Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
三島に住んでいます三島暦を作られていた河合家は伊豆忌部氏 昔三島大社の祭司をしていた 三島に加茂 加茂川の地名があるのはこの地を河合家が納めて居たとか 河合家の神棚には磐長姫が祀られている 伊豆のおおむろ山の浅間神社には磐長姫が祀られている おおむろ山は山焼きで知られており 剣山の野焼きと重なり 阿波忌部と重なる 三島大社の横にある祓いど神社は 地元の者は「浦島さん」と呼んでいて子供の頃から大社より大切にしろと言われていたこれも忌部氏が関わっている様です 伊豆に淡島もあり最近伊豆忌部氏が気になっていますちなみに浅間(せんげん)神社は子供の頃 浅間(あさま)神社と聞いており [あさま]は古語で火山の意味らしいです大山祇神様が主祭神なのも伊豆忌部氏が関わっているのかも?母の旧姓は加茂と言う事で加茂家のルーツにも興味があります
羽賀さんの熱弁、ほんまにええなぁ!内容より羽賀さんの人が伝わってきて、元気でる!いつも有難う‼︎
伊勢原には大山があります。こちらも大山祇神様です。中津川、相模川、地元の人は山を🏔見て安心するんです。子供達の校歌にも大山が最初に出てきます。子供達に代々受け継がれる山🏔の神とは、人々の心に安心をもたらすお父さんお母さんの様な優しさです。わたし達の生きる土地はいつも暖かく見守ってくれている。太陽☀️があり海が🏖あり川があり山⛰がある。プレートもぶつかるあって山が出来た❤😊人もまたぶつかり合い愛に辿りつき山の様な集合意識に辿り着くのでしょう。戦争で何もない土地をなぜ奪い合うのかとインディアンの村長は言ってました。日本🇯🇵には暖かい神さまがいる、人生山あり谷あり😊🎉❤ですね。三島大社行きました。近くに瀧川神社⛩があります。御祭神は瀬織津姫👸様です。瀧川神社⛩の水は箱根の水です。浅間大社の水は富士山🗻の水です。水も山に何年も濾過されて美しくなります。瀧川神社⛩と三島大社はセットの様な氣がします。是非行かれてください。
うちの近所から大山、富士山がよく見えます🤗大山も堂々とした美しい形の山ですよね。
いつもご配信頂きありがとうございます。私は、3年前まで三嶋大社のご神域とされる地域に住んでおりました。三嶋大社から徒歩圏内に、加茂川町と言う地域があり加茂川神社(三嶋大社の摂社)が三嶋大社の鬼門にあたる位置に建立されております。普段は閉ざされておりますが、例祭には三嶋大社の宮司さんが出向かれご神事を行われているそうです。今回、下鴨神社との繋がりなどご紹介頂き、何気なく生活していると知る事の出来ない深い歴史が埋没しているのだろうと感じました。
今日もありがとう御座います。😃👍💞詳しくありがとう御座います。😃👍💞素晴らしい動画です。😃👍💞🙏
素晴らしい崇高な配信有難うございます✨
三島大社は鎌倉時代から今の場所にあったと言う古い歴史に震えた。占いの神様でもある事代主神は、賀茂氏と繋がり安倍晴明が出てくるが、大山祇命は、心の器を広くする為にも信仰を深めたい。😊
日曜日に愛媛の大山祇神社に行って日本のことをお祈りしてきました。樹齢2600年の大楠の木も見ました。雨でしたが参拝する人も結構いました。参拝した後は清々しく感謝の気持ちしかありません。ありがとうございます😊
