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炊屋姫が推古天皇に変わった時ちょっと鳥肌たった。
蘇我氏は和爾氏の分派との説が有力だ。和爾氏は春日氏とも呼ばれ。記紀によれば物部氏は神武以前から大和に拠点をもった豪族であり、神武天皇に娘を妻として出したことから始まっている饒速日命の伝承もある。このことから物部氏は大和の古い豪族の系譜であると推測され。神武天皇が東征した際には抵抗した大和土着豪族の一つだったのだろう蘇我氏は神武天皇の東征で付き従った一族の末であり、物部氏はそれに抵抗した一族の末裔何て考えれば、東征以来の土着豪族と神武東征派の争いが、蘇我と物部の戦いの遠因になったのではないかと思ってしまうね
「馬子」のクセに「俺は猪か」もないもんだ(笑)。
死ぬほどわかりやすい…
会社の後輩が「物部」という名前でした。(「ものべ」と発言)ひょっとして、あの「物部氏」と関係あるの?と尋ねると、あっ、わかります?と言われました。歴史では滅亡じゃないの?と言うと実際には蘇我vs.物部の戦の後「神主」になって現在まで、家系は続いているそうです。
蘇我氏との争いに敗れて、物部氏は影響力を失ったが滅亡したわけではなく、その後も続いているよ。蘇我氏との争いで当時の宗家は絶えたようだが、分派が数多く残っていた。物部氏の分派が石上氏と改めて朝廷に復権しているし。各地に散らばっていた物部氏系の氏族も残っていた神主云々は、まあ、古い氏族の家はその祖霊を祭る神社の神主の家として続く事も多いってだけの話です
蘇我氏も滅んでないし、違う姓で続いている。
@@gionsyouji5831 確か石川だっけ
@@gionsyouji5831 さん曽我ひとみさんも末裔ですかね?
ニギハヤヒの子孫ってことか すげぇな
奈良県の物部神社に行ったら、物部氏の血脈が続いているので鳥肌ものです。しかし、蘇我氏の牙城の奈良県に物部氏の神社があることに驚きます。
神社の宮司とか神職の血筋には、そういう古い豪族や貴族の血筋が多いよ平安時代になれば貴族と言えば藤原氏が占め。平や源などの臣籍に降った親王以外は、安倍氏や小野氏などがわずかに中堅下級貴族として残るだけそういう状況になっているから、飛鳥時代以前からの古い豪族の血筋はそういう形で残るだけだったし
歩けば物部氏に当たるんだけど何かしらやっぱり凄いんだなあ。古社調べてると割と何処行ってもこの名前出てくるんだもん
めっちゃわかりやすかったです!ありがとうございます!!
馬子の奇策と、姫から推古天皇が擁立される所がわかりやすかったです。
大学生の時、飛鳥寺を訪れたことがあります。寺に赴く道筋には田園風景が広がっていて、ここが嘗て日本の中心地だったとは想像がつきにくかったですね。当然、日本最古の仏像も拝ませてもらいましたが、その異様な風貌に息を呑んだことを今でも憶えています。いろいろ勉強になります。今後とも楽しみにしています。
崇峻天皇の内容が知れて勉強になりました!有難う御座います
物部氏の「もののべ」は武士を意味する「もののふ」の語源であり、軍事を管轄する氏族でした。物部氏が祭祀した石上神宮には、かつて朝廷の武器庫があり、布都御魂剣などの宝剣がご神体になっています。その祖先は初代神武天皇の時代に大和地方で祀られていた神ニギハヤヒの命やウマシマジの命とされ、大和朝廷を発足当時から軍事や祭祀において支えてきた氏族と考えられます。守屋の代になって仏教勢力によって逆賊的な立場で、得意とする武力によりその嫡流が滅びるのは複雑な気がします。
備忘録【 厄災は、宗教を普及する。】
蘇我馬子の妻は物部守屋の妹
やはり外戚は強いんだろうな。しかし連の姓の氏からも以前は妃を出していたはずなんだが、いつから連は妃を出さない、になったんだろうか?
