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小6の秋に亡くなった母がよく洗濯をしながら歌っていました。あれから45年経ちますが、この歌を聴く度に優しかった母を思いだします。いつの間にか頭も真っ白になり亡くなった母より歳をとりましたが大好きな母の息子です。
コメント頂きありがとうございます。遠い日々を思い出してくれる歌は素敵ですね。きっと素晴らしいお母さまでしたんですね。
그시절이 그립읍니다.😅
勝手に男泣きしました。
お母さんが亡くなられても、思い出の中に生きておられるし永遠にお母さんの息子ですよ。
素晴らしい思い出大切にして下さい。張作霖
北海道生まれの68歳老人は、最も北海道の中の北海道は何処か?最も勧める北海道の場所は何処か?と関西人に聞かれることがある。迷わず、それは知床だと応える。いい歌のUPに感謝。
コメント頂きありがとうございます。
昨年秋に亡くなった父が私が小1の頃入浴中によく歌っていました。頑固な所がありましたが優しい父を思い出し涙が止まりませんでした😭アップしてくださりありがとうございます。
憧れの知床にやって来て、この歌を口ずさみながら、遊覧船の旅を楽しまれておられたのでしょう。まさかあんな悲惨な事になるなんて。心より犠牲者の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
45年程前になりますが、誰一人いない羅臼岳の山頂で思いっきり知床旅情歌いました。この頃まだ知床横断道路はなかったように思います。私は羅臼岳を越えて横断しました。数年後、羅臼岳にもう一度登りました。知床半島、加藤登紀子の知床旅情良いですね。
53年前に私も行きました
@@孝司松本-q5p なか
50年前の学生の頃知床半島と野付半島に行きました。
私も、55年前、懐かしいです✨
標津(しべつ)高等学校時代 3年間バス通学をした。 その時 まさにこの時 「知床旅情」が大ヒット。私が毎日乗るバスは知床半島の路線バスだった。 大きなリックを背負った 「カニ族」と呼ばれる若者が闊歩していた。 全国総合体育大会(インターハイ)陸上競技目指していた。 その夢がかない、同年齢の九州の宗兄弟と1500mで予選で組違い乍ら出場が叶う。 その後、第81回ボストンマラソンに日本選手双子ランナーでの初の完走に結び付く。 このメロデーを聞く度、これまで多くの嬉しかった事、悲しかったことがありますけれど人生の多くの喜びの曲になりました。 ありがとうそしてばんざい。
お登紀さんの唄う「知床旅情」が大ヒットし始めた頃、森繁久彌さんがテレビ番組で「加藤登紀子さんの唄う知床旅情を聴いて、感動しました。「知床旅情」は、加藤登紀子さんの歌です。」と、おっしゃっていた事を、思い出します。森繁さんの歌も良かったですが、森繁さんが認めたお登紀さんの歌唱力!何度聴いても・・やっぱり、素晴らしい。
この歌は加藤登紀子さんの唄うものが1番好き❤
母が好きな曲です。カラオケで歌ってくれる母の声は一番です。
心に沁みる詩です。他界した母親が大好きな詩で、歳を重ねる度に優しく強かった母に感謝感謝の気持ちでいっぱいです。
私も他界した優しかったお父さんが大好きな曲でした。
@@ママポポン 返信ありがとう御座います。人生って、何か切ないですよね。差し支え無ければ琵琶湖哀歌と言う詩も心に響く詩です。どうかお幸せに
同じく母には感謝しか有りません。
やっぱり やっぱり 加藤さんの 歌は好きです いつまでも 歌い続けてください
日本語の勉強者です。なぜか一番最初覚えた日本の歌はこの曲でした、自分の青春時代を思い出しながら、歌を楽しませていただきます。いい曲でした!
知床は旅行で行きました、歌の通り、いい所ですね!
90近い患者さんがいつも口づさんでいて癒されてます
素敵な時間ですね。
こんなに美しいメロディーと詞の曲を他に知らない。
加藤登紀子さん歌唱に、ピッタリの曲です。この、コラボレーションによって、この歌が、ひときわ輝きました。
🎶いつ聴いても心爽やかになり忘れられない歌です💕
美しい自然を楽しんでいたのに、心が痛みます。知床旅情は名曲です。
祖父が昔からずーっと歌っていて「なんの曲?」と聞いても「知らない」としか言ってもらえず、なんとか聞き取れた歌詞を思い出して検索したらこの曲を見つけました!祖父はすごい東北訛りなのと、勝手に替え歌にしたりして歌うので、まさか最初が「知床」だと思ってなくて驚きました😂最近会えてないのでなんだか懐かしい気持ちになれました。ありがとうございます。
うちは、母が好きでよく歌ってた。
人々の思いを込めた歌 大切にしてください
素晴らしい素晴らしい歌いです
綺麗な詞であり、加藤登紀子さんの綺麗な歌声・・私も若い頃に長崎県の離島で10年ほど仕事の関係で暮らしましたが・・この歌をよく歌っていました。島では、町長選挙など色々な事がありましたが、知床でも同じだろうと想います。4年に一回の町長選挙の時は、その時期だけ人口もかなり増えています。選挙が終われば元の人口にもどります。そんな風にしてまで選挙に勝ちたい気持ちも解ります。最後に島を(島との別れの時。)出るときの、フェリーの車の中で、美しい景色を見ながら、この加藤登紀子さんの知床旅情の歌を歌っていました。追伸です。「フェリーでは、座席の高いトラック・・4トン車でしたので、景色が見えました。普通車なら車からは景色は見えません。」昔は5000人ほどでした。私が居たときは3000人ほどが暮らす島でした。10年間も住んでいれば本当に色々な出来事がありました。旅行で遊びに行けば表面の綺麗なところだけを感じたり見たりする事でしょう。私が10年間、住んで感じた事は島の住民が、違法な事をしたり、美しい景色とは逆に・・裏腹に、あまりにも心が汚いので私は驚きました!!ヽ(゚д゚ヽ)(ノ゚д゚)ノ!!それで、島を出る時のフェリーで綺麗な景色を見ながら、涙がこぼれながら知床旅情を口ずさんだのです❗私も加藤登紀子さんの歌のように旅行で離島に行ったのなら良かった」と想います。
知床大好きな場所です😆また早く行きたいですね。知床五湖、知床峠、知床岬まで船で行きました。知床に行くと心が癒されます😂
糟屋郡です
死んじゃうから、やめなさい。
知床半島から見た⇉薄暮とい現象…夕方海が真っ白に輝く風景感動的でした!加藤さんの♪知床旅情を聴くたびに情景が鮮明に浮かびます😃
久しぶりに聴きましたがやはり加藤登紀子さんの曲は良い曲ですよね👍母に勧められて聴きましたが心に響くし頭に残ります😊たまーに加藤登紀子さんの曲を聞くけどやはり加藤登紀子さんの曲は私の中ではNo.1です💕❣️
@@yukion. こんばんは😊お返事有難う御座います😊嬉しいです😆いえいえ、こちらこそ加藤登紀子さんの曲をあげて頂き誠に有難う御座います😊
@@木村夕貴-y7b 様 ご丁寧な返信ありがとうございます。私も女性歌手では加藤登紀子さんの歌が一番好きです。特に叙情曲は最高です。
叔父が急死しました。昨年の3月には奥さんの叔母が亡くなっています。夫婦で北海道旅行行き、知床岬よかったと言っていました。昨年、葬儀場の霊安室などで歌ってあげました。今回は叔父の葬儀場の会場の棺横で歌ってあげました。喜んでくれているはずです。これからも御仏壇の前でもたまには歌ってあげます。良い曲です。ありがとうございます😊
항상 고향 같은 아름다운 분위기,참 좋습니다, it smacks a kind of nostalgia. I love it so much
코멘트 감사합니다.
