【蘇我氏】実は滅びていなかった!?名を変え動乱の時代を生き抜いた古代豪族の実態

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  • Опубліковано 5 жов 2024
  • 豪族の繁栄と衰退の歴史の中で形作られた古代日本。
    いわゆる古墳時代から飛鳥時代にかけてのヤマト王権は、豪族の連合国家でした。
    そのため、経済力、武力を持った豪族に権力が集中するという事態がたびたび起こりました。
    今回ご紹介するのは、古代日本において圧倒的な権力を持った蘇我氏です。
    蘇我氏と言えば「乙巳の変で蘇我入鹿が暗殺された後に滅亡した」
    という印象を持つ方も多いのではないでしょうか。
    しかし実際は、乙巳の変の後もその権勢は衰えておらず、
    奈良時代の半ばまで大きな影響力を持っていました。
    また、蘇我氏の血筋は各地に分散し、中世以降も様々な形で日本史に登場します。
    今回は、古代の一時期に権力の絶頂を迎えた蘇我氏の実態や、
    その後の氏族の活躍をご紹介したいと思います。
    ・当チャンネルで調べた範囲のことをご紹介しています。
    学術的、専門的なものではありません。
    ・ご紹介する説はあくまで一説です。
    特定の説を真実であると主張する意図はありません。
    色々な考察をお楽しみいただければ幸いです。
    ・特定の国家、地域、団体、宗教、歴史について
    事実を歪曲したり、批判したりする意図はありません。
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    #ハテナ見聞録 #蘇我氏 #古代日本

КОМЕНТАРІ • 187

  • @hatena_discovery
    @hatena_discovery  3 роки тому +57

    ※お詫び※
    動画内の言葉の読みに誤りがございます。
    3:57 8:04 大臣(だいじん)ではなく、「おおおみ」です。訂正してお詫び申し上げます。

    • @niwaka8263
      @niwaka8263 3 роки тому +12

      お疲れ様です。
      役職のひとつで意味的には
      だいじん おおみや
      も同じですよね⁉

    • @福田英人-v2w
      @福田英人-v2w 3 роки тому +12

      丁寧な謝罪、痛み入ります。
      (;´・ω・`)

    • @fairymail3961
      @fairymail3961 3 роки тому +5

      古代官位は難しいですね
      7:46 朝臣 「あそみ」→「あそん」が正しいと思うのですが、必要があれば訂正よろしくおねがいします

    • @hatena_discovery
      @hatena_discovery  3 роки тому +9

      @@fairymail3961
      ご指摘ありがとうございます。
      朝臣はあそんとも、あそみとも言います。読みとしてはあそみの方が古い為、敢えてあそみと記載いたしました。

    • @cub125cd90
      @cub125cd90 Рік тому +1

      ​@@niwaka8263ウエアだああエアええああ

  • @yoneyone3000
    @yoneyone3000 3 роки тому +122

    奈良育ちですが、小学校のときに曽我さんっていうすごく綺麗な同級生の女の子がいました。蘇我は奈良では今でもある種、源流の一つとして敬意を持たれています。物部さんも。

    • @安藤輝三
      @安藤輝三 3 роки тому +12

      そうなんですか!

    • @myuichirou
      @myuichirou 3 роки тому +17

      奈良でも、葛城の辺りなのでしょうか? 蘇我氏は葛城氏の政治手法を参考にしたという話を聞いたことがあります。

    • @水野誠一-b9l
      @水野誠一-b9l Рік тому +12

      曽我兄弟の仇討の曾我氏(桓武平家流)のような気もしますが。

    • @マンジュシュリー
      @マンジュシュリー Рік тому +4

      曽我という地名が地元にありましたねえ、

    • @んーなんだろう
      @んーなんだろう Рік тому +1

      曽我さんとか大友さんとか立花さんとか菅原さんとかは居るけど
      物部さんて会ったことないな

  • @PetitePrinceNoby
    @PetitePrinceNoby 3 роки тому +48

    蘇我氏は男系で言うと、武内宿禰の子孫です。蘇我馬子や蘇我蝦夷も武内宿禰の名を受け継いだそうです。つまり大きく竹内一族の一つですね。この時代は女系も重要です。蘇我氏の女系にどんな一族がいるのか、配下にどんな一族がいるのかで、蘇我氏全体の構成になるかと思います。

    • @yo2trader539
      @yo2trader539 2 роки тому +5

      藤原不比等の奥さんが蘇我氏。藤原北家の末裔は母系が蘇我氏と言う事になるね。

  • @御神誉黎
    @御神誉黎 3 роки тому +22

    蘇我氏の祖は竹内宿祢と言われている。紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏も同じだ。
    おそらく蘇我氏をはじめとするこれらの氏族は実際に血縁関係があったというより
    古代において独立した連合を作っていたのではないかと思うがな
    系譜的に天皇家の分家という立場である事を考えても、古くから大王の一族に帰順していた畿内豪族ではないかと思う

    • @森岩光
      @森岩光 Рік тому

      武内(平群)臣氏が打ち立てた
      王朝(仁徳~)に
      元出雲王家の次男が出身の
      オホド大王(継体天皇)が婿養子に入って
      実質的な王朝交代(第二次出雲王国)が興り
      今の皇室がスタートした。
      そのオホド大王(継体天皇)が
      平群大王家に入る前に
      北陸の蘇我本家の婿養子で当主だった時に
      二人の御子を残していた。
      彼らが継体天皇が崩御してすぐに
      大和に現れて
      大王相続権を声高に唱えた事で
      一時的にせよ
      二朝並立の様相となったと言う。
      継体天皇と欽明天皇の間に二方を挟みますが、
      この方々が蘇我本家の遺児だとか。
      そのお一人の子孫が蘇我某だとも?

