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この当時、電車による長距離高速走行を実現するため、小田急と国鉄技術陣の利害が一致したのが大きいですなそういう意味で小田急SE車は新幹線の元祖であり、日本鉄道界の革新的存在でしたな
1980年、冷房化&固定窓化されたSSE車に乗る事が出来ました。コイルバネながらシュリーレン式台車は安定して、高速でも走りに問題なし。日本の電車は、戦前から、国鉄(省線)よりも私鉄がリードしていた事をが良く判りました。by近鉄沿線育ち。
まあ、というよりも、私鉄電車で技術的ノウハウを確立してから、国鉄に採用するというのが一連の流れですな電車の場合はこのように私鉄を用いることができますが、気動車特急は私鉄での採用例がないため、試行錯誤の結果80系気動車が誕生しました
国が関わっていると保守的にならざる得ないところはあるとは思う。新幹線も十分に確立された技術を使っているわけだし。イギリス海軍も、新機軸を盛り込んだ軍艦を日本をはじめとした外国に向けて建造して、その運用実績を元に自国の軍艦に取り入れてたりするし。
小田急が新幹線のスイッチを押した事になる民間活力ていいね
この間まで放送していたアニメ終末トレイン最終回のラストシーン直前に、なんと小田急SEらしき得体の知れない謎の電車が西武新宿線を走っている姿があり驚きました。今後の新作第二弾で小田急SEらしき得体の知れない謎の電車の正体を明かされることを祈りたいです。あと2~3年前、SE保存先の小田急鉄道博物館で有名な海老名のロマンスカーミュージアムにも行き、歴代ロマンスカーをじっくり見物して来ました。今後、ロマンスカーミュージアムに小田急歴代通勤電車を保存することも祈りたいですね。
SEの皮を被ったサステナ8000?
SEロマンスカー、海老名のロマンスカーミュージアムにて保存されているのを見学しましたが他の電車に比べて随分小ぶりな印象を受けました。とにかく小型軽量で高速を狙った電車だというのがよく分かりますね。
ロマンスカー・新幹線の祖先とも言われる車両ですね。当時はそれだけの速度を出せる車両がこれしかなかったのと1両の車体が短いので、実際の速度以上に速く見えたでしょう。
素晴らしいCG 合成と詳しい解説お疲れ様でした。SE車の振動が少ないのは優秀なシュリーレン台車によるものでしたね。145キロに到達するまで約7~8分かかっているのでやはり線形のよい区間がないと試験できませんね。小田急線内ではたしか125キロが限度だったかと。東洋電機製造の社史にはこだま型が163キロマークした後SE車が再チャレンジし170キロマークしたと記載されています。😊😊
この車体デザイン大好きです。格好いいですね。ライトの配置も。
これと同じ型の電車がアメリカにあります(エレクトロライナー)。
@@ませあきたつさん、鋭いコメントで思い出しました。40年位前鉄道雑誌に、エレクトロライナーの記事が載っていて、まだまだ知らない事がいっぱい有る⤵と、非常に興味を持ちました。エレクトロライナーも、条件に制約が多い中で、素晴らしい車輌だったのですね、特に集電とか。
日本人の方が作成した素晴らしいUA-camの動画がありますよ。自分はそれで存在を知りました。
昔のTEEゴッタルド号のパクリかと思っていたけど、実は小田急SE車の方が古いのだから驚き!
小田急が新幹線の祖先を作ったというのはとても興味深いですね。日本は騒音振動が問題になりますから軽量化と軌道強化が重要ですね。
このテーマちょっと違いますが、当時の国鉄御殿場線直通列車の乗務経験のあるベテランOBの方の証言によると「小田急線内であった小刻みな揺れが御殿場線に入ってからピタリと止んだ」そうです当時の私鉄と国鉄の保線技術の差もありましょうがやはり元とはいえ流石東海道本線といったところでしょうか?直線区間がそう長くない小田急より東海道線で試験を行った当時の状況を伺い知る事が出来るエピソードの一つだと思います
SEの高速試験がなければ、新幹線が誕生していなかった、あるいは誕生していてももっと先になっていたかも知れないんですよね。しかしロングレールのメリットまでこの試験のときに確認されていたとは。。。😮 連接台車に「走る喫茶室」、そしてミュージックホーンと、「小田急ロマンスカー」の形を作った元祖でもある偉大なSE。現役時代を知らない私は何年か前の小田急のイベントで初めて見たとき、その美しさに心を打たれ、感動のあまり暫くその場を動けずに魅入っていました。車体の小ささと、重心の低さにはとにかく驚きましたし、それはロマンスカーミュージアムで隣に展示されているNSEと比較してもよく分かります。 結局、当の国鉄では591系やキハ391だけでなく後にLSEまで借りて連接台車を検討するも実用化されず、JRでもE331系で試作されたのみでしたね😅VSEの引退で小田急からも連接台車が消滅しましたが、いつかまた連接台車のロマンスカーが復活してほしいものです!!
