる たぶん🍀 森の外に出たりしながら色々な問題もクリアしていこう
自分にとっては、受容という言葉は良い印象がなくて、よく分からなくて…適応ということ言葉がしっくり来ました松崎先生の動画、障害児を持つ母の感情の変化、で知りましたただただ、抱えながら生きていく、受け入れようが入れまいが、それが普通になっていく、その上の再起そうなると、本当に時間がかかりますね…
誰かを受容するだけで 精一杯だった 自分がみじめになりたくなかった もう今はその頃の自分は居ないと思いたい
口コミで1を付ける患者さんがいたとしても、私は益田医師のUA-camは、星5だと思います。心は目では見えませんが、私の心を救って下さり、ありがとうございました。
ほんとにその通りです…。私はほんとにいろんなことがあって、ほんとに色々乗り越えて紆余曲折を経てきました。私と臨床心理士さんの長年にわたる関係は、ふと、ヘレンケラーとサリヴァン先生との関係に似てると感じました。癇癪を起こしてスプーンを床に投げつけた三重苦の身体障害を持った子供時代のヘレンケラーに、拾いなさい!と言い放ってヘレンを心配する両親には手伝わせなかった。ヘレンがスプーンを時間をかけて、そして反発しながらうめきながら、みたいな感じで拾う、とか多分そんなお話を思い出しました。私は精神疾患を持ちかつ、親に正しく教育されなかったのを、大人になってゼロから学び直した感じがします。ほんっとに、色々大変でした。私もまだまだ、いい年齢なのに、回復途中、発育途中で恥ずかしいですが、思えば色々な障害を持ったヘレンケラーが素晴らしい人になったのは何も、彼女が優れていたというより、ただただ障害を受け入れているだけだからなかぁ、と、ヘレンケラーさんのことは普段全く考えないけど、この動画をみてそう思いました。親以外?のよい大人の人たちの協力でよくなっていく過程…ほんとに迷惑をたくさんたくさんかけてしまいました。今もです…。ほんとごめんなさい、、ありがたいです、という気持ちです。
あぁ、でも、ヘレンケラーははすごい人になったからなぁ。私はそんなすごくなる精神力はないなぁ。それは悲しいことなのだろうか。もう夜遅いから寝ます〜😴💤
私自身、障害者手帳を渡された時、一回死んだと自覚しました。そこから、今までのカードを全て棄ててリスタートしました。
自分は変に家族にちやほやされてきたので(赤ちゃん扱い)自分が1番で可愛がれてる状態じゃないと不安になりますなので私が病気になってからは急に私に対して冷たくなったりほっとかれました。昔の自分に戻りたいと思ってしまいます学校が最高に楽しかった時だし、初めて周りが注目してくれて笑い合えた最高のクラスだったからですそれを忘れたくないしそれを越す幸せなんてある?って思うくらいですなんかここに書いてても長文だし先生読んでどう感じるんだろうとか、なんかモヤモヤします人に話したいとかじゃなくて自分に向くと鬱になるのは否認して絶望してるから、、トラウマもすごいけど結局は自分で乗り越えないといけないなんて私は大罪でも犯したのかなというくらい難しいです病気を公表しようとヘルプマークを貰ったり先生の動画見たりコメントしたりするようになったら冷や汗が出ました。先生の動画をみてチャットで交流できるの初めて出来てしかも学ぶのが楽しいみたいな感じだったのにな、、先生のことも口コミつい見ちゃってなんか不信になるし辛いです
私は受容出来ずにバンドやアイドルにハマりました。借金とかしたりファンを攻撃したりとか、楽しかったたけど苦しかったな。最近は、やっと受容出来たのか平凡になりました。薬も減りました。オンライン自助会入ろうかな思っています。焦らず頑張ります☺️
『私情がでちゃいました』と笑う先生がおもしろいw そして、『平凡を受け入れる』『よりちょっと劣った存在だということを受け入れる』と、ズバリなことをさらりと言ってるのもおもしろい。それができれば楽になるのに、実際には理解できない、受け入れられない人が多い。。診察の場面では、患者さん相手にどういう言葉で伝えているのだろう..と気になります。
簡潔で私情も入って(笑)、分かりやすかったです。今自分はどこかな?あの人はこの段階かな?と少し察することができるのは有難いです。
私が支配されている万能感は私も平凡になれるはずというものかもしれないと思いました。生まれて40年以上平凡にさえなったことがないからですかね。
双極性障害と軽度知的障害ですが、軽度知的障害の診断を受けた時「(受け入れるかどうか)あとはプライドの問題です」と医師から言われ、妙な言い方をする人だなと思いました。だって、私は障害があると判ったことで自分の生きづらさの原因を一つ知ることができ、ああやっぱり甘えとか弱さじゃなかったんだ、もうこれで自分を責めなくてもいいんだと思いました。だから軽度知的障害、それから双極性障害も、私にとっては大事なアイデンティティの一つです。(アイデンティティの使い方が合っているかは不明ですが)
病気はだいぶ受容できてきたかなと感じてますが、不幸だとは思えないんですよねまだまだかしら
不幸にハマり過ぎないことはラッキーなことではないかと思います。周りがどう思うかではなく、ご自分がどう感じているか…だも思うので。。
私は少しずつ諦観を進めていってる状態かなあと感じました。
すごい事ずばずばですごいです😅耳障りが良くない、けどこれが現実だし、人の心理なんですね。異論なしです
たしかに、ずばずばですよね。益田Dr.は、時々、というか。空気を読んで(?)の言動が激しくて、え。この前の話してること違うじゃん!という書き込みも度々見ます。言葉が足りないのか、そもそも多様性の中にそれぞれの感じ方、受け止め方、聞き手の解釈になりかねないのでフィードバックが必要ですね。。
手持ちのカードか〜たしかに、手札で納得できずに山札をひこうとしたことは何度もありますがけっきょく満足するに至らないんですよね。ついつい無い物ねだりしがちで、隣の芝生は青く見えますがありのままを受け入れる、過小にも過大にも自分を評価しないっていうのは人生をうまくこなす秘訣ですね。
自分が仕事場(A型事業所でも)で置かれている立場も把握するのも重要です。
先生の話今日もわかりやすかったです!自分は感受性が乏しいのか怒りや取引といった感情はあまり抱かないです自分は何がいけなかったんだろうとずっと考える感じで、、怒りや取引は欧米人的な思考なのかなとも思いました受容のプロセスの日本人バージョンもあればぜひお聞きしたいです!