  • @imashoji
    @imashoji 3 роки тому +19

    あまり知られてない蘇我氏を知られて良かったです

  • @山野ももりんご
    @山野ももりんご 3 роки тому +56

    石川の川上の地域に住んでいます。
    曽和という苗字の元は蘇我だったと本家に代々伝わっていると友人から聞きました。

    • @masayasuyamamoto571
      @masayasuyamamoto571 Рік тому +1

      結構近いな。奥河内に友人を訪ねて行ったら前の川が石川だと聞いてびっくりした。私が通った小学校は石川小学校といいました。もう吸収合併されたけどね。

  • @murahatena
    @murahatena 3 роки тому +18

    そう言われると、確かに「蘇我」と縁のありそうな地域って多いですよね、興味深いですね!

  • @f2l159
    @f2l159 3 роки тому +12

    大人になった今では、親戚もいるから、完全に絶滅してるとは思えないですよね…。
    小中学生の時はこの人の親戚の子孫もいないと完全に思っていましたが、調べるほど、親戚の子孫は普通にいて、ひっそりと過ごしている一族も活躍する一族もいると分かります。
    豊臣秀吉の親戚の子孫も、京都(朝廷)の下級官人として働いてたみたいですね。

  • @pirukuru_cRinn.D6KE
    @pirukuru_cRinn.D6KE 3 роки тому +14

    「部民」読みは「ぶみん」かと思ってたら、「べみん」だったのですね。

  • @jrise1437
    @jrise1437 3 роки тому +28

    解説の速度がいつも落ち着きます。これからも楽しみにしています🙋

    • @hatena_discovery
      @hatena_discovery  3 роки тому +7

      いつもご視聴いただきありがとうございます。
      ナレーションの速度については、このままで良いのか、もう少し早くするべきか、
      検討していたところだったので、感想をいただけて嬉しいです!参考にさせていただきます^^

    • @あんあん-v7r
      @あんあん-v7r 3 роки тому +4

      この速度が、聞きやすいですね

    • @naga7193
      @naga7193 3 роки тому +3

      私もこの速度が心地良いです。

  • @vacuumcarexpo
    @vacuumcarexpo 3 роки тому +14

    「蘇我氏滅亡」って言ってる割りに、蘇我石川麻呂が中大兄皇子側にいたりするもんだから、昔から「アレッ?」って思ってました。

  • @masayasuyamamoto571
    @masayasuyamamoto571 Рік тому +3

    私の実家は、旧称 石川村です。周りには山田村があります。竹の内(武内)街道などその頃に関係する名前が存在します。近つ飛鳥と呼ばれる地域で、奈良明日香村(遠つ飛鳥)以前に栄えた地域らしいです。
    明治初頭に、由緒ある大きな神社が取り壊されたりしています。

  • @桔梗屋幸伯
    @桔梗屋幸伯 3 роки тому +22

    無粋ですが、天智・天武天皇でさえ蘇我稲目の来孫(稲目―堅塩媛―桜井皇子―吉備姫王―皇極天皇―天智・天武)です。
    余裕で現在の皇室の祖ですよ。

  • @ウマダイスキ
    @ウマダイスキ 3 роки тому +36

    古代から延々と続く蘇我氏の血筋は現代にも繋がっているんですね。これだけ長いルーツが続くのも珍しいですね。

  • @keiichiando9864
    @keiichiando9864 3 роки тому +20

    継体天皇と蘇我氏の本当の関係が解明できれば、日本古代史は違ったものに見えてくる。つまり、継体帝は蘇我氏自身であったのでは?という説も
    信憑性があるな。

  • @黒田くろお-x6h
    @黒田くろお-x6h 3 роки тому +11

    蘇我倉山田石川麻呂ていたよね

  • @痛風ぷりん
    @痛風ぷりん 3 роки тому +36

    いつも勉強になってます。蘇我倉山田石川麻呂の墓とされている古墳が岐阜県”蘇原”地区にあると聞いたことがあります。地名からしても蘇我氏に関係あるのかもしれませんね。

    • @hatena_discovery
      @hatena_discovery  3 роки тому +11

      いつもご視聴ありがとうございます。
      地名は古代から連綿と続いているものだと思うので、とても興味深いですね!

    • @ミトモリタカヒロ
      @ミトモリタカヒロ Рік тому

      ⁠@@hatena_discoveryこ

  • @ats4wd
    @ats4wd 3 роки тому +32

    出雲大社の摂社に素鵞社(そがしゃ、そがのやしろ)がございます。
    ご祭神は素戔嗚尊(須佐之男命、スサノオノミコト)です。
    拙者の中でも上位の社(やしろ)とされております。
    又、出雲大社の境内の東側に吉野川、西側に素鵞川が流れております。
    スサノオノミコトと蘇我氏は、何か関係性があるのでしょうか?