自動車のジャンルではレストモッドなる、以前のモデルを現代の技術で昇華させる流れが起こっています。鉄道の世界でレストモッドを実現させたいとなると多分このSE車が最適かと思いました
私が乗ったのは大井川鐵道の急行でした。とても懐かしい。
但し、短命に終わりました。
ボロボロだったしね
そっちの方が貴重だよ😮
昔は小田の急新宿から国鉄の御殿場迄、急行あさぎり号として乗り入れてたのですよね。旧国73系全盛時代の御殿場線で見た3000系は超カッコ良かった!
小田急SEからVSEまで連接台車を採用し続けた小田急ロマンスカー…JR後にSTAR21に新幹線として唯一連接台車を採用しましたが、やはり整備が難しいというのもあったのか連接台車を履いた高速車両は日本に普及しなかったですね…
連節台車は台車の数を少なくすることで走行抵抗を低下させるメリットがあるので、TGVなどの海外車両では積極的に高速鉄道に用いられているしかし、それはあくまでも動力を持たない客車としてであった電車の場合は搭載している電動機が制動時に発電ブレーキ(回生ブレーキ)となることで、高速走行時でも安全に減速(完全停止には至らない)ができる連節台車で台車の数が減るということは、必然的に電動機の数も減るので、加減速性能に影響を及ぼしてしまうまた、日本の場合は軸重による制限が厳しいため、連節台車で車軸が減ると必然的に車体を小さくして帳尻を合わせる必要がある
苦労のワリに効果がイマイチって評価だろうねぇ
ロマンスカー・SE(3000形)のTDK-806モータは軽量(720kg)高回転(ピーク4300rpm)に全振りした、いかにも東洋電機らしいモータで好きでした。151系のMT-46AもTDK-806ベースのモータでホント軽快な走りでしたね平坦線用と割り切ればトルクの小さな高回転モータでも浅いギアリング(3.71)と組み合わせて、澄んだような軽い走りができるんだなって思いましたね
小田急ロマンスカーといえばSEと展望席を設けたNSE、そしてその伝統(連接台車、展望席など)を引き継いだVSEですねVSEは数年前に廃車になったけど古さを感じさせないデザインなのが良いよなw
技術もさることながら、国鉄幹部に動力分散方式への理解を深めさせることも目的でしょうね。
小田急のイベントで最新のGSE車と並んでいたのを見た事がありますが、SE車の全高の低さに驚きましたね。
高速列車について鉄腕アトム等の原作者 手塚治虫先生は作品にあった高速列車の描写について「高速列車や高速道路とか現実にありもしないものを描かないで」とのクレームを保護者から受けたとのことです。しかしその後、これらが実現したことは言うまでもありません。その高速列車の開発の裏には、このような地道な開発があったことは、今となってはなかなか知り得ない話と思います。ご貴重な映像ありがとうございます。
手塚治虫といえば日本で焚書に遭った数少ない著作者。人類史において焚書という蛮行を行うのは常に人々を苦しめる圧政者、抑圧者である事実を知らない当時の保護者達の無知蒙昧さは、日本の黒歴史の一つ。
最初に画像を見た時は、実写かと思いました😲
初期の愛称板がないタイプがカコイイですよね。高速鉄道の連接の祖は西鉄の500形ですかね?