内容と少しズレてるかもだけど、私は平凡な自分を、受け入れることができない。普通の平凡な自分になるのが怖い。私から精神疾患が無くなると、私には一体何が残るんだろう?あえて苦しい自分のままでいることで、アイデンティティを確立しようとしてるのかもしれない。歪んでいますね。不快な気持ちになった方いらしたらすみません。でも今日のお話とても納得できました。
病院とかクリニックの口コミって低いとこ多いですよね。みんな調子が悪くて不機嫌だったり過敏だったりするからなんでしょうね。私がお世話になってきたとこも結構評価が低くて、先生の事を悪しざまに書いてるものがあります。とあるクリニックはハキハキきっちり疾患の説明する先生なだけなのに、語気がキツイとか書いてある。逆に怪しいもの売ってるっぽいとことかは評判良いとか…最近ホンマ口コミ信用できませんわ。
万能感そういう事だったんだと、とても良く理解できましたあの考えの突飛さってこういう裏付けだったのですね理解出来て安心しましたそんな自分えらい訳ないほんと思うのに、アレ、(笑)皆、理解、受容、できる様になると良いですね。きびしいけど病があっての自分の個だもんな良いアップありがとうございました
インチキ洗脳のマルの部分に13年たっぷりと浸りました。とっても長かったです。13年間ずっとその世界にいたので、今はやっと世界が正常に見えます。もちろん非もたくさんあるし、グレーなこともありつつみんな生きているということがやっとわかって、ある意味すごく楽しくなりました。インチキ洗脳の世界では、苦しみのない、幸せと感謝しかない世界へって感じで、今思うとそこから抜けられただけでもまずよかったって心から思うくらい、キラキラして見えるけどかなり特殊な世界でした。
納得がいきました。つまり誰にでもその過程はあるんですね。
受容して手持ちのカードで勝負しようとする過程の中で、人々に相談したりして、結果として人が離れて行ったり、仕事を失ったり、受容するのにも一人だけの話に収まらないこともあって、相当な痛みを伴って、とても辛いです。受容するプロセスが私にとっては挑戦的なものですし、結果として得るものもあると信じていますが、非常に恐ろしいというのが正直なところです。
私も発達障害カフェに行くことで自分は一人ではないと知ることが出来ました!一人だと辛いのは当たり前です!
とても共感しました。
@@ninamuller470 発達障害カフェはどこにあるんですか?
私の住む市にはないですね。
@@naasuw 都内と名古屋にあるということは聞きました!あと、今京都の北の地方もクラウドファンディングでカフェを設立しようとしていると聞きました。結構Twitterに情報があったりします。
@@ninamuller470 ありがとうございます。ちょっとどこも遠すぎて、行けそうにありません。
元の状態に戻りたい、病気でない状態になりたいって思っている時点で、まだまだ受容はできてないんだなと実感しました
苦しいです
この先生が障害を持つ人が一定数生まれながらもそういう人たちが、普通より変わっているからこそ、イノベーションを起こして人類発展している、とても興味深い生存戦略っておっしゃっていてなるほど!と思って、イーロンマスクのインタビューを見まくって彼が人類の役に立ちたいと一生懸命な様子を見て、私は元気をもらいました。たしかに社会性にかなり問題ありで、家族以外とうまく関われなくて、凹ばかりだけど、暗記が得意だったり、勉強が得意なので、少しでも凸を一生懸命磨いて、もちろんイーロンのように大きくではなく、自分ができる限りで社会の役に立っていきたいです
悩みに悩んだ挙句受容に行きました
でもやっぱり怒りや万能に戻ってしまいました
苦しいですね
過酷ないじめというトラウマを抱えていても、こうして生きていて、どうにか人生を肯定していこうとしている。そのことだけは素直に自分のことをすごいと思う。これもやはり万能感なのでしょうか?20年経った今もなお、どうしてもいじめられたくなかった!と泣く夜があります。
もういい歳なのですが、かなり長い間「実は私はすごいんだ。障害さえなければ」と思っていました。というか、まだ諦めきれてないのかもしれません。この辺、まだまだ時間がかかるのかもしれませんね。そんなに手軽に苦悩を脱せるはずがないし、脱したとしてそこに素晴らしい自分が待っているわけではない。悲しいですがそれが現実だと再認識しました。わかりやすい解説ありがとうございます。
おっしゃってることにすごく同感します。私もまだまだ受容できず怒りと絶望を行ったり来たりしてます。
平凡を受け入れるのって難しいですよね。
ホントは平凡が一番いいものなのに。
私もまだまだ、自分に幻想を抱いてしまいがちです。
よくわかります。自分がなってから感じましたが、精神疾患って昔ながらのイメージが強かったけど、実際そんな人は少ない気もしますね。普通の範疇だった人が少しその枠から少しだけ外れた人がなるイメージというか、、
自分が精神疾患にならなければもっといい人生だっただろうに、という気持ちによく支配されます。特に、まわりと自分を比べてしまうと劣等感や怒りが湧いてきます。なんだかんだ諦めきれなかったり、平凡ということを受け入れられていなかったのだと動画を見て気づきました。
長い道のりになるだろうけど、ここまで何とか生きた自分を受容していきたいです。
とても腑に落ちる内容でした。
不幸とセットの万能感、よくわかります。病気が良くなれば…とか未来に現実味のない希望を抱いていました。病気が寛解しても、人より体力がなかったり離職した時間だったりは残るわけで、「そこらの辺の人より劣る自分」になるだけなんですよね。その部分が苦しくて心から受け入れる事ができないでいます。
でもこの動画のおかげで今の日々の意味がわかった気がしました。ただ鬱々と悲しんでいる毎日に、時間を無駄にしている様に感じていましたが、ただ悲しんで不幸を受け入れるための時間がきっと私には必要なのかなと感じました。
悲しんで悲しんでどん底までいったら諦めて受容できるのかな。
長い間、万能感を捨てることができませんでした。今は、まさに行ったり来たりしている状態です。早く平凡に悩んだり平凡に笑ったりできるようになりたいです。
受容までたどり着くには目の前にある小さな成功体験を積み上げていくこと。自分のペースでいいから進んでいくこと。不安と孤独はオマケでついてくるけれど、きっとその先には晴れやかな平穏な自分がいるんだと信じること。
益田先生の動画は勿論、最近特にコメントを読むのが私にとって支えになるし励まされます。感謝します。
40代になった今、発達障害と診断されたときは否認とか怒りの感情が最初はありました。しかし冷静に考えてみると、今までの人生で思い当たる節が色々あったので「そうだったのか」と思い腑に落ちました。まさに諦観という感じでした。
