【ゆっくり解説】謎の多い英雄!坂上田村麻呂!!

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  • Опубліковано 6 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 33

  • @biwa108
    @biwa108 Рік тому +9

    滋賀県甲賀市土山(鈴鹿峠の滋賀県側)に、大きな田村神社があり御祭神が坂上田村麻呂です。かつて鈴鹿峠に悪い鬼がいたので退治したという伝承。お伊勢参りの峠を越える場所であった事から元伊勢伝承地、神社の雰囲気も伊勢神宮に似た川のそばの神社になっています。対岸には大きな工場があるのですが、木々に覆われているため、神社からは自然に囲まれた感じになっています。

  • @azumam2427
    @azumam2427 Рік тому +8

    福島県田村郡は坂上田村麻呂の子孫田村氏がここを治めたのでそれが由来になっているそうですよ。

    • @akazabu9776
      @akazabu9776 2 місяці тому

      えー、そうだったのですね?坂上氏にせず、田村氏にしたのは何故なんでしょうね?

  • @どらぷ
    @どらぷ Рік тому +6

    昔、アテルイを主人公にした小説を読んで
    朝廷→悪
    蝦夷→正義
    という構図が(岩手生れの)自分の中では出来てしまった
    でも田村麻呂さんは朝廷側でも別格☝
    この人に負けるなら本望👍

  • @amadeus5029
    @amadeus5029 10 місяців тому +1

    アテルイの記念碑が清水寺にあったから検索したらこういう感じだったんやなぁ

  • @m21y37
    @m21y37 Рік тому +5

    複数回戦った相手であるアテルイをリスペクトする辺り朝廷勢力てしてはステキな人物ですね。

    • @nandakana68
      @nandakana68 Рік тому +2

      でっ和睦後の騙し討でがね!

  • @ロジヒロ
    @ロジヒロ 10 місяців тому +1

    多賀城は元の名は多賀柵だそうです。

  • @nokko-s1l
    @nokko-s1l Рік тому +4

    今日も観ながら寝落ちさせていただきます(≧▽≦)

  • @CindySmith-jl9jr
    @CindySmith-jl9jr 8 місяців тому +2

    大和から見たら英雄
    東北から見たら侵略者

  • @biwa108
    @biwa108 Рік тому +10

    この頃から日本刀の始まりになったようですね。朝廷側は中国の刀に似たもので、蝦夷がしなやかな鉄を使った刀を持っていた。その刀を研究しなければ朝廷が勝つのは難しく日本刀が生まれたという話

    • @crowold3025
      @crowold3025 Рік тому +5

      蕨手刀ですね。日本刀の原型のだったようで片手で使う湾曲した刀だったようです。

  • @S.O-f1k
    @S.O-f1k Рік тому +6

    でも結局のところ出羽陸奥が完全に支配下になるのは、前九年、後三年の役、奥州藤原三代の半独立状態を経て源義経征討からの奥州藤原氏滅亡まで掛かるね。

  • @einsfia
    @einsfia Рік тому +3

    個人の武勇・武芸というよりは軍略と知略の人というイメージを持ってる
    書いてないから実際の武勲については分からないけど
    蝦夷との戦いも武力で叩き潰したというよりは、じわじわと切り崩して帰順を促していったように思える
    近衛が務まったことも鑑みると武力一辺倒の人ではなく、人心を読み硬軟使い分けることが出来たのではないかなあ

  • @裕裕ユタポン
    @裕裕ユタポン Рік тому +9

    清水寺と田村麻呂の関係、それを考慮した後の人が阿弖流爲碑を境内に建立した事に触れないと充分じゃないよ😢💢 24:51
    モレのことも

  • @土江順司-j1j
    @土江順司-j1j 11 днів тому

    征夷大将軍。この方初代ではないんですよね。征夷大将軍=幕府と思ったらそうでもないし、

  • @いでたかゆき-r8i
    @いでたかゆき-r8i Рік тому +1

    田村麻呂は巨人殺しといわれていました

  • @しめじちゃん-v2t
    @しめじちゃん-v2t Рік тому

    大阪市平野区に坂上田村麻呂の子坂上広野麻呂の家の跡と墓があります。

    • @福岡-q8t
      @福岡-q8t Рік тому

      末裔とされる平野七名がいた場所ですね
      以前、見学に行ってきました
      七名のひとつ末吉家は今も立派な家にお住まいですね
      本家である坂上家もどこかにあるという話は聞きましたが、確認はできませんでした