遥か大昔、世界遺産前のウトロという港町で夏バイトして恋をして青春した者です。知床峠を越えて太平洋沿いに函館へバイクを走らせました。あの海難は内地民として人一倍悲しい。悲しく辛い。だからこそ悲しいだけの鎮魂歌にしないで欲しい。悲しいだけの歌じゃない。あの地で働き恋をし青春し(あるいは盛大に恥をかき)そんな次世代がまた出てきて欲しい。
始めまして、お早う御座います。最近は暑くなりましたね。突然ですが、私は、加藤登紀子さんの、知床旅情の歌は、今は亡き、親父と、叔母さんの好きな歌でしたね。この歌を聞きますと、親父と、叔母さんを思い出しますね。でわこの辺で失礼致します。令和四年6月(5日筆記。😞🤔
コメント頂きありがとうございます。お父さんと叔母さんの思い出、いつまでも大切にしてください。
素晴らしい人生幸せ感謝ありがとうございます南無阿弥陀仏❤❤❤❤❤❤❤🎉🎉🎉🎉🎉🎉😊😊😊😊😊
高校の頃から聞いています。昭和46年頃・・・。聞くたびに、生きる勇気や優しさを思い出させてくれます。
遊覧船事故の前年に知床旅行しました。遊覧船の中でもこの歌が繰り返し流れていました。
加藤登紀子さんの歌はとても素晴らしい歌いです
昔ベストテンでこの歌が毎週1位なんで又かと飽き飽きしてあまり聞かなかったんですが今聞くたびにいい歌だなと思います
コメント頂きありがとうございます。本当にいい歌だと思います。また、作詞作曲者の歌う森繫久彌さんの森繫節もいいですね。
名曲の一つ、森繁久弥さんの歌が想いを寄せる。
知床に行ったときつい知床旅情が口ぐさみましたとってもいい曲です子守歌に使ってます
加藤登紀子さん歌唱の知床旅情を聴くと、旅情が一段と輝きます。
コメント頂きありがとうございます。おっしゃられる通りですね。澄んだ声が国後島まで届くような感じですね。
とても懐かしい気分になりました。たまたま偶然、おすすめに挙がってきたので見たのですが、とても素敵な動画です。いい曲ですね。
コメント頂きありがとうございます。私も25年前この地方に行きましたが、曲同様素晴らしい処でした。ありがとうございます。
とても大好きな歌です。
名曲というのは時代や背景が変わってもやっぱり名曲であり続けるのだなあと改めて痛感させられました。旅情の歌としても秀逸ですし、鎮魂歌としても立派な名曲として聞こえる事になるとは…
元歌のオホーツクの船唄もまた、鎮魂歌にも聞こえてしまう。特に最後の『いつの日か詣でん御親の墓に』は本当に言葉に詰まる。元々、知床の良い場所や、人の良いところをイキイキと歌ってはいますが、先祖代々国後島で暮らし、父母の墓もある国後島に帰りたいと言う強い思いも込めらた歌でもあります。だから余計に鎮魂歌みたいに聞こえるのかな?オホーツクの海原で起きた今回の痛ましい事故。事故に遭われた方々が、早くご家族の元に帰られる事を祈ります。(それしか出来なくて申し訳ない。)
お登紀の歌を持って今回の事故の鎮魂歌としたい、、🎉
現職時代の夏休みツアーで家族4人北海道旅行をした知床半島にも行ました20年ぶりに行きたくなりました
良い処ですね。私は22年程前、妻といきました。女満別空港でレンタカーを借り網走~原生花園~斜里町~ウトロ~カムイワッカ湯の滝~知床大橋から引き返して知床峠~羅臼~相泊漁港~中標津町~摩周湖~美帆峠~女満別空港と回りました。カムイワッカ湯の滝、羅臼の熊の湯にも浸かり満喫しました。またウトロの漁港で食べたうに丼は最高でした。当時は大阪から女満別空港まで直行便がありました。私ももう一度行きたい気持ちです。
この曲聴くとまた北海道ツーリング行きたくなる🏍高校時代の友人達と3人でボロバイクに乗って道内一周したのは良い思い出です。
知床の岬に はまなすの咲く頃思い出しておくれ 俺たちのことを飲んで騒いで 丘にのぼればはるかクナシリに 白夜は明ける旅の情か 酔うほどにさまよい浜に出てみれば 月は照る波の上今宵こそ君を 抱きしめんと岩影に寄れば ピカリが笑う別れの日は来た ラウスの村にも君は出てゆく 峠をこえて忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん私を泣かすな 白いかもめよ白いかもめよ
ピカリではなくピリカ(アイヌ語で良い、美しいのような意味の言葉)ですね。
この曲を初めて聴いた当時、いっぺんに気に入り小学生高学年の私はすぐにEPレコードを購入し、何十回と聴いたことか。当時の歌謡曲は愛だ恋だという曲が流行しており、まだ恋愛に目覚めていない私にはもう一つしっくりこなかった。そこへ歌唱力のある加藤登紀子が、まだ当時それほど皆が知らない知床の旅情歌を歌い、耳からウロコが落ちた。その後約25年後に知床遊覧船に乗り、観光バスで羅臼の町の上を通り、その豊かな自然に浸った。今でも旅情を歌った歌の中でも最高の曲だと思う。それにしても、他の方も言っておられるように1年半前の知床観光船の事故は痛ましすぎる。この曲を亡くなられた方への鎮魂歌として捧げたい。
コメント頂きありがとうございます。懐かしい思い出のいっぱい詰まった曲なのですね。羨ましいです。
北海道が永遠に歌い次がれなければ、いけない名曲🙇
青春時代レコードで聞いていました。昭和46年の大ヒット曲、本当に懐かしい。この年は本当にヒット曲が多い年でした。
この歌は懐かしいいうたですね。ちよっとかなしくなりますね。
加藤登紀子さんの『知床旅情』を聴くと、羅臼等旅先の情景を思い浮かべます。😢😮
網走から眺めた知床岬を思い出しています!
私に母も加藤登紀子が好きでしたね!