歳を重ねて人生を振り返ると、色々な環境にいても似たような目に遭うのだから、自分に問題があるって事に気づきますよね。負けよしみですが、それを自覚できただけ過去の苦しみも無駄にはなってないのかなと思う時もあります。
「平凡を受け入れる」という言葉が心に刺さりました。テレビやネットで活躍して脚光を浴びている方達に、憧れや時には嫉妬を感じてしまいますが、あの方達と自分は根本的に違っていて、結局自分は平凡かそれ以下なんだろうと、思わざるを得ないという事なんでしょう。
障害も不幸も平凡も受け入れられずぶれぶれで生きてます。万能ではないということを理解できるのに理解できないもやもやがあります。このままで人生終わるのは嫌だから、手持ちのカードが何なのか整理することから始めてみようと思います。
万能感をまだ引きずっているという事に気づけました。
受容出来るように毎日過ごしていきたいです。
今年25歳になりますが、やっと自分の特性や病気、置かれた環境を客観的に見られるようになりました。早い人なら幼稚園あたりで自分を客観視して社会での立ち回りを考えていたんだろうな、と思ったりします。
人よりも出来ない事が多いし不運なのに、人生において精神病である時間が長くいつも万能感に溢れていました。
受け入れてまだ日が短いですが人として当たり前のことを着実にこなす事から始めようと思います。
先生の動画本当に勉強になります。
これ否認か怒りだけでもできてる時点で十分凄いと思う。抑圧とか乖離で否認まで行けないこともあるから。
虐待やいじめを受けていた記憶が完全に押し込められている時期が長かったから。益田さんを否定してる人も、動画までは見に来ようとしたってことだから。
『日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」』
という記事が前に有名になってました。
俺個人もそうだし、「日本全体」も、平凡への否定の所で停滞している感じがします。
私は自分が精神疾患と自覚出来るまでに約20年掛かりました。先生のお話であったように「何で私が精神疾患なんだよ。ふざけんなよ」ってずっと怒ってました。多分無知だったからです。
私は想像を絶するハラスメントを受けて病んでいましたが、私は精神疾患じゃなく、加害者の方が精神疾患だろ、ふざけるなって思ってました。でも病気の事を勉強したり、色々な患者さんと接するうちに無知がなくなって病気が受け入れられるようになりました。
ただ病気は受け入れられましたが大好きだった消防の仕事を失ったので、その事はずっと尾を引いています。医師や看護師保母さんなど資格のある人はやり直しが出来ますが、消防士は資格ではないので辞めたら終わりです。また元気になって一から積み上げる事が出来ません。その辛さから私は抜け出せていません。
働く人は大嫌いだったけど、消防の仕事は大好きだったから何故ハラスメントを受けた私が辞めて悪い人間が働き続けてるの、ふざけんな、という怒りから抜け出せずにいます。家族からはあんな恐ろしい消防を辞められて良かった、辞めてなかったら今頃どうなってたか分からないと考えたらどうかと助言されます。別の消防で働けたら、そんな気持ちになれたのかもしれませんが、本当に消防の仕事が好きで、時間も忘れてしまうほど打ち込んでいたので退職した事実をまだ受け入れられていません。悔しくて泣けてきます。
いつかこの悔しさからも抜け出して受け入れられる日が来るのでしようか?今は真っ暗なトンネルの中で光の方向が分からない状態です。今私に残されているカードは、家族を大切にする事です。引きこもりの私を支えてくれている家族に迷惑を掛けないように一人でも外出出来るくらいにまで回復したいです。小さな目標をクリアして、もう一度前向きに人生が歩めるようになりたいです。
本当にあなた側の特性に問題がなければ、もう少しスムーズに、柔軟に人生を渡っていけたはずです。世の中の仕事は消防士だけではないです。貴方自身に自分が思う以上の問題があるって印象がしますね。文章から。
もちろん加害者側にも問題があるのは間違いないだろうが。
最後に言っておく。いじめる人間も悪いがいじめられる人間も悪い論法で、これまで、沢山のイジメ被害者が犠牲になり、中には自殺した者もいた。明らかにイジメる者が悪い。これが理解出来ない人間を、私は鬼畜だと思う。
今日、県内の消防の方から、私が働いていた消防は異常だと有名だったから、私が唯一まともだったんじゃないのと言われました。私が勤務していた消防は、県内で異常と有名だったんです。
私と同じ特性の消防職員が見つかりました。メチャクチャ、仕事の出来る消防職員でした。同じ県内のある消防にお勤めの同期ですが、その消防で難しい違反処理を始めてされた方なんです。この同期自身にも問題があるのでしようか?私のような人間でも、素晴らしく柔軟性があり、頭が良い人間はいるんです。証拠もありますよ。悪い人間側の話ばかり聞いているから、正しい情報が入ってこないのではないでしようか?人間は嘘を付きますから、注意しないとダメなんです。私は、以前、裁判をした時に、堂々と職員から、裁判で偽証されたんですよね。普通なら、偽証するような職場の職員の方を疑いますが、世の中は、間違えているから、こんなコメントが増える気がしますね。別に私は、いいねが欲しくて、コメントしているのではないんです。元自衛官の五ノ井さんや、元ジャニーズJr.のカウアンさんみたいにネットの中からでも、救済してくれる人がいないか知りたいんです。こんな恐ろしい人達と、これから戦わないと行けないから。何とか、少しだけラインで証拠が集まったから、同期にも、今後、何とか救済してもらえるように、もっと考えないとですね。私に、強制わいせつをした同期は、最後のラインメッセージで、犯罪をゲロってましたよ。あの文章から読み取れなかったらヤバいです。
22歳にもなってるのに躁鬱もADHDもASDも受け入れられない。何で私はこんなに苦労しないといけないの?周りはずるい!!の気持ちから抜け出せないし、病気や特性が理由だとしても周りより劣ってるのは事実だから酷く劣等感感じ、何をするにも自分にはできるはずがないと強い恐怖や不安を感じます。
私も病気以外に子供のことでも悩み、この苦しみを自分のものとして認識できず、子供のせいにしていました。子供の悩みから解放されて毎日が幸せかと言えば、少し背負った荷物は下ろせましたが、私自身の体調や気分の不安定さは今も変わらずあります。自分のことってわかっているようで、何もわかっていないのかもしれません。それでも明日を生きるために楽しみや喜びを探していきたいです。
すごく自分に当てはまるお話でした。
万能感、理想化、抑うつの状態に自分はあると感じました。。