伊豆七島の神津島に、以前1年間行かせて頂いており、ご縁を感じさせて頂いております🙏三嶋大社さんも以前、参拝させて頂いており、今につながっていると思うと、有難い限りでございます💖カオスの世界が、新講座の『十種の神宝』ではらわれますように🌎💓🍎有難うございます🍊🌟🌸✨🍓🐉🌞
初めてコメントします☆千葉県南房総地域在住の者です。千葉県南房総市白浜に「三嶋神社」があり同じく南房総市加茂に「賀茂神社」があったな、と思ってコメントしました!まだ神社のことは詳しくない私ですが、なんとなく嬉しくなってしまいました😊すみません、それだけでした🙇♀️
三嶋大社から、遠く離れた地ですが、私の産土様は三嶋神明社と言います。御祭神も三嶋大社と全く同一で、地図で見てみますと三嶋大社の丁度対角線上に在り、三嶋大社の方角を向いて建っています。近くの宮司の話では、三嶋大社と関係の深い重要な神社だと言う事ですが、この動画を拝見して、謎の紐が少し解けた様に思いました。やはり、自分の生まれて来た場所にも偶然ではない理由があり、日本は正に結界が張られている国だと強く思えます。
いつもありがとうございますっ!お正月にしまなみ海道の大三島の大山祇神社にお詣りさせていただきました。🙇
三嶋大社、懐かしい。昔、三嶋大社の近所に住んでました。時々お参りに行ってましたよ。
出雲国風土記によると、摂津国三嶋鴨神社が全国の三嶋神社の始まりです。九州勢と通じた穂日に大国主と事代主を討たれた出雲は大混乱し(倭国大乱)、一族は富氏、尾張氏、大鴨氏、磯城氏の四氏になって大和国に避難し、事代主の子の建御名方=長髄彦が前大和国を作りました。なお、安倍晴明の始祖は長髄彦の兄の安日彦(アビヒコ)で、晴明の一代前の陰陽師・栄井宿禰から陰陽道を学びました。
羽賀さんいつも素敵な気づきを頂けてありがとうございます🙏✨
三島大社は静岡県伊豆の一宮なので伊豆の人たちが北伊豆に三島大社を建てた。訳ですが、主祭神である事代主は元々出雲の神なのに、なぜ伊豆に祭られたのか、どういう繋がりか?と調べてみると、大三島の日本総鎮守大山祇神社との関係もありますが、事代主の親戚筋の子孫にあたるヤマト磯城王朝第8代孝元天皇の第一皇太子の大彦命が、九州からの物部氏東征により、第二のヤマト王朝の創建を目指し大和から滋賀、近江、北陸、東北へ逃れる途中野洲の伊勢遺跡あたりで出雲のサイノカミ信仰の近畿式見る銅鐸祭司を行い、大彦の息子の武沼川別命が遠州国静岡で三遠式の見る銅鐸祭司を行い、北伊豆に祖先の事代主を祭るために、そのお后の櫛玉姫・活玉依姫・三島溝杭姫の実家の摂津国三島から社名を取り三島大社を建てた、様です。三島大社のある静岡県三島市の地名は、この三島大社の社名から付いたもののようです。御祭神の事代主は、日本の神様として皇室の祖神の一柱として伝えられており、日本人の祖先にあたる神様ですね。
事代主の故郷である出雲の神魂神社は、三島のふるさとでもありますよ。関西の摂津の三島、瀬戸内海の大三島、伊豆半島の三島、すべて御島でつながりがあります。日本は大陸から見たら島国、山の国、平野の少ない列島ですね。
なるほど〜😀なぜ「三つの島?」と不思議に思っていましたが「御島」なんですね!
