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1300の発売時にホンダ直営の整備工場で整備士やってました、今にして思うとヤバい車でした!当時からクレーム続出で設計変更に次ぐ設計変更で作れば作るほど赤字になり藤沢武夫副社長が見るにみかねて水冷エンジンの開発を決断させた車ですね‼︎ 私達整備士はクレーム対応で深夜まで仕事してました。非常に辛い思い出の車でした。因みにリヤサスはクロスビーム式の独立懸架であり特許まで取得してありました。冬場のヒーターは全然効かなくて後付けでエキマニにカバーを取り付けてたり夏場はエンジンルームが高熱に晒されてプラグやポイントの修理に手を焼いたものです特にキャブレターはベーパーロック現象でオーナーさんは渋滞等で苦労しました。これが元でホンダ車には2度と買わないと云う話は良く聞きました。何れにしてもN360で大成功した本田イズムの塊みたいな車でしたね
素晴らしい裏話し😂。オーナーに一度だけお話しを聞いた事がありますが。冬は乗らない❗寒いから😂でした。とにかく、空冷主義者の本田宗一郎の『魂』を具現化した車ですよね(気難しい気性も😅)
I had a 1971 Honda 1300 Coupe in Australia. It was a great car and I loved it.
N360も○○事故で訴えられていましたね!ブレーキホースに穴が。
@@wrxsubaru2000 ヒューザー事件ですね。当時、鮮烈にデビューして。全てのメーカーの軽自動車より安い販売価格と最強の31馬力、そして最高速度は120㎞/hと破格の軽自動車として注目されました。また、エクステリアデザインやインテリアデザインもMINIを想わせる、当時の軽自動車の中では高級感もありました。安い販売価格もあり、後発メーカーの軽自動車なのに、全メーカーの軽自動車を追い抜き販売台数No1になります。安いのに、高性能でデザインもお洒落なので、若者に絶大に支持されました。しかも、宣伝どおりに高い動力性能から、レースに出るドライバーもいたり。ワインディングを攻めた走りをするドライバーも続出して、少なくない死亡事故を起こしてしまいます。そんな販売好調の最中、欠陥自動と集団訴訟を起こされます。操縦安定性能に問題があるにも関わらず、欠陥を隠して販売をしていたと訴えられます。多数の被害者遺族が、車の欠陥で横転事故を起こしたとの訴えでしたが。長い裁判の間、社長である本田宗一郎も『欠陥を知っていたのに販売を継続させた』『未必の故意』の疑いで告訴されますが。弁護士が被害者を捏造(買収)した事実が発覚、長いN360の徹底的な調査、走行テストが行われ。コーナーリング性能に不足が確認されましたが、事故との因果関係はナイと確認され。結論は、ドライバーの運転ミスで、ホンダN360に問題無しとなりましが。マスコミに連日報道された事、裁判が長期間続いた事から『欠陥自動車メーカー』の烙印が定着してさしまい。一時期、ホンダの自動車販売は低迷。さらには乗用軽自動車からの撤退(軽トラは継続)に繋がります。この時期のイメージが強く残り『ホンダは買わない‼️』と言われてしまいます。ホンダ1300、N360、どちらもクラスレスな高性能を発揮しました(しかも安い)がフロントヘビーでコーナーリング性能は最悪で。プロドライバーでもコーナーリングでは肝を冷す車でした(法廷速度範囲なら許容範囲ではあったけど)基本的に、強烈なアンダーステアな車で。オーバースピードでコーナーに突入すると、曲がれないのでドライバーは更にステアリングを内側に切ってしまうので。スピン、最悪横転事故になりました。しかも、エンジン性能だけは凄かったのでカタログ性能通りの高速を発揮してしまうため。技量不足のドライバーの運転ミスが多発していたのも事実でした。
@@wrxsubaru2000 ヒューザー事件ですね。 N-360が当時の軽自動車としては高性能(スピードが100㎞/h以上出せた)のと激安な価格設定から若者に大人気となりました。 若いとムリな運転をするもので(全てではないけど)ハードな運転で横転死亡事故が多発。 それを『悪徳弁護士』が嗅ぎ付けN-360で死亡事故を起こした遺族を焚き付け『集団訴訟』をさせた事件。 『ホンダはN-360が横転する欠陥を知っていたのに販売した』として訴訟を起こしたのだが。 長い裁判の末にN-360の詳細な調査の結果、車には問題がなかったと判定『運転手のミスが最大の原因』とされて無罪になりました。 ですが、マスゴミが加担して『ホンダ叩き』をしたので、ホンダの軽自動車の販売は不振となり。 ホンダは軽トラックのみの生産に縮小。 軽乗用車から撤退する事態にまでなりました。 80年代にトゥデイが発表されるまで軽乗用車は無かった時代があったのです。 しかも、N-360で『高性能』を追究した結果『事故多発』につながったので。 スズキやダイハツが『ドッカンターボ』でハイスペックな軽自動車を販売していたのに、ホンダはNAの低馬力の軽自動車しか販売しませんでした。 ホンダが軽自動車にターボを採用するのはライフダンクが登場する90年代以降になります。
HONDA1300をデビュー当時に510と比較して圧倒的に速くて衝動買い、さっそく箱根のヒルクライムにでた。今でもJCCAのレースにホンダ1300クーペ9Sで参戦中、タックインをわかっていればそれほど難しい車ではありません。このクーペスタイルで5人悠々のスペースで素晴らしい車です。ちなみに58年もJAF競技ライセンス持って走ってる。
こんな素敵なヨーロピアンなスポーツセダンが半世紀近く前に日本にあったって事実、本田宗一郎さんってホント技術屋さんですね。
リアサスはリジッドではなく、クロスビームの独立ですよ。ちょっとしゃがんで覗けば見えます。クラッチはディスクが摩耗しているだけで、本来は軽いです。
シングルナンバーで現代まで維持されてて動体があるとは、、、驚きました。後半で触れてますが、どうせ冷やすのは空気なんだから空冷でいいじゃないという本田宗一郎さんの考えがその後に開発されるCVCCへとつながってると思うと、この車はエポックメイキングですね。これからも是非このまま維持して欲しい名車であり唯一無二のマシンです。
空冷エンジンでは有りますが本田宗一郎氏が求めていたのは油冷エンジンだと聞いたことがありますドライサンプで有ること 冷却フィンの付いたオイルタンクはオイルクーラーを兼ねていること全てが進んだ考えをもった方でした。
前に技術者の方のインタビューでオヤジにバレないようにコッソリとオイルクーラーみたいにした。それぐらい熱処理が厳しかったとありましたから、宗一郎は本当の空冷で行けると思っていたようですよ。あの久米さんも辞表を書いてるほどですから。。。😅😅😅
ホント、本田宗一郎はバイクの感覚を4輪にまで持ち込む人でしたねw
99S 子供の頃、街で見かけて謎の車でした。コロナやブルーバードより一回り小さくシャープな印象でホンダの乗用車だ!!って印象でしたが、このシングルナンバーの個体動画見て納得しました!素晴らしい!
こんにちは、ホンダ130099ですね。懐かしです。新車の、試乗会に行った記憶があります。有難うございます。
一昔前の個性の塊なホンダ車が好きで乗ってるけど、1.3ℓ100psオーバーって所と国産他車には無い独特なデザインに魅力を感じて今だにほしいクルマ。
今回のCGClassics8号、実に読み応えのある内容でした。やっぱりヒストリックなホンダは面白い!