福岡大ワンダーフォーゲル部の方々が、出発前にリーダーの家で唄っていたとリーダーのお母さんの話があり、忘れられないですね。部活昇進を賭けた、楽しみでもあった山登りで羆と遭遇して悲惨な事故になるなんて。ご冥福をお祈りします。
今でも大好きな歌ですトラック野郎シリーズで聞いてから好きになり年中歌ってます
素晴らしい自然を歌った知床のうた、いいなあ。
北海道を愛する者として恐怖の時間の前に「クマさんがいた!」「大きな鳥さんが飛んでる!」と楽しくはしゃいだひと時があったと信じたい。
札幌生まれですが知床は2回しかいったことがありません。青森から仙台に旅するほど遠いのですから。でもあそこで食べた海老のおいしさと安さは忘れません。この歌は大好きです。
コメント頂きありがとうございます。私は大阪で住んでいますが、現役の頃は仕事がら北海道の各処に行きましたが、知床は26年前の一度だけです。それも会社の30年勤続で頂いた旅行クーポンで家内と。関西空港から女満別空港に行き、そこからレンタカーで網走ー原生花園ー斜里町(ここで一泊目)ーウトロー知床五湖ーカムイワッカ湯の滝ー更に奥の知床大橋ーウトロ(ここで二泊目)ー知床峠を越え羅臼町ー相泊漁港ー標津町ー摩周湖ー美幌峠ー女満別空港とまわりました。きつかったですが、歌詞の通り素晴らしかったです。ウトロ漁港と羅臼町のうに丼が絶品でした。しかし二泊三日で35万円が消えました。
丁度、一年前の三日後に知床遊覧船の隣のクルーズドルフィンを利用しました。当時は波はなく、ベタナギの状況で羆の親子連れが見え、またシャチも船舶近くまで確認することが出来、満足ゆく三時間でした。 今回の事故、本当に心が痛みます。 未だに見つかっていない方々を早急に見つけてご家族の元へと願っております。
久しぶりに聴きたくなりました。イヤー胸に来ました…
運行会社「知床遊覧船」社長はともかく、森繁社長が歌う「知床旅情」は不変の名曲です‼️
ほんとに良い歌❗️癒されます歌い継がれるべき歌です❗️不幸な事故とは無関係だと思いますよ 遊覧船に乗ったお客さんたちも自然を満喫したかっただろうに(泣)悪いのは自然を甘く見て金儲けに走ったあの会社、あの社長❗️犠牲者にお悔やみ申し上げます
関西から女満別空港にLCCが就航したので、早速行ってきました!!羅臼もウトロも人がのんびりしていてめっちゃ和ませてもらいました!!夜になるとカモメの鳴き声が不気味に聞こえる時がありましたが…笑今度は冬の流氷が来る季節に行きたいです!!
関西から女満別空港が就航したのですね。私が行ったときから一時就航しなくなった時期があったのですが。
私も関西ですが女満別は諦めてました。先週行ってきましたがいいところですね良ければ動画みてください
@@bumps2009 様 コメント頂きありがとうございます。早速、動画拝見させていただきました。23年程前に私が行ったのとほぼ同じようなコースですね。サクラマスの滝の遡上、生命力に溢れ感動です🤩👌。私事、これに比べキタキツネは今一つ。斜里に向かうほとんど車の来ない一本道、道路の真ん中にキタキツネが逃げようともせず座っていました。斜里のガソリンスタンドでこの事を言うと、「お客さん、あれは餌を貰おう待ってるんですよ。観光客が餌をやるからこんなことになったしまった。困ったもんですよ。お客さん、絶対に餌はやらないでくださいね!」と言われました。さらに私事、この時、勤続30年ということで会社が30万円の旅行券をくれたのですが、妻と二人、二泊三日で全てなくなりました。外国にとも思いましたが、やはり知床の方が良かったと思います。
今回の事故に遭われた方々全員が一日も早くご家族の元へ帰られる事を願います。オホーツクの船唄や、知床旅情は北海道知床の良い時や、良い所、自然の厳しさをつぶさにに歌ってる様に思います。それだけに今回の事故は辛いな。海は、まだまだ冷たかったろうな。遺族でもないのに、烏滸がましいのは自分で分かってますが、悔しい思いに駆られる。命を大切に安全を第一にしていれば、こんな悲劇にはならなかったのにな。悔しいな。
知床旅情とっても好きな曲です。行ったことはないけれど、雄大な自然があって良いところだと聞いてます。これからは、悲しく響くかと思うと…。辛すぎます。
コメント頂きありがとうございます。北海道は現役時代仕事の関係であちらこちらと行きましたが、知床は25年前(1997年)に行ったのが初めてでその後は行ったことがありません。陸路はレンタカーでカムイワッカ湯の滝から知床大橋まで足を延ばしました。更に知床峠を越え羅臼からに日本最北東突端地まで足を運びました。その自然は素晴らしく感嘆そのものでした。羅臼からは国後島が間近に見え、なぜあそこがロシア(実効支配)なんだと嘆いたものです。またウトロからは今回の悲しい事故のあった遊覧船にも乗りました(事故のあった船とは違うと思うのですが)。もっと大きい船だった思います。甲板上で手の平にホップコーンをのせるとカモメが上手にとっていきました。それを思うと、今回被害に遭われた方々にご冥福をお祈りいたします次第です。ただ、知床旅情は主に半島の東側を主体に歌ったものだと思います。事故はオホーツク海側の海上で起こりましたので、知床旅情とはちょっと意味合いが違うのかなと私は思うのですが。
@@yukion. ご丁寧に、コメントありがとうございました🙏私は北海道にももちろん知床にも足を運んだことはありません。ホントに歌詞のイメージしか知る術はありませんでした。ありがとうございました😌
森繁久彌さんの、人間性がモロに出た歌ですね。しかし一人の俳優が作ったとは思えぬ素晴らしい歌かと。加藤登紀子さんの歌唱力で、万人が感動する類稀な名曲になりました。
