【水素気球で北極点へ?】誇大妄想狂と言われた探検隊全員遭難のミステリー
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- Опубліковано 15 вер 2024
- 1897年スウェーデン人探検家アンドレ―ら3名は水素気球にのり、当時は人類未踏の地であった北極点を目指して飛び立ちます。
しかしアンドレ―たちは二度とスウェーデンに戻ることなく、気球と共に北極海に消えてしまうのす。
それから33年後の1930年、アンドレ―たちの遺体が日記とカメラと共に発見されます。
豊富な食料と十分な装備を持ちながら何故彼らは息絶えたることになってしまったのでしょうか?
それはアンドレ―北極探検隊全滅の謎という今なお解けぬ新たなミステリーの始まりでもあったのでした。
#北極
#アンドレ―
#気球
1:10 北極点到達計画
7:25 2年越しの南風
12:25 北極探検隊の終焉
15:50 今なお解けぬミステリー
ノーベルの弟が亡くなった時、「死の商人死す!」(ダイナマイトを作ったノーベル本人が亡くなったと勘違いされた)という見出しの新聞を見てショックを受け、死後の名声を恐れるあまりノーベル賞を作ったと聞いたことがあるのですが、「まあ失敗するよね?けど失敗は大事だよ!だから援助した!キリッ」って北極に送り出してたのをこの動画で知り、やっぱこの人普通にやべえんじゃ…って思ってしまいました
成功には失敗の犠牲者が不可欠と考えていたのでしょうか
この頃の探検は、本当の命を懸けた冒険だったんだろうね。無謀だったかもしれないけれど、その一歩を踏み出す勇気が素晴らしい
コメントありがとうございます。
本当によくチャレンジしたものだと思います。
今回も余り有名で無い探検家の解説ありがとうございます。
何時も楽しみにしています。
いつもご視聴ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
遺体と遺品があるだけ風船おじさんよりマシなんだな
まだ家族にしては良かったかもしれません。
記録も見つかりましたし。
辞退した隊員の指摘の的確さよ…
コメントありがとうございます。
彼は参加していたら北極で死んでいたでしょうね。
風船おじさんと共に、この3人はいつまでもいつまでも北極圏の空を彷徨っているんでしょうね
「夢想家」「夢追い人」という言葉しか浮かばない。「蛮勇」もあるかな。
とにかく感情ありきで動くから、気球だけでなく全てが穴だらけだったんだろうなぁ。
コメントありがとうございます。
北極の気象に関して全く調査しないまま出発したのは失敗でしたね。
「なんとかなる」、だけど今回は何とかならなかった、かな
タイタニック沈没船ツアーで圧壊した潜水艇のCEOもそうだった
知床遊覧船のKAZU1もそうだった
ノーベルの言葉は「失敗は成功のもと」の原点にもなりそうな言葉ですね。
コメントありがとうございます。
のちの成功に繋がる失敗であったと信じたいですね。
中途半端な準備のまま好機を迎えたとしても悲惨な結果になるっていう教訓やね…
現代から見れば準備不足ですが、この時代で出来る限界まで準備した気もします。
地図で見るとクヴィト島からスヴァールバル諸島の大きな島まで50kmちょいなのが切ないなー。まあそこから人のいる場所まではまだ相当あると思うけど... なんか氷上ではなく陸地だからこそ起こった何かで終わってしまった感がすごい。
これが氷上で起きていれば、ご遺体は北極海の底に沈んでいたでしょうね。
いつも入念な調査に基づいた動画ありがとうございます。当時の状況や当人の事情を理解しようとする解説に敬意が感じられて好きです。
現代の目からすると自殺行為ですが、結局確実な北極点到達は飛行船によるものだったので、陸がダメなら空からというのは当時としてはある程度妥当性のある発想だったのかもと思いました(少なくとも本人にとっては)。そういえばダウラギリ初登頂も途中まで軽飛行機を使いましたし。しかしスコットの動画でも思いましたが極地での遭難は山と違って絶望が長引くのが悲惨ですね。
リクエストですが、河口慧海はいかがでしょうか。探検家と言えるかどうか微妙ですが。ヒマラヤの5000m級の峠を越えて最初期に鎖国チベットに潜入した外国人として日本よりむしろ海外で知名度が高いです。あのハインリヒ・ハラーの"Seven Years in Tibet"も慧海の『西蔵旅行記』"Three Years in Tibet"へのオマージュだと思いますし。
コメントありがとうございます。
リクエストもありがとうございます。
第2次世界大戦まえですが、ナンガパルバットでも装備を飛行機から投下したりしていますね。
河口慧海はいつかやりたい探検家リストには入っています。
@@yukkuri_adventure 河口慧海、楽しみにしています! 本人の書いた物と研究書が沢山ありすぎて却って大変かもしれませんが、気長にお待ちしています。
18:40 白夜の冬?白夜って夏なのでは?