ホンダ1300 99sこんなクルマが紹介出来るなんてCGの真骨頂ですね‼️
結局、空冷のF-1も不幸な事故もありパッとしなかったし、拘りを捨てて良かったと思いますでも当時の若者としては、このセダンよりクーペには憧れていました
試乗冒頭に、低速トルクがないという言葉がありますが、それしか記憶に残っていませんW渋滞にはまって、延々とゴーアンドストップを繰り返すのは地獄でした。回転数を上げてトルクを稼ぎながらカックン発進にならないようにするためにもクラッチを慎重に操作しなくてはならず、これはN360の再来かと思ったものです。クラッチが重かったのも、思い出です。99Sではありませんが、本当に懐かしい車を紹介いただきました。ありがとうございます。
このクルマの仲間のクーペ9、、、飛ばし屋の先輩が乗っていて、高校生だった僕を乗せて首都高を走ってくれた。経験したことのないような、エンジンの回り方、コーナリングスピード、、クルマの魅力にこの時ハマりました😃ホンダの作るクルマってスゴイなぁ、、と思ったっけ♬
マイチェン前のフィット1300の最高出力が98psだから、表示方法の違いがあるとはいえ半世紀以上前に115psを絞り出していたのは凄い。
やっぱり本田宗一郎と藤沢武夫の二人三脚の頃のホンダ車は個性的で面白い
この車は30歳の時に50年前になりますが新婚旅行で京都まで行ったおもいでがあります 帰りは神戸からフェリーで東京まで 天国に行ったワイフの思い出写真を携帯待受け画面にしてます😇
突然すいません、50年前京都というと私が高校生のころ、鴨川べりの川端通を南下するHONDA1300を見かけたような記憶があります。ひょっとしてと思いました。失礼しました。今は、S2000に乗っております。
高校の時(45年くらい前)に、「1300クーペを5万で買わないか?」って持ちかけられましたが、当時は二輪の免許しかなかったので断念しました。買ってから四輪取ってもよかったなぁ。
若手技術者が『空冷ではムリだ‼️』と反発、技術的な問題点を列挙したら『君たちは、ドイツ軍のロンメル将軍がアフリカで活躍できた理由がわかるか⁉️』と質問、たたみ掛けるように『ロンメル将軍の車両が空冷だったからだ‼️』と、空冷優位論を展開したとか😅。結局、販売実績が悪くて失敗。本田宗一郎が事実上の最後に開発に関わった車。ある意味、本田宗一郎ありきのホンダではなくなる転換点になった車だと思います。逸話、当時のトヨタの社長が、1300ccで115馬力を出す事実をしって。技術部門の方々の前で。『ホンダは、たかだか1300ccで115馬力を出してるのに❗我が社は2000ccでも100馬力も出せないとはどういうことだ‼️😠』と激を飛ばしたとか。ホンダ1300の性能は、それだけインパクトがあった証(売れなかったけどね)
『エンジンが水冷でもラジエターは空冷だ。ジェットエンジンは空冷だから空を飛べる。‼』でもロケットエンジンは、燃料で冷却してます。車では無理でしょう。
@@tarou951 本田宗一郎いわく。 『水冷エンジンだって、ラジエーターを空気で冷却してるだろう⁉️だったら、空冷エンジンの方が合理的で軽量化もできる😤』と力説。 ところが、ホンダ1300のエンジンは、冷却性能が不足していて。 エンジンをアルミダクトで囲み、走行風と、ダクト内部の冷却ファンの二段階冷却方式を採用。 エンジンオイルも冷却不足であったので別置きのオイルタンクをアルミ冷却フィンを着けてエンジンルーム右側上部に搭載。 潤滑方式はドライ散布方式を採用。 結局、空冷にする為に、ムダにアルミフィン、ダクト、オイルタンク別置きと重量が増大してしまい。 ラジエーター式よりも重量が過大になっています。 結果、直進安定性能は高い車になりましたが。 フロントヘビーで究極のアンダーステアな車になってしまいました😫。 当時のカーグラフィク誌の長期試乗評価でも、加速性能、速度性能は高く評価されていますが。 コーナーリング性能は最悪😞⤵️⤵️と最低な評価の車でした。
@@三浦英則 記者はタクシーに乗る。
@@tarou951 ?。 カーグラフィクの長期試乗評価は、実際に購入してのレポートになります。 このスタンスは現在も同じですよ。
@@三浦英則 記者は歴史家にはなれない。
アルミ合金の拝金主義な買い取り業者の馬鹿どもが潰しまくったせいで、紹介動画の1台自体が唯一に近い生き残りに見えてまう😭
まさにフランケンシュタイン!オーナーさんに脱帽します。
中村良夫さんは第1期HONDAF-1を勝利に導いた人物であり、元は中島飛行機の技術者だった。気温の低い高空でも空冷エンジンを冷却する難しさを熟知していた。その人の言うことも聞かなかった本田宗一郎氏何か胸に秘めるものがあったのかそれとも単なる思い入れか❓️
ナカさんはSシリーズやNシリーズには関わったけどH1300には関わっていなかったんじゃなかろうか。
リアサス確かクロスビームだったはずですが・・・他社が軒並みFRでリアリジットが多かった時代、シビックやらアコード(なんなら初代シティも)など割と頑なに四独に拘ってた印象
S800の後期型で独創的なチェーン駆動独立懸架をやめリジッドアクスル(ライブアクスルと言った)に退化してしまったのを渋い目で見ておられたに違いない。(でもそうしないと、製造者に責任が及ぶPL法が幅をきかせる北米に輸出できなかった)
空冷フォーキャブ加速時の音最高でした✨
これはホンダ1300の99Sですね。本田宗一郎さんの魂の一台です。なんといっても空冷エンジンです。私はホンダ1300の99Sのデザインが大好きです。私がこの車が現役の頃に若かったら運転したい車です。チャンネル登録しました。どうぞよろしくお願いいたします。
内容を拝見しましたが、99Sの試乗の感想は個人差があるので別として、車両のご説明が所々違和感や誤解を招くご説明をされて気になりました。空冷機構のDDACの最初のDはデュアルではなくデュオと表記されることが一般的です、もちろん意味的にはデュアルもデュオもほぼ同じですがこの場合はデュオと呼ぶのが一般的です。あとマスキー法の排ガス規制でシビックが水冷になったような説明をされてましたがそれも若干違いますし説明不足に感じました、あとポルシェもそれを機に水冷になったような説明は誤解を招きますね。ポルシェ911は1997年まで水冷エンジンは発売してません、一部959のような特殊なクルマは部分水冷を採用してますがそれでも80年代半ばのクルマです。シビックがCVCCを、採用した1973年ごろのポルシェはすべて空冷で水冷の924や928が発売されたのは76年や78年とずいぶん後になります。ポルシェも既存の911ではなく924や928を排ガス規制をクリアしやすい水冷にした意味では間違いありませんが、かなり誤解を招く発言に感じました。苦言失礼しました。
動画のアップ主の説明が不充分で、わかりにくい。技術的なことも詳しく無いことがわかる動画です。CVCCエンジンの説明もないのがものたりない。マニア向けの解説だからね、興味をなくしてしまうよ。
試乗してる人が勉強不足過ぎてCGのレベルになく、酷い。空冷にした理由が宗一郎の思い込みだけとか? ラジエーターも必要なく、空冷のメリットは沢山あるから技術的な説明をちゃんと聞きたかった。わからない人にレビューされて、大切にされてきた車がかわいそうで、心が痛いですね。
ちょっと勉強不足ですよね。Honda 1300 を語るレベルではなかった。せっかく程度のいい99を提供してもらっているのに。
DDAC(二重空冷)の知識もない(笑)
後輪サスペンションを固定式と言ってる時点で・・・思い込みとは恐ろしい。
空冷エンジンにはそれ固有のメリットがあると 言うのは確かなんだけどこのクルマがそれを追求してる様には見えない。更に言えば何か目的があって空冷にしたのではなくて空冷にする事自体が目的になっているようにも見える。こういうのを本末転倒って言うのでしょうね。リポーター(?)のレベルが低い勉強不足でしょってのは同感。
初代アコード1600ccが、まだ新車に近かった頃、松江で、この99のゴールドメタに会いました。かっこよかったですよ。当時は、広島市の高須で、432Zにも会ったり、規制まえの名車がまだ残って走っている頃でした。レビューを聞かせていただいていると、エンジンのふけ具合、加速性、アコードと似ています。1600cc 840kg・・・その分、やや乗りやすくなっていましたけれど。加速時のシフトダウンは、アコードが最初の車だった私には、当たり前だと身に付いてしまっていました。学生の間に、大型免許もバイトするために取りましたが、ダブルクラッチをそこで教わり、より、シンクロが弱かった分、スムースになりました。違いは、ハンドリング。FFの特性んもよく出て、アコードは、シビアに反応しました。なんなら急加速するとやや曲がりたがる特性までありましたから。非等長のドラいろが歩シャフトのせいで・・・。友人の1400ccカローラツインキャブより、なんならGTOや規制後のスカイライン2000GTより加速は良かった気がします。広島は四車線(片側)でしたから、信号の出だしで競走できますので。なお、そのカローラやサバンナ、ハンドルに方向が付いてこないラグや、アスファルトのうねりを拾いやすいことに、乗って初めて気付かされました。アコードの方は、乗りやすい車でもありました。エレガントな面もありました。ダートの北海道小樽~函館を、調子良く走ったら、同行のセリカ1400よりは、中間地点で1時間ぐらい差が出るぐらい、かまぼこダートにも乗りやすさのある低床なのに、という車に、99から進化していたハンドリングです。また、乗られて、比べてみてください。6年間で11万キロほど走り、就職を機に2代目プレリュードに買い替えた時は、別れが寂しかったです。
大変、ぶしつけなコメントに成ると思いますが、50年来の「ホンダファン」として、どうしても一言いいたく成ってしまいましたので、お許し願いたい。「77]「99]「クーペ7」「クーペ9」は外観こそ違えど、「パワーユニット」「足回り」は基本的に共通です。「インプレッション」に有りました様に「メチャクチャフロントヘビー」です。通常のFF車の運転は「コーナリング中はアクセルOFFするな」が基本ですが、其の理由は「コーナリング中にアクセルOFFすると、フロントでEブレーキがかかる為にRが外に流れる、タッキングが起こり、其の事を知らないドライバーは事故に成る」と言う物ですが、「77]「99]「クーペ7」「クーペ9」は全く違います。Rサスがリジットにも関わらず、「クロスビーム懸架方式」と言う、独立懸架に成って居た為に、Rサスが横Gに対して踏ん張ってしまい「タッキング」が起こらず、「アクセルOFFでのコーナリング」が出来ずにアウト側に突っ込んでしまう事に成ります。実際に幾らハンドルを切っても「トンデモナイアンダーステア」で、慣れるまで冷や汗をかいていました。ここで述べられている「インプレッション」は「街乗りレベル」の物で、当時のホンダはまだかなりクセの有る「自動車メーカー」で、ある意味「乗る事が挑戦」みたいな、「走るって楽しいんだ‼」と思わせてくれましたね。