私の苗字はモリヤなので物部とどこかしら関係があるのかなって勝手に妄想してます。
名前だけは知ってる天皇も、そこでそうつながってくるのかって軽い驚きがあって面白い
要するに、尊皇攘夷対開国ですよね。当時の仏教とは、文明開化そのものだから。
🔥🔥🔥 南無大師遍照金剛🙏 🐉🐉🐉
ちなみに、四天王寺がある大阪阿部野橋駅と飛鳥寺がある飛鳥駅、岡寺駅は線路一本で乗り換えなしでつながってます
物部氏の本拠である渋川は今の八尾市あたりですね。平野区の一部、生野区の一部、八尾市の一部、東大阪市の一部に渋川郡がありました。
幼少の頃、石舞台が囲いをされてなくて、大きな石の上に登ったり、石室の中に入って遊んでいました。ここが蘇我馬子の墓らしいという話を聞いてから蘇我馬子に興味がありました。馬子から蝦夷、入鹿そして大化の改新から壬申の乱に至る流れもUPしてもらえると嬉しいです。
石舞台が蘇我馬子の墓で、蘇我氏零落後に墓が壊されたとされるのは過去の説です。現在は石舞台は建設途中で何かの事情で放棄された古墳ではないかと考えられている。
先祖が蘇我田口川堀と聞いてます。小さい頃お坊さんに「聖徳太子と親戚です。今の名前は仮の名前なんですよ」と伺った記憶があります。話しを聞ける人が皆他界し、歴史も勉強しておりませんが、いつか自分のルーツについて勉強したいと思います。わかりやすい動画、ありがとうございました。
石舞台古墳の帰り偶然案内標識に気づき、こじんまりした今に残る飛鳥寺を訪れる。ここが日本の中心地とは決して思えないたたずまい。しかし日本人のひとりして夕暮れ静かに感無量、言葉を失いました。仏様、先人方ヘ合掌
大伴氏 津守氏
用明天皇かわいい😀
丁未の乱って、進軍経路が大坂夏の陣とほぼ同じだね。
鋭い!大和から河内に入られた時点で負け確定なのかな。
大坂の北側と東側は内海や湿地帯だったので、このルートでいくしかないんですよね。現在の地図だとわからないですが。
@@machazard なるほど、生駒山と金剛山の間を抜けて上町台地の付け根へ回り込む形ですね。
千葉市中央区の蘇我には、ヤマトタケル尊のお妃に随行していた蘇我媛に由来するそうです。蘇我には蘇我媛神社があります。神話時代から蘇我氏がいたことに驚きました。
全然知らなかった。
興味深いお話し有難う、面白そうですね。
本物の凄さ、菅原道真の祟
今思えば物部の言ってることが正しかったね。ただ仏教云々は口実じゃないのかな。権力を独占した藤原氏はめちゃくちゃ外来の仏教に嵌ってお寺を造りまくって、神道を一時的に衰退させた。元は祭祀を担当する家だったのに・・・
世界宗教・仏教を弘めるための方便にすぎない。
日本における最初で最後のイデオロギー戦争かと思ったが、話を聞いてたら只の人事を巡る椅子争い。の様に思えた。
ナガスネとニギハヤの時から日本は争ってばかりだなぁ!(´・ω・`)
結果、神も仏も利用されて争いの種になるという…。
蘇我氏と物部氏の争いは仏教を巡る争いというが、実際は朝廷内での権力争いだな物部氏も排仏に熱心なのは守屋くらいで、他はそこまで敵視していたわけではなかったようだ
穴穂部が炊屋姫を襲う所Wikiだと犯すになっててそこまで明確にするのに吹いたw三輪逆が大活躍する所だっけ
おもしろい
女を天皇にすれば言うこと聞かせられるし考えましたね!蘇我馬子
物部は九州に残した徐福の子孫。海(あま)家→武内臣→蘇我家(武内臣)は出雲に残した徐福の子孫が大和に進出した裔。要するに、同祖同族。因みに、武内臣家が自立したのが仁徳~の武内(平群)王朝。この王朝の重臣たち=親戚たちに招請、懇願されて婿養子にはいったのが元出雲王家(出雲神族)の次男、継体天皇。平群(武内)王朝の女系、母系の本宗で重臣たちの主筋であったのが継体天皇擁立の最大の理由。古事記等は天岩戸が開き天照大神が再臨して、、、と『比喩』した。
倭の五王辺りについての動画が見たいです!