まず、自分の不遇や不幸や置かれている立場の悲惨さをご自身を守るための武器にしないことですね。
この受容というのは、益田先生のような医師という資格者であるひとも不幸の受容であるなら
知的や精神や発達の障害のかたと同じですね。
私の近い関係のかたで、救急の小児科外来で働いている医師がいますが、実母との関係性でわたしからみて、自らの体を痛めつけながら仕事をしてます。
この場合、実母が許せない、実母の洗脳にはかからないと言いながら、自分の家族を破壊した
実母が許せないといかり、それで生活してゆかないと取引をして抑うつ状態のような感覚を久しぶりにお目にかかって感じてしまいました。この実母を受容できない状態は、この小児科医という医師の立場でも関係なく起こりうることが、私自身の近い人間関係でも確かめることができました
生きづらさ困り事と向き合い、私の病気を受け入れたいと思うので、日々動画を視聴して少しずつ学んでおります。
私は病気が治れば優れた人になれると思ったことはありませんが、平凡になることが凄く難しいと感じております…。
今の生きづらさ困り事を少しでも改善して平凡に近づけるように、穏やかに生きられるように、これからも病気と向き合っていこうと思います。
益田先生、いつも学びの場を提供していただきまして、ありがとうございます。
否認、怒り、取引、抑うつ、、インチキ洗脳を何年間か味わいました。
今は諦観に来れたかな😊
主治医と、益田先生の動画と共に歩んできました。
助けてくれる人達がいてラッキーです♪
とても腑に落ちる内容でした。先生の仰る通りの経過を大なり小なり辿っていると思います。そして、受容に至ったのかは分かりませんが、、、
とても考えさせられる動画でした。先生の動画など不満に思ったことは無いですし、本当に感謝しています。ありがとうございました。
身体の病気がまだ受け入れることができずにいます。支援が必要で頼った先で言われた言葉が無神経に感じて怒ったり、怪しいビジネスの人に営業されて悲しくなったり。働いて自分の医療費を自分で払えて嬉しかったのに、働けなくなってまた医療費を親に払ってもらっていることが悲しいです。
病気と喧嘩しちゃだめだよとよくいわれていましたがいまだにあがいてしまいます
万能感やこれさえすぎれば幸せになれるという気持ちはもったことがないです
このままでいいんだ幸せになってはいけないんだとどこかで思っている感じです
虐待されてきた影響でしょうか
自分の病との向き合い方を今一度見直す事ができましたありがとうございます
今日も学びをありがとうございました☺
益田先生、未成年発症で通院服薬入院を経ている場合の、病気障害の受容を動画撮って欲しいです。
ただ不運が重なって、、、でも子どもの頃から不運が重なったと理解するにはあまりにも酷で。
33年通院し続けていて、
病気障害は受け入れざる得ない状況(働けなくなった)です。
今は47歳ですが社会的背景→就職氷河期世代
生まれた時期も運が悪かった。
結局、生活保護や年金で生計を立てているけど、
正社員で働いていたときのように近場の旅行に行ったりさえもできないから、自然に視野は狭くなりますよね。
生活さえ最低限の生活になり、いつまで苦しい思いをすればいいのだろう。
今は終活ノートを書いている時が幸せです。
この病気障害の身体と早くおさらばしたいです。
海に行きたい、森の中のカフェに行きたい、
ほぼ寝たきりで身内と疎遠なので、自力じゃ移動だけでも厳しい。
わかりますよ。平凡でもよいから、普通に楽しいことをしたいですよね。海にもゆきたいし、森のカフェに行ったり、健常者の人たちみたいに、働いたりして、そのお金で、少しでも、やりたいことをできるようになりたいですよね。受容して、乗りこえたら、その先に明るい未来があるなんてことはないと、否定されたら、私も苦しいです。お医者様から処方されている、お薬が合わないのかもしれないですよね。カウンセリングも合わないのかもしれないですよね。私は、世間では公表されていないタイプの解離性障害で、お医者様もお薬の処方に四苦八苦しています。苦しいですが、私もなんとか頑張っていますので、いつか海にも、森のカフェにもゆけるよ、今は仕方ないわあ、と、受け流して、ゆったりかまえて、お互い頑張ってゆきたいですね。
キューブラロスの話しは初めて知りました。特に「怒り」「取引」についてはとても分かりやすかったです。
まだまだ知らない自分がいるんだなと思いました。
益田先生はとても分かりやすく話してくれるので鬱状態でも内容が頭に入りやすいです。
病気・障害のある自分がいる。病気・障害を受け入れない自分がいる
神経症圏の疾患ですが、発症以来30年間の人生がめちゃくちゃになり、その時間を永遠に失いました。今までもこれからも受容はできませんね…諦念しかないです。来世があるなら健常に生まれたいです
どん底の気分が続いたあと急に万能感が来たりするので、本当の自分を理解しきれなくてずっと不安定な状態です。
今回も大変勉強になりました。
感情のメルトダウンについても、いつか動画でご解説頂けると嬉しいです…!
私は「病気の自分も自分自身」と言い聞かせていたら少し楽になってきました。
私は学生時代発症で15年くらい経って平凡がわかり、俯瞰できるようになりました。益田先生の仰ってることの深〜い意味でわかるようになりました
私は自分自身に怒りを感じることが多いですね。自分に対する受容がなかなかできないです。他の人に受容して欲しいという気持ちが強いですね。「苦しみを抜きにして受容に至ることはない。」ということを肝に銘じたいと思いました。
長い戦いでしたが、やっと受け入れられるようになったと思います。
受け入れられた自分は偉いなと思います。
カウンセリングの過程と相似😊カウンセリングによりうつ悪化、停滞、良化、安定、寛解…間違えていない出口探しの道程ですね😊
介護資格でも似たようなことを学んだような…
双極なので平凡を受け入れるのが難しかった。今でも、やれば相当出来る子とか自分で思ってしまう。実績があるだけに…
まだ受け入れてるようで受け入れてない気もする。
躁鬱、通院して9年目になります。
最初の4年位は全く受け入れられない中やっと通院し服薬しているだけの状態でした。
その間は否認や怒りの辺りを行ったり来たり😅
そこからショックを受けつつも諦め…
自分や周りを観て受け入れ始めたのはここ3、4年です。
先生の仰るサイクルを何度も周回しキツイ日もありつつ、
じりじり楽な期間が長くなっている感じです。
辛いけどそういった
地道に受入れながらコツコツ日々を生きていく以外に方法は無いんだと思ってます🍀
悲しい。定型発達っていいなー。私障がい者なんだわ…。知ってた、色々うまくいかない。間違えてばっかりで、恥ずかしい思いばかり。でも子供は万能になってくれるんじゃないかって思って一生懸命育てたけど、やっぱり不注意ひどい。倫理観も弱くて怖い。