99Sが丸ヘッドライト。77Sが角ヘッドライト。1300cc4キャブの99S馬力的には、27レビン等の1600cc2T-Gと同じの115馬力。当時の小型エンジンとては群を抜いて高出力。確か7.500回転で、点火をカットするようになって、まだ回るんだけどリミッターがかかってしまい。実最高速は170キロ位。カットオフを外せば、カタログデータの185キロ近く出たかも知れない。1300シリーズでは、後期型の1300クーペGTLが好きです。
ツインリンクもてぎ内の「ホンダコレクションホール」にDDACエンジン単体が飾られていますあの異様なフィンの形状を見ただけで「ヤバいエンジン」なのが分かります一代で会社を起こして成功したあの本田宗一郎氏が、この空冷エンジンを「失敗」だったと素直に認めただけでスゴい、と言う事か
DDACデュオダイナエアクーリングシステムという、エンジンに空気の通り道を設けて、強制的に外側と内側から冷却させるシステムだったらしいので、そりゃあ水冷より重くなって当然ですね。ただ本田宗一郎という人は、乗用車メーカーとしては後発だった弱みがあったこともあり、社員には「他に無い物を造れ!」と檄を飛ばしていたらしいです。
全て今尾副編集長にCGやってもらって!楽しくて!最高です
ホンダの歴史にこの車が出て来ないのが不思議でした。当時、この排気量で185kmでる車は確かなかった?よく保存されてたものですね。
後輪サスペンションはリジッドアクスルではなくクロスビーム式という独立式です。リーフスプリング=固定車軸という先入観がそう感じさせるのかも知れません。
360cc時代のホンダの軽乗用車はリーフ・リジッド式だったからそれでそう思い込んだってものもあるかもクロスビーム式サスペンションはアメリカのピックアップトラック(フォードなど)のフロントサスをヒントに開発したと、何かでよみました。ソーイチローさんは空冷エンジンだけでなくリーフスプリングにも並々ならぬ思い入れがあったようです。
父が1300クーペに乗ってたそうですが、その後に乗ったギャランより乗りにくかったと言ってました。
若手技術者の意見に耳を傾けて水冷にしていたなら性能的にはもっと凄い車になっていたような気がします。空冷のロマンは感じました。
これより前の乗用車・S600/800は水冷4気筒でした。ただ原型のS500から排気量アップするためにアルミシリンダーに鋳鉄スリーブ(ゲタ)を入れる愚行をやってしまった。こいつのために、しっかりメンテナンス・組み付けをしないと水漏れのトラブルが常について回り水冷エンジンに嫌気がさしたのではなかろうかと推測いたします。
1300クーペを水冷に換装した145クーペがありました。145クーペは、高性能版ではなく、よりマイルドな性格でした。
ニードルベアリングの回転response空冷エンジンならでは、現代のピストンリングがあったなら更に耐久性能が望めたはず👍
亡き父がN360の中古車を買って、家族で鳥取県大山へ行った時、空冷エンジンのせいかオーバーヒートしてしまったことがある。この経験があるので、空冷エンジンを良さそうに思わなかったね。
先輩がクーペ77sに乗ってました。スタイルを重視した先輩でした。遠出の時は私が運転したが運転が難しい車は初めてで疲れました。クラッチが重くギヤが入り難くかったですが、周りが皆、珍しいと注目されました
ホンダ1300 99S 免許を取って最初に買った中古車でした。クリーム色のボディ、京浜のキャブレターが装備された仕様でしたがトップヘビーでハンドルも低速時は(うんしょ)と声が出たくらい重かったですwでも、楽しいクルマで895kgの軽量ボディに110psのエンジンを使い切ると早い早いw。クーペボディの77Sも流麗なデザインで人気でしたが私は10代でしたが4枚のボディに99Sとサイドに入る紅いバッチと波打つフラッグが好きでした。嗚呼、懐かしい
昔友達から譲り受けて乗ってました。シンクロがイカれてて3⇒2はダブルで踏まないとダメでこの車でヒール&トウを身に付けた。ドライサンプなのでGSでオイル交換するとき手間が掛かったな~
本田宗一郎の空冷はたしか・・・水冷だって最終的には空気で冷やすんだろ! だったら最初から空冷で冷やせばいいだろう!!・・・とかそんなエピソードだったかと思う。あと、当時は水冷の技術が黎明期ということもあって、同排気量であれば空冷の方が出力が出ていたはずです。水冷と空冷の差って熱容量の問題であってるのかな?
エンジンの騒音の問題もあります。空冷はフィンがあるので相当うるさくて水冷はウォータージャケットで覆われているので比較的静か。ならば空冷でエアジャケットにしてしまえと考案されたのが一体式二重空冷(DDAC)
たくさん動画上がってますFIとバイクの技術を融合したようなエンジン加工技術やシール部品の性能が当時のもだけにオイル漏れがすごかった時代は排ガス規制になり本田宗一郎さんの信念も曲げざるを得なかった。
開発期間が短かくて煮詰められていない箇所が多いように推測します。エンジンが重くFFでハンドルもダルくカーブでは超アンダーステアリングがでそうですが前後重量配分も6:4位か?但し、直線加速は当時の1600~1800クラスに匹敵しそうかと。ドライサンプでレーシングカーの技術を取り入れていたりで本田イズムの塊車ですね。
実際にはN360の開発が終わった頃(1967年)辺りに設計開発が始まって販売が始まったのはその2年後の1969年。決して短い開発期間ではなかったと思われます。
ホンダで整備をしていた時、色々と教えてくれた講師みたいな方がクーペに乗ってました・・・。しっかり整備してればクラッチも大して重くなかったし音の響きは最高だった・・・。
本田宗一郎氏も昨今の真夏の炎天下で首都圏のコンクリートアスファルトジャングルを経験すれば自力で空冷諦めてくれそう
ホンダのこだわり空冷:VWと同じで水を必要としない前輪駆動:リアカーを押すのと引くのとどっちが楽か空調:エンジンをオフセット配置してエアコンユニットのスペースを確保しようエンジンオイル:オイルクーラーほどではないが、ドライサンプのオイルタンクに冷却フィンをつけようオートマチック:ホンダ独自の設計でBW社のパテントに抵触せずしかも常時全てのレンジに手動でシフトできる(3速ホールドも可能だ)
わたくしもホンダ1300 クーペ7を買いましたしばらくたってマイナーでホンダ1300クーペGTLを買いましたその時にセダンは廃止になりクーペGTLと名前は忘れましたがいわゆるスタンドダードのクーペに変わったわたくしは乗りにくいとは思いませんでしたただ最初のクーペ7はトラブルでアイドリングが一定にならずエンストしたりして困りましたそれと夏はエンジンの熱が室内に入り暑くてたまらなかったGTLは遮断がうまく行き運転席まで熱は入り込まなかった暑いが三角窓があり自然の風を取り込めて走っている時は苦にはならなかったスタイルよしエンジンはよく回るしこんな面白い車はなかったですエンジン屋の面目躍如のクーペでした
当時、鈴鹿製作所に行ったらモータープールにホンダ1300がずらりと並んでいるのを見ました。
藤沢武夫が引導を渡した空冷1300ですわな。本当に、藤沢武夫という人は名軍師でしたな。
下落合のおじさんに「あなたは技術者か社長か」と迫った六本木まあ多少は六本木の脚色もあったかもしれませんが。
「おやじ」が健在な時代のホンダは楽しい車とバイクがありましたね 77・99の空冷乗用車現在のホンダでは出来ない代物でしょうね---但し当時はクーラーもエアコンも無かったね
ガンコ宗一郎の空冷エンジンでもやはりこれが最後だったろう。
父さんがクーペの9sに乗っていましたむしろセダンもあるのを初めて知ったくらいです
当時。鈴鹿市ではホンダ1300のタクシーが走っていた
昔勤めていた会社の上司がこれを買った。夏場はオーバーヒートに悩まされ続け、車体を何度も蹴飛ばして「この車はクソだっ!」と叫んでいた。
CVキャブとかCivicのチューンに流用されたでしょうね。
キャリパー3ポットだからね。あとオーバーヒートはまったく無縁だった。当たり外れかな。そのかわり死ぬほど暖まりの悪いエンジンで冬場はほんとに苦労した。
N360の特集もしてくれ
今思えば45年ほど前に360のオートマに乗っていたことがある。1300も車種はわからないけど3万円で買った。冬はヒータが温まらないけど、心地よく走るのが楽しいエンジンだった。
概ねリヤ側に空冷エンジンって言うのが定番の所にフロントに積むなんて凄い発想🤩!絶対に車内熱いはずよ🤣!FF駆動でドライサンプ(だったかな?)の4連キャブでスタイルがファミリーカー的なセダン🤣ある意味、欲張りなクルマだったのかも🥴
ホンダ・ベルリーナ (=セダン)、本田宗一郎氏の執念を感じますねー。
@@SINGOTAKATA 色んな思いと発想が詰まってますよね🤗
昔うちスバル1300G乗ってて知り合いの99を運転するとメーカーの違いを嫌というほど感じたなー。四輪オートバイって感じだった。
スバル:航空機の発想ホンダ:オートバイの発想
スバル1300Gの方が「名 車」に一票! 👍❗
キャブ4連装と7000軽く回るエンジン。量販を目指す某大手メーカーでは真似できない珠玉の一台ですね。
本田宗一郎氏と若い技術陣の喧嘩には車造りへの情熱を感じる。
この時代に、このクオリティ、凄い、いやいや、スゴすぎますね、、、さすが、本田そういちろうさん、ですね
以前ホンダの整備士教習で、1300の生産に関係していた方から話を伺いました。エンジンは空冷で220キロあったと言っていたかと。また、エンジンルームが熱くなり、ボンネットの塗料がダメになるので、耐熱性を上げると外装の色合わせが大変だったとか! 実際、知り合いの空冷シトロエンGSオタクは、クーラーを付けるとエンジンのオイル漏れがひどくなるから、と、夏は早起きして、涼しくてすいている時間に通勤していましたから、空冷エンジン車の事実でしょうね。
今から50数年前に私の親父が初めて自家用車を購入するとなって候補の1台に上がっていたのがこの99Sか77Sだったらしいのですが結局三菱コルトセダンの中古車を購入してしまったのです😢惜しかったなぁ😥
水冷空冷の対抗はCVCCの開発の時ですよ。
正確には軽自動車「ライフ」の頃ですね。水冷エンジンは暖房がよく効いたことを実感する社長「ああ、あったけえなあ・・・」
エンジン内部に空気を導いて冷やすより、エンジンの熱を水を介してラジエータに伝えて冷やした方がずっと効率良いんですよね。
でもうるさかったし、夏は熱持ちやすかった。
アルミを一杯使っているから解体されたのが多いのだよね〜このエンジン…試乗車は静かですね ホンダSFが当時碑文谷にあって見に行ったわ
この失敗があって、新たなホンダが生まれた……
この車私が高校時見ましたよ!ホンダ宗一郎車だよ!