確かにご指摘の通りです。
申し訳ありません。
北極圏で冬至に訪れるのは極夜ですね。いま角幡唯介さんの『極夜行』を読んでますが、この辺りの緯度だと4か月も太陽が拝めず精神的にかなり苦しいようです。
本当になぜ行けると思った
北極の気象が未知だったため、逆に不安要素がなかったのかもしれません。
なんでしょう、あと思いつくのは壊血病かな..
あと缶詰に使われていた鉛中毒説などもあります
十分に煮詰めてから八甲田山をお願いします。
検討してみます
う~む、様々なことを考えさせ
られますね。このような歴史を
経て、人類は極地に進出したの
だなと。余韻の残る神動画です。
ありがとうございます♪
探検と冒険、それによる栄誉の反面、フランクリン隊やスコット隊、アムンセンの最期とあまりに悲惨な結果も待ち構えているのも事実。それでも今日まで、出資を募って困難に向う気持ちってノーベルの言うように否定はしたくはないが、夢だけでは手の届かないものも有るというのも考えなければならないな。
当時探検家って、危険だからとか不確定要素があるからといって、諦めるような人ではないんですよね。
荻田泰永さんが最も憧れる探検家だと聞いた。
萩田さんが憧れるだけの行動力のあった探検家だったのですね。
失敗はしたものの、なんか嫌いになれない人でした。そしてノーベルも協力していたとは。
勇気ある挑戦だったと思います。
凄く引き込まれました。全滅すると知っていて視聴するのは、少しつらかったですが…。
もう少し現地に近い環境で実験などが出来なかったのかとは思いますが、不時着に備えた準備は万端だったように感じます。野生動物に襲われた説が濃厚そうですが、一人は埋葬、一人は寝たまま、一人は座ってというのが時系列的に謎ですね。
コメントありがとうございます。
私も不時着に対する備えは十分だったように感じました。
実はアンドレ―自身も不時着する可能性が高いと感じていたのかもしれません。
でもこうして探検する人が居たから世界は解明されてきたんだよなぁ
失敗する人がいるから成功する人もいるのですね。
感動した
ありがとうございます。
現代からすると無謀で理解不能にも見えるんだけど、
冒険だけに限らず、何でもこういう命知らずな先駆者たちのおかげで発展してきてるんだよね…
コメントありがとうございます。
ノーリスクで探検なんて出来る時代ではないですからね。
最初の失敗は次の挑戦のための貴重な経験。でも彼らに2回目はなかったんだな。
コメントありがとうございます。
上手く生還出来ていればもう一度飛び立てたかもしれません
日本の気球おじさん思い出したw
風まかせの気球で極点目指すなんて邪論
あとガス漏れのまま出発、、、
仕方ない結末😢
コメントありがとうございます。
周囲からのプレッシャーもあったと思います。
熊に襲われたなら食害された筈で、例え白骨化していたとして何らかの痕跡は残るし、1人埋葬されてたのも矛盾すると思うのだが……
コメントありがとうございます。
ホッキョクグマに襲撃された後食害を受ける前に仲間が追い払ったが、その傷がもとで死亡し埋葬されたのかもしれません。
ノーベルの言葉が重いな・・・彼は何を考えていたのだろうか。無謀な挑戦と知りつつ、生存率をわずかでも上げるために準備資金を多く融通する気持ちだったのか。
それとも彼らの行為が次の人間の可能性を広げると、半ば捨て石になることを想定して背中を押したのか。
後者は一見非情、冷酷にも思えるが、ノーベル自身がダイナマイトの発明により、人類の発展と大量の犠牲の両方を生み出してしまった男。
良心の呵責に耐え兼ね、「人類の発展という大局的な視点」を持つことで、精神の均衡をぎりぎり保っていたかもと思うとな・・・
コメントありがとうございます。
私は、ノーベルは捨て石想定で援助した気がします。
失敗が発覚したのも北極探検が進んだ後、か
風船と言えば ベニハナ ロッキー青木って方
風船と関係あるのですか?
@@yukkuri_adventure 昭和50年代だったかな 週刊誌に青木氏 太平洋気球で横断の記事がありました
気球で太平洋横断しようとした人もいましたねえ
太平洋横断まだ偏西風がある分有利です。
世界一周した人もいますし。
なんか、同情するところが全く無い話だった。
なくなった3人も同情が欲しかった訳ではないと思います。
ノーベルおじさんかっこいい!