SSE車になってから何度か乗る機会がありました。飛行機のようなボディと扉、低い景色、少し高い連接部分の床などが印象的。大胆な外装カラーはグラフィックデザイナー宮永岳彦氏によるものです。
小田急沿線に住んでいたのでSEはSSE化後ですがよく乗りました。車体の低さは、ちょうど東海道線のグリーン車の一階席に乗っているような感じで、乗る時は階段を下に降りるように乗ります。ドアは手動の内開きで、走る喫茶室のお姉さんが優しく迎えてくれます。発車は音もなくスーッと走り出して一般車との違いを感じました。走る喫茶室は日東紅茶と森永が列車別に担当していて、日東紅茶が担当する列車に乗るとクールケーキに紅茶を頼むのが楽しみでした。ただ、出入口からデッキが無く、トイレが客室内にダイレクトにあってしかも汚物循環タンクも無く垂れ流しだったからトイレ近辺の座席に当たると臭かった記憶があります。まぁ、昔の車両ですからねぇ。それでもロマンスカーに乗るのは今より特別感がありましたね。
小田急も詰めが甘かったと感じるエピソードですね徹底してトイレをデッキに追放した国鉄はそれだけノウハウを蓄積していたという事でしょうか。
この頃の勢いで技術が進歩していたら、鉄道をはじめとする世の中はどうなっていただろうか。実に興味深い。
昔はスピードに対する夢と希望で活々していた的なまとめ方ですが、現在も大して変わってませんよ?リニアの600km/hを見据えた営業速度は新幹線開業時代から見てもファンタジーです。しばらく開業しませんが技術的にはもう完成してしまった。日本人は昔も今も変わらずスピード狂です。
アイスラッガーを飛ばした時のウルトラセブンwアイスラッガー付きのウルトラセブンは3100。
流電モハ52はどうなんだろう?あれはガワだけだったんだろうか?
戦後間もなく流電は速度試験してますよ。
@@にーに-v9f 豆知識増えました。サンクス。
東急5000と並んで、航空機の設計思想が反映された車両ですね。日本の鉄道車両有数のエポックメイキングな車両。デビュー当時のスタイルのほうが、なんとなく鉄道車両らしく無くて格好いい。
あけてくれ!ワイアール星人がいる!!
LSEで試験した時も連接車は性能はいいがコストに難ありと言っていたな。新幹線に向けての話の中でフランスでの300km/h超の走行試験の事が出てこないのはなぜなんだろう。知らない筈はないし、直流電化の限界や軌道破壊の様子とか参考になるのに。口に出来ない理由があったのかな?
ウルトラQで、「開けてくれ」に出てきた電車⁇
あれは後継車NSE3100です。
ワイの子供の頃の鉄道絵本はNSEがトップだったけど、もう一世代前はSEがその立場だと知って新たな感覚に見舞われたことがある。やっぱりNSEに比べたらダサい感じがしたのだ。すでにあしがらなどの運用だった。長じたらSEの方が床が低いなど際だった特徴が有るのに気付いた。関西なのでSEには乗れず、NSE乗車も一度だけで終わっている。いつまでもあると思うな鉄道車両である。
変な喋り方
この当時、電車による長距離高速走行を実現するため、小田急と国鉄技術陣の利害が一致したのが大きいですな
そういう意味で小田急SE車は新幹線の元祖であり、日本鉄道界の革新的存在でしたな
1980年、冷房化&固定窓化されたSSE車に乗る事が出来ました。コイルバネながらシュリーレン式台車は安定して、高速でも走りに問題なし。日本の電車は、戦前から、国鉄(省線)よりも私鉄がリードしていた事をが良く判りました。by近鉄沿線育ち。
まあ、というよりも、私鉄電車で技術的ノウハウを確立してから、国鉄に採用するというのが一連の流れですな
電車の場合はこのように私鉄を用いることができますが、気動車特急は私鉄での採用例がないため、試行錯誤の結果80系気動車が誕生しました
国が関わっていると保守的にならざる得ないところはあるとは思う。新幹線も十分に確立された技術を使っているわけだし。
イギリス海軍も、新機軸を盛り込んだ軍艦を日本をはじめとした外国に向けて建造して、その運用実績を元に自国の軍艦に取り入れてたりするし。
小田急が新幹線のスイッチを押した事になる
民間活力ていいね
この間まで放送していたアニメ終末トレイン最終回のラストシーン直前に、なんと小田急SEらしき得体の知れない謎の電車が西武新宿線を走っている姿があり驚きました。
今後の新作第二弾で小田急SEらしき得体の知れない謎の電車の正体を明かされることを祈りたいです。
あと2~3年前、SE保存先の小田急鉄道博物館で有名な海老名のロマンスカーミュージアムにも行き、歴代ロマンスカーをじっくり見物して来ました。今後、ロマンスカーミュージアムに小田急歴代通勤電車を保存することも祈りたいですね。
SEの皮を被ったサステナ8000?