ザ、ホンダ
「99S」 空冷1,300cc/115ps (1969年)だって !? 今日のホンダに遺憾の意。過去にさかのぼるほど凄すぎるパッションを感じるんだが・・・
かつてホンダにいらした方から聞いた話をご紹介します。その方が所属していた部署に本田宗一郎さんがいらして「トイレが臭いぞ」と怒った。そして、臭いの元より、臭気の逃げ道がないのが駄目なんだ、排気・通気を考えなさいと言い残して去っていかれたそうです。さすが空冷主義を貫かれた方だけありますね。(竹下)
PS カーブで曲がり切れなかった!
この空冷の失敗を後年vetcインテグラでリベンジしてますね、 クーペのグリルなんか1300のデザインモチーフになってます。
大学生の頃に友人が乗ってたがめちゃ早かった!俺のN360もそこそこだったけどな!
本田宗一郎が空冷に固執するようになった理由は、誰にも分からないままなんですよね。
VW(特に戦場で使われたキューベルワーゲン)に対する信仰とS600/800の水冷系トラブルがその要因であったと聞き及んでいます。
@@Pastakun ありがとうございます。
@@Pastakunエスで水冷なのに何故?の疑問が解けました、水路を直した方がどう見てもコスト的にも有利なのに😅😅😅
@@maruhiroya417 最初に作られた市販エンジン。356cc4気筒を791ccまでアップするのにかなり無理をした。シリンダーブロックを新規に起こせばいいのだがまだ4輪メーカーとしては駆け出しのホンダにそれはできなかった。次に出た356cc2気筒エンジンはオートバイCB450の手直しによって出来た空冷エンジンで空冷でやる方が楽チンじゃないか・・・と一時的に思ったようだ。
@@Pastakun まぁ、宗一郎御大はプライド高かったから他社に頭下げなかったでしょうからね。ソコがあの人の゙欠点だったかも。
近年のくそ暑い状況でも大丈夫なんですかね・・・ 空冷で
ドライサンプでオイルタンクまでフィンだらけ、水冷より重かったり高価なアルミを使いまくったり、宗一郎の怨念が間違って渦巻いてたんだろうなw890kg?現行のスイフトがエアコンとかパワステとか装備てんこ盛りで860kgなんだがスイフト恐るべし
空冷エンジンという機構が問題無ければ奇跡!何台エンジン焼き付いたのだろうか、理想エンジン夢心地、
たとえ失敗作だとしても、ロマンチックで魅了されてしまいます。ただ、企業としては、いつまでも少年でいるわけにはいかない訳で‥‥。
発売からしばらくして110馬力にデチューンされた記憶が有ります月(乗りやすさ改善の為)それと長期間仕様するとエンジン本体に歪みが発生した聞きました
オールアルミ製エンジンですもんね。ゴム部品の劣化で、フロントのストラットタワーが音を立ててぶち抜けるトラブルもありました。
これでは無いですが、クーペ9で小林彰太郎さんが箱根で大怪我された様な記憶があります。フロントヘビーの大アンダーステア⁉️
この当時、バッテリーやオイルタンクをリアトランクに配置する等の重量配分に考慮する施策があれば・・・
@@Pastakunそれくらいじゃ効かないのでは?
@@刈穂芳雄 バッテリーは結構な重量物。オイルタンクだっていかにアルミで出来ているとはいえあのフィン付きの仰々しいもの。慣性モーメントの相殺くらいは出来たかもしれない。
@@Pastakun ちょっと見方が浅かったかなごめんね ごめんね~ただ、冷静に見れば重い空冷エンジンを軽い水冷エンジンに換装すればそんな苦労しなくても万事解決のような気がする。それを言っちゃあお終いよって話だけどホンダ自身がそれをやってるのが面白い。出来れば空冷と水冷を乗り比べて問題が解決したか検証してほしいけど水冷145は空冷1300以上に残ってなさそうなのでそれはちょっとムズカシイかもね。
@@刈穂芳雄 水冷のSD/CDは傑作SBシビックの影に隠れてしまって遅すぎた登場が悔やまれます。S800に搭載する予定だった、機械式FIも盛り込んだというのにオイルショックがなければ少し様子が違っていたかもしれません。
この頃のホンダは自動車・バイク共に面白いモノを造ったね 現代全てダメとは申しませんが「おもしろい」と思うモノは車・バイク共に無いね‐‐‐‐私感ですよ
単なる無知。この後、開発陣出身大学の静大工学部に本田宗一郎氏が聴講に行く事になる。そこで水冷の利点を理解
セダンもクーペものっていました。クーペは9でした。感想は一つだけで、水冷の車がいいや。
本田宗一郎の車ですか 本田さんがセナを励ます映像を思い出しました 当時の若い技術者との喧嘩 ア~日本の車はどうなりますか? 本田さんに訊ねたいです😂
ホンダの空冷エンジンと言いながら、エンジンの映像がほとんど無いのはおそ松君ですね。
当時のセールスポイント2000ccクラスのパワー、1500ccクラスの居住性、1000ccクラスの経済性。
4キャブ車ってジェッティング大変そうですね😅
本田宗一郎が、マスキー法施行直前に、空冷をゴリ押ししたのは、航空エンジンに参入することを見据えていたのでしょうが、オイルショックで頓挫したのです。それがレシプロからホンダ・ジェットとして、開花したのです。
アリスとと同じ直線番長では?
やはり周りの意見を聞かずに、押し通す人がいないと、発展のヒントは生まれないんだなとつくづく思います。今の社会は個性教育をやっているくせに、「右向け右」な戦中より酷い世の中になってしまいましたね。若い元気な芽は枯れるまで踏まれてしまう、老人が中心かもしれないけど、ただ無気力に従う中年。それを冷笑しながらも新しい意見を持とうともしない若者。インターネットの情報はただの言い訳にしか使われないし、そこにはヒントもあると思うけど、書いてあることはただコピーのネタにしかなっていない。
失礼ながら 「おやじさん」健在時の本田はバイク・車共に楽しいモノが有りました残念ながら現在の本田には興味が無いですね 因みにバイクエンジンのフィンの様なモノが付いていたのはドライサンプのオイルタンクですね
レース仕様なのかなあ?街乗りにはきついかなあ?あらゆる条件を満たさないといけないだろうし
強烈なアンダーが出る車でしょう。前後同サイズのたいやですかね。此の車エンジンが重いのでフロントヘビーの重量配分と思いますよ。癖の強い車でしょうね。
130クーペ、151クーペだったかな?
空冷版が1300クーペ、水冷版が145クーペです
空冷:H1300水冷:SD(セダン)・CD(クーペ)
「大八車は前で人が引っ張って舵とるだろ?」でFFに決定。「水冷だって水を媒体とした空冷。砂漠で水がなくなったらどうするんだ?」で空冷に決定。本田社長の言う事は説得力ありすぎ。
チェーン⛓️駆動だよねこの車は🚗!😊
フロントエンジンフロントドライブ。N360やSシリーズと勘違いしてませんか?