コメント頂きありがとうございます。確かに森繫久彌さんの人間性そのものの歌ですね。この歌は森繫久彌が歌ったものでもいろいろな歌い方がありますが、私はその中で、「ずうずう弁」的な歌い方のものが好きです。。加藤登紀子さんの澄んだ声ももちろんですが。
夜働いてるときお客さん(中学の時の恩師)が歌ってたので耳に残っていました。今回の事故でこの歌を思い出しました。歌っていた先生もちょっと前にお亡くなりになりました😭聞きながら涙が止まりません。
今回の事故が時には牙をむくことになってしまった・・・優雅な歌の中に自然の厳しさが宿る
別れの日は来た、、忘れちゃ嫌だよ 私を泣かすな犠牲になった方々は、白いカモメになって羽ばたいて行ったのですね。
知床旅情の元歌である、オホーツクの船唄の最後の歌詞で、『霞むクナシリ我が故郷いつの日か詣でむ御親の墓に』とあります。親の墓参りすら自由に出来ない。私は、今回の事故で知床半島からみて、霞むクナシリでは、行方不明者を捜索するのにロシアの『許可』が要ること、流れ着いた遺体を遺族が自由に確認しにも行けない事実を歯痒く思う。早くしないと、更に判別が困難になり得るのに。
加藤登紀子さんの歌が大好きです、これからもずっと応援しておりますがんばって下さいね。
ストレスが多い時代加藤登紀子さんの歌を聴いていると心が癒やされます私は琵琶湖哀愁の歌琵琶湖が近くて大好きです。
知床に行った時、この歌がずっと心の中で流れていました。雄大な自然、素晴らしい景色、加藤登紀子さんの歌声がやっぱり一番好きです。
知床は何回か行きました娘に子守歌によく歌いすぐにお休みしてましたまた今回の事故にわごめん服を祈ります
今度、福祉施設の体験でこの曲を歌うことになって、とてもいい曲だなーと感じました。
25歳の頃勤めていた会社の転勤で札幌に来た時のことを思い出します🍀北海道の素朴さと何ともいえない解放感にこの歌を重ね合わせてずっと住みたいなぁと思いました
歌う声が好き加藤登紀子
ほんとにうっとりするような声ですね。それに叙情感たっぷりです。
あるチャンネルを拝見して、加藤さんのお人柄を知り、ファンになりました。素敵な女性ですね。
急に聞きたくなりこの動画に辿り着きました。若い頃は何とも思わなかった曲だけど、ある程度、年齢を重ねて聞いてみると、しんみりきますね😊
私の幼少期によく聴いた加藤登紀子さんのヒット曲ですね。懐かしい❤
私の青春の思い出の歌、懐かしい時代でした。涙が止まりません。あの時愛した彼女は今はこの世にいない。寂しい気持ち。張作霖
知床旅情の歌好きです。北海道ですね😃
加藤さんのコンサートで聴きました。カラオケでもよく歌いました。
Beautiful song
知床に行った時に、望遠鏡で沖を眺めていたら、うっすらと島影が見えて、あれが国後島と説明され、国境の島なんだなぁ~と思い知らされました。
とても良い歌ですね…しかしあんな悲惨なことになるとは…亡くなられた方々の魂の平安とご遺族の慰めを祈ります。社長さんが観光業従事者として、自然界を甘くみていたことが残念でなりません。人の命に対してもっと真摯に向き合ってほしかったな…
私がオートバイで18歳の時日本一周の途中佐呂間ユースホステルではじめて歌った想いでの歌です
北海道にはなかなか行く機会がなくて残念です、あの雄大な自然、緑の豊かさ、何時かは満喫してみたいと思っています知床に限らず稚内、小樽、室戸何時かは行ってみたいと思います
今回お亡くなりになった方々のご冥福を心からお祈りいたしますね。苦しかったと思いますが安らかにお休みください。まだ見つからないご遺体も早く見つかることをお祈りいたします。
知床旅情この曲いつ聞いても心をなぐませてくれますね思い出す事(15年前)定年退職の思い出に車で羅臼の峠を越えた事が瞼に浮かんで来ます素晴らしい曲です配信ありがとうございます
是非今後もこの知床旅情を歌ってほしいです
ずいぶん昔に加藤登紀子さんのコンサートに行ったことがあります。今月末ににっぽん丸に小樽から乗船して利尻、知床(羅臼)を4日間クルーズしますが、加藤さんも乗船され歌声を聴けます。北海道大好きなので、利尻も知床も何度も行っていますが、加藤さんと会えることで特別な旅になりそうです。楽しみです。北海道に関する歌は私のお風呂での愛唱歌です。
コメント頂きありがとうございます。私はもう後期高齢者となりましたが、青春時代から加藤さんの歌が好きで、よく聴きました。特に叙情歌が好きです。私も知床半島には行きましたが、クルーズ船で加藤さんの歌を聴けるなんて羨ましいです。私は年甲斐もなく藤あや子さんの会員制「クラブ藤」に入っておりまして、数年前、やはりクルーズ船でのイベントがありましたが、体調不良のため参加できませんでした。楽しんできてくださいね。
Love this song.
亡くなられた方々の魂にもこの素晴らしいメロディが届きますように…
コメント頂きありがとうございます。本当にそうねがいますね。
素晴らしいうr。
I like this song
昭和35年に出来ていた曲だなんて。森繁さんは当時どの様に行ったのでしょう。私は今70歳で有りますが、知床への憧れを胸に今年は関東から夏バイクで行くつもりです。知床の峠を越えて。
コメント頂きありがとうございます。頑張ってください。私は、30年歩前に行きましたが、現在は随分と変わっている様子だそうですね。
亡くなったおとうさんを思い出す曲です。ロマンチックな歌。❤2人で行きたかった。😢❤😂
あの頃乗った知床観光船の船内にこの歌が流れていました…
一つの曲で、音楽で、色んな想いが、あるんですね、、、、特別な気持ち、、、が、人間て、同じように、共感出来たり、文字だけでも、反発したり、不思議だな〜😮
この曲いつ聴いても心に響く。
こちらこそ良い曲をアップしてくださり有り難う御座いました。@@yukion.