    • @リリアン天運
      @リリアン天運 3 роки тому +9

      そこにも吉野川があるんだね。 徳島にも吉野川あるよ。天叢雲神社の近くに流れてますよ ちなみに天叢雲神社は日本に2社徳島だけだよ

    • @yame8134
      @yame8134 3 роки тому +2

      出雲は物部派の印象だなー

  • @常明呉
    @常明呉 Рік тому +2

    ウチの小学校のクラスには『曽我部』さんが居てました❗️😊

  • @ooamisannmu7690
    @ooamisannmu7690 3 роки тому +15

    千葉県は平家ですが、石川県は蘇我家かも
    源平合戦も頼朝と清盛の争いに過ぎなかった

  • @LandMark291
    @LandMark291 3 роки тому +16

    京都の隣県ですが蘇我くんって同じクラスにいましたねえ。
    遠い子孫なのかな?と、思ってました(^◇^)

    • @hatena_discovery
      @hatena_discovery  3 роки тому +5

      コメントありがとうございます。
      地域的にも、何か関係があったのかもしれませんね^^

  • @niwaka8263
    @niwaka8263 3 роки тому +10

    お疲れ様です。
    学び ありがとうございます💓

    • @hatena_discovery
      @hatena_discovery  3 роки тому +6

      こちらこそいつもご視聴ありがとうございます^^

  • @のぼちゃん-b1z
    @のぼちゃん-b1z 3 роки тому +9

    ああ、長宗我部は蘇我の部民(べのたみ)の出か。

  • @Hayato_Takezawa
    @Hayato_Takezawa 3 роки тому +22

    蘇我・出雲・新羅は
    何らかの繋がりがあるイメージ

  • @kiriko_jasmin
    @kiriko_jasmin 3 роки тому +7

    蘇我→田口 桜井 川辺 境部 など
    物部→穂積 巨勢 など

  • @アメノウズメ猿田彦
    @アメノウズメ猿田彦 3 роки тому +12

    平家(清盛の血筋)は滅んでも
    平氏は滅びず続いた
    ようなものですね。

  • @mipona-q9y
    @mipona-q9y 3 роки тому +28

    学生時代、同級生に曽我さんがいました。子孫なの?て聞いたら、首をたてに振ってました。
    そ の字は違いますが、、、?

  • @ダックスマム
    @ダックスマム 2 роки тому +4

    詳しい事は分かりませんが、
    私の家の先祖は蘇我田口川堀と聞いております。お墓は岡山にあります。
    田口薩摩守も先祖と聞いておりましたが、知っている者が皆他界しておりますため、いつか自分でも勉強したいと思います。

  • @fairymail3961
    @fairymail3961 3 роки тому +7

    歴史は時間が経つと生臭い話もロマンになりますね

  • @権右衛門
    @権右衛門 3 роки тому +7

    7:38 「丸に笹竜胆」が出てきますが、この紋は、同じく河内国石川出自の清和源氏源義時流(諸説ありますが)「石川氏」の紋ではありませんか?

  • @minakatamanabu7413
    @minakatamanabu7413 3 роки тому +10

    へドリアン女王や初代オバQでおなじみの女優の曽我町子さん、長曾我部氏を介在しているが声優の曽我部和恭氏も蘇我氏なんですね???

    • @スコブル-u9n
      @スコブル-u9n 3 роки тому +3

      それなら北朝鮮から帰って来た曽我さんも

  • @nakayossi01
    @nakayossi01 3 роки тому +14

    今は、大化の改新て言わないのか😭

    • @daimyoukai
      @daimyoukai Рік тому +5

      大化の改新は、乙巳の変後の改革のことを指すみたいです!

  • @森岩光
    @森岩光 3 роки тому +18

    そもそも蘇我臣家では無く
    武内臣家の分流、石川臣家。
    ***臣(オミ)の姓は、出雲王家の親戚が名乗れた。
    ***宿禰(スクネ)は物部王家の重臣の称号。)
    馬子、蝦夷、入鹿
    は古事記が卑下した名前で、実際は別名
    麻古。 →馬子。
    雄正。 →蝦夷
    林太郎。→入鹿。

    • @Neo-Neko
      @Neo-Neko 3 роки тому +10

      >卑下した名
       
      やっぱりそうですよね。代々、おかしな名前つけてるなと思って。
      「えみし」なんて、その最たるものであるし。
       
      その先代の高麗も韓子も
      「人ではない・この地の者ではない(ここに存在していいモノではない)」
      的なニュアンスを含んでいるような感じがする。

    • @tamaycoo
      @tamaycoo 3 роки тому

      [古事記が卑下した名前で、実際は別名]は根拠のないお話。

    • @森岩光
      @森岩光 3 роки тому +9

      フヒト。元々の漢字は、「史」(フヒト)

  • @辻野英伸-o8q
    @辻野英伸-o8q 3 роки тому +13

    蘇我天皇家の存在すら思わせられる、興味深い話ですねぇ😃😃😃
    まぁ、国津神系豪族として皇室寄りも古い我が家系は日本史から弾かれながらも現代迄脈々と続いて折りまして、私は琵琶湖周辺を本拠地とする総本家の分家として現代の宮崎に流れ、九州藤原氏の末裔と交わって産まれておりますが、歴史の流れの中で資料や遺物は損失しており、唯一家紋のみが父方、母方から伝えられているだけですわ🤣🤣🤣🤣🤣