現在、三島大社で販売している暦は安倍晴明の子孫の土御門家の土御門暦です。(天社土御門神道本庁)
西暦700年の大宝律令で国司が現在の三島市に設置されたとき、もともといらっしゃった白浜の伊古奈比咩命神社の三島大明神だけが移され、現在の三嶋大社が建てられたと聞いたことがあります。
「事代主の故郷である出雲の神魂神社は、三島のふるさとでもありますよ。・・・」というコメントがありました。出雲王朝時代、紀元前2世紀頃に摂津の三島一族から出雲副王の少名彦(大和では事代主とも)の后となり、その子孫たちが大和盆地に入って初期大和王朝を形成、以降、鴨氏と名乗る子孫も現れ、また大和王権をめぐる権力争いの末に、東海・関東まで移住した部族が伊豆半島・房総半島まで進出し、現在の三島大社建立に至りました。そのような歴史の流れの上に、島根県では「三島」姓が多く、愛媛県には「三島神社」が数多く、親戚筋である関東にも「三島神社」が多いのです。ちなみに、東出雲王家直系子孫である菅原道真(野見宿禰-土師家)は太宰府に流される途中に大三島の「大山祇神社」に寄って、実子を養子として親戚だった社家に預けています。上記の「東海・関東まで移住した部族」とは主に野見宿禰配下の出雲の将軍たちです。野見宿禰の先祖の第6代少名彦がもっとも人気が高く、また后の出身豪族である三島氏も長きにわたってさまざまな支援をしていたようです。それが全国に「三島神社」が多い理由です。神魂神社は出雲王家の王宮だった場所ですね。
お詳しいですね。伊豆の黒曜石が採れる神津島には、出雲の事代主の息子のタケミナカタが諏訪から来ており、更に子孫の三島大社を建てた大彦の息子建沼川別も、黒曜石の交易を行っていたようです。その後阿波忌部の人達が神奈川から房総に渡ったのでしょうね。伊豆は日本列島の中でも、太平洋から流れてきて列島にぶつかった際に縦に盛り上がってできた丹沢などと一体の地盤の様で、ダイナミックな地球の火山の造形が偲ばれますね。
『事代主の息子のタケミナカタ』は決してタケミカヅチに負けて逃亡したのではなく、翡翠の産地でもあった母君の沼川姫の実家のある糸魚川に移り、そこから諏訪の地に進出しました。もちろん翡翠等の鉱物の交易を行っていたことでしょう。そこに『伊豆の黒曜石』もですね! 来月は小生が奉職しております少彦名神社の春祭りで、先日は6代目スクナヒコの八重波津身(事代主)の没した米子市粟島神社の洞窟にお参りに行ってきました。「ナガスネヒコ」と貶められた「大彦」の復権を願いたいものです。
@@lapianisteYukimaru 様、粟島神社の静の窟屋ですね。お疲れ様でした。ご存じの方が居られて嬉しいです。今後ともよろしくお願いします。
「三嶋」←「みしま」←「御島」= 日本列島 つまり、三嶋大社 は、日本列島全体を表す神様だと感じていました。やっぱり🙌
参考に、伊豆の大瀬神社と出雲の国引き神話、富士山と鳥取の大山、御穂神社と美保神社
2024年6月1日(土曜日☀15時36分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙏⛩
卜部氏が伊豆大島から勧請したとの説がありますし愛媛県の大三島から船に乗って往来していて伊豆七島に一人ずつ七人の后をおいたとの説もあります。
三嶋大社がそんなに重要とは思いませんでした。家の神棚は母が三嶋大社で受けてくれた物です毎年1日には家内安全のご祈祷をしてもらっています
役行者は経典は孔雀明王のもの以外何を読んでらっしゃったんですかね。「主題」的な経典が各人にあったのではと。
熱海や京都の今宮さんも事代主を、お祀りしていますね、、、関係あるんやろか