@@marinara680 様 ご丁寧な返信ありがとうございます。
高輪のお寺さんの山門に登紀子さんの書が有りました!中学卒業の歌です~🌸
追伸ですが、私は、今回の、北海道の、しれと観光船の事故で、犠牲になりました人の、ご冥福をお祈りします。😞🤔
私もお悔やみとご冥福をお祈りいたします次第です。また、私も25年前家内と知床の観光船に乗りました。その時の船は大きく頑丈そうでした。調べてみましたら、私が乗った船はオホーツク海の流氷観光用の砕氷船だったようです。流氷のない季節にはウトロから知床半島の観光船として運用されていたようです。(現在は分かりませんが)砕氷船は頑丈で馬力が大きいため推進力があり、荒波を乗り切ることができます。そのような船でも今回の気象状況下では出港を見合わせたと聞きます。にもかかわらず出港し、事故に至ったことが悔やまれます。
突然やってきたタヒの現実恐怖わかったでしょう。苦しかったでしょう。心情を思って戰慄いたします
そんなに頻繁に読点を入れる必要はありません。ちなみに年配の方はどうしてそんなに読点を入れるのですか。
事故のこと、気にかけてくださり有り難うございます。実は、、、身内が未だ見つかりません。知床は悪くありません。
辛いですよね😢でも、知床自体を忘れないで欲しいです😢ある意味、知床の何処かにずっと生き続けるべき歌なのです❤北海道🐮🍦🍜
この歌は淋しさを歌っていると思います私は大好きです。
小6の秋に亡くなった母がよく洗濯をしながら歌っていました。あれから45年経ちますが、この歌を聴く度に優しかった母を思いだします。いつの間にか頭も真っ白になり亡くなった母より歳をとりましたが大好きな母の息子です。
コメント頂きありがとうございます。遠い日々を思い出してくれる歌は素敵ですね。きっと素晴らしいお母さまでしたんですね。
그시절이 그립읍니다.😅
勝手に男泣きしました。
お母さんが亡くなられても、思い出の中に生きておられるし永遠にお母さんの息子ですよ。
素晴らしい思い出大切にして下さい。張作霖
北海道生まれの68歳老人は、最も北海道の中の北海道は何処か?最も勧める北海道の場所は何処か?と関西人に聞かれることがある。迷わず、それは知床だと応える。いい歌のUPに感謝。
コメント頂きありがとうございます。
昨年秋に亡くなった父が
私が小1の頃入浴中によく歌っていました。
頑固な所がありましたが優しい父を思い出し涙が止まりませんでした😭
アップしてくださりありがとうございます。
コメント頂きありがとうございます。
憧れの知床にやって来て、この歌を口ずさみながら、遊覧船の旅を楽しまれておられたのでしょう。
まさかあんな悲惨な事になるなんて。
心より犠牲者の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
45年程前になりますが、誰一人いない羅臼岳の山頂で思いっきり知床旅情歌いました。この頃まだ知床横断道路はなかったように思います。私は羅臼岳を越えて横断しました。数年後、羅臼岳にもう一度登りました。知床半島、加藤登紀子の知床旅情良いですね。
53年前に私も行きました
@@孝司松本-q5p なか
50年前の学生の頃知床半島と野付半島に行きました。
私も、55年前、懐かしいです✨
標津(しべつ)高等学校時代 3年間バス通学をした。 その時 まさにこの時 「知床旅情」が大ヒット。
私が毎日乗るバスは知床半島の路線バスだった。 大きなリックを背負った 「カニ族」と呼ばれる若者が闊歩していた。
全国総合体育大会(インターハイ)陸上競技目指していた。 その夢がかない、同年齢の九州の宗兄弟と1500mで予選で組違い乍ら出場が叶う。
その後、第81回ボストンマラソンに日本選手双子ランナーでの初の完走に結び付く。 このメロデーを聞く度、これまで多くの嬉しかった事、悲しかったことがありますけれど人生の多くの喜びの曲になりました。 ありがとうそしてばんざい。
お登紀さんの唄う「知床旅情」が大ヒットし始めた頃、森繁久彌さんがテレビ番組で「加藤登紀子さんの唄う知床旅情を聴いて、感動しました。「知床旅情」は、加藤登紀子さんの歌です。」と、おっしゃっていた事を、思い出します。森繁さんの歌も良かったですが、森繁さんが認めたお登紀さんの歌唱力!何度聴いても・・やっぱり、素晴らしい。
この歌は加藤登紀子さんの唄うものが1番好き❤
母が好きな曲です。カラオケで歌ってくれる母の声は一番です。
心に沁みる詩です。他界した母親が大好きな詩で、歳を重ねる度に優しく強かった母に感謝感謝の気持ちでいっぱいです。
私も他界した優しかったお父さんが大好きな曲でした。
@@ママポポン 返信ありがとう御座います。人生って、何か切ないですよね。差し支え無ければ琵琶湖哀歌と言う詩も心に響く詩です。どうかお幸せに
同じく母には感謝しか有りません。
やっぱり やっぱり 加藤さんの 歌は好きです いつまでも 歌い続けてください
日本語の勉強者です。なぜか一番最初覚えた日本の歌はこの曲でした、自分の青春時代を思い出しながら、歌を楽しませていただきます。いい曲でした!
コメント頂きありがとうございます。
知床は旅行で行きました、歌の通り、いい所ですね!
90近い患者さんがいつも口づさんでいて癒されてます
素敵な時間ですね。
こんなに美しいメロディーと詞の曲を他に知らない。
加藤登紀子さん歌唱に、ピッタリの曲です。この、コラボレーションによって、この歌が、ひときわ輝きました。
🎶いつ聴いても
心爽やかになり
忘れられない歌です💕
美しい自然を楽しんでいたのに、心が痛みます。
知床旅情は名曲です。
祖父が昔からずーっと歌っていて「なんの曲?」と聞いても「知らない」としか言ってもらえず、なんとか聞き取れた歌詞を思い出して検索したらこの曲を見つけました!
祖父はすごい東北訛りなのと、勝手に替え歌にしたりして歌うので、まさか最初が「知床」だと思ってなくて驚きました😂
最近会えてないのでなんだか懐かしい気持ちになれました。ありがとうございます。
うちは、母が好きでよく歌ってた。
人々の思いを込めた歌 大切にしてください
素晴らしい素晴らしい歌いです
綺麗な詞であり、加藤登紀子さんの綺麗な歌声・・私も若い頃に長崎県の離島で10年ほど仕事の関係で暮らしましたが・・この歌をよく歌っていました。
島では、町長選挙など色々な事がありましたが、知床でも同じだろうと想います。
4年に一回の町長選挙の時は、その時期だけ人口もかなり増えています。選挙が終われば元の人口にもどります。そんな風にしてまで選挙に勝ちたい気持ちも解ります。
最後に島を(島との別れの時。)出るときの、フェリーの車の中で、美しい景色を見ながら、この加藤登紀子さんの知床旅情の歌を歌っていました。
追伸です。
「フェリーでは、座席の高いトラック・・4トン車でしたので、景色が見えました。普通車なら車からは景色は見えません。」
昔は5000人ほどでした。私が居たときは3000人ほどが暮らす島でした。
10年間も住んでいれば本当に色々な出来事がありました。
旅行で遊びに行けば表面の綺麗なところだけを感じたり見たりする事でしょう。私が10年間、住んで感じた事は島の住民が、違法な事をしたり、美しい景色とは逆に・・裏腹に、あまりにも心が汚いので私は驚きました!!ヽ(゚д゚ヽ)(ノ゚д゚)ノ!!
それで、島を出る時のフェリーで綺麗な景色を見ながら、涙がこぼれながら知床旅情を口ずさんだのです❗私も加藤登紀子さんの歌のように旅行で離島に行ったのなら良かった」と想います。
知床大好きな場所です😆また早く行きたいですね。知床五湖、知床峠、知床岬まで船で行きました。知床に行くと心が癒されます😂
糟屋郡です
死んじゃうから、やめなさい。
知床半島から見た⇉薄暮とい現象…夕方海が真っ白に輝く風景感動的
でした!加藤さんの♪知床旅情を聴くたびに情景が鮮明に浮かびます😃
久しぶりに聴きましたがやはり加藤登紀子さんの曲は良い曲ですよね👍
母に勧められて聴きましたが心に響くし頭に残ります😊たまーに加藤登紀子さんの曲を聞くけどやはり加藤登紀子さんの曲は私の中ではNo.1です💕❣️
コメント頂きありがとうございます。
@@yukion.