その仏像が善光寺のご開帳のアレですね
分かりやすい
日本初の保守派とリベラル派の戦いやね
本木さん主演のテレビドラマで見た程度の知識か有りません😭。欽明、用命、厩戸と物部と蘇我の関係が複雑。
厩戸皇子という名前は、仏教というよりキリスト教の影響が考えられる。ルカ福音書
丁未の乱で厩戸王と馬子の寺を建てる宣言は何の意味があるん?たまたま戦中に言っただけ?
自分の知識は「大化の改新」から「平将門」に飛んでいるなあ
素晴らしい!
佐保川と飛鳥川の戦いに石川が絡んで佐保川が負けたと言うことでしょう。
とっても分かりやすい動画をありがとうございます‼️
🇯🇵はこのとき何か大切なものを失った⁉️神の言の葉⁉️
なんか泥沼杉内?どっちもやべーやつで草
蘇我と言いながら、蘇ら無かった。😂
宗教はいらんって事がよくわかる
面白かった
ドラマみたい!
江戸時代はやらないのですか?
9:00草
日本は改ざんされたら同じやから文書で残しても、違う方法でしっかり残してます。嘘って見抜けますよ。だいたい。
こんな昔から右翼と左翼が戦っていたのか左翼が勝って、偉大な大和国はおかしくなったんだな
この話は、九州の話だ‼️奈良の学識者が奈良の飛鳥と主張している‼️。九州の飛鳥は石川(現在の寒水川)の場所と学んだ‼️。石川の近くに寺を馬子が建てまつた‼️。したがって馬子の墓は九州に在る‼️。奈良の飛鳥石舞台ではない‼️。奈良は後で九州から移住した人達が付けた名前と思う‼️。
なぜか、南北朝から、先に進みませんねェ。室町幕府は不得意なのだろうか?お好きなはずの戦乱の時代ですよ。古墳時代に戻らないでください。
どうしようが勝手でしょ古代が好きな人もいるんだよわかりませんかねェ。
ほんと余計なお世話。気持悪い。
こいつは定年退職した元日本史教師
なんだかこの方の色んな動画でそのようなコメントをしていらっしゃいますね…気に入らないようでしたら見なければいいのでは、、
炊屋姫が推古天皇に変わった時ちょっと鳥肌たった。
蘇我氏は和爾氏の分派との説が有力だ。和爾氏は春日氏とも呼ばれ。
記紀によれば物部氏は神武以前から大和に拠点をもった豪族であり、神武天皇に娘を妻として出したことから始まっている
饒速日命の伝承もある。
このことから物部氏は大和の古い豪族の系譜であると推測され。
神武天皇が東征した際には抵抗した大和土着豪族の一つだったのだろう
蘇我氏は神武天皇の東征で付き従った一族の末であり、物部氏はそれに抵抗した一族の末裔
何て考えれば、東征以来の土着豪族と神武東征派の争いが、蘇我と物部の戦いの遠因になったのではないかと思ってしまうね
「馬子」のクセに「俺は猪か」もないもんだ(笑)。
死ぬほどわかりやすい…
会社の後輩が「物部」という名前でした。(「ものべ」と発言)ひょっとして、あの「物部氏」と関係あるの?と尋ねると、あっ、わかります?と言われました。歴史では滅亡じゃないの?と言うと実際には蘇我vs.物部の戦の後「神主」になって現在まで、家系は続いているそうです。
蘇我氏との争いに敗れて、物部氏は影響力を失ったが
滅亡したわけではなく、その後も続いているよ。蘇我氏との争いで当時の宗家は絶えたようだが、分派が数多く残っていた。
物部氏の分派が石上氏と改めて朝廷に復権しているし。各地に散らばっていた物部氏系の氏族も残っていた
神主云々は、まあ、古い氏族の家はその祖霊を祭る神社の神主の家として続く事も多いってだけの話です
蘇我氏も滅んでないし、違う姓で続いている。
@@gionsyouji5831
確か石川だっけ
@@gionsyouji5831 さん
曽我ひとみさんも末裔ですかね?