1300の発売時にホンダ直営の整備工場で整備士やってました、今にして思うとヤバい車でした!当時からクレーム続出で設計変更に次ぐ設計変更で作れば作るほど赤字になり藤沢武夫副社長が見るにみかねて水冷エンジンの開発を決断させた車ですね‼︎ 私達整備士はクレーム対応で深夜まで仕事してました。非常に辛い思い出の車でした。因みにリヤサスはクロスビーム式の独立懸架であり特許まで取得してありました。冬場のヒーターは全然効かなくて後付けでエキマニにカバーを取り付けてたり夏場はエンジンルームが高熱に晒されてプラグやポイントの修理に手を焼いたものです特にキャブレターはベーパーロック現象でオーナーさんは渋滞等で苦労しました。これが元でホンダ車には2度と買わないと云う話は良く聞きました。何れにしてもN360で大成功した本田イズムの塊みたいな車でしたね
素晴らしい裏話し😂。オーナーに一度だけお話しを聞いた事がありますが。冬は乗らない❗寒いから😂でした。とにかく、空冷主義者の本田宗一郎の『魂』を具現化した車ですよね(気難しい気性も😅)
I had a 1971 Honda 1300 Coupe in Australia. It was a great car and I loved it.
N360も○○事故で訴えられていましたね!
ブレーキホースに穴が。
@@wrxsubaru2000 ヒューザー事件ですね。当時、鮮烈にデビューして。全てのメーカーの軽自動車より安い販売価格と最強の31馬力、そして最高速度は120㎞/hと破格の軽自動車として注目されました。また、エクステリアデザインやインテリアデザインもMINIを想わせる、当時の軽自動車の中では高級感もありました。安い販売価格もあり、後発メーカーの軽自動車なのに、全メーカーの軽自動車を追い抜き販売台数No1になります。安いのに、高性能でデザインもお洒落なので、若者に絶大に支持されました。しかも、宣伝どおりに高い動力性能から、レースに出るドライバーもいたり。ワインディングを攻めた走りをするドライバーも続出して、少なくない死亡事故を起こしてしまいます。そんな販売好調の最中、欠陥自動と集団訴訟を起こされます。操縦安定性能に問題があるにも関わらず、欠陥を隠して販売をしていたと訴えられます。多数の被害者遺族が、車の欠陥で横転事故を起こしたとの訴えでしたが。長い裁判の間、社長である本田宗一郎も『欠陥を知っていたのに販売を継続させた』『未必の故意』の疑いで告訴されますが。弁護士が被害者を捏造(買収)した事実が発覚、長いN360の徹底的な調査、走行テストが行われ。コーナーリング性能に不足が確認されましたが、事故との因果関係はナイと確認され。結論は、ドライバーの運転ミスで、ホンダN360に問題無しとなりましが。マスコミに連日報道された事、裁判が長期間続いた事から『欠陥自動車メーカー』の烙印が定着してさしまい。一時期、ホンダの自動車販売は低迷。さらには乗用軽自動車からの撤退(軽トラは継続)に繋がります。この時期のイメージが強く残り『ホンダは買わない‼️』と言われてしまいます。ホンダ1300、N360、どちらもクラスレスな高性能を発揮しました(しかも安い)がフロントヘビーでコーナーリング性能は最悪で。プロドライバーでもコーナーリングでは肝を冷す車でした(法廷速度範囲なら許容範囲ではあったけど)基本的に、強烈なアンダーステアな車で。オーバースピードでコーナーに突入すると、曲がれないのでドライバーは更にステアリングを内側に切ってしまうので。スピン、最悪横転事故になりました。しかも、エンジン性能だけは凄かったのでカタログ性能通りの高速を発揮してしまうため。技量不足のドライバーの運転ミスが多発していたのも事実でした。
@@wrxsubaru2000 ヒューザー事件ですね。 N-360が当時の軽自動車としては高性能(スピードが100㎞/h以上出せた)のと激安な価格設定から若者に大人気となりました。 若いとムリな運転をするもので(全てではないけど)ハードな運転で横転死亡事故が多発。 それを『悪徳弁護士』が嗅ぎ付けN-360で死亡事故を起こした遺族を焚き付け『集団訴訟』をさせた事件。 『ホンダはN-360が横転する欠陥を知っていたのに販売した』として訴訟を起こしたのだが。 長い裁判の末にN-360の詳細な調査の結果、車には問題がなかったと判定『運転手のミスが最大の原因』とされて無罪になりました。 ですが、マスゴミが加担して『ホンダ叩き』をしたので、ホンダの軽自動車の販売は不振となり。 ホンダは軽トラックのみの生産に縮小。 軽乗用車から撤退する事態にまでなりました。 80年代にトゥデイが発表されるまで軽乗用車は無かった時代があったのです。 しかも、N-360で『高性能』を追究した結果『事故多発』につながったので。 スズキやダイハツが『ドッカンターボ』でハイスペックな軽自動車を販売していたのに、ホンダはNAの低馬力の軽自動車しか販売しませんでした。 ホンダが軽自動車にターボを採用するのはライフダンクが登場する90年代以降になります。
HONDA1300をデビュー当時に510と比較して圧倒的に速くて衝動買い、さっそく箱根のヒルクライムにでた。今でもJCCAのレースにホンダ1300クーペ9Sで参戦中、タックインをわかっていればそれほど難しい車ではありません。このクーペスタイルで5人悠々のスペースで素晴らしい車です。ちなみに58年もJAF競技ライセンス持って走ってる。
こんな素敵なヨーロピアンなスポーツセダンが半世紀近く前に日本にあったって事実、本田宗一郎さん
ってホント技術屋さんですね。
リアサスはリジッドではなく、クロスビームの独立ですよ。ちょっとしゃがんで覗けば見えます。
クラッチはディスクが摩耗しているだけで、本来は軽いです。
シングルナンバーで現代まで維持されてて動体があるとは、、、驚きました。後半で触れてますが、どうせ冷やすのは空気なんだから空冷でいいじゃないという本田宗一郎さんの考えがその後に開発されるCVCCへとつながってると思うと、この車はエポックメイキングですね。これからも是非このまま維持して欲しい名車であり唯一無二のマシンです。
空冷エンジンでは有りますが本田宗一郎氏が求めていたのは油冷エンジンだと聞いたことがあります
ドライサンプで有ること 冷却フィンの付いたオイルタンクはオイルクーラーを兼ねていること
全てが進んだ考えをもった方でした。
前に技術者の方のインタビューでオヤジにバレないようにコッソリとオイルクーラーみたいにした。
それぐらい熱処理が厳しかったとありましたから、宗一郎は本当の空冷で行けると思っていたようですよ。あの久米さんも辞表を書いてるほどですから。。。😅😅😅
ホント、本田宗一郎はバイクの感覚を4輪にまで持ち込む人でしたねw
99S 子供の頃、街で見かけて謎の車でした。コロナやブルーバードより一回り小さくシャープな印象でホンダの乗用車だ!!って印象でしたが、このシングルナンバーの個体動画見て納得しました!素晴らしい!
こんにちは、ホンダ130099ですね。懐かしです。新車の、試乗会に行った記憶があります。有難うございます。
一昔前の個性の塊なホンダ車が好きで乗ってるけど、1.3ℓ100psオーバーって所と国産他車には無い独特なデザインに魅力を感じて今だにほしいクルマ。
今回のCGClassics8号、実に読み応えのある内容でした。やっぱりヒストリックなホンダは面白い!