    • @yskztkhs7986
      @yskztkhs7986 Рік тому

      皇室より古い家系なんかあるわけないだろ。あるなら書けよ。

  • @ノノ-q5y
    @ノノ-q5y Рік тому +5

    10年前にタダノクレーンの工場で出会ったソガさんは奥さんが夜逃げするぐらい競輪のギャンブルに詳しい人で、神主さんの家系だと聞いたことがありました。

  • @sqd-ldssgt3787
    @sqd-ldssgt3787 3 роки тому +13

    ルーツで言えば家紋に関するお話も聞きたいですね。よろです❣️

    • @hatena_discovery
      @hatena_discovery  3 роки тому +8

      コメントありがとうございます。
      実は、家紋についても投稿予定でした!
      投稿日は未定ですが、楽しみにお待ちください^^

    • @sqd-ldssgt3787
      @sqd-ldssgt3787 3 роки тому +5

      @@hatena_discovery さん
      さっそくのお返事ありがとうございます😊
      公家編、武家編、神社仏閣、明治から名字を持つようになった一般庶民の家紋、そして現代における企業のロゴと言うかマークについても、それぞれシリーズ化であれば一層嬉しいです。
      最近では、お墓も無くなりつつあり、家紋が廃れていくようで寂しいです。
      名字の歴史と起源の回も見ましたよ❤️

  • @taka3685
    @taka3685 Рік тому +3

    南河内の 石川周辺は 河内源氏の 発祥地でも 有りますね!

  • @moge-moge3318
    @moge-moge3318 3 роки тому +15

    蘇我氏は入鹿、馬子、蝦夷と名前から縄文系かなと思われ、最近になってニギハヤヒに従った長髄彦と同じような匂いがしてきた、後に両方とも悪者扱いにされているから。

  • @宗岡亮博-u5s
    @宗岡亮博-u5s 3 роки тому +7

    明治新姓で琉球士族系の家系ですが蘇我氏の
    末裔らしき某製鉄会社の元会長と同じ名字で
    ネットで調べたら
    地区別の人口では全国一だった。
    多分?蘇我氏とは無関係。

  • @ぼーちゃん-y6i
    @ぼーちゃん-y6i 3 роки тому +5

    高校の頃、
    蘇我って名字のやついたよ

  • @malkotoisu9730
    @malkotoisu9730 3 роки тому +6

    伊勢はヤマトヒメが巡行してきたときにここは何という国かと聞かれて百張蘇我国五百枝竹田国と答えた。武内宿禰よりさらに前になる。蘇我氏の出どころか?

  • @咲子植野
    @咲子植野 Рік тому +2

    千葉県に蘇我市があるよね。

  • @saifunuull
    @saifunuull 3 роки тому +5

    最終的には曽我町子さんが…

  • @米川清浩
    @米川清浩 Рік тому +1

    私は百済から渡来し宗我都比古神社辺りで馬の牧に関わり馬と一緒に葛城に入って行くのではないか?と考えています。

  • @yoshiyukihonda8440
    @yoshiyukihonda8440 Рік тому +3

    長宗我部は秦氏じゃなかった?

  • @ひでまろ-h8h
    @ひでまろ-h8h 3 роки тому +15

    大阪の南部に石川という河川があるのですが、大泥棒で有名な石川五右衛門の出生地という伝説があります。
    だとしたら、石川五右衛門は蘇我氏の子孫かもしれません。

    • @gorzafarm-wx3ji
      @gorzafarm-wx3ji 3 роки тому +10

      石川と大和川の合流地である柏原市出身です。
      高校生の頃に原付バイクで石川の土手を走って千早赤阪村まで遊びによく行ったものです。
      石川は穏やかな流れの綺麗な川です。

  • @奥村隆昭
    @奥村隆昭 3 роки тому +5

    曽我さんと言えば
    美魔女、曽我町子さんですね

  • @國體ワンワールド史観
    @國體ワンワールド史観 3 роки тому +13

    蘇我氏は没落していないです。
    ある有力氏族が蘇我氏です。
    それが歴史秘事というやつで。
    乙巳の変で、そもそも入鹿は死んだのか?
    蘇我宗家が乙巳の変で滅んだという歴史伝承自体が誤りだとしたら?

    • @hatena_discovery
      @hatena_discovery  3 роки тому +4

      コメントありがとうございます。
      今回は一般的に伝えられている蘇我氏の系図を元にお話しいたしましたが、色々な可能性がありますよね。

    • @ひげおやじ-y7k
      @ひげおやじ-y7k 3 роки тому +1

      藤原氏のことですか?

    • @安居まこちゃん
      @安居まこちゃん 6 місяців тому

      乙巳の変は そもそもない!
      天皇の御前で殺人事件 被害者 加害者共に死罪のはず
       天武天皇65才説なら イルカと天武天皇は共に622年生まれ
       私は天武天皇は蘇我イルカだと、思います!

  • @gorzafarm-wx3ji
    @gorzafarm-wx3ji 3 роки тому +4

    うちの会社の経理担当の人は曽我さんと言います

  • @香深理振
    @香深理振 Рік тому +1

    一族郎党37564とかでもない限り,子孫が残らないことはない訳で,過去の日本では没落していても尊ぶ傾向がありますね.
    江戸時代でも,足利家の末裔である喜連川氏は特殊な待遇を受けましたし.(その特殊待遇のせいで,家格のわりに貧乏だったとされるけど... )