何のために私たちは生まれるんだろう。
私も定型発達いいなって思います。定型発達が当たり前にこなすことを私は時間がかかったりできなかったり、、そりゃ精神に歪みでてきますよね。
いつもありがとうございます。最近悪夢ばかり見て眠れないので先生の動画を聞いています。
自分の人生を受容する事がなかなか出来ないです。体質が敏感で苦痛な事や不幸な出来事、考え過ぎるから受容出来ないのかな…
気楽さを、もう少し上げたいです。
同調圧力の時代に生きて診断されて
葛藤が本当に凄かった身です。
診断が降りて安心感を受ける事が
良くあると聞きますが、本当にそういう思考が出なくて
正直絶望、葛藤が強かったです。
でも治らない、一生治らない。覚悟もできてきます。
人生の中で受け入れてくれて仲良くできるような方に
出逢いたい物です。
あるね。受け入れが。ほんま😊。沢山の人のコメント観て悩み多いんだと。思いました。みんな何処かで我慢し時には辛い思いや悔しい思いも。けど今は変わりつつあり理解してくれる人が増えたらと思います。
キューブラーロスは看護師の方でしたっけ。また読んでみます。
皆さんのコメント読んで、自分も辛いと思って良いんだなと思いました。
まだまだ行ったり来たりしてて、諦めきれないこともたくさんあります。
最近思うのは、諦めるというか出来る範囲で出来ることをする様にしようということです。
イチローが、もし今日30%しか力出せないなら、その30%を出し切る努力をするということばが心に刺さりました。
30%しか、できない、じゃなく、それを出し切る。
その毎日なのかな。
自転車に乗るとき、好きな電車に乗った時何故か万能になった気がします。
難しいですね。達観とは。無謀運転はしませんが。
統合失調症30年。何とかして働きたい。幸せな家庭を築きたい。そう努力して真面目に頑張って生きてきたけど。
最近仏教の、善因善果悪因悪果の勉強をして、そして善とはコツコツ真面目に生きることとも勉強して、
ああ、生活保護で作業所でも、福祉に守られて、5体満足で、どこも痛くないし、
バスや地下鉄はタダだし、優しさに囲まれて生きているし。
統合失調症って、俺の場合は真面目に生きてきたボーナスなんじゃないかって、最近思えるようになりました。
無いものよりあるものに目を向けてそれに感謝をしながらいきることの大切さを、貴方のコメントから思いました
ボーナスって素敵な表現ですね
私も、働かずとも食べていける環境ではあるのですが…苦しくなったり楽観的になったり忙しいです
書いてくださってありがとうございます
今実際どの位置なのか解らないのがもどかしいですね。罹患も長くてそこそこ達観してきたつもりですが、まだまだ全然なのかもしれないし。
この心理を色々と利用されてますよね。
あまり、手助けはあまり必要なくて、見続ける事が大事だと思っています。
自分で決めさせるようにゴール設定をするだけ……変な誘惑とかが多いです。
変な情報とかを持たずに山籠りで修行するのがいいのかも知れないですね。
全部自給自足の生活です……生まれて自意識を持った瞬間に禊みたいな物が必要とは、人間とは何なのでしょうね。
益田先生の動画や他の精神科の先生の動画を見て、益田先生の動画に感情的にでもいいから、いろんなコメントを残してみて、先生のいう「森の外で暮らす」というのが、なんとなく腑に落ちてきたところです。森の外でも楽しく暮らせるかな。
たったいま、「わたしが、私自身のことを受け入れられていないんだな」と、感じることが、起こったばかりでした。
最近、益田ドクターがお話してくれている、「五つの段階」を、詳しくお話ししてもらえて、特に「取引」の部分は、とても、身に覚えがありました。いつも、「誰か」の「特別」になって、助けてもらいたかった、抱えてもらいたかったんだと思います。
ほんとに、傲慢なことですよね。
私は昔から、怒ることができなくて、「怒り」は、ぴんとこなかったんですけど、それも、自分自身を受け入れられてないからなのかな、と、思いました。
今は「抑うつ」にいるのかもしれないです。
人より劣っている自分を、そのまま、自分自身で受け入れて、自分のために足元をみて生きられるように、なりたいです。
いつも、忙しい中、動画や自助会、SNSでの発信、ありがとうございます。
私は、ずっと、人との出会には、恵まれていて、益田ドクターに出会えたことも、ほんとうに、運がよかったなと、思います。
益田先生の動画で怒りを感じたことはないです
ただ時々落ち込みます
真剣に向き合ってくれてる感が凄いから、不快感や見下されてる感は不思議と感じない。
益田Dr.の手持ちのカードの話と似たようなことを主治医の先生も話していました。
10代20代の頃は理想と現実のギャップに苦しむことが多いのだそう。
今の自分に現実的にできることは何か、今はなんのカードを持っているのか。
自分の限界を一回認めないとその先に進むのは難しくて、そこを受け入れるっていうのが大人になるということ、と仰っていました。
今はまだ自分の病気のことを完全に受け入れられていなくて悶々としていますが、ちょっとずつ向き合っていこうと思います。
自分は受容の段階と思っていましたが、万能感が残っているんだなと気付かされました。まだ平凡を受け入れるのに時間がかかりそうです。
動画のアップありがとうございます。
今日も、動画、ありがとうございます。👨🍼👩🍼🤱🧑🍼🤱🧑🍼👨🍼👩🍼
よく、受け入れたら楽になるみたいなやつがあって、受け入れることを頑張るみたいなことをしてました。
が、頑張って出来るようなものではありませんでした。
よく思うのが受け入れようが受け入れまいが痛いものは痛いみたいな、そういうのってあるよねということは思います。
日々どうしようもなさと向き合っていつしかそれが普通になる慣れのような受け入れと、カタルシスが起こるような受け入れの2パターンがあるように思ってます。
慣れか受容か、ほぼ禅に近いような世界の話しのように思います。
(全てがそれで片付けられるとは思いませんが、結構な範囲でそんな感じではないかと個人的には思ってます)
通院するまでに2年かかりました。なんとか、根性で治せると思ってました。行った時は病気を受け入れる事ができずに、薬を飲むのを拒否しました。家族に知られるのが嫌でした。不安、恐怖、絶望、死を思うばかりで、真っ暗の中にずっといました。しかし、子供のために生きるしかありませんでした。
素直に受け入れると言っても、すぐには受け入れられないから、苦しかったのは確かです。病気になる前にもどりたいとその時いつも思ってた。通院し、先生に沢山の相談をした。必ず徐々に良くなるのを待つしかありません。9年通院しましたが、だいぶ良くなりましたよ!