ホンダ1300 99s
こんなクルマが紹介出来るなんて
CGの真骨頂ですね‼️
結局、空冷のF-1も不幸な事故もありパッとしなかったし、拘りを捨てて良かったと思います
でも当時の若者としては、このセダンよりクーペには憧れていました
試乗冒頭に、低速トルクがないという言葉がありますが、それしか記憶に残っていませんW
渋滞にはまって、延々とゴーアンドストップを繰り返すのは地獄でした。回転数を上げてトルクを稼ぎながらカックン発進にならないようにするためにもクラッチを慎重に操作しなくてはならず、これはN360の再来かと思ったものです。クラッチが重かったのも、思い出です。
99Sではありませんが、本当に懐かしい車を紹介いただきました。ありがとうございます。
このクルマの仲間のクーペ9、、、飛ばし屋の先輩が乗っていて、高校生だった僕を乗せて首都高を走ってくれた。
経験したことのないような、エンジンの回り方、コーナリングスピード、、クルマの魅力にこの時ハマりました😃
ホンダの作るクルマってスゴイなぁ、、と思ったっけ♬
マイチェン前のフィット1300の最高出力が98psだから、表示方法の違いがあるとはいえ半世紀以上前に115psを絞り出していたのは凄い。
やっぱり本田宗一郎と藤沢武夫の二人三脚の頃のホンダ車は個性的で面白い
この車は30歳の時に50年前になりますが新婚旅行で京都まで行ったおもいでがあります 帰りは神戸からフェリーで東京まで 天国に行ったワイフの思い出写真を携帯待受け画面にしてます😇
突然すいません、50年前京都というと私が高校生のころ、鴨川べりの川端通を南下するHONDA1300を見かけたような記憶があります。
ひょっとしてと思いました。失礼しました。
今は、S2000に乗っております。
高校の時(45年くらい前)に、「1300クーペを5万で買わないか?」って持ちかけられましたが、当時は二輪の免許しかなかったので断念しました。
買ってから四輪取ってもよかったなぁ。
若手技術者が『空冷ではムリだ‼️』と反発、技術的な問題点を列挙したら『君たちは、ドイツ軍のロンメル将軍がアフリカで活躍できた理由がわかるか⁉️』と質問、たたみ掛けるように『ロンメル将軍の車両が空冷だったからだ‼️』と、空冷優位論を展開したとか😅。結局、販売実績が悪くて失敗。本田宗一郎が事実上の最後に開発に関わった車。ある意味、本田宗一郎ありきのホンダではなくなる転換点になった車だと思います。逸話、当時のトヨタの社長が、1300ccで115馬力を出す事実をしって。技術部門の方々の前で。『ホンダは、たかだか1300ccで115馬力を出してるのに❗我が社は2000ccでも100馬力も出せないとはどういうことだ‼️😠』と激を飛ばしたとか。ホンダ1300の性能は、それだけインパクトがあった証(売れなかったけどね)
『エンジンが水冷でもラジエターは空冷だ。
ジェットエンジンは空冷だから空を飛べる。‼』
でもロケットエンジンは、燃料で冷却してます。
車では無理でしょう。
@@tarou951 本田宗一郎いわく。 『水冷エンジンだって、ラジエーターを空気で冷却してるだろう⁉️だったら、空冷エンジンの方が合理的で軽量化もできる😤』と力説。 ところが、ホンダ1300のエンジンは、冷却性能が不足していて。 エンジンをアルミダクトで囲み、走行風と、ダクト内部の冷却ファンの二段階冷却方式を採用。 エンジンオイルも冷却不足であったので別置きのオイルタンクをアルミ冷却フィンを着けてエンジンルーム右側上部に搭載。 潤滑方式はドライ散布方式を採用。 結局、空冷にする為に、ムダにアルミフィン、ダクト、オイルタンク別置きと重量が増大してしまい。 ラジエーター式よりも重量が過大になっています。 結果、直進安定性能は高い車になりましたが。 フロントヘビーで究極のアンダーステアな車になってしまいました😫。 当時のカーグラフィク誌の長期試乗評価でも、加速性能、速度性能は高く評価されていますが。 コーナーリング性能は最悪😞⤵️⤵️と最低な評価の車でした。
@@三浦英則
記者はタクシーに乗る。
@@tarou951 ?。 カーグラフィクの長期試乗評価は、実際に購入してのレポートになります。 このスタンスは現在も同じですよ。
@@三浦英則
記者は歴史家にはなれない。
アルミ合金の拝金主義な買い取り業者の馬鹿どもが潰しまくったせいで、紹介動画の1台自体が唯一に近い生き残りに見えてまう😭
まさにフランケンシュタイン!
オーナーさんに脱帽します。
中村良夫さんは第1期HONDAF-1を勝利に導いた人物であり、元は中島飛行機の技術者だった。
気温の低い高空でも空冷エンジンを冷却する難しさを熟知していた。
その人の言うことも聞かなかった本田宗一郎氏何か胸に秘めるものがあったのかそれとも単なる思い入れか❓️
ナカさんはSシリーズやNシリーズには関わったけど
H1300には関わっていなかったんじゃなかろうか。
リアサス確かクロスビームだったはずですが・・・
他社が軒並みFRでリアリジットが多かった時代、シビックやらアコード(なんなら初代シティも)など割と頑なに四独に拘ってた印象
S800の後期型で独創的なチェーン駆動独立懸架をやめ
リジッドアクスル(ライブアクスルと言った)に退化してしまったのを
渋い目で見ておられたに違いない。
(でもそうしないと、製造者に責任が及ぶPL法が幅をきかせる北米に輸出できなかった)
空冷フォーキャブ加速時の音最高でした✨
これはホンダ1300の99Sですね。本田宗一郎さんの魂の一台です。なんといっても空冷エンジンです。私はホンダ1300の99Sのデザインが大好きです。私がこの車が現役の頃に若かったら運転したい車です。チャンネル登録しました。どうぞよろしくお願いいたします。
内容を拝見しましたが、99Sの試乗の感想は個人差があるので別として、車両のご説明が所々違和感や誤解を招くご説明をされて気になりました。空冷機構のDDACの最初のDはデュアルではなくデュオと表記されることが一般的です、もちろん意味的にはデュアルもデュオもほぼ同じですがこの場合はデュオと呼ぶのが一般的です。あとマスキー法の排ガス規制でシビックが水冷になったような説明をされてましたがそれも若干違いますし説明不足に感じました、あとポルシェもそれを機に水冷になったような説明は誤解を招きますね。ポルシェ911は1997年まで水冷エンジンは発売してません、一部959のような特殊なクルマは部分水冷を採用してますがそれでも80年代半ばのクルマです。シビックがCVCCを、採用した1973年ごろのポルシェはすべて空冷で水冷の924や928が発売されたのは76年や78年とずいぶん後になります。ポルシェも既存の911ではなく924や928を排ガス規制をクリアしやすい水冷にした意味では間違いありませんが、かなり誤解を招く発言に感じました。
苦言失礼しました。
動画のアップ主の説明が不充分で、わかりにくい。技術的なことも詳しく無いことがわかる動画です。CVCCエンジンの説明もないのがものたりない。マニア向けの解説だからね、興味をなくしてしまうよ。
試乗してる人が勉強不足過ぎてCGのレベルになく、酷い。
空冷にした理由が宗一郎の思い込みだけとか? ラジエーターも必要なく、空冷のメリットは沢山あるから技術的な説明をちゃんと聞きたかった。
わからない人にレビューされて、大切にされてきた車がかわいそうで、心が痛いですね。
ちょっと勉強不足ですよね。Honda 1300 を語るレベルではなかった。せっかく程度のいい99を提供してもらっているのに。
DDAC(二重空冷)の知識もない(笑)
後輪サスペンションを固定式と言ってる時点で・・・
思い込みとは恐ろしい。
空冷エンジンには
それ固有のメリットがある
と 言うのは確かなんだけど
このクルマがそれを
追求してる様には見えない。
更に言えば
何か目的があって空冷にした
のではなくて
空冷にする事自体が目的
になっているようにも見える。
こういうのを
本末転倒って言うのでしょうね。
リポーター(?)のレベルが低い
勉強不足でしょ
ってのは同感。
初代アコード1600ccが、まだ新車に近かった頃、松江で、この99のゴールドメタに会いました。かっこよかったですよ。当時は、広島市の高須で、432Zにも会ったり、規制まえの名車がまだ残って走っている頃でした。
レビューを聞かせていただいていると、エンジンのふけ具合、加速性、アコードと似ています。1600cc 840kg・・・その分、やや乗りやすくなっていましたけれど。加速時のシフトダウンは、アコードが最初の車だった私には、当たり前だと身に付いてしまっていました。学生の間に、大型免許もバイトするために取りましたが、ダブルクラッチをそこで教わり、より、シンクロが弱かった分、スムースになりました。違いは、ハンドリング。FFの特性んもよく出て、アコードは、シビアに反応しました。なんなら急加速するとやや曲がりたがる特性までありましたから。非等長のドラいろが歩シャフトのせいで・・・。
友人の1400ccカローラツインキャブより、なんならGTOや規制後のスカイライン2000GTより加速は良かった気がします。広島は四車線(片側)でしたから、信号の出だしで競走できますので。なお、そのカローラやサバンナ、ハンドルに方向が付いてこないラグや、アスファルトのうねりを拾いやすいことに、乗って初めて気付かされました。
アコードの方は、乗りやすい車でもありました。エレガントな面もありました。
ダートの北海道小樽~函館を、調子良く走ったら、同行のセリカ1400よりは、中間地点で1時間ぐらい差が出るぐらい、かまぼこダートにも乗りやすさのある低床なのに、という車に、99から進化していたハンドリングです。
また、乗られて、比べてみてください。6年間で11万キロほど走り、就職を機に2代目プレリュードに買い替えた時は、別れが寂しかったです。
大変、ぶしつけなコメントに成ると思いますが、50年来の「ホンダファン」として、どうしても一言いいたく成ってしまいましたので、お許し願いたい。「77]「99]「クーペ7」「クーペ9」は外観こそ違えど、「パワーユニット」「足回り」は基本的に共通です。「インプレッション」に有りました様に「メチャクチャフロントヘビー」です。通常のFF車の運転は「コーナリング中はアクセルOFFするな」が基本ですが、其の理由は「コーナリング中にアクセルOFFすると、フロントでEブレーキがかかる為にRが外に流れる、タッキングが起こり、其の事を知らないドライバーは事故に成る」と言う物ですが、「77]「99]「クーペ7」「クーペ9」は全く違います。Rサスがリジットにも関わらず、「クロスビーム懸架方式」と言う、独立懸架に成って居た為に、Rサスが横Gに対して踏ん張ってしまい「タッキング」が起こらず、「アクセルOFFでのコーナリング」が出来ずにアウト側に突っ込んでしまう事に成ります。実際に幾らハンドルを切っても「トンデモナイアンダーステア」で、慣れるまで冷や汗をかいていました。ここで述べられている「インプレッション」は「街乗りレベル」の物で、当時のホンダはまだかなりクセの有る「自動車メーカー」で、ある意味「乗る事が挑戦」みたいな、「走るって楽しいんだ‼」と思わせてくれましたね。
99Sが丸ヘッドライト。77Sが角ヘッドライト。1300cc4キャブの99S
馬力的には、27レビン等の1600cc
2T-Gと同じの115馬力。当時の小型エンジンとては群を抜いて高出力。
確か7.500回転で、点火をカットするようになって、まだ回るんだけど
リミッターがかかってしまい。
実最高速は170キロ位。
カットオフを外せば、カタログデータの185キロ近く出たかも知れない。
1300シリーズでは、後期型の
1300クーペGTLが好きです。
ツインリンクもてぎ内の「ホンダコレクションホール」にDDACエンジン単体が飾られています
あの異様なフィンの形状を見ただけで「ヤバいエンジン」なのが分かります
一代で会社を起こして成功したあの本田宗一郎氏が、この空冷エンジンを「失敗」だったと素直に認めただけでスゴい、と言う事か
DDACデュオダイナエアクーリングシステムという、エンジンに空気の通り道を設けて、強制的に外側と内側から冷却させるシステムだったらしいので、そりゃあ水冷より重くなって当然ですね。
ただ本田宗一郎という人は、乗用車メーカーとしては後発だった弱みがあったこともあり、社員には「他に無い物を造れ!」と檄を飛ばしていたらしいです。
全て今尾副編集長にCGやってもらって!楽しくて!最高です
ホンダの歴史にこの車が出て来ないのが不思議でした。
当時、この排気量で185kmでる車は確かなかった?