科学者としての言葉でしたね
北極点での狩猟ということは、ホッキョクグマを糧食とすることは当然に想定されていたはずで、当時から探検家や軍人たちに「ホッキョクグマの呪い」と恐れられていたビタミンA中毒の可能性は非常に高いのではと考えております。
コメントありがとうございます。
アンドレ―の日記から、ビタミンAを多量に含むホッキョクグマの肝臓は有毒であることを知っていたことが分かっています。ただし同じくビタミンAを含むアザラシはノーマークだったようです。
この探検から帰ったら結婚するんだ、なんてやるから・・・・
残念ながら死亡フラグでしたね、、
この事件、全く知りませんでした!とても楽しく且つ興味深く観させて頂きました!(^。^)ノ
他にも『松平定信が粛正!』など、知らなかった題材をとても丁寧に伝えてくれるゆっくりアドベンチャーさんの動画が大好きです!\(^。^)/ 欲を言えばもう少し更新頻度が上がれば…、でも毎回ドラマチックに感動を呼ぶ詳しい内容の動画、作るのに時間を要するんでしょうね!これからも楽しみに待っています!
コメントありがとうございます。
更新頻度が低くて申し訳ございません。
調査・台本作成・動画作成の時間がなかなか取れない状況です。
ちょいとネットで調べれば誰でもわかる必須装備と知識すら身につけずにルートが整備された山で遭難する現代の素人登山者の無謀と違って、未知・未踏の極地を目指した冒険家たちのチャレンジは単なる妄想や蛮勇で片付けるには失礼な、人類の可能性に命を賭けた野心的な壮挙だと思う。
コメントありがとうございます。
命を賭けて挑んだことは讃えられるべきでしょうね。
成功は無謀を超えた果てにあるのかもしれないですね。自分にはこの挑戦は無理です
当時でも専門家の間ではかなり疑問視されていたようですね、
風船おじさんの元祖ですね。
風船と気球の差はあれど、共通点ありますね。
元祖風船おじさんで草
記録できない人を自分はプロと呼びたくない。というミステリー全否定思想
ノーベルさんの将来のためというならね
そうですね、ちゃんと記録を残していればミステリーにならなかったはずです。
死因はホッキョクグマ襲撃説が有力だと思うな。しかしあの頃の気球で北極点は無理だよな😥
コメントありがとうございます。
現代でも気球で北極点は無理だと思います。
熊の襲撃の場合、遺体の損壊が著しく逆にそれ以外は考えられないと思うんだ、
それ以外の原因が考えられるという事は熊ではない可能性の方が高い。
Красная палатка これも( `・∀・´)ノヨロシク
わかりません、どなたでしょうか?
@@yukkuri_adventure 映画 『赤いテント』ソ連伊国合作
@@yukkuri_adventure 映画 『赤いテント』ソ連伊国合作
さすがに下調べが無さすぎた、というよりも想像力すらもなかった・・・動画で触れられているように、気球での正確な目的地への移動は現実的に厳しい。
彼は功名心と虚栄心に捉われてしまい、否定的な実験結果すらも素直に受け入れられず、たまたまうまくいった事例を中心に間違った希望を抱いたのではなかろうか。
そもそも北極点に不時着したとして、そんなに都合よくクマや食料になる生き物に遭遇する保証すらないのに。正気に返って袂を分かった仲間は本当に幸運だった。
しかし、その数十年後に登場した風船おじさんに神父・・・さらに科学や検証が進んでも馬鹿なことをする人間がいるのはどうしてだろうね。
コメントありがとうございます。
やはり未知の世界に挑戦して功名心を得たい人はいつの時代にもいるものだと思います。
んー熊に襲われたなら一目でそうとわかる程遺体が損壊していて、
逆に他の可能性など考える余地もないと思うんだけどね、
俺は旋毛虫症かなあ、これが原因でナチの観測所も閉鎖に追い込まれている。
コメントありがとうございます。
食害はあったようですが、死後のものかも、、、と言われています。
こういう他人に迷惑を掛けない冒険は是非やってほしいですね
19:26 最後のノーベルの言葉が刺さるなぁ!
流石は世界最高の賞に名を据えられるだけのことはある!
遺憾な結果には終わったが、新しい道は大抵「夢追い人」や「夢想家」が生むものだ。
多くの日本人のように、それを重箱の隅でも突つくかの如く批判ばかりしていては、いつまでも西欧の後追いしかできず、そのうちアジアにもアフリカにも抜かれてしまうだろう。
俺はリアルタイム(と言っても、ほぼ記憶にない頃のことだが)で《風船おじさん事件》を見ていた人間だから、こういう無謀な挑戦をやろうとする奴らを応援せずにはいられない。
例え無責任と言われても、前人未到のアドベンチャーに絶対的な責任を求めることなど、そもそも不可能なことなのだ。
コメントありがとうございます♪
後世の価値観では無謀と言われても、命懸けの挑戦をする人がいたから成功者も出てくるのだと思います。