完璧主義なので、死ぬまで付き合いつづけます、生きられるなら幸せです。
生活習慣を正すの動画見ました!私の場合は、自分のことが本当にどうでも良くて、自分のことを考えたくない、自分のことから離れたいと思い、自○を考えてしまいます。そういった自暴自棄からどうすればいいのか、本当に困っています。また自暴自棄からの回復の方法を動画にしてほしいです。
こんばんは。以前から視聴させて頂いていましたが、私は現在休職期間中で増田ドクターの動画をゆっくり遡って見ている次第です。今回の動画でもそうですが益田ドクターの動画は主治医や心理の方が口にしない内容を素人でも解りやすく説明してくださっています。現在の主治医に対する感覚と益田ドクターの動画から感じる感覚で大きく違いを感じる部分があります。それは、ネットという距離感や長年の臨床主治医ではないという理由が多いのかもしれませんが、益田ドクターが非常にニュートラルな感じがすることです。人を見すぎる特性のある私は日々その特性に苦しむ(自我境界線が薄い?)ことが多いのですが、益田ドクターはとてもフラットな感じがします。以前、益田ドクターが他の精神科医の先生との共演した動画を見ましたが、益田ドクターは「考えるの好きです。パズルを解くような感じです」というようなことをおっしゃっておりました。知的バックグラウンドと解決・伴走の仕方、論理説明と思考が凄いドクターだと思いました。いい意味で人間的な性格・人間味・人情?を表出せずに動画を作成されているのかとも思いました。良い意味でクールで活動的という相反するものを感じます。私の主治医とは長年のお付き合いなのでとても新鮮でした。主治医の言うことを聞くのは嫌だなと思うことも動画で理論説明とやや残酷なことも踏まえて教えていただけると「やってみよう」「ここは抑えてみよう」などと得心がいきます。 私の主治医はやや高齢ですのでやはり患者との信頼関係と愛情に重きをおいているのか、それも凄く大事ですが、益田ドクターは「現代の患者と精神科医のありかた・患者が変わってきているという印象がある」とおっしゃったことがとても腑に落ちました。
長文失礼いたしました。 考えさせられることが多い動画を有難うございます。 どうかまたコメントさせて頂きたいです。皆さんもどうかよろしくお願いします。
動画ありがとうございました。
30代半ばで病気が発覚し、難病であることが分かりました。当時はまさに説明のように、否認し、家族を責めたり、悲劇のヒロインのようになった時期があります。ただもう今は変えられない現実と向き合い、なんとか生活はできていることに感謝をしています。心理士ですが、専門職とか関係ないですね😅
先生のおっしゃる、仕方ないと思うこと、生まれてきて良かったと思えるように、少しずつなっていけたらと思います。
苦しみを受けいれるのに、スピード出世は、ないっていうのは、なにかしら、救いのような気がします。
精神科医は登山のガイドみたいなものだそうです。
道は教えてくれるけど、
おんぶ、抱っこはしてけれない。
24年間受容するのに、苦しみました😅当たり🎯
やはり、親や弟に自分の夢を潰され、自分の人生が無意味であるのがあらためてわかりました。手持ちのカードは何一つありません。何も良いことがないのでどうするか考えます。
ご自分の人生、無意味だと感じられたのですね。「いま」はそんなんだなーと気づかれたことに先ずは一歩。なのかなと思います。
否認、怒り、取引、抑うつ(順繰りします)……そして、寛解にむかっていくと思います。
本当にゆっくりで目に見えない速度だけど、ときどき、振り返ると前より気にしなくなってきたな、とかまた、気づいたりしますよ。
慌てず、焦らず、諦めず行きませんか?
@@藻塩-o4p 子どもの時からすべて自分がやりたいことは否定され、弟の我がままをすべて許しはなんでも買ってやる親でした。弟は好き放題で自分の思い通りにならないと暴力をふるうので多額の教育費(家一軒分以上)・(将来性がまったくない遊びのような各種学校に何度もいかせた。)を親はかけましたがニートです。自分は小学校の時から塾にいって本当に勉強したいのに本や教材さえ買ってもらえませんでした。一度、教材は買ってもらいましたが高いといって、意味がない参考書機能がなく、不明な解説もない教材に変えさせられ成績が急激に落ちました。。塾はすこしだけやっと行かせてもらえました。そのため中途半端な成績でした。いまでも塾の広告や塾の看板、塾生徒の進学先などをみると本当に悔しくて泣きます。(それでも仙台でトップ高校進学レベルの成績ではありました。)しかし、大学に行きたくて普通高校を希望しましたが普通高校へ行くことは絶対にダメだといわれ、職業系の学校に強制的に入れさせられすぐに働くことになりました。授業料や教科書代は自分が奨学金をかりて40歳近くまで払いましたので20代、30代は遊ぶお金は本当にありませんでした。さらに働いたお金も親にかなりとられました。おじろく・おばさと同じです。
ずっと生きている意味がないと子供の時からおもっているので親がタヒんだら、自分の人生は十分達成できたと思うのでそこで終了にしたいと思っています。
ヤスヒロさま。
ゆっくり、じっくり大切に読ませていただきたいです。誠実にお返事したいと思います。
ところが…実は脳腫瘍(良性)で、最近頭の回転が遅いときがあり、ボーとしてしまうときがあります(^_^;)
10月以降には放射線治療をする予定です。
私も東北沿岸の出身で、「仙台」という文字を見て、ますます、この使えない私の脳みそを振り絞ってお返事しますので、少し時間をくださいね。
そらオバちゃんより。
こんばんは。ヤスヒロさま。
お返事が遅くなりまして、すみませんm(__)m
二度目の長くコメントしてくれたものが消えてしまいましたが。
もしかしたらズレたコメントになるかもしれませんが。
数回読ませていただいた感想(*˘︶˘*)
ヤスヒロさまは家族のために自分が、犠牲になってきたと感じていらっしゃるのですよね。読んだ限り、兄として、長男(?)としてたくさん頑張られてきましたね。と感じました。
私も成人している二人の息子がいますが、やはり次男は甘えさせすぎた気がします。。反省。
ヤスヒロさんは、親御さんが、亡くなった時は……とありますけど
それは親御さんのことを本音の部分では大事に思われているからなのでは?と思いました。
心配をかけたくなかったり、ね。
親御さんを看取る…、というか、それまではという決意をしているのはとても、優しいと思います。
あー本当に、また何度も読み返したかったのですが、なぜか。出てこない😢
とりあえず。もしよければ。またコメントください(._.)