  • @sohayaaaaa
    @sohayaaaaa Рік тому +3

    古代東北史好きとして期待して観ましたが、内容が歴史的事実とかけ離れていて残念に思います。
    田村麻呂が朝廷への奏上で大墓公阿弖利為と公姓を付して報告しているように、本来のアテルイは朝廷に属していた人物です。なので朝廷に反乱を起こしたアテルイは律令に則って平安京の西の市か東の市で処刑されるのが正式な手順となりますよね。
    ところがアテルイは平安京の土を踏むことなく、公卿会議にかけられて、エミシであることを理由として河内国で斬られたのが最期となります。これは律令に則った処刑ではありませんから公卿による私刑であったわけです。
    アテルイは歴史小説で過度に美化されていますし、私自身それでいいと思います。しかし歴史的事実として処刑と私刑ではその意味が大きく異なりますよね。日本史のなかで律令に乗っ取らない私刑は何件かありますが、その理由がエミシであるというのはアテルイとモレの一件のみですから歴史解説動画としては歴史認識が甘いのではないでしょうか。

  • @roiyartea21
    @roiyartea21 Рік тому +4

    おー!!ご先祖様や!!
    坂上田村麻呂の娘は右大臣 藤原三守に嫁ぎます
    その子 藤原有方(備後守)が、有方家の先祖です
    ちなみに私は分家の12代目当代になります
    坂上田村麻呂の子供は早世しているので直系の子孫がいないのが残念です
    私の一族は藤原氏なので生き残りましたが
    応神天皇は百済と関係があったことで有名です
    そして、播磨国風土記には多く、応神天皇の伝説が登場します
    播磨や大阪には百済の子孫が多く存在します

    • @roiyartea21
      @roiyartea21 Рік тому

      皇族と有方家以外に坂上田村麻呂の血脈はないと
      思っていたが、続いてたんやな……
      他の子孫はどこおるんやろうな?

    • @ナンナナンナ
      @ナンナナンナ Рік тому +1

      @@roiyartea21
      10何人も子供がいればそりゃたくさんおりますでしょう

    • @roiyartea21
      @roiyartea21 Рік тому

      @@ナンナナンナ ところがどっこい正当な子孫は
      見つかっていない。東北の奴らは坂上やが血筋が嘘やし
      自称は腐るほどおるがな。末裔や血脈はおるがな
      やはり、衰退し消えたんやろな

    • @yh6146
      @yh6146 Рік тому

      伊達政宗の正室の実家の田村家は坂上田村麻呂の子孫とされているけど本当かわからない。

    • @福岡-q8t
      @福岡-q8t Рік тому +2

      比較的知られている子孫としては、次男の広野の末裔たちがいます
      広野は、現在の大阪市平野区のあたりを開拓し、そこに土着しました
      その子孫たちは中世から戦国時代にかけて隆盛し、平野郷は堺と並ぶ自治都市として発展します
      中心となった7つの家は「平野七名」と呼ばれ、いずれも大富豪の土豪でした
      七名の家からは、朱印船貿易で名を馳せ教科書にも出てくる末吉孫左衛門や、道頓堀を建造した安井道頓・道卜らを輩出しています
      現在でも平野区には末吉家の邸宅があります
      だいぶ前に現地に行かれた方によると七名の本家である坂上家もあったという話ですが、私は確認できませんでした

  • @タケルヤマト-n4d
    @タケルヤマト-n4d Рік тому

    渡来人の中でも戦闘種族かな?元祖征夷大将軍の人?

    • @福岡-q8t
      @福岡-q8t Рік тому +3

      渡来してきたのは古墳時代とされるので、田村麻呂から見ても何百年か昔です
      出自がそうだというだけで、田村麻呂の時代には同化していて大和の民と変わらないでしょう
      仮に先祖に中国人や朝鮮人、黒人がいたとして、何百年も経ってたら見た目も風習も何ら変わりなくなります
      動画中でも触れられていますが、氏族としてはあまりパッとしなかったので、田村麻呂のおじいさんあたりから軍事に特化して存在感を発揮しようとしたようです