日月の神にお参りに行くということになりますね🟡(⬅明主様の聖言「日本人種の霊的考察」参照)役小角に関して、明主様は、一番分かっている人と言う主旨のことを仰っており、「国軸山 金峯山寺」にぶち当たります🏔国軸山 金峯山寺は、乾坤山 日本寺と一体・対になり、「トリニティー」、「三位一体」、「過去・現在・未来」を現します☘古事記にて、悪者扱いなされがちな「素盞嗚命さま」の霊的・横の働き、すなわち『経綸上の女性性👩』、造化三神にまでさかのぼる祈り🛐の団体参拝が具現経綸なされますようお祈りいたしております🛐🛐🛐🛐🛐
大山祇神は事代主の義父と言えます。事代主は三島溝咋の娘・活玉依姫を娶り、生まれたのがタタラ五十鈴姫。ヤマト政権の初代皇后となります。タタラ五十鈴姫の兄・クシヒカタは鴨王と言い、この家系が賀茂氏となります。事代主は三輪山の大物主神ということです。三島溝咋族は高槻から瀬戸内海にかけて本拠地とし、水運を制していた縄文の氏族でしょう。当然、四国にも影響を及ぼします。事代主・三島一族は関東へと進出しています。阿波忌部が房総半島へと進出するのと、伝承が大きく被ります。四国には木花咲耶姫・磐長姫が沢山お祀りされており、事代主が関東へ進出したとき、一緒に富士山へとお連れしたものと思われます。
相当こじつけな話となりますが思うことを書かせて頂きます。三嶋大社は蛭子(≒エビス=事代主)を祀っているというとすると、その対になる神様となる淡島があるはずです。現在の沼津市に淡島というところがあり、現在あわしまマリンパークと呼ばれる火山島があります。かつ、市杵島姫命を祀る神社が島の頂上にあります。海からの導きの神である宗像三女神の一柱が鎮座していることから、日本人が海の向こうからやってきた民族であると解釈ができるかも分かりません。あと、富士山を大山祇神とするなら、富士山の岩肌のような磐長姫、芙蓉の花のような見た目の木花咲耶姫と解釈もできますね。この一族が真の国神であるとするなら、富士山を記紀に記すのは畏れ多いと見ることも出来ますね。
アーラーマ・カーラーマ→役小角→北一輝。即ち、裏側の大天狗の1人という事です。これが「幸福の科学」の霊査です。一応、念のため。
大山祇命とは大山ネズノミコト神示教会という新興宗教と関係あるのでしょうか?知り合いに1人いるんです。
ナルシスチックな怪しい語り口ですね。
そう、最近はジャパネットタカタ的な抑揚強調で聞きづらく、かつナルシスト的に映る。もっと肩の力を抜いて話してほしい。
「嶋」は、「山」に「鳥」です。「三嶋」の「鳥」は「鴨」ですね。徳島に「三加茂」という地名が、ありますが、無関係ではないです。「伊豆」も、「出雲」と無関係ではなく、阿波のお城を「渭津」城と言っていたこととも無関係ではないです。そして、鎌田先生が、徳島出身であることも、間違いなく無関係ではないです。富士山が大きいからと言って、大山祇というのも安直すぎます。木花咲耶姫が、富士山周辺の神社に祀られますが、宮崎の邇邇芸と出会うには、遠距離恋愛に過ぎます。
いい加減な説明ですネ?
三島に住んでいます
三島暦を作られていた河合家は伊豆忌部氏 昔三島大社の祭司をしていた 三島に加茂 加茂川の地名があるのはこの地を河合家が納めて居たとか 河合家の神棚には磐長姫が祀られている 伊豆のおおむろ山の浅間神社には磐長姫が祀られている おおむろ山は山焼きで知られており 剣山の野焼きと重なり 阿波忌部と重なる 三島大社の横にある祓いど神社は 地元の者は「浦島さん」と呼んでいて子供の頃から大社より大切にしろと言われていた
これも忌部氏が関わっている様です 伊豆に淡島もあり最近伊豆忌部氏が気になっています
ちなみに浅間(せんげん)神社は子供の頃 浅間(あさま)神社と聞いており [あさま]は古語で火山の意味らしいです
大山祇神様が主祭神なのも
伊豆忌部氏が関わっているのかも?
母の旧姓は加茂と言う事で
加茂家のルーツにも興味が
あります
羽賀さんの熱弁、ほんまにええなぁ!