コメントで自分と全く同じ過程を過ごしていらっしゃる方を見つけました。
泣いて否定して怒って諦めての繰り返しでしたよね。それでも通院して向き合い続けて脳が矯正されてきたように感じています。
理想と現実の差を埋めようとしない、手持ちのカードで生きていくしなやかさを得る為にはどうしたって通院、自己対話が必要だと思いました。
「受容」って口では簡単に言えますが実際は難しいです。
日々の何気ない(社会)生活が修行になっており、いつしか腑に落ちるというか諦念というか達観というか、人それぞれ到来到達時期は違いますが訪れるんでしょうね。
一年くらい前にこのチャンネルを見ていたら、益田にムカっとすることがよくありました。益田が成長して、話のレベルが上がったのかもしれないし、私の需要ができたからかもしれません。今は自分の不幸を受け入れることが、ほぼできています。
なんども、うまく抜けれた気がして、また元に戻るを繰り返していましたが、それでも少しずつは変わっていく自分を実感しています。でもどこかで早く抜けられない自分を、医師はまだ悩むのかと呆れているような気がしてしまいますね。その思考自体、人の目をきにしている証拠なんですけど。
平凡を受け入れる、やっとやっと、この私でいいんだ、この私でできることをやるのが私の人生なんだと思えるようになりつつある気がします。
小さな幸せを日々感じながら、感謝しながら、小さくでもしなやかに生きていきたいです。
周りに合わせようとしても、上手くいかず、一人で抱え込みすぎる私。
まずは、自分の良さと苦手な部分を自覚し、得意で支え、苦手は手伝いをしてもらうようにしております。
今は教育の仕事ですが、クラスで孤立しがちな発達凸凹の子ども達の気持ちが良く分かります。
彼、彼女達の代弁、権利擁護みたいなことをしていこうと考えております。
受け入れる、頭では分かっていてもなかなか身体に染み込んでいかないですね。
ネガティブな時、「皆んな病気になっちゃえばいいのに。そうすればこの辛さが分かるのに」とか考えてしまいます😅
キューブラー・ロスのこの話は聞いたことはありましたが、死に対してだけじゃないのだと新たに学びました。
私は対人関係が苦手で、そこから生まれる問題で(問題とは私の問題ですが)このループから抜け出せなくなることが多いです。
「この苦しみを抜ければ幸せになれる」苦痛の受け入れが下手というか、無痛への執着というか(上手く言えないのですが)ほどほどの苦しみをも受け入れ難いのが問題な感じです。意識がそこに集中してしまって外れない。だから感覚的にかなり痛い(苦しい)ように感じる。イメージ的には"風邪が治る"ような感じを無意識に求めてしまっているような。頭では先生のお話は理解できるのですが、どうにも気持ちがそう持っていくのが困難です。
5年ほど心療内科に通院しております。ずっと苦しんでいる裏に「これを抜ければ幸せが待っているはず…」という大きな期待感(先生がおっしゃっている万能感)のようなものが確かにありましたが、「受容したあとに待っているのは『平凡』」という解説に少し残念さを感じつつ(笑)、最近では平和や穏やかさ、落ち着いた日常を送りたいという気持ちも芽生えてきていたので、そろそろ諦めもつくのかな、抜けれるかな、抜けれるといいな、という思いに至りました。
他の動画もいろいろと拝見しており、自己理解や身近にいる困った人(やはり精神疾患においても類は友を呼ぶのでしょうか…苦笑)の理解にも役立てています。動画を出してくださりありがとうございます(՞ .ˬ.՞)"
受け入れることってとっても難しいですね。なかなか。
受容って前も後ろも向かずに生きるって事なんだ。精神疾患の人間が明日は大丈夫だって、未来に希望を抱く事って現実逃避に過ぎなくて、実際は、明日も今日と同じ様に過ごす事が多いんだ。希望を抱かず絶望せずに淡々と時間が過ぎる事を待つって結構辛い事なんだ。
受容って難しいですね😢
でも受け入れて、
自分にとって平凡な日々を送っていきたい。
何も出来ないことを
受け入れることで、
何もしないことを
選択します。
そうすることで、
何ができるのか?を
見つかる気がします。
参考にします。
有り難うございました😮
うちの先生は目を見て話しません。
益田先生はそうじゃない人でいてほしい。
私はSLD持ちですがつい最近まで「スピード出世」があったように思います。あと障害についての世間の差別、偏見が無意識に自分の中にもあると気づき愕然としました。
自分が自分自身に対して差別、偏見を持っている。それは「スピード出世」という形で現れていたと思います。
今日の動画で益田先生がキューブラロスの受容の段階の説明をしてくださって自分の受容について今までどの段階だったのか、現在はどの段階なのか認識できた気がします。
私は過去の「万能感」と「スピード出世」「否認」を行ったり来たりしながら現在は何だか がっかり とした「抑うつ」のようなステージにいるようです。時々受容できている気になりますが、色々と未だに障害に関して自分を責めてしまうこともあるので完全に障害受容ができてはいないと思います。
障害の診断を受けてから長年経つのにこんな自分で情けないです。表面的には受容しているふりをしている自分と受容できていない自分とのギャップに気持ち悪さや自責の念にかられ苦しいです。
まあ、それが自分というものだから仕方ないのですけどね。
益田先生 今回も為になる動画ありがとうございました。
26歳ASDの可能性があると言われました
そもそも不安障害での中での診断でした
受け入れることはやはり難しいですね
大人の発達障がい終わりがないとわかりゴールなんてないと苦しむしかないのかなと思っていたらこの動画に出会いました
ありがとうございます
初めて受診してから20年近く経ちますが、未だに苦しみは収まりません。
メンタルの病気が年齢とともに増えて、病気のデパートみたいになってしまいました。
でも、一番20代が苦しかったので、30代になって少し落ち着き、周囲に迷惑をかけることも少しずつ減ってはいます。
しかし私個人の病気は一生ものだという覚悟があるので、ある種受け入れてはいるのですが、苦しみに翻弄される度に、どうして自分が…という思いに苛まれます。
健常者の方は本当に羨ましいです
学校の授業よりも、益田先生の動画の方が勉強になります。
一生使うことのない知識よりも、生きる上でぶつかる壁にどう向き合ったら良いのか、などの本当に大切な知識を教えて下さる益田医師に感謝しています。
この動画こそ、大学での必修科目にして欲しいです。
SNSで他人の成功を見た時なんかは怒りや抑うつになります。
「もっと頑張ればもっといい結果を得られたのではないか」と万能感のようなものを抱いては、そうなれなかった自分を責めます。
そして「こんな自分や人生ではこの先も良くならないな」と思ったり、強い希死念慮が湧きます。
しかし、連休等で余裕のある時は「自分のやりたいこと、出来ることをやろう」と計画を立てたり、自己啓発的な思考になります。
実際は何も身に付くことをせず、ただ消費するばかりなのですが。
良い状態と悪い状態がありますが、比率としては悪い状態の方が多く深刻です。精神科には通っていますが根本的な悩みを打ち明けられておりません。
病気や怪我を受け入れるまで時間がかかりました 怪我で上手く動かせない手になって好きな料理が出来なくなった時は辛かったかな 今は上手につきあえてる たぶん🍀 森の外に出たりしながら色々な問題もクリアしていこう
自分にとっては、受容という言葉は良い印象がなくて、よく分からなくて…
適応ということ言葉がしっくり来ました
松崎先生の動画、障害児を持つ母の感情の変化、で知りました
ただただ、抱えながら生きていく、
受け入れようが入れまいが、それが普通になっていく、その上の再起
そうなると、本当に時間がかかりますね…
誰かを受容するだけで 精一杯だった 自分がみじめになりたくなかった もう今はその頃の自分は居ないと思いたい