こんばんは😊お返事有難う御座います😊嬉しいです😆いえいえ、こちらこそ加藤登紀子さんの曲をあげて頂き誠に有難う御座います😊
@@木村夕貴-y7b 様 ご丁寧な返信ありがとうございます。私も女性歌手では加藤登紀子さんの歌が一番好きです。特に叙情曲は最高です。
叔父が急死しました。
昨年の3月には奥さんの叔母が亡くなっています。
夫婦で北海道旅行行き、知床岬よかったと言っていました。
昨年、葬儀場の霊安室などで歌ってあげました。
今回は叔父の葬儀場の会場の棺横で歌ってあげました。
喜んでくれているはずです。
これからも御仏壇の前でもたまには歌ってあげます。
良い曲です。
ありがとうございます😊
항상 고향 같은 아름다운 분위기,참 좋습니다, it smacks a kind of nostalgia. I love it so much
코멘트 감사합니다.
遥か大昔、世界遺産前のウトロという港町で夏バイトして恋をして青春した者です。
知床峠を越えて太平洋沿いに函館へバイクを走らせました。
あの海難は内地民として人一倍悲しい。
悲しく辛い。
だからこそ悲しいだけの鎮魂歌にしないで欲しい。
悲しいだけの歌じゃない。
あの地で働き恋をし青春し(あるいは盛大に恥をかき)
そんな次世代がまた出てきて欲しい。
始めまして、お早う御座います。最近は暑くなりましたね。突然ですが、私は、加藤登紀子さんの、知床旅情の歌は、今は亡き、親父と、叔母さんの好きな歌でしたね。この歌を聞きますと、親父と、叔母さんを思い出しますね。でわこの辺で失礼致します。令和四年6月(5日筆記。😞🤔
コメント頂きありがとうございます。お父さんと叔母さんの思い出、いつまでも大切にしてください。
素晴らしい人生幸せ感謝ありがとうございます南無阿弥陀仏❤❤❤❤❤❤❤🎉🎉🎉🎉🎉🎉😊😊😊😊😊
高校の頃から聞いています。昭和46年頃・・・。
聞くたびに、生きる勇気や優しさを思い出させてくれます。
遊覧船事故の前年に知床旅行しました。遊覧船の中でもこの歌が繰り返し流れていました。
コメント頂きありがとうございます。
加藤登紀子さんの歌はとても素晴らしい歌いです
昔ベストテンでこの歌が毎週1位なんで又かと飽き飽きしてあまり聞かなかったんですが今聞くたびにいい歌だなと思います
コメント頂きありがとうございます。本当にいい歌だと思います。また、作詞作曲者の歌う森繫久彌さんの森繫節もいいですね。
名曲の一つ、森繁久弥さんの歌が想いを寄せる。
知床に行ったときつい知床旅情が口ぐさみましたとってもいい曲です子守歌に使ってます
コメント頂きありがとうございます。
加藤登紀子さん歌唱の知床旅情を聴くと、旅情が一段と輝きます。
コメント頂きありがとうございます。おっしゃられる通りですね。澄んだ声が国後島まで届くような感じですね。
とても懐かしい気分になりました。たまたま偶然、おすすめに挙がってきたので見たのですが、とても素敵な動画です。いい曲ですね。
コメント頂きありがとうございます。私も25年前この地方に行きましたが、曲同様素晴らしい処でした。ありがとうございます。
とても大好きな歌です。
名曲というのは時代や背景が変わってもやっぱり名曲であり続けるのだなあと改めて痛感させられました。
旅情の歌としても秀逸ですし、鎮魂歌としても立派な名曲として聞こえる事になるとは…
元歌のオホーツクの船唄もまた、鎮魂歌にも聞こえてしまう。
特に最後の『いつの日か詣でん御親の墓に』は本当に言葉に詰まる。
元々、知床の良い場所や、人の良いところをイキイキと歌ってはいますが、先祖代々国後島で暮らし、父母の墓もある国後島に帰りたいと言う強い思いも込めらた歌でもあります。
だから余計に鎮魂歌みたいに聞こえるのかな?
オホーツクの海原で起きた今回の痛ましい事故。
事故に遭われた方々が、早くご家族の元に帰られる事を祈ります。
(それしか出来なくて申し訳ない。)
お登紀の歌を持って今回の事故の鎮魂歌としたい、、🎉
現職時代の夏休みツアーで家族4人北海道旅行をした知床半島にも行ました
20年ぶりに行きたくなりました
良い処ですね。私は22年程前、妻といきました。女満別空港でレンタカーを借り
網走~原生花園~斜里町~ウトロ~カムイワッカ湯の滝~知床大橋から引き返して知床峠~羅臼~相泊漁港~中標津町~摩周湖~美帆峠~女満別空港と回りました。カムイワッカ湯の滝、羅臼の熊の湯にも浸かり満喫しました。またウトロの漁港で食べたうに丼は最高でした。当時は大阪から女満別空港まで直行便がありました。私ももう一度行きたい気持ちです。
この曲聴くとまた北海道ツーリング行きたくなる🏍
高校時代の友人達と3人でボロバイクに乗って道内一周したのは良い思い出です。
知床の岬に はまなすの咲く頃
思い出しておくれ 俺たちのことを
飲んで騒いで 丘にのぼれば
はるかクナシリに 白夜は明ける
旅の情か 酔うほどにさまよい
浜に出てみれば 月は照る波の上
今宵こそ君を 抱きしめんと
岩影に寄れば ピカリが笑う
別れの日は来た ラウスの村にも
君は出てゆく 峠をこえて
忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん
私を泣かすな 白いかもめよ
白いかもめよ
ピカリではなくピリカ(アイヌ語で良い、美しいのような意味の言葉)ですね。
この曲を初めて聴いた当時、いっぺんに気に入り小学生高学年の私はすぐにEPレコードを購入し、何十回と聴いたことか。当時の歌謡曲は愛だ恋だという曲が流行しており、まだ恋愛に目覚めていない私にはもう一つしっくりこなかった。そこへ歌唱力のある加藤登紀子が、まだ当時それほど皆が知らない知床の旅情歌を歌い、耳からウロコが落ちた。その後約25年後に知床遊覧船に乗り、観光バスで羅臼の町の上を通り、その豊かな自然に浸った。今でも旅情を歌った歌の中でも最高の曲だと思う。それにしても、他の方も言っておられるように1年半前の知床観光船の事故は痛ましすぎる。この曲を亡くなられた方への鎮魂歌として捧げたい。
コメント頂きありがとうございます。懐かしい思い出のいっぱい詰まった曲なのですね。羨ましいです。
北海道が永遠に歌い次がれなければ、いけない名曲🙇
青春時代レコードで聞いていました。昭和46年の大ヒット曲、本当に懐かしい。この年は本当にヒット曲が多い年でした。
この歌は懐かしいいうたですね。ちよっとかなしくなりますね。
コメント頂きありがとうございます。
加藤登紀子さんの『知床旅情』を聴くと、羅臼等旅先の情景を思い浮かべます。😢😮
網走から眺めた知床岬を思い出しています!