内容より羽賀さんの人が伝わってきて、元気でる!いつも有難う‼︎
伊勢原には大山があります。こちらも大山祇神様です。中津川、相模川、地元の人は山を🏔見て安心するんです。
子供達の校歌にも大山が最初に出てきます。子供達に代々受け継がれる山🏔の神とは、人々の心に安心をもたらすお父さんお母さんの様な優しさです。わたし達の生きる土地はいつも暖かく見守ってくれている。太陽☀️があり海が🏖あり川があり山⛰がある。プレートもぶつかるあって山が出来た❤😊
人もまたぶつかり合い愛に辿りつき山の様な集合意識に辿り着くのでしょう。
戦争で何もない土地をなぜ奪い合うのかとインディアンの村長は言ってました。日本🇯🇵には暖かい神さまがいる、人生山あり谷あり😊🎉❤ですね。
三島大社行きました。近くに瀧川神社⛩があります。御祭神は瀬織津姫👸様です。瀧川神社⛩の水は箱根の水です。浅間大社の水は富士山🗻の水です。水も山に何年も濾過されて美しくなります。瀧川神社⛩と三島大社はセットの様な氣がします。是非行かれてください。
うちの近所から大山、富士山がよく見えます🤗
大山も堂々とした美しい形の山ですよね。
いつもご配信頂きありがとうございます。私は、3年前まで三嶋大社のご神域とされる地域に住んでおりました。三嶋大社から徒歩圏内に、加茂川町と言う地域があり加茂川神社(三嶋大社の摂社)が三嶋大社の鬼門にあたる位置に建立されております。普段は閉ざされておりますが、例祭には三嶋大社の宮司さんが出向かれご神事を行われているそうです。今回、下鴨神社との繋がりなどご紹介頂き、何気なく生活していると知る事の出来ない深い歴史が埋没しているのだろうと感じました。
今日もありがとう御座います。😃👍💞
詳しくありがとう御座います。😃👍💞
素晴らしい動画です。😃👍💞🙏
素晴らしい崇高な配信有難うございます✨
三島大社は鎌倉時代から今の場所にあったと言う古い歴史に震えた。
占いの神様でもある事代主神は、賀茂氏と繋がり安倍晴明が出てくるが、大山祇命は、心の器を広くする為にも信仰を深めたい。😊
日曜日に愛媛の大山祇神社に行って日本のことをお祈りしてきました。樹齢2600年の大楠の木も見ました。
雨でしたが参拝する人も結構いました。
参拝した後は清々しく感謝の気持ちしかありません。
ありがとうございます😊
伊豆七島の神津島に、以前1年間行かせて頂いており、ご縁を感じさせて頂いております🙏
三嶋大社さんも以前、参拝させて頂いており、今につながっていると思うと、有難い限りでございます💖
カオスの世界が、新講座の『十種の神宝』ではらわれますように🌎💓🍎有難うございます🍊🌟🌸✨🍓🐉🌞
初めてコメントします☆
千葉県南房総地域在住の者です。
千葉県南房総市白浜に「三嶋神社」があり
同じく南房総市加茂に「賀茂神社」があったな、と思ってコメントしました!
まだ神社のことは詳しくない私ですが、なんとなく嬉しくなってしまいました😊
すみません、それだけでした🙇♀️
三嶋大社から、遠く離れた地ですが、私の産土様は三嶋神明社と言います。御祭神も三嶋大社と全く同一で、地図で見てみますと三嶋大社の丁度対角線上に在り、三嶋大社の方角を向いて建っています。
近くの宮司の話では、三嶋大社と関係の深い重要な神社だと言う事ですが、この動画を拝見して、謎の紐が少し解けた様に思いました。
やはり、自分の生まれて来た場所にも偶然ではない理由があり、日本は正に結界が張られている国だと強く思えます。
いつもありがとうございますっ!
お正月にしまなみ海道の大三島の大山祇神社にお詣りさせていただきました。🙇
三嶋大社、懐かしい。昔、三嶋大社の近所に住んでました。時々お参りに行ってましたよ。
出雲国風土記によると、摂津国三嶋鴨神社が全国の三嶋神社の始まりです。九州勢と通じた穂日に大国主と事代主を討たれた出雲は大混乱し(倭国大乱)、一族は富氏、尾張氏、大鴨氏、磯城氏の四氏になって大和国に避難し、事代主の子の建御名方=長髄彦が前大和国を作りました。なお、安倍晴明の始祖は長髄彦の兄の安日彦(アビヒコ)で、晴明の一代前の陰陽師・栄井宿禰から陰陽道を学びました。
羽賀さん
いつも素敵な気づきを頂けてありがとうございます🙏✨
三島大社は静岡県伊豆の一宮なので伊豆の人たちが北伊豆に三島大社を建てた。訳ですが、主祭神である事代主は元々出雲の神なのに、なぜ伊豆に祭られたのか、どういう繋がりか?と調べてみると、大三島の日本総鎮守大山祇神社との関係もありますが、事代主の親戚筋の子孫にあたるヤマト磯城王朝第8代孝元天皇の第一皇太子の大彦命が、九州からの物部氏東征により、第二のヤマト王朝の創建を目指し大和から滋賀、近江、北陸、東北へ逃れる途中野洲の伊勢遺跡あたりで出雲のサイノカミ信仰の近畿式見る銅鐸祭司を行い、大彦の息子の武沼川別命が遠州国静岡で三遠式の見る銅鐸祭司を行い、北伊豆に祖先の事代主を祭るために、そのお后の櫛玉姫・活玉依姫・三島溝杭姫の実家の摂津国三島から社名を取り三島大社を建てた、様です。三島大社のある静岡県三島市の地名は、この三島大社の社名から付いたもののようです。御祭神の事代主は、日本の神様として皇室の祖神の一柱として伝えられており、日本人の祖先にあたる神様ですね。
事代主の故郷である出雲の神魂神社は、三島のふるさとでもありますよ。関西の摂津の三島、瀬戸内海の大三島、伊豆半島の三島、すべて御島でつながりがあります。日本は大陸から見たら島国、山の国、平野の少ない列島ですね。
なるほど〜😀
なぜ「三つの島?」と不思議に思っていましたが「御島」なんですね!