口コミで1を付ける患者さんがいたとしても、私は益田医師のUA-camは、星5だと思います。
心は目では見えませんが、私の心を救って下さり、ありがとうございました。
ほんとにその通りです…。
私はほんとにいろんなことがあって、ほんとに色々乗り越えて紆余曲折を経てきました。
私と臨床心理士さんの長年にわたる関係は、ふと、ヘレンケラーとサリヴァン先生との関係に似てると感じました。癇癪を起こしてスプーンを床に投げつけた三重苦の身体障害を持った子供時代のヘレンケラーに、拾いなさい!と言い放ってヘレンを心配する両親には手伝わせなかった。ヘレンがスプーンを時間をかけて、そして反発しながらうめきながら、みたいな感じで拾う、とか多分そんなお話を思い出しました。
私は精神疾患を持ちかつ、親に正しく教育されなかったのを、大人になってゼロから学び直した感じがします。ほんっとに、色々大変でした。
私もまだまだ、いい年齢なのに、回復途中、発育途中で恥ずかしいですが、思えば色々な障害を持ったヘレンケラーが素晴らしい人になったのは何も、彼女が優れていたというより、ただただ障害を受け入れているだけだからなかぁ、と、ヘレンケラーさんのことは普段全く考えないけど、この動画をみてそう思いました。
親以外?のよい大人の人たちの協力でよくなっていく過程…ほんとに迷惑をたくさんたくさんかけてしまいました。今もです…。ほんとごめんなさい、、ありがたいです、という気持ちです。
あぁ、でも、ヘレンケラーははすごい人になったからなぁ。私はそんなすごくなる精神力はないなぁ。それは悲しいことなのだろうか。
もう夜遅いから寝ます〜😴💤
私自身、障害者手帳を渡された時、一回死んだと自覚しました。
そこから、今までのカードを全て棄ててリスタートしました。
自分は変に家族にちやほやされてきたので(赤ちゃん扱い)
自分が1番で可愛がれてる状態じゃないと不安になります
なので私が病気になってからは急に私に対して冷たくなったりほっとかれました。
昔の自分に戻りたいと思ってしまいます
学校が最高に楽しかった時だし、初めて周りが注目してくれて笑い合えた最高のクラスだったからです
それを忘れたくないしそれを越す幸せなんてある?って思うくらいです
なんかここに書いてても長文だし先生読んでどう感じるんだろうとか、なんかモヤモヤします
人に話したいとかじゃなくて自分に向くと鬱になるのは否認して絶望してるから、、
トラウマもすごいけど結局は自分で乗り越えないといけないなんて私は大罪でも犯したのかなというくらい難しいです
病気を公表しようとヘルプマークを貰ったり先生の動画見たりコメントしたりするようになったら冷や汗が出ました。
先生の動画をみてチャットで交流できるの初めて出来て
しかも学ぶのが楽しいみたいな感じだったのにな、、
先生のことも口コミつい見ちゃってなんか不信になるし辛いです
私は受容出来ずにバンドやアイドルにハマりました。借金とかしたりファンを攻撃したりとか、楽しかったたけど苦しかったな。最近は、やっと受容出来たのか平凡になりました。薬も減りました。オンライン自助会入ろうかな思っています。焦らず頑張ります☺️
『私情がでちゃいました』と笑う先生がおもしろいw そして、『平凡を受け入れる』『よりちょっと劣った存在だということを受け入れる』と、ズバリなことをさらりと言ってるのもおもしろい。それができれば楽になるのに、実際には理解できない、受け入れられない人が多い。。診察の場面では、患者さん相手にどういう言葉で伝えているのだろう..と気になります。
簡潔で私情も入って(笑)、分かりやすかったです。今自分はどこかな?あの人はこの段階かな?と少し察することができるのは有難いです。
私が支配されている万能感は私も平凡になれるはずというものかもしれないと思いました。生まれて40年以上平凡にさえなったことがないからですかね。
双極性障害と軽度知的障害ですが、軽度知的障害の診断を受けた時「(受け入れるかどうか)あとはプライドの問題です」と医師から言われ、妙な言い方をする人だなと思いました。だって、私は障害があると判ったことで自分の生きづらさの原因を一つ知ることができ、ああやっぱり甘えとか弱さじゃなかったんだ、もうこれで自分を責めなくてもいいんだと思いました。だから軽度知的障害、それから双極性障害も、私にとっては大事なアイデンティティの一つです。(アイデンティティの使い方が合っているかは不明ですが)
病気はだいぶ受容できてきたかなと感じてますが、不幸だとは思えないんですよね
まだまだかしら
不幸にハマり過ぎないことはラッキーなことではないかと思います。周りがどう思うかではなく、ご自分がどう感じているか…だも思うので。。
私は少しずつ諦観を進めていってる状態かなあと感じました。
すごい事ずばずばですごいです😅
耳障りが良くない、けどこれが現実だし、人の心理なんですね。異論なしです
たしかに、ずばずばですよね。
益田Dr.は、時々、というか。空気を読んで(?)の言動が激しくて、え。この前の話してること違うじゃん!という書き込みも度々見ます。
言葉が足りないのか、そもそも多様性の中にそれぞれの感じ方、受け止め方、聞き手の解釈になりかねないので
フィードバックが必要ですね。。
手持ちのカードか〜
たしかに、手札で納得できずに山札をひこうとしたことは何度もありますが
けっきょく満足するに至らないんですよね。
ついつい無い物ねだりしがちで、隣の芝生は青く見えますが
ありのままを受け入れる、過小にも過大にも自分を評価しないっていうのは
人生をうまくこなす秘訣ですね。
自分が仕事場(A型事業所でも)で置かれている立場も把握するのも重要です。
先生の話今日もわかりやすかったです!
自分は感受性が乏しいのか怒りや取引といった感情はあまり抱かないです
自分は何がいけなかったんだろうとずっと考える感じで、、
怒りや取引は欧米人的な思考なのかなとも思いました
受容のプロセスの日本人バージョンもあればぜひお聞きしたいです!
内容と少しズレてるかもだけど、私は平凡な自分を、受け入れることができない。普通の平凡な自分になるのが怖い。私から精神疾患が無くなると、私には一体何が残るんだろう?あえて苦しい自分のままでいることで、アイデンティティを確立しようとしてるのかもしれない。歪んでいますね。不快な気持ちになった方いらしたらすみません。
でも今日のお話とても納得できました。
病院とかクリニックの口コミって低いとこ多いですよね。
みんな調子が悪くて不機嫌だったり過敏だったりするからなんでしょうね。
私がお世話になってきたとこも結構評価が低くて、先生の事を悪しざまに書いてるものがあります。
とあるクリニックはハキハキきっちり疾患の説明する先生なだけなのに、語気がキツイとか書いてある。
逆に怪しいもの売ってるっぽいとことかは評判良いとか…
最近ホンマ口コミ信用できませんわ。
万能感
そういう事だったんだと、
とても良く理解できました
あの考えの突飛さって
こういう裏付けだったのですね
理解出来て安心しました
そんな自分えらい訳ない
ほんと思うのに、アレ、(笑)
皆、理解、受容、できる様になると良いですね。
きびしいけど病があっての自分の個だもんな
良いアップありがとうございました
インチキ洗脳のマルの部分に13年たっぷりと浸りました。とっても長かったです。13年間ずっとその世界にいたので、今はやっと世界が正常に見えます。もちろん非もたくさんあるし、グレーなこともありつつみんな生きているということがやっとわかって、ある意味すごく楽しくなりました。インチキ洗脳の世界では、苦しみのない、幸せと感謝しかない世界へって感じで、今思うとそこから抜けられただけでもまずよかったって心から思うくらい、キラキラして見えるけどかなり特殊な世界でした。
納得がいきました。つまり誰にでもその過程はあるんですね。