私に母も加藤登紀子が好きでしたね!
福岡大ワンダーフォーゲル部の方々が、出発前にリーダーの家で唄っていたとリーダーのお母さんの話があり、忘れられないですね。部活昇進を賭けた、楽しみでもあった山登りで羆と遭遇して悲惨な事故になるなんて。ご冥福をお祈りします。
今でも大好きな歌ですトラック野郎シリーズで聞いてから好きになり年中歌ってます
素晴らしい自然を歌った知床のうた、いいなあ。
北海道を愛する者として恐怖の時間の前に「クマさんがいた!」「大きな鳥さんが飛んでる!」と楽しくはしゃいだひと時があったと信じたい。
札幌生まれですが知床は2回しかいったことがありません。青森から仙台に旅するほど遠いのですから。でもあそこで食べた海老のおいしさと安さは忘れません。この歌は大好きです。
コメント頂きありがとうございます。
私は大阪で住んでいますが、現役の頃は仕事がら北海道の各処に行きましたが、知床は26年前の一度だけです。それも会社の30年勤続で頂いた旅行クーポンで家内と。関西空港から女満別空港に行き、そこからレンタカーで網走ー原生花園ー斜里町(ここで一泊目)ーウトロー知床五湖ーカムイワッカ湯の滝ー更に奥の知床大橋ーウトロ(ここで二泊目)ー知床峠を越え羅臼町ー相泊漁港ー標津町ー摩周湖ー美幌峠ー女満別空港とまわりました。きつかったですが、歌詞の通り素晴らしかったです。ウトロ漁港と羅臼町のうに丼が絶品でした。しかし二泊三日で35万円が消えました。
丁度、一年前の三日後に知床遊覧船の隣のクルーズドルフィンを利用しました。当時は波はなく、ベタナギの状況で羆の親子連れが見え、またシャチも船舶近くまで確認することが出来、満足ゆく三時間でした。
今回の事故、本当に心が痛みます。 未だに見つかっていない方々を早急に見つけてご家族の元へと願っております。
久しぶりに聴きたくなりました。イヤー胸に来ました…
運行会社「知床遊覧船」社長はともかく、森繁社長が歌う「知床旅情」は不変の名曲です‼️
ほんとに良い歌❗️癒されます
歌い継がれるべき歌です❗️
不幸な事故とは無関係だと思いますよ 遊覧船に乗ったお客さんたちも自然を満喫したかっただろうに(泣)
悪いのは自然を甘く見て金儲けに走ったあの会社、あの社長❗️
犠牲者にお悔やみ申し上げます
関西から女満別空港にLCCが就航したので、早速行ってきました!!羅臼もウトロも人がのんびりしていてめっちゃ和ませてもらいました!!
夜になるとカモメの鳴き声が不気味に聞こえる時がありましたが…笑
今度は冬の流氷が来る季節に行きたいです!!
関西から女満別空港が就航したのですね。私が行ったときから一時就航しなくなった時期があったのですが。
私も関西ですが女満別は諦めてました。
先週行ってきましたがいいところですね
良ければ動画みてください
@@bumps2009 様 コメント頂きありがとうございます。早速、動画拝見させていただきました。23年程前に私が行ったのとほぼ同じようなコースですね。サクラマスの滝の遡上、生命力に溢れ感動です🤩👌。
私事、これに比べキタキツネは今一つ。斜里に向かうほとんど車の来ない一本道、道路の真ん中にキタキツネが逃げようともせず座っていました。斜里のガソリンスタンドでこの事を言うと、「お客さん、あれは餌を貰おう待ってるんですよ。観光客が餌をやるからこんなことになったしまった。困ったもんですよ。お客さん、絶対に餌はやらないでくださいね!」と言われました。
さらに私事、この時、勤続30年ということで会社が30万円の旅行券をくれたのですが、妻と二人、二泊三日で全てなくなりました。
外国にとも思いましたが、やはり知床の方が良かったと思います。
今回の事故に遭われた方々全員が一日も早くご家族の元へ帰られる事を願います。
オホーツクの船唄や、知床旅情は北海道知床の良い時や、良い所、自然の厳しさをつぶさにに歌ってる様に思います。
それだけに今回の事故は辛いな。
海は、まだまだ冷たかったろうな。
遺族でもないのに、烏滸がましいのは自分で分かってますが、悔しい思いに駆られる。
命を大切に安全を第一にしていれば、こんな悲劇にはならなかったのにな。
悔しいな。
知床旅情とっても好きな曲です。行ったことはないけれど、雄大な自然があって良いところだと聞いてます。これからは、悲しく響くかと思うと…。辛すぎます。
コメント頂きありがとうございます。
北海道は現役時代仕事の関係であちらこちらと行きましたが、知床は25年前(1997年)に行ったのが初めてでその後は行ったことがありません。陸路はレンタカーでカムイワッカ湯の滝から知床大橋まで足を延ばしました。更に知床峠を越え
羅臼からに日本最北東突端地まで足を運びました。その自然は素晴らしく感嘆そのものでした。羅臼からは国後島が間近に見え、なぜあそこがロシア(実効支配)なんだと嘆いたものです。
またウトロからは今回の悲しい事故のあった遊覧船にも乗りました(事故のあった船とは違うと思うのですが)。もっと大きい船だった思います。甲板上で手の平にホップコーンをのせるとカモメが上手にとっていきました。それを思うと、今回被害に遭われた方々にご冥福をお祈りいたします次第です。
ただ、知床旅情は主に半島の東側を主体に歌ったものだと思います。事故はオホーツク海側の海上で起こりましたので、知床旅情とはちょっと意味合いが違うのかなと私は思うのですが。
@@yukion.