現在、三島大社で販売している暦は安倍晴明の子孫の土御門家の土御門暦です。(天社土御門神道本庁)
西暦700年の大宝律令で国司が現在の三島市に設置されたとき、もともといらっしゃった白浜の伊古奈比咩命神社の三島大明神だけが移され、現在の三嶋大社が建てられたと聞いたことがあります。
「事代主の故郷である出雲の神魂神社は、三島のふるさとでもありますよ。・・・」というコメントがありました。出雲王朝時代、紀元前2世紀頃に摂津の三島一族から出雲副王の少名彦(大和では事代主とも)の后となり、その子孫たちが大和盆地に入って初期大和王朝を形成、以降、鴨氏と名乗る子孫も現れ、また大和王権をめぐる権力争いの末に、東海・関東まで移住した部族が伊豆半島・房総半島まで進出し、現在の三島大社建立に至りました。そのような歴史の流れの上に、島根県では「三島」姓が多く、愛媛県には「三島神社」が数多く、親戚筋である関東にも「三島神社」が多いのです。ちなみに、東出雲王家直系子孫である菅原道真(野見宿禰-土師家)は太宰府に流される途中に大三島の「大山祇神社」に寄って、実子を養子として親戚だった社家に預けています。上記の「東海・関東まで移住した部族」とは主に野見宿禰配下の出雲の将軍たちです。野見宿禰の先祖の第6代少名彦がもっとも人気が高く、また后の出身豪族である三島氏も長きにわたってさまざまな支援をしていたようです。それが全国に「三島神社」が多い理由です。神魂神社は出雲王家の王宮だった場所ですね。
お詳しいですね。
伊豆の黒曜石が採れる神津島には、出雲の事代主の息子のタケミナカタが諏訪から来ており、更に子孫の三島大社を建てた大彦の息子建沼川別も、黒曜石の交易を行っていたようです。その後阿波忌部の人達が神奈川から房総に渡ったのでしょうね。
伊豆は日本列島の中でも、太平洋から流れてきて列島にぶつかった際に縦に盛り上がってできた丹沢などと一体の地盤の様で、ダイナミックな地球の火山の造形が偲ばれますね。
『事代主の息子のタケミナカタ』は決してタケミカヅチに負けて逃亡したのではなく、翡翠の産地でもあった母君の沼川姫の実家のある糸魚川に移り、そこから諏訪の地に進出しました。もちろん翡翠等の鉱物の交易を行っていたことでしょう。そこに『伊豆の黒曜石』もですね! 来月は小生が奉職しております少彦名神社の春祭りで、先日は6代目スクナヒコの八重波津身(事代主)の没した米子市粟島神社の洞窟にお参りに行ってきました。「ナガスネヒコ」と貶められた「大彦」の復権を願いたいものです。
@@lapianisteYukimaru 様、
粟島神社の静の窟屋ですね。
お疲れ様でした。ご存じの方が居られて嬉しいです。今後ともよろしくお願いします。
「三嶋」←「みしま」←「御島」= 日本列島 つまり、三嶋大社 は、日本列島全体を表す神様だと感じていました。やっぱり🙌
参考に、伊豆の大瀬神社と出雲の国引き神話、富士山と鳥取の大山、御穂神社と美保神社
2024年6月1日(土曜日☀15時36分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙏⛩
卜部氏が伊豆大島から勧請したとの説がありますし愛媛県の大三島から船に乗って往来していて伊豆七島に一人ずつ七人の后をおいたとの説もあります。
三嶋大社がそんなに重要とは思いませんでした。
家の神棚は母が三嶋大社で受けてくれた物です