ニギハヤヒの子孫ってことか すげぇな
奈良県の物部神社に行ったら、物部氏の血脈が続いているので鳥肌ものです。しかし、蘇我氏の牙城の奈良県に物部氏の神社があることに驚きます。
神社の宮司とか神職の血筋には、そういう古い豪族や貴族の血筋が多いよ
平安時代になれば貴族と言えば藤原氏が占め。平や源などの臣籍に降った親王以外は、安倍氏や小野氏などがわずかに中堅下級貴族として残るだけ
そういう状況になっているから、飛鳥時代以前からの古い豪族の血筋はそういう形で残るだけだったし
歩けば物部氏に当たるんだけど
何かしらやっぱり凄いんだなあ。古社調べてると割と何処行ってもこの名前出てくるんだもん
めっちゃわかりやすかったです!ありがとうございます!!
馬子の奇策と、姫から推古天皇が擁立される所がわかりやすかったです。
大学生の時、飛鳥寺を訪れたことがあります。寺に赴く道筋には田園風景が広がっていて、ここが嘗て日本の中心地だったとは想像がつきにくかったですね。
当然、日本最古の仏像も拝ませてもらいましたが、その異様な風貌に息を呑んだことを今でも憶えています。
いろいろ勉強になります。今後とも楽しみにしています。
崇峻天皇の内容が知れて勉強になりました!有難う御座います
物部氏の「もののべ」は武士を意味する「もののふ」の語源であり、軍事を管轄する氏族でした。
物部氏が祭祀した石上神宮には、かつて朝廷の武器庫があり、布都御魂剣などの宝剣がご神体になっています。
その祖先は初代神武天皇の時代に大和地方で祀られていた神ニギハヤヒの命やウマシマジの命とされ、
大和朝廷を発足当時から軍事や祭祀において支えてきた氏族と考えられます。
守屋の代になって仏教勢力によって逆賊的な立場で、得意とする武力によりその嫡流が滅びるのは複雑な気がします。
備忘録【 厄災は、宗教を普及する。】
蘇我馬子の妻は物部守屋の妹
やはり外戚は強いんだろうな。しかし連の姓の氏からも以前は妃を出していたはずなんだが、いつから連は妃を出さない、になったんだろうか?
私の苗字はモリヤなので物部とどこかしら関係があるのかなって勝手に妄想してます。
名前だけは知ってる天皇も、そこでそうつながってくるのかって軽い驚きがあって面白い
要するに、尊皇攘夷対開国ですよね。当時の仏教とは、文明開化そのものだから。
🔥🔥🔥 南無大師遍照金剛🙏 🐉🐉🐉
ちなみに、四天王寺がある大阪阿部野橋駅と飛鳥寺がある飛鳥駅、岡寺駅は線路一本で乗り換えなしでつながってます
物部氏の本拠である渋川は今の八尾市あたりですね。
平野区の一部、生野区の一部、八尾市の一部、東大阪市の一部に渋川郡がありました。
幼少の頃、石舞台が囲いをされてなくて、大きな石の上に登ったり、石室の中に入って遊んでいました。
ここが蘇我馬子の墓らしいという話を聞いてから蘇我馬子に興味がありました。
馬子から蝦夷、入鹿そして大化の改新から壬申の乱に至る流れもUPしてもらえると嬉しいです。
石舞台が蘇我馬子の墓で、蘇我氏零落後に墓が壊されたとされるのは過去の説です。
現在は石舞台は建設途中で何かの事情で放棄された古墳ではないかと考えられている。
先祖が蘇我田口川堀と聞いてます。
小さい頃お坊さんに
「聖徳太子と親戚です。
今の名前は仮の名前なんですよ」
と伺った記憶があります。
話しを聞ける人が皆他界し、
歴史も勉強しておりませんが、
いつか自分のルーツについて
勉強したいと思います。
わかりやすい動画、
ありがとうございました。
石舞台古墳の帰り偶然案内標識に気づき、こじんまりした今に残る飛鳥寺を訪れる。ここが日本の中心地とは決して思えないたたずまい。しかし日本人のひとりして夕暮れ静かに感無量、言葉を失いました。仏様、先人方ヘ合掌
大伴氏 津守氏
用明天皇かわいい😀
丁未の乱って、進軍経路が大坂夏の陣とほぼ同じだね。
鋭い!大和から河内に入られた時点で負け確定なのかな。
大坂の北側と東側は内海や湿地帯だったので、このルートでいくしかないんですよね。現在の地図だとわからないですが。