ご丁寧に、コメントありがとうございました🙏
私は北海道にももちろん知床にも足を運んだことはありません。ホントに歌詞のイメージしか知る術はありませんでした。
ありがとうございました😌
森繁久彌さんの、人間性がモロに出た歌ですね。しかし一人の俳優が作ったとは思えぬ素晴らしい歌かと。加藤登紀子さんの歌唱力で、万人が感動する類稀な名曲になりました。
コメント頂きありがとうございます。確かに森繫久彌さんの人間性そのものの歌ですね。この歌は森繫久彌が歌ったものでもいろいろな歌い方がありますが、私はその中で、「ずうずう弁」的な歌い方のものが好きです。。加藤登紀子さんの澄んだ声ももちろんですが。
夜働いてるときお客さん(中学の時の恩師)が歌ってたので耳に残っていました。今回の事故でこの歌を思い出しました。歌っていた先生もちょっと前にお亡くなりになりました😭聞きながら涙が止まりません。
今回の事故が時には牙をむくことになってしまった・・・
優雅な歌の中に自然の厳しさが宿る
別れの日は来た、、忘れちゃ嫌だよ 私を泣かすな
犠牲になった方々は、白いカモメになって羽ばたいて行ったのですね。
知床旅情の元歌である、オホーツクの船唄の最後の歌詞で、『霞むクナシリ我が故郷いつの日か詣でむ御親の墓に』とあります。
親の墓参りすら自由に出来ない。
私は、今回の事故で知床半島からみて、霞むクナシリでは、行方不明者を捜索するのにロシアの『許可』が要ること、流れ着いた遺体を遺族が自由に確認しにも行けない事実を歯痒く思う。
早くしないと、更に判別が困難になり得るのに。
加藤登紀子さんの歌が大好きです、これからもずっと応援しておりますがんばって下さいね。
ストレスが多い時代加藤登紀子さんの歌を聴いていると心が癒やされます私は琵琶湖哀愁の歌琵琶湖が近くて大好きです。
知床に行った時、この歌がずっと心の中で流れていました。雄大な自然、素晴らしい景色、加藤登紀子さんの歌声がやっぱり一番好きです。
知床は何回か行きました娘に子守歌によく歌いすぐにお休みしてましたまた今回の事故にわごめん服を祈ります
今度、福祉施設の体験でこの曲を歌うことになって、とてもいい曲だなーと感じました。
コメント頂きありがとうございます。
25歳の頃勤めていた会社の転勤で札幌に来た時のことを思い出します🍀北海道の素朴さと何ともいえない解放感にこの歌を重ね合わせてずっと住みたいなぁと思いました
歌う声が好き加藤登紀子
ほんとにうっとりするような声ですね。それに叙情感たっぷりです。
あるチャンネルを拝見して、加藤さんのお人柄を知り、ファンになりました。素敵な女性ですね。
急に聞きたくなりこの動画に辿り着きました。
若い頃は何とも思わなかった曲だけど、
ある程度、年齢を重ねて聞いてみると、しんみりきますね😊
私の幼少期によく聴いた加藤登紀子さんのヒット曲ですね。懐かしい❤
私の青春の思い出の歌、懐かしい時代でした。涙が止まりません。あの時愛した彼女は今はこの世にいない。寂しい気持ち。張作霖
知床旅情の歌好きです。北海道ですね😃
加藤さんのコンサートで聴きました。カラオケでもよく歌いました。
Beautiful song
知床に行った時に、望遠鏡で沖を眺めていたら、うっすらと島影が見えて、あれが国後島と説明され、国境の島なんだなぁ~と思い知らされました。
とても良い歌ですね…しかしあんな悲惨なことになるとは…亡くなられた方々の魂の平安とご遺族の慰めを祈ります。社長さんが観光業従事者として、自然界を甘くみていたことが残念でなりません。人の命に対してもっと真摯に向き合ってほしかったな…
私がオートバイで18歳の時日本一周の途中佐呂間ユースホステルではじめて歌った想いでの歌です
北海道にはなかなか行く機会がなくて残念です、あの雄大な自然、緑の豊かさ、何時かは満喫してみたいと思っています
知床に限らず稚内、小樽、室戸何時かは行ってみたいと思います
今回お亡くなりになった方々のご冥福を心からお祈りいたしますね。苦しかったと思いますが安らかにお休みください。
まだ見つからないご遺体も早く見つかることをお祈りいたします。
知床旅情この曲いつ聞いても心をなぐませてくれますね思い出す事(15年前)定年退職の思い出に車で羅臼の峠を越えた事が瞼に浮かんで来ます素晴らしい曲です配信ありがとうございます
是非今後もこの知床旅情を歌ってほしいです
ずいぶん昔に加藤登紀子さんのコンサートに行ったことがあります。今月末ににっぽん丸に小樽から乗船して利尻、知床(羅臼)を4日間クルーズしますが、加藤さんも乗船され歌声を聴けます。北海道大好きなので、利尻も知床も何度も行っていますが、加藤さんと会えることで特別な旅になりそうです。楽しみです。北海道に関する歌は私のお風呂での愛唱歌です。
コメント頂きありがとうございます。私はもう後期高齢者となりましたが、青春時代から加藤さんの歌が好きで、よく聴きました。特に叙情歌が好きです。私も知床半島には行きましたが、クルーズ船で加藤さんの歌を聴けるなんて羨ましいです。私は年甲斐もなく藤あや子さんの会員制「クラブ藤」に入っておりまして、数年前、やはりクルーズ船でのイベントがありましたが、体調不良のため参加できませんでした。楽しんできてくださいね。
Love this song.
亡くなられた方々の魂にもこの素晴らしいメロディが届きますように…
コメント頂きありがとうございます。本当にそうねがいますね。
素晴らしいうr。
I like this song
昭和35年に出来ていた曲だなんて。
森繁さんは当時どの様に行ったのでしょう。
私は今70歳で有りますが、知床への憧れを胸に今年は関東から夏バイクで行くつもりです。
知床の峠を越えて。
コメント頂きありがとうございます。頑張ってください。私は、30年歩前に行きましたが、現在は随分と変わっている様子だそうですね。
亡くなったおとうさんを思い出す曲です。ロマンチックな歌。❤2人で行きたかった。😢❤😂
あの頃乗った知床観光船の船内にこの歌が流れていました…
コメント頂きありがとうございます。
一つの曲で、音楽で、
色んな想いが、あるんですね、、、、特別な気持ち、、、が、人間て、同じように、共感出来たり、
文字だけでも、反発したり、不思議だな〜😮
この曲いつ聴いても心に響く。
コメント頂きありがとうございます。
こちらこそ良い曲をアップしてくださり有り難う御座いました。@@yukion.
@@marinara680 様 ご丁寧な返信ありがとうございます。
高輪のお寺さんの山門に登紀子さんの書が有りました!中学卒業の歌です~🌸
追伸ですが、私は、今回の、北海道の、しれと観光船の事故で、犠牲になりました人の、ご冥福をお祈りします。😞🤔
私もお悔やみとご冥福をお祈りいたします次第です。また、私も25年前家内と知床の観光船に乗りました。その時の船は大きく頑丈そうでした。調べてみましたら、私が乗った船はオホーツク海の流氷観光用の砕氷船だったようです。流氷のない季節にはウトロから知床半島の観光船として運用されていたようです。(現在は分かりませんが)
砕氷船は頑丈で馬力が大きいため推進力があり、荒波を乗り切ることができます。そのような船でも今回の気象状況下では出港を見合わせたと聞きます。にもかかわらず出港し、事故に至ったことが悔やまれます。
突然やってきたタヒの現実
恐怖わかったでしょう。苦しかったでしょう。
心情を思って戰慄いたします
そんなに頻繁に読点を入れる必要はありません。ちなみに年配の方はどうしてそんなに読点を入れるのですか。
事故のこと、気にかけてくださり有り難うございます。実は、、、身内が未だ見つかりません。知床は悪くありません。
辛いですよね😢でも、知床自体を忘れないで欲しいです😢ある意味、知床の何処かにずっと生き続けるべき歌なのです❤北海道🐮🍦🍜
この歌は淋しさを歌っていると思います
私は大好きです。