毎年1日には家内安全のご祈祷をしてもらっています
役行者は経典は孔雀明王のもの以外何を読んでらっしゃったんですかね。「主題」的な経典が各人にあったのではと。
熱海や京都の今宮さんも事代主を、お祀りしていますね、、、関係あるんやろか
日月の神にお参りに行くということになりますね🟡(⬅明主様の聖言「日本人種の霊的考察」参照)
役小角に関して、明主様は、一番分かっている人と言う主旨のことを仰っており、「国軸山 金峯山寺」にぶち当たります🏔
国軸山 金峯山寺は、乾坤山 日本寺と一体・対になり、「トリニティー」、「三位一体」、「過去・現在・未来」を現します☘
古事記にて、悪者扱いなされがちな「素盞嗚命さま」の霊的・横の働き、すなわち『経綸上の女性性👩』、造化三神にまでさかのぼる祈り🛐の団体参拝が具現経綸なされますようお祈りいたしております🛐🛐🛐🛐🛐
大山祇神は
事代主の義父と言えます。
事代主は三島溝咋の娘・活玉依姫を娶り、
生まれたのがタタラ五十鈴姫。
ヤマト政権の初代皇后となります。
タタラ五十鈴姫の兄・クシヒカタは
鴨王と言い、
この家系が賀茂氏となります。
事代主は
三輪山の大物主神ということです。
三島溝咋族は
高槻から瀬戸内海にかけて
本拠地とし、
水運を制していた
縄文の氏族でしょう。
当然、四国にも
影響を及ぼします。
事代主・三島一族は
関東へと進出しています。
阿波忌部が房総半島へと進出するのと、
伝承が大きく被ります。
四国には
木花咲耶姫・磐長姫が
沢山お祀りされており、
事代主が関東へ進出したとき、
一緒に富士山へと
お連れしたものと思われます。
相当こじつけな話となりますが思うことを書かせて頂きます。
三嶋大社は蛭子(≒エビス=事代主)を祀っているというとすると、その対になる神様となる淡島があるはずです。現在の沼津市に淡島というところがあり、現在あわしまマリンパークと呼ばれる火山島があります。かつ、市杵島姫命を祀る神社が島の頂上にあります。海からの導きの神である宗像三女神の一柱が鎮座していることから、日本人が海の向こうからやってきた民族であると解釈ができるかも分かりません。
あと、富士山を大山祇神とするなら、富士山の岩肌のような磐長姫、芙蓉の花のような見た目の木花咲耶姫と解釈もできますね。この一族が真の国神であるとするなら、富士山を記紀に記すのは畏れ多いと見ることも出来ますね。
アーラーマ・カーラーマ→役小角→北一輝。即ち、裏側の大天狗の1人という事です。これが「幸福の科学」の霊査です。一応、念のため。
大山祇命とは大山ネズノミコト神示教会という新興宗教と関係あるのでしょうか?知り合いに1人いるんです。
ナルシスチックな怪しい語り口ですね。
そう、最近はジャパネットタカタ的な抑揚強調で聞きづらく、かつナルシスト的に映る。
もっと肩の力を抜いて話してほしい。
「嶋」は、「山」に「鳥」です。「三嶋」の「鳥」は「鴨」ですね。徳島に「三加茂」という地名が、ありますが、無関係ではないです。「伊豆」も、「出雲」と無関係ではなく、阿波のお城を「渭津」城と言っていたこととも無関係ではないです。そして、鎌田先生が、徳島出身であることも、間違いなく無関係ではないです。富士山が大きいからと言って、大山祇というのも安直すぎます。木花咲耶姫が、富士山周辺の神社に祀られますが、宮崎の邇邇芸と出会うには、遠距離恋愛に過ぎます。
いい加減な説明ですネ?