よく保存されてたものですね。
後輪サスペンションはリジッドアクスルではなく
クロスビーム式という独立式です。
リーフスプリング=固定車軸という先入観がそう感じさせるのかも知れません。
360cc時代の
ホンダの軽乗用車は
リーフ・リジッド式だったから
それでそう思い込んだ
ってものもあるかも
クロスビーム式サスペンションは
アメリカのピックアップトラック
(フォードなど)のフロントサス
をヒントに開発した
と、何かでよみました。
ソーイチローさんは
空冷エンジンだけでなく
リーフスプリングにも
並々ならぬ思い入れが
あったようです。
父が1300クーペに乗ってたそうですが、その後に乗ったギャランより乗りにくかったと言ってました。
若手技術者の意見に耳を傾けて水冷にしていたなら性能的にはもっと凄い車になっていたような気がします。空冷のロマンは感じました。
これより前の乗用車・S600/800は水冷4気筒でした。
ただ原型のS500から排気量アップするために
アルミシリンダーに鋳鉄スリーブ(ゲタ)を入れる愚行をやってしまった。
こいつのために、しっかりメンテナンス・組み付けをしないと水漏れのトラブルが常について回り
水冷エンジンに嫌気がさしたのではなかろうかと推測いたします。
1300クーペを水冷に換装した145クーペがありました。
145クーペは、高性能版ではなく、よりマイルドな性格でした。
ニードルベアリングの回転response空冷エンジンならでは、現代のピストンリングがあったなら更に耐久性能が望めたはず👍
亡き父がN360の中古車を買って、家族で鳥取県大山へ行った時、空冷エンジンのせいかオーバーヒートしてしまったことがある。この経験があるので、空冷エンジンを良さそうに思わなかったね。
先輩がクーペ77sに乗ってました。
スタイルを重視した先輩でした。遠出の時は私が運転したが
運転が難しい車は初めてで疲れました。クラッチが重く
ギヤが入り難くかったですが、周りが皆、珍しいと注目されました
ホンダ1300 99S 免許を取って最初に買った中古車でした。クリーム色のボディ、京浜のキャブレターが装備された仕様でしたがトップヘビーでハンドルも低速時は(うんしょ)と声が出たくらい重かったですwでも、楽しいクルマで895kgの軽量ボディに110psのエンジンを使い切ると早い早いw。クーペボディの77Sも流麗なデザインで人気でしたが私は10代でしたが4枚のボディに99Sとサイドに入る紅いバッチと波打つフラッグが好きでした。嗚呼、懐かしい
昔友達から譲り受けて乗ってました。シンクロがイカれてて3⇒2はダブルで踏まないとダメでこの車でヒール&トウを身に付けた。ドライサンプなのでGSでオイル交換するとき手間が掛かったな~
本田宗一郎の空冷はたしか・・・水冷だって最終的には空気で冷やすんだろ! だったら最初から空冷で冷やせばいいだろう!!・・・とかそんなエピソードだったかと思う。
あと、当時は水冷の技術が黎明期ということもあって、同排気量であれば空冷の方が出力が出ていたはずです。
水冷と空冷の差って熱容量の問題であってるのかな?
エンジンの騒音の問題もあります。
空冷はフィンがあるので相当うるさくて
水冷はウォータージャケットで覆われているので比較的静か。
ならば空冷でエアジャケットにしてしまえと考案されたのが
一体式二重空冷(DDAC)
たくさん動画上がってますFIとバイクの技術を融合したようなエンジン加工技術やシール部品の性能が当時のもだけにオイル漏れがすごかった時代は排ガス規制になり本田宗一郎さんの信念も曲げざるを得なかった。
開発期間が短かくて煮詰められていない箇所が多いように推測します。エンジンが重くFFでハンドルもダルくカーブでは超アンダーステアリングがでそうですが前後重量配分も6:4位か?但し、直線加速は当時の1600~1800クラスに匹敵しそうかと。ドライサンプでレーシングカーの技術を取り入れていたりで本田イズムの塊車ですね。
実際にはN360の開発が終わった頃(1967年)辺りに設計開発が始まって
販売が始まったのはその2年後の1969年。
決して短い開発期間ではなかったと思われます。
ホンダで整備をしていた時、色々と教えてくれた講師みたいな方がクーペに乗ってました・・・。
しっかり整備してればクラッチも大して重くなかったし音の響きは最高だった・・・。
本田宗一郎氏も昨今の真夏の炎天下で首都圏のコンクリートアスファルトジャングルを経験すれば自力で空冷諦めてくれそう
ホンダのこだわり
空冷:VWと同じで水を必要としない
前輪駆動:リアカーを押すのと引くのとどっちが楽か
空調:エンジンをオフセット配置してエアコンユニットのスペースを確保しよう
エンジンオイル:オイルクーラーほどではないが、ドライサンプのオイルタンクに冷却フィンをつけよう
オートマチック:ホンダ独自の設計でBW社のパテントに抵触せず
しかも常時全てのレンジに手動でシフトできる(3速ホールドも可能だ)
わたくしも
ホンダ1300 クーペ7を買いました
しばらくたって
マイナーでホンダ1300クーペGTL
を買いました
その時にセダンは廃止になり
クーペGTLと
名前は忘れましたが
いわゆるスタンドダードのクーペ
に変わった
わたくしは
乗りにくいとは思いませんでした
ただ最初のクーペ7
はトラブルでアイドリングが一定にならず
エンストしたりして
困りました
それと夏は
エンジンの熱が室内に入り
暑くてたまらなかった
GTLは
遮断がうまく行き
運転席まで熱は入り込まなかった
暑いが三角窓があり
自然の風を取り込めて走っている時は
苦にはならなかった
スタイルよし
エンジンはよく回るし
こんな面白い車は
なかったです
エンジン屋の面目躍如のクーペでした
当時、鈴鹿製作所に行ったらモータープールにホンダ1300がずらりと並んでいるのを見ました。
藤沢武夫が引導を渡した空冷1300ですわな。本当に、藤沢武夫という人は名軍師でしたな。
下落合のおじさんに
「あなたは技術者か社長か」と迫った六本木
まあ多少は六本木の脚色もあったかもしれませんが。
「おやじ」が健在な時代のホンダは楽しい車とバイクがありましたね 77・99の空冷乗用車
現在のホンダでは出来ない代物でしょうね---但し当時はクーラーもエアコンも無かったね
ガンコ宗一郎の空冷エンジン
でもやはりこれが最後だったろう。
父さんがクーペの9sに乗っていました
むしろセダンもあるのを初めて知ったくらいです
当時。鈴鹿市ではホンダ1300のタクシーが走っていた
昔勤めていた会社の上司がこれを買った。
夏場はオーバーヒートに悩まされ続け、
車体を何度も蹴飛ばして「この車は
クソだっ!」と叫んでいた。
CVキャブとかCivicのチューンに流用されたでしょうね。
キャリパー3ポットだからね。あとオーバーヒートはまったく無縁だった。当たり外れかな。そのかわり死ぬほど暖まりの悪いエンジンで冬場はほんとに苦労した。
N360の特集もしてくれ
今思えば45年ほど前に360のオートマに乗っていたことがある。
1300も車種はわからないけど3万円で買った。冬はヒータが温まらないけど、心地よく走るのが楽しいエンジンだった。
概ねリヤ側に空冷エンジンって言うのが定番の所にフロントに積むなんて凄い発想🤩!絶対に車内熱いはずよ🤣!FF駆動でドライサンプ(だったかな?)の4連キャブでスタイルがファミリーカー的なセダン🤣ある意味、欲張りなクルマだったのかも🥴
ホンダ・ベルリーナ (=セダン)、本田宗一郎氏の執念を感じますねー。
@@SINGOTAKATA
色んな思いと発想が詰まってますよね🤗
昔うちスバル1300G乗ってて知り合いの99を運転するとメーカーの違いを嫌というほど感じたなー。
四輪オートバイって感じだった。
スバル:航空機の発想
ホンダ:オートバイの発想
スバル1300Gの方が「名 車」に一票! 👍❗
キャブ4連装と7000軽く回るエンジン。
量販を目指す某大手メーカーでは真似できない珠玉の一台ですね。
本田宗一郎氏と若い技術陣の喧嘩には
車造りへの情熱を感じる。
この時代に、このクオリティ、凄い、いやいや、スゴすぎますね、、、さすが、本田そういちろうさん、ですね
以前ホンダの整備士教習で、1300の生産に関係していた方から話を伺いました。
エンジンは空冷で220キロあったと言っていたかと。
また、エンジンルームが熱くなり、ボンネットの塗料がダメになるので、耐熱性を上げると外装の色合わせが大変だったとか!