  • @segawatakayoshi9074
    @segawatakayoshi9074 2 роки тому +5

    日本の歴史家なんて大して調べもしないで適当なこと言ってる人もいるからいかなる説もあたまから排除するのは間違い。素人研究家の中に意外と真実があったりする

  • @kaisermuto
    @kaisermuto 3 роки тому +5

    蘇我氏はソグド人と云う説もある。

  • @田﨑榛名
    @田﨑榛名 3 роки тому +19

    自分の家系も、どうやら『名前を変えまくった氏族』【土師氏】の末裔のようです。
    聞いたところの戸籍情報では「入り子入り嫁で、何処の馬の骨か分からん」と言われたり「【宗】って家から養子を入れてるから朝鮮人が入ってる(北部九州では漢字一文字は、渡来系というウワサがある)」なんて言われてましたが【土師氏】の祖である【野見宿禰】の末裔には、どちらもある名字なので、家が途絶えそうになるたびに『同じ始祖を持つ家』同士で繋いで来たのかと思うと、感慨深いです。
    …なんてコトを気にする親戚は、一人もいないんですけどね(笑)

    • @森岩光
      @森岩光 Рік тому +5

      野見の宿禰。
      実は皇室の祖先の一人。
      出雲王国滅亡時の
      東出雲王家(松江)の
      ご当主。
      本来のお名前は
      富(トビ)の大田彦。さま。

    • @田﨑榛名
      @田﨑榛名 Рік тому

      @@森岩光 様
      そこまで調べ上げられませんでした😲ありがとうございます😄
      【神分氏族】なのに、不遇をかこったっていうのは知っていましたが、皮革業者が多く居る地域や、ハニワを作っていた遺跡が出土した土地に【野見宿禰】の神社(墓)があったり【菅原氏】と【大江氏】に分かれながらも【菅原道真】を祀る『天満宮』の側に『大江』と付く地名や橋があったり『初瀬』や『出雲』など縁のある地名も、後の末裔達が移り住んだ土地に共通して多いとは感じていました。
      『葬送の一族』ゆえに、殆どの者が『穢多』の身分として生きていかざるをえなかった一族ですが、21世紀の現代までその『呪縛』に縛られ続けている人達や、地名など残り続けている事には感慨深いです。
      でも、子孫だという事を自覚してない人が多いのが勿体無いなぁと思っています。

    • @森岩光
      @森岩光 Рік тому +1

      @gorilla_in_IQexperiment
      系図は更に菅原道真公、
      天満自在天神さまに繋がります。
      また、今の皇室の直系のご先祖さまにあらしゃいます。
      野見宿禰。
      ご本名は、出雲王国が滅亡した際の
      東出雲の王家、富(トビ)家当主で在られた
      太田彦さま。
      出雲王国を滅ぼした物部王家軍や豊国宇佐王家軍、
      但馬の田島守軍らは
      大和入りすると
      仲間割れを起した。
      特に田島守は大和にいち早く入り一定地域を占領するとあたかも新たな大和の大王の様に振る舞い
      傍若無人を極めていた。
      東征軍総帥の
      物部イクメ(イサチ)王(垂仁天皇、神武、ウガヤフキアエズ、スサノオ、イザナギほか)
      はそれを制御出来ずにアタマを抱えてしまった。
      田島守を成敗する事にして
      出雲王国を下して進駐軍総司令として
      東出雲王宮(現、神魂神社)に入り
      出雲の戦後処理と統治に当たっていた
      物部十千根将軍に救援を要請した。
      しかし、
      戦後処理と統治、治安維持に手一杯で全く余力がない事から
      少しの紆余曲折の末に
      まさかの
      自分たちがフルボッコにして滅亡させた
      出雲王国の東出雲の王家、
      富家に話を降った。
      亡国の当主、富の太田彦さまは
      今さら何をと、忸怩たる思いを持ちましたが
      出雲を必要以上に病的かつ執拗に蹂躙した
      (田和山神殿を跡形もなく破壊。
      守備に当たっていた
      大量の出雲兵の死体の山を築いて血の川を作った)
      田島守に意趣返し(リベンジ)する好機と
      前向きに考え直した彼は
      そもそも、出雲王家が仇敵の物部に与するなど
      まだ先の出雲戦争の傷痕冷めやらぬ出雲人らには
      青天の霹靂、絶対あり得ない話なため、
      富(トビ(トミ))を
      野見(ノミ)と変えて
      野見太田彦を号して
      田島守ら但馬軍に意趣返しする好機だ!と義勇軍を募集すると
      リベンジに燃える出雲人らは応募して
      たちまち大軍となり
      富太田彦、改め、野見太田彦さまは
      出雲義勇軍を率いて大和に進軍、急行。
      大和入りすると
      やおら但馬軍を襲撃して
      程なくして
      但馬軍と田島守らを大和(奈良盆地)から排除した
      河内に退去していた但馬軍に更に執拗な追撃を加えたところ、但馬軍は
      千怒の海(大阪湾)岸に追い詰められ、
      猛攻に堪らずに
      人跡疎らだった淡路島に逃避。
      ↑により一応の戦役を果たした
      野見太田彦さまが
      物部イクメ(イサチ)王から
      嘉称されて
      物部王家の重鎮の称号である
      宿禰号を賜り、
      野見宿禰太田彦を号した。
      役目を終えた野見宿禰太田彦さまは出雲に帰国する事にしましたが、
      その御子や義勇軍の多くが居残って物部軍に組み込まれる事を選択。
      ↑が仲間割れした
      豊国宇佐王家軍に不意打ちを食らわせ、更に何処までも執拗に追撃を加え続け、最後(物部王朝が瓦解滅亡)には関東の武蔵野にまで至り、
      役務を解かれた彼らは遥かな故郷、出雲に帰郷を果たしたものの、
      やんぬるかな、悲しいかな、
      余りにも長年(都合2~三世代)にわたり出雲を離れている間に
      帰るべき場所(土地や家屋諸々)は既に他人のモノとなっていて茫然自失。
      やむを得ず、
      再び全国各地に散り出雲を後にした。
      この際、王国時代の諜報組織が再編成されて
      再び全国各地に拡散さした彼らは
      その構成員となり
      全国各地のあらゆる場所や階層に潜み逐一総元締めの元王家の富家に報告する組織機構が整備されて
      ↑は明治時代迄実際に機能していた。
      例えば、今、人気の忍者集団はそのほとんどが
      件の傘下。
      忍者集団は雇用主の要望を受け諜報活動を行うと同時に
      重要な情報は総元締めに送致したし、
      雇用主の建前、忍者集団同士が敵対している様に見せかけ、
      その裏では仲良し小吉。
      情報交換や共有していた。
      ↑を、出雲散家(サンカ)
      また、散自出雲。
      等と呼んだ