SEロマンスカー、海老名のロマンスカーミュージアムにて保存されているのを見学しましたが他の電車に比べて随分小ぶりな印象を受けました。とにかく小型軽量で高速を狙った電車だというのがよく分かりますね。
ロマンスカー・新幹線の祖先とも言われる車両ですね。
当時はそれだけの速度を出せる車両がこれしかなかったのと
1両の車体が短いので、実際の速度以上に速く見えたでしょう。
素晴らしいCG 合成と詳しい解説お疲れ様でした。SE車の振動が少ないのは優秀なシュリーレン台車によるものでしたね。145キロに到達するまで約7~8分かかっているのでやはり線形のよい区間がないと試験できませんね。小田急線内ではたしか125キロが限度だったかと。東洋電機製造の社史にはこだま型が163キロマークした後SE車が再チャレンジし170キロマークしたと記載されています。😊😊
この車体デザイン大好きです。格好いいですね。ライトの配置も。
これと同じ型の電車がアメリカにあります(エレクトロライナー)。
@@ませあきたつさん、鋭いコメントで思い出しました。40年位前鉄道雑誌に、エレクトロライナーの記事が載っていて、まだまだ知らない事がいっぱい有る⤵と、非常に興味を持ちました。エレクトロライナーも、条件に制約が多い中で、素晴らしい車輌だったのですね、特に集電とか。
日本人の方が作成した素晴らしいUA-camの動画がありますよ。自分はそれで存在を知りました。
昔のTEEゴッタルド号のパクリかと思っていたけど、実は小田急SE車の方が古いのだから驚き!
小田急が新幹線の祖先を作ったというのはとても興味深いですね。日本は騒音振動が問題になりますから軽量化と軌道強化が重要ですね。
このテーマちょっと違いますが、当時の国鉄御殿場線直通列車の乗務経験のあるベテランOBの方の証言によると
「小田急線内であった小刻みな揺れが御殿場線に入ってからピタリと止んだ」そうです
当時の私鉄と国鉄の保線技術の差もありましょうがやはり元とはいえ流石東海道本線といったところでしょうか?
直線区間がそう長くない小田急より東海道線で試験を行った当時の状況を伺い知る事が出来るエピソードの一つだと思います
SEの高速試験がなければ、新幹線が誕生していなかった、あるいは誕生していてももっと先になっていたかも知れないんですよね。
しかしロングレールのメリットまでこの試験のときに確認されていたとは。。。😮
連接台車に「走る喫茶室」、そしてミュージックホーンと、「小田急ロマンスカー」の形を作った元祖でもある偉大なSE。
現役時代を知らない私は何年か前の小田急のイベントで初めて見たとき、その美しさに心を打たれ、感動のあまり暫くその場を動けずに魅入っていました。
車体の小ささと、重心の低さにはとにかく驚きましたし、それはロマンスカーミュージアムで隣に展示されているNSEと比較してもよく分かります。
結局、当の国鉄では591系やキハ391だけでなく後にLSEまで借りて連接台車を検討するも実用化されず、JRでもE331系で試作されたのみでしたね😅
VSEの引退で小田急からも連接台車が消滅しましたが、いつかまた連接台車のロマンスカーが復活してほしいものです!!
自動車のジャンルではレストモッドなる、以前のモデルを現代の技術で昇華させる流れが起こっています。鉄道の世界でレストモッドを実現させたいとなると多分このSE車が最適かと思いました
私が乗ったのは大井川鐵道の急行でした。
とても懐かしい。
但し、短命に終わりました。
ボロボロだったしね
そっちの方が貴重だよ😮
昔は小田の急新宿から国鉄の御殿場迄、急行あさぎり号として乗り入れてたのですよね。旧国73系全盛時代の御殿場線で見た3000系は超カッコ良かった!