実際、知り合いの空冷シトロエンGSオタクは、クーラーを付けるとエンジンのオイル漏れがひどくなるから、と、夏は早起きして、涼しくてすいている時間に通勤していましたから、空冷エンジン車の事実でしょうね。
今から50数年前に私の親父が
初めて自家用車を購入するとなって
候補の1台に上がっていたのが
この99Sか77Sだったらしいのですが
結局三菱コルトセダンの中古車を
購入してしまったのです😢
惜しかったなぁ😥
水冷空冷の対抗はCVCCの開発の時ですよ。
正確には軽自動車「ライフ」の頃ですね。
水冷エンジンは暖房がよく効いたことを実感する社長
「ああ、あったけえなあ・・・」
エンジン内部に空気を導いて冷やすより、エンジンの熱を水を介してラジエータに伝えて冷やした方がずっと効率良いんですよね。
でもうるさかったし、夏は熱持ちやすかった。
アルミを一杯使っているから解体されたのが多いのだよね〜このエンジン…
試乗車は静かですね ホンダSFが当時碑文谷にあって見に行ったわ
この失敗があって、新たなホンダが
生まれた……
この車私が高校時見ましたよ!ホンダ宗一郎車だよ!
ザ、ホンダ
「99S」 空冷1,300cc/115ps (1969年)だって !? 今日のホンダに遺憾の意。過去にさかのぼるほど凄すぎるパッションを感じるんだが・・・
かつてホンダにいらした方から聞いた話をご紹介します。その方が所属していた部署に本田宗一郎さんがいらして「トイレが臭いぞ」と怒った。そして、臭いの元より、臭気の逃げ道がないのが駄目なんだ、排気・通気を考えなさいと言い残して去っていかれたそうです。さすが空冷主義を貫かれた方だけありますね。(竹下)
PS カーブで曲がり切れなかった!
この空冷の失敗を後年vetcインテグラでリベンジしてますね、 クーペのグリルなんか1300のデザインモチーフになってます。
大学生の頃に友人が乗ってたがめちゃ早かった!俺のN360もそこそこだったけどな!
本田宗一郎が空冷に固執するようになった理由は、誰にも分からないままなんですよね。
VW(特に戦場で使われたキューベルワーゲン)に対する信仰と
S600/800の水冷系トラブルがその要因であったと聞き及んでいます。
@@Pastakun ありがとうございます。
@@Pastakun
エスで水冷なのに何故?の疑問が解けました、水路を直した方がどう見てもコスト的にも有利なのに😅😅😅
@@maruhiroya417 最初に作られた市販エンジン。
356cc4気筒を791ccまでアップするのにかなり無理をした。
シリンダーブロックを新規に起こせばいいのだが
まだ4輪メーカーとしては駆け出しのホンダにそれはできなかった。
次に出た356cc2気筒エンジンはオートバイCB450の手直しによって出来た空冷エンジンで
空冷でやる方が楽チンじゃないか・・・と一時的に思ったようだ。
@@Pastakun
まぁ、宗一郎御大はプライド高かったから他社に頭下げなかったでしょうからね。ソコがあの人の゙欠点だったかも。
近年のくそ暑い状況でも大丈夫なんですかね・・・ 空冷で
ドライサンプでオイルタンクまでフィンだらけ、水冷より重かったり高価なアルミを使いまくったり、宗一郎の怨念が間違って渦巻いてたんだろうなw
890kg?現行のスイフトがエアコンとかパワステとか装備てんこ盛りで860kgなんだがスイフト恐るべし
空冷エンジンという機構が問題無ければ奇跡!何台エンジン焼き付いたのだろうか、理想エンジン夢心地、
たとえ失敗作だとしても、ロマンチックで魅了されてしまいます。ただ、企業としては、いつまでも少年でいるわけにはいかない訳で‥‥。
発売からしばらくして110馬力にデチューンされた記憶が有ります月
(乗りやすさ改善の為)
それと長期間仕様するとエンジン本体に歪みが発生した聞きました
オールアルミ製エンジンですもんね。
ゴム部品の劣化で、フロントのストラットタワーが音を立ててぶち抜けるトラブルもありました。
これでは無いですが、クーペ9で小林彰太郎さんが箱根で大怪我された様な記憶があります。フロントヘビーの大アンダーステア⁉️
この当時、バッテリーやオイルタンクをリアトランクに配置する等の
重量配分に考慮する施策があれば・・・
@@Pastakun
それくらいじゃ効かないのでは?
@@刈穂芳雄 バッテリーは結構な重量物。
オイルタンクだっていかにアルミで出来ているとはいえあのフィン付きの仰々しいもの。
慣性モーメントの相殺くらいは出来たかもしれない。
@@Pastakun
ちょっと見方が浅かったかな
ごめんね ごめんね~
ただ、冷静に見れば
重い空冷エンジンを
軽い水冷エンジンに換装すれば
そんな苦労しなくても
万事解決のような気がする。
それを言っちゃあお終いよ
って話だけど
ホンダ自身がそれをやってる
のが面白い。
出来れば空冷と水冷を乗り比べて
問題が解決したか検証してほしいけど
水冷145は空冷1300以上に
残ってなさそうなので
それはちょっとムズカシイかもね。
@@刈穂芳雄 水冷のSD/CDは
傑作SBシビックの影に隠れてしまって
遅すぎた登場が悔やまれます。
S800に搭載する予定だった、機械式FIも盛り込んだというのに
オイルショックがなければ少し様子が違っていたかもしれません。
この頃のホンダは自動車・バイク共に面白いモノを造ったね 現代全てダメとは申しませんが
「おもしろい」と思うモノは車・バイク共に無いね‐‐‐‐私感ですよ
単なる無知。この後、開発陣出身大学の静大工学部に本田宗一郎氏が聴講に行く事になる。そこで水冷の利点を理解
セダンもクーペものっていました。
クーペは9でした。
感想は一つだけで、水冷の車がいいや。
本田宗一郎の車ですか 本田さんがセナを励ます映像を思い出しました 当時の若い技術者との喧嘩 ア~日本の車はどうなりますか? 本田さんに訊ねたいです😂
ホンダの空冷エンジンと言いながら、エンジンの映像がほとんど無いのはおそ松君ですね。
当時のセールスポイント
2000ccクラスのパワー、1500ccクラスの居住性、1000ccクラスの経済性。
4キャブ車ってジェッティング大変そうですね😅
本田宗一郎が、マスキー法施行直前に、空冷をゴリ押ししたのは、航空エンジンに参入することを見据えていたのでしょうが、オイルショックで頓挫したのです。
それがレシプロからホンダ・ジェットとして、開花したのです。
アリスとと同じ直線番長では?
やはり周りの意見を聞かずに、押し通す人がいないと、発展のヒントは生まれないんだなとつくづく思います。今の社会は個性教育をやっているくせに、「右向け右」な戦中より酷い世の中になってしまいましたね。若い元気な芽は枯れるまで踏まれてしまう、老人が中心かもしれないけど、ただ無気力に従う中年。それを冷笑しながらも新しい意見を持とうともしない若者。インターネットの情報はただの言い訳にしか使われないし、そこにはヒントもあると思うけど、書いてあることはただコピーのネタにしかなっていない。
失礼ながら 「おやじさん」健在時の本田はバイク・車共に楽しいモノが有りました
残念ながら現在の本田には興味が無いですね 因みにバイクエンジンのフィンの様な
モノが付いていたのはドライサンプのオイルタンクですね
レース仕様なのかなあ?街乗りにはきついかなあ?あらゆる条件を満たさないといけないだろうし
強烈なアンダーが出る車でしょう。前後同サイズのたいやですかね。此の車エンジンが重いのでフロントヘビーの重量配分と思いますよ。癖の強い車でしょうね。
130クーペ、151クーペだったかな?
空冷版が1300クーペ、水冷版が145クーペです
空冷:H1300
水冷:SD(セダン)・CD(クーペ)
「大八車は前で人が引っ張って舵とるだろ?」でFFに決定。
「水冷だって水を媒体とした空冷。砂漠で水がなくなったらどうするんだ?」で空冷に決定。
本田社長の言う事は説得力ありすぎ。
チェーン⛓️駆動だよねこの車は🚗!😊
フロントエンジンフロントドライブ。
N360やSシリーズと勘違いしてませんか?