    • @森岩光
      @森岩光 Рік тому

      お宅さまの田舎?の墓制が
      もし二墓制(埋葬墓と祭祀墓の2ヶ所)なら間違いなく出雲族の末です。
      近年、火葬が法制化されて我が国四千年の出雲族の習いは風前の灯?形骸化

  • @guidepostchecker
    @guidepostchecker 3 роки тому +2

    nice explanation!👍🐦🌸🍶

  • @KG-lp9lu
    @KG-lp9lu 3 роки тому +4

    曽我も蘇我なのか?

  • @nn9563
    @nn9563 Рік тому +1

    蘇我氏の先祖で一番有名なのは、武内宿禰です。
    ものすごいシャーマン、霊能者と言われていて、その子孫ですから
    そりゃ古代では貴種とされた血筋とされたでしょう。
     武内宿禰に触れていないのは、残念です

  • @MrYoshichan
    @MrYoshichan 3 роки тому +10

    大臣、おおおみです。

    • @hatena_discovery
      @hatena_discovery  3 роки тому +4

      大臣(おおおみ)ですね。大変失礼いたしました。
      ご指摘ありがとうございます。

  • @千葉木場
    @千葉木場 Рік тому +1

    オレの家の近くに内房線、外房線の「蘇我駅」がある。関係ないか。

  • @morikumiR
    @morikumiR Рік тому

    そういえば千葉にも蘇我ってあったな、何だろうって思ってた

  • @かずこ丸
    @かずこ丸 3 роки тому +3

    馬子、蝦夷、入鹿。
    蘇我氏を貶めたい為につけられた名前で本当は違う名前だったとか。
    菅総理は蘇我氏と関係あると面白いな。

  • @志織-y2i
    @志織-y2i Рік тому +3

    江戸時代までは、命を守るため身分を隠して名前を変える事は普通だったと思います。

  • @KARAOKE_BAKA
    @KARAOKE_BAKA 3 роки тому +9

    千葉市の蘇我から解説してほしかった。

    • @あん-o1n
      @あん-o1n 3 роки тому +1

      千葉の蘇我という地名も何か関係あるのですかね。

    • @PonPon501
      @PonPon501 2 роки тому

      @@あん-o1n
      蘇我町に古い稲荷神社がありますよ。

  • @alwaysoutofbase5255
    @alwaysoutofbase5255 Рік тому +1

    ソガ氏からンガ氏

  • @つくものがたり
    @つくものがたり 3 роки тому +10

    菅さん蘇我氏だったのか。

    • @sanaesato-b3x
      @sanaesato-b3x 3 роки тому +7

      権力を握り過ぎるとロクなことにならないことを歴史は教えてくれますね。菅さん、権力を握りすぎず、グローバルに囚われすぎず、愛を持って国内外の安寧に尽力してほしいです。

  • @lebaronde3204
    @lebaronde3204 3 роки тому +7

    日本の史書の記述は、イエスの逸話を知っていたと思えるところがある。
    ―蘇我(我蘇えり=復活)+馬子(馬小屋で生まれた子)
    ―聖徳太子(馬小屋で生まれた+七人を聞き分ける)
    どちらもイエスを連想させる。
    聖徳太子、蘇我馬子は実際は単一の人格であるイエスを2人格に分け、聖徳太子一族を殺害した蘇我一族と、その蘇我一族を殺害した天智天皇と描いたと考えれば、西洋の精神的支配者であるイエス殺しがバレることは避ける必要があり、天皇家の行いを正当化するための口実が欲しかったのか。
    聖徳太子やイエスはヒューメイリアンであったという噂があり、天皇家も同様に日本のヒューメイリアンであったという。イエスから支配権を強奪した天皇家が、聖徳太子(実際はイエス)殺害の罪を、同一人格である蘇我氏に押し付けることで、情報の撹乱と、自己の正当化をしたと考えるべきでしょうか。

    • @Pmjadtqjm
      @Pmjadtqjm 3 роки тому +4

      ナムアミダブツはブッダ アム ミナかもしれないしね。

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke 3 роки тому +2

    高校に巨勢さんっていたな・・

  • @Seoritsu_Megumi
    @Seoritsu_Megumi 3 роки тому +2

    💘+Justice↑☮️

  • @今夜が山田-z1q
    @今夜が山田-z1q 7 місяців тому

    こっちの蘇我さんは聞いた事もあったこともないんだよな
    こっちの曽我さんは知り合いはいるけど

  • @user-ub8jh8bp3s
    @user-ub8jh8bp3s Рік тому

    石川氏は、源義時(義家の5男)を祖とする、河内源氏の石川氏と混同するからややこしい! どちらも、河内国は石川郡を拠点にしていたから。

  • @イカタコ-k8h
    @イカタコ-k8h Рік тому +1

    天皇の義父になって血筋は続いてるわけだから女王様のプティングじゃないけど現代にも生きているということでいいんじゃないかなぁ🤔

  • @んーなんだろう
    @んーなんだろう Рік тому

    曽我兄弟の敵討ちですね(梅干しスッパー

  • @右投左打-s2v
    @右投左打-s2v Рік тому

    大化の改新のこと?