小田急SEからVSEまで連接台車を採用し続けた小田急ロマンスカー…
JR後にSTAR21に新幹線として唯一連接台車を採用しましたが、やはり整備が難しいというのもあったのか連接台車を履いた高速車両は日本に普及しなかったですね…
連節台車は台車の数を少なくすることで走行抵抗を低下させるメリットがあるので、TGVなどの海外車両では積極的に高速鉄道に用いられている
しかし、それはあくまでも動力を持たない客車としてであった
電車の場合は搭載している電動機が制動時に発電ブレーキ(回生ブレーキ)となることで、高速走行時でも安全に減速(完全停止には至らない)ができる
連節台車で台車の数が減るということは、必然的に電動機の数も減るので、加減速性能に影響を及ぼしてしまう
また、日本の場合は軸重による制限が厳しいため、連節台車で車軸が減ると必然的に車体を小さくして帳尻を合わせる必要がある
苦労のワリに
効果がイマイチ
って評価だろうねぇ
ロマンスカー・SE(3000形)のTDK-806モータは軽量(720kg)高回転(ピーク4300rpm)に全振りした、いかにも東洋電機らしいモータで好きでした。151系のMT-46AもTDK-806ベースのモータでホント軽快な走りでしたね
平坦線用と割り切ればトルクの小さな高回転モータでも浅いギアリング(3.71)と組み合わせて、澄んだような軽い走りができるんだなって思いましたね
小田急ロマンスカーといえばSEと展望席を設けたNSE、そしてその伝統(連接台車、展望席など)を引き継いだVSEですね
VSEは数年前に廃車になったけど古さを感じさせないデザインなのが良いよなw
技術もさることながら、国鉄幹部に動力分散方式への理解を深めさせることも目的でしょうね。
小田急のイベントで最新のGSE車と並んでいたのを見た事がありますが、SE車の全高の低さに驚きましたね。
高速列車について
鉄腕アトム等の原作者 手塚治虫先生は作品にあった高速列車の描写について「高速列車や高速道路とか現実にありもしないものを描かないで」とのクレームを保護者から受けたとのことです。
しかしその後、これらが実現したことは言うまでもありません。
その高速列車の開発の裏には、このような地道な開発があったことは、今となってはなかなか知り得ない話と思います。
ご貴重な映像ありがとうございます。
手塚治虫といえば日本で焚書に遭った数少ない著作者。
人類史において焚書という蛮行を行うのは常に人々を苦しめる圧政者、抑圧者である事実を知らない当時の保護者達の無知蒙昧さは、日本の黒歴史の一つ。
最初に画像を見た時は、実写かと思いました😲
初期の愛称板がないタイプがカコイイですよね。高速鉄道の連接の祖は西鉄の500形ですかね?
SSE車になってから何度か乗る機会がありました。
飛行機のようなボディと扉、低い景色、少し高い連接部分の床などが印象的。
大胆な外装カラーはグラフィックデザイナー宮永岳彦氏によるものです。
小田急沿線に住んでいたのでSEはSSE化後ですがよく乗りました。
車体の低さは、ちょうど東海道線のグリーン車の一階席に乗っているような感じで、乗る時は階段を下に降りるように乗ります。
ドアは手動の内開きで、走る喫茶室のお姉さんが優しく迎えてくれます。
発車は音もなくスーッと走り出して一般車との違いを感じました。
走る喫茶室は日東紅茶と森永が列車別に担当していて、日東紅茶が担当する列車に乗るとクールケーキに紅茶を頼むのが楽しみでした。
ただ、出入口からデッキが無く、トイレが客室内にダイレクトにあってしかも汚物循環タンクも無く垂れ流しだったからトイレ近辺の座席に当たると臭かった記憶があります。
まぁ、昔の車両ですからねぇ。
それでもロマンスカーに乗るのは今より特別感がありましたね。
小田急も詰めが甘かったと感じるエピソードですね
徹底してトイレをデッキに追放した国鉄はそれだけノウハウを蓄積していたという事でしょうか。
この頃の勢いで技術が進歩していたら、鉄道をはじめとする世の中はどうなっていただろうか。実に興味深い。
昔はスピードに対する夢と希望で活々していた的なまとめ方ですが、現在も大して変わってませんよ?
リニアの600km/hを見据えた営業速度は新幹線開業時代から見てもファンタジーです。
しばらく開業しませんが技術的にはもう完成してしまった。日本人は昔も今も変わらずスピード狂です。
アイスラッガーを飛ばした時のウルトラセブンw
アイスラッガー付きのウルトラセブンは3100。
流電モハ52はどうなんだろう?あれはガワだけだったんだろうか?
戦後間もなく流電は速度試験してますよ。
@@にーに-v9f 豆知識増えました。サンクス。
東急5000と並んで、航空機の設計思想が反映された車両ですね。日本の鉄道車両有数のエポックメイキングな車両。デビュー当時のスタイルのほうが、なんとなく鉄道車両らしく無くて格好いい。
あけてくれ!ワイアール星人がいる!!
LSEで試験した時も連接車は性能はいいがコストに難ありと言っていたな。
新幹線に向けての話の中でフランスでの300km/h超の走行試験の事が出てこないのはなぜなんだろう。知らない筈はないし、直流電化の限界や軌道破壊の様子とか参考になるのに。口に出来ない理由があったのかな?
ウルトラQで、「開けてくれ」に出てきた電車⁇
あれは後継車NSE3100です。
ワイの子供の頃の鉄道絵本はNSEがトップだったけど、もう一世代前はSEがその立場だと知って新たな感覚に見舞われたことがある。やっぱりNSEに比べたらダサい感じがしたのだ。すでにあしがらなどの運用だった。
長じたらSEの方が床が低いなど際だった特徴が有るのに気付いた。関西なのでSEには乗れず、NSE乗車も一度だけで終わっている。いつまでもあると思うな鉄道車両である。
変な喋り方