@@machazard なるほど、生駒山と金剛山の間を抜けて上町台地の付け根へ回り込む形ですね。
千葉市中央区の蘇我には、ヤマトタケル尊のお妃に随行していた蘇我媛に由来するそうです。
蘇我には蘇我媛神社があります。
神話時代から蘇我氏がいたことに驚きました。
全然知らなかった。
興味深いお話し有難う、面白そうですね。
本物の凄さ、菅原道真の祟
今思えば物部の言ってることが正しかったね。ただ仏教云々は口実じゃないのかな。権力を独占した藤原氏はめちゃくちゃ外来の仏教に嵌ってお寺を造りまくって、神道を一時的に衰退させた。元は祭祀を担当する家だったのに・・・
世界宗教・仏教を弘めるための方便にすぎない。
日本における最初で最後のイデオロギー戦争かと思ったが、話を聞いてたら只の人事を巡る椅子争い。の様に思えた。
ナガスネとニギハヤの時から日本は争ってばかりだなぁ!(´・ω・`)
結果、神も仏も利用されて争いの種になるという…。
蘇我氏と物部氏の争いは仏教を巡る争いというが、実際は朝廷内での権力争いだな
物部氏も排仏に熱心なのは守屋くらいで、他はそこまで敵視していたわけではなかったようだ
穴穂部が炊屋姫を襲う所Wikiだと犯すになっててそこまで明確にするのに吹いたw
三輪逆が大活躍する所だっけ
おもしろい
女を天皇にすれば言うこと聞かせられるし考えましたね!蘇我馬子
物部は九州に残した徐福の子孫。
海(あま)家→武内臣→蘇我家(武内臣)は
出雲に残した徐福の子孫が大和に進出した裔。
要するに、
同祖同族。
因みに、武内臣家が自立したのが
仁徳~の
武内(平群)王朝。
この王朝の重臣たち
=親戚たち
に招請、懇願されて
婿養子にはいったのが
元出雲王家(出雲神族)の次男、
継体天皇。
平群(武内)王朝の女系、母系の本宗で
重臣たちの主筋であったのが
継体天皇擁立の最大の理由。
古事記等は
天岩戸が開き
天照大神が再臨して
、、、
と『比喩』した。
倭の五王辺りについての動画が見たいです!
その仏像が善光寺のご開帳のアレですね
分かりやすい
日本初の保守派とリベラル派の戦いやね
本木さん主演のテレビドラマで見た程度の知識か有りません😭。欽明、用命、厩戸と物部と蘇我の関係が複雑。
厩戸皇子という名前は、仏教というよりキリスト教の影響が考えられる。ルカ福音書
丁未の乱で厩戸王と馬子の寺を建てる宣言は何の意味があるん?たまたま戦中に言っただけ?
自分の知識は「大化の改新」から「平将門」に飛んでいるなあ
素晴らしい!
佐保川と飛鳥川の戦いに石川が絡んで佐保川が負けたと言うことでしょう。
とっても分かりやすい動画をありがとうございます‼️
🇯🇵はこのとき何か大切なものを失った⁉️神の言の葉⁉️
なんか泥沼杉内?
どっちもやべーやつで草
蘇我と言いながら、蘇ら無かった。😂
宗教はいらんって事がよくわかる
面白かった
ドラマみたい!
江戸時代はやらないのですか?
9:00草
日本は改ざんされたら同じやから文書で残しても、違う方法でしっかり残してます。
嘘って見抜けますよ。
だいたい。
こんな昔から右翼と左翼が戦っていたのか
左翼が勝って、偉大な大和国はおかしくなったんだな
この話は、九州の話だ‼️奈良の学識者が奈良の飛鳥と主張している‼️。九州の飛鳥は石川(現在の寒水川)の場所と学んだ‼️。石川の近くに寺を馬子が建てまつた‼️。したがって馬子の墓は九州に在る‼️。奈良の飛鳥石舞台ではない‼️。奈良は後で九州から移住した人達が付けた名前と思う‼️。
なぜか、南北朝から、先に進みませんねェ。室町幕府は不得意なのだろうか?お好きなはずの戦乱の時代ですよ。古墳時代に戻らないでください。
どうしようが勝手でしょ
古代が好きな人もいるんだよわかりませんかねェ。
ほんと余計なお世話。気持悪い。
こいつは定年退職した元日本史教師
なんだかこの方の色んな動画でそのようなコメントをしていらっしゃいますね…気に入らないようでしたら見なければいいのでは、、