  • @大谷主水-l6t
    @大谷主水-l6t Рік тому +1

    「蘇我」は菅から出ていると言うことかも知れませんが、すなおに蘇我をみれば「蘇リシ我」「我蘇リ」ということになるといいます。蘇我氏の有力な皇子に「厩皇子」(聖徳太子)がいて、その母には救世観音菩薩が「受胎告知」をしたと書かれているのだから、明らかにネストリウス派キリスト教の影響でしょう。
    蘇我氏は渡来人の有力一派と考えるのが穏当ではないでしょうか。専門家は素人に蹂躙されているぞ。

  • @天草屋
    @天草屋 Рік тому

    ソガガガ…

  • @虹色マストドン
    @虹色マストドン 7 місяців тому

    天皇に逆らった罪で蘇我という「氏」を取り上げられたんだろ、物部みたいに
    今の時代、物部さんは見かけないけど、物部の血筋を称する人は居るんだし。
    だから拝領した土地の名、例えば「石川」を「姓」にしたとかな。

  • @福田英人-v2w
    @福田英人-v2w 3 роки тому +2

    再生速度を1.25倍で見てる。(´・ω・`) ←おまww 😅

    • @tamaycoo
      @tamaycoo 3 роки тому +1

      私は1.5です。

  • @Pmjadtqjm
    @Pmjadtqjm 3 роки тому +3

    なぜヤマト王権はカタカナ表記なの?

    • @nmspecific
      @nmspecific 2 роки тому +2

      Up主から説明が無いようなので、推測して…
      漢字で書く「大和」(ダイワ)は、歴代中華王朝が列島に住んでいた人達の国を「倭國」と呼んでいたのを当人達は「矮」を連想して嫌っており、どうせ呼ぶなら同じ音を持つ「和」(争いが無く なごやか)を用い、しかも中華王朝の属国ではなく対等な大国である事を示す「大」を冠して中華王朝向けのアピールとして使われた漢語に過ぎません。自らは「やまと」と呼んでいますが、本来「大和」と言う漢語はどう読んでも「やまと」という音では読めません。中華王朝を意識しないで自国を確実に表現するにはカタカナで「ヤマト」と表現した方がしっくり来たからでは。

    • @yskztkhs7986
      @yskztkhs7986 Рік тому

      安部元首相をアベと呼ぶのと同じでは

  • @tekkkit
    @tekkkit 3 роки тому +7

    漢字で名前書いたら「蘇る我」ってなってゾンビだのキョンシーだのと縁起が悪いから
    曽我に変更されました。

    • @sanaesato-b3x
      @sanaesato-b3x 2 роки тому +4

      我、蘇る。キリストとの関係をかんじます。厩戸王子も。

  • @一蓮-s5j
    @一蓮-s5j Рік тому

    藤原不比等の歴史

  • @hitachinokunigenji
    @hitachinokunigenji 2 місяці тому

    武内宿禰。孝元天皇の子孫。73代目が渡来人じゃないって言ってたですよ。あと孝元天皇も実在してます。で孝元天皇の妹が卑弥呼だそうです。弟が桃太郎のモデルで吉備国を平定したそうですよ。

  • @bokichi62
    @bokichi62 7 місяців тому

    昆吾氏、、日本の朝廷のモデルは殷だよ。

  • @sachikosunakawa2430
    @sachikosunakawa2430 Рік тому

    蝦夷たちが自分の墓を「みささぎ」と呼んだというより、「みささぎ」として一般に知られたのではないでしょうか? その言い訳として、「自らみささぎと呼んだ」ということを歴史書に書かなければいけなかったのでしょうね。

  • @kappago-go-9857
    @kappago-go-9857 3 роки тому +6

    創価とか、草加あたりも蘇我氏(の名前)がルーツなんじゃないでしょかね?🤔

  • @belushi3152
    @belushi3152 Рік тому

    古代大和王権は連立王権で、大王が氏姓を持たないのは、大王が大統領や首相の様な職名であったとも考えられます。
    結局大化の改新(敢えてこう呼ぶ)以降大王を出す家は天智系と天武系に集約され、他の家は古代豪族とされた。
    蘇我入鹿などは皇子として振る舞っていたら、皇子でもないのに不遜、とか言われて時代に裏切られた訳で、推古天皇や聖徳太子との関係を見ても、蘇我氏が大王を輩出した名家だった事は明らかです。
    だからこそ成り上がり渡来人の藤原氏は、こぞって蘇我系の姫を妻に迎えたのです。

  • @sachikosunakawa2430
    @sachikosunakawa2430 Рік тому

    稲目の二人の娘と結婚したからこそ、欽明は天皇になれた、という見方もできますね。

  • @nanaco.cafe369
    @nanaco.cafe369 3 роки тому +6

    「 蘇我 」は、地名にも御座いますよね。
    日本人は、出身の苗字は意味が御座います。
    身分を表す根底は、十二支族の 末裔 です。
    それから上手く混血し、生粋の日本人は同じ。
    神の民、イエスの末裔です。

    • @ひげおやじ-y7k
      @ひげおやじ-y7k 3 роки тому +1

      おいおい、無茶言うなよ。ユダヤ12支族はイエスの敵だぜ。

  • @石本一清
    @石本一清 Рік тому

    だとするならば、蘇とは❓️

  • @植松直隆
    @植松直隆 Рік тому +1

    これに限らず、この手の投稿の”アナウンサー”は平気で間違った日本語の読み方をする。せっかくの投稿のレベルを下げることになる。

  • @のぼちゃん-b1z
    @のぼちゃん-b1z Рік тому

    まずは皇統にも藤原氏にも遺伝子が入っているんだね。

  • @uty8985
    @uty8985 2 роки тому

    蘇我馬子の妻は物部守屋の妹

  • @梶が谷文
    @梶が谷文 Рік тому

    曽我兄弟 富士巻狩り事件あるよ 北条時政が烏帽子親

  • @5jgda236yvr
    @5jgda236yvr Рік тому +2

    可能な限り、DNA検査してから、古代から現代までの尊い家系図を検証していただけないと、信用できない。

    • @4月の雨
      @4月の雨 Рік тому

      根本的にどうでもいい楽しめばいいだけの話。
      信用するしないだなんて生真面目だね

    • @5jgda236yvr
      @5jgda236yvr Рік тому

      @@4月の雨 様
      意味のあるご見解を期待しております。

  • @梅田初恵
    @梅田初恵 3 роки тому +3

    蘇民将来だっけ。
    三重県の伊勢神宮付近に伝わってる言葉だよね。個人的にヤクザがこの名前名乗っていて悪い事をしたからか家に幽霊が出るとか言って般若心経念仏唱えてたので良い印象が無い

    • @tamatamanakaji
      @tamatamanakaji 3 роки тому +5

      元々は国津神だったところへアマテラスに侵略されたのが伊勢。
      伊勢の人は現代でもおらが町は国津神だと思っている。名前からして「伊勢津彦」の「伊勢」で、多くの住民が「蘇民将来子孫家」と書かれた注連縄を一年中玄関に飾っている。
      三重県ってとこは伊勢神宮があるくせにやたら左翼が強い(強かった)のは、そういう影響もあるかも。
      明治維新後の祭神論争で造化三神と天照大神の他に大国主大神を加えるべしと出雲系から待ったがかかった際、伊勢神宮内でもそれに賛同する者が多かったのにもかかわらず天照大神だけと押し切ったのは、伊勢の親分が田中頼庸という薩摩の人間だったためだ。
      そういう綱渡りで今でこそ皇祖神=アマテラスってなってるけど、+スサノオになった可能性も大きかったし、実質的にも問題じゃないわけなんだな。

    • @MIZ-c8w
      @MIZ-c8w Рік тому +2

      ​@@tamatamanakaji三重県は猿田彦から「土地を借りて」家を建てます。地鎮祭があって、基礎工事に普請に必ず神主さんを呼びます。鈴鹿の椿大社と内宮の隣に猿田彦神社があるのが、倭姫が、日本全国探し、三重県伊勢に決定します。由来は、しっかり意味を知らない日本人も多いでしょう。伊勢津彦は出雲王朝ですし、猿田彦も本来は出雲王朝ですから「天孫降臨で鞍替え」でしょう。

    • @tamatamanakaji
      @tamatamanakaji Рік тому

      猿田彦って、寝返り者のイメージなんだよなあ。
      伊勢が元は国津神系、出雲王朝というのは、完全に同意。
      三重県の県庁は津市ですが、その名は港の意味ではなく。伊勢津彦から来てると思うくらい。
      (伊勢と津にわかれた)。
      また、雲出という地名が残ってるのも印象的ですね。

  • @fujiwaragayouato
    @fujiwaragayouato Рік тому

    菅総理

  • @hidemichitanaka372
    @hidemichitanaka372 Рік тому

    蘇我氏の名の起源が菅氏だと言っていますが、これは我・蘇る、であることは明らかで、それが厩戸皇子の名前とつなげれば、蘇るキリストのことだとわかりまう。この番組は調べた後はわかりますが、自説がなく、結局は何の参考になりません。初歩的段階に止まるべきではない、と思います。

  • @amator8468
    @amator8468 11 місяців тому +1

    백제인 목협만치와 소가만치는 같은 사람으로 배웠습니다.

  • @mintoazuki4052
    @mintoazuki4052 Місяць тому

    生き残りは藤原氏だけでしょう。
    歴史にはロマンがあるので、ロマンが漂う映像にして欲しいですね。

  • @らがらが-l1i
    @らがらが-l1i 3 роки тому

    ナレーターの声をもう少し抑揚はつけたりして欲しいです。
    あと少しゆっくり過ぎると個人的には感じました。

    • @hatena_discovery
      @hatena_discovery  3 роки тому +1

      ナレーションについて、ご意見ありがとうございます。
      参考にさせていただきます!

  • @石本一清
    @石本一清 Рік тому

    蘇我氏とは氏では無いとしたら。❓️
    蘇我氏を別けると 我、蘇の○○ と読めますよね。⁉️

  • @ユッケ-j2w
    @ユッケ-j2w 2 роки тому

